4月は、12作品13冊。バラエティに富んだラインナップとなった。変わったような、似たような作品が多かったかな。
柳広司「ジョーカー・ゲーム」
なかなか引き込まれる、スパイもの。スパイそのものと、その外縁に居るとも言える人物と、両方の視点から描いている連作短編集。「ダブル・ジョーカー」「パラダイス・ロスト」とシリーズになっているらしい。
時代は第二次大戦前夜。日本陸軍の「D機関」はかつて自身が優秀なスパイだった結城中佐が設立した、スパイ養成機関。構成員は驚くべき能力を備え、また「死ぬのも殺すのも、スパイにとって最悪の選択肢」「スパイとは、見えない存在」等々の教えを実践する。
この「D機関」は、陸軍中野学校を、その中心的人物である、結城中佐は中野学校の設立者である、秋葉俊陸軍少将をモデルにしている。
日本の大使館に出入りする外国の高官絡みの話、また魔都上海、さらに外国でスパイであることがバレて捕まってしまったD機関の人間の話まであり、バラエティーに富んでいる。
柳広司は、ロンドン留学時の夏目漱石の活躍を描く「吾が輩はシャーロック・ホームズである」以来2作め。今回、007のような派手な活躍は押し殺してあるが、(それでもやっぱり派手めではあるのだが)スパイものって、やっぱり人の心をくすぐるよね。「ダブル・ジョーカー」には結城中佐若き日の活躍ものもあるそうだし、ぜひ読んでみよう。
山本一力「あかね空」
作品の力、というのは文章から来るものだが、時に文章を超えたものを感ずることがある。
2002年の直木賞作品。京都から江戸深川に出て来た豆腐職人の永吉は、長屋を借りて京風豆腐を売り始める。近所の娘、おふみと所帯を持ち、3人の子宝に恵まれるが、不幸や苦難もまた立ちふさがる。
人情ものであり、親子二代に渡る大河小説で、不思議な縁の繋がりが永吉たちの見えない力となる。
家族内のいざこざが多いのだが、ある意味誰もが頷いてしまうような問題でもある。偶然の要素もあり、一見どこにでもありそうな時代ものにして、不思議な力強さを感じさせる。家族の力、を上手に描いた作品と言えるだろう。
悪役とその策略が分かりやす過ぎるきらいはあるが、物語の丁寧な編み込みの前ではご愛嬌、といったところか。
マイケル・ハードウィック
「シャーロック・ホームズ わが人生と犯罪」
ホームズの宿敵、「犯罪界のナポレオン」モリアーティ教授は、スイスはライヘンバッハの滝で、ホームズと格闘の末、滝壺に落ちて死んだ・・はずだった。一時はホームズも死んだとされ、その実生きていて、海外で過ごす、いわゆる「大空白時代」が3年間続き、「空き家の冒険」でベイカー街に帰還を果たすのである。
この物語は、タイトルからも、ホームズの視点から、各事件を改めて見つめるものと思っていたが、実際は、大空白時代の真相を告白するものである。
そもそも、宿敵とされながら、モリアーティが直接姿を現すのは、前述の格闘があった「最後の事件」だけだ。(「恐怖の谷」には伝聞でのみ登場)歴史小説こそが自分のフィールドだと信じていたコナン・ドイルは、早くホームズものを終わらせたがっていた。
それまでの作品には気配すら無かった宿敵モリアーティが突然現れたこと、ホームズがなぜか海外逃避行に出たこと、などはいかにも不自然、という指摘および批判は、今でもある。終わらせるために強引な設定を取りすぎたんじゃない?というわけだ。
今回の作品では、ホームズはモリアーティと多くの会話を交わし、理解し合う。
上記の批判がありながらも、またちょっとしか登場しないにも拘らず、モリアーティというキャラはなかなか捨てがたい魅力を放っている。
作者はイギリスの、有名なシャーロッキアンで、数々の作品を世に送り出している。「シャーロック・ホームズの優雅な生活」などなど邦訳もされている。モリアーティとホームズの世界を広げ、大空白時代に新たな説を打ち出したのは、いかにもシャーロッキアンらしく、ちょっと突飛な設定だなと感じながらも、楽しく読ませてもらった。
これは1984年に出版された作品の新装版である。シャーロック・ホームズのパスティーシュ、パロディはハードカバーでのみ出されるものも数多い。海外の書籍ゆえ、正直「こんなに高いの?」と思うこともしばしば。ここ数年、ドッと刊行されたこれらをすぐ買う、というのはやめて、こうやって少しづつ消化している。幸い大きな書店では、ホームズものはそれなりに広いスペースを占めていて、いつ行ってもこれらの本はある。こういう読み方もまたひとつの愉しみだ。
天野篤「熱く生きる」
2012年、天皇陛下の心臓バイパス手術を執刀した、順天堂大学医学部教授の本。この方、当時はテレビにもだいぶ取り上げられたらしいが、さっぱり知らなかった。進学校に進むも落ちこぼれ、日大医学部に三浪して入ったノンエリートの医師が、いまや国内屈指の心臓血管外科医になって、天皇陛下の手術まで行うようになったー、というストーリーらしい。
とにかく熱い人、熱い本である。「神様のカルテ」でも強調されているが、患者に寄り添おうとすると、医師はモーレツな勤務体系を強いられる。作者も家に帰ることが少なく、風呂も病院のシャワーだそうだ。
先進性に富み、医療現場で常に新しいやり方に取り組むエネルギーには恐れ入る。患者のために、というシンプルで熱い思想が根底にあるために、より納得できる。医療知識を含め、刺激があった。それにしても、外科医希望者って減っているのか・・。もはやブラックジャックの時代じゃ無いのかも知れないな。
ふだんスポーツもの以外は、人ものや現実的な作品は読まない。読了後は習性のようなもので、物語が読みたくなった。
ウィリアム・サマセット・モーム
「月と六ペンス」
脱却したい男にとってはイケナイ一冊かも。なかなか夢中になれた。ちなみに月も、六ペンスも象徴的な意味らしくて、ことさら出てくるわけでもない。
1919年出版、ほどなく英米でベストセラーになった、いまや名作文学に数えられる作品。日本では昭和34年の発行、私が手にしているのは4年前の87刷版だ。
ロンドンの平凡な株式ブローカー、ストリックランドはある日突然、家族を捨ててパリへ出奔する。「女と逃げた」などと周囲が詮索する中、文士の「僕」はストリックランド夫人の要請で彼に会いに行く。貧乏暮らしをする彼の理由は「絵を描きたい」というものだった。
全てを投げうって絵に没頭し、野性的と言えるほどの生活を送って、タヒチにまで行ってしまうストリックランド。この小説は、ゴーギャンの生涯に影響を受けて描かれた作品と言われる。ここまで徹底した身勝手な生涯はまた、芸術家というものを描き出すとともに、世の男女に羨望の情を起こさせる、という意味も含めて訴えかけるものを持っている。
文芸仲間とは、よく、現代ものは読むけど、日本の文学とか、世界の名作とかあんまり読んでないよね、という話をした。今年は少しづつ織り込もうと思っている。最初はこんな文章を400ページ以上読むのはキツイな、と思ったが、ほどなく物語が転がり出すと面白くなった。電車やバスで、さあストリックランド読もう、と本を広げるのが楽しかった。
私の実家は、祖父と長男である父が共同出資で建てたが、当時父の5人兄弟のうち末の叔父叔母はまだ一緒に住んでいた。叔母が嫁いで出て行った後も、私が大きくなるまで2階の部屋にはちょっと年代ものの、両開きの本棚が残っていて、叔母のものと思われる、石坂洋次郎や、アンドレ・ジイドの本などに混ざって、この作品はあった。いま読んで、ある種の感慨がある。
通俗的、という評価も多いようだが、やはり名作なのだろう。ストーリーも表現も強い。冒険心も含めて、密かに誰しも憧れるけど出来ない願望を、ストリックランドは果たしているのかも知れない。
朝井リョウ「もういちど生まれる」
う〜ん、やっぱ面白いな、朝井リョウ。
「桐島、部活やめるってよ」のようでもある、連作短編集。大学生世代、二十歳前後の若者の心の葛藤を描写したもの。それぞれの短編の登場人物は時にストレートに、時に薄く絡み合っている。
若い朝井リョウの描くものは、会話の端々まで無言の説得力がある。今回は良きにつけ悪しきにつけ「桐島」から、あざとさを増している。表現も飛ばして、跳ねている部分があって、そこを意図的に読者に気付かせているようだ。
表題作「もういちど生まれる」と「破りたかったもののすべて」に惹かれるな。まあその、同性愛ネタはオチとして、最近の小説に非常に多いので、もういいな、と思うし、あえてキーになっている人を主人公にしてみれば面白かったかも、とは思う。会話表現は信じられるが、ストーリーのあまりの繊細さには、ちょっと大げさ過ぎない?と、懐疑的な気持ちも湧く。
でも、その繊細さには、仕掛けだと分かっていても、胸が締めつけられるものがあったりする。やっぱ朝井リョウは、面白い。
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