2011年1月12日水曜日
たまには
息子は、すっかり調子よくなり、幼稚園も最後の期が始まり、いつものペースに戻った。ホッとしたからではないが、たまには趣味の話をしようかと思う。写真の通り、私はシャーロッキアンだ。ちなみにこのマグカップはロンドンに行った友人のおみやげ。自分自身、ものすごいコレクターなどではなく、まだベイカー街どころかロンドンも行った事はないが、それでも相当好きな部類に入ると思う。よく「そんなに!?」と驚かれるが、ホームズものは年に数冊、いわゆるパロディやパスティーシュ、ガイド本が出版されている。少女ものパロディやDVD、コミックを含めればもっと。最近はいわゆる「聖典(キャノン)」の新訳が流行りだ。映画も一定の評価を得たようだし、毎年ペースが落ちないどころか、ますます過熱気味なのは、私みたいな人もたくさんいて、誰にでもなじみやすく、ひとつの市場となっているからだろう。私は、いまのところ本格派のパロディパスティーシュと、いくつかの解説本を持っている。パスティーシュとは、登場人物や時代設定はそのままに、原典にない物語を他の作家が書いたものである。この類いは、最近、ハードカバーのものが多いが、高いし、正直質もイマイチなので、すぐ飛びついて買ったりはしなくなった。でも無くなると困るので、気にはしている。文庫は飛びついて買う(笑)。解説本は、科学捜査を読み解くかなり難しいやつから、優しいガイド本まで出ているが、知っていることが多いし、古典的名作はすでに手許にあるのであまり買わない。こんな生活を20年近く続けていて蔵書はそれなりの数になった。絶版ものも多数ある。「シャーロックホームズのなにがいいんですか〜?」(悪意なし)と訊かれることもある。推理作家には、例えば「まだらの紐」でヘビがミルクを飲んでいたり、「赤毛連盟」で、犯罪が行われようとしているときに、わざわざ時間を置いて、強盗を待ち伏せたりするのを強烈に批判する人もいるし、特に原典は、世界各国の研究者たちに、徹底的に検証され批判もされている。しかし、シャーロックホームズには、何ものにも替え難い魅力があるのだ。説明するのは難しい。欠点もあるキャラクター、比類なき推理力、人間としてのスタイルにセリフの言い回し。華やかなりしころのイギリスはロンドン、馬車に電報、霧に現実的な生活感と社会風俗がにじむ。ワトソンとの共同生活、そして、物語と登場人物のみずみずしい印象など、全て総合的に面白く、魅きつけられる。批判する作家さんも明らかにコナン・ドイルに影響されており、愛情すら感じる。そんな人も含めて、皆が好きなのである。人類でだったかヨーロッパでだったか忘れたが、『最も賢明で、最も善良な』とワトソンに評された、探偵界の並ぶものなきスーパースター、シャーロックホームズ。最後にお気に入りの名セリフで締めることにする。『僕らは手を伸ばし、つかむ。その手の中に残るのは何か。幻さ』出典忘れました(笑)。シャーロッキアン語の世界に浸っているのは気持ちいい。なんか浮かれた文章になっちったが、次の機会はもう少し説明的な稿としよう。ではでは。
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