2021年9月12日日曜日

9月書評の2

たまに蒸し暑い日はあるものの、朝晩涼しく過ごしやすい。コンパクトな強力台風、台風14号はきょう石垣島近辺。今週ひょっとして列島に来るかもらしい。嫌だなぁと。

バスケロス。すぐにBリーグも始まるけど束の間。バスケットライブでウィンターカップの県大会決勝をやってくれるらしいので楽しみが増えた。

ちょっとストレスが溜まった週。頭の芯が痺れる感じ。顔には出さず、態度も穏やかにしてるが、触る言葉、出来事全てに敏感になる。

こういう時は睡眠。そもそも常に寝不足気味。幸い私は食べれない、眠れない、がない人。早寝に限ります。

土曜日の美の巨人たちで軽井沢の千住博美術館の特集を見た。滝は千住博得意のモチーフで、本当に良いものを掴んでいると思う。いまは滝の内側から見た自然がテーマで、水の隙間にカラフルな色が覗く。考えたな、その通りだな、と。やはり注目すべきアーティストである。

全国のモダンな図書館や雨晴海岸に立山連峰の写真を見て、旅に出られないご時世、憧れを引き立たせる。近いうちに行くべしやね。友人にも行きたいとこには行くべき、と言われてるし。

まだまだがんばるよ。


◼️ 「大鏡」

藤原氏が栄華を極める平安朝のウラ話。

歴史ものはもれなく興味深い。神代から幕末、近代までそれぞれ面白い。ことに大和朝廷から壬申の乱、さらに大仏開眼くらいまでの奈良を中心とした時代が好きで、永井路子、杉本苑子、黒岩重吾らの著作をだいぶ読んだ。

一時期ちょっと平安朝は敬遠する気分もあったけれど、源氏物語を通読し、その他の古典を読んだり、マンガ「応天の門」等で菅原道真の話に触れたり、京都を訪れたりしていると多すぎる(笑)藤原氏の系譜を整理して知りたい気分になってきた。

大宅世継、夏山繁樹といった180歳、190歳のスーパー老人が語る、850年から1025年までの、政権トピック。権勢の頂点をもたらした藤原道長を礼賛するきらいはあるけれど、猛妻、猛母、恋バナなどまさにウラ話てんこ盛りでなかなか楽しい。三蹟の書の名人、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成なども登場したりして興味深い。

初めて関白に就任しがっちりと権力の基盤を造った藤原基経、左大臣の時右大臣の菅原道真を太宰府に左遷させた藤原時平、道真のたたりなどの下りはやはり面白い。

そのひ孫の藤原兼家は藤原道綱母の夫で「蜻蛉日記」に散々に描かれたヒト。兼家の息子はそうそうたるメンツである。清少納言が仕えた中宮定子のお父さん藤原道隆、さらに七日関白の道兼、そして藤原道長。道長は兄たちの前で最初は目立たなかったようだ。しかし道隆、道兼が相次いで死ぬと権力を握り、娘の彰子に源氏物語で評判となっていた紫式部を仕えさせ、彰子を定子と同じ一条天皇の皇后へと押し込んだ。

その道長も、関白になれたのは姉で一条天皇の母、詮子が息子の天皇に猛烈に迫ったおかげだったとか。その強烈なエピソードもある。

ほか道長の肝試し、文人の醍醐天皇、また嫉妬深く気性の激しい妻・安子を持つ村上天皇の話などもおもしろかったり痛快だったり。


2人の老人が話したのは雲林院での菩提講だという。源氏物語で光源氏が籠った寺。こちらも平安の世では権勢を誇ったが廃れてしまい、いまは京都の紫野というところに小さな敷地と観音堂を残すのみ。大徳寺のあるこの辺りを訪れるのは好きで、コロナ前に源氏物語巡りをして、雲林院と、ほど近い紫式部の墓というのを観に行った。本書を読むとまた想像が広がる。

藤原の姓は中臣鎌足が賜り、壬申の乱で天智天皇サイドが負けたため一時期勢いが落ちる。しかしすぐに傑物藤原不比等が出て、また権力の中枢に食い込む。なんというか、仲麻呂とか師輔とか、公任とか、藤原氏はホントてんこ盛り。

天皇と藤原氏の権力者のウラ話、伊勢物語や源氏物語もそうだが、こんなに権力者のこと書いていいの?と思う。でも出てくるのがこの時代。その不思議さがまた好きである。やっぱり権力の内側は興味をそそられるよね。

◼️ ロバート・シーゲル「クジラの歌」

徹底されたクジラの視点。子クジラは成長のための旅路で「潜航」に挑み、光を得るー。

ザトウクジラのブリーチング、つまり海面から大きくジャンプする行動はアラスカをベースにした故星野道夫氏の写真とエッセイで目にして憧れている。たしか星野の本にこの「クジラの歌」は出てきた覚えがある。

図書館の本を眺めていて、見つけた瞬間借りることに決めた。これも楽しむべき出会い。

仔クジラのフルナは父、母、そして幼なじみのメス、ローテらと共に育てられ、ある日父に連れられて「大いなるクジラ」フラレカナとの邂逅を果たす。やがて成長したフルナは「孤独な巡航」、大海原への長旅へと出発し、本能に従って「潜航」を始めたー。

特に後半、物語の大半は人間との対決が焦点となる。捕らわれたローテらを救い出して逃げ切り、ようやくもとのポッド(群れ)に戻ったのも束の間、氷海に大規模な捕鯨船団が現れる。近代的な装備の前に、クジラたちは絶望的な状況まで追い詰められ、ポッドの長となっていたフルナは自らを囮にする決心をするー。

クジラを主人公に置き、透徹した設定と内容は神秘的であり、ブルーグリーンの海中や屈折する太陽の光を思い出させる。特に「潜航」のシーンは幻想的で闇と光と歌が交錯し、ひとつのクライマックスを形作っている。

「ドラえもん」でのび太くんがさまざまな道具を使って太平洋の海底を歩いて横断する話があった。海溝を降りているときに、のび太くんはクジラを発見する。こんな深くまで潜ってくるのか、とのび太くんがマンガ的にふつうに驚いていたのをよそに、なんてダイナミックで怖い光景だろう、と独り怖気にふるえた覚えがある。

深海の巨大なクジラ。おそらくどうしたって映像化できないこのシーンに綴られる不思議な現象には、想像力を刺激された。

メルヴィルの「白鯨」を意識したであろうという終盤のヤマ場は迫力で一気に読ませる。星野道夫だけではなく、伊藤潤「巨鯨の海」、「白鯨」のモデルとなった事件の記録、ナサニエル・フィルブリック「白鯨との闘い」などもかつて読んだ。小さな人間と巨大な鯨との対決には心惹かれるものもある。

幻想と迫真と。本作は長編で最後までクジラ目線に立った異色作で、新鮮な魅力を味わえた。

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