パラリンピックの車いすバスケにハマった1週間。決勝戦アメリカに、惜しい試合で負け銀メダル。ほんとうによくやったと思う。
オリンピック男子バスケット代表チームの練習試合から注目してて、男女本戦、3×3男女、そしてパラリンピックの車いすバスケ男女。オリパラバスケ終わったー。いまは一抹の寂しさがある。
しかし日本のバスケは進歩した。メダルなんて取ったこともない競技なのに、6つのうち5つは決勝トーナメント出場権を勝ち取り、うち2つは決勝戦まで駒を進めた。これを進歩といわずになにをいおう。
しかしながら高校野球でベスト4が全部近畿勢になる、という結果が見られた通り、危機的な中では、地元が強くなる。
ともかく、ありがとう。パリオリンピックを楽しみにしている。
◼️遠山一行「ショパン」
20歳までのショパン。観念的なところもある伝記的批評。
ショパンが20歳にして祖国ポーランドを離れたころまでの作品や行動とその動機を研究、分析している、伝記的批評?なんだろか。ともかく教科書のようにただ年代を追っているだけではない。
5年に1度のショパン国際ピアノコンクールは2020年開催の予定がコロナで1年延期され、今年行われる。先日予備予選が行われた。日本勢はコンサートのチケットが入手困難だという反田恭平、東大大学院卒、人気ユーチューバーピアニスト「かてぃん」こと角野隼斗、前回2015年に日本人唯一のファイナリスト小林愛実、やはり連続出場でファンの多い古海行子(やすこ)ら実力者が順調に通過した。本戦は10月スタート。「蜜蜂と遠雷」のモデルとなった浜松国際ピアノコンクールで2位に入り、予備予選を免除された牛田智大が加わる。日本人コンテスタントはバラエティ豊かで、期待できる顔ぶれが揃ったと思う。本当に楽しみだ。
前フリがついつい長くなった。本線前に少しショパンを勉強しておこうかなと読んだ本。
1991年の発行で、元の原稿はその20年前に書かれたそうだ。当時の方の、なのか著者特有なのか、それとも音楽批評はこうなりがちなのか、観念的、哲学的な表現がだいぶ混ざっているな、と思いつつ読み進めた。
ショパンが初めて作曲したのは6歳のとき。10代で多くの楽曲を作り、祖国を永遠に離れる20歳で2つのピアノ協奏曲を完成させている。モーツァルトの天才っぷりは有名だけれど、ショパンもまた凄いなあ・・。
20歳で海外に出たショパンはまた、同年齢のシューマンに「諸君諸君、天才だ。帽子をとりたまえ。」という有名な批評をされている。
なかなか気になる文章もある。人はモーツァルトを聴くとき、自分が見えないもの、死の予感や運命などがモーツァルトには見えていると確信する。しかし、ショパンの場合はずいぶんちがって、超越的な観念ではなく、あらゆる人が彼等の友人を発見する、うーんなるほどエチュードやノクターンの一部はそんな感じ。「子猫のワルツ」他ほかも。
ショパンは、ベートーヴェンとは正反対に、独自の形式を生み出したり、形式が楽想に新たな可能性をひらくといったことはなく、ひたすら音やメロディと向き合う。印象はそうかな。他の作曲家とは「巨匠」の意味が違うような感じがする。おまけに?万人の一致する評価としてオーケストレーションは下手。歌曲も書いてはいるがやはりピアノ専心のイメージだ。ふむふむ。
「ショパンの音は投げ上げられた小石のように定められた法則に従って地面に落下する。それはバレリーナの肉体に似ている。振付師はその肉体の上に抒情をうたわなければならず、ショパンの旋律は音が一つの肉体になって空中にえがく軌跡なのである。」
ふむむ。これは比喩が強すぎて分かんないかな笑。
さて、早熟のショパンくんの青春には恋愛もつきもので、特に初恋のコンスタンチア・グウァドコフスカへの憧れはピアノ協奏曲1番第2楽章に反映されていると言われ、後の愛人ジョルジュ・サンドも有名。
しかしながらポーランドで育ったショパンの場合、当時の国際情勢に左右された向きが強いようだ。ショパンは15歳の頃、ロシア皇帝アレクサンドルの前で演奏し、ダイヤモンド入りの指輪を賜ったりしている。
ロシア支配に対する反発は強く、ポーランドはついに独立を果たす。しかし快く思っていないロシアはショパンが20歳で出国した後、軍事侵攻によりワルシャワを陥落させる。なぜ出国したのか、なせもう戻らないくらいの気概があったのか、著者はショパンの交友関係に問題があり、当局に目をつけられていたのでは、と推測する。
ワルシャワ陥落の際に、ショパンは有名な「シュトゥットガルトの手紙」で嘆いてみせる。ちなみにショパンは親しいものに荒っぽい言葉は使うし感情的な表現もするものの、特に自分の評価については冷静で客観的な目で見ている。
有名なピアノ協奏曲1番はやはり祖国に、懐かしい家族に向けた惜別の大作なのかなと。確かに第1楽章の憂いを帯びたメロディーはそこに通じるかもしれない。今回もファイナルで何度も演奏されるであろう大作を聴くときに、過去の演奏を含め、想うことが増えそうだ。
最後に、ショパンの言葉を引用したい。出国の翌年の1831年、ワルシャワ陥落前にウィーンの公園を散歩した後、書かれたもの。
「私は樹々をながめ、春の香りをいつくしむ。この邪念のない自然は、幼い頃の気持を呼び戻させるようだ。嵐が近づく気配で家に戻る。嵐は来なかったが、心には悲しみが満ちている。今日は音楽でさえも私をなぐさめてくれない。もう夜がふけたが眠りたくない。何かがまちがっている。しかし私の二十代はもうはじまっているのだ。」
キングオブコンペティション、ショパン国際ピアノコンクールはすべてwebで演奏を観ることができる。本戦が本当に楽しみだ。
◼️ 綿矢りさ「手のひらの京」
京都歩きをしてるかのような文面。地元愛やね。
京都出身の著者が、京都の生活感を描いてみせる。読経の声で目が覚める、琵琶湖を海だと思い込む、など京都あるあるも多い。古式ゆかしそうな地名も、祇園祭、大文字焼き、冬の嵐山、などなどもあり、イベントごとも季節感もひと回り網羅されている感じ。
京都市の北寄りに住む奥沢家は、両親に姉妹3人。長女の綾香は図書館勤務、20代後半で結婚を焦っている。次女の羽依は大企業の1年めでモテ女。三女の凛は理系の大学院生、恋愛に興味なし。
綾香は羽依の職場の先輩とデートすることになり、羽依は社内の局たちから「いけず」に遭ってタンカを切り、ちょっとだけ付き合った上司にストーカーされる。凛は東京の企業に就職することに対しての、両親からの反対に悩む。
北山の方かなあ、というのがあり、京都市役所前駅とか御所、衣笠のキャンパスとか、河原町や祇園の通りの名前が出てきて、思い出しながら読んでいた。
実は、私も関西にすんでいながら長年京都シロートで、地理も何も分かったもんじゃなかったが、おととしの暮れに同級生たちと姉弟甥姪のプチ観光をガイドする必要が出てきてにわか勉強、下見にも(笑)行ったりした。京都に関係する小説家なども読んで、けっこう詳しくなったつもりである。またぜひ、何度も行きたい。
さて、物語については、巧さはあるのだろう。しかしながら若い恋は可愛らしすぎる。設定や舞台を見て「細雪」や「古都」を想像するのはいささか僭越というものかなと。もう少し突き抜けた何かが欲しいな、などと思っちゃったのでした。
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