2021年9月17日金曜日

9月書評の4

◼️ Authur  Conan  Doyle 

The Adventure of the Illustrious Client

                                      〜高名な依頼人」


女性の敵に襲われたホームズ。


月イチホームズ原文読書、今月は晩年の最終短編集「The Case-Book of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの事件簿」よりの一篇。記念すべき?10作めです。短編はあと46。先は長い。


事件は1902年の3月に始まったと明記されてます。サセックス州に養蜂家として隠退する前の年。ワトスンと1881年に出会ってから21年が経っていました。ホームズの年齢は定かには書いてありませんが50歳手前だという説があるそうです。隠退早い?笑。この時点で、ワトスンはベイカー街のホームズと同居はしていませんでした。


サー・ジェイムズ・ダムリー大佐という上流社会の有名人がホームズに会いに来ます。彼はデリケートな問題の交渉や調停に有能だと評判でした。しかも物腰、態度、服装、すべてに出来た貴族です。



サー・ジェイムズが話すことには、いま彼が取り組む相手は非常に危険な男、ヨーロッパで妻を殺害した容疑のあるグルーナー男爵とのことでした。ホームズも彼が犯人と確信している、目撃者の不審死も怪しい、と同調します。



しかしながら、サー・ジェイムズが仲介役、ということが分かり、本当の依頼人を伏せる彼に、ホームズは事件の片方に謎があるのは慣れているが両方にある場合当惑しかない、この件お断りします、と突っぱねます。太陽のような容貌と物腰がある貴族でもお構いなし。ホームズはホームズですね〜。


動揺するサー・ジェイムズ。しかしなんとか、話せることだけ全部話すから聞いてほしい、と交渉。ホームズも問題そのものには興味がありますから、もちろん聞きます。



有名なド・メルヴィル将軍の娘・ヴァイオレットは若く美しく教養があり、

a wonder-woman in every way

どこから見てもすばらしい女性です。


この箱入り娘が恋をしました。最悪の相手でした。そう、グルーナー男爵です。男爵はチョーモテ男でした。ハンサムなのはもちろん、洗練されたマナー、ロマンスと神秘の雰囲気を持ち合わせており、本人もその魅力を大いに利用しています。


2人は地中海の船旅で知り合い、ヴァイオレットはグルーナーにのぼせ上がり、来月の結婚を望んでいる、と。身内のものは諦めさせるためあらゆる手段を講じたが、彼女は聞く耳を持たない状態だそうです。


The cunning devilずる賢い悪魔、グルーナーは女性関係や暴力沙汰の過去を、彼自身は常に無実の罪の犠牲者となるような言い方でヴァイオレットに吹き込みます。彼女は彼の言い分が唯一絶対で、他の人の言うことには耳を貸しません。


ここでホームズは、依頼人は将軍なんですね、と突っ込みますが、サー・ジェイムズは


I could deceive you by saying so, Mr. Holmes, but it would not be true.


「そうだと言ってあなたを騙すこともできます。ホームズさん、しかしそうではないのです。」


と答えます。謎を深め、かつサー・ジェイムズの誠実さ、有能さを物語るセリフです。


依頼人は将軍とサー・ジェイムズとの共通の親しい人物で、ヴァイオレットを小さな頃から知っており、大変心配している、とのこと。正体を明かすことは出来ないと重ねて説明します。


ことここに至って、ホームズは条件を呑むことにします。まずは情報屋として雇っているシンウェル・ジョンソンにコンタクトして調査を依頼、そしてグルーナー男爵に直接会いに出かけます。グルーナーは氷のように冷静で、滑らかな声で、ホームズに忠告します。


you will only ruin your own well-deserved reputation. It is not a case in which you can possibly succeed. You will have barren work, to say nothing of incurring some danger. Let me very strongly advise you to draw off at once.


あなたの名声を台無しにするだけだ。万に一つも成功の見込みはない。なんの成果も得られないでしょう。危険を招きますよ。すぐに手を引くことを強く忠告する、と。


すでに自分を非難する人たちが来るだろうから、どうあしらえばいいかもヴァイオレットには伝えている、とも冷笑とともに話します。どうやらグルーナーは

post-hypnotic suggestion、後催眠暗示を駆使しているようです。


そして最後に、自分の捜査をしていたフランス人探偵は暴漢に襲われ、一生不自由な身体になった、おやめなさい、と脅しをかけます。


いやあー陰湿で外見態度は秀でていて、女性に催眠術をかけ、暴力も使うよ、と直接的な脅しもかける。見事な敵役っぷり。ちなみに蝋で固めたちょび髭生やしてます。


ホームズ譚にはおなじみのシンプスンの店で夕食を摂った後、ホームズとワトスンはシンウェル・ジョンソンに会います。ジョンソンは若い女性を伴っていました。ミス・キティー・ウィンター。グルーナーに弄ばれた挙げ句捨てられた過去があるようで、激しい憎悪を燃やしていました。


Oh, if I could only pull him into the pit where he has pushed so many!


「ああ、あいつを穴に引きずり込めたら。あいつが数知れない女を落とした穴に!」


さらにウィンターはグルーナーが、これまでコレクションした女のことを事細かに書いてある茶色い革表紙の本を持っている、という情報をもたらします。奥の書斎の整理箱にある、と。


ともかく、ウィンターにグルーナーがどんな男か暴露してもらうため、ホームズはヴァイオレットと会う算段を整えたのでした。ヴァイオレットは父親への引け目もあって会談を受け入れました。


ヴァイオレットは


the ethereal other-world beauty

「現実離れした別世界の美しさ」を持つ令嬢でした。そして、ホームズに氷山から吹き下ろす風のような声でこう告げます。


I warn you in advance that anything you can say could not possibly have the slightest effect upon my mind.


「あらかじめ申し上げておきます。あなたが何をおっしゃっても、私の気持ちをほんのわずかも動かすことはできないと。」


ホームズは理を尽くして説得しますが剣もほろろの対応。要はあなたも金で動く人なんでしょ、とまで示唆されます。


そしてキティー・ウィンター。ホームズいわく


If ever you saw flame and ice face to face, it was those two women.

「もし炎と氷がぶつかり合うところを見たことがあるとすれば、この2人の女性はまさにそれだった。」


I am his last mistress. I am one of a hundred that he has tempted and used and ruined and thrown into the refuse heap, as he will you also. 


「アタシはあいつの最後の女さ。あいつが誘惑し、使い、滅ぼし、ゴミの山に投げ捨てた100人の女のうちの1人なのさ。あんたもそうなるのさ。」


結婚したが最後、あいつは死神だ。心臓を刺すかも知れないし首を折るかも知れない、何にしてもあんたを殺すだろうよ、とマシンガンのように言い募ります。これに対してヴァイオレットは冷たく言い放ちます。


I am aware of three passages in my fiancé's life in which he became entangled with designing women, and that I am assured of his hearty repentance for any evil that he may have done.

「私は婚約者がこれまで人生で下心のある女たちに捕まって、3度お付き合いしたことを知っています。そして彼が心から後悔していることを確信しています。」


ウィンターは負けていません。


Three passages!

You fool! You unutterable fool!


3回だって!?あんた、本当に馬鹿だよ、この大馬鹿!」


ヴァイオレットの髪を掴まんばかりに前へ出ようとするウィンターを止めたホームズ。当然ここまで、決裂でした。


この話を聞き終えて2日後、ワトスンは街角で驚きのあまり発作を起こしそうになります。新聞売りが掲げているプラカード


MURDEROUS ATTACK UPON

SHERLOCK HOLMES


「シャーロック・ホームズ氏への殺人未遂」


と書かれていたからです。


いやお!慌てて新聞を買うワトスン。道で暴漢2人に襲われ、ステッキで頭部と胴体を打たれ重傷!ベイカー街に駆けつけて行き会った医者に容体を聞きます。裂傷2か所で数針縫った、かなりひどい打ち身あり。そっと部屋に入ると、ホームズは弱々しい声ながら


「見た目ほどひどくはないんだ」


と強がる元気はありました。ホームズはフェンシングの達人ではあるものの、2人が相手では分が悪かったのでしょう。誰が差し向けたのかは火を見るより明らかでした。心配し憤るワトスンに、ホームズは、自分のケガをおおげさに喧伝して欲しいということ、キティー・ウィンター嬢の身が危険なのでジョンソンに言ってどこかへ避難させるよう頼みます。


ワトスンの吹聴のおかげで、そこまでではないにも拘らず、世間はホームズが死の淵をさまよっていると思い込みます。


7日めに抜糸したその日、グルーナー男爵が財政上の要件でアメリカに旅立つという記事が出ました。船旅しかないので、1回行ってしまえば当面戻って来ません。ホームズは当面の逃亡の気配を感じとり、焦ります。そしてワトスンに命じたことは・・


spend the next twenty-four hours in an intensive study of Chinese pottery.


これから24時間、中国磁器を徹底的に勉強してくれ、ということでした。なんの説明もなし。ワトスンも訊かず、言われた通りにして翌日の夕方、ベイカー街を訪れます。


ホームズは高そうな青い磁器を取り出して来ました。聞けば本物の明朝の卵殻磁器で、完全なセットになればking's ransom、王の身代金にもなり得るほどの価値だそう。サー・ジェイムズが手配、借り受けたものでした。


グルーナーは中華磁器のマニアで、アメリカ出発直前の慌ただしい時期でも高価な品を見られるとなれば必ず会う、との目論見でした。


手回しよくドクター・ヒル・バートンというワトスンの偽の名刺も用意され、今夜8時半に行く、との手紙も用意されました。ワトスンはこの品を見せて、場合によっては売ってもいい、という交渉をすることになりました。かくしてワトスンは医師兼コレクターと偽ってグルーナーに会いに出かけます。


グルーナーは目を輝かせます。実に素晴らしい!と。しかし抜け目はありません。これに匹敵するものはイギリスに1点あるだけ、どこから手に入れた?と尋問。ワトスンはそれは大した問題ではないと突っぱねます。以下、そうですね、やりとりを抜粋して関西弁にでもしてみましょう。


「妙ですなぁ。これほど価値のあるもんを取り引きするなら、全てを知りたいと思って当然ですやろ。これが本物なのは間違いありませんわ。でも、後になってそちらに売る権利がなかったらどうします?」


「それは保証しますわ」


「その保証にどれくらいの価値があるんか。この取り引きはやっぱり不自然ですわ。」


「買わないならそれでもかまわんですわ。他に買い手も見つかるでしょ。」


「自分が目利きやと手紙に書いてましたな。質問してよろしいか。聖武天皇は奈良の正倉院とどう関係してます?北魏王朝の陶磁器の歴史に関する位置づけは?」


(席を立って)知らんわー!絶対そないな失礼な質問には答えへんー!」


実際はもっと丁寧で社交的な言葉遣いなのですが笑、ここでグルーナーは本性を現します。


What is the game? You are here as a spy. You are an emissary of Holmes. This is a trick that you are playing upon me. The fellow is dying I hear, so he sends his tools to keep watch upon me. You've made your way in here without leave, and, by God! you may find it harder to get out than to get in.


「何が目的だ?お前は偵察に来たホームズのスパイだろう。計略というわけか。あの男は死にかけてる。だから俺を見張るためにお前を送り込んだ。お前は無断でここに入った。さあ大変だ!出て行くのは簡単じゃないぜえ。」


ああコワい!ばれた!ワトスンピンチか!


グルーナーは引き出しに手を突っ込んでかき回します。ピストルを探しているのか?

と、その時!グルーナーは何かを聞きつけます。


Ah!叫んだグルーナーは奥の部屋に飛び込みます。その部屋の大きな窓のそばには、なんと血まみれでやつれた顔をしたホームズが立っていました。


ホームズは窓を潜り抜け、外の月桂樹の茂みに着地、逃走します。グルーナーは窓へ駆け寄ります。次の瞬間でした。


茂みの葉の間から女性の腕が突き出たかと思うと、グルーナーが恐ろしい叫び声をあげ、両手で顔を覆いました。


ミス・キティー・ウィンターが硫酸を浴びせたのでした。


呪いの言葉を吐きながらのたうち回る男爵。ワトスンは顔の爛れたグルーナーに応急処置を施します。かかりつけ医と警官が到着したところでワトスンも退散、ベイカー街でホームズと落ち合います。さしものホームズも疲労困憊していました。


The wages of sin, Watson Watson – the wages of sin!

「罪の報酬だよ、ワトスン、報いだ!」


ホームズはあの手帳を手にしていました。グルーナーがコレクションした女たちについて詳しく書き留めた内容の。


ホームズいわく、ウィンターがこの手帳のことを口にした時に「これはとんでもない武器になる」と思ったが、狙いを漏らさないように黙っていた、と。ワトスンにも結局話しませんでしたよね。


ホームズが押し入って本を奪う間、ワトスンにグルーナーの注意をそらしてもらうのがこの奇妙な訪問の目的でした。ついでに正体が見破られることも予想はつき、心配していたとのこと。


短い時間に探し出さねばならず、在り処を正確に知りたかったホームズはウィンターに同行を頼んだ。しかしウィンターがマントの下に何かを大切に持っていたことは気付きましたがまさかこんなことになるとは予想していませんでした。


サー・ジェイムズがベイカー街に来て、報告を聴きました。


You have done wonders – wonders!

「あなたは驚くべき事をやり遂げましたね。驚くべき事を!」


サー・ジェイムズは手帳と磁器とを大切に持ち帰りました。一緒に道へと降りたワトスンはサー・ジェイムズが乗った馬車の紋章を見て息を呑みます。再び駆け上がり、息せき切ってホームズに伝えます。依頼人が分かったぞ!ホームズは落ち着いていました。


It is a loyal friend and a chivalrous gentleman,

Let that now and forever be enough for us.

「それは忠実な友人であり高潔な紳士。我々にとって現在も将来もそういうことにしておこう。」


グルーナーとヴァイオレットの結婚はなくなりました。キティー・ウィンターは情状を酌量され軽微な量刑ですみ、ホームズの窃盗等については、正当な目的があり、依頼人が十分に高名だったため、彼が被告席に立つことはありませんでした。


依頼人は、エドワード7世というのが通説だそうです。まあこの人も、プリンス・オブ・ウェールズ時代のスキャンダルを「ボヘミアの醜聞」の参考にされたりとホームズシリーズと縁が深い。


さてどうでしたでしょう。やや陰惨な結末となるものの、全体にはいくつもの目立つ要素があり、ハデめの物語だと思います。


外見も中身も評判もGOODな貴族、さらに高名な謎の依頼人。暴力的女たらしの詐欺師に名誉高き家の美しき箱入り娘。ホームズへの襲撃、包帯でぐるぐる巻きのホームズ、頭に滲む血、最後の回収劇、そして硫酸という衝撃的な幕切れ。



グルーナーはもう少し紳士かと思ったら狂気も混じった残虐性を覗かせます。東洋磁器のマニアでもあり、その多面性はキャラとしてはひとつの魅力ではありますね。


この物語の芯は、例の手帳のことについて、読者の視線をも逸らしたことではないかと思います。ホームズも自画自賛してますね。



例えば、ミステリーには「首のない死体は身代わり、すり替えを疑え」という鉄則があると考えます。いくつかの話を読んでいると、著者は最後の最後身代わりネタで勝負するために、読者がその点に注目する暇を与えず、次々と展開が動く、もしくは他に注目する材料を提示する流れにしていることが多いと感じます。


今作もそのような意図が匂います。愛人手帳の存在は記し、その後存在感を消す。このへん、読者を楽しませようという考えのもと、ドイルの、老練なプロットが垣間見えて嬉しくなったりします。



だいぶ長かったですね。おしまいです^_^




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