2022年9月25日日曜日

9月書評の8

誕生日を迎え、55歳。信じられないねホント。参るわー。

後半の3連休、初日は強くない台風15号で雨が降る。翌土曜日は多少の買い物。

シルバーウィーク最後の日曜日、空を飛びたくなって・・?😎

新神戸からロープウェイで神戸ハーブ園へ。下りは布引ぬのびきダム、布引の滝を見る1時間半の山散歩コース。新神戸から北野の異人館街をひさびさに散策、北野坂から西に歩いてトアロードを下って、オシャレなトアウエストなんかものぞいて、にぎわう高架下商店街を歩く神戸山側周遊コース。

山は涼しく気持ちよく、ホームの神戸を歩き回って元気を充電しました。

脚がちと疲れたけれど、森林浴に最適の季節、楽しみました。さあ、バスケ🏀とバレー🏐の女子世界選手権観なくては。

この3連休もバスケ沼部で高校トップリーグ、天皇杯と充実😆

台風に翻弄されたシルバーウィークも良い終わり方でした。


◼️ フランツ・リスト「フレデリック・ショパン」

リストの題材はショパン。天才を、天才の友人が描く伝記。

リストの生の言葉は、重く心に沈み込み、沁みわたる。冷静でありながら、ショパンへの尊崇の念と愛情に溢れている。

フレデリック・ショパンは1810年に生まれ、1849年に多くの友人に見守られながら世を去った。1つ年下のフランツ・リストは、他の芸術家仲間らと共にショパンと親しくしていた。

そしてショパンが亡くなるとすぐに筆を取り、1851年にはこの伝記を発表している。

1「ショパンの音楽とその様式」
2「ポロネーズ 」
3「マズルカ」
4「ショパンの演奏」
5「芸術家の生活」
6「ショパンの生い立ち」
7「サンド夫人」
8「ショパンの最期」

の8章となっている。年代記的に綿密な分析・検討を重ねた記録的伝記ではないし、ポロネーズ やマズルカの章は特に、詩人のように長く散文的、想像的な賛美の言葉が続く。しかしショパン音楽論、時代の証言、親しい友人として見たショパンのこと、加えて天才の筆致。

72年ぶりの新訳とのことだが、今これを読むことができる感謝とともに、価値の重大さに比してあまりに長い期間放っておかれた損失に疑問を感じざるを得ない。音楽界はなにやってたのか。

「分散和音(アルペジオ)や反復奏法(トレモロ)を駆使した和音の拡張、うねるような半音階の連続、そして音型という複葉の上から真珠色の露が滴り落ちていくような美しい装飾音。これらはもはや今日のピアノ音楽には欠かすことのできないものだが、もとをたどればショパンの作品に負うところが大きい」

リストはショパンの洗練された美しさ、斬新な表現手法、独創的な和声進行、それでいて無秩序にならないといった構成的特徴、そして聴く人の心にたちまち強い共感を呼び起こしたその不思議な魅力について、手放しで褒めている。

特に第1章で取り上げているのは、ショパンがこよなく愛して頻繁に演奏していたというピアノ協奏曲2番の第2楽章。緩徐楽章、ゆっくりとしたアダージョを辻井伸行と、先のショパンコンクールでコンチェルト賞を取ったマルティン・ガルシア・ガルシアで聴きながら読む。喜びを曇らせながらも悲しみを和らげる神秘の響き。異なる性質の音を巧みに混ぜ合わせて、不調和を起こさず最後まで美しく広げる。

うーむ、たまりませんね。スーパー巨匠のリストの文章と相俟って、最大限の浸り方を楽しむことができます。

そしてソナタの2番に挿入された葬送行進曲。「トムとジェリー」などのアニメをはじめとして様々な作品のシーンで覚えている、悲痛で陰鬱なフレーズ。しかしそれに続く、天からの神々しい光が射した情景のような短いメロディに、救いと敬虔さを強く感じる。ソナタ賞アレクサンダー・ガジェヴで聴く。悲しみの中でもがんばれ、という意味が含まれているように思えてならない。この曲はショパン自身の葬儀でも、オーケストラによって演奏されたとのこと。

リストは、おそらくショパンが亡くなった後、ポーランドヘ赴き、ポロネーズ やマズルカについての取材をしているようだ。


「ショパンのポロネーズ を聴くたびに、そこに、強硬としたーいや、強硬という言葉では足りないような、重く、決然としたー男たちの靴音を聞く」ポロネーズ は雄々しく重厚、華麗なる男性美のもの。


そしてマズルカは「パリの貴婦人のように優美で教養高いのに、東洋の踊り子のような物憂げな情火を帯びている」ポーランド婦人の魅力を知っている者にこそ深く共感される情緒を含んでいるそうだ。軽快、いたずらっ気な面があり魅惑的。それぞれの章でリストは熱弁を振るっている。いやいや、やはり詩的な表現はヨーロッパって多彩で、リストの学識の豊かさにも舌を巻く。ポロネーズ 、マズルカの性格づけについて、私はリストの説明でストンと落ちた。これまでは民族舞曲、とだけしか捉えてなかった。リストは両ジャンルの背景まで解説してくれていて、分かりやすい。

現代でもポーランドの国民的楽曲とも聞く、いわゆる英雄ポロネーズは、先に作られたウェーバーの作品と類似する部分があるそうだ。リストがもっとも迫力のある作品の一つという、5番の嬰ヘ短調の大ポロネーズ。マズルカをも内包するというこの曲はコンクールで、ファミリーネームのアルファベットの関係で小林愛実と近かったキム・スーヨンのテクニカルな演奏で。また、マズルカはマズルカ賞のポーランド人ヤコブ・クーシェリック、作品30を。角野隼斗のマズルカ風ロンドへ長調も良かった。


ショパンはめったに公衆の前で演奏をしなかった。ある夜、芸術家仲間がショパンの住まいに押しかけたことがあった。数本の蝋燭に照らされたプレイエル製ピアノの演奏に魅せられた者たちの中には、詩人のハイネ、画家ドラクロワ、そしてジョルジュ・サンドがいた。この夕べをリストは忘れることができないと書いている。なんて美しく偉大な夜。

ショパンはいつも親切で、物柔らかで、落ち着いていて、どこか楽しげに見えたという。しかし無数の捉えがたい陰翳が次々に入り交じり、交錯し、矛盾し合い、あざむき合う面を抱えていたとリストは言及している。

ポーランドもフランスも、世情いまだ騒がしい頃、またモーツァルト、そして1827年には楽聖ベートーヴェンが亡くなり旧世代から新世代への移り変わりについてロマン主義論争という摩擦が起きていた。その中で、ショパンはポーランド人の家族、同胞との付き合いを大事にしていた。

「ポーランドの人々の情緒を理想化し、気高く高尚な形で再現すること」リストいわく、どの曲も国民感覚にあふれているという。

そして「情熱的でありながらも落ち込みやすく、傲岸不遜でありながらも心に深い傷を負う民族だけがもつ、あの優雅でありながらも神経質な感受性」は言語では伝えられない、ショパンの音楽は言葉で表現できない、と説く。

アンビバレントな心象、それはショパンの音楽でこそ同時に表されるー。この本で打たれてしまった言葉だった。その通りだ、と。優雅に、重く軽く、可愛く、ユーモラスに、蠱惑的に。ショパンは雄弁すぎる。

「ショパンは、ゆっくりと、自らの才能という焔に焼かれていった」

死の床でショパンは聖母マリアの讃歌を伯爵夫人に歌うようにせがみ、なんて美しいんだろう、と感動していたという。そして友人の肩に寄りかかったまま逝ったー。葬儀では本人が希望したモーツァルトのレクイエム、さらに彼のプレリュードから2曲、そして葬送行進曲が演奏された。

じっくりと時間をかけて読んだ。この本にはやられてしまった。ピアノの詩人の伝記を、最愛の友であるピアノの魔術師が書く。リストの言葉は大仰だが、生の感性が伝わってくる。

ショパンはシェイクスピアを愛したそうだ。自分も好きだから、ちょっと嬉しくなったりする。さて、余韻に浸りつつ「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 」でも聞こう。最後に、1851年時点での、リストの予言。

「だから、ショパンの作品が現時点でどれだけ大きな名声を得ていようとも、後世の人々は、間違いなく、それよりもはるかに高く重大な地位を彼の作品にあたえるはずである」

見せてあげたいよ。リストにもショパンにも。

9月書評の7

入ったことはあるものの、フェスティバルホールで音楽を聴くのは初。大きく重厚な作りでキャパも大きい。ヨーロッパの劇場のようでした。

ジャスピアニストの方がソリストで、のだめも好きな、飛んだり跳ねたりというイメージのラヴェルのコンチェルト。緩徐楽章にジャズっぽい感じがしました。続いてモーツァルトの2台のピアノのためのコンチェルト。指揮者さん弾き振り。息ぴったりで楽しそうに。カデンツァがノリノリで長かった😆アンコールはもちろんジャズ風セッションで。場内大盛り上がりでした。

ラストは展覧会の絵。大編成で壮麗壮大に。

ランチは美味いパスタランチで、時間がありフェスの地下で「中之島プリン」。終わった後、野菜ビストロでかるく打ち上げ。私は呑まないのでトロピカルジュースで。。

前半の3連休は大型で最強の台風14号襲来で戦々恐々。上陸した鹿児島や宮崎はかなりの被害が出たが、九州南部から福岡を通って山口から広島と陸地を通ったので急速に勢力を落とし、こちらに来る頃には「強い」さえ取れてしまった。

ふー、やっぱ台風キライ。生活ペースが乱れるし。


◼️ 小野不由美「残穢」

書評を読んでも感染・・?
もしも運悪く出会ってしまったら、、そういう怖さかと思う。

小野不由美、これが初めて。年明けてから冬の間に読んだ菱井十拳「羅刹ノ国 北九州怪談行」の中に「残穢」にも北九州最強の怪談が載っている、というようなことが書かれていて興味を持った。

ところが、事は東京の郊外のベッドタウンにあるマンションの話で、一向に西には向かない。??と思っていたところ、最後につながった。

著者が昔、身近な怪談があれば教えて、との募集に応えたライターの久保さんは、自分の住むマンションで、畳を掃くような音が聞こえるという。調べてみるとこのマンションには人が居付かない部屋がいくつかあった。なにか近隣で原因となる事件があったのではないか、著者と久保さんは長い調査を始めるー。

そのベッドタウンのマンションの土地には、何があったのかー。この町には、過去には本当に何の事件もなかったのか?著者は大学の伝手などを最大限に使って土地と住んでいた人の情報を調べ、また在野の怪談に詳しい作家にも話を聞く。


調べ出すと怪異はゾロゾロと出てくる。前の住民の不可解な自殺、赤ん坊の泣き声、掃く音は首をつった女性の帯の擦れる音にも聞こえ、実際に自殺はあったと知る。


まさに「羅刹ノ国 北九州怪談行」も似たような展開だった。人に話を聞くとどんどんと怪しい話、怪異現象が出てくる。すっきりと解決できるわけではないところが逆に興味なのかもしれない。そして遂に、穢れのおおもとの情報が入る。


作中著者は何度も、いやただの偶然、と冷静に事例を見つめ直す。怪しい現象、事件性がつながると何らかの因縁があるのでは、とこたえられない魅力を放つのも確か。しかし、著者も体調が悪くなり、協力してくれた作家さんは事故に遭って入院し・・とどんどん暗然となってくる。どこまで追いかけるかー。

個人的に、こんなルポルタージュ的な作りとはとびっくり。しかし怖さは、エピソードそのものにはない。言ってしまえば伝染性。残穢は残された穢れと書く。その怪異が否応なく伝染するとしたら?最後に訪れた廃屋では、持ち主が何かの怪異と必死に戦おうとしていたー。


山本周五郎賞を受賞した時、審査員に「この本を手元に置いておくことすら怖い」と言わしめた長編。
読む時は、覚悟して読みましょう。あー怖っ。

◼️ 夏目漱石「硝子戸の中」

漱石晩年のエッセイ集で、読むと落ち着く、という気分が分かるような気がする。

硝子戸の、「うち」と読む。夏目漱石が亡くなる前年の1915年に新聞連載されたもので、胃腸の病で臥したり起きたりしていたころの随筆集。

飼い犬、猫、著名作家ならではの困りごとから、幼少の頃へと思いが飛ぶー。

最初の方に飼い犬ヘクターの話がある。この名前はトロイの英雄から取ったものだそうで、先日までシェイクスピアのトロイ戦争の作品を読んでいたので妙なつながりを感じてしまった。

漱石が犬や猫の世話をしていた、というわけではないようだが、逆に一歩引いたところからかわいらしさ、哀しさを見ている、淡々とした調子はかえって時の移り変わり、人生のひとコマ、という様相を醸し出している。「吾輩は猫である」のモデルとなった猫にも少し言及がある。

画に賛をつけてくれ、と富士山の絵を送り付けられたり、自分の作品を見てくれ(どこかに紹介してくれ)と申し入れられたり、身の上話を聞いたりと病床にしばしば臥す身にも世間の働きかけは降り注いでくる。講演なぞ依頼は多かっただろう。

心霊術のようなものが最新の科学とされていた世の中だ、と解説でも触れられているが、もちろんそのような時代でも世間の常識は機能していた部分もあったのだろうが、夏目漱石の態度は実に対応として真っ当で、繊細な部分もあるなと思ってしまう。

私はそんなに長い期間東京にいたわけではないけれども、幼少の頃の下りでは細かい地名の注釈から、当時の浅草などの光景がなんとなく思われて興味深かった。川端康成も浅草を舞台にいくつもの作品を書いている。おそらくものすごいスピードで変わっていたであろうし、時代の差、というのもあったかも知れないな、なんぞと考える。

実は漱石は長編をあまり読んでいない。「こころ」とだいぶ前に読んだ「三四郎」くらい。「こころ」もそんなに長くはないし。ただ、芥川龍之介を見出したことや、内田百閒がわざわざ温泉まで金を借りに来た時は快諾し上質なご飯を食べさせた上、泊まらせて車で帰してやったエピソード、また寺田寅彦だったと思うが、会って話しているだけで落ち着く、という評などを読むたびに「大きさ」を感じる。


最後に、夏目先生、硝子戸を開け放ち、静かな春の光に包まれる。うーん上手だ、素晴らしい。


文人らしい意固地なこだわりも見えるけれど、現代でも身近さ、大きさ、まるで夏目先生が語りかけてくるような気が、本当にしたエッセイ集でした。

2022年9月17日土曜日

9月書評の6

スンマセン、9月書評の3が2つになってて、前回その流れで4にしてしまってるので、今回5を飛ばして6にして、正しいナンバリングに戻します。このブログ、訂正には大した手間がかかります。なのでしません。悪しからず。


花は芙蓉とマメアサガオ、秋やねえ。鹿児島沖の台風14号、けさ「猛烈な」へ発達。コワい〜!!



◼️ Authur  Conan  Doyle 

 The Disappearance of Lady Frances Carfax(レディ・フランシス・カーファックスの失踪)


ホームズ原文読み24作め。第4短編集「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」より「レディ・フランシス・カーファックスの失踪」です。


芯になるトリックは草創期のミステリっぽい話。シャーロック・ホームズはミステリというよりは物語として捉えているので、トリックが出てくると、逆にちょっと意外な気がしますね。私的には話自体もいつものホームズものとは少し色合いが違う気もします。


さてさて、序盤はワトスンがトルコ様式の風呂に立ち寄ったのを例のごとく見抜いたホームズ。なんでやねん?子どもだましさ、というよく見るやりとりがあります。その後、気分転換ならもうひとつ、とホームズが切り出します。


How would Lausanne do, my dear Watson – first-class tickets and all expenses paid on a princely scale?


「ローザンヌはどうだい?ワトスン、一等車に全ての支払いは気前よく出してもらえるよ?」


SplendidBut why

「すごいな!でもなんで?」


ホームズはわけを語り始めます。


裕福な貴族の直系子孫、レディ・フランシス・カーファックスはあちこちと住まいを変えている、独身の中年夫人で世間知らず。遺産相続の時にもらった高価な宝飾品を、銀行を信用せずにいつも持ち歩いていました。彼女がローザンヌのホテルからの手紙を最後に5週間行方知れずだと、家族から相談があったとのこと。


I have no doubt, however, that your researches will soon clear the matter up.

「しかしながら、君の調査でほどなく事態がハッキリするのは間違いないね」


自分が!と驚くワトスンに、自分は忙しくてロンドンを離れられない、よろしくーと軽く振るホームズ。否応なくワトスンはローザンヌへ向かいます。



ワトスンの単独行は「美しき自転車乗り」そして「バスカヴィル家の犬」など何度か見られます。ホームズ物語の多くは、ワトスンのモノローグで、この形式はワトスンを単独の調査に出しやすくし、逆がない、つまりホームズ単独捜査の詳細がない場合は探偵をより謎めいて、時に超人的に見せることに役立っていると、よく思います。


さて、ワトスン、レディ・フランシスがローザンヌからバーデンのEnglischer Hof、英国風ホテルに滞在していたことを突き止めます。余談ですが「最後の事件」でホームズとワトスンがスイスで泊まったのもイングリッシャーホフでした。


レディ・フランシスはバーデンで伝道師のシュレンシャー博士夫妻と知り合って行動を共にし、ロンドンに出発したことをつかみます。もちろん調査の結果は逐一ホームズに報告していました。そして元メイドに話を聞こうと次に向かったモンペリエで、調査中浮かび上がっていた、彼女をつけ回す男とはち合わせ、格闘となり首を絞められます。


危うし!ワトスン!そこへフランス人労働者に身をやつしたホームズが飛び込み、親友を救いました。都合がついたので、ワトスンが行きそうなところへ先回りしていたのです。


さっそくねぎらい・・ではなくてお説教。「自転車乗り」でもさんざんでしたが今回はもっとひどい。


I cannot at the moment recall any possible blunder which you have omitted. The total effect of your proceeding has been to give the alarm everywhere and yet to discover nothing.

「君がしなかったヘマを思いつかないくらいだよ。至る所で警戒をさせて、しかもなにも見つけられないときた」


ワトスンくん、もごもごと抵抗しますがかないっこありません。ともかく、ワトスンと格闘した男、フィリップ・グリーン氏はレディに恋する昔の知り合いでした。心配して彼女を探していたとのことで、ホームズに紹介されて仲間になり、一行はロンドンに帰ります。ベイカー街には電報が届いていました。


Jagged or torn「ぎざぎざか、ちぎれている」


これはイングリッシャーホフの支配人に、シュレンジャー博士の左耳についてホームズが送った質問の返信でした。


この特徴で、伝道師シュレンジャー博士は、孤独な女性を狙い信仰心につけ込むのが得意なオーストラリアの悪党、ヘンリー・ピーターズ、別名聖者のピーターズ、だと分かります。妻とされている女も一味でした。


いったん途切れた手がかり。しかし1週間後、ウェストミンスター通りの質屋に、レディ・フランシスのものと思われる銀とダイヤのペンダントが質草として預けられたことが分かります。持ってきた男の人相はシュレンジャー、いやピーターズでした。


ホームズはグリーン氏に役割を与えます。その質屋に張り込むことでした。3日めにグリーンが興奮してベイカー街に飛び込んできました。


女が、そろいのペンダントを持って来たというのです。女が質屋を出てから、グリーンは後をつけました。


すると入っていったのはなんと

undertaker's、葬儀屋。グリーンもそれとなく入りました。


遅い、という女に、店員が


It took longer, being out of the ordinary.

「時間がかかってまして。なにせ企画外れの商品なもので」


と言い訳していました。


その店を出て辻馬車に乗った女、ホームズの調べではフレイザーをグリーンはさらに尾行、ブリクストンにある家まで追いかけました。しばらく見張っていてやがて見たものは、家の中へ棺桶が運び込まれる光景でした。


捜査令状を発行するよう促す手紙を持たせてグリーンを警察へやり、そしてホームズ&ワトスンは、一刻の猶予もないとピーターズの家を訪ね、入り込みます。


Thrice is he armed who hath his quarrel just.

「理のある喧嘩なら、力も三倍」


シェイクスピア「ヘンリー六世」のセリフを胸に乗り込んだ2人。


令状がない、と主張するピーターズに、ホームズはピストルを見せて捜索、棺桶を探し当て、開けます。そこにはー


どう見てもレディ・フランシスではない小さな老婆が横たわっていました。


Ah, you've blundered badly for once, Mr. Sherlock Holmes

「大失敗ですな、シャーロック・ホームズさん」


昔の乳母で、救貧院で見つけて引き取ったとピーターズ。そこへ警察が。逮捕しろ!と息巻く悪党に、巡査部長は落ち着いて対応します。ホームズが来ているということは事情があると見て、外へ連れ出し、令状がなくては、とホームズをたしなめ、協力を申し出ます。


ホームズもいったん撤退するしかありません。令状発行は翌日の朝までかかる見通し。葬儀は朝8時から。まんじりともせず世を明かしたホームズは720分にワトスンを起こします。


what has become of any brains that God has given me? Quick, man, quick!

「神が授けてくれた僕の脳みそはどうなったというんだ?急げ、ワトスン、早く!」


何かが閃いた様子のホームズは再びピーターズ宅へ。まさに棺桶が運び出されようとしていたところでした。ホームズが叫び、ピーターズが応酬します。


Take it back this instant!

「いますぐ棺桶をもとのところへ戻すんだ!」


What the devil do you mean? Once again I ask you, where is your warrant?

「いったいぜんたい何のつもりだ?もう一度訊くぞ、令状はどこだ?」


The warrant is on its way. This coffin shall remain in the house until it comes.

「令状はもうすぐ来る。それまでこの棺桶は家の中へ置いておくんだ」


ホームズの迫力に押され、担ぎ人夫たちは柩を戻し入れました。ホームズたちは慌てて蓋を剥がします。するとー。


強いクロロホルムの臭いとともに、頭部を脱脂綿に包まれた人の身体が。脱脂綿を外すと、気品ある女性の顔が現れました。あらゆる蘇生の努力のあと、レディ・フランシスは蘇生しました。その時、レストレイド警部が、令嬢とともに到着しましたー。


It took longer, being out of the ordinary.

「時間がかかってまして。なにせ企画外れの商品なもので」


葬儀屋の店員が、ピーターズの妻役の女にしていた言い訳。通常より大きい棺桶、そして入っていたのは小さな老婆ー。ここに考えが至るまで時間がかかった、とホームズは述懐します。


ハッキリ書かれてはいませんが、ようは二重底だったわけです。レディ・フランシスを殺すことまではしたくない2人の悪党たちは、1枚の死亡診断書で合法的に埋葬できるよう、救貧院から老衰の女性を引き取り、亡くなる際に医師に診せていたのでした。ホームズが最初に柩の中を見た時、レディは別室に監禁されていたといたのでした。おそらくホームズは、そこまで考えが及ばなかった、ひょっとして最初の捜索で見つけられたかも知れなかったことに関しても自分を責めていたと想像できます。


さてさて、やりとりは刑事ものサスペンスっぽい、見つからない被害者、棺桶、危機一髪と派手な要素もあります。ヨーロッパ大陸での捜査、ワトスンの単独行、取り違え、突然現れるホームズなど、おなじみの展開もありますね。二重底そのものを暴く場面が入っていないのは、流れとしては自然かも知れません。


なのに物足りなさが残るのは、盗品の処分がちょっと素人くさいことと、やはりわざわざの葬儀かなと。オーストラリアが生んだ名うての悪党にしては甘く、手がかかりすぎている気がしますね。


読みながら単語や構文をけっこういちいち調べています。いずれはドイル英語の傾向でもまとめようかと思わないこともないですね。同じ単語はシリーズ中に繰り返し出てきます。


start ぎょっとする、びっくりさせる

glanceチラリと見る


なんて常連さんです。


ここまで読んできて、初期はやはり訳す方もやりやすくテンポがあるのに対し、晩年の作品は、熟考のあとがうかがえる一方、文章に持って回った言い方が増えるいう感じですね。


もちろん読むごとに訳を悩むフレーズは出てきます。今回、事件が終わった後、失敗したなーと振り返る際のホームズの言葉、なんとなく意味はわかるものの、ちょっと苦戦して、複数の訳を参照しました。


To this modified credit I may, perhaps, make some claim.


「これでおそらくぼくも名誉をいくらかは保てるだろう」


「こんなふうに限定つきても褒められるべきところはあるって、ぼくもいくらかは主張していいんじゃないかな」


まあ余談です。次もまた、そしてしばらく読むごとに悩むでしょうね。






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2022年9月16日金曜日

9月書評の4

中秋の名月を過ぎても月と木星のきれいなこと。福岡の弟が撮影した、夕焼けと宵の紺がキパッとタテに分かれてる写真。調べたら「天割れ」という気象現象らしい。凶兆でありませんように。台風14号は非常に強い勢力を保ちながら九州の西を北上中。北東進に転じて、福岡と中国地方を縦断、鳥取あたりから日本海に抜ける予想。こちらはたぶん暴風域ギリくらい。強風域の中の方なので危険。逸れること、勢力が弱まることを最後まで期待してます。それてくれー。

ホームズ友の先輩との話題でホームズ関連本棚を整理した。

ひさびさに映画をハシゴ。
カンヌ出品のフランス映画「彼女のいない部屋」
決して観てない人にしゃべらないでくださいというタイプの作品。早朝、母は旅支度、夫と男女の子供たちを残して車で家を出る。仕事で行き詰まって気分転換の家出的小旅行?と思いきや・・とても凝った作りで、ピアノ🎹が実に効果的でした。アルゲリッチも出てきて、ショパンのワルツと協奏曲が聴こえてくる。

最近、〇〇監督作品デジタルリマスター版特集上映というのが多い。もひとつはウォン・カーウァイ監督「欲望の翼」。「恋する惑星」とスケジュールが合わずセカンドチョイス。香港映画が注目された頃ですね。ほか「花様年華」「ブエノスアイレス」今回。

う〜ん正直を言うと、両方なんか足りない感じがあったかな。

若い頃って、ヨーロッパ映画やアジア映画、リバイバルやアメリカの一部の映画なんかが観るたび面白くて8割当たり的な感覚があったけれど、最近はなんかズレを感じたりする。デジタルリマスター版はモノによる。古い分粗さが見えるな、ということもよくある。ここのところ、単館系だけでなくロードショーものをよく観に行ってるのもあるのかも。文句言いですねきょう笑。エイジングでトガりが取れたようで逆に拘ってたりして😅

ただこう、あれこれ考えるのも映画好きの楽しみやね。真剣に観てます。ありがとう優れた作品たち🎬

まあゆっくりホームの神戸を回ったので満足。元町商店街やセンター街、また阪急高架下であっ!というのが3つくらいあった。店がなくなるのも早いし、とかく変化も多い街。

あまりきれいでないけど行くたびいい発見がある古本屋はきょうも当たった。そこ、短パンのじーさま店主?がカウンターで本読見かけでつっぷして寝てて、買っても愛想のひとつもなし。でも当たるから気に入ってたりして😆

ランチは老舗喫茶店元町サントスでアツアツのピラフ。次はホットケーキかプリンアラモードを食べよう。



◼️ウィリアム・シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」

壮大なトロイ戦争を舞台にした当時人気の物語。

昨年に、コルートス、トリピオドーロスが5世紀ごろ?書いた「ヘレネー誘拐・トロイア落城」を読み、トロイ戦争はそもそもゼウスが人口を減らそうとして目論み、トロイの王子パリスがスパルタに行って王妃ヘレンを誘拐したのが直接の原因というのを知った。ヘレンはただの被害者ではなく、フラフラと気持ちを揺らがせて両軍に影響を与える。

さてシェイクスピアのこの物語は先行した物語がすでにあり、当時ストーリーを知らない人がいないほど有名だったとか。シェイクスピアの作品にはほとんど種本があるとはよく知られた事実。今回も人気の話を劇化したということですね。

劇中にはギリシャ側の指揮官アガメムノン、英雄アキレウスことアキリーズ、トロイ側の勇将ヘクター、もちろんパリス、ヘレン、スパルタ王メネレーアス、王女で預言者のカサンドラら、伝説のキャストが登場する。

トロイの王子で武将の1人、トロイラスは神官のカルカスの娘クレシダに恋をしていた。クレシダも彼の求愛を受け入れ、一夜を共にする。しかし未来を見通す力を持ち、トロイを裏切ってギリシャ側についていたカルカスは、貢献の見返りに、捕虜にしたトロイの将軍と娘クレシダの交換を求め、認められる。

辛い思いで別れた2人。クレシダは将たちの人気者となり、一線を越えはしないが護衛のダイアミディーズからの誘惑に駆け引きをするようになる。その会話を、休戦の日に窓外から聞いてしまったトロイラスは自暴自棄となり、戦が再開された翌日、鬼神の勢いでダイアミディーズに撃ちかかっていったー。

トロイ戦争は木馬を用いたギリシャ側の勝利となる。カルカスは正しかったわけだ。

劇の中でのトロイラスとクレシダの存在感は意外に小さく、トロイ戦争の英雄たち、よく知られる伝説を取り上げた叙事的な歴史劇にも見える。アギリース、アキレスは戦わない。劇中には出てこないが、おそらくアギリース、アキレスは愛妾を大将のアガメムノンに奪われたことから戦いに出なくなる、という「イーリアス」の流れがあるようだ。思い上がっているから懲らしめねば、と同僚たちには思われていて、最後のヘクターとの対決も、どうも悪役的。シェイクスピア的に捻っている、と見ていいのかな。

劇はカサンドラが予言した通り、ヘクターがアギリースに倒されて終わる。しかしトロイラスとクレシダのくだりは中途半端なままだし、ブツ切り感もある。

ただ、他の物語では、クレシダのダイアミティーズに対する態度は父の入れ知恵による芝居で、誤解したトロイラスが不実を責め、信じてもらえなかったクレシダが自ら命を絶つという結末のものもあるそうだ。しかし解説に書いてある通り、そうなったらそうなったで、単なる悲恋物語となり、どうもちんまりした感じがする。

クレシダがダイアミティーズに心を寄せるのは生きるための手段とも取れる。私的には「ヘレネー誘拐 トロイア落城」に描写されるヘレンのどっちつかずの態度のニュアンスを汲むものだと感じる。また、いつものシェイクスピアの道化ような、口汚い使用人の言葉が言う通り、女の誘拐が原因で起きた戦争が長引いて多くの兵が死に、さらに男女の問題が起き、とどこまでも戦争はセックス、という見方が効いていて、頷ける内容も含んでいる。喜劇とも言えるかもしれない。



シュリーマンが発見したトロイの遺跡は小アジアの、本当にギリシャの近く。中世ではトルコとキリスト教サイドは長きに渡り激しく抗争を繰り返す。ここではエージャックスとヘクターが従兄弟どうしであるように、どちらかというと行き来を繰り返してきたため同じエーゲ海人?が戦っていたのではと思った。

鮮やかな終結がないし、焦点も絞りにくいためか、問題劇とも言われるらしい。個人的にはトロイ戦争というロマンを俯瞰で見られたからなかなか面白かった。


◼️ 岡本喜八「シャーベット・ホームズ探偵団」

こういうのチョイスしてしまう自分の性向をほんのちょっとだけ愛おしく思っちゃったりするのでした。

こないだ自宅本棚のプチシャーロッキアン的コレクションコーナーを改めて見返した。パスティーシュ等は毎年ハードカバーが何冊か出るけども実はあまり買わないし解説本もだいたい持ってるもので間に合ってるので新規はない。文庫はまあ、あればほとんど買う。減ることはアリエナイ。というわけで少しずつ増殖中。それでも全体であまり多くはないです。


これは、図書館でよくある、お持ち帰りOK本コーナーで見つけた1冊。うーん、いかにも関連は薄そうだけどもついつい持って帰ってしまった。著者は「大誘拐 RAINBOW KIDS」「独立愚連隊」なんかを撮った映画監督さん。

「シャーベット・ホームズ探偵団」
「シャーベット・ホームズ危機連発」
「シャーベット・ホームズの仁義ある戦い」
「シャーベット・ホームズの大冒険」

の連作短編4つが収録されている。表題作の発表は昭和五十八年。いやもう昭和風というか、ハチャメチャなサスペンス風コメディ。

自由業・生田大作は広告代理店を脱サラして、テレビの脚本、コマーシャルの演出などマルチに活躍していたがアラ還の近年は不景気のあおりもあって仕事は少なく、アルバイトをして日銭を稼いでいた。

地元に新しくできたスナックで昔の仕事仲間の女性・トッポと再会、ヘベレケになるまで呑んだ大作はトッポを下宿先の納屋まで送って行き、毎朝のジョギングの途中に寄ることを約束させられる。が、翌日になってみると、トッポは全裸にされた上絞殺されていた。前夜の行動をもとに容疑をかけられた大作は、和田平助、ひっくり返すと助平ダワ、というH刑事の取り調べを受ける。

疑惑を晴らすため、スナック勤めに憧れる妻の秋子、捜査のビデオを撮ってコンテストに応募し、賞金100万円を狙おうとする長男ススム、ロマンポルノのオーディションに落ちたアユミという家族がドタバタのにわか捜査をスタートさせる!結末は・・?

2作めではススムが精力剤のCMに全裸の大作夫婦を出して高額のギャラをせしめようと目論む。大作も秋子も出演を承諾するが、なぜか夫妻は命を狙われるはめになる。3作めはヤクザの抗争に巻き込まれてヒットマンにされてしまった大作の戦友をめぐり、真犯人を炙り出そうとおかしなお通夜をやってみる話。

やがて大作は警察をやめたH氏の探偵事務所で働き、秋子はトッポのスナックを買い取ってママとなり、アユミは女子プロレスラーからプロゴルファーからモデルを目指し途中でFBIからスカウトされススムはザ・ちゃらんぽらんでそれぞれが事件にいい役割を果たす、シャーベット・ホームズ一家の本。

まあスピード感はあるし、おなじみで役に立つサブキャラはいるし、気がついてみれば全作が何らかの形で映像に結びついている。なるほど映画監督さん、気の利かせ方を文筆でも発揮したようだ。

なんかねえ、ホームズとつくと主人公が猫だろうが、中身が聖典とは関係なさそうでも読んでしまうんだけれども、今回もそこそこハマり笑、続きものがあってもいいかも的な気持ちになってしまった。ちなみに、この作品にも喫茶店「イレギュラーズ」というのが出てきて、聖典のベイカーストリート・イレギュラーズに言及がある。カントク、年配のディレッタントという風情も感じるけど、実は相当お好きだったりして。

私も昭和だし、けっこうおもしろかったな、ということでコレクション入りしたのでした。

2022年9月11日日曜日

9月書評の3

天気予報が悪く、すんごい入道雲も湧いてたので諦めてたらきれいに見えました中秋の名月。月は球。なぜ太陽と反対に、夏は高度が低く、冬は高くなるのか、なぜ地球にずっと同じ面を向けていられるのか理屈は読んだけども実感として理解できない文系の天文好き。しばしこの日も頭を悩ます。

日中は残暑厳しく、きのうバス停から山道を登ってる途中、突然左足のかかとが痛くなって引きずって歩くはめに。

軽い熱中症かもと思いつつ、家に帰ってサロンパス貼って身体を冷やしたら和らいだけれども、ちょっと年齢を感じたりなんかして。

というわけで、今日はおとなしく。今週はもともとゆっくりする週。身体を休めとかないと、とダラダラしてました。

バスケ🏀は高校のトップリーグ、U18女子アジアカップ、またユーロバスケットの動画なぞ。NBAのトッププレイヤーも出てるからなんちゅーか異次元。この中に日本は切り込むんだなあと。

日本バスケを見てると、サッカーやラグビーの進歩の過程を思い出す。オリンピックでもワールドカップでも1勝もしていない日本男子。これから嬉しい勝利を味わうと思うと、見るのやめられない😆

月に向かって走りましょう🌕  ⛹️‍♂️ーー🌬



◼️ リービ英雄「英語で読む万葉集」

読みたくなった万葉集。英語表現は新鮮だ。

読み物ラインナップ的にしばらく愛する古代をスルーしていて、気分的に万葉に浸りたくなったタイミングでこの本が目に入った。リービ英雄氏は日米中を往還しながら日本文学を研究し、万葉集を英訳して全米図書賞を取った方。献本の日本文学の本で名前を見て覚えていた。

特に柿本人麻呂に心酔されているようだ。ここは50首のうちいくつかをピックアップしてみます。

春過ぎて夏来たるらし白妙の
衣乾したり天の香具山

Spring has passed,
and summer seems have arrived:
garments of white cloth hung to dry
on heavenly Kagu Hill.

奈良は好きなのでたまに行く。天香具山、耳成山、畝傍山の大和三山はいずれも200m以下の山で、蘇我氏の館があったと言われる甘樫丘や三輪山のふもと大神(おおみわ)神社などの高台から広い風景を見ると「これだけ?」と確かに思う。だからmountainではなくhillにしているのだろう。こう見ると、たしかに丘に衣が翻るほうが清々しいかもしれない。

万葉集は視覚的イメージが伝わるので翻訳しやすいそうだ。ことに持統天皇の有名な歌は絵画的で見事。

リービ英雄氏は夏来たるらし、を表すためにseemを使ったとのことで、思い切って

Summer appears to have arrived

にしても良かったかも、と書いている。「思い切って」の意味がさすがに分かんない。苦笑。

春日(はるひ)を 春日(かすが)の山の 
高座(たかくら)の 三笠の山に 朝去らず
雲居たなびき 容鳥(かほとり)の 
間なくしば鳴く

Among the hills of Kasga,
where the spring sun is dimmed
on Mikasa Mountain,
like the crown on a lofty altar,
the crouds trail every morning
and the halcyon's cry never ceases

枕詞は英訳できるのか。著者が万葉集の英訳に取り組んでいたとき、日本人からよく訊かれたという。

私もぬばたまの黒、ちはやぶるの神、あしびきの山など、語感となんとはなしのつながりが好きだけれども説明は難しい。分かるようで分からない、その不透明感が日本人の質問の原因ではないかと著者も分析している。

この例は山部赤人の長歌の一部で、はるひのかすが、高座の三笠、とダブルの枕詞が入っている。

リービ氏ははるひが霞む、という言葉を

the spring sun is dimmed

高座を a lofty altar

と、なんというか、すすっと入れている。
ちなみに草枕の旅は

on a journey,with grass for pillow

と訳している。

草枕の旅、はイメージしやすいものもある。著者はもちろん難しいものもあるとしながらも枕詞は多少無理をしても訳出せよ、と述べている。また枕詞がなければ単なる地名だけになることも多く、枕詞があるゆえに地名が生きる、イメージの魔術だという。さらには、草枕の旅、と同じように、枕詞は言葉の本質を表すと。本質的にあをによし奈良、飛ぶ鳥の明日香、であるそうだ。

妙に、というか、深く納得してしまった。訳しがいもありそう。ダジャレっ気的遊び心までは伝わらないかもだが。

あの時代の逸話を思い出してきたので好きな歌を。

秋の田の穂向きの寄れる片寄りに
君に寄りなな言痛くありとも

As the ears of rice
on the autumn fields
bend in one direction,
so with one mind would I bend to you,
painful the gossip be.

高市皇子の宮にいながら穂積皇子を愛した但馬皇女。世間の噂がうるさくとも、ひとすじにあなたになびきたい、という一心な想い。

earには穂、という意味もあるんですね。
ある時点の自然の動きを厳密に描き、心の中の風景とシンクロさせるのは万葉集、というか和歌全般に多い。著者は、いともたやすく自然界の現象が心の動きの比喩となることに感嘆し、この美しさと、厳密さの前で翻訳せざるを得ない、という気持ちにかられるそうだ。

本筋とは違うかもだが、言痛く、こちたく、の訳にpainfulは必ずしも必要でないかも、などと思ってしまう。この本全般に、逐語的な訳が多い気がした。誠実さと、ちょっとユーモアも感じたかな。

さて、ラストは柿本人麻呂の長歌。

あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま
朝鳥の 通はす君が
夏草の 思ひ萎えて
夕星(ゆふづつ)の か行きかく行き
大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず

挽歌、明日香皇女の殯宮(あらきのみや)の時に作られた歌。恋する皇女が死んで、仲睦まじかった皇子がひどく悲しんで、皇女に片恋し、朝鳥のように通っていた彼が夏草のようにしおれて、宵の明星のように行ったり来たりされ、なすすべも知らない。

調子が良くテクニカルな長歌、その一部。

like the tiger thrush
like the morning birds
like the summer grass
like an evening star
like a great boat

とポイントを押さえてテンポの良い調子を打ち出し整理している。なるほど。柿本人麻呂一流の美しい、これぞ歌、という言葉の流れを英語に直すひとつの手法、かと思った。

東歌はPoem from the Eastland
防人はFrontier Guardsman

guardsmanは近衛兵、衛兵といった意味のようだ。英語の和歌、長歌は正直ピンと来ない。これで英語圏の人にはどう伝わっているのだろう。源氏物語は、一文が長くてしつこいため、日本人が現代語訳した場合、意味に引きずられてなかなかスッキリしない訳になる。外国語に訳すときは省略等思い切ったことが出来るのでむしろ日本語より分かりやすい、と聞いた。万葉集のこの英訳にも我々には見えない語感とか、イメージがあるんだろうか。

リービ英雄は10代のころ、京都から宇治を通って奈良へ、奈良から飛鳥へ歩き通したという。思い入れも見え、なかなか語彙が豊かで文学的で、アツい。その率直な指摘はハッとさせるものがある。

奈良は時がゆっくり流れている、悠久の感じがいい。涼しくなったら、また万葉の里を訪ねようという気になった。

9月書評の3

中秋の名月の日、天気いいかなと思ったら迫力のある入道雲が。こりゃやばいかな〜。最近天気変わりやすくて。

◼️ 高野麻衣「F ショパンとリスト」

ピアノの、詩人と魔術師。物語にすると柔らかくなる。

著者はクラシック音楽関係で広く活躍する人らしく、この本は原案を出し朗読劇で自身が書いた脚本をもとにしたものらしい。

ショパンは好きで、多少の背景知識はある。でも、あの、追っかけがたくさんいて演奏を聴いた婦人が失神したという伝説を持つリストとの交友については詳しくなかった。書評でこの新刊文庫を知り、さっそく入手してみた。

ショパンとリストの出会いから、リストの方がはるかに長生きしたその晩年までを綴っている。さながら迸る情熱をぶっつけあっているような、互いの孤独感を救おうとしているかのような熱い友情。天才同士だからこそ分かり合える関係、それがちょっと日本の若者の付き合いのようなイメージも含めつつ描いてある。

焦点はショパンの生涯、とりわけ、なぜショパンは、いまも謎とされている、パリに出て生涯戻らなかったのか、ということ。ここでは一つの解答がある。

まあその、ちょっとラノベ&マンガっぽいのは否めないし、リストの妻マリーのことなぞ消化不良っぽいんだけれども、きらいになれない。

例えば、原田マハの、有名な画家と絵画にまつわる物語が多くの人に愛されているのは、分かっているエピソードをもとにして物語として再構成している効果、というのもあると思う。

史実を追うだけなら新書系もしくはドキュメンタリー。しかし、読み手としてはやはりドラマになり、活き活きと登場人物が動くほうが、その時代の風俗や背景、史実が頭に入ってきやすいし、印象に残りやすい。

手紙がたくさん残っていれば、行動の裏付けが予測でき、実際に残っている言葉か心に重く響くこともある。多少の経験があれば事実とフィクションの見分けはつくので、了解のもと楽しめるものだと思っている。だから、物語化は私にとってありがたい。

今回も、ショパンの若い頃の動きと人間関係、ジョルジュ・サンドとの交際などの描写をきな臭い国際情勢のベースの中で楽しむことが出来たと思う。なによりリストとの仲には興味が持てた。

びっくりしたことに、リストは、ショパンの生涯を執筆している。昨年、72年ぶりの新訳版が出たそうで、さっそく図書館予約した。

これは、楽しみだ。あまり聴いたことのないリストも聴いてみよう。


◼️ アラン・アレキサンダー・ミルン
  「赤い館の秘密」

犯罪は暗い、探偵は明るい、屋敷は赤い。
ポイントは動機かも。

入口は江戸川乱歩が選んだ推理小説ベストテン。ちょっと有名ですね。あらためて並べてみましょう。

1「赤毛のレドメイン家」イーデン・フィルポッツ
2「黄色い部屋の謎」ガストン・ルルー
3「僧正殺人事件」ヴァン・ダイン
4「Yの悲劇」エラリー・クイーン
5「トレント最後の事件」E・C・ベントリー
6「アクロイド殺し」アガサ・クリスティー
7「帽子収集狂事件」ディクスン・カー
8「赤い館の秘密」A・A・ミルン
9「樽」F・W・クロフツ
10「ナイン・テーラーズ」ドロシー・L・セイヤーズ

私の場合7と10は未読で、4、6、9はかなり昔に読んだのでもはや忘却の彼方です。Yはなるほど、名作と言われるだけのことはある、と思った記憶があります。他は比較的最近読みました。

江戸川乱歩「妖虫」という作品には、赤サソリ、という犯罪者が登場します。ベストテンには赤が2つありますね。1位の「赤毛のレドメイン家」は不気味さが前面に出て乱歩好みなんだろうなと思わせる一方、ミステリとしてはもうひとつでした。

さて、くまのプーさんを書いた作家ミルンの「赤い館」。光と影が微妙に交錯します。

親の資産を引き継いだ裕福なマーク・アプレット。赤い館と呼ばれる広大な屋敷に、かつて後見人となり秘書のような役割の従弟、マシュー・カイリーと住んでいました。

数人の客を招いて過ごしていたある日、オーストラリアから、一族の鼻つまみ者の兄、ロバートが屋敷を訪ねてきます。マークは不在で、メイドが粗暴なロバートをマークの事務室に通した直後、銃声がー。

一方、たまたま近くを旅行していたアントニー・ギニンガムは、赤い館に滞在している友人のウィリアム・ベヴァリーを訪ねていったところ、銃声がしたといって事務室の扉を叩いていたカイリーを見かけます。声を掛けたギニンガムはカイリーとともに建物を回り込み、フランス窓を破って中に入ります。事務室で射殺されていたのはロバートでした。

行きがかり上、館に留まることになったギニンガムはベヴァリーをワトスンにして、探偵役を務めようと決め、捜査に当たります。

不在のマークは見つかりません。女優、友人の夫人と娘、少佐らの客は早々に赤い館を後にします。警察の捜査からも有効な手がかりは出てきません。メイドはドアの外から「今度はわたしの番だ」というマークの言葉を聞いたと証言しました。

マークが故意に、もしくは暴発事故でロバートを死なせ、逃亡を図っているのか・・?素人探偵ギリンガムは慎重に調査を進めます。決定的な証拠がなかなか出てこない中、ギリンガムは不穏な事情が横たわっていることを感じます。

ギリンガムは生活には困っておらず、人間観察のため、職を転々としている、という設定。捜査はテンポ良く進み、次々と材料が出てきて、犯人も絞り込まれてくるような展開で、そう多くの容疑者がいるわけではありません。


マークが出てこないこと、動機らしきものは少ししか見当たらないこと、がミステリ的ポイントかなと。


特徴としては、なにしろギリンガムとベヴァリー、ホームズ&ワトスンの2人の関係が良好で明るいこと。若いころの光源氏と頭中将もかくや?いやステージが違いすぎるかな。やはり殺人の裏には明るくない事情があるもので、この2人と孤独な犯人という対が際立って見えます。


ラストの方の仕掛けはちょっとしたスパイスが効いています。まあ正直多くの客、ほかの材料からもう少し怪しくできたかもとは思います。犯罪に結びつく流れがやや突飛な感じもしますね。


屋敷の特徴である赤そのものはあまり強調されていませんでした。ちょっと残念。


1921年、「赤毛のレドメイン家」と同年に発表され人気を博したというこの作品、いまのミステリ好きの目で見れば、いわゆるミステリ黄金期の作品たちは、面白い反面、ディテールに抜けがあるようにも見えるもの。今回もギリンガム&ベヴァリーの捜査の進展にずっと焦点があるため、どこかで犯人もしくは他の誰かの逆襲があるかも?なんて考えました。

とはいえテンポの良さ、解決のくだりはスッキリした推理小説、という印象です。あれもこれも、と長くなってもキビシイし。今回はポンポンと出てくる材料が遠いのか近いのか考える、その過程が楽しめる明快な作品、だったかな。


ミステリを書くというと、いや、ユーモアあふれる作品を書いてくれ、と言われ、「赤い館」を発表すると、読者は探偵小説の新作を待っていると言われ・・とミルンはあとがきで嬉しそうに綴っています。探偵小説とはかくあるべし、という論も楽しい。


しかしこの作品の後、くまのプーさんが大ヒットしたミルンは戯曲などそれっぽいものはあるようですが、本格的なミステリはついに書かなかったようです。ギリンガムandベヴァリー、明るい2人のシリーズが読みたかった気もしますね。

今回読んだのは2019年に出た新訳版です。「事務室」は書斎かなやっぱり。ベヴァリーがギリンガムを呼ぶときの「あなた」とともにちょっとした違和感がありました。


ちなみにベストテンの中で色名がついているルルーの「黄色い部屋」は密室トリックものとしてミステリ的なおもしろさを持っています。

「黄色」のスピンオフ部分もあるという続編「黒衣婦人の香り」も買ったけれどいまだ積読で、本編を忘れかけてたりするので両方いっぺんに読むべし状態です。ベストテンの残りを読んで、忘却の彼方作品を読み直して、「黄色」と「黒衣」を読んでやっとコンプリートですね。

2022年9月5日月曜日

9月書評の2

最近宮沢賢治づいてるというか、読んでる本に宮沢賢治「銀河鉄道の夜」評が出てきて、チェロ弾きの物語を読んで、図書館ではいい感じの宮沢賢治の童話と解説の本と目が合って借りてきて、新しく出来た古書店のlandlady店主さんは宮沢賢治がご専門の講師さんで楽しく話して・・と続いてました。

本日ふと地元のホールの予定を見ると、なんと宮沢賢治をテーマに合唱、朗読、合唱劇があるというので童話解説の2巻めを持って外出。若干枚のみ、という当日券をゲットして観てきました。

宮沢賢治の物語、詩には、林光さんという作曲家が曲をつけたものも多いそうです。

「わたしたちは氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」

で始まる「注文の多い料理店」の美しい序詞の歌に引き込まれ、賢治が作詞作曲した「星めぐりの歌」の生歌には本当に感動しました。

途中ソロや目立つ部分を歌うときなどは前に出て、また戻る、ソプラノリコーダーや指揮者さんのピアニカも良かった。

ピアノ伴奏と、賢治だし、もちろんチェロも出演。

指揮者さんの朗読、独唱を経て、クライマックス「よだかの星」。セリフあり、歌あり、ソロもふんだんにあって盛り上がりました。

もう一度「星めぐりの歌」
そして毎回のエンディング曲だという谷川俊太郎作詞の「ころころ コロコロリートの歌」

パンフの曲解説は宮沢賢治学会員だという団員さんが執筆、デザインも内作ということで手作り感満載。女声は優しかったり、内気だったり、凛としていたり、男声の伸びは素晴らしく響きました。

コロコロリートのみなさん、とても、とっても楽しめましたよ。すばらしいステージでした。復習でまた賢治を読むことにします。

夏の終わり、良き感じでしまった週末。満足。


◼️草山万兎「宮沢賢治の心を読む」Ⅱ

4巻シリーズ、動物がテーマの童話。
ちょっと黒いものも入ってます。

気分の流れがいま宮沢賢治。どこからか、と思い返す。鯨統一郎「文豪たちの怪しい宴」で「銀河鉄道の夜」が取り上げてあり、絵本の原画展に行って賢治を思い出し、図書館に行ってこの本を発見し、地元に出来た古書店の店主さんが宮沢賢治がご専門の講師さんで、当然宮沢賢治コーナーがあり、楽しいお話をした。で、続く日曜日に地元のホールの予定を見ていたところ、宮沢賢治の作品をテーマにした合唱劇があるとのことで、当日券で観てきた。

で、2巻め。ステージが始まる1時間前に読了。

「どんぐりと山猫」
「狼森と笊森、盗森」
「さるのこしかけ」
「林の底」
「洞熊学校を卒業した三人」

の5篇。いずれも再読。前の2篇はほんのりとおもしろい。山猫って日本にいないから、この時点では想像上の動物だ、という論になるほど、と。後半は長めの童話で、かなりな悪意が入ってくる。

「林の底」は古来鳥はみな真っ白で、とんびが染物屋を開業し、大変儲けて傲慢になり・・、という話。これは民話にも同様のものが伝えられ、おおむね最後にカラスが絡むとか。

宮沢賢治では梟が、とんびが染物師でね・・と話す。聞き手の人間は梟の話をホラ話と思っていろいろとつっこむ。メジロやホオジロは白の染め残し、と言う梟に、でもそれっておかしくない?とか。

ただこの話は色彩感覚がよく、色鮮やかな鳥の模様を思い浮かべてなんとなく納得したりする。ニワトリも聞いてみたかったな。

ラストの「洞熊学校を卒業した三人」はなかなか黒い。草山氏の解説では、洞熊学校というのは人を出し抜くことを教えるところだとか。

その通り、蜘蛛は慈悲なく獲物を殺し、なめくじや狸は口八丁で訪ねてきた虫や動物を食べてしまう。狸なんか狼を食べてしまう。フィクションですねー。でもそれぞれ、しっぺ返しのような形で破滅する。

賢治は、過度の競争社会、自分のことしか考えなかったり、驕ったりする風潮を嫌う。「注文の多い料理店」の寓話のテイストをより先鋭化した感じですね。

再読に新たな解釈の光。しかし何回読んでも宮沢賢治は楽しい。次も楽しみだ。

山猫の裁判、衣装が黒い繻子の着物の下に陣羽織ってどういうことよ、と心でツッコむ。危険を感じていたのか気概か、山猫に陣羽織を着せるのが単におもしろかったのか。

狼をオイノ、の読む語感が心に残る。



◼️ 京極夏彦/町田尚子「いるのいないの」

いそうな気がして・・古い家と暗さ。

怪談えほんシリーズ3冊め。ここまで宮部みゆき「悪い本」佐野史郎「まどのそと」と読んできた。

「MOE 絵本屋さん大賞2012」にて、第3位に入りコワイとウワサの京極夏彦作。さてさて?

ぼくはおばあちゃんの家で過ごすことになった。おばあちゃんの家は古くて大きくて、おとながはしごをかけても届きそうにない高い天井には太い梁が何本もある。梁の付近は暗くて、明かり取りの小さな窓がある。

ぼくが窓の付近を眺めるとー、見えた。

大きな古民家。高く大きな梁の部屋は異世界のよう。そこここに、古そうだが現代的なキッチンや新しそうなゴム手袋など、古民家と現実の生活とのミックスされている場面が見える。逆にそれは古民家の異世界感を強調している。現実と幻想とのあわい。

建築関連の本で読んだことがあるし、はたまた谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」でも触れられていたと記憶している。昔の日本家屋は暗い。暗さ前提に造ってある。明かり取りの窓は脱出点、異世界からの出口か、さらなる異世界への入り口か。この物語では後者かも。他元宇宙論、マルチバースなんか思い浮かべてしまったりして。

自分も子どもの頃、いい田舎の祖父母の家に行って古い家に泊まっていた。もとは商家だけあって台所は土間で、石臼があり、長い廊下と中庭、皆で寝る2階の畳の広間も古かった。しかし蚊帳を吊って皆で寝ていたし、田舎遊びは楽しかったしで怖かった覚えはまったくない。

今作はのっけから、なにかただならぬ雰囲気。男の子が独りで、おばあちゃんの家で暮らすことになる。暗い事情がありそうなスタート。彼が見たものについて、おばあちゃんは知っている。日常のひとつで、詳しい説明をすることはない。

パースペクティブな手法を用い、広い絵が多い。子どもの表情、瞳などは写実的でデフォルメはあまりない。そしてこの家、めっちゃ猫が多いところがおもしろい。

さて、怖いか、というと、想像力かと。

暗さ、には魅力があり、今作も高い天井の暗さと窓の白さの対比がある。暗い、と思ったのは、善光寺のお戒壇巡りか、東京・国立天文台の庭か。子どもには家の中が暗い、ということ自体が珍しく、怖いというよりは興味を惹かれているんじゃないだろうか。まっくろくろすけがいる、みたいに。

怪談えほん、興味がわくのもコワイのうち。ふむふむ、という感覚だった。

9月書評の1

台風11号は大型で強い勢力を保ったまま、もうすぐ対馬海峡を通過する。福岡は暴風域危険半円近く。台風は北東に遠ざかるため、近畿は暴風警戒域からは外れているが、強風域の危険半円付近の兵庫は雨風ともに強まる予想。

いまのところ雲は出ているがその兆候は見えずいまひとつ現実感はない。まあいきなり強くなるものだよね。で、テレワークにした。大阪〜姫路間で新快速休止するとのこと。

新快速休止→快速と普通に人が集まる
雨風と休止の影響でダイヤ乱れる
ダイヤ乱れに天気が荒れては山には帰りにくいことこの上なし、で家にいます。それにしてもひどくなるとは思えないな〜。

9月の冒頭はひさびさの川端康成。先日読んだ学者の川端作品評がひどすぎて・・なんでも見えて理屈が通るのが小説ではない。読み物において長い文章は大谷崎以外に書く資格はない。学者さんこそは、平明な分かりやすい文章を書くべきでしょう。一般読者に読ませなければならないんだから。たまには思い切ったことを言ってもいいでしょう。

父親から送ってきた日田の梨が美味すぎる。

◼️「川端康成異相短編集」

大きな流れと、完璧な表現と、説明の割愛。異界ものでは際立つ気もする。

ひさびさにゆっくり川端康成を読んだ。最近読んだ文学者の本では川端は文章が下手だ、なんて書いてあり違和感があった。しかしクセはあれどやっぱり天才の煌めきがあるな、と再認識。

超自然的なことがあったり、ポンっと幽霊を出したりの話、中には怪異がないものもある。数ページから70ページくらいまで16篇の短編小説と3つのエッセイ。なあんか、こういうコワイ短編に川端の特質って、さらに響く気もした。


「白い満月」

肺病で療養中の男が身の回りの世話に雇った17才の娘、お夏。雑事は普通にこなすが、自分は死んだっていい人間、などと口にしたり、父親の死にまつわる夢を見るなど不思議な少女。お夏が言う。

「河鹿の声は、こうお月さんの光に浮いているように聞こえますでしょう。それが時々地の底へ沈込むように聞こえるんです」

河鹿の鳴声って、と調べたら、ルルルル、と鳥の囀りのように、清流の爽やかさに合う、きれいな音で鳴く。月夜はさぞかし、と感じ入る。

物語は男の2人の妹の確執と死など目まぐるしく動く。話としては、なかなかドロドロで、怪しい、山里のドラマ。身内の事情を錯綜させるのはちょっと川端らしいかな、なんて思う。そんな部分にも源氏物語の影響を感じたりして。ただ、冒頭の河鹿が鮮烈で、読み終わりまで音として気になっていた。地味だけどもこのセンスには反応してしまう。


川端は若い頃、カフェの女給・伊藤初代に激しい恋をし、初代の父親の承諾を得ようと勤め先の岩手県の小学校に押しかける。やがてこの恋は初代の「私には或る非常があるのです」という手紙をきっかけに破談となり、後に川端は関東大震災の際、初代を当てもなく探して東京の街をさまよった。


「離合」は父親との邂逅を発展させた話に思えて興味深い。一連のエピソードとの関連が見えた篇はもうひとつ入っていた。

「朝雲」

美人で取りすました先生に、熱烈に憧れる女学生。話すげない別れへと続く。その中で

「海色がかった紺の洋服に白い帽子」

と先生を鮮やかに印象付ける衣装の表現には唸った。

「死体紹介人」は学生の男が乗合バスの車掌の娘・ユキ子に気を引かれたところ、たまたまユキ子が住む部屋を、本人が不在の間勉強部屋に使うことになった。ほどなくユキ子は肺病で死に、身寄りがないと思われたユキ子の死体は友人の医師助手からの求めに応じ男の内縁の妻ということにして解剖室に売ってしまう。ところがユキ子の妹が既にない遺骨を引き取りに現れ、東京にいる間男と同居、姉と同じように車掌となるが、男が姉と同じ肺病で急逝、男は死の2日前に婚姻届を出したー。

男女の出逢いと死別を不思議に絡ませた怪しい話。なかなかこんがらがった構成の中微妙な機微を浮き立たせている。ここも、

「透き通った飴を思わせるような瞼」

とのちのちまで透徹するようなユキ子の顔立ちの表現にはエッジが効いている。

「毛眼鏡の歌」

想い人・きみ子の長い髪の毛を想い出の場所に結ぶ、さらに髪を輪にして眼鏡様のものを作る。きみ子の幻を見ようとその毛眼鏡でのぞくという話。ちょっと思い入れ深すぎだけども、表現も解放されている、詩的な文章。幻想と感傷。


「たまゆら」
故人の治子が首にかけていた翡翠の曲玉の飾り、玉が触れ合って出るかすかな音の暗示。静かに夢見るような小鳥のさえずりの音。治子はこの音をたまゆら、と呼んで好み、死の直前にも聞いていたー。

語り手の男の想像がエロい。ただ、音、翡翠の色、鉱石の魅力、そして男女。生と死のあわい。小道具と重曹的な効果がコンパクトな小篇の性格づけを強くする。再読で、また読んで良かったと、私的には傑作かと思う。

エッセイでは「人間の心に宿る運命観は、結局はただ甘さである」と一文にちょっと共感したかな。

川端は、特に会話において、直接的な言い方をしないことが多い。「雪国」ほかでも多々見られることで、物語の中心を文でさらけ出すのではなく、芯をくるむような言葉を口から発する手法を確信的に使う。トルコのノーベル賞作家オルハン・パムクも同じようなことを書いていた。そこが作品の解釈を難解で複雑にしている原因のひとつだと思う。逆に気持ちが触れ合う場面のリアリティともとれる。収録されている物語にもそのような場面がある。


川端シンドロームの私は、これらの短編を読んで、どういうふうに川端らしいか、特徴が出ているか考えたり、独特のきらめくような表現を探したりするのが常。

その暗示しようと試みているもの、を読み取ろうとする、気に入っている作業に没入できて今回も満足した。

解説がくどめかな。こんなに長い文章を読み物として書いて許されるのは谷崎潤一郎だけ?なあんて不遜にも思っちまいました。