2021年9月26日日曜日

9月書評の7

先週は「ドライブ・マイ・カー」観に行って今週は下の書評にあるように、たまたまウッディ・アレンの作品をリバイバルしていた。毎日朝9時からモーニングショーやってて1000円ポッキリ。京都以外の名画座も頑張ってるね。朝から人が並んでて、30人ほども入ってたのにびっくり。

相変わらずの恋愛コメディ。芸術味、小理屈、撮り方すべて、やっぱりウッディ・アレン。途中から出てくるペネロペ・クルスがもう異次元に美しく存在感があった。この作品で助演女優賞もらったとか。あとはロケハンが完璧。街も郊外も家もおしゃれで抜群にきれいだった。バルセロナ、いいな。

来週からBリーグ、女子アジアカップ、さらにはショパン・コンクール!


◼️ 村上春樹「女のいない男たち」

「ドライブ・マイ・カー」観に行ったので再読の短編集。なるほど。

カンヌ出品作、映画友たちが絶賛する「ドライブ・マイ・カー」を観に行った。原作がこの本の短編のひとつとのこと。村上春樹の新作は優しい本友たちのおかげでほとんど読んでいる。読んでから7年、しかもあまりハデとはいえないテーマの短編の1つのこととてどんな話かまったく覚えていなかった。

映画は3時間の作品で、長いのが苦手な鑑賞者の私はちょっと腰が引けていた。ところがどうしてどうして、時間はほとんど気にならず最後まで観切った。ストーリーに舞台劇「ワーニャ伯父さん」が織り込まれている構成で、ハデな大事件ではないけれど、当人たちにとっては決して小さくなく重い、人生の噛み合わなさと後悔と傷が描かれていた。

ふむふむ。で、どういう物語だったっけ、と本書を読み出した。

◇ドライブ・マイ・カー
妻を亡くした俳優・家福(かふく)が緑内障のため事務所に運転を差し止められ、若い女性のドライバー・みさきを雇う。運転の腕が抜群で無口なみさきに、家福は述懐する。亡くなった妻が、自分を愛しながら浮気を繰り返していたこと、その相手の1人と妻の死後友達になってたびたび飲みに行ったとー。

みさきの存在感、家福との距離感がなかなかおもしろいと思う。ラストに家福を諭すように説くセリフは、どこかコミカルな感もある。また妻と寝ていた、大した男じゃない俳優と見下した浮気相手から、物語の芯っぽい言葉を受け取る、このギャップがいいなと、改めて思う。

家福は映画と同じように車でカセットテープをかけて「ワーニャ伯父さん」のセリフを練習する。あ、こちらが原作か笑。また妻と寝た男については、もう少し、なんというか、若気が先走り、危うくしてある。そのためよけい芯の台詞とのギャップが目立つ。

映画を観ていて、短編の1つを3時間に膨らませたにしてはハルキ色が濃厚だな、なんて考えていた。本を読んでみると、映画に反映されているのは「ドライブ・マイ・カー」だけではなかった。

◇シェエラザード

羽原はなんらかの組織によって「ハウス」に送られ軟禁されている。近くに住む主婦が連絡係として羽原のために食料品その他の雑貨などを買い物して届け、セックスをする。そして行為の後、物語を始めるのだった。自分が高校生のころ、好きな男の子の家に、空き巣に入っていた話をー。

この、女がセックスの後、創作物語を話すというのは映画に取り入れられている。好きな男の子の家に忍びこむ、という話もそのまま。ただ、この短編にあるところの、その先が創作されている。なかなか興味深い。

◇木野

木野は、妻の浮気が原因でスポーツ用品の会社をやめ、2階が住居になっている都会のバーを営んでいた。離婚が正式に成立した後、不思議な雰囲気を漂わせた常連のカミタから、しばらく店を閉めて、遠くへ行った方がいいと強い忠告を受けた木野は旅をしながら、自分を見つめ直すー。

木野は、自分がした、正しくないこと、に気づいていく。ここではかなり怪奇な、ホラーっぽくさえあるストーリーになっているが、最後に木野が行き着く心境は、まさに映画のクライマックスの告白と重なる。

女のいない男たち、というモチーフは興味深い。なるほどこんな広げ方ができるのか、と思う。特殊だけれど読み応えのあるドラマとか、若い時代の恋愛エピソードを追想させるような話や、ちょっとありそうでなさすぎる篇とかも入っていたけど、まずまず楽しめる作品だった。オバマ元大統領も愛読していたとか。

余談。「イエスタディ」という篇に、女の子とウディ・アレンの映画を観に行く、という昔話があった。名画座でダイアン・キートンやミア・ファローと組んでいた時期の作品や新作を観に行った。で、週末用に映画館の予定を調べていたらなんとウディ・アレンがあったので観に行ってきた。「それでも恋するバルセロナ」。2008年の作品で、ウディ・アレンらしい恋エピソード、芸術色、理屈いっぱい。ロケハンが完璧で、風景も家も素晴らしかった。さすがの巨匠ですな。

◼️ 白洲正子「世阿弥」

分からないながら、しみじみ味わえる。著者の筆致はいつも不思議で、至芸?

白洲正子さんは十代の頃から能に熱中し、女性の身で多くの舞台をこなし、免許皆伝まで授かっている。世阿弥の花伝書が愛読書だったとのこと。世阿弥には深く、現代の能には厳しい、それぞれ愛情が感じられる。

世阿弥、11歳当時の幼名藤若は、当代一の名人であった父・観阿弥のもと居並ぶ大名の前で獅子を舞い、若き将軍足利義満の寵童となる。1374年のこと。

世阿弥といえば、秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり、で有名な「風姿花伝」だが36、7歳の頃にこの家伝書を書き始めていて、十二、三の少年期は童形で声も引き立ち、「時分の花」ともいうべき自然の美しさがある、と書いている。まさに自分の通ってきた道だった。

続いて二十四、五は一生の芸の定まる最初の時期、三十四、五は盛りの絶頂、四十以後は落ち初め、五十になったらもはや何もせぬ以外に手立てはない、よほどの名人なら花は残る、父観阿弥は五十二で亡くなる直前まで花やかに舞っていた、と書く。半分勇退したような身であっても花があった、と。

この項も解説はある。しかし白洲さんの、世阿弥の半生への愛を感じる。

ここから「花」「初心」「物真似」、舞と歌、そして老体・女体・軍体の「二曲三体」「幽玄」「仮面」「序破急」などについて世阿弥の遺した文章をもとにひもといていく。


この本を読み始めて、最初は停滞する。専門用語にて容赦してくれないし、世阿弥の書いた古文を長々と引用し、訳は後でまとめて載せるので行きつ戻りつしながら読まなきゃならないし、その後の解説と古文が遠くなるし。秩序立っていないように見えるから、んー?となる。ちなみにご本人もそういう意識があるからか、断りを入れたりしている。

やはり白洲さんの著書の「西行」を読んだ時も似たようなもので、歴史認識に文句を書いたりして、最初はどうも難があった覚えがある。いわば前半に波がある感じ。

でもですね、このスタイルは、なぜか、なぜか中盤以降しっくり来るのです。解説自体は、私には少々ハイレベルなので3分の1くらい分からない。でもしみじみと世阿弥が感じた世界と、白洲さんの傾倒っぷりに惹かれてしまうのです。

花、は一言では表せない。世阿弥の書いた「人の心に、思いもよらぬ感を催す手だて、これ花なり」というのもしっくりくるけれど、白洲さんは父・観阿弥の最後の姿と、稚児の美しさで認められた自分の最初の姿を二重写しにして世阿弥は花を感じでいたのではないかと説く。

女体、は能の場合、男性が女性を演じるのみならず、女性役が男装をして女性を演じることも多い。静御前の白拍子は、女性が男装して舞ったがその流れも生きているとのこと。なかなか倒錯的で興味深い。女役が美しかった役者は同時に筋骨隆々の弁慶役も上手かった、というエピソードは面白い。

幽玄、これこそは難しそう。藤原俊成以来の和歌の幽玄とは違い、世阿弥の幽玄は明るく健康的で、強ささえあったとか。

序破急、1日の番組の組み方も、一曲の流れも序破急。世阿弥は、貴人が突然、または遅れて来た時、宴会でいきなり申楽を催すことになった時の序破急の操り方をも述べている。いわば生きた序破急、に著者は注目する。


世阿弥は三代の将軍に仕えたが、第六代の足利義教は甥の音阿弥を重用し、世阿弥は疎まれ、さらに息子元雅が夭折、ついには71歳で佐渡へと流されてしまう。しかし本人は極めて闊達で、くじけず一連の小謡を作ったりしていた。寂しさを自然に受け入れて楽しんでいる、と著者は評している。

「風姿花伝」はすでに読み、また最近は能の謡曲の物語を、それこそ白洲さんの本で読んだ。今のところ能を観に行くというよりは、そのストーリー性に惹かれているのだが、世阿弥の魅力を改めて見せてもらい、理解が追いつかないながら、だいぶ楽しめた。

ただ私にとって白洲正子が書く伝記っぽい作品は読むのに時間がかかる。次は明恵上人のお話かな。また同じような過程を味わったりして。次あたりは楽しめるだろう笑。

9月書評の6

天気も良くて、朝晩はさむ涼しい。誕生日も過ぎて、秋本番。緊急事態宣言も解除されると言う。

もちろんここまでの自粛の経験もあり、昨冬は波が来たこともあり、節度を持って、動こうかな。

この栗は今夜の栗ごはんになりました。

◼️ 葉室麟「緋の天空」

大仏開眼に力を尽くした光明皇后。藤原氏側から見た権力争い。

光明皇后の話はずっと読みたかった。光明皇后は権力争いの策謀の中で皇后となったためかどうも人気がない。光明皇后発願の国分尼寺、法華寺には、光明皇后をモデルとした十一面観音菩薩像がある。私がこれまで観た中でもNo.1クラスに美しく、興味が湧く。

光あふれる、光明子。光明子の光の部分が読みたかった。

永井路子さんの著作を読み、すっかりファンになって杉本苑子さん、黒岩重吾さんにも楽しませたいだたいた。武士もののイメージがある葉室麟さん。一読し、きっと葉室麟さんも、永井路子さん好きなんだな、いやきっとそうだと思ったりした^_^

権力を掌握して専横するという役柄は敵役となりがちで、藤原氏も例に漏れない。この作品は珍しく藤原氏側から描いている。

主に元明天皇、元正天皇といった蘇我氏系の女たちを扱う「美貌の女帝」を裏返したような物語。

前フリは、長くなる。

いわゆる大化の改新、乙巳の変で中大兄皇子とともに蘇我氏を倒した中臣鎌足は藤原姓を賜る。しかし中大兄皇子が即位した天智天皇の側は壬申の乱で大海人皇子、後の天武天皇に敗れてしまう。鎌足の息子藤原不比等は若い頃不遇だったが、やがてその能力で頭角を表し、娘の宮子を文武天皇へ嫁がせ外戚となる。

その不比等は文武天皇の乳母であった県(あがた)犬養三千代をまた妻として安宿媛が生まれた。安宿媛はやがて幼なじみでもある軽皇子と結婚する。不比等が亡くなって後、不比等の子たち、武智麻呂、房前(ふささき)宇合(うまかい)、麻呂らは政敵の長屋王が左道、つまり邪悪な道を学び国家を傾けようとしている、との密告を受けて館を包囲、一族は自尽した。やがて天然痘が流行り、藤原4兄弟は1人残らず死に絶え長屋王の怨念と言われた。

物語の方は後の聖武天皇や藤原氏の政敵長屋王の息子膳夫、道鏡らは子供の頃からの知り合いで仲良く過ごす。しかし互いに想いがあった膳夫と安宿媛が結ばれることはなく道は分かれていく。長屋王は唐人の唐鬼を使ってさまざまな呪詛を朝廷へ仕掛ける。

高市皇子と穂積親王と但馬皇女の三角関係にも触れてある。但馬皇女は夫の通い婚の時代に自ら穂積親王を訪れ、朝、川を渡って帰るシーン、但馬皇女亡き後、穂積親王が詠んだ歌なども心地よく取り上げており、間違いなく永井路子ファンだと確信する。

時代劇は、多くがそうであるようにエンタテインメント的。その点葉室麟はバツグンだ。おもしろ楽しく読めるし、物語が浅くない感じがする。

十一面観音菩薩立像を見ても、光明皇后の手であるという書を見ても、そこにねじ曲がった色は感じられない。まっすぐで、きれいで、聡明にしか見えない。

長屋王の変やその後の乱、天然痘の大流行から夫の聖武天皇は気弱となり、なかなか平城京には戻って来ずに遷都を繰り返した。そんな中、光明子は夫を支え、大仏発願を提案する。

不比等の勢力伸長の道具に見えたり、長屋王の変のショックが大きく、また聖武天皇は頼りないし、その人格はあまり良い方向にクローズアップされて来なかった気がする。

もちろん出来すぎていると思うけれども、私の望み通りに、光り輝く光明皇后が読めたことは良かったと思う。初めて長屋王のイメージが揺らいだ。

奈良ものはもっと読みたいなっと。葉室麟テイストはとても良かった。一昨年の正倉院展では、大仏の開眼法要に光明皇后が付けていったという装飾具が出ていた・・かな?

また読もう、行こう。

◼️ イタロ・カルヴィーノ「不在の騎士」

戯曲のようで面白い。シェイクスピアのようでも、ギリシア悲劇のようでもある。

本友が推してたので興味を持った作品。設定もなかなか興味深く、おとぎ話っぽくもあり、楽しくもある。

白く輝く甲冑の騎士アジルルフォは戦いの腕前は超一流、ふだんは規律に厳しく、仲間達の手柄話も事実と違う部分があれば容赦なく指摘するカターい男。その実体は甲冑だけで中には人が入っていない生き物だった。疲れない、飢えも渇きもしないアジルルフォ。

父の仇のカリフを倒し、1人前の騎士になりたいロンバルドはサラセン人との戦いで窮地を女騎士ブラダマンテに救われ、惚れてしまう。しかしブラダマンテはアジルルフォに憧れていた。

アジルルフォが騎士の位を得たきっかけは15年前、純潔な乙女のソフロニアを悪漢から救ったことだったが、コーンウォール公の子息、トリスモンドという若者が、自分はソフロニアの子で、だから母は純潔ではなかった、と証言する。

自らの存在意義が揺らいだアジルルフォは盾持ちにと与えられた、少々頭の弱いグルドゥルーを連れ、ソフロニアを探して旅立つ。同じく告白により立場が危うくなったトリスモンドは自分の父がいるはずの聖騎士団を探してやはり出立する。アジルルフォの後をブラダマンテが追い、ロンバルドはブラダマンテの後を追ったー。

時は中世、スペインにもサラセン人がいたと書いてあるのでイスラム教徒との戦いが激しい頃。

まずもってアジルルフォの設定が面白い。中身のいない甲冑が実体。白銀の鎧、几帳面で規律に厳しく、理屈っぽい、空気を読まない性格。戦士として相当強い。後半では女色の誘惑を前にして、小粋な会話術を駆使して女性を退屈させず、手は出さずというそれまではうかがい知れなかった完璧な一面をも見せる。

途中で話の展開に遊びが入ったりする。そして労苦の多い道のりを、というかドタバタ的な経過を経て大団円に向かう。しかし、アジルルフォはー。という流れだった。

すらすら読めて、ちょっと変わったエンタメっぽくておもしろいと思う。取り違え、カン違い風味がシェイクスピアみたいだ。

なかなか興味深く読めました。3部作だそうなので、また読んでみようかな。

2021年9月17日金曜日

9月書評の5

東映太秦映画村。だいぶ前に行った。


きょうちょうど「ロストワールド ジュラシックパーク2」を観ている。


台風14号がこちらへ向かって接近中。990ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は25m、瞬間最大35m。このままいけば、大阪の下、和歌山県を横切る。勢力小さいとはいえ台風がまともに大阪湾。どうなることやら。


◼️ アーサー・コナン・ドイル「失われた世界」


地球上の隠された恐竜世界を描く物語の嚆矢とか。ドイルの影響は広く深い。単純に、おもしろい!


シャーロック・ホームズシリーズを生み出したコナン・ドイルはまた、他分野の小説でも開拓者だった。外界と隔絶されたため絶滅したはずの恐竜たちがいまだ暮らす秘境がある、というモチーフの今作が1912年に発表されると、次々と類似的な作品が書かれたという。


たまたまきょう、テレビで「ロスト・ワールド-ジュラシック・パーク2」がオンエアされる。この類の作品たちのもとになったのがドイルの今作かと思うとちょっとした感慨が。


南アメリカ・アマゾン川流域の地で翼竜を見たと主張するチャレンジャー教授は、背は低いが牡牛のように逞しく、黒髪は長く、横柄な目つきをし、また尊大で、暴力もふるう人物だった。彼の論は大きな反響と反発を招く。


動物学会館で行われた講演会ではチャレンジャーの主張を証明するための探検隊を募ることになり、批判派急先鋒のサマリー教授、探検の経験豊富で武器にも詳しいジョン・ロクストン卿、若い新聞記者のマローンが名乗りを上げたー。


一行を送り出したチャレンジャーはブラジルのパラで合流する。


大体ここまで記せば、この後の冒険に何が待っているかは想像できると思う。語り手はマローン。ワクワクするし、ゾクゾクするし、ロマンを味わえますよ。


しかしドイルの発想の豊かさと物語の織り込み方には感嘆してしまう。科学ものはジュール・ヴェルヌやHG・ウェルズが先行していたとはいえ、誰もが憧れるような世界の、単純に面白い話を独創できるのだから。スゴイねえ。


シャーロッキアン的には、頻度の高い、風景を説明する文章、大仰な仕掛けと現地人の描き方にワトスンの筆との類似点を見るのがちょっと楽しかったかな。


プレシオサウルス登場の描写、そして翼竜がロンドンの空へ逃げるシーンなどは実に心に響く。


実はホームズもの以外のドイル作品はほとんど読んでなくて、これもいまさらの初読み。先に読んだパロディ「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」にチャレンジャー教授が出演しているのを見て興味を持った。


とてもおもしろいですよ。


◼️ 石川九楊「書くー言葉・文字・書」


書は触覚の芸術。


ザバッ!と音がしそうなくらいの言い切りの批判、ズバーンという物言い。最初は正直笑ってしまったのだが、後半は面白くて熱中してしまった。やはり書道はおもしろいと思う。いまだ心の中にもう少し字が上手くなりたいな・・という気持ちもあるし。


本書で言いたいことの中心は見出しの通りで、触覚とは何か、ということを書き方から名書のお手本まで引いて解説してゆく。


2009年の出版。のっけから、世は書道ブームだけれども、マンガやテレビで取り上げられる書家、書道家の実態はあまりにもお粗末で、新聞でも彼らの恥ずかしいような字をタイトルに使っている、と強烈。


さらには、


「文学の価値は、個別の作品の良し悪しもあるだろうが、筋書きではなくて、文体にあると言うべきではないだろうか。村上春樹の小説を好きな人は、その文体が好きなのだ。」


「文学の価値は筋書きではない。恋愛小説の筋書きなど、どれも同じだと言っても過言ではないだろう。その文がどのような文体で書かれ、どんな文体で支えられているかに心打たれたり、嫌悪したりするのだ。」


読書家のみなさん苦笑なさるんじゃないかと。


続きで、そしてその文学のスタイル、文体を裏側で支えているのが書字のスタイルであり、これを書体と呼ぶ、と。なるほど、これに誘導したかったのですね^_^


まあまあ、最初は書は触覚だ、と言われてもサッパリ分からなかったのが、だんだんと興味ある内容になっていく。篆書体、隷書体、草書体、行書体に楷書体。


秦のころ?黎明期の篆書、隷書は漢時代で横に長い。これが、東アジア漢字文明圏へ広がっていく。そして隋・唐の時代に、かっちりとした楷書体が一つのスタイルとして確立される。流麗な王羲之、力強い顔真卿の書が支持される。



そして宋代の黄庭堅は、漢字の一部を小さくしたり、「三」の最後の横画を長く波打たせて書いたりと、より奔放にかつバランスを取るような書き方をした。清代の金農の書は、まるでデザインである。無限微動法というそうな。おもしろい、面白い。河東碧梧桐もなかなか



「字は筆触の集合体、すなわち力、力動なのである。力をぐっと入れて、すっと抜きながら筆画を書く。意識を持って書くべき部分と、書字の流れのなか、次へ移っていく過程で力を加える意識なくして結果的にできる部位がある。その区別をせずに、ずっと同じ力を加え続けるのでは、筆画や文字をうまく書けるはずがない。書は線の芸術ではなく、筆触と呼ぶ力と触覚の芸術なのである。」


基本的な文字を見ながら読むと、少しずつ飲み込めてくる、ような。基本は「トン・スー・トン」の三折法。ぐっと入って力を抜いて、止めでまた力を入れる。確かに一の中ほどは線が細くなっている。もちろん全部が全部そうではないし、はねやはらい他ほかもあって、解説を読んで名書の画像を見ると、やはり理解が深まる心地がする。


書には特に詳しいわけでもない、自分で筆を持つわけでもない。小学生のとき書道教室に2年間通い、毛筆と硬筆を習ったけれども字はヘタだ。教室は地元に出来た少年野球クラブの練習日と重なったからやめてしまった。でも書道というのはなぜか心の奥で確固として、でんと自分の中で座っている。中高とバスケ。一方で必修クラブは書道部を選び、「書は私の心の鏡です。」と言った先輩に憧れ、文化祭に出展してやんちゃな女バスの先輩方にからかわれた。高校でも芸術は書道にした。



興味はそこはかとなく続いていて、正倉院展ほかで当時の筆書を見ると、素朴できれいな文字に、悠久の時間の流れの向こう側を覗いたような気がして、感銘を受けることもしばしば。人気が高いという良寛の書の良さを堪能したいがまだ入り込めなかったりする。


折に触れ書道の本を読んだり、書道の展示会を見たり、楽しみのひとつだね。自分の中の書道、どこかでまた書く気になるだろか。微笑。




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9月書評の4

◼️ Authur  Conan  Doyle 

The Adventure of the Illustrious Client

                                      〜高名な依頼人」


女性の敵に襲われたホームズ。


月イチホームズ原文読書、今月は晩年の最終短編集「The Case-Book of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの事件簿」よりの一篇。記念すべき?10作めです。短編はあと46。先は長い。


事件は1902年の3月に始まったと明記されてます。サセックス州に養蜂家として隠退する前の年。ワトスンと1881年に出会ってから21年が経っていました。ホームズの年齢は定かには書いてありませんが50歳手前だという説があるそうです。隠退早い?笑。この時点で、ワトスンはベイカー街のホームズと同居はしていませんでした。


サー・ジェイムズ・ダムリー大佐という上流社会の有名人がホームズに会いに来ます。彼はデリケートな問題の交渉や調停に有能だと評判でした。しかも物腰、態度、服装、すべてに出来た貴族です。



サー・ジェイムズが話すことには、いま彼が取り組む相手は非常に危険な男、ヨーロッパで妻を殺害した容疑のあるグルーナー男爵とのことでした。ホームズも彼が犯人と確信している、目撃者の不審死も怪しい、と同調します。



しかしながら、サー・ジェイムズが仲介役、ということが分かり、本当の依頼人を伏せる彼に、ホームズは事件の片方に謎があるのは慣れているが両方にある場合当惑しかない、この件お断りします、と突っぱねます。太陽のような容貌と物腰がある貴族でもお構いなし。ホームズはホームズですね〜。


動揺するサー・ジェイムズ。しかしなんとか、話せることだけ全部話すから聞いてほしい、と交渉。ホームズも問題そのものには興味がありますから、もちろん聞きます。



有名なド・メルヴィル将軍の娘・ヴァイオレットは若く美しく教養があり、

a wonder-woman in every way

どこから見てもすばらしい女性です。


この箱入り娘が恋をしました。最悪の相手でした。そう、グルーナー男爵です。男爵はチョーモテ男でした。ハンサムなのはもちろん、洗練されたマナー、ロマンスと神秘の雰囲気を持ち合わせており、本人もその魅力を大いに利用しています。


2人は地中海の船旅で知り合い、ヴァイオレットはグルーナーにのぼせ上がり、来月の結婚を望んでいる、と。身内のものは諦めさせるためあらゆる手段を講じたが、彼女は聞く耳を持たない状態だそうです。


The cunning devilずる賢い悪魔、グルーナーは女性関係や暴力沙汰の過去を、彼自身は常に無実の罪の犠牲者となるような言い方でヴァイオレットに吹き込みます。彼女は彼の言い分が唯一絶対で、他の人の言うことには耳を貸しません。


ここでホームズは、依頼人は将軍なんですね、と突っ込みますが、サー・ジェイムズは


I could deceive you by saying so, Mr. Holmes, but it would not be true.


「そうだと言ってあなたを騙すこともできます。ホームズさん、しかしそうではないのです。」


と答えます。謎を深め、かつサー・ジェイムズの誠実さ、有能さを物語るセリフです。


依頼人は将軍とサー・ジェイムズとの共通の親しい人物で、ヴァイオレットを小さな頃から知っており、大変心配している、とのこと。正体を明かすことは出来ないと重ねて説明します。


ことここに至って、ホームズは条件を呑むことにします。まずは情報屋として雇っているシンウェル・ジョンソンにコンタクトして調査を依頼、そしてグルーナー男爵に直接会いに出かけます。グルーナーは氷のように冷静で、滑らかな声で、ホームズに忠告します。


you will only ruin your own well-deserved reputation. It is not a case in which you can possibly succeed. You will have barren work, to say nothing of incurring some danger. Let me very strongly advise you to draw off at once.


あなたの名声を台無しにするだけだ。万に一つも成功の見込みはない。なんの成果も得られないでしょう。危険を招きますよ。すぐに手を引くことを強く忠告する、と。


すでに自分を非難する人たちが来るだろうから、どうあしらえばいいかもヴァイオレットには伝えている、とも冷笑とともに話します。どうやらグルーナーは

post-hypnotic suggestion、後催眠暗示を駆使しているようです。


そして最後に、自分の捜査をしていたフランス人探偵は暴漢に襲われ、一生不自由な身体になった、おやめなさい、と脅しをかけます。


いやあー陰湿で外見態度は秀でていて、女性に催眠術をかけ、暴力も使うよ、と直接的な脅しもかける。見事な敵役っぷり。ちなみに蝋で固めたちょび髭生やしてます。


ホームズ譚にはおなじみのシンプスンの店で夕食を摂った後、ホームズとワトスンはシンウェル・ジョンソンに会います。ジョンソンは若い女性を伴っていました。ミス・キティー・ウィンター。グルーナーに弄ばれた挙げ句捨てられた過去があるようで、激しい憎悪を燃やしていました。


Oh, if I could only pull him into the pit where he has pushed so many!


「ああ、あいつを穴に引きずり込めたら。あいつが数知れない女を落とした穴に!」


さらにウィンターはグルーナーが、これまでコレクションした女のことを事細かに書いてある茶色い革表紙の本を持っている、という情報をもたらします。奥の書斎の整理箱にある、と。


ともかく、ウィンターにグルーナーがどんな男か暴露してもらうため、ホームズはヴァイオレットと会う算段を整えたのでした。ヴァイオレットは父親への引け目もあって会談を受け入れました。


ヴァイオレットは


the ethereal other-world beauty

「現実離れした別世界の美しさ」を持つ令嬢でした。そして、ホームズに氷山から吹き下ろす風のような声でこう告げます。


I warn you in advance that anything you can say could not possibly have the slightest effect upon my mind.


「あらかじめ申し上げておきます。あなたが何をおっしゃっても、私の気持ちをほんのわずかも動かすことはできないと。」


ホームズは理を尽くして説得しますが剣もほろろの対応。要はあなたも金で動く人なんでしょ、とまで示唆されます。


そしてキティー・ウィンター。ホームズいわく


If ever you saw flame and ice face to face, it was those two women.

「もし炎と氷がぶつかり合うところを見たことがあるとすれば、この2人の女性はまさにそれだった。」


I am his last mistress. I am one of a hundred that he has tempted and used and ruined and thrown into the refuse heap, as he will you also. 


「アタシはあいつの最後の女さ。あいつが誘惑し、使い、滅ぼし、ゴミの山に投げ捨てた100人の女のうちの1人なのさ。あんたもそうなるのさ。」


結婚したが最後、あいつは死神だ。心臓を刺すかも知れないし首を折るかも知れない、何にしてもあんたを殺すだろうよ、とマシンガンのように言い募ります。これに対してヴァイオレットは冷たく言い放ちます。


I am aware of three passages in my fiancé's life in which he became entangled with designing women, and that I am assured of his hearty repentance for any evil that he may have done.

「私は婚約者がこれまで人生で下心のある女たちに捕まって、3度お付き合いしたことを知っています。そして彼が心から後悔していることを確信しています。」


ウィンターは負けていません。


Three passages!

You fool! You unutterable fool!


3回だって!?あんた、本当に馬鹿だよ、この大馬鹿!」


ヴァイオレットの髪を掴まんばかりに前へ出ようとするウィンターを止めたホームズ。当然ここまで、決裂でした。


この話を聞き終えて2日後、ワトスンは街角で驚きのあまり発作を起こしそうになります。新聞売りが掲げているプラカード


MURDEROUS ATTACK UPON

SHERLOCK HOLMES


「シャーロック・ホームズ氏への殺人未遂」


と書かれていたからです。


いやお!慌てて新聞を買うワトスン。道で暴漢2人に襲われ、ステッキで頭部と胴体を打たれ重傷!ベイカー街に駆けつけて行き会った医者に容体を聞きます。裂傷2か所で数針縫った、かなりひどい打ち身あり。そっと部屋に入ると、ホームズは弱々しい声ながら


「見た目ほどひどくはないんだ」


と強がる元気はありました。ホームズはフェンシングの達人ではあるものの、2人が相手では分が悪かったのでしょう。誰が差し向けたのかは火を見るより明らかでした。心配し憤るワトスンに、ホームズは、自分のケガをおおげさに喧伝して欲しいということ、キティー・ウィンター嬢の身が危険なのでジョンソンに言ってどこかへ避難させるよう頼みます。


ワトスンの吹聴のおかげで、そこまでではないにも拘らず、世間はホームズが死の淵をさまよっていると思い込みます。


7日めに抜糸したその日、グルーナー男爵が財政上の要件でアメリカに旅立つという記事が出ました。船旅しかないので、1回行ってしまえば当面戻って来ません。ホームズは当面の逃亡の気配を感じとり、焦ります。そしてワトスンに命じたことは・・


spend the next twenty-four hours in an intensive study of Chinese pottery.


これから24時間、中国磁器を徹底的に勉強してくれ、ということでした。なんの説明もなし。ワトスンも訊かず、言われた通りにして翌日の夕方、ベイカー街を訪れます。


ホームズは高そうな青い磁器を取り出して来ました。聞けば本物の明朝の卵殻磁器で、完全なセットになればking's ransom、王の身代金にもなり得るほどの価値だそう。サー・ジェイムズが手配、借り受けたものでした。


グルーナーは中華磁器のマニアで、アメリカ出発直前の慌ただしい時期でも高価な品を見られるとなれば必ず会う、との目論見でした。


手回しよくドクター・ヒル・バートンというワトスンの偽の名刺も用意され、今夜8時半に行く、との手紙も用意されました。ワトスンはこの品を見せて、場合によっては売ってもいい、という交渉をすることになりました。かくしてワトスンは医師兼コレクターと偽ってグルーナーに会いに出かけます。


グルーナーは目を輝かせます。実に素晴らしい!と。しかし抜け目はありません。これに匹敵するものはイギリスに1点あるだけ、どこから手に入れた?と尋問。ワトスンはそれは大した問題ではないと突っぱねます。以下、そうですね、やりとりを抜粋して関西弁にでもしてみましょう。


「妙ですなぁ。これほど価値のあるもんを取り引きするなら、全てを知りたいと思って当然ですやろ。これが本物なのは間違いありませんわ。でも、後になってそちらに売る権利がなかったらどうします?」


「それは保証しますわ」


「その保証にどれくらいの価値があるんか。この取り引きはやっぱり不自然ですわ。」


「買わないならそれでもかまわんですわ。他に買い手も見つかるでしょ。」


「自分が目利きやと手紙に書いてましたな。質問してよろしいか。聖武天皇は奈良の正倉院とどう関係してます?北魏王朝の陶磁器の歴史に関する位置づけは?」


(席を立って)知らんわー!絶対そないな失礼な質問には答えへんー!」


実際はもっと丁寧で社交的な言葉遣いなのですが笑、ここでグルーナーは本性を現します。


What is the game? You are here as a spy. You are an emissary of Holmes. This is a trick that you are playing upon me. The fellow is dying I hear, so he sends his tools to keep watch upon me. You've made your way in here without leave, and, by God! you may find it harder to get out than to get in.


「何が目的だ?お前は偵察に来たホームズのスパイだろう。計略というわけか。あの男は死にかけてる。だから俺を見張るためにお前を送り込んだ。お前は無断でここに入った。さあ大変だ!出て行くのは簡単じゃないぜえ。」


ああコワい!ばれた!ワトスンピンチか!


グルーナーは引き出しに手を突っ込んでかき回します。ピストルを探しているのか?

と、その時!グルーナーは何かを聞きつけます。


Ah!叫んだグルーナーは奥の部屋に飛び込みます。その部屋の大きな窓のそばには、なんと血まみれでやつれた顔をしたホームズが立っていました。


ホームズは窓を潜り抜け、外の月桂樹の茂みに着地、逃走します。グルーナーは窓へ駆け寄ります。次の瞬間でした。


茂みの葉の間から女性の腕が突き出たかと思うと、グルーナーが恐ろしい叫び声をあげ、両手で顔を覆いました。


ミス・キティー・ウィンターが硫酸を浴びせたのでした。


呪いの言葉を吐きながらのたうち回る男爵。ワトスンは顔の爛れたグルーナーに応急処置を施します。かかりつけ医と警官が到着したところでワトスンも退散、ベイカー街でホームズと落ち合います。さしものホームズも疲労困憊していました。


The wages of sin, Watson Watson – the wages of sin!

「罪の報酬だよ、ワトスン、報いだ!」


ホームズはあの手帳を手にしていました。グルーナーがコレクションした女たちについて詳しく書き留めた内容の。


ホームズいわく、ウィンターがこの手帳のことを口にした時に「これはとんでもない武器になる」と思ったが、狙いを漏らさないように黙っていた、と。ワトスンにも結局話しませんでしたよね。


ホームズが押し入って本を奪う間、ワトスンにグルーナーの注意をそらしてもらうのがこの奇妙な訪問の目的でした。ついでに正体が見破られることも予想はつき、心配していたとのこと。


短い時間に探し出さねばならず、在り処を正確に知りたかったホームズはウィンターに同行を頼んだ。しかしウィンターがマントの下に何かを大切に持っていたことは気付きましたがまさかこんなことになるとは予想していませんでした。


サー・ジェイムズがベイカー街に来て、報告を聴きました。


You have done wonders – wonders!

「あなたは驚くべき事をやり遂げましたね。驚くべき事を!」


サー・ジェイムズは手帳と磁器とを大切に持ち帰りました。一緒に道へと降りたワトスンはサー・ジェイムズが乗った馬車の紋章を見て息を呑みます。再び駆け上がり、息せき切ってホームズに伝えます。依頼人が分かったぞ!ホームズは落ち着いていました。


It is a loyal friend and a chivalrous gentleman,

Let that now and forever be enough for us.

「それは忠実な友人であり高潔な紳士。我々にとって現在も将来もそういうことにしておこう。」


グルーナーとヴァイオレットの結婚はなくなりました。キティー・ウィンターは情状を酌量され軽微な量刑ですみ、ホームズの窃盗等については、正当な目的があり、依頼人が十分に高名だったため、彼が被告席に立つことはありませんでした。


依頼人は、エドワード7世というのが通説だそうです。まあこの人も、プリンス・オブ・ウェールズ時代のスキャンダルを「ボヘミアの醜聞」の参考にされたりとホームズシリーズと縁が深い。


さてどうでしたでしょう。やや陰惨な結末となるものの、全体にはいくつもの目立つ要素があり、ハデめの物語だと思います。


外見も中身も評判もGOODな貴族、さらに高名な謎の依頼人。暴力的女たらしの詐欺師に名誉高き家の美しき箱入り娘。ホームズへの襲撃、包帯でぐるぐる巻きのホームズ、頭に滲む血、最後の回収劇、そして硫酸という衝撃的な幕切れ。



グルーナーはもう少し紳士かと思ったら狂気も混じった残虐性を覗かせます。東洋磁器のマニアでもあり、その多面性はキャラとしてはひとつの魅力ではありますね。


この物語の芯は、例の手帳のことについて、読者の視線をも逸らしたことではないかと思います。ホームズも自画自賛してますね。



例えば、ミステリーには「首のない死体は身代わり、すり替えを疑え」という鉄則があると考えます。いくつかの話を読んでいると、著者は最後の最後身代わりネタで勝負するために、読者がその点に注目する暇を与えず、次々と展開が動く、もしくは他に注目する材料を提示する流れにしていることが多いと感じます。


今作もそのような意図が匂います。愛人手帳の存在は記し、その後存在感を消す。このへん、読者を楽しませようという考えのもと、ドイルの、老練なプロットが垣間見えて嬉しくなったりします。



だいぶ長かったですね。おしまいです^_^




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9月書評の3

◼️ 森見登美彦「夜行」

夜と朝、そこに横たわるのは深い闇の世界。
かなりおもしろかったホラー。

読み終わった時、自分の瞳がくるくると動いていたのが分かった。マスクをしてなければ、笑み崩れた口元が見えてただろう。「面白かった」。読了直後のカタルシスを得た顔の動き。久しぶりである。

10年ぶりに、英会話スクールの仲間たちが鞍馬の火祭りを観に集まり、大橋はひさびさに友人たちと会う。10年前の火祭りの夜、長谷川さんは会場で失踪し、彼女はこれまで見つかっていない。その夜、各々は自分が体験した怪異な話をそれぞれ語り出すのだった。中心にあるのは夭折の画家、岸田道生の「夜行」という連作の絵ー。

それは黒に白のグラデーションでのっぺらぼうの女性が描かれていた。尾道で妻が不思議な失踪をした話、飛騨でのカップルの行方不明、津軽での奇怪な三角屋根の家と友人の消失、天竜峡へ向かう列車での、不思議な高校生の少女との邂逅。岸田道生のかつての行動も露になっていく。そして鞍馬の夜、大橋は皆とはぐれたー。

人の消失と異世界への移行は恒川光太郎のような不気味さが、ホラーの味付け的には綾辻行人風味がした。岸田道生には「館シリーズ」の謎の建築家中村青司のようなイメージも湧いた。

最初は長谷川さんの失踪が物語に横たわり怪異感を引きずる謎であり、次々とゾッとする逸話が重なり、その中からキーとなりそうなピースが見えて来る、気がする。ラストにはまた大きな動きがある。

現れては失せる不気味な話、登場人物。旅での孤独感と非日常的な感覚を増幅させる。全てが明かされるわけではなく、現実と幻が転々とする。水、をそこはかとなく意識させている気もする。文面でも感じる、吸い込まれそうな異様な絵の感じ。

作中、暗闇の描写が印象的。暗くて見えないな、という感覚を思い出す。長野の善光寺のお戒壇巡りと、東京の国立天文台。お寺の地下の、まさに一寸先も見えない闇と、遠くに光はあるけれども、星を見るためだからか敷地に照明がなく周囲の暗さを実感する都会の暗闇。

ラストのまとめは得心がいったし、分からないところもまたホラー。よっく読み直したらまだ見えて来るものもあるかもだけど、今はいい。

おもしろい、んふふ、となった本でした。

◼️ 髙田郁「あきない世傳 金と銀 九 淵泉篇」

大ピンチに見舞われる巻。罠に落ちた五鈴屋。

大切な切り札、小紋染の型紙を持ち出して失踪した結。果たして結は、自分を後添えにとしつこく望んでいた両替商音羽屋へ走る。そして、呉服部門の主として、盗んだ型紙で商品を作り、五鈴屋で自らも行っていた様々な工夫を音羽屋でも実践する。五十鈴屋江戸店主の幸は、妹への甘さを痛感するのだった。

おまけに五鈴屋は、ひょんなことから咎めを受け、呉服屋仲間から除名されてしまう。除名されてしまうと呉服屋としての商売はできない。帯や木綿の太物だけの商いとなり、幸と五鈴屋は追い詰められるー。

お上から目をつけられ、巨額の上納金を納めたばかりでもあり、一連のことは偶然ではない、と助言をもらう幸。

しかしながら・・タネを聞かないと釈然とはしないかも。身内の恥ではあるし、相手は大手の両替商で、証拠はない。しかし型紙が使われたのは火を見るよりも明らか。これは盗まれたものだと、なぜ言い立てないか分からないかな。それから、仲間を外されたから単独で商売されることは許されない、ということも理屈が飲み込めない。たぶん現代的な目線であるだろうけれど。

五鈴屋は江戸へ出店して短期間で売上げを伸ばした。江戸の商売仲間にとって苦々しい存在だったに違いないのは分かる。しかし執拗で、かつかなり手間がかかる罠を仕掛ける理由は何なのか。これは「みをつくし料理帖」でも悪役に対してなんとなく単純化した図式だなあと思った感覚に似ている。

あれあれ、だいぶ批判的になってるかな。

まあまあ、このシリーズを貸してくれてる後輩は10巻から先は明るい感じ、と言ってたので、伏せておく期間として受け取ろう。

2021年9月12日日曜日

9月書評の2

たまに蒸し暑い日はあるものの、朝晩涼しく過ごしやすい。コンパクトな強力台風、台風14号はきょう石垣島近辺。今週ひょっとして列島に来るかもらしい。嫌だなぁと。

バスケロス。すぐにBリーグも始まるけど束の間。バスケットライブでウィンターカップの県大会決勝をやってくれるらしいので楽しみが増えた。

ちょっとストレスが溜まった週。頭の芯が痺れる感じ。顔には出さず、態度も穏やかにしてるが、触る言葉、出来事全てに敏感になる。

こういう時は睡眠。そもそも常に寝不足気味。幸い私は食べれない、眠れない、がない人。早寝に限ります。

土曜日の美の巨人たちで軽井沢の千住博美術館の特集を見た。滝は千住博得意のモチーフで、本当に良いものを掴んでいると思う。いまは滝の内側から見た自然がテーマで、水の隙間にカラフルな色が覗く。考えたな、その通りだな、と。やはり注目すべきアーティストである。

全国のモダンな図書館や雨晴海岸に立山連峰の写真を見て、旅に出られないご時世、憧れを引き立たせる。近いうちに行くべしやね。友人にも行きたいとこには行くべき、と言われてるし。

まだまだがんばるよ。


◼️ 「大鏡」

藤原氏が栄華を極める平安朝のウラ話。

歴史ものはもれなく興味深い。神代から幕末、近代までそれぞれ面白い。ことに大和朝廷から壬申の乱、さらに大仏開眼くらいまでの奈良を中心とした時代が好きで、永井路子、杉本苑子、黒岩重吾らの著作をだいぶ読んだ。

一時期ちょっと平安朝は敬遠する気分もあったけれど、源氏物語を通読し、その他の古典を読んだり、マンガ「応天の門」等で菅原道真の話に触れたり、京都を訪れたりしていると多すぎる(笑)藤原氏の系譜を整理して知りたい気分になってきた。

大宅世継、夏山繁樹といった180歳、190歳のスーパー老人が語る、850年から1025年までの、政権トピック。権勢の頂点をもたらした藤原道長を礼賛するきらいはあるけれど、猛妻、猛母、恋バナなどまさにウラ話てんこ盛りでなかなか楽しい。三蹟の書の名人、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成なども登場したりして興味深い。

初めて関白に就任しがっちりと権力の基盤を造った藤原基経、左大臣の時右大臣の菅原道真を太宰府に左遷させた藤原時平、道真のたたりなどの下りはやはり面白い。

そのひ孫の藤原兼家は藤原道綱母の夫で「蜻蛉日記」に散々に描かれたヒト。兼家の息子はそうそうたるメンツである。清少納言が仕えた中宮定子のお父さん藤原道隆、さらに七日関白の道兼、そして藤原道長。道長は兄たちの前で最初は目立たなかったようだ。しかし道隆、道兼が相次いで死ぬと権力を握り、娘の彰子に源氏物語で評判となっていた紫式部を仕えさせ、彰子を定子と同じ一条天皇の皇后へと押し込んだ。

その道長も、関白になれたのは姉で一条天皇の母、詮子が息子の天皇に猛烈に迫ったおかげだったとか。その強烈なエピソードもある。

ほか道長の肝試し、文人の醍醐天皇、また嫉妬深く気性の激しい妻・安子を持つ村上天皇の話などもおもしろかったり痛快だったり。


2人の老人が話したのは雲林院での菩提講だという。源氏物語で光源氏が籠った寺。こちらも平安の世では権勢を誇ったが廃れてしまい、いまは京都の紫野というところに小さな敷地と観音堂を残すのみ。大徳寺のあるこの辺りを訪れるのは好きで、コロナ前に源氏物語巡りをして、雲林院と、ほど近い紫式部の墓というのを観に行った。本書を読むとまた想像が広がる。

藤原の姓は中臣鎌足が賜り、壬申の乱で天智天皇サイドが負けたため一時期勢いが落ちる。しかしすぐに傑物藤原不比等が出て、また権力の中枢に食い込む。なんというか、仲麻呂とか師輔とか、公任とか、藤原氏はホントてんこ盛り。

天皇と藤原氏の権力者のウラ話、伊勢物語や源氏物語もそうだが、こんなに権力者のこと書いていいの?と思う。でも出てくるのがこの時代。その不思議さがまた好きである。やっぱり権力の内側は興味をそそられるよね。

◼️ ロバート・シーゲル「クジラの歌」

徹底されたクジラの視点。子クジラは成長のための旅路で「潜航」に挑み、光を得るー。

ザトウクジラのブリーチング、つまり海面から大きくジャンプする行動はアラスカをベースにした故星野道夫氏の写真とエッセイで目にして憧れている。たしか星野の本にこの「クジラの歌」は出てきた覚えがある。

図書館の本を眺めていて、見つけた瞬間借りることに決めた。これも楽しむべき出会い。

仔クジラのフルナは父、母、そして幼なじみのメス、ローテらと共に育てられ、ある日父に連れられて「大いなるクジラ」フラレカナとの邂逅を果たす。やがて成長したフルナは「孤独な巡航」、大海原への長旅へと出発し、本能に従って「潜航」を始めたー。

特に後半、物語の大半は人間との対決が焦点となる。捕らわれたローテらを救い出して逃げ切り、ようやくもとのポッド(群れ)に戻ったのも束の間、氷海に大規模な捕鯨船団が現れる。近代的な装備の前に、クジラたちは絶望的な状況まで追い詰められ、ポッドの長となっていたフルナは自らを囮にする決心をするー。

クジラを主人公に置き、透徹した設定と内容は神秘的であり、ブルーグリーンの海中や屈折する太陽の光を思い出させる。特に「潜航」のシーンは幻想的で闇と光と歌が交錯し、ひとつのクライマックスを形作っている。

「ドラえもん」でのび太くんがさまざまな道具を使って太平洋の海底を歩いて横断する話があった。海溝を降りているときに、のび太くんはクジラを発見する。こんな深くまで潜ってくるのか、とのび太くんがマンガ的にふつうに驚いていたのをよそに、なんてダイナミックで怖い光景だろう、と独り怖気にふるえた覚えがある。

深海の巨大なクジラ。おそらくどうしたって映像化できないこのシーンに綴られる不思議な現象には、想像力を刺激された。

メルヴィルの「白鯨」を意識したであろうという終盤のヤマ場は迫力で一気に読ませる。星野道夫だけではなく、伊藤潤「巨鯨の海」、「白鯨」のモデルとなった事件の記録、ナサニエル・フィルブリック「白鯨との闘い」などもかつて読んだ。小さな人間と巨大な鯨との対決には心惹かれるものもある。

幻想と迫真と。本作は長編で最後までクジラ目線に立った異色作で、新鮮な魅力を味わえた。

2021年9月5日日曜日

9月書評の1

パラリンピックの車いすバスケにハマった1週間。決勝戦アメリカに、惜しい試合で負け銀メダル。ほんとうによくやったと思う。

オリンピック男子バスケット代表チームの練習試合から注目してて、男女本戦、3×3男女、そしてパラリンピックの車いすバスケ男女。オリパラバスケ終わったー。いまは一抹の寂しさがある。

しかし日本のバスケは進歩した。メダルなんて取ったこともない競技なのに、6つのうち5つは決勝トーナメント出場権を勝ち取り、うち2つは決勝戦まで駒を進めた。これを進歩といわずになにをいおう。

しかしながら高校野球でベスト4が全部近畿勢になる、という結果が見られた通り、危機的な中では、地元が強くなる。

ともかく、ありがとう。パリオリンピックを楽しみにしている。


◼️遠山一行「ショパン」

20歳までのショパン。観念的なところもある伝記的批評。

ショパンが20歳にして祖国ポーランドを離れたころまでの作品や行動とその動機を研究、分析している、伝記的批評?なんだろか。ともかく教科書のようにただ年代を追っているだけではない。


5年に1度のショパン国際ピアノコンクールは2020年開催の予定がコロナで1年延期され、今年行われる。先日予備予選が行われた。日本勢はコンサートのチケットが入手困難だという反田恭平、東大大学院卒、人気ユーチューバーピアニスト「かてぃん」こと角野隼斗、前回2015年に日本人唯一のファイナリスト小林愛実、やはり連続出場でファンの多い古海行子(やすこ)ら実力者が順調に通過した。本戦は10月スタート。「蜜蜂と遠雷」のモデルとなった浜松国際ピアノコンクールで2位に入り、予備予選を免除された牛田智大が加わる。日本人コンテスタントはバラエティ豊かで、期待できる顔ぶれが揃ったと思う。本当に楽しみだ。


前フリがついつい長くなった。本線前に少しショパンを勉強しておこうかなと読んだ本。

1991年の発行で、元の原稿はその20年前に書かれたそうだ。当時の方の、なのか著者特有なのか、それとも音楽批評はこうなりがちなのか、観念的、哲学的な表現がだいぶ混ざっているな、と思いつつ読み進めた。

ショパンが初めて作曲したのは6歳のとき。10代で多くの楽曲を作り、祖国を永遠に離れる20歳で2つのピアノ協奏曲を完成させている。モーツァルトの天才っぷりは有名だけれど、ショパンもまた凄いなあ・・。


20歳で海外に出たショパンはまた、同年齢のシューマンに「諸君諸君、天才だ。帽子をとりたまえ。」という有名な批評をされている。


なかなか気になる文章もある。人はモーツァルトを聴くとき、自分が見えないもの、死の予感や運命などがモーツァルトには見えていると確信する。しかし、ショパンの場合はずいぶんちがって、超越的な観念ではなく、あらゆる人が彼等の友人を発見する、うーんなるほどエチュードやノクターンの一部はそんな感じ。「子猫のワルツ」他ほかも。


ショパンは、ベートーヴェンとは正反対に、独自の形式を生み出したり、形式が楽想に新たな可能性をひらくといったことはなく、ひたすら音やメロディと向き合う。印象はそうかな。他の作曲家とは「巨匠」の意味が違うような感じがする。おまけに?万人の一致する評価としてオーケストレーションは下手。歌曲も書いてはいるがやはりピアノ専心のイメージだ。ふむふむ。



「ショパンの音は投げ上げられた小石のように定められた法則に従って地面に落下する。それはバレリーナの肉体に似ている。振付師はその肉体の上に抒情をうたわなければならず、ショパンの旋律は音が一つの肉体になって空中にえがく軌跡なのである。」


ふむむ。これは比喩が強すぎて分かんないかな笑。


さて、早熟のショパンくんの青春には恋愛もつきもので、特に初恋のコンスタンチア・グウァドコフスカへの憧れはピアノ協奏曲1番第2楽章に反映されていると言われ、後の愛人ジョルジュ・サンドも有名。


しかしながらポーランドで育ったショパンの場合、当時の国際情勢に左右された向きが強いようだ。ショパンは15歳の頃、ロシア皇帝アレクサンドルの前で演奏し、ダイヤモンド入りの指輪を賜ったりしている。


ロシア支配に対する反発は強く、ポーランドはついに独立を果たす。しかし快く思っていないロシアはショパンが20歳で出国した後、軍事侵攻によりワルシャワを陥落させる。なぜ出国したのか、なせもう戻らないくらいの気概があったのか、著者はショパンの交友関係に問題があり、当局に目をつけられていたのでは、と推測する。


ワルシャワ陥落の際に、ショパンは有名な「シュトゥットガルトの手紙」で嘆いてみせる。ちなみにショパンは親しいものに荒っぽい言葉は使うし感情的な表現もするものの、特に自分の評価については冷静で客観的な目で見ている。


有名なピアノ協奏曲1番はやはり祖国に、懐かしい家族に向けた惜別の大作なのかなと。確かに第1楽章の憂いを帯びたメロディーはそこに通じるかもしれない。今回もファイナルで何度も演奏されるであろう大作を聴くときに、過去の演奏を含め、想うことが増えそうだ。


最後に、ショパンの言葉を引用したい。出国の翌年の1831年、ワルシャワ陥落前にウィーンの公園を散歩した後、書かれたもの。


「私は樹々をながめ、春の香りをいつくしむ。この邪念のない自然は、幼い頃の気持を呼び戻させるようだ。嵐が近づく気配で家に戻る。嵐は来なかったが、心には悲しみが満ちている。今日は音楽でさえも私をなぐさめてくれない。もう夜がふけたが眠りたくない。何かがまちがっている。しかし私の二十代はもうはじまっているのだ。」

キングオブコンペティション、ショパン国際ピアノコンクールはすべてwebで演奏を観ることができる。本戦が本当に楽しみだ。

◼️ 綿矢りさ「手のひらの京」

京都歩きをしてるかのような文面。地元愛やね。

京都出身の著者が、京都の生活感を描いてみせる。読経の声で目が覚める、琵琶湖を海だと思い込む、など京都あるあるも多い。古式ゆかしそうな地名も、祇園祭、大文字焼き、冬の嵐山、などなどもあり、イベントごとも季節感もひと回り網羅されている感じ。

京都市の北寄りに住む奥沢家は、両親に姉妹3人。長女の綾香は図書館勤務、20代後半で結婚を焦っている。次女の羽依は大企業の1年めでモテ女。三女の凛は理系の大学院生、恋愛に興味なし。

綾香は羽依の職場の先輩とデートすることになり、羽依は社内の局たちから「いけず」に遭ってタンカを切り、ちょっとだけ付き合った上司にストーカーされる。凛は東京の企業に就職することに対しての、両親からの反対に悩む。

北山の方かなあ、というのがあり、京都市役所前駅とか御所、衣笠のキャンパスとか、河原町や祇園の通りの名前が出てきて、思い出しながら読んでいた。

実は、私も関西にすんでいながら長年京都シロートで、地理も何も分かったもんじゃなかったが、おととしの暮れに同級生たちと姉弟甥姪のプチ観光をガイドする必要が出てきてにわか勉強、下見にも(笑)行ったりした。京都に関係する小説家なども読んで、けっこう詳しくなったつもりである。またぜひ、何度も行きたい。

さて、物語については、巧さはあるのだろう。しかしながら若い恋は可愛らしすぎる。設定や舞台を見て「細雪」や「古都」を想像するのはいささか僭越というものかなと。もう少し突き抜けた何かが欲しいな、などと思っちゃったのでした。

8月書評の7

8月は13作品12冊。まずまず充実していた月だった。コロナウィルスはデルタ株が猛威をふるい、各地の過去最多記録を軽々と更新して、兵庫県もついに1000人越え。一時期280人とかが最高だったころはもはや悠久のかなた。

8/20から緊急事態宣言が発令され、ピークアウトの兆候がみえている。対策が功を奏したかはともかく、どの波にもピークはあるようだ。私もワクチンの接種が2回終わり。感染はするのでこれまで通り注意するだけだ。


◼️ 宮部みゆき
「泣き童子 三島屋変調百物語三之続」

残暑の中の怪異譚。充実した巻!

残暑はまだきびしいし、この季節にこそ怪談!という気分があってシリーズ読み。

以前も書いたけれど、宮部みゆきは上手さが先行してるような感があってやや苦手ぎみだったけれど、この巻は絶好調、筆のノリが感じられて面白かった。

わけあって江戸の袋物屋の叔父夫婦に預けられている18歳のおちか。叔父の発案で怪奇な物語を聞き捨て、語り捨てで集める趣向の聞き役となる。すでに評判は広がり、きょうもおちかは「黒白の間」で町の語り手からもたらされる不思議な話に耳を傾けるー。

今回はなかなかぞっとする話もあり、また外へ百物語を聞きに出掛ける趣向もありでバリエーションが豊か。なんといっても中心は「まぐる」だった。既読の「荒神」を想起させるかのような正体不明のとんでもない生き物が荒れ狂う。なんか「進撃の巨人」なんて思い出したりして。

綾辻行人の「殺人鬼」シリーズも、殺人鬼という生き物が、残虐至極に子供から大人まで殺しまくる話だけれど、いっそフィクションと割り切れるからか、逆に独特の吸引力があった。

解説によれば、著者は「これまで以上に、やりたい放題やらせていただいた感じです(笑)」とコメントしているとか。宮部みゆきの好みが炸裂し、読んでいてノリノリなのが分かるような気がした。まさにアヤツジの「殺人鬼」にも似た感覚に捉われた。

「怪異を語り、怪異を聴くと、日頃の暮らしのなかでは動かない、心の深いところが音もなく動く。何かがさざめき立つ。それによって重たい想いを背負うこともあるが、一方で、ふと浄められたような、目が覚めたような心地になることもあるのだ。」

この作中の言葉はいやー名文、と唸らされることしきり。

まとまりがよく、楽しめた巻でした。