2021年11月28日日曜日
11月書評の6
トム・ホーバスJAPANの初陣中国戦、中国は本当に強かった。新しい選手も多いし、やはり2週間ではスピードの中でのスリーポイントの精度も低いし、連携もダメだしで仕方ないところも多かった。
PGの齊藤拓実、寺嶋良、岸本隆一、さらにSG西田優大の活躍が目立った。いい感じ。これからこれからだ。
◼️️ E•T•A•ホフマン
「くるみ割り人形とねずみの王様」
バレエの原作。可愛く、怪しく、おどろおどろしい。
友人にバレエの先生がいることもあって、今年「ドン・キホーテ」という舞台を映像化した作品を映画館で観た。クリスマスの定番という「くるみ割り人形」がまもなく封切られる。チャイコフスキーの名曲も楽しみに、観に行こうとは思っているが、なにせバレエはセリフがないし、どんなストーリーかは押さえておいたほうが分かりやすい。興味もあって原作を借りてきた。
とはいえバレエはホフマンの物語を父アレクサンドル・デュマがかなり省略してフランス語訳、さらにおよそ80年の時を経てバレエの台本化されたそうで、不気味さかげんがなくなっているとか。子ども向けの話もより幻想的だったりおどろおどろしいほうがおもしろかったりするからカットされていない原作を先に読むことができて、かえって良かったと思った。
マリーとフリッツの幼い兄妹はクリスマスイブに、上級裁判所顧問官のドロッセルマイヤー伯父さんから大きなお城のレプリカと、くるみ割り人形をプレゼントされる。マリーは人形がとても気に入った。しかしくるみを割っていたフリッツが乱暴に扱ったために、人形の歯は欠け下顎が緩んでしまう。
人形と一緒にベッドへ入ったマリーの耳に、不思議な声が聴こえてくる。やがて、くるみ割り人形軍とねずみの魔王たちとの戦闘が始まったー。
最初の戦闘で人形軍は負けてしまい、マリーはねずみ魔王から、傷ついた人形への攻撃をたてにした脅迫を受ける。くるみ割り人形には幻想の王国での物語があり、ドロッセルマイヤー伯父さんのお話でマリーは夢のような、時にグロテスクなストーリーを追体験し、ついには人形の世界に入り込む。
どこかほんのりとアリスっぽくもあるかな。とハッピーエンドのファンタジックな物語。ドロッセルマイヤーがけっこう怪しい役回りで、良い味を出している。くるみ割り人形、というのがまたおどろおどろしさとコミカルさを醸し出すいいギミックだなという感じもする。その分ハッピーエンドが際立つのかなと。
子どもの小さな頃、よくディズニーの映像を観た。クリスマスという季節は大きな想像力を広げたくなる外見をまとう。
さて、バレエ映画が楽しみだ。ドロッセルマイヤーの奇妙さ、別の世界の人間という怪しさはそのままにしてて欲しいかな。
◼️ カズオ・イシグロ「特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレイクスルー」
ノーベル文学賞受賞記念講演。「気づき」の大切さ。ちょっと高次元だけども。
図書館をウロウロしている時に目に入った本。ノーベル賞の記念公演は川端康成「美しい日本の私」、トルコのオルハン・パムク「父のトランク」と読んできて3つめで、それぞれ感慨深いものがあった。
川端はインドより東のアジアでは初の受賞だったから日本の美をアピールしたもので、オルハン・パムクはトルコの環境を描写しつつ、父との絆を強調した感動を呼ぶ話だった。
カズオ・イシグロは自分の辿った文学的な道と気づきの瞬間を述べている。
カズオ・イシグロは5歳までを長崎で過ごした。いまでも当時の風景ははっきりと心に残っているとか。
地方の大学に通っていた25歳の頃、自分でも驚いたことに生まれた街、長崎の終戦間際の話を書き始め、異様なエネルギーをかけて創作に没頭したという。あれは「決定的に重要な数カ月」でその時期がなければ作家になっていなかったかも知れないとか。
イギリスに来て最初の11年は、日本へ帰る前提で、日本の雑誌ほか情報を常に家族が仕入れていたという。その中で、自分が属し、自信とアイデンティティを与えてくれる場所を「保存」することが必要だったと。記憶に持っている日本は年月の間にどんどん変わっていってしまうことを自覚していたから、とイシグロは書いている。
その作品「遠い山なみの光」、やはり終戦後の日本を舞台にした続く第2作「浮世の画家」は私も読んだ。時代による微妙な空気と断絶を間接的な会話で描いた話だった。そういう意味があったのかと、驚くような、腑に落ちるような感慨をいま述懐を読んで持っている。
その後は日本ものとは離れた。第3作「日の名残り」を書き上げ、何かが足りないと思っていた。トム・ウェイツの「ルビーズ・アームズ」というバラードを聴いていた時、天啓が舞い降りた。鎧のように固めた感情に亀裂を入れることー。「日の名残り」は堅いイギリス流の執事が思い切って踏み出さすことが出来なかったために喪失を味わう話である。
さらに、タイトルにもある「特急二十世紀」。この戦前の映画を見ながらイシグロは、人間関係を立体的に描いてみては、といったような気づきを得たという。重要なターニングポイントだったとか。
この時のブレイクスルーは「わたしを離さないで」に生かされているというが、さすがに分からない^_^
世界情勢は2000年代にもドラスティックに変わっておりイシグロは実感を持って見つめている。ノーベル賞受賞者としての提言もある。
私的には、
物語ることの本質は、何よりも感情を伝えることであり、私にはこう感じられるのですが、おわかりいただけるでしょうか、あなたも同じように感じておられるでしょうか、と語りかけるものー。
という言葉に惹かれる。
だんだん幻想的になっていくなと思いつつ、まだ未読の作品もあるので、講演の感想をもってまた読むのも楽しみだ。
2021年11月23日火曜日
11月書評の5
◼️ポール・オースター
「最後の物たちの国で」
むむむ・・困った。
名作だという評価が多く、興味津々で読んだ。読了したいま、正直ちょっと迷っている。どう書評を書こうかと。
私は通常、先入観を持たないように自分が書き上げるまで他の書評は読まない。しかし、今回は珍しく、いつもの書評サイトで上がっているものを読んだ。
アンナ・ブルームという女性の手紙という形で物語は進んでいく。アンナは兄ウィリアムが消息を絶った国へと乗り込む。しかし多くの者が住む家もなく、食糧も少ない弱肉強食の世界だった。強奪、奪い合い、詐欺は当たり前。盗みや殺人でさえも野放しの社会。
アンナはこの国での出逢いによりアパートや図書館、静養所などに住み、日々を生き抜いていく。
あー、オースターは「シティ・オブ・グラス」「幽霊たち」「ムーン・パレス」しか読んでいなくて、この設定には少なからずびっくりした。架空の世界であればこれまではもう少しコミカル風味があったような気もするし、常識は圧倒的に機能していた。実在の地名も出てたし。
この茫洋とした舞台、前提は世界史の設定を変えてしまうフィリップ・K・ディックやマイケル・シェイボンなどを連想させたし、カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」「わたしを離さないで」などを思い起こさせる。ディック以外はオースターがだいぶ先出ではあるけれど。
さらにちょっと村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の挿話っぽくもある。
二十世紀のどこかで実際に起きたor起きている出来事を小説の下敷きにしているとか。ここではサッカーの名将アーセン・ベンゲルが日本人とヨーロッパ人の違いについて述べていた、ヨーロッパではみな自分の利益のために動き、「自分のためなら、人の頭さえ踏んづけて歩く」と書いていたことを思い出した。
うーん、記憶というものを問うたり、出口のない絶望的な世界観はむしろ好きだし、そういう極限世界での言葉の重みが増す部分もいい具合に感性の弦をひっかく気がする。
この作品が著者の中でも一番好き、というファン方も多いようだ。なんか最後まで、これまでの作品とは違う設定に違和感をずっと引きずってしっくりこないうちに終わったという感じだった。
◼️ 氏原英明「甲子園という病」
改善のスピード化は必要だ。も少しまとめるべき。
甲子園、地方大会での投手の球数過多については、長年続いてきたことで、そんなものだろうという受け止め方があったと思う。故障をしない選手も多くいて、たくさんの有名プロ選手がいて、日本を代表するプレーヤーも輩出している。甲子園に出場すると監督は名士、選手はスター。勝たなければならない。観ている方も期待値ばかりが大きい。
だからアメリカ人にこんな球数は児童虐待だ、と言われても、暑い時期に過密日程すぎると言われても、ファンも含めて違和感を抱くことになると思う。
取り上げられている盛岡大付の松本裕樹投手(現ソフトバンク)の試合は私も観ていて審判か本部か、誰か大人が止めてやらないのかと思っていた。またタイブレークについても球数制限に関しても、議論のスピード、実際の対策ともに納得し難く思っている。
本に関して言えば、まとまりが悪いかなと。新しい取り組みや問題意識を取材のもと掲載していて、それぞれうなずけるケースや意見ばかり。しかしなにをテーマに直言したいのか、言いたいらしいことが散発的で特に後半は捉えにくい。論理的、科学的に正直にいうと取材者としての忖度もほの見えるような気もする。
というのは、やはり取材者ならなおさら、甲子園での高校野球大会が大好きだから、今後も取材したいから、というのも一因。さらにふだんの部活動の考え方そのものから考えると、レアな事例紹介にしかならないからだろう。さらに言えば、ちょっとしたひと言をも大きなネタにしようとしていて、真意も深掘りも直接していないことはよろしくないなと思ってしまう。結果として分厚くないように感じられてしまう。
一時期、夏の大会の季節を変える、夏のままで会場を北海道あたりに変える、という意見が在野から出た。私的には季節や日程やルールを変えるのはむしろ賛成。だってスポーツのゲームだもの。でも、その私も、開催地はやっぱり変えてほしくない。偏った考え方かもしれないが、キングオブ聖地の甲子園はそのままであって欲しいと思っている。人によりその感覚は違う。
タイブレーク議論の時も、おそらく球数制限も、長年見て感動してきた高校野球の形を変えてしまうのは嫌だ、ということに根ざす感情的な理由が先行した気がしている。
好きな高校野球を健全に批判して、さまざまな意見を幹のはっきりした読み物にしていくのはたぶん難しいことだと思う。また私も愛読しているがマンガ「ダイヤのA」ではこの本で批判的に扱われている長時間練習や食トレが人気キャラのもと描かれている。悪いとは思いたくない気になってしまう。
はからずも元阪神のマット・マートンは日本人はなにか1つに没頭する性質が強い、1日8時間も練習している。大事な若い時期にもっとやることがあるでしょう、と話している。ここまで来ると国民的文化の問題である。野球だけでなく、何らかのスポーツ強豪校、個人競技のエリート選手には似たような環境があるのではないだろうか。
日程もそう。サッカー、バスケ、バレー。私が知っているだけで過密日程の大会は多い。ただし大会の機会じたいは減らしてあげたくない。国体以外の全国大会が2つに県大会もしくはブロック大会までの大会が1つ、3回くらいは本番の試合の機会も用意してあげたい。トーナメントやリーグ戦をどう考えるか。
盛岡大付の監督さんは松本の時のあやまちを率直に認めて深く反省し、チーム作りを変えている。少しずつでも高校野球がいい方向に改善していくことを私も望んでいる。高校野球の存在感は大きいだけに、議論し出したら面倒な問題だ。
私的には、根拠をはっきりさせること。感情的ではないかと検討すること。あまり現場の意見を聞きすぎないでもいいのではと思う。はっきり言って高校野球の名監督や長年のファンは変えたくない。しかしいずれ実効的な球数制限はしなければならない。ではさっさとやった方が利口だろう。日程は、少しずつ緩くなっている。ここにプラスの形で複数投手制が根付けばと思う。球数制限をすると良い投手の数を揃えにくい公立に不利、という議論はもう無視していいだろう。あくまでもファンの声であり、対策が前に進まない。意見だけで根拠あるのかと思うし、そもそも私学の方が有利なんだし。
もちろんスポーツに秀でている子どもには思い切りやらせてあげる環境も必要だ。しかしやはりやり過ぎも感じられる。スポーツ界全体にある、長すぎる練習の禁止、まで持っていけるか?
高校野球を論じ出すと、ポイントが多くて定まらない。その典型のような本でした。
2021年11月17日水曜日
11月書評の4
◼️ アントン・チェーホフ
「かもめ・ワーニャ伯父さん」
チェーホフ4大劇の2つ。独特の哀しさ。
再読。読もうと思ったきっかけは「ドライブ・マイ・カー」という映画で、劇中劇で主人公が「ワーニャ伯父さん」のセリフの練習をし、その役を演じ・・という構成で、よいアクセントとなり、劇以外のストーリーの成り行きにも影響を及ぼしていたから。映画の中の場面は断片的なので全体を知りたいと思った。
「かもめ」といえば、北村薫の名作「円紫さんと私」シリーズでヒロインの女子大生「私」が好んでいた。
裕福な田舎の地主の娘ニーナが女優になろうと有名作家の男と街に出るが、役者として芽が出ず、男にも捨てられる話の「かもめ」。
「ワーニャ伯父さん」はやはり田舎で暮らす退職教授とその若い妻エレーナ、先妻の母とその息子で40歳台後半のワーニャ、教授と先妻の娘ソーニャらのドラマ。みな先妻一族の地所に住んでいる。
家族は教授に振り回される生活をしており、荒んでいる。器量の良くないソーニャは出入りの医師アーストロフに憧れていた。エレーナがソーニャの想いを医師に打ち明けるが、アーストロフにその気はなく、エレーナに言い寄る。一方、教授はこの地所を売ってはどうかと言い出し、長年地所の管理をし教授に尽くしてきたという自負を持つワーニャは憤慨する。
ついには教授とエレーナの夫婦が出て行き、アーストロフも離れ、ワーニャとソーニャらは取り残されるー。ワーニャが教授の先妻、つまり自分の妹に救いを求めているのが印象的。
どちらの劇も羽ばたけない鬱屈がベースになっている。劇の成り行きというよりは地方で裕福でなく貧乏でもなく、世間的な感覚に左右される家族が、これと言ってしまえない、解決方法の見えないような長い憂鬱を抱えていて、それがチェーホフ独特だな、とも思う。
色恋沙汰が多く、シェイクスピアっぽい向きも?笑こちらはベタッと押しつぶされたような雰囲気を助長しているような。明るくない。
「かもめ」は向こう見ずに飛び出してみたもののうまくいかない人生を描き、悲劇で終わる。「ワーニャ伯父さん」はラストがはじける感覚。
アストーロフにふられたソーニャは、自分の人生はなんだったのかと悲しむワーニャを励まし、2人で地所管理の仕事を猛然とこなす。
「でも、仕方ないわ、生きていかなければ!ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。」
「あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送ってきたか、それを残らず申し上げましょうね。すると神さまは、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい!と思わず声をあげるのよ」
この後にもきらきらしい、安堵の世界の表現がなされる。そしてその時こそやっとー
「ほっと息がつけるんだわ」
静かに幕。
ブレイクスルー、希望の長セリフ。映画でも抜群に効いていた。
絶望さかげんには、どうも同化しかねるのが正直。なのでつながりとか、セリフの深さなどはもうひとつ推し量れない。でも、このラストの意外さと希望にはほだされる。
誰にもある人生の価値の検討。普遍的でよく分かった気になる。
◼️ 髙田郁「あきない世傳 金と銀十一 風待ち篇」
快進撃の最新巻。幸の「力」は横に太くなっていく。
髙田郁といえばベストセラーとなった「みをつくし料理帖」。番外編も出ている。その本編は10巻。おそらく「あきない世傳」はも少し人気が及ばないかも。でも、「みをつくし」を巻数で超えたんだなあと、ちょっとした感慨がある。
江戸が大火に見舞われる。幸の五鈴屋は助かったが、懇意にしている人気役者、菊次郎らが出演する芝居小屋や幸の妹・結の出奔先である音羽屋も焼けてしまった。
先に藍染の浴衣で評判となった五鈴屋は、火の用心の祈りを込めた柄を考案し、浅草太物仲間と染めの技術を分かち合い、全店で売り出す提案をする。
しかし火事でダメージが深いとも噂される音羽屋が呉服から太物商いに手を広げ、どうやら不作の綿を買い占めているらしいという情報が入る。また、染めの特殊技術を教えた職人が姿を消した。
しかししつこい妨害により太物仲間の店たちには結束が生まれた。そして、幸の元に新たな浴衣の依頼が舞い降りるー。
太物は絹の呉服ではなく綿を中心とする庶民的な着物のこと。
十一巻まで、幸の人生が変転し、大阪から江戸へと進出し、呉服から太物扱いへの転換を余儀なくされ、さらに知恵を絞るとここまでもなかなか壮大だったけれども、まだまださらなる仕掛けがあるかとその手際に驚き喜ぶ。知恵は江戸風俗の延長上にあり、月日を考えさせる。
もちろん快進撃にはきれいすぎるな、という感はある。次はいまや敵愾心むき出しの結の身に転機が訪れるのではと見ているが、まだ単純な悪役の延命を図るか・・?
楽しみに次を待とう。
11月書評の3
◼️ 村田沙耶香「コンビニ人間」
ふむふむ。フツーではないが、普遍的でもある。
芥川賞を取って大きな話題になり、もちろん書名は知っていた。周りの読書友の感想をきくと、ちょっとキモいというのがあったのでなんとなく読まなかった。先日読んだ本で、英米圏で商業的成功を収めたと知り、別の意味で読みたくなった。なぜ英米圏の読者に「キモさ」がウケたのだろうと。
幼い頃からあった突発的な奇行のため、周囲に心配されていた古倉恵子。成長し、興味からコンビニでバイトを始めて18年間就職も結婚もせず勤め続けていた。地元の同級生の集まりにも顔を出し、妹と連絡を取り合い、それなりに社交的な恵子。しかし普段の生活は週5日のコンビニバイトのためにあり、コンビニの仕事上必要な態度とバイト仲間のしゃべり方を身につけていて、友人や妹からさえ違和感を持たれていた。
恵子が勤めていたコンビニのバイトをクビになったダメんずの白羽という男のグチに付き合った恵子は、彼を家に連れて帰り同居を始める。その事が広まるや、バイト仲間も妹も態度を一変させたー。
読んだ人にしか分からないが、たしかに縄文時代のムラ社会から「恥」の文化はあるのだろう。役に立つべし、人並みでいるべし。そうでない人は恥ずかしい。それを基準や常識ににするとたしかに生きにくい。逆説的に白羽が気にしているように、大いに人は恥を感じて生活、さらに人生を過ごしているとは思う。
究極的に削っていけば、実害があったり困らない限り生きる術があればいい。そういう主人公や脇役の設定は珍しくない。
恵子はその設定から、なにかに興味を持ったり、行動しようとしてみたりする。治る、普通に近づくために。しかし最後は自分が欲しているものを知る。ふむ、それなりに人間的かなっと。
仕事に合わせて行動する、仕事のために心身のコンディションを整える、仕事のために予備知識を蓄える。これってある程度人はやっていて少し共感も湧く。ただそのやや過剰な加減と、コンビニのバイトのために、という感覚を衝いてきている気もする。
ここに登場する白羽は、仕事が長続きせず、プライドだけは高く、お金にルーズでヘンな理屈をしゃべり、恵子をバカにし利用する。英米圏でウケた理由の一つが、恵子の「受容性の深さ」だったと読んだ記憶がある。うーむ苦笑、といったところかな。
コンビニの仕事の流れから心得、またコンビニというものを音、視覚、を上手に使って面白く表現してある。
上手いな、と感じたのは16年間のバイトを辞める時の周囲の反応。別のズゥン、と来るものを感じてしまうようになっている。
極端で、キモいかも知れない。うん。やっぱそう笑。でも、読みだしたら集中した。入れ込めはしないが、不思議な力のある作品ではある。
◼️ Authur Conan Doyle
「The Stockbroker's Clerk(株式仲買人)」
ホームズ短編原文読み12作め。前回の「赤毛組合」に似た話。
読む短編を選ぶのに、だいたいそれぞれの短編集から1つずつを消化している。今回は「シャーロック・ホームズの冒険」で「赤毛組合」を読んだ後「シャーロック・ホームズの回想」の本作が順番で当たってしまった。この2つ、ネタがよく似ている。まあ読み比べるのもいいかと。
さて、ワトスンくんは医院を買い取って開業、猛然と仕事に取り組みます。まだ若く、「四つの署名」で巡り逢った妻メアリと新生活を始めたばかり。当然のようにベイカー街とホームズからは遠ざかりました。
3カ月ほどほとんど会わなかったホームズが、朝早くワトスンの家に現れます。
Ah, my dear Watson
I am very delighted to see you! I trust that Mrs. Watson has entirely recovered from all the little excitements connected with our adventure of the Sign of Four.
「会えて本当に嬉しいよ。奥さんは『四つの署名』をめぐる騒動から完全に回復したようだね」
このへんは多くのシャーロッキアンが物語のつながりを確認してじわっといい気分になるところだったりします笑。
さて、差し向かいで久しぶりの会話をする2人。推理の問題に対する興味を失ってないだろうね?そんな事は全くない、というやりとりのすぐ後、ホームズは
To-day, for example?
と訊き、ワトスンは
Yes, to-day, if you like.
と答えます。きょう、いまからバーミンガムへの出張捜査が決まりました。ワトスンは秒で準備をしてメアリにわけを話し隣の医者に代診を頼む手紙を書き、下で待っていた馬車に乗り込みます。このへんホームズ&ワトスンの行動の早さはさすが息ぴったりと思わせます。
馬車にはホール・パイクロフトが乗っていました。快活そうで小綺麗な身なりをしているロンドンっ子の若者でした。列車に乗ってから、パイクロフトは問題のあらましを語り始めました。
バーミンガムはパッと調べたところロンドンから北へ160km。東京駅から富士駅より少し先くらい。この時代のロンドンでも70分かかるとホームズは言っています。まあ、時間ギリギリで馬車を飛ばしたからゆっくり話のできるタイミングを計ったのでしょう。
勤めていた会社が倒産してしまったパイクロフトは次の勤め口を探して駆けずり回ったものの見つからず、手持ちの金も底を突きかけたころ、ようやく大手の株式仲買店、モーソン&ウィリアムスで働く事が決まりました。
パイクロフトの住まいを財務外交員の名刺を持ったピンナーという紳士が訪ねてきます。ピンナーはパイクロフトのことを調べたようで、簡単な株式相場の質問をした後、
you are very much too good to be a clerk at Mawson's!
「あなたはモーソンの社員になるには非常に惜しい人材です!」
と褒めちぎります。そして自分の会社、フランコ・ミッドランド・ハードウェア株式会社で営業主任にならないか、と持ちかけます。フランスの町や村に134の支店がある会社で、あなたに年に500ポンド出しましょう、と。そして前金だと言って100ポンド紙幣を差し出します。モーソンの給料は週に4ポンド。年間だいたい52週なので約210ポンドほど。ざっと2.5倍。しかも最小の額だとピンナーは言います。
その気になったパイクロフトはピンナーに従い誓約書のようなものを書きました。さらにモーソンに断りの手紙を出そうとしたパイクロフトにやめて欲しい、と言います。パイクロフトのことでモーソンの担当の者ともめて賭けをしたのだとか。
I'll lay you a fiver,said I, that when he has my offer you'll never so much as hear from him again.
「5ポンド賭けようと私は言いました。彼が私の申し出を受けたら、彼からの連絡は全く来ない」
この賭けをモーソンの担当者も受けたのだ、と。モーソンの担当者は彼は我々がドブから掬い上げたんだ、そう簡単にやめたりはせん、と言っていたと告げます。頭にきたパイクロフトはピンナーの言う通りモーソンと連絡を取るのをやめます。
さて、どうでしょう?ミステリファンならずともかなり怪しい話と思いますよね。パイクロフトの話の続きはどんどん怪しくなっていきます。ただもちろん、職探しの応募に使う切手代にもこと欠くありさまだったというパイクロフト、町には失業者が溢れています。ジャンプアップできるなら、と望みにすがったのも無理はないかも知れません。
パイクロフトがピンナーに教えられた住所に着いてみると、いわゆるオフィスビルの建物はありましたが、他の会社のようにフランコ・ミッドランド〜という社名は書いてありませんでした。そこでピンナーに良く似た男と会いました。代表取締役というピンナーのお兄さんでした。ピンナーと比べると髭もなく、髪の色も明るめでした。
代表取締役はまだ会社の仮事務所を決めたばかりで社名を出していないと言い、オフィスにパイクロフトを案内します。たどり着いた所は2つの埃っぽい部屋、2脚の椅子と小さなテーブル1つ。他の社員はいません。
I had thought of a great office with shining tables and rows of clerks, such as I was used to
「私はかつて私が勤めていた所のように、大きな事務所、ピカピカのテーブルと列をなした事務員を想像していました」
パイクロフトくんの失望がいかに深かったか。ふつうに騙された、と思ったでしょうね。
Don't be disheartened, Mr. Pycroft
Rome was not built in a day
「がっかりしないでください、パイクロフトさん」
「ローマは一日にしてならず、ですよ」
いや、もう成ってるはずやろ、と思わずツッコミたくなりますね^_^
まだ事務所にお金を注ぎこんではいないが、資金は豊富だ、あなたにはパリの大きな倉庫を管理してもらうことになる。そこは高級陶磁器を流通させるための倉庫だと、兄ピンナーはなだめます。
それからパイクロフトは仕事を命じられます。膨大なパリの人名簿から金物業者だけを抜き出して欲しい、月曜昼までに、と。パイクロフトはホテルで頑張りましたが、おそらく日曜日に始めて、月曜にはとても終わらず、金曜日までかかりました。兄ピンナーに報告すると、次は陶器を扱っていそうな家具店のリストを作って欲しいとのこと。次の日の夜7時に進捗を報告に来るように、とのことでした。
「赤毛組合」でも、組合員となった赤毛の質屋の主人が辞典を写す、という単純作業を毎日していましたね。また、支店がすべて国外にあるという設定も小賢しいなという気がします。
さて、この時、兄ピンナーはあまり無理しないで、遊びに出かけてもいいですよ、も笑顔で告げますが、金の詰め物をした歯がパイクロフトの目を引きました。最初に来た、弟ピンナーと同じ歯に、同じ物があったのを思い出したのです。同一人物!どういうことかさっぱり分からず、混乱したパイクロフトはロンドンへ戻ってホームズに相談に来たというわけでした。
Rather fine, Watson, is it not?
「なかなかいいね、ワトスン。違うかね?」
ホームズは話を聞き終えた後、この謎に嬉しそうにします。
There are points in it which please me.
「ちょっとワクワクさせるところがあるね」
で、兄?ピンナーにホームズが会いたいと言い、パイクロフトは2人を勤め口を探している友人だと紹介しましょうと提案します。
さて変わらずがらんとした部屋へ3人が入っていくと、ピンナーは夕刊の早刷り版を読んでいて、彼らに気が付きました。上げたその顔は、ひどい苦悩の表情をしていました。
I had never looked upon a face which bore such marks of grief, and of something beyond grief – of a horror such as comes to few men in a lifetime.
「私はこれまでで、このように、苦悩と、何か苦悩以上のものが現れた顔を見た事がない」
ワトスンは劇的ですね。
計画通り、パイクロフトはピンナーにバーモンジーの会計士ハリスさんのホームズと、地元の事務員プライスさんのワトスンを紹介します。この会社に職を見つけることはできるのではと言う問いかけに、ピンナーは色良い返事をしますが、最後にそろそろ出て行って、私を1人にしてください!と叫びます。
パイクロフトは自分はあなたの指示を受けるために約束の時間に来たのです、と主張します。すると、ピンナーはちょっとお待ち下さい、と外への出口のない続き部屋へ入って行きました。
ホームズたちが訝しんで、逃げようとしてるかも?我々を見て刑事だと思ったかも?と話していると、突然ドン!ドン!という音がしました。
鍵のかかったドアを破り、ホームズを先頭として続き部屋に入るとピンナーは自分のサスペンダーで首を吊っていました。すぐに下ろし、介抱すると、ピンナーは息を吹き返しました。
わけが分からない雰囲気が頂点に達した中、ホームズは謎解きをします。
Well, the whole thing hinges upon two points. The first is the making of Pycroft write a declaration by which he entered the service of this preposterous company.
「すべての出来事は2つの点にかかっている。まず第一はパイクロフトにこのとんでもない会社に入るという宣言書を書かせたことだ」
Why? There can be only one adequate reason. Someone wanted to learn to imitate your writing
「なぜ?誰かがあなたの筆跡を真似する練習をしようと思ったから」
話は第二のポイントに移ります。
you should not resign your place, but should leave the manager of this important business in the full expectation that a Mr. Hall Pycroft, whom he had never seen, was about to enter the office upon the Monday morning.
「あなたが自分の職を辞さないようするというピンナーの要求だ。これによって、モーソン&ウイリアムの管理者は、それまで会った事が無いホール・パイクロフトという人物が月曜の朝、事務所にやって来ると完全に思い込んでいるはずだ」
つまり成り替わりだったのです。辞める手紙を送られても困るし、誰かと会う機会やアクションを起こす可能性をできるだけ潰すためにバーミンガムへ追いやり、手間のかかる単純作業をさせたのでした。
そして替え玉が何をしていたかー。ホームズがピンナーがなぜ自殺をしようとしたのかが分からない、と話した時、声がします。
「新聞!」蘇生したピンナーでした。
部屋にあるイブニング・スタンダードに記事が載っていました。
Crime in the City. Murder at Mawson & Williams's. Gigantic Attempted Robbery.
「シティでの犯罪。モーソン&ウィリアムで殺人事件。向こうみずな強盗未遂」
概要は、こうでした。
ガードマンが殺され、多額の債権が奪われようとしたところ、不審人物に目を留めた巡査部長が追跡し逮捕した、と。べディントンという名の犯人は、最近ポール・パイクロフトとして雇われ、立場を利用して金庫の鍵の型を取っていた。悪名高い偽造者、押し込み強盗のペデイントンは最近弟と共に5年の刑期を終え刑務所から出てきたばかりだった。警察は目下弟の行方を探しているとのこと。
で、こちらバーミンガムに居たのは弟だったのです。パイクロフトをだますのはすべて弟べデイントンがやり、兄べディントンは替え玉となり犯行に及んだということでした。
これで事件解決、おしまいです。
さて、手口として風変わり、色彩的な特徴もあり、犯罪の手口と場面がミステリ的に映える「赤毛組合」に比べると、いかにも地味な話ではありますし、だいたい1回も面接せずに採用する会社なんてあるのかいな、というのから始まってツッコミを入れたくなるところがいくつもあり、まあ予想もつきますね。
ホームズとワトスンの関係性、健康で有能な若者でも仕事を得るのに苦労するという社会の現状、また失業者にされてしまったホームズ&ワトスン、「四つの署名」とのつながりなど、事件の謎以外の楽しみが多い話でしょうか。
自分の英語の実力が上がってるとは思いませんが、けっこうすらすらといけました。
さて、次つぎ。

11月書評の2
「アンゲラ・メルケル」
激動のヨーロッパを泳いだグローバル・ムッティ(お母さん)。頼れる感覚はすばらしい。
私も、あのコロナの演説に感心したクチだ。
「心の底から、まことに申し訳なく思います。しかし、私たちが払う代償が、1日590人の命だとすれば、私には受け入れられません。」
「いかにつらくともーホットワインやワッフルの屋台を皆さんがどれだけ楽しみにしているか、私には分かっていますー、飲食はテイクアウトにして家で味わうのみにすることへの合意が何より大事なのです。」
痛切だった。首相が真摯に謝り、明確な理由と決して難しくない物言いでクリスマス前の感染拡大抑制策を語り、感情がにじみ出る。危機に対するリーダーの明確なメッセージは、なかなか「響く」言葉を発せないわが国の首相の姿、また閉塞感のある現状と相まって、新鮮な信頼感を醸し出したのではないかと思う。
メルケルの人となりの記事で旧東ドイツの独裁政治下でさえ、真理は人間の力で動かせないから科学を学んだ、ということにも感動した。そんな憧憬すらあったメルケルの道のり、行動の性質、人柄などが書かれたこの作品は・・本当に面白かった。
物理学の博士号を取った若きメルケルは、1989年、ベルリンの壁崩壊という変化を目の当たりにし、末期の東ドイツで政治家となる。統一ドイツのCDU・キリスト教民主同盟では、2000年に党首となった。さらに2005年にはついに最年少、初の女性首相に就任。なんて急速な駆け上がり方、と驚いてしまう。
おしゃれや化粧に興味なし、首相官邸に住むのを嫌い自分のアパートに帰る、時に舞台劇を見に行き、週末は別荘で過ごす。離婚歴あり、旧東ドイツの女性。即答を避けじっくり考えるタイプで時に判断が遅い。実用性を尊重し、対話を重んずる。そしてメディアの単独インタビューにはほとんど応じない。
しかし表に見せない野心はあり策略家。痛快なところはその下剋上である。
かつて党首で首相ヘルムート・コールの政権で若手大臣だったメルケルは「コールのお嬢さん」と呼ばれていた。しかし党のヤミ献金問題が持ち上がった時、強烈なコール批判の原稿を新聞紙上に突然発表し恩人を追い落とした。誰もが唖然、原稿のことをほとんど誰にも言わず実行し平然としていたメルケル。
2005年の総選挙で首相シュレーダーのいるSPD・社会民主党に勝った時の文章の表現がまた傑作というか。
「シュレーダーは信じられなかった。立派な改革をしてきた自分が、あのぱっとしない女にしてやられるとは!」
敗北を認めないシュレーダーはテレビ討論で「彼女は首相の器ではありません!」と女性蔑視に凝り固まった態度で叫び、反感を招いて自滅する。ついにメルケルは最年少の51歳で、女性初の首相の座に就く。
「私は虚栄心の強い方ではありません。男性の虚栄心を利用するのがうまいのです」カッコ良すぎるな、メルケル。
首相になるということは、国際社会に出るということ。ただでさえEUは不安定なのに、ウクライナ危機でいきり立つプーチンを説得し、ギリシャ財政危機に対処し、上から目線のオバマには泣きながら意見し、パリ協定からの離脱を始めとして独自路線を取りたがるトランプやブレグジットを決めたイギリスにも対応しなければならなかった。「メルコジ(メルケルとサルコジ)」「メルコランド(メルケルとオランド)」などと呼ばれたフランス大統領たちとの付き合い。EUの砦と言っていい最前線での闘いは読んでいて強く興味をそそる。ドイツ国民のムッティ(お母さん)はまさに「グローバル・ムッティ」でもあった。
メルケルの腹心の部下「ガールズ・キャンプ」、専属の女性スタッフも興味深い。メルケルと同じくしゃれっ気がないが分身とも呼べるほど優秀そしてミステリアスなベアト・バウマン、対してメディア対応、企画、戦略を取り仕切るフェミニンなエーファ・クリスチャンセン。ドイツとヨーロッパを動かす女性たちは魅力的に映る。
慎重で安定をもたらし、聡明で頼れる雰囲気のあるムッティ、メルケル。
東日本大震災の福島の惨状から突然、党是と真反対の原発停止を言い出したり、100万人のシリア難民を受け入れる決断をし、治安の悪化を招いたなどとして批判され、極右勢力が進出するきっかけを作った、などのことはあるものの、16年間のメルケルの支持率は50パーセントを切ったことがなく70パーセントに達することもあったとか。
最後の仕事とも言えるコロナ禍で、世界に発信されたメッセージと態度は人々の心に響いた。
直接のインタビューはないものの、エネルギッシュな取材は質量ともに豊富。フランス大統領マクロンの直接インタビューもギリギリで間に合っている。著者はメルケルという政治家にかなり傾倒しているのが分かるので読む方も少し身構える。コロナ禍の発言で世界が感銘を受けたほどには、EUそして自国では受けが良くない面もあるようだ。まあ健全だと思う。
でもそれでもメルケルは魅力的だ。今回、読みたかった、求めていた事以上の内容に触れられて本当に面白かった。湾岸戦争、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、旧共産圏とソ連の消滅などの時期に国際政治を勉強していた身としては、あの時期に東ドイツの女性が政治を志した、という事実に惹かれたし、メルケルが国際問題で各国首脳と渡り合う部分などゾクゾクした。
こんなにガツガツ読んだのも久しぶりではないだろうか。主観ではありますが、お薦めだと言い切れる本でした。
◼️ 新藤兼人・田村章一
「宮澤賢治ーその愛ー」
映画ノベライズ。女性関係は知らなかった。雨ニモマケズ、でホロリと来た。
宮澤賢治は好きで、文芸関連はそれなりに読んでいる。しかし伝記や人となりを詳しく示した方面はノータッチだった。女性関係と関連した記録を知ることができて新鮮だった。
裕福な質屋の息子として生まれた賢治(映画では三上博史)は、小作農家の娘で幼なじみのキミコが売られたことから故郷花巻の農民の現実に暗澹とする。家業もうまくできず、激情型の自分が父・政次郎(仲代達矢)の期待に応えらないことに鬱屈とする。さらに最愛の妹・トシ(映画では酒井美紀)を失い悲嘆にくれる。
花巻農学校の教師として演劇や唱歌を作り文化的な活動をし、羅須地人協会で農業の指導を始めた賢治だったが凶作に見舞われ、病魔に犯され、自分は何もできないという念にかられてしまうのだった。
物語には幾人かの実在の女性が登場する。鼻炎治療のため入院した岩手病院の看護師、高橋ミネに憧れ、結婚すると思い詰めるが成就しなかった。羅須地人協会には、賢治に惚れた地元の音楽教師・高瀬露(牧瀬里穂)が押し掛けるが、賢治は頑なに拒む。
やがて伊豆大島に農業学校を造ろうとした伊藤七雄の招待で大島を訪問し、伊藤の妹チエ(中山忍)と心を通わせる。本気で結婚を考え、人に相談している。しかし37歳で早逝した賢治とチエとの恋は実らなかった。
女性関係以外にも、現在に伝わる「飢餓同盟」という劇の内容や羅須地人協会での生活、若き日の岩手山登山など興味深い点は多くあった。大きな焦点として、父との親子関係が挙げられる。
直木賞を取った「銀河鉄道の父」では、激情に駆られやすく、思いついたら実行に走る賢治と息子を想う父親の姿が描かれている。父の身からすれば、ホントにさぞかし大変な息子だったろうと思う。親の想い、そして賢治の劣等感ともがき。こちらでも決して確執ばかりでない姿がモチーフのひとつとなっていて心情を揺さぶる。ちなみに賢治の身を心配する母親・イチは八千草薫だ。
演出もおそらくはあるとは思うけれども、映画という形でこそ伝わるものもあるかも、知れないな、と。
賢治の死の直後に弟・清六が「雨ニモマケズ」を見つけるラストの流れにホロリとしてしまった。
チエとの恋が表現されているという「三原 第三部」を読んでみようかな。
11月書評の1
◼️ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスン「地球人のお荷物」
ハチャメチャなSFコメディ。破壊的パワーで笑える。
トーカ星のホーカ人。ホーカ・シリーズということで2冊にわたっているらしい。ご紹介でシャーロック・ホームズのパロディ「バスカヴィル家の宇宙犬」という短編があると知り読んでみた。笑えます。
哨戒艇の不時着でトーカ星に降り立ったアレグザンダー・ジョーンズ(アレックス)星間調査部隊少尉は、地球そっくりの環境に居た、テディ・ベアのようなホーカ人と出会う。
30年ほど前に地球人類はホーカ人を認識し、教化のために地球の文化・文明をトーカ星に持ち込んでいた。ところが天真爛漫でエネルギッシュすぎるホーカ人は、本で読んだり映像を見たりしたものにすぐ感化され、お芝居の世界を作り上げて、なり切りの楽しみをどこまでも追求する者たちであった。
アレックスが着いたときの話「ガルチ渓谷の対決」では西部劇の世界、続く「ドン・ジョーンズ」ではオペラ「ドン・ジョバンニ」の舞台世界、「宇宙パトロール」では星間宇宙戦争、そして「バスカヴィル家の宇宙犬」ではもちろんシャーロック・ホームズの長編「バスカヴィル家の犬」の世界が模倣される。マンガみたく思い込みとなりきり、現実とのギャップが当然あるがハチャメチャなりになんとか解決していくといった流れ。
おもしろかったのは「ドン・ジョーダン」。アレックスにはタニという大変嫉妬深い美女の恋人がいる。また地球でホーカ人代表団の世話を引き受ける公式ホステスのお色気レディ、ドラリーンがアレックスの部屋でわざわざシャワーを浴びるなどちょっかいを出してくる。嫉妬に駆られれば任務も仕事も関係なくなるタニが押し掛け、ホーカ人たちは覚えたてのドン・ジョバンニにアレックスをはめ込んでオペラの筋もちゃんと絡めつつ騒動を巻き起こす。深いのかそうでないのかは分からない笑。
もちろんもちろん、「バスカヴィル家の宇宙犬」もかなり楽しめた。このハチャメチャなノリは嫌いではない。おとぼけホーカ人のホームズがいてレストレイドもいて、星間麻薬密売人のナンバー・テンがおそらくステイプルトンで、テンを追ってきた星間検察局捜査員のホイットコム・ジェフリイはグレグスンに、アレックスはワトスンにされてしまって、どこかストーリーと役割、アレックスのモノローグが聖典そっくりになってくるのがオモロかしい。
ほかは正直イケイケすぎるのとマネッコする世界のスタンダードな知識が分からないから筋は分かる気もするが行間は読めない、この理解でいいのかと思いながらもスラスラ読み進む、っといった感じだった。
まるで吉本新喜劇を小説化したような。楽しめた一冊でした。
◼️幸田文「雀の手帖」
幸田文100日ぶんの名文エッセイ集。やっぱり好ましい。マイフェバリットの1つ。
幸田文は小説「流れる」「おとうと」「きもの」と読んて、いくつかのエッセイも堪能。小説も良いけれど、やっぱり随筆が抜群だと思う。
読んで明瞭な特徴がまずことば。
「とぱすぱしている」「ごろっちゃら」「からっ下手(ぺた)」「ばっ散らけた」「ぼろっ鳥」「やりてんぼう」「白っ剥げた(しろっぱげた)」
などと、ふだん口にされているのか、感覚的に造ったのかという、しかし語感の良く、ようすがよく分かるようなワードを使う。文章にリズムと新鮮さを与え、なぜか安心感まで漂う。チャーミングだ。
幸田文は幼い頃から家事の手伝いをして、酒屋に嫁に行き、出戻った家では主婦で、父の幸田露伴の死後その思い出を書き綴り文壇に注目された人。
その書き物にはことばばだけでなく、主婦の手仕事感、庶民の雰囲気が色濃く漂う。またユーモアも微笑ましい。
2月を生活周りの音で振り返った「二月尽」、同じく風で鳴る松の音を聴く「木の声」、お手伝いさんのおかしな思い出「気負い」、子どものいたずらを描いた「とうふ」など名文だと思う。「吹きながし」では少女の頃両腕に畳2枚を抱えた時に風が吹いて怖さを感じたというエピソードが出てくる。たくましい!笑
関東大震災に遭い、身体の弱った父を抱えて空襲に怯えた幸田文。この本では時の皇太子と美智子妃のご成婚を悦んでいて、生前母が美智子さんの時は人気がすごかったとよ、とよく言っていた当時の雰囲気が伝わってくる。戦前戦後を歩んだ日本人の感覚が根付いているのを感じ、知らず心を委ねていたりする。幸田文らしくきものを愛する気持ちもほの見える。
「墓参」では毎年墓参の時に行く店の変化、若旦那の縁談から子どもが出来て夫婦ともに貫禄がつくまでを書いている。特に口をきくわけでもないが、「元気かな、あ、元気だ。これでよし」と思うと。自分にもそういう店があるし、こうしたさりげない心情の描写もなかなか小粋だな。
名文の才かそれとも環境か、娘の青木玉も小気味いい文章で幸田文のまた別の面を描き出していて「幸田文の箪笥の引き出し」なぞは味わい深い。
読んでない作品も多いし、まだまだ楽しめそうでとても嬉しい気持ちになる。
10月書評の8
◼️瀬尾まいこ「幸福な食卓」
あえかで高いヴァイオリンの音のような悲しみ。やはりやるな、セオマイコー。
瀬尾まいこは少しずつ読んでいる。まだ本屋大賞の「そして、バトンは渡された」はまだ未読。一気に読まないのは、悲しみが、痛いからかも。
中学生の佐和子の父は、ある日突然、食卓で父さんをやめる、と宣言し、教職を辞めて大学の受験勉強を始める。母親は過去の家族の事件に心が耐えられず近くに別居していた。佐和子の兄の直ちゃんは天才と呼ばれたが大学には行かず野菜を作る団体で働いている。佐和子は普通の学校生活を送っていたものの、事件があった梅雨になるとどうしようもなく鬱になるー。
こう書くと、ひどく暗い話に見えるかもしれない。しかし父さんはせっせと勉強し、母さんはよく家に出入りして明るく過ごし、兄はいたって穏やかで恋人もいて妹思い。みななんとなくのんびりしていて、佐和子の日常も特段のものはないし、家族は仲が良い。
瀬尾まいこの小説は、こうなのだ。あれ?この本読んだっけ、と思うほど雰囲気が似ている。でも、フツーに、コミカルに、ただ過ぎていく日常ではなくて、そこには痛みがある。あれこれと微笑ましいエピソードが連なる中、その悲しみが、掠れた高音のヴァイオリンの調べのように横たわる。これが心を引っかく。すらすらと読みながら違和感に気持ちがざわつく。
思わぬカタストロフィが用意されていて、少し驚く。ドラマ映画ではよくあるけれど、鼻白むにはすでに物語につかまえられ、引き込まれている、
薄い悲しみと痛みとヘンな感覚の中、たくましく過ごしていた佐和子に降りかかるもの。
不幸の中に幸福を認識する。その手段だとしても子ども少年少女の悲しみはかなわないな。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、不協和音が混じりながら、穏やかで哀切の漂うメロディの中に突然といった感じで最初の盛り上がりどころが現れる。第1楽章のラストのヤマは、まるでこの小説の大波のようだ。
書いてる途中で最寄りのバス停に着いて、降りると近くの高校生たちがバスを待っていた。ちょっとだけ佐和子と重なった。
◼️ 井上章一「京都ぎらい」
関西在住としてウワサには聞いていたが、洛中と洛外の争い。ほぇーと声が出るおもしろさ。
2016新書大賞第1位だそうだ。あまり行っていなかった京都に興味を持ち出して数年。まあ芯となるネタは聞き及んでいたけども、改めてほぇ〜と唸る思いだった。
京都は御所を中心とした洛中があって、それ以外は有名な観光地でも京都市◯◯区であれ、すべて洛外である。
著者は嵐山の近く、右京区嵯峨野、清涼寺の近くで育ったそうだ。清涼寺といえば源氏物語で光源氏が造った「嵯峨の御堂」のモデルとみなされている。時の有力者源融の山荘だったところ。私は1人源氏物語めぐりで訪れ、ちょい感動した。
有名な嵐山も洛外、つまり洛中人からすれは田舎、源氏物語の美しい宇治十帖の舞台、京都府宇治市ももちろん洛外。宇治出身のプロレスラーが洛中の興行でマイクを握り、京都出身の自分が京都に帰ってきたというアピールをしたところブーイングと痛烈なヤジが飛んだという。
「宇治のくせに、京都と言うな」
平たくいえば嵯峨野で育ち宇治在住の著者が洛中人の思い上がりについて想いを記した本だ。この人は「関西人の正体」「阪神タイガースの正体」をものす学者で、その感情から京都の風俗や歴史について面白おかしく、時に自問自答しながら綴っている。
増服のお坊さんが店で芸妓と遊ぶ、というのもまた京都ならでは、花街は寺社で持っている、とか、懐かしい古都税を巡る拝観停止のエピソードなどなかなか楽しめる。
女の人が私も落ちたものだ、山科の男から縁談が来るようになったなんて、と嘆いたので、著者がなんであかんのですか、と訊いたところ、
「そやかて、山科なんていったら、東山が西の方に見えてしまうやないの」
との答えが返ってきたそうだ。
山科はいわゆる洛中から東方向の区で少し離れている。洛中から東へ行くと山科の手前に東山区がある。清水寺ほか有名な寺院が東山山麓に位置している。
山科に住む先輩にこのことを告げたところ、だからウチの母親はかつて山科に移り住むのを嫌がった、自分も本籍は中京区にしている、とのことだった。別の方からは洛中は西は天神川から東は白川通りまで、とか聞いた。うわ生々しい笑
嵯峨野はかつて後醍醐天皇が南朝を置いたところで、南朝の話から最後の方は対東京というわけのわからない話になっていく。笑
まあその、なかなか周囲の方々とこのネタで盛り上がれたという効用はあった。畿外の方々にはあまり関係のない話だろうけれども、楽しめた本ではありました。
こないだ嵐山に行った時、商店会が作ったという嵐山の絵カードを栞にしてた。