◼️ 小川洋子「博士の愛した数式」
参ったな、と。エッセンスの出逢い。この小さな空間を守りたい気持ち。数学美と阪神タイガース。
もうだいぶ前、読書仲間でもある竹馬の友たちと3人でお泊まり会をしたことがあった。私を除く2人がこの作品を良かったよね、と言っていた、けども私は著者に当時あまり興味がなかったこともあってそっけない態度を取ったと思う。うーんごめん、これ名作だね。本屋大賞。
30歳前、家政婦の私は10歳の息子と2人でアパートに暮らす未婚の母。自分の前に9人が辞めたという家に勤めることになる。仕事はある家の離れに住む元数学教授のお世話。博士は交通事故が原因で、記憶が80分以上持たない人だった。備忘のためのメモを服にたくさん貼っていたが、基本的に私とは会うたびに初対面だだった。私は博士が説く素数や友愛数などに興味を持ち、親愛の情を持って世話をするようになる。博士からの強い希望で息子も家に出入りするようになり、博士は彼を「√(ルート)くん」という愛称で呼ぶ。阪神ファンというつながりで3人は楽しい時を過ごす。ついに私は3人での阪神戦の観戦を実行するがー。
前半を読んでいるうちに、この微笑ましい関係にきっと嫌なこと、悲しいことが降りかかるんだろうな、という予感に襲われる。
昨今世界の中の2人だけの空間、を作るための小説の仕掛けも多い中、小川洋子はしっかりと落ち着いていて、人の間の愛情が自然だと思える。合間に私の過去など人間らしい生臭さも垣間見えるが、ノイズとなって響くわけでもない。それがまた心地よい。
素数、友愛数、そして完全数、三角数。本格的な数学用語も出てくるが、学問というよりは数字のマジックと美しさ、が描かれている気がする。実は数学を扱った物語はそれなりに数多いと思っている。科学や数学は、近寄りがたく見えても、不思議な吸引力を持っている。文系ならなおさら憧れがあったりする。自立していて、孤独であり、美麗さ、崇高ささえ漂う。だから語り手である私の気持ちもどこか共感を得るのではないか。語りがシンプルだから余計に。
博士と母子をつなぐのが阪神タイガース、そして江夏豊。これは1992年の物語。関西住みはこの年阪神が惜しくも優勝できなかったことをよく覚えている。まず野球が象徴的。Jリーグは始まっておらず、ドーハの悲劇は翌年。まだまだ多くの者が野球に親しむ時代。博士の世代はなおさら。子のない博士と父のいない男の子、という組合せに改めて気づく。阪神タイガース、スペインサッカーで言えばバルセロナ、巨人という正規軍に対抗し、ファンが熱狂的であり、暗黒時代にも沈む存在。こちらも強い魅力を有している要素だ。
時折挟まれる自然と季節の描写、生活。博士との特別な日々が刻まれる。苦難はあるし、思わぬ感情もある。意外さもある。それが収束していく。
なんというか、物語の谷はなだらかだけど、それでいいんだよこの作品、と思える。微笑ましい。完全数、という概念とオチにも感心。博士がルートの誕生日を祝わねば、と張り切るところでなぜか心が動いて、読むのが止まった。
素朴に、しかしきれいに編み込まれた話。ベストセラー、良い読書でした。
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