年末年始は例年読み込むが、単月で読んだ数では初ではないかという14作品。よく進んだし、芸術もの中心で楽しい月だった。12月は、大作が続く。まあ、のんびりやろう。
木内昇「櫛挽道守(くしびきちもり」
父の櫛の技に魅せられた登勢の人生。時代は木内昇得意の幕末。柴田錬三郎賞、親鸞賞、中央公論文芸賞トリプル受賞とか。東京出張の行き帰りで読了。
櫛の歯をのこぎりで引いて作る職人、吾助の娘、16歳の登勢は、母や妹・喜和に台所仕事を手伝うよう言われながらも、ひたすら父の仕事を手伝いに精を出す日々。跡継ぎとなるはずだった弟の直助が急死してから、家族には暗い影が差していた。
幕末の動乱とともに、木曽の山里で、ただ父が引く髪梳き櫛を作る道に邁進する娘、登勢の半世紀である。問屋に翻弄される里の職人の有り様から、櫛引の技術、また女性のあり方を描く物語だ。
決して明るくはないが、考えることを一つ一つ丁寧に書き込んでいる。夫婦、家の有り様やその表現に、女性作家ならではの視点も感じる。久々に、感情的な話をじっくり読んだという気がした。
木内昇は幕末から明治への時代設定で書いた「茗荷谷の猫」、直木賞作品の「漂砂のうたう」を読んで、なかなか特徴を持った作家さんだと思っていた。今回は明治は出てこないが、ある意味頑迷な登勢を軸に、慌ただしい世相と、様々な役回りのキャスト、わかりやすい暗合を使った描き方を駆使した、テクニカルなストーリーとなっている。
決して面白くなかったわけではないが、ちょっとパターン付いてるな、と感じたのと、出来た物語感はあったかな、もっとクセととんがったものを求めたくなった。
梨木香歩「村田エフェンデイ滞土録」
いやーほわほわしてつかみどころのない世界が、一気に緊迫する感覚。ラストは、そのギャップに泣きそうになってしまう。単純なのかいな(笑)。「家守綺譚」と関わっている作品でもある。
1899年、村田は考古学・歴史学研究員として土耳古(トルコ)のスタンブールへ遊学する。下宿先となったディクソン夫人宅には、ギリシャ人のディミィトリス、ドイツ人のオットーの2人の学者仲間と、奴隷のムハンマド、ペットの鸚鵡が住んでいた。村田はムハンマドから、学問を修める人への敬称「エフェンディ」と呼ばれていた。
当時欧米列強の脅威にさらされていた末期のオスマン・トルコで、その世情、若き遺跡発掘仲間との暮らしや数少ない日本人同士の連帯、また不思議な現象などを、独特ののんびりした創造的な筆致で描いている。
この設定と展開に最初ついていけず、正直不思議な世界を描くだけかと思っていたが、どうしてどうして、だった。
話は1908年の青年トルコ人革命、そして第一次大戦にまで及ぶ。そして、村田はやがて、名作「家守綺譚」の主人公、綿貫の家に転がり込む。ゴローも懐かしい。確かに、「家守綺譚」も不思議な話の連続であったから、そのテイストだと思えば合点も行くかも。
梨木香歩は、「西の魔女が死んだ」、「家守綺譚」、続編の「冬虫夏草」、「雪と珊瑚と」、エッセイの「渡りの足跡」を読んだ。好きな作家さんである。未読の「裏庭」「エンジェルエンジェルエンジェル」でも買おうかな〜と思っていたら、あまり見かけないこの作品があったのでパッと買った。
不思議な感じの作品は数あれど、落ち着く、いい感じのするところへ持っていくのは、大した個性だと思う。行き当たりばったり読書、当たったな。
宮下奈都「羊と鋼の森」
透き通ったようなタッチ、思い切った表現、思い通りに行かない道、音楽への愛情。宮下奈都飛躍の作品。本屋大賞受賞作。
北海道の山村に育った外村は、高校2年の時、たまたま学校にあるピアノの調律に立ち合って強い感銘を受ける。高校を卒業し、東京の調律専門学校を出た外村は、あの時の調律師、板鳥さんのいる楽器店に調律技術者として就職する。
表現が、飛ばしている。まっすぐに、透き通って。そのベースに1人の青年がもがく姿がたんたんと描かれている。温かい周囲の人々ともどかしい現実。深く考える、また表現の嵐。
俗っぽさは周囲に任せ、おとなしくて誠実で、まっすぐで、孤独な主人公。仕事の道を追い求めるのは名作「スコーレNo.4」と同じだが、今回はもっと突き抜けた感じがする。ちょっと村上春樹入ってるかな、と思ったりもした。
なんというか、様々な要素がすべて一つの、静謐で熱く締まった明るさへ向かって集約されているような感覚である。こんな言い方も影響されてるな。(笑)。
波が少ないので、ガツンと心が動く訳ではないが、宮下奈都がのびのびとその個性を顕し、ある美しさに到達したことを嬉しく思う。
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