カンヌ出品作「ルノワール」観ました。1980年代、不完全な大人の世界を垣間見る11歳、フキの物語。うーんカンヌ、って感じの作りで、主演鈴木唯の母親役・石田ひかりの好演に目が行きました。
予約ランチしてバスケショップでちょっと時間つぶしてからクラシック。コンサートは3週連続。ショスタコの祝典序曲、pf五十嵐薫子でいわゆるパガ狂、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」、リムスキー・コルサコフ、フィギュアスケートの曲としてもよく使われる「シェエラザード」。
就任記念の指揮者がハツラツとしていて、ノリの良い演奏でした。シェエラザードは会場で聴くと様々な楽器のソロが多くて面白かった。
⚾️わがライオンズは横浜にカード勝ち越し、巨人には2戦めの継投失敗が痛くカード負け越しで交流戦貯金2で終了。去年の4勝11敗に比べれば天国。今季の交流戦は上位をパリーグ、下位にセリーグという感じになった。話の流れは別だけど、もうエクスパンションして、セパを組み直せばいいのにと思う今日この頃です。
バレーボール🏐ネーションズリーグ、女子はタイ🇹🇭に苦戦し3-2で勝ち、パリオリンピック金メダル🥇のイタリア🇮🇹に善戦の末負け、中国🇨🇳に1-3で負け。個人的には中国戦の1、2セット、あれ、あれ、と今までやってきたことが少しずつズレたような気がした。中国は確かに強豪だけど、どうにもこうにも対抗できないといったほどではないように見える。いつも通りやればいいのにな、と思って観ていた。バレーは怖い。そんな中新戦力のオポジット、20歳の北窓絢音がいい活躍をしていた。レシーブもサーブも上手い。スパイクも決まっている。また、日本の優秀なリベロ陣は誰を出してもOK。特にドミニカ戦で試合の流れごと持ってきた岩澤美育には、これがリベロだよ!西谷だよ夜久だよ(どちらもマンガ「ハイキュー!」に登場する名リベロ)、と感銘を受けた。毎日バレーを観る生活は楽しいっす😆
🏀はこの土日が各ブロック大会。九州大会は例年通り福岡の2校、福大大濠vs福岡第一の決勝となりわずか1点差で福岡第一が県大会決勝の雪辱を果たした。大濠はケガと代表活動で主力が出られなかったこともあったかな。
この夏は代表戦やアンダーカテゴリーの国際大会もあるみたいで、🏀🏐だけでなく世界陸上もあったりするから、スポーツ観戦に忙しい夏になるかもやね。
それにしても暑い。室温調整が上手くいかず寝不足。しっかり寝るよう心がけよう。
2025年6月22日日曜日
2025年6月21日土曜日
6月書評の8
◼️ アントニオ・タブッキ「インド夜想曲」
闇と神秘。インドを渉猟する心の旅路。
タブッキは以前「供述によるとペレイラは・・」を読んだ。ファシズムの時代、新聞社の文芸担当主任が反体制運動へどうしようもなく落ちていくさまを描いた傑作だった。今作はテイストが違うというか、言ってみれば周到に計算された、幻想のストーリー。ふむふむ。
語り手はイタリア人で、インド西部のボンベイ(ムンバイ)からインド東部のマドラス(いまのチェンナイ)、さらに半島を西へ横断したゴアへと旅しながら、インドで失踪した親友を探している。暑さの中ひどい悪臭のする病院で見た光景、マドラスの一流ホテルのレストランの光景、友人や女性たちとの想い出、女泥棒との邂逅、長いバス旅の途上に出会った賢そうな少年は、身体不自由な占い師の兄を連れていた。ゴアの修道院で出会った、芝居掛かった老人の振る舞いは舞台劇の一場面のよう、明るいフィラデルフィアの青年との会話、などがまるで仕掛けられた幻燈のように浮かんでは消える。
そしてラスト、瀟洒なレストランでジャーナリストか写真家らしき美女と男との会話で、どうやらネタばらしらしいことが語られる。
謎を投げておいて、不思議なバス旅行記が繰り広げられる。しかもなぜ東西往復?それも面白味か。様々なシーンのオムニバスのような進行で、それぞれ何かを投げかけているごとく、連関しているような、そうでないような調子で雰囲気を漂わせる。インドの下層、かと思えば植民地での白人のやりとり、男女の機微や人生の起伏までが描かれる。
猥雑な中の白人社会、カトリック。変幻自在、とくに闇と光が十分に意識されたかのような感じに、良い感触を持った。
闇と神秘。インドを渉猟する心の旅路。
タブッキは以前「供述によるとペレイラは・・」を読んだ。ファシズムの時代、新聞社の文芸担当主任が反体制運動へどうしようもなく落ちていくさまを描いた傑作だった。今作はテイストが違うというか、言ってみれば周到に計算された、幻想のストーリー。ふむふむ。
語り手はイタリア人で、インド西部のボンベイ(ムンバイ)からインド東部のマドラス(いまのチェンナイ)、さらに半島を西へ横断したゴアへと旅しながら、インドで失踪した親友を探している。暑さの中ひどい悪臭のする病院で見た光景、マドラスの一流ホテルのレストランの光景、友人や女性たちとの想い出、女泥棒との邂逅、長いバス旅の途上に出会った賢そうな少年は、身体不自由な占い師の兄を連れていた。ゴアの修道院で出会った、芝居掛かった老人の振る舞いは舞台劇の一場面のよう、明るいフィラデルフィアの青年との会話、などがまるで仕掛けられた幻燈のように浮かんでは消える。
そしてラスト、瀟洒なレストランでジャーナリストか写真家らしき美女と男との会話で、どうやらネタばらしらしいことが語られる。
謎を投げておいて、不思議なバス旅行記が繰り広げられる。しかもなぜ東西往復?それも面白味か。様々なシーンのオムニバスのような進行で、それぞれ何かを投げかけているごとく、連関しているような、そうでないような調子で雰囲気を漂わせる。インドの下層、かと思えば植民地での白人のやりとり、男女の機微や人生の起伏までが描かれる。
猥雑な中の白人社会、カトリック。変幻自在、とくに闇と光が十分に意識されたかのような感じに、良い感触を持った。
6月書評の7
◼️ 小川洋子「博士の愛した数式」
参ったな、と。エッセンスの出逢い。この小さな空間を守りたい気持ち。数学美と阪神タイガース。
もうだいぶ前、読書仲間でもある竹馬の友たちと3人でお泊まり会をしたことがあった。私を除く2人がこの作品を良かったよね、と言っていた、けども私は著者に当時あまり興味がなかったこともあってそっけない態度を取ったと思う。うーんごめん、これ名作だね。本屋大賞。
30歳前、家政婦の私は10歳の息子と2人でアパートに暮らす未婚の母。自分の前に9人が辞めたという家に勤めることになる。仕事はある家の離れに住む元数学教授のお世話。博士は交通事故が原因で、記憶が80分以上持たない人だった。備忘のためのメモを服にたくさん貼っていたが、基本的に私とは会うたびに初対面だだった。私は博士が説く素数や友愛数などに興味を持ち、親愛の情を持って世話をするようになる。博士からの強い希望で息子も家に出入りするようになり、博士は彼を「√(ルート)くん」という愛称で呼ぶ。阪神ファンというつながりで3人は楽しい時を過ごす。ついに私は3人での阪神戦の観戦を実行するがー。
前半を読んでいるうちに、この微笑ましい関係にきっと嫌なこと、悲しいことが降りかかるんだろうな、という予感に襲われる。
昨今世界の中の2人だけの空間、を作るための小説の仕掛けも多い中、小川洋子はしっかりと落ち着いていて、人の間の愛情が自然だと思える。合間に私の過去など人間らしい生臭さも垣間見えるが、ノイズとなって響くわけでもない。それがまた心地よい。
素数、友愛数、そして完全数、三角数。本格的な数学用語も出てくるが、学問というよりは数字のマジックと美しさ、が描かれている気がする。実は数学を扱った物語はそれなりに数多いと思っている。科学や数学は、近寄りがたく見えても、不思議な吸引力を持っている。文系ならなおさら憧れがあったりする。自立していて、孤独であり、美麗さ、崇高ささえ漂う。だから語り手である私の気持ちもどこか共感を得るのではないか。語りがシンプルだから余計に。
博士と母子をつなぐのが阪神タイガース、そして江夏豊。これは1992年の物語。関西住みはこの年阪神が惜しくも優勝できなかったことをよく覚えている。まず野球が象徴的。Jリーグは始まっておらず、ドーハの悲劇は翌年。まだまだ多くの者が野球に親しむ時代。博士の世代はなおさら。子のない博士と父のいない男の子、という組合せに改めて気づく。阪神タイガース、スペインサッカーで言えばバルセロナ、巨人という正規軍に対抗し、ファンが熱狂的であり、暗黒時代にも沈む存在。こちらも強い魅力を有している要素だ。
時折挟まれる自然と季節の描写、生活。博士との特別な日々が刻まれる。苦難はあるし、思わぬ感情もある。意外さもある。それが収束していく。
なんというか、物語の谷はなだらかだけど、それでいいんだよこの作品、と思える。微笑ましい。完全数、という概念とオチにも感心。博士がルートの誕生日を祝わねば、と張り切るところでなぜか心が動いて、読むのが止まった。
素朴に、しかしきれいに編み込まれた話。ベストセラー、良い読書でした。
参ったな、と。エッセンスの出逢い。この小さな空間を守りたい気持ち。数学美と阪神タイガース。
もうだいぶ前、読書仲間でもある竹馬の友たちと3人でお泊まり会をしたことがあった。私を除く2人がこの作品を良かったよね、と言っていた、けども私は著者に当時あまり興味がなかったこともあってそっけない態度を取ったと思う。うーんごめん、これ名作だね。本屋大賞。
30歳前、家政婦の私は10歳の息子と2人でアパートに暮らす未婚の母。自分の前に9人が辞めたという家に勤めることになる。仕事はある家の離れに住む元数学教授のお世話。博士は交通事故が原因で、記憶が80分以上持たない人だった。備忘のためのメモを服にたくさん貼っていたが、基本的に私とは会うたびに初対面だだった。私は博士が説く素数や友愛数などに興味を持ち、親愛の情を持って世話をするようになる。博士からの強い希望で息子も家に出入りするようになり、博士は彼を「√(ルート)くん」という愛称で呼ぶ。阪神ファンというつながりで3人は楽しい時を過ごす。ついに私は3人での阪神戦の観戦を実行するがー。
前半を読んでいるうちに、この微笑ましい関係にきっと嫌なこと、悲しいことが降りかかるんだろうな、という予感に襲われる。
昨今世界の中の2人だけの空間、を作るための小説の仕掛けも多い中、小川洋子はしっかりと落ち着いていて、人の間の愛情が自然だと思える。合間に私の過去など人間らしい生臭さも垣間見えるが、ノイズとなって響くわけでもない。それがまた心地よい。
素数、友愛数、そして完全数、三角数。本格的な数学用語も出てくるが、学問というよりは数字のマジックと美しさ、が描かれている気がする。実は数学を扱った物語はそれなりに数多いと思っている。科学や数学は、近寄りがたく見えても、不思議な吸引力を持っている。文系ならなおさら憧れがあったりする。自立していて、孤独であり、美麗さ、崇高ささえ漂う。だから語り手である私の気持ちもどこか共感を得るのではないか。語りがシンプルだから余計に。
博士と母子をつなぐのが阪神タイガース、そして江夏豊。これは1992年の物語。関西住みはこの年阪神が惜しくも優勝できなかったことをよく覚えている。まず野球が象徴的。Jリーグは始まっておらず、ドーハの悲劇は翌年。まだまだ多くの者が野球に親しむ時代。博士の世代はなおさら。子のない博士と父のいない男の子、という組合せに改めて気づく。阪神タイガース、スペインサッカーで言えばバルセロナ、巨人という正規軍に対抗し、ファンが熱狂的であり、暗黒時代にも沈む存在。こちらも強い魅力を有している要素だ。
時折挟まれる自然と季節の描写、生活。博士との特別な日々が刻まれる。苦難はあるし、思わぬ感情もある。意外さもある。それが収束していく。
なんというか、物語の谷はなだらかだけど、それでいいんだよこの作品、と思える。微笑ましい。完全数、という概念とオチにも感心。博士がルートの誕生日を祝わねば、と張り切るところでなぜか心が動いて、読むのが止まった。
素朴に、しかしきれいに編み込まれた話。ベストセラー、良い読書でした。
2025年6月16日月曜日
ピアノを、聴く
Xが突然乗っ取られてしまった。X側の対応も1回メール受けただけでこれ以上サポートできません、とまったく真摯ではなく、もはや捨て置くしかない状態。理不尽に怒り💢🫤😑😠☹️
京都に住むピアニスト、イリーナ・メジェーエワさんのリサイタルで御堂筋にどどんと聳えるビルにあるフェニックスホールへ。その前に大阪駅前ビルの、テレビでも取り上げられるレトロ喫茶のホットケーキ🥞食べようと目論んで早めに行ったもののけっこうな行列で回転も悪く離脱。土日に行くこと自体が無謀かも😎
リサイタルはバッハのフランス組曲2番、モーツァルトのロンドと来て、前半はベートーヴェン「月光ソナタ」で締め。ホットケーキ食べられなかったからスイーツはホールのバームクーヘンに葡萄🍇ジュース。後半はショパンのノクターン5番、エチュード×2、そしてスケルツォ2番。ショパンコンクールの予備予選、指定プログラム上、スケルツォは自然とメインの位置付けとなり、ステージの決めの曲として何度も聴いた。スケルツォって、ショパンのイズムを、断片的に集めたものが多いときょうも実感。メジェーエワさんは打鍵が強めで、かつテクニカル。後半の後半はラヴェル「水の戯れ」ほか2曲。アンコールはショパンのノクターン2番とワルツ。聴衆への配慮とサービス精神が感じられるプログラムだった。
今年はラヴェルの生誕150周年で、メジェーエワさんは京都で全曲演奏会をするそうだ。私も別口で全曲演奏会に行くことにしている。
紫陽花最盛期。これらの紫陽花はよく話すおじいちゃん家のもの。きのうはザリガニやイモリ、アライグマの話を聞いた。生物にも造詣が深いんだね😊
どうでもいいことを😜😎
一気に暑くなり、来週から休みは短パン登場かなというところ。そもそもワタクシ、買い物しないヒトなので、休みの日は知ってる人に会いたくないって感じのボロい恰好してます😎こないだ2002年の⚽️ワールドカップで韓国🇰🇷のデグに来て行ったシャツ、薄い1枚で被る、ボタンがポロシャツみたいに上だけのヤツでお気に入り、いつもTシャツきてそれ着てパッと外出するというのを、こんなによくもってるよな〜と感心して見たら襟がボロボロに破れているのに初めて気づき、リカバリーの買い物へ。うーんお気に入りの代わりはなかなかない。普通のボタンのシャツではなくでパッと着れて胸ポケットがあるやつ、でちょっとは洒落っ気があるもの、と探したがない。テキトーに1枚買ってきた。
それにしても最近服の規格がサイズアップしてて、私はもう完全にSサイズ。昔はMサイズだったけどね。メンズ売り場にはもはやSは少ないのです。最近立て続けに、スリムですから、痩せてますからと言われた🤥😎けども本人は筋トレやってるからか最近ガッチリ体型にちょっとシフトしてるな、という鏡を見た感想だったりする。
🤭ほんまどーでもいいなと😆
🏀KBS京都テレビの高校バスケインターハイ府大会を見る。主だった私学がお金を出し合ってテレビ中継も付けてるんだね。東山がインターハイ出場決定。私は昨年福岡インターハイで東山の優勝を見た。連覇にチャレンジ!次週は九州大会、近畿大会。
⚾️わがライオンズ🦁はスワローズにカード勝ち越し、カープに3タテをくらい、タイガース🐅に3タテを浴びせ、ドラゴンズ🐉にカード勝ち越しで交流戦貯金2の同率2位。次はベイスターズ、交流戦最後にジャイアンツ。なんとか交流戦初優勝したいぞ。しかし1-2、2-1、1-0と3試合で4点。接戦に強く防御率がいいのは望ましいがもう少し打たなきゃね😅
バレーボール🏐男子🇯🇵は石川祐希、髙橋藍、西田有志、さらには怪我で関田誠大がいないメンバーだが、まずまず出来が良い。普段見られないメンバーのバレーを観るのもまた楽し。しばらくはバレー🏐楽しめそう。
今夜の情熱大陸は日本の民間で初めて月面への探査機着陸をチャレンジしたispaceの話。🚀宇宙好きには見逃せない。
京都に住むピアニスト、イリーナ・メジェーエワさんのリサイタルで御堂筋にどどんと聳えるビルにあるフェニックスホールへ。その前に大阪駅前ビルの、テレビでも取り上げられるレトロ喫茶のホットケーキ🥞食べようと目論んで早めに行ったもののけっこうな行列で回転も悪く離脱。土日に行くこと自体が無謀かも😎
リサイタルはバッハのフランス組曲2番、モーツァルトのロンドと来て、前半はベートーヴェン「月光ソナタ」で締め。ホットケーキ食べられなかったからスイーツはホールのバームクーヘンに葡萄🍇ジュース。後半はショパンのノクターン5番、エチュード×2、そしてスケルツォ2番。ショパンコンクールの予備予選、指定プログラム上、スケルツォは自然とメインの位置付けとなり、ステージの決めの曲として何度も聴いた。スケルツォって、ショパンのイズムを、断片的に集めたものが多いときょうも実感。メジェーエワさんは打鍵が強めで、かつテクニカル。後半の後半はラヴェル「水の戯れ」ほか2曲。アンコールはショパンのノクターン2番とワルツ。聴衆への配慮とサービス精神が感じられるプログラムだった。
今年はラヴェルの生誕150周年で、メジェーエワさんは京都で全曲演奏会をするそうだ。私も別口で全曲演奏会に行くことにしている。
紫陽花最盛期。これらの紫陽花はよく話すおじいちゃん家のもの。きのうはザリガニやイモリ、アライグマの話を聞いた。生物にも造詣が深いんだね😊
どうでもいいことを😜😎
一気に暑くなり、来週から休みは短パン登場かなというところ。そもそもワタクシ、買い物しないヒトなので、休みの日は知ってる人に会いたくないって感じのボロい恰好してます😎こないだ2002年の⚽️ワールドカップで韓国🇰🇷のデグに来て行ったシャツ、薄い1枚で被る、ボタンがポロシャツみたいに上だけのヤツでお気に入り、いつもTシャツきてそれ着てパッと外出するというのを、こんなによくもってるよな〜と感心して見たら襟がボロボロに破れているのに初めて気づき、リカバリーの買い物へ。うーんお気に入りの代わりはなかなかない。普通のボタンのシャツではなくでパッと着れて胸ポケットがあるやつ、でちょっとは洒落っ気があるもの、と探したがない。テキトーに1枚買ってきた。
それにしても最近服の規格がサイズアップしてて、私はもう完全にSサイズ。昔はMサイズだったけどね。メンズ売り場にはもはやSは少ないのです。最近立て続けに、スリムですから、痩せてますからと言われた🤥😎けども本人は筋トレやってるからか最近ガッチリ体型にちょっとシフトしてるな、という鏡を見た感想だったりする。
🤭ほんまどーでもいいなと😆
🏀KBS京都テレビの高校バスケインターハイ府大会を見る。主だった私学がお金を出し合ってテレビ中継も付けてるんだね。東山がインターハイ出場決定。私は昨年福岡インターハイで東山の優勝を見た。連覇にチャレンジ!次週は九州大会、近畿大会。
⚾️わがライオンズ🦁はスワローズにカード勝ち越し、カープに3タテをくらい、タイガース🐅に3タテを浴びせ、ドラゴンズ🐉にカード勝ち越しで交流戦貯金2の同率2位。次はベイスターズ、交流戦最後にジャイアンツ。なんとか交流戦初優勝したいぞ。しかし1-2、2-1、1-0と3試合で4点。接戦に強く防御率がいいのは望ましいがもう少し打たなきゃね😅
バレーボール🏐男子🇯🇵は石川祐希、髙橋藍、西田有志、さらには怪我で関田誠大がいないメンバーだが、まずまず出来が良い。普段見られないメンバーのバレーを観るのもまた楽し。しばらくはバレー🏐楽しめそう。
今夜の情熱大陸は日本の民間で初めて月面への探査機着陸をチャレンジしたispaceの話。🚀宇宙好きには見逃せない。
6月書評の6
◼️ 古川順弘「僧侶はなぜ仏像を破壊したのか」
廃仏毀釈、というものにはかねて興味を持っていた。熱に浮かされたような大騒動。
貴重な仏像、仏具が棄却され、寺院が廃されたという明治維新期の動乱の1つ、廃仏毀釈。なぜそんなことが起きたのか知りたかった。そして、現実の事象は読む前に予想していたより酷かった。
1867年の王政復古の際、明治天皇は神武天皇の時代に行われていたとされる政体に回帰することを宣した。これは祭祀と政治が融合した体制のこと。
これに伴い1868年、混乱の大元である神仏混淆禁止令、といったものが出される。目的は、明治政府が国家神道をして政治の基本としようとし、神社の仏教色を排除することだった。
読んで驚いたが、名の知れた神社でも神仏習合が普通の状態だったという。神道でいう神は如来にまでは達していない存在だと捉え、仏教が神道の上に来て教導する、という時代が長く続いた。権現とは神が仏の化身として現れたもの、という意味だそうだ。別当寺、神宮寺、宮寺など神社に寄り添う形である寺院がそういった存在で、出雲大社にも伊勢神宮にも神宮寺はあった。神社の中には牛頭天王や八幡大菩薩などを祭神とするところも多かった。
この事態に活気づいたのはこれまで寺の僧の下に置かれていた神職や、国家神道の研究者たちであり、政府の役人としてさまざまな施策、時に弾圧ともとれるような、を行った。
おふれが出たため神社に入っている仏具、仏典、仏像などはすべて撤去された。焼却、破却、売却。中には古い由来の、いまなら国宝級のものも多くあった。御神体を鏡にせよ、祀るのを記紀に記されている神にせよ、神社に勤めている僧はすべて還俗せよ、だけでなく、役人の判断で廃寺とされたところも多い。
この影響は甚大で、国学が広まった薩摩藩では寺や僧侶を不要と見る向きが藩論となり、維新前1066箇所あった寺院が維新後はなんとゼロになっている。3000人近くいた僧侶もことごとく還俗させられた。
日本最古の神社とされる奈良の大神神社、中世には隠然とした大きな勢力だった興福寺、京都では観光地として人気の伏見稲荷、八坂神社、北野天満宮、岩清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮、日光東照宮ほかもろもろでも大きな動きがあった。東大寺、法隆寺、薬師寺は被害が小さかったがそれでも何らかの影響を被っている。これら皇室にもゆかりのある寺や、財力を有していた京都の東西本願寺は各寺の擁護に回り、ある程度の発言力はあったようだ。
私の故郷太宰府天満宮、という名前は1947年からのことで、維新前は、安楽寺が取り仕切る宮寺で安楽寺天満宮などと呼ばれ、御神体は菅原道真直筆の法華経。廃仏毀釈の嵐の中で元僧侶の天満宮司が自ら焼き捨てた。安楽寺は廃寺となっている。
この本ではあくまで神仏分離が法令であって明治政府は廃仏毀釈まで命じていないとしている。しかし読むにつけ、結局のところ政府が廃仏毀釈を推進したのと同じだな、という感想だ。
冷静に受け止めたいとは思うが、自分の中でちょっと錯綜した部分はある。ご一新の世情、徳川幕府は倒れ、武士が突然いなくなり、何が起きてもおかしくない雰囲気だった。そもそも対外危機から自身の国体に向き合った日本人は支配層の武士自ら長年自分たちに従っていた朝廷を戴く尊王を言い出したという流れがある。諸外国にも王を中心とする歴史を持った国が多かった。
これまで権力を持ち、上位にあった仏教界の後ろ盾はなくなった。敵対勢力もあり、過剰にムードが盛り上がった、というのも要因の1つだろう。偉そうな立場だったものが一気に叩かれるのは歴史に類例が見られる。
手塚治虫の「火の鳥」で仏教は外来の宗教、という見方を知り、かつて物部氏と蘇我氏系で大戦争があった歴史に刺激を受けた。1000年以上の時を経て、仏教は外国の宗教、という考えが復興し奔流となったことには感じるものがある。そもそも論というのは激流を生むのではと思える。
とはいえ、仏教と神道が結びついていったのもまた歴史であり、民衆にしてみれば信仰として根付いていたものも多いはずなのだが・・と自然とそうなったものにそもそも論を持ち込むことの罪もまたあるとは思う。
廃仏毀釈の大きな動きは10年ほどであって、廃寺の処分を受けた寺も、寺号の復活を許されたりしている。まさに熱は去るのも早かったということか。何だったのか、という気にもなる。
うーん、考えさせる本ではあった。
廃仏毀釈、というものにはかねて興味を持っていた。熱に浮かされたような大騒動。
貴重な仏像、仏具が棄却され、寺院が廃されたという明治維新期の動乱の1つ、廃仏毀釈。なぜそんなことが起きたのか知りたかった。そして、現実の事象は読む前に予想していたより酷かった。
1867年の王政復古の際、明治天皇は神武天皇の時代に行われていたとされる政体に回帰することを宣した。これは祭祀と政治が融合した体制のこと。
これに伴い1868年、混乱の大元である神仏混淆禁止令、といったものが出される。目的は、明治政府が国家神道をして政治の基本としようとし、神社の仏教色を排除することだった。
読んで驚いたが、名の知れた神社でも神仏習合が普通の状態だったという。神道でいう神は如来にまでは達していない存在だと捉え、仏教が神道の上に来て教導する、という時代が長く続いた。権現とは神が仏の化身として現れたもの、という意味だそうだ。別当寺、神宮寺、宮寺など神社に寄り添う形である寺院がそういった存在で、出雲大社にも伊勢神宮にも神宮寺はあった。神社の中には牛頭天王や八幡大菩薩などを祭神とするところも多かった。
この事態に活気づいたのはこれまで寺の僧の下に置かれていた神職や、国家神道の研究者たちであり、政府の役人としてさまざまな施策、時に弾圧ともとれるような、を行った。
おふれが出たため神社に入っている仏具、仏典、仏像などはすべて撤去された。焼却、破却、売却。中には古い由来の、いまなら国宝級のものも多くあった。御神体を鏡にせよ、祀るのを記紀に記されている神にせよ、神社に勤めている僧はすべて還俗せよ、だけでなく、役人の判断で廃寺とされたところも多い。
この影響は甚大で、国学が広まった薩摩藩では寺や僧侶を不要と見る向きが藩論となり、維新前1066箇所あった寺院が維新後はなんとゼロになっている。3000人近くいた僧侶もことごとく還俗させられた。
日本最古の神社とされる奈良の大神神社、中世には隠然とした大きな勢力だった興福寺、京都では観光地として人気の伏見稲荷、八坂神社、北野天満宮、岩清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮、日光東照宮ほかもろもろでも大きな動きがあった。東大寺、法隆寺、薬師寺は被害が小さかったがそれでも何らかの影響を被っている。これら皇室にもゆかりのある寺や、財力を有していた京都の東西本願寺は各寺の擁護に回り、ある程度の発言力はあったようだ。
私の故郷太宰府天満宮、という名前は1947年からのことで、維新前は、安楽寺が取り仕切る宮寺で安楽寺天満宮などと呼ばれ、御神体は菅原道真直筆の法華経。廃仏毀釈の嵐の中で元僧侶の天満宮司が自ら焼き捨てた。安楽寺は廃寺となっている。
この本ではあくまで神仏分離が法令であって明治政府は廃仏毀釈まで命じていないとしている。しかし読むにつけ、結局のところ政府が廃仏毀釈を推進したのと同じだな、という感想だ。
冷静に受け止めたいとは思うが、自分の中でちょっと錯綜した部分はある。ご一新の世情、徳川幕府は倒れ、武士が突然いなくなり、何が起きてもおかしくない雰囲気だった。そもそも対外危機から自身の国体に向き合った日本人は支配層の武士自ら長年自分たちに従っていた朝廷を戴く尊王を言い出したという流れがある。諸外国にも王を中心とする歴史を持った国が多かった。
これまで権力を持ち、上位にあった仏教界の後ろ盾はなくなった。敵対勢力もあり、過剰にムードが盛り上がった、というのも要因の1つだろう。偉そうな立場だったものが一気に叩かれるのは歴史に類例が見られる。
手塚治虫の「火の鳥」で仏教は外来の宗教、という見方を知り、かつて物部氏と蘇我氏系で大戦争があった歴史に刺激を受けた。1000年以上の時を経て、仏教は外国の宗教、という考えが復興し奔流となったことには感じるものがある。そもそも論というのは激流を生むのではと思える。
とはいえ、仏教と神道が結びついていったのもまた歴史であり、民衆にしてみれば信仰として根付いていたものも多いはずなのだが・・と自然とそうなったものにそもそも論を持ち込むことの罪もまたあるとは思う。
廃仏毀釈の大きな動きは10年ほどであって、廃寺の処分を受けた寺も、寺号の復活を許されたりしている。まさに熱は去るのも早かったということか。何だったのか、という気にもなる。
うーん、考えさせる本ではあった。
6月書評の5
青空文庫にて。写真と書評は関係ありません。
◼️ 泉鏡花「三尺角」
趣味の泉鏡花たまに読み。ラストで幻想に入り、突然意外で哀しい結末へ。舞台劇のよう。しかし要素の散らし方はさすが。
泉鏡花はライフワーク化している。海のそばの町の風景と異空間の作り方、描写などが相まって一気に結論へ向かう。短編ならではの幕切れ感も心地よい筆遣い。
17歳、木挽きの少年・与吉。巨大なクスノキから30センチ四方の角材、三尺角を鋸で切り出すのが生業。大柄で五分刈り、愛くるしい目鼻立ち、罪のない丸顔で頬には時折り上気の紅が差す。
海上に浮かぶ舟に、父親と住んでいる。父は病弱なのに、死骸を食べるのは嫌だという理由で栄養のある魚を食べようとせず、豆腐ばかり食べているのを気にかけている。
仕事場への行き帰り、豆腐や油揚げを扱うお店のお品さんは常連客の与吉にいつも声を掛け、まじめな与吉の態度をからかったりするおかみさん。中年増の束ね髪。美人で、どこかエロさを感じさせる描写がある。ここは鏡花だなと。
「水色の唐縮緬を引裂たままの襷、玉のような腕もあらわに、蜘蛛の囲いを絞った浴衣、帯は占めず、細紐の態(なり)で裾を端折って、布の純白なのを、短かく脛(はぎ)に掛けて甲斐甲斐しい」
与吉は父の悩みを打ち明け、がんもどきの中に魚を入れることはできないか、骨のあるがんもどきはできないか、などと話す。
するとお品さん、片頬に触れた柳の木の葉をお歯黒の歯で銜えて引きちぎり、
「与吉さんのいうようじゃあ、まあ、嘸(さぞ)この葉も痛むこッたろうねえ。」
微笑んで見せて、くるりと回って、空ざまに手を上げ、すっと立ってしなやかに柳の幹を叩いたのです。この辺の芝居がかった動作には艶な美しさがあり、なんとも言えない小粋さを感じさせる。いや、鏡花です。
仕事場へ向かった与吉とすれ違った郵便配達夫がお品さんに手紙を渡し、差出人を見たお品さんは顔を輝かせて、家の中に向かい「柳ちゃん、来たよ!」お柳とは、病でいまにも消え入りそうな妹のこと。
与吉は仕事場の小屋に入り、樟・クスノキから角材を切り出す作業に入ります。隣の石屋の納屋からはコツコツと石を切る音。大きな小屋には巨大な樟が並びその中に埋もれるように鋸を引く。ひどく静かな小屋は異空間化していき、父親の言ったこと、魚の死骸を切り刻む、お品さんが柳の葉を食いちぎったことを思い浮かべ、自分が引いて出た木屑が、樟の血のように思えてゾッとします。
幻想に陥った与吉の叫びと手紙が不思議な暗合を見せてエンド。物語の唐突な動き、符合は正直かなり突飛です。どこか「マクベス」を思い起こさせます。幻想と哀しさが一挙にやってくる感じ。
実はこの場面、一読だけでは分からず、webで解説を探して、もう1回全体を読むと、ようやく多少の理解はできました。ラストシーンまで隠された事が多い。しかも唐突なムーブメントの意味を汲み取るのもむつかしい。
ただ提示してスッと終わるのもまた超短編のいいところかも知れません。
落ち着いた、退廃的な情景描写があり、いくつもの美しさ、艶をも含む。街の流行り廃りというものまで語っています。
こんな表現もなかなか惹かれます。
「土間は一面の日あたりで、盤台、桶、布巾など、ありったけのもの皆濡れたのに、薄く陽炎のようなのが立籠て、豆腐がどんよりとして沈んだ、新木の大桶の水の色は、薄蒼く、柳の影が映って居る」
お品さんの店ですね。下町っぽい豆腐屋の風情が漂ってます。
意味の分からない部分もあるけれど、それも楽し、やはり折りにふれて泉鏡花を読むと引き込まれますね。
◼️ 泉鏡花「三尺角」
趣味の泉鏡花たまに読み。ラストで幻想に入り、突然意外で哀しい結末へ。舞台劇のよう。しかし要素の散らし方はさすが。
泉鏡花はライフワーク化している。海のそばの町の風景と異空間の作り方、描写などが相まって一気に結論へ向かう。短編ならではの幕切れ感も心地よい筆遣い。
17歳、木挽きの少年・与吉。巨大なクスノキから30センチ四方の角材、三尺角を鋸で切り出すのが生業。大柄で五分刈り、愛くるしい目鼻立ち、罪のない丸顔で頬には時折り上気の紅が差す。
海上に浮かぶ舟に、父親と住んでいる。父は病弱なのに、死骸を食べるのは嫌だという理由で栄養のある魚を食べようとせず、豆腐ばかり食べているのを気にかけている。
仕事場への行き帰り、豆腐や油揚げを扱うお店のお品さんは常連客の与吉にいつも声を掛け、まじめな与吉の態度をからかったりするおかみさん。中年増の束ね髪。美人で、どこかエロさを感じさせる描写がある。ここは鏡花だなと。
「水色の唐縮緬を引裂たままの襷、玉のような腕もあらわに、蜘蛛の囲いを絞った浴衣、帯は占めず、細紐の態(なり)で裾を端折って、布の純白なのを、短かく脛(はぎ)に掛けて甲斐甲斐しい」
与吉は父の悩みを打ち明け、がんもどきの中に魚を入れることはできないか、骨のあるがんもどきはできないか、などと話す。
するとお品さん、片頬に触れた柳の木の葉をお歯黒の歯で銜えて引きちぎり、
「与吉さんのいうようじゃあ、まあ、嘸(さぞ)この葉も痛むこッたろうねえ。」
微笑んで見せて、くるりと回って、空ざまに手を上げ、すっと立ってしなやかに柳の幹を叩いたのです。この辺の芝居がかった動作には艶な美しさがあり、なんとも言えない小粋さを感じさせる。いや、鏡花です。
仕事場へ向かった与吉とすれ違った郵便配達夫がお品さんに手紙を渡し、差出人を見たお品さんは顔を輝かせて、家の中に向かい「柳ちゃん、来たよ!」お柳とは、病でいまにも消え入りそうな妹のこと。
与吉は仕事場の小屋に入り、樟・クスノキから角材を切り出す作業に入ります。隣の石屋の納屋からはコツコツと石を切る音。大きな小屋には巨大な樟が並びその中に埋もれるように鋸を引く。ひどく静かな小屋は異空間化していき、父親の言ったこと、魚の死骸を切り刻む、お品さんが柳の葉を食いちぎったことを思い浮かべ、自分が引いて出た木屑が、樟の血のように思えてゾッとします。
幻想に陥った与吉の叫びと手紙が不思議な暗合を見せてエンド。物語の唐突な動き、符合は正直かなり突飛です。どこか「マクベス」を思い起こさせます。幻想と哀しさが一挙にやってくる感じ。
実はこの場面、一読だけでは分からず、webで解説を探して、もう1回全体を読むと、ようやく多少の理解はできました。ラストシーンまで隠された事が多い。しかも唐突なムーブメントの意味を汲み取るのもむつかしい。
ただ提示してスッと終わるのもまた超短編のいいところかも知れません。
落ち着いた、退廃的な情景描写があり、いくつもの美しさ、艶をも含む。街の流行り廃りというものまで語っています。
こんな表現もなかなか惹かれます。
「土間は一面の日あたりで、盤台、桶、布巾など、ありったけのもの皆濡れたのに、薄く陽炎のようなのが立籠て、豆腐がどんよりとして沈んだ、新木の大桶の水の色は、薄蒼く、柳の影が映って居る」
お品さんの店ですね。下町っぽい豆腐屋の風情が漂ってます。
意味の分からない部分もあるけれど、それも楽し、やはり折りにふれて泉鏡花を読むと引き込まれますね。
6月書評の4
◼️ 原田まりる「百鬼夜行の恋人」
京都ラノベは趣味です。猫又に一条戻り橋に鞍馬の天狗に妖狐に地獄、閻魔は六道珍皇寺に。
最近行けてないが、京都は修行中。先に読んだ本で建築家の村野藤吾が九州出身で京都を含む文化圏に魅力がある、という意味のことを書いていたが、京都に行くようになってそういった文化圏の良さを実感している。もちろん奈良も近江も神戸もだけど。京都ラノベは歴史と現代の観光や味のトピックが散りばめてあってけっこうフェイバリット。
大学1年生女子の紫苑は京都・一条に骨董品屋を営む祖母と暮らしていたが、祖母の体調悪化のため独りで住むことに。もともと妖しを感じる資質のある紫苑は、ある夜不気味な化け物に襲われ、百鬼夜行を率いる雅に救われる。そして雅の誘いで、嵯峨野の野宮(ののみや)神社で六条御息所に会うことになるー。
のっけからだいぶごちゃっと京の都。六条御息所はもちろん源氏物語、光源氏の愛人の1人で嫉妬にかられるとその意識が悪霊を生み出すお人。野宮神社は六条御息所の娘が斎王となってともに伊勢に旅立つ前に、未練に苛まれた光源氏が会おうとして訪れる場所・・だったかな。いまは恋愛成就の祈願が多いとか。竹林に囲まれた神社です。
雅は変化大明神という役割を閻魔大王から与えられた妖しで女性をキュンとさせる魔性の微笑みを持つ。中身はくだけた京都弁の男でどうやらかつて親しかった女性を探しているらしい。紫苑は雅に振り回されながらも、どこか魅かれていきます。友人の鞍馬の天狗くんも出てきて妖し祭り。
京都の街の様子やグルメスイーツ、市井の人々の人情も絡むにぎにぎしく、おどろおどろしく可愛らしい仕上がり。閻魔大王に仕えていたという小野篁の話も出てきます。
はい、今回も楽しめました。
京都ラノベは趣味です。猫又に一条戻り橋に鞍馬の天狗に妖狐に地獄、閻魔は六道珍皇寺に。
最近行けてないが、京都は修行中。先に読んだ本で建築家の村野藤吾が九州出身で京都を含む文化圏に魅力がある、という意味のことを書いていたが、京都に行くようになってそういった文化圏の良さを実感している。もちろん奈良も近江も神戸もだけど。京都ラノベは歴史と現代の観光や味のトピックが散りばめてあってけっこうフェイバリット。
大学1年生女子の紫苑は京都・一条に骨董品屋を営む祖母と暮らしていたが、祖母の体調悪化のため独りで住むことに。もともと妖しを感じる資質のある紫苑は、ある夜不気味な化け物に襲われ、百鬼夜行を率いる雅に救われる。そして雅の誘いで、嵯峨野の野宮(ののみや)神社で六条御息所に会うことになるー。
のっけからだいぶごちゃっと京の都。六条御息所はもちろん源氏物語、光源氏の愛人の1人で嫉妬にかられるとその意識が悪霊を生み出すお人。野宮神社は六条御息所の娘が斎王となってともに伊勢に旅立つ前に、未練に苛まれた光源氏が会おうとして訪れる場所・・だったかな。いまは恋愛成就の祈願が多いとか。竹林に囲まれた神社です。
雅は変化大明神という役割を閻魔大王から与えられた妖しで女性をキュンとさせる魔性の微笑みを持つ。中身はくだけた京都弁の男でどうやらかつて親しかった女性を探しているらしい。紫苑は雅に振り回されながらも、どこか魅かれていきます。友人の鞍馬の天狗くんも出てきて妖し祭り。
京都の街の様子やグルメスイーツ、市井の人々の人情も絡むにぎにぎしく、おどろおどろしく可愛らしい仕上がり。閻魔大王に仕えていたという小野篁の話も出てきます。
はい、今回も楽しめました。
6月書評の4
◼️ Authur Conan Doyle
" The Adventure of the Beryl Coronet"
「緑柱石の宝冠」👑
ホームズ短編原文読み50作品め。数年の積み重ねでここまで来ました。残るはあと6作品です。やや端折りめで行きます。
さて今回は第1短編集"The Adventures of Sherlock Holmes"12作中11番めに位置する「緑柱石の宝冠」。最後の方でこれでホントにいいの?という疑問が残る部分もあるためか、人気ベストテンにはなかなか入ってきませんが、王室&バキバキの国宝👑、依頼人のエキセントリックな登場、予想だにしなかったドラマティックな展開、ホームズの推理と動きの冴え、ちょっとスーパーすぎるくらいの、や名言などから、シャーロッキアン的には愛されてるんじゃないかな〜という雰囲気の一篇。
シャーロック・ホームズシリーズは、第2短編集ラストの「最後の事件」でホームズが宿敵モリアーティ教授とともにスイスはライヘンバッハの滝に転落、一旦連載終了という運びとなり、10年後に「空き家の冒険」で復活するという軌跡を辿っています。シャーロッキアンの間では、復活以後は思慮深い人物ではなくなった、という評もあります。私は以後の第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還」は大好きなのですが、思慮深い、という面はこの話や第1短編集掉尾を飾る「ぶな屋敷」に表れているような気もします。
"Holmes,here is a madman coming along"
「ホームズ、おかしな男がやって来るぞ」
雪が降った後のベイカー街前の歩道を両手を上げたり下げたり、顔を歪めたり。大銀行の頭取、ホールダー氏はホームズたちの部屋に来てからも頭を壁に打ちつけるなど奇矯な行動を取ります。シリーズ一、二を争う不可解な登場の仕方ですね。ようやく落ち着いて説明することには、
王室のこの上なく高貴な人が来て、国宝の宝冠を担保に出すから5万ポンド(約12億円)貸して欲しいとねじ込んで来たのです。金は4日後に返す。内密に、くれぐれも緑柱石の宝冠には傷ひとつつけるなよ、と言い残して帰ります。この人はなにかと騒動を起こしたプリンス・オブ・ウェールズ、のちのエドワード7世だと言われています。ホームズ短編第一作で爆発的な人気を得た「ボヘミアの醜聞」はどう見てもこの人が巻き起こしたスキャンダルがモデルとなってます。
銀行に残しておくのは危険とホールダー氏は家に持って帰り衣装室の箪笥に入れて鍵をかけ、一人息子のアーサー、姪で養子にしているメアリに大変なことになったと話をして休みます。アーサーはサー・ジョージ・バーンウェルというワルで魅力的な友人がいてカード賭博で借金を繰り返すドラ息子。メアリは気立もよく賢いホールダー氏のお気に入り。アーサーはメアリに本気で惚れていましたが、メアリにその気はありませんでした。メアリとホールダー氏はあまり外出をしませんでした。
その晩寝る前に階下に行くとメアリが戸締りをしていて、メイドが男と会って帰ってきたみたいだとホールダー氏に告げました。注意しておくように言いつけて、ホールダー氏が眠ったその夜、不審な物音に目を覚ますと、果たしてシャツとズボン、裸足のアーサーが宝冠を手に立っていました。なにやらいじくっている様子。ホールダー氏を見た時取り落とした宝冠からは39個の緑柱石、エメラルドやアクアマリンのことらしいです、のうち3個が、はめ込んである金の台座ごとなくなっていました。
ホールダー氏は警察を呼んでアーサーを逮捕させます。大声を出したので、メアリを筆頭に家の使用人が集まり、メアリは事態を察して卒倒した。アーサーは不機嫌に、黙秘を貫きます。
ホームズは当初からアーサーの犯行に否定的でした。大変な危険を犯してホールダー氏の部屋に入り、宝冠の一部だけをもぎとって、なぜかわざわざ置きに戻った?まさか?と。
ホールダー氏の自宅で宝冠を調べ、外を調べます。宝冠の台座ごともぎ取るのは1人の力ではとても無理な強度でした。
翌日の朝ベイカー街をもう1度訪ねてくれればはっきりしたことをお伝えできる、と言い残して、ホームズは辞去します。そしてベイカー街に帰ると、すぐ仕事にあぶれた浮浪者に変装して、夜の街に出て行きましたー。
ホームズが帰ってきたのはたぶん明け方で、ワトスンが起きた時には、朝食の席に着いていました。そこにホールダー氏が尋ねてきます。痛々しい態度、風貌で、メアリにまで見捨てられた、と。手には手紙がありました。
もし私が違った行動をとっていれば、この恐ろしい不幸は決して起こらなかったと思います。永遠にお別れすべきだと思います。探さないでください。
きのうお前がアーサーと結婚してくれていれば、とこぼしたせいだ、まさか自殺でも?と動揺するホールダー氏にホームズは、なんと、
おそらくこれがいちばん良い解決法でしょう
と告げます。ホームズはホールダー氏に4000ポンドの小切手を切ってもらい、机から3個の緑柱石が付いた三角形の金のかけらを取り出しました。戻ったのです!
ホームズは謎解きを始めます。
"it is hardest for me to say and for you to hear: there has been an understanding between Sir George Burnwell and your niece Mary. They have now fled together."
「申し上げにくく、またあなたにとっても聞くのはお辛いことですが、サー・ジョージ・バーンウェルとあなたの姪御さん、メアリさんは共謀していました。2人は駆け落ちしたのです」
"My Mary? Impossible!"
「わたしのメアリーが?そんなバカな!」
このへん「サセックスの吸血鬼」という短編を思い出しますね。意外な犯人は家族でした。悲痛の叫びです。
サー・ジョージ・バーンウェルのことはホームズももともと知っていました。この国でもっとも危険な人物の1人。箱入りのメアリは名うての悪党に言い寄られ、ほだされてしまった。あの夜、メアリは窓のところでバーンウェルと話していた。宝冠のことを話したと思われる。ホールダー氏が降りてきたから慌てて戸締りをするふりをした。寝付けないアーサーが物音に気づいてそっと伺うと、メアリがホールダー氏の寝室に入り、出てきた時には宝冠を持っていたのを目撃する。鍵はボロくて同じタイプの鍵なら開けられてしまう。そしてメアリは窓から外にいる誰かに宝冠を渡した。
シャツとズボンのまま、アーサーは「誰か」を追った。男に追いつき、格闘の中で両方で宝冠を引っ張りあった。アーサーは男を殴りつけ、犯人は出血、アーサーは自分が宝冠を手にしているのに気付き、急いで部屋に戻った。宝冠の飾りがねじれているのを見たアーサーは元に戻そうとしているもころをホールダー氏に見つかったという次第でした。
アーサーにしてみれば、トラブルを身体を張って防いだからお礼を言われて然るべきところを決めつけられ、頭ごなしに非難された、一方で、アーサーはメアリを愛していて、彼女の共謀を暴露することはできなかった。だから黙秘した。メアリはバーンウェルが持って行ったはずの宝冠があるのを見て、すべての悪事が露見したとショックで失神した。2人が力任せに引っ張りあったため、宝冠の一部は折れてしまっていました。
ホームズは雪の上に残されていた足跡、血の跡、家の中の足跡から何があったかを組み立てました。では、その男が誰で、誰が男に宝冠を持って行ったのか?ここで名セリフがおそらく初めて披露されます。
"when you have excluded the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."
「有り得べからざる事柄を取り除いてしまった時、何が残ろうとも、いかに有り得そうでなくても、それが真実に違いないのです」
ホールダー氏が持っていくわけがない。するとメアリかメイド以外にいない。メイドは確かに片脚が義足の恋人と会っていたが、関係ないことをホームズは足跡で確認しました。片脚が義足、というのがドイル一流の仕込みですね。混同しようがない。それに、メイドが犯人なら、アーサーはそう言い立てているでしょう。となると、メアリ以外にいないわけです。愛と恩義を感じている叔父を裏切るほどのこと、と考えれば共犯者は恋人に違いない。この家族は交友範囲が限られていました。その狭い輪の中にいたのがバーンウェルで、彼女があの夜会っていたのは彼だったのです。バーンウェルはメアリから宝冠の話を聞いて悪心が芽生え、持ってくるよう頼んだのです。
ホームズは浮浪者の格好でバーンウェルの家に行き、使用人に話しかけて主人が昨夜頭部を切る怪我を負ったことを聞き、古い靴を譲ってもらってホールダー氏宅近くの足跡と大きさが一致することを確認しました。
その後普通の身なりに着替えて今度はバーンウェルに会い、ことの次第を話しました。向こうは棍棒を持ち出し、諍いになりそうになったのでピストルを突きつけて宝石は1個1000ポンドで買い戻す用意があることを伝えました。するとなんとすでに3個600ポンドで売り払ってしまったとのこと。盗難事案ではありますが、なにせスキャンダルは避けねばなりません。
ホームズは起訴しないから他言しないようバーンウェルに言い渡し、売った相手の住所を聞き出し、散々交渉してなんとか1個1000ポンドで買い戻しました。その足でアーサーに会いに行き、ことの次第を話したというわけでした。
ホールダー氏が切った4000ポンドの小切手のうち3000ポンドは宝石の代金、残り1000ポンドに関しては、実はホールダー氏は懸賞金を出すと息巻いてたのです。それをホームズが貰うというわけでした。まあ金に糸目はつけない勢いだったので問題なく済んでます。
"Sir, I cannot find words to thank you, but you shall not find me ungrateful for what you have done. Your skill has indeed exceeded all that I have heard of it."
「お礼の言葉もございません。ご恩は忘れません。聞きしに勝る素晴らしい手際です」
急いでアーサーに謝りにいくというホールダー氏。メアリの行方はわからないでしょうか、と最後に訊きます。
"I think that we may safely say that she is wherever Sir George Burnwell is. It is equally certain, too, that whatever her sins are, they will soon receive a more than sufficient punishment."
「どこであろうと、サー・ジョージ・バーンウェルと一緒にいることは確実に言えるでしょう。彼女の罪がどのようなものであれ、やがて彼らは十分過ぎる報いを受けることになるでしょうね」
終わりです。意外な共犯者。いわゆるどんでん返し。ドラマティックな展開はちょっとメロドラマ風。ねじ込む皇太子と国宝など話題性の多い話ですね。
ホームズはアーサーが取った行動のことを
"He took the more chivalrous view"
「彼は騎士道精神を発揮した」と認めています。またスキャンダルにならないように骨折って解決しています。この辺が思慮深いと言われる所以なのでしょうか。
ただ、警察なんて呼んだらそれこそ事が露見するのでは?とか、皇太子は(それと決めて書いてますね・笑)少しでも傷が付いたらそれこそ大変、と言ってたのにもぎ取ってるし、と、釈然としない部分も多い。
まあ盗難に遭ったなら無傷というのは確かに不自然ではあります。うーん。まあともかく宝冠と宝石は戻り、とりあえずめでたし。いずれメアリも戻ってくる、と思いたいですね。
" The Adventure of the Beryl Coronet"
「緑柱石の宝冠」👑
ホームズ短編原文読み50作品め。数年の積み重ねでここまで来ました。残るはあと6作品です。やや端折りめで行きます。
さて今回は第1短編集"The Adventures of Sherlock Holmes"12作中11番めに位置する「緑柱石の宝冠」。最後の方でこれでホントにいいの?という疑問が残る部分もあるためか、人気ベストテンにはなかなか入ってきませんが、王室&バキバキの国宝👑、依頼人のエキセントリックな登場、予想だにしなかったドラマティックな展開、ホームズの推理と動きの冴え、ちょっとスーパーすぎるくらいの、や名言などから、シャーロッキアン的には愛されてるんじゃないかな〜という雰囲気の一篇。
シャーロック・ホームズシリーズは、第2短編集ラストの「最後の事件」でホームズが宿敵モリアーティ教授とともにスイスはライヘンバッハの滝に転落、一旦連載終了という運びとなり、10年後に「空き家の冒険」で復活するという軌跡を辿っています。シャーロッキアンの間では、復活以後は思慮深い人物ではなくなった、という評もあります。私は以後の第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還」は大好きなのですが、思慮深い、という面はこの話や第1短編集掉尾を飾る「ぶな屋敷」に表れているような気もします。
"Holmes,here is a madman coming along"
「ホームズ、おかしな男がやって来るぞ」
雪が降った後のベイカー街前の歩道を両手を上げたり下げたり、顔を歪めたり。大銀行の頭取、ホールダー氏はホームズたちの部屋に来てからも頭を壁に打ちつけるなど奇矯な行動を取ります。シリーズ一、二を争う不可解な登場の仕方ですね。ようやく落ち着いて説明することには、
王室のこの上なく高貴な人が来て、国宝の宝冠を担保に出すから5万ポンド(約12億円)貸して欲しいとねじ込んで来たのです。金は4日後に返す。内密に、くれぐれも緑柱石の宝冠には傷ひとつつけるなよ、と言い残して帰ります。この人はなにかと騒動を起こしたプリンス・オブ・ウェールズ、のちのエドワード7世だと言われています。ホームズ短編第一作で爆発的な人気を得た「ボヘミアの醜聞」はどう見てもこの人が巻き起こしたスキャンダルがモデルとなってます。
銀行に残しておくのは危険とホールダー氏は家に持って帰り衣装室の箪笥に入れて鍵をかけ、一人息子のアーサー、姪で養子にしているメアリに大変なことになったと話をして休みます。アーサーはサー・ジョージ・バーンウェルというワルで魅力的な友人がいてカード賭博で借金を繰り返すドラ息子。メアリは気立もよく賢いホールダー氏のお気に入り。アーサーはメアリに本気で惚れていましたが、メアリにその気はありませんでした。メアリとホールダー氏はあまり外出をしませんでした。
その晩寝る前に階下に行くとメアリが戸締りをしていて、メイドが男と会って帰ってきたみたいだとホールダー氏に告げました。注意しておくように言いつけて、ホールダー氏が眠ったその夜、不審な物音に目を覚ますと、果たしてシャツとズボン、裸足のアーサーが宝冠を手に立っていました。なにやらいじくっている様子。ホールダー氏を見た時取り落とした宝冠からは39個の緑柱石、エメラルドやアクアマリンのことらしいです、のうち3個が、はめ込んである金の台座ごとなくなっていました。
ホールダー氏は警察を呼んでアーサーを逮捕させます。大声を出したので、メアリを筆頭に家の使用人が集まり、メアリは事態を察して卒倒した。アーサーは不機嫌に、黙秘を貫きます。
ホームズは当初からアーサーの犯行に否定的でした。大変な危険を犯してホールダー氏の部屋に入り、宝冠の一部だけをもぎとって、なぜかわざわざ置きに戻った?まさか?と。
ホールダー氏の自宅で宝冠を調べ、外を調べます。宝冠の台座ごともぎ取るのは1人の力ではとても無理な強度でした。
翌日の朝ベイカー街をもう1度訪ねてくれればはっきりしたことをお伝えできる、と言い残して、ホームズは辞去します。そしてベイカー街に帰ると、すぐ仕事にあぶれた浮浪者に変装して、夜の街に出て行きましたー。
ホームズが帰ってきたのはたぶん明け方で、ワトスンが起きた時には、朝食の席に着いていました。そこにホールダー氏が尋ねてきます。痛々しい態度、風貌で、メアリにまで見捨てられた、と。手には手紙がありました。
もし私が違った行動をとっていれば、この恐ろしい不幸は決して起こらなかったと思います。永遠にお別れすべきだと思います。探さないでください。
きのうお前がアーサーと結婚してくれていれば、とこぼしたせいだ、まさか自殺でも?と動揺するホールダー氏にホームズは、なんと、
おそらくこれがいちばん良い解決法でしょう
と告げます。ホームズはホールダー氏に4000ポンドの小切手を切ってもらい、机から3個の緑柱石が付いた三角形の金のかけらを取り出しました。戻ったのです!
ホームズは謎解きを始めます。
"it is hardest for me to say and for you to hear: there has been an understanding between Sir George Burnwell and your niece Mary. They have now fled together."
「申し上げにくく、またあなたにとっても聞くのはお辛いことですが、サー・ジョージ・バーンウェルとあなたの姪御さん、メアリさんは共謀していました。2人は駆け落ちしたのです」
"My Mary? Impossible!"
「わたしのメアリーが?そんなバカな!」
このへん「サセックスの吸血鬼」という短編を思い出しますね。意外な犯人は家族でした。悲痛の叫びです。
サー・ジョージ・バーンウェルのことはホームズももともと知っていました。この国でもっとも危険な人物の1人。箱入りのメアリは名うての悪党に言い寄られ、ほだされてしまった。あの夜、メアリは窓のところでバーンウェルと話していた。宝冠のことを話したと思われる。ホールダー氏が降りてきたから慌てて戸締りをするふりをした。寝付けないアーサーが物音に気づいてそっと伺うと、メアリがホールダー氏の寝室に入り、出てきた時には宝冠を持っていたのを目撃する。鍵はボロくて同じタイプの鍵なら開けられてしまう。そしてメアリは窓から外にいる誰かに宝冠を渡した。
シャツとズボンのまま、アーサーは「誰か」を追った。男に追いつき、格闘の中で両方で宝冠を引っ張りあった。アーサーは男を殴りつけ、犯人は出血、アーサーは自分が宝冠を手にしているのに気付き、急いで部屋に戻った。宝冠の飾りがねじれているのを見たアーサーは元に戻そうとしているもころをホールダー氏に見つかったという次第でした。
アーサーにしてみれば、トラブルを身体を張って防いだからお礼を言われて然るべきところを決めつけられ、頭ごなしに非難された、一方で、アーサーはメアリを愛していて、彼女の共謀を暴露することはできなかった。だから黙秘した。メアリはバーンウェルが持って行ったはずの宝冠があるのを見て、すべての悪事が露見したとショックで失神した。2人が力任せに引っ張りあったため、宝冠の一部は折れてしまっていました。
ホームズは雪の上に残されていた足跡、血の跡、家の中の足跡から何があったかを組み立てました。では、その男が誰で、誰が男に宝冠を持って行ったのか?ここで名セリフがおそらく初めて披露されます。
"when you have excluded the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."
「有り得べからざる事柄を取り除いてしまった時、何が残ろうとも、いかに有り得そうでなくても、それが真実に違いないのです」
ホールダー氏が持っていくわけがない。するとメアリかメイド以外にいない。メイドは確かに片脚が義足の恋人と会っていたが、関係ないことをホームズは足跡で確認しました。片脚が義足、というのがドイル一流の仕込みですね。混同しようがない。それに、メイドが犯人なら、アーサーはそう言い立てているでしょう。となると、メアリ以外にいないわけです。愛と恩義を感じている叔父を裏切るほどのこと、と考えれば共犯者は恋人に違いない。この家族は交友範囲が限られていました。その狭い輪の中にいたのがバーンウェルで、彼女があの夜会っていたのは彼だったのです。バーンウェルはメアリから宝冠の話を聞いて悪心が芽生え、持ってくるよう頼んだのです。
ホームズは浮浪者の格好でバーンウェルの家に行き、使用人に話しかけて主人が昨夜頭部を切る怪我を負ったことを聞き、古い靴を譲ってもらってホールダー氏宅近くの足跡と大きさが一致することを確認しました。
その後普通の身なりに着替えて今度はバーンウェルに会い、ことの次第を話しました。向こうは棍棒を持ち出し、諍いになりそうになったのでピストルを突きつけて宝石は1個1000ポンドで買い戻す用意があることを伝えました。するとなんとすでに3個600ポンドで売り払ってしまったとのこと。盗難事案ではありますが、なにせスキャンダルは避けねばなりません。
ホームズは起訴しないから他言しないようバーンウェルに言い渡し、売った相手の住所を聞き出し、散々交渉してなんとか1個1000ポンドで買い戻しました。その足でアーサーに会いに行き、ことの次第を話したというわけでした。
ホールダー氏が切った4000ポンドの小切手のうち3000ポンドは宝石の代金、残り1000ポンドに関しては、実はホールダー氏は懸賞金を出すと息巻いてたのです。それをホームズが貰うというわけでした。まあ金に糸目はつけない勢いだったので問題なく済んでます。
"Sir, I cannot find words to thank you, but you shall not find me ungrateful for what you have done. Your skill has indeed exceeded all that I have heard of it."
「お礼の言葉もございません。ご恩は忘れません。聞きしに勝る素晴らしい手際です」
急いでアーサーに謝りにいくというホールダー氏。メアリの行方はわからないでしょうか、と最後に訊きます。
"I think that we may safely say that she is wherever Sir George Burnwell is. It is equally certain, too, that whatever her sins are, they will soon receive a more than sufficient punishment."
「どこであろうと、サー・ジョージ・バーンウェルと一緒にいることは確実に言えるでしょう。彼女の罪がどのようなものであれ、やがて彼らは十分過ぎる報いを受けることになるでしょうね」
終わりです。意外な共犯者。いわゆるどんでん返し。ドラマティックな展開はちょっとメロドラマ風。ねじ込む皇太子と国宝など話題性の多い話ですね。
ホームズはアーサーが取った行動のことを
"He took the more chivalrous view"
「彼は騎士道精神を発揮した」と認めています。またスキャンダルにならないように骨折って解決しています。この辺が思慮深いと言われる所以なのでしょうか。
ただ、警察なんて呼んだらそれこそ事が露見するのでは?とか、皇太子は(それと決めて書いてますね・笑)少しでも傷が付いたらそれこそ大変、と言ってたのにもぎ取ってるし、と、釈然としない部分も多い。
まあ盗難に遭ったなら無傷というのは確かに不自然ではあります。うーん。まあともかく宝冠と宝石は戻り、とりあえずめでたし。いずれメアリも戻ってくる、と思いたいですね。
良い演奏
6月7、8日の記事です。
育った実家は水田に囲まれてて、この季節はすぐそこでうるさいくらい蛙が合唱してました。先日家のそばの水田で蛙が大合唱してて懐かしい気分に。梅雨です。たしか川端康成だったかと思うけど、カジカが出てくる短編があって、いつかルルルル、というカジカの声を聴いてみたいなんて思っている。
日本を代表するピアノコンクールで、恩田陸「蜜蜂と遠雷」のモデルにもなった浜松国際ピアノコンクール。昨年の大会で日本人として初優勝した鈴木愛美がファイナルで弾いた、いわば優勝演奏のベートーヴェンピアノ協奏曲3番を地元大阪で、というので聴きに行った。中央右め最前列。
重厚でユニークさもある冒頭主題、そして柔らかい切ないメロディ。ベートーヴェンらしい変奏的な部分。楽聖が自身の音楽に独自の革新性を確立していく時期の曲だとのこと。奏者は決然としていて、良い集中力を発揮していた。
曲を自分のものにしているようにバランスよく破綻なく、メッセージを客席へ放つように奏でる。謙虚さまでも感じられる。万雷の拍手👏👏良かった!
23歳、笑顔もよし😊先々楽しみだ。
アンコールはシューベルト:楽興の時 D.780 作品94 第3曲 聴けばよく知られているメロディ。
クラシックのコンサートは1階席の後ろめか2階席の前あたりが一番音がいいという友人もいた。たしかに全体もよく見えるし具合はいい。1人の時はだいたい1階席の10列めくらいにしていたけども、最近は空いていれば近くを取る。
CDとは違って当たり前、少し離れると演奏は整って聞こえるのも確か。で、それが、近いと全然別の音に聴こえるのです。コンサートでしか聴けない、奏でられるもの。また、近いと例えばヴァイオリンの場合は速いフレーズなどのときに弦と弓が出すギュギュ、という音が聴こえたりしてバンピーでリアル。そして、この音は演奏者が聴いているものにより近いはず。そう思っている。まあ趣味、考え方だよね。これも。
ありがたいことにまだ朝晩涼しめだけど、徐々にじめじめとしてきて、陽が出たらもう日中はあまり歩きまわりたくない季節が来つつある。この季節は鮎だよね、和菓子の。こないだ自分用に買ってきたら息子に食べられたからきょうは複数購入。
🏐バレーボールネーションズリーグ女子。トルコのアクバシュ新監督を迎えた新生日本代表。引退した古賀に代わって誰が石川真佑のレフト対角に入るか、の答えは佐藤淑乃。思い切って振り抜くスパイクは小気味良い。オポジット和田の威力も相変わらず。ただ特筆されるべきはサーブ。これまでスタメンにはほとんどいなかったジャンプサーブを上の3人が打つ。これがよく決まるし相手レセプションを乱すしで効果的。バレーが変わり、別のチームになったみたいだ。基本に忠実ともいえる。ふむ、興味が湧くチーム。本当に強い相手にどう対抗するか、先々楽しみだ。
🏀バスケ女子日本代表もコーリー・ゲインズ新HCを迎えて初陣。相手の台湾は少し実力が下だったけどもMVPとなった田中こころを始め新戦力と東京オリンピックからのベテランが噛み合い、渡嘉敷も復活して良い雰囲気。こちらもこれからやね。
⚾️野球、わがライオンズは広島相手にたぶん今季初の3タテをくらい4連敗。まあたまには今井も打たれるということで切り替えたい。次はセリーグ首位の阪神か・・😎
仕事、体調ともに抜けた感じで、少し気分の良い梅雨の走りなのでした。
育った実家は水田に囲まれてて、この季節はすぐそこでうるさいくらい蛙が合唱してました。先日家のそばの水田で蛙が大合唱してて懐かしい気分に。梅雨です。たしか川端康成だったかと思うけど、カジカが出てくる短編があって、いつかルルルル、というカジカの声を聴いてみたいなんて思っている。
日本を代表するピアノコンクールで、恩田陸「蜜蜂と遠雷」のモデルにもなった浜松国際ピアノコンクール。昨年の大会で日本人として初優勝した鈴木愛美がファイナルで弾いた、いわば優勝演奏のベートーヴェンピアノ協奏曲3番を地元大阪で、というので聴きに行った。中央右め最前列。
重厚でユニークさもある冒頭主題、そして柔らかい切ないメロディ。ベートーヴェンらしい変奏的な部分。楽聖が自身の音楽に独自の革新性を確立していく時期の曲だとのこと。奏者は決然としていて、良い集中力を発揮していた。
曲を自分のものにしているようにバランスよく破綻なく、メッセージを客席へ放つように奏でる。謙虚さまでも感じられる。万雷の拍手👏👏良かった!
23歳、笑顔もよし😊先々楽しみだ。
アンコールはシューベルト:楽興の時 D.780 作品94 第3曲 聴けばよく知られているメロディ。
クラシックのコンサートは1階席の後ろめか2階席の前あたりが一番音がいいという友人もいた。たしかに全体もよく見えるし具合はいい。1人の時はだいたい1階席の10列めくらいにしていたけども、最近は空いていれば近くを取る。
CDとは違って当たり前、少し離れると演奏は整って聞こえるのも確か。で、それが、近いと全然別の音に聴こえるのです。コンサートでしか聴けない、奏でられるもの。また、近いと例えばヴァイオリンの場合は速いフレーズなどのときに弦と弓が出すギュギュ、という音が聴こえたりしてバンピーでリアル。そして、この音は演奏者が聴いているものにより近いはず。そう思っている。まあ趣味、考え方だよね。これも。
ありがたいことにまだ朝晩涼しめだけど、徐々にじめじめとしてきて、陽が出たらもう日中はあまり歩きまわりたくない季節が来つつある。この季節は鮎だよね、和菓子の。こないだ自分用に買ってきたら息子に食べられたからきょうは複数購入。
🏐バレーボールネーションズリーグ女子。トルコのアクバシュ新監督を迎えた新生日本代表。引退した古賀に代わって誰が石川真佑のレフト対角に入るか、の答えは佐藤淑乃。思い切って振り抜くスパイクは小気味良い。オポジット和田の威力も相変わらず。ただ特筆されるべきはサーブ。これまでスタメンにはほとんどいなかったジャンプサーブを上の3人が打つ。これがよく決まるし相手レセプションを乱すしで効果的。バレーが変わり、別のチームになったみたいだ。基本に忠実ともいえる。ふむ、興味が湧くチーム。本当に強い相手にどう対抗するか、先々楽しみだ。
🏀バスケ女子日本代表もコーリー・ゲインズ新HCを迎えて初陣。相手の台湾は少し実力が下だったけどもMVPとなった田中こころを始め新戦力と東京オリンピックからのベテランが噛み合い、渡嘉敷も復活して良い雰囲気。こちらもこれからやね。
⚾️野球、わがライオンズは広島相手にたぶん今季初の3タテをくらい4連敗。まあたまには今井も打たれるということで切り替えたい。次はセリーグ首位の阪神か・・😎
仕事、体調ともに抜けた感じで、少し気分の良い梅雨の走りなのでした。
2025年6月8日日曜日
6月書評の2
◼️ 村野藤吾「建築をつくる者の心」
直接関係ないが、フランク・ロイド・ライトのヨドコウ迎賓館のチケットをしおりに気分を盛り上げて😎
人呼んで「階段の魔術師」大阪に根を張り、全国に名建築を残した村野藤吾の考え方。
告白、実はほとんど観て回ってないんだけども、村野藤吾という建築家は多くの名建築を残している。広島の世界平和記念聖堂、東京の赤坂迎賓館、日生劇場、目黒総合庁舎、それからザ・プリンス箱根芦ノ湖。大阪では新歌舞伎座に、ドラフトマンとして製図をした大阪綿業会館。ほかもろもろ。隈研吾氏も非常にインスパイアされたという巨匠。毎年の大阪の建築祭イケフェスで、昨年はガラスブロックを多用した壁面と、ウワサの曲線的で細い階段手すりに触れ感銘を受けた。
一言でいえばシャープで美的、エスプリを感じて惹きつけられる。目黒総合庁舎の階段なんかぜひ観に行きたい優美さだ。行ってないけども苦笑。
さて、この本は1980年に4回開催された、村野藤吾がゲストのセミナーの記録である。コーディネーター、質問者がいて、質問を受けて答える村野氏の言葉には、含蓄がうかがえる。
「九十九%関係者の言うことを聞かなければいけない。ただそれでもね、一%くらい自分が建築に残っていく(中略)村野の作品というのは、そこからはじまる」
依頼主は莫大な額を投資しているわけで、それに対する責任、というものを村野氏は繰り返し強調している。
建築のディテールにも触れ、専門用語もある。窓が深い、モールディング、セセッション、エクステリア他ほか。分からないけども、建築や美術的な流れに入ってるようで、科学ものと同じく理解の外ながらもワクワクする。
ストラクチュアルライフとコマーシャルライフ、またマテリアルライフの兼ね合い、という話も興味深い。建築として持つ年数と商業的な寿命、これはどんな建築か、を考えて造っていく、なるほど。
「社会に対して、どのような影響を与えるか、これは口では絶対言い表せませんが、そういう方向に建築家が持って行くべきだと言うことです。それが1%なのです。村野の1%は、そこにあるのです」
第4回はラストということで、滔々と建築の流れ、思想を感で含めるように説明する。そこは口語なので意味が測りかねるところもあるが、畳み掛けるようで魅力的だ。
「建築家は科学をヒューマナイズする」
カッコ良すぎますね。
戦後近代に至るまでは、ある意味思想を問う時代でもあったかと思う。やはりここでも、ミース・ファンデルローエらの大量生産について意見も出ている。村野氏も自分もそのような教育を受けたと認めている。
建築に興味が出てきてから、やはり建物を注意深く見るようになった。村野氏は違うように見えてもだいたい同じ、ということも述べているが、私的には、やはり画一ばかりでなく、それぞれのビル、住宅がけっこう個性を持っていると思う。やはり建てる方も、建築の専門家も、ただ味気ない建築だけでは物足りない、ということなのかなと。
ここ数年で、大阪のイケフェスに続き、京都、神戸、そして東京でも建築祭が始まった。いまは明らかに建築ブームで注目が集まっている。村野氏の言われるように建築は社会に影響を与える、残るものも、そうでないものも、と思う。この盛り上がりは、さらに建築の個性化を促進するのではないかと期待している。
身近な宝塚カトリック教会も、屋根のカーブなど実に魅力的。関西にまだ残っている作品や、東京の名建築を観に行く気分が、はやっている。まあ少しずつ回ろうかな。
良い読書でした。
直接関係ないが、フランク・ロイド・ライトのヨドコウ迎賓館のチケットをしおりに気分を盛り上げて😎
人呼んで「階段の魔術師」大阪に根を張り、全国に名建築を残した村野藤吾の考え方。
告白、実はほとんど観て回ってないんだけども、村野藤吾という建築家は多くの名建築を残している。広島の世界平和記念聖堂、東京の赤坂迎賓館、日生劇場、目黒総合庁舎、それからザ・プリンス箱根芦ノ湖。大阪では新歌舞伎座に、ドラフトマンとして製図をした大阪綿業会館。ほかもろもろ。隈研吾氏も非常にインスパイアされたという巨匠。毎年の大阪の建築祭イケフェスで、昨年はガラスブロックを多用した壁面と、ウワサの曲線的で細い階段手すりに触れ感銘を受けた。
一言でいえばシャープで美的、エスプリを感じて惹きつけられる。目黒総合庁舎の階段なんかぜひ観に行きたい優美さだ。行ってないけども苦笑。
さて、この本は1980年に4回開催された、村野藤吾がゲストのセミナーの記録である。コーディネーター、質問者がいて、質問を受けて答える村野氏の言葉には、含蓄がうかがえる。
「九十九%関係者の言うことを聞かなければいけない。ただそれでもね、一%くらい自分が建築に残っていく(中略)村野の作品というのは、そこからはじまる」
依頼主は莫大な額を投資しているわけで、それに対する責任、というものを村野氏は繰り返し強調している。
建築のディテールにも触れ、専門用語もある。窓が深い、モールディング、セセッション、エクステリア他ほか。分からないけども、建築や美術的な流れに入ってるようで、科学ものと同じく理解の外ながらもワクワクする。
ストラクチュアルライフとコマーシャルライフ、またマテリアルライフの兼ね合い、という話も興味深い。建築として持つ年数と商業的な寿命、これはどんな建築か、を考えて造っていく、なるほど。
「社会に対して、どのような影響を与えるか、これは口では絶対言い表せませんが、そういう方向に建築家が持って行くべきだと言うことです。それが1%なのです。村野の1%は、そこにあるのです」
第4回はラストということで、滔々と建築の流れ、思想を感で含めるように説明する。そこは口語なので意味が測りかねるところもあるが、畳み掛けるようで魅力的だ。
「建築家は科学をヒューマナイズする」
カッコ良すぎますね。
戦後近代に至るまでは、ある意味思想を問う時代でもあったかと思う。やはりここでも、ミース・ファンデルローエらの大量生産について意見も出ている。村野氏も自分もそのような教育を受けたと認めている。
建築に興味が出てきてから、やはり建物を注意深く見るようになった。村野氏は違うように見えてもだいたい同じ、ということも述べているが、私的には、やはり画一ばかりでなく、それぞれのビル、住宅がけっこう個性を持っていると思う。やはり建てる方も、建築の専門家も、ただ味気ない建築だけでは物足りない、ということなのかなと。
ここ数年で、大阪のイケフェスに続き、京都、神戸、そして東京でも建築祭が始まった。いまは明らかに建築ブームで注目が集まっている。村野氏の言われるように建築は社会に影響を与える、残るものも、そうでないものも、と思う。この盛り上がりは、さらに建築の個性化を促進するのではないかと期待している。
身近な宝塚カトリック教会も、屋根のカーブなど実に魅力的。関西にまだ残っている作品や、東京の名建築を観に行く気分が、はやっている。まあ少しずつ回ろうかな。
良い読書でした。
6月書評の1
◼️一穂ミチ「砂嵐に星屑」
数多いる人々の一。大阪のテレビ局を舞台にした心の描き方。
また細かいな、微妙やな、なにわやな、と思う。仕事上、また私生活に蹉跌を持った人々をテレビ局を題材に描く。とかく後半のほうの話が、手を添えられているような気もしてくる。
なにわテレビで上司の看板男性アナウンサーとの不倫が発覚し、東京支社に転勤させられ、10年振りに大阪の本社に戻った女性アナウンサー。資料室先ごろ他界した不倫相手の幽霊に遭遇し、新人女性アナと幽霊騒動の解決に挑む。
(資料室の幽霊)
立ち上がりは少し派手なネタ。細かいな、と思ったのは大きなストーリーの中に、主人公の心中の動き、思いを細かく描写してあるから。大きな線に沿ったわけではなく、リアルに浮かびそうな心のうち。
50代の負け組報道マン、タイムキーパーの女性の私生活の鬱屈、制作会社の冴えないADくん。それぞれ仕事が絡んでいて、他話で主人公だったりする報道番組に絡む人が交差する。
取材がうまくできない、前向きでないADくんの話にはそれ先に確認しとかな・・と社会人的に思うこともあった。でも人間らしくていかにもだ。ちょっと思い入れてしまう。このへん職種はあまり関係ないかも。
星屑・・誰しも、社会、さまざまな業界というカテゴリだけでも山ほど、いや星の数ほどいる・・そんなに多くないか笑大多数のうちの1人、という感覚を持ったことがあるのではないか。底で慌ただしくもがいている自分を。
ダイレクトに、だけどサラリと、微妙な事柄を時に熱く時にクールに描く筆者は変幻自在だなと思う。
作中には大阪のおっさんやな〜と思える人がほのぼのと登場したりする。女性のあけすけな言い方もなにわだな、と思ったりする。会話が上手い。
なんというか、人の機微テレビ局編、という感じでした。
数多いる人々の一。大阪のテレビ局を舞台にした心の描き方。
また細かいな、微妙やな、なにわやな、と思う。仕事上、また私生活に蹉跌を持った人々をテレビ局を題材に描く。とかく後半のほうの話が、手を添えられているような気もしてくる。
なにわテレビで上司の看板男性アナウンサーとの不倫が発覚し、東京支社に転勤させられ、10年振りに大阪の本社に戻った女性アナウンサー。資料室先ごろ他界した不倫相手の幽霊に遭遇し、新人女性アナと幽霊騒動の解決に挑む。
(資料室の幽霊)
立ち上がりは少し派手なネタ。細かいな、と思ったのは大きなストーリーの中に、主人公の心中の動き、思いを細かく描写してあるから。大きな線に沿ったわけではなく、リアルに浮かびそうな心のうち。
50代の負け組報道マン、タイムキーパーの女性の私生活の鬱屈、制作会社の冴えないADくん。それぞれ仕事が絡んでいて、他話で主人公だったりする報道番組に絡む人が交差する。
取材がうまくできない、前向きでないADくんの話にはそれ先に確認しとかな・・と社会人的に思うこともあった。でも人間らしくていかにもだ。ちょっと思い入れてしまう。このへん職種はあまり関係ないかも。
星屑・・誰しも、社会、さまざまな業界というカテゴリだけでも山ほど、いや星の数ほどいる・・そんなに多くないか笑大多数のうちの1人、という感覚を持ったことがあるのではないか。底で慌ただしくもがいている自分を。
ダイレクトに、だけどサラリと、微妙な事柄を時に熱く時にクールに描く筆者は変幻自在だなと思う。
作中には大阪のおっさんやな〜と思える人がほのぼのと登場したりする。女性のあけすけな言い方もなにわだな、と思ったりする。会話が上手い。
なんというか、人の機微テレビ局編、という感じでした。
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