2021年6月26日土曜日
6月書評の4
クッキーが血尿で病院。これまでのような病気ではなく、複合的な症状を引き起こすクッシング症候群のよう。すぐに危険になることはないが、熱が高めで、活力がない。
レオンも夏バテで食欲がなくなったり、さらに動かなくなって夜徘徊が酷かったり、よほどのことがないと目覚めない私もしばしば不眠にさせられた。食べても戻してしまうので点滴を打ちに行ったりしている。いまはまだ気温も上がりきらず、夜は涼しい。真夏はやはりエアコンさんのお世話になるかな。2頭とも老齢やけんねえ。
◼️ 守山実花
「食わず嫌いのためのバレエ入門」
まずは見ること。クマテツの十八番「ドン・キホーテ」観よう。
熊川哲也のバレエカンパニーの舞台「ドン・キホーテ」が映画館で上映される。 SNSの告知で興味を持ち、またバレエの先生の友人、娘さんのバレエを見守る母親さんの友人から話を聞いたりして、観てみる気になっている。
なんにも知識がない私にはまず入門編だと借りてきた。ふむふむ。
代表的な作品は「ラ・バヤデール」「海賊」「ドン・キホーテ」・・やばい。前2作は演目の名前も知らなかった。
ドン・キホーテは文学的大作のダイジェストではなく、ある一部を拡大したものらしい。
ドンとサンチョ・パンサが立ち寄った街・セビリアが舞台の、アクティブな恋物語。
それぞれモテ男、モテ女の恋人同士、床屋のバジルと宿屋の娘キトリ。キトリの父はバジルを嫌い、金持ちの息子・ガマーシュに嫁がせようとする。ドン・キホーテはキトリを見るなり憧れのドルネシア姫と思い込み、てんやわんやの騒動の中逃げ出すバジルとキトリ。
追いかけた先で観た人形劇を現実と混同したドン・キホーテ、風車を悪者と思い込み、飛びかかったが風車の羽根にひっかかって地面に叩きつけられ、昏倒して夢を見る。ドルネシア、森の妖精、キューピッドたちと出会う夢。ドルネシアはキトリの二役らしい。
一方父に見つかりガマーシュとの結婚を迫られるキトリ、バジルはやおら床屋の動画、剃刀を取り出して自らの腹に突き立てる。嘆くキトリはドン・キホーテを巻き込んで父に嘆願。しぶしぶ父が許すとバジルは跳ね起きて2人は結婚する。盛大な結婚式を見届けて、ドン・キホーテは旅を続ける。
という話らしい。ふむふむ。楽しそうだ。ラテン気質が垣間見える。
いわゆるクラシックバレエは19世紀末にロシアで確立されたものを指すようで、この本では後に出てくる。高度な様式美を備えた古典という扱いのようだ。おカタいものを後にするこの順番が、食わず嫌いのための入門編を意識している?笑
チャイコフスキーの楽曲に乗る「眠れる森の美女」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」。
クラシックファンとしてはこの辺興味があるなあ。でも内容はほとんど知らなかったやっぱり。
「白鳥の湖」スワンレイクの主人公は王子ジークフリートと悪魔により白鳥にされたオデット。
話は飛ぶが、私はだいぶ前にフィギュアスケートの全日本選手権を観に行った。優勝した村主章枝のフリーの舞がスワンレイクだった。ソルトレイクシティオリンピックで5位に入った年。安藤美姫は15歳、浅田真央ちゃんは12歳の特別出場。女王村主は圧巻の演技で優勝。
バレエ組曲はCDも抜粋が多く、フリーの4分、断片的で印象的なメロディをその後発見できてなかった。いまこの本を読んでフル動画を観ている。また巡り会えるだろうか。
さて、本の構成だが、最初に、バレエを食わず嫌いになっている理由をいくつも挙げて、一つ一つに熱い答え?説得材料?を述べている。バレエは女の子の習い事でしょ、と捉えられがちというのはバレエの先生も言っていた。
面白おかしくというよりは自虐的に見えるのがちょっと笑える。それから劇場でのマナーほか代表的な演目の紹介、トップダンサーの紹介などあるのだが、どうも過ぎたものがあるような。
最初に観に行くのは、海外の大バレエ団公演で、に違和感。食わず嫌いが初めて行くには、はっきり言って高額だ。劇場マナーも音を立てることに異常に神経質に思える。また海外のオペラハウスも含め、ドダダーっと情報と専門的知識の羅列。これホンマに初心者向け?と思ってしまった。熱い、好き度の高さはよく分かるのだが、熱さが空回りしてますな。
海外のオペラハウスはどこも興味がある。とりわけイギリス、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラハウスはシャーロック・ホームズにも出てくるからちょい嬉しい。
また、かつて感動した「リトル・ダンサー」という映画で、主人公の少年の将来の姿として出演していたバレエダンサーがアダム・クーパーという逞しいトップダンサーだったと知って思わず微笑みが。彼のオススメの演目はスワンレイクだそうだ。
そもそも2003年の本なので、挙げられているトップダンサーも齢を重ねている。いまのトップダンサーは・・?とりあえずドン・キホーテの映画館、日本のトップダンサーを観ることから始めよう!
◼️藤沢周「武曲Ⅱ」
入りこみました。かなり良かった。剣の道。自分を掘ること。
藤沢周はかつて芥川賞の「ブエノスアイレス午前零時」を読み、ふうん、芥川賞ってやっぱよく分かんない、となっていた。
大学まで剣道部にいらした私の文芸師匠の女史に、この作品が最も自分が体験した世界に近い、と教えていただいたのが「武曲」で、時を経て藤沢周と再び相対した。
ラップ好き、リリックを作るのが好きな高校生・羽田融がふとしたきっかけから剣道をやる事になり、「滴水滴凍」など剣道で重んじられる言葉に惹かれ、さらに剣道を通じて自らに潜む姿に気づくー。一方で、稽古中のアクシデントで剣士だった父を植物人間状態にしてしまった30代の警備員・矢田部研吾はアルコールに溺れ、乱れた生活を送り、自分に似たものを持つ羽田と出逢う。
2017年に映画化されていて、「武曲Ⅱ」はそのタイミングで発売されたようだ。
後日談のようなエピソードが3つ。主人公は羽田、矢田部、羽田で次期は飛ばず秋から冬の連作の形でまとめてある。舞台は、大船、鎌倉
高校3年生の秋、羽田は受験勉強をしながらも毎日道場に出ていたが、古希を過ぎた大師匠・米邑雪峯(みつむらせっぽう)と立ち合っている最中に光邑が脳卒中となり、羽田のメンを受けた後に昏倒し救急車で運ばれる。羽田は自分の中の獣性ともいうべきものを恐れ、落ち込むのだったー。(アルデバラン)
武道の言葉にはどこかしら惹かれるものがある。黒光りしているようなイメージが心に湧く。高校の授業で武道をしていた講堂の、どこか神聖な感じ。世阿弥や吉田兼好が引用されるのも好ましい。受験に絡めていて上手い。
突然ヘンな話だが、子供と「侍戦隊シンケンジャー」を観てたころ、言葉やシチュエーションに他のテーマの戦隊とは違った広がりを感じたものだ。やはり武道の言葉がどこか腹落ちするのは、和だからかな。もちろんエイジングもあるだろう笑。
さらに表現も、どこか異世界に行ってる感じにハマる。まったく過剰なわけではないが、ラップ好きの高校生の調子とミックスされるのが私にとってはちょうど心地よい跳躍になっているかな。
スカーンと薪が真っ二つに割れて、暗闇の中で白い肉を見せる。一瞬エロスを覚えている俺って、何?変態?それとも猟奇?」
「剣先への気の集中。手の内の決め。左足の引きつけ。完璧な心技体の面打ちはまだ難しいけど、それでも空気を裂く音が鳴るようになって、どのくらいになるのだろう。強く振ろうと思って、余計な力を入れると、まず音は鳴らない。たぶん、速く強い打突をしたいと思う自分が、剣の邪魔をするのだ。いわゆる、自我ってやつ?自我なんていう表層のものなど捨てて、自己そのものになる。阿頼耶識への扉を開け、と思う。そこから現れる、魑魅魍魎?でも殺人刀(せつにんとう)でも、懼れずに見据えよ、か。」
いまひとつはやはり、自分を問う、掘ること。羽田と矢田部は同じ「殺人刀(せつにんとう)」を持つのか。止めようのない危うい自分、無意識よりも深い、すべての意識の根底にあるという阿頼耶識(あらやしき)の部分に住んでいる自分の、なのだろうかと彼らは悩む。そして、稽古でぶつかる。
第一作は、楽しみつつも矢田部の乱れぶりがやや過剰にも思え、なんとなく重い後味が残った憶えがある。しかし今回は武道の言葉、表現の調子、自分を掘ること、疑い、もがき、理屈ではないその姿を知り向き合うことが前向きに示されていて、そのマッチングに引き込まれた。やはりエピソード的に、後日談的にされているからだろうか。
藤沢周氏は父親さんが武道家だったとか。滲み出てくるものに違いを感じたような気がした。
今年の中では印象に強く残る、excellentな出会いだった。
6月書評の3
ブランコーチの考えは。少しうまくいってないなと感じたな。でもまだ積み上げのびしろあると思うホント頑張ってほしい。
◼️ 梶よう子「北斎まんだら」
春画を軸に、北斎、娘お栄、渓斎英泉、高井鴻山が活きいきと動く。ちとエッチ笑。
映画「HOKUSAI」を観に行ってきた流れで、なにか北斎の物語を、と以前メモしておいたこの本を借りてきた。
古希を迎えた北斎と、娘の絵師お栄・葛飾応為と弟子の善次郎・渓斎英泉と長野・小布施の豪商の総領息子で弟子入り志願にやってきた三九郎・高井鴻山のひと騒動。
京で10年花鳥画を修めた謙虚なボンボンの美丈夫・三九郎も、散らかり放題の北斎家では下手とはっきり言われ、下働きをさせられ、善次郎とお栄の情事を目撃し、はては下帯1枚になって吉原の花魁と絡みのモデルをさせられる。
折しも善次郎が北斎の贋作が出回っているのを嗅ぎつける。また、かつて悪行を重ね信州に追いやった北斎の孫・重太郎が江戸に帰ってきているのが分かるー。
あまり詳しいわけではないが、北斎は展覧会で多くの作品を目にしてポケット版画集を買い、解説で北斎の技術の深さや絵画に対してのエネルギーに感嘆した。また朝井まかて「眩(くらら)」で葛飾応為の生涯(大半は北斎とともに生きた暮らし)を読み、また最近原田マハ「たゆたえども沈まず」で北斎らがヨーロッパの画壇に与えた影響について見識を新たにしたりと、私が美術に持つ興味の中心のひとつになっている。
知れば知るほど、北斎は興味深い。映画でも喜多川歌麿、東洲斎写楽、北斎が作品に挿絵を担当した戯作者の柳亭種彦らが描かれていた。
こちらでは、美人画を得意とした英泉のほか、歌川一門や滝沢馬琴らも話に出てくる。主人公が小布施岩松院の天井画などに関わる鴻山、というのも興味をそそる。
主要な画題が春画で、しかもかなり具体的。ベースには男女のまぐわいの匂いが散らされていてアダルト。
助平で軽い善次郎、まじめな三九郎、色気豊かな出戻りのお栄は抜群の腕を持つ。魅力的なキャラクターが活きいきと動き回る。北斎は画狂一徹。父の代筆も辞さず、北斎と共同作業をすることに魅力を感じているお栄と、なぜ自分の絵を描かないのかとやきもきする善次郎と三九郎。展覧会で見た応為の絵、吉原の格子窓のある家へも作中で言及されていた。
映画で北斎は、柳亭種彦の書く妖怪ものに興味を惹かれていた。三九郎が心にしまい込んでいる秘密がそこに繋がっていて、暗合を楽しめた。
北斎は幾何学模様を駆使しているのが1つの特徴。巨大な桶を真ん中に描いた「尾州不二見原」や漁師の網紐と崖の角度が後ろに見える富士山と対を成している「甲州石班澤」などはお気に入りの作品。作中、お栄が三角と丸、対角線で「神奈川沖浪裏」を描いてみせるシーンには心で快哉を叫んでしまった。
梶よう子は直木賞候補にもなった「ヨイ豊」で歌川一門を取り上げているとか。こちらも興味がある。
親娘そろって「画狂人」。北斎・応為関連の本は、先々また探して読むだろう。やっぱりいいね、北斎。
続編ないかしら。
◼️ 小林一男「エルミタージュの緞帳」
美術の本ではなく、NHK特派員の記録。ソ連時代からロシアへの劇的な転換。
ソ連からロシアへの過程の本は思い入れを持ちやすい。あの頃は天安門事件にイラク戦争、そして東欧圏共産主義国家の崩壊、ベルリンの壁開放、少し前には昭和の終了など、ドラスティックな出来事が多すぎた。
特に国際情勢には興味を持っていた時期で、新聞もよく読んだ。ルーマニアのチェウシェスク政権の最期などはショッキングだった。
NHK特派員として10年以上もモスクワ勤務をし、大勢のソ連要人と知り合いとなりインタビューを行ってきた著者が自らの体験談をもとに、当時国の内側から見た姿、ソ連、ロシアで何が起きていたのか、をつぶさに語っている。
ゴルバチョフの登場は華々しく、聡明な指導者のもと、ペレストロイカとグラスノスチでソ連は秘密主義の一党独裁恐怖国家から変わるはず、ソ連と西側の融和は進むはず、と考えた人も多かっただろう。しかし急激な変革は必ず反作用を呼ぶ。
自分の保身を大事とした層が首謀しついにクーデターへ。クリミアに幽閉されたゴルバチョフはエリツィンによって救い出され、両者の力関係に変化が生じるー。
ゴルバチョフも信じ合ってきた仲間、シュワルナゼらを信用しなくなり、旧勢力と妥協する。そしてバルト三国の独立宣言、チェチェン紛争と地域の活発な動きに悩まされ、軍事行動も取る。ここへん会社でもよくありそうですね。
引いて見てみると、ゴルバチョフはその熱意と聡明さによって突っ走ろうとしたが、しかし慎重ではなかった。エリツィンは教養という点ではゴルビーの後塵を拝していたものの、情報と決断力で勝っていた。もともと怨み憎んでいたゴルバチョフ追い落としのため冷酷な策を弄する。
日和る要人たち。権力争いの果てにあったものはソ連の崩壊。民衆はそれまで自分たちは世界で最も進んだ社会にいる、と自信を持っていたのが、実はまるでダメだったことが明らかとなり、真逆のことをしなければならない自信喪失した状態に陥った、というのが興味深かった。
精力的な取材、インタビュー、要人との付き合いもスパイ小説現実版を読んでいるようで、楽しくもある。
ベルリンの壁崩壊ものはいくつか読んできたが、ゴルバチョフのソ連には何が起きていたのか、原因と結果ー。やはり面白かった。またいつか、同じテーマで読むでしょう。
6月書評の2
男女バレーボールのネーションズリーグを連日観ていた。きのう女子の3位決定戦でほぼひと月に亘った大会が終了した。
世界ランキング16位までの国が男女ともイタリア・リミニに集まり、集中開催でリーグ戦を行う。体力は必要だが、世界の強豪と15試合も実戦を積むことができるのは、チームを仕上げていくのにいい大会だと思う。
女子は、レギュラーセッターを20歳の籾井に替えた。これがハマっている。早いトスでブロックを振り回し、ブロード、バックアタック、レフトセミなど多様な攻撃を駆使して準決勝進出。4位に終わったものの、ここまでの道のりを考えれば上々だ。
オポジットの黒後に成長が見える。レフトの古賀紗理那はドカンと打つエースというよりはテクニックで点を取るタイプへ進化を遂げ、良い感じになっている。
オリンピック本番は死のグループとなったBではなくブラジル1強のAグループ。2位か3位で、Bグループの2位3位と決勝トーナメント1回戦を戦いたい。ABの2位3位の対戦は抽選らしく、2位同士の組合せもあり得る。できれば2位となった中国かアメリカのどちらかと、というのは避けたいところ。メダルを獲るにはブラジル、アメリカ、中国のいずれかを最低1回は倒さなければならない可能性が非常に高い。
前哨戦と本番は全く違う。特にオリンピックは独特の雰囲気だ。でも、ぜひメダルを取って欲しい。
◼️ 川端康成「眠れる美女」
設定も異様、読んでるうちにさらなる異界に誘われる。芥川の「歯車」に似た感じさえ覚えた。
川端シンドロームにして、まだこれは未読だった。さわりを知ってなんだかわけ分からなかったから。読み始めてしばらくは戸惑いもあったものの、終盤は心に長く黒い赤いものが渦巻いているような心地になって、ハマッていた。
「眠れる美女」「片腕」「散りぬるを」の3作が収録してある。
「眠れる美女」は不思議なサービスを供する宿の話。67歳の江口老人は、10代の娘が布団に眠っている部屋で一夜を過ごすことの出来る家を知り、度々通うようになる。娘は裸で、深く眠らされており、見たり触ったりひとつ布団で眠るのは良いが、セックスは禁止されているようだ。
老人は娘に触ったり、時に揺さぶったり、禁忌を破る決意をしたりするが、6人の娘と過ごす中で結局ルール違反はしない。毎回宿が用意する睡眠薬を飲んで娘と一緒に眠り、朝、ご飯を食べてまだ眠っている娘を残して帰る。
男としては不能となった老人向けのサービスらしい。宿の女は悪はない、と言い切る。
江口は眠る女たちをためつすがめつ観察し描写し触り、眠る。部屋はまさに異界であり、天候に由来する音や女の寝言はあるものの、常態ならず無音が支配している感覚がつきまとう。その中に想像力を刺激する特殊な官能の煌めきがある。
娘が眠っていることで、半崎部長が老いた身の惨めさと絶望的な孤独感が浮き立つ。
江口は娘を見つめたり、その肌や若い艶やかさ、女のみずみずしさから、人生での女との邂逅や早くに亡くした母親のことを思い出すー。
エロじいさんの願望そのままのような舞台設定笑。しかし読み込んでみると、老いた葛藤、プライド、もはや誰とも分かち合えない自分の人生で強く感じた印象などとこの場が絶妙にマッチしていて、最後の方は自分の中に複雑で赤黒いものが入り込んできて、ズゥン、という心持ちになった。
カタストロフィも川端っぽくていいかなと。
「片腕」はまた若い娘の右腕だけを借りて家に帰るというSFというか怪奇っぽい話ではある。腕は可愛らしく言葉を喋る。腕から若い女が発散するかぐわしい匂いが巧みに表現されていて、この上なくら耽美的だ。
うーん、これって谷崎の影響じゃないの?と思いつつ、「眠れる美女」の後半は芥川龍之介「歯車」を思い出した。「歯車」は異様な死の臭気に包まれたような心持ちがした。「眠れる美女」も読み手の心を揺り動かすような力を持っていた。
何か単調な題材を取りつつ思い出や人生を振り返っていくという小説手法はこれまでいくつも読んでいる。でも他とは違う特別さに、まだまだ川端シンドロームである。
◼️ 「風船 ペマ・ツェテン作品集」
スススッと読めて、味わい深い。チベットを舞台とした短編集。
あっという間に読めてしまった。シンプルであり、民話風でもあり、テクニカル、小説的。加えて地域性、宗教性が豊かである。
「風船」「轢き殺された羊」「九番目の男」「よそもの」「マニ石を静かに刻む」「黄昏のバルコル」に自伝の短いエッセイ「三枚の写真から」が収録されている。
印象が強いのは表題作か。「風船」はホンモノの代わりにあるものを膨らませている。子どもたちがそれで遊んでいるのを見た父親は、煙草の火で割ってしまう。
父親は牧羊家であり、新疆の種羊を借りてきて種付けをする。その妻は最近夫の精力が旺盛で避妊具がなくなるので不妊治療を受けたいと女医に相談し、余った避妊具を持って帰る。しかしそれは小さい子どもたちに発見されてしまう。
牧羊家が種羊を返しに行った晩、同居の老父が突然亡くなり、手厚く弔った後に妻の妊娠が発覚する。その子は亡父の生まれ変わりとされて周囲は喜ぶが、妻はー。
妊娠・出産をテーマとして構築された絶妙な作品だと思う。地域性、チベット人の一般的な生活と宗教観が示され、羊を子どもを産む装置の象徴として、顧みられない女性の心境が描かれている。微妙なズレ、噛み合わなさをうまく描きつつ、ユーモアがベースにある気がする。
「九番目の男」は若く美しく、愚直な素直さを持つ女の男遍歴の話。それぞれ平明な表現で分かりやすい。それだけに、最後の展開は読んでいる方の心にピシッとヒビが入る感覚があった。
「マニ石を静かに刻む」は大酒呑みが主人公。酔った帰り道に、死んだはずのマニ石彫りの老人が石を刻む音を聞いたという。やがて老人は大酒呑みの夢の中に現れるようになり、グチをこぼしたり、大酒呑みにやって欲しいことを伝えたりする。
いちばん昔話っぽくて、教訓があるのかないのか分からないふう、夢でのやりとりはコント的なようでやっぱり寓話的な感じの話。読んだ後に爽やかな味が残る物語。
「よそもの」「黄昏のバルコル」は効果を出そう、という思い込んだ気持ちが現れている。本来なすべきことを揺らしてみたり、賢い子どもが漢語とチベット語を駆使しして自らが望む方へとコミカルに誘導したり。
それぞれが明確に分かる面白みを備えているようだ。宗教的情緒、もたっぷりだ。
チベットでは一般的な転生という考え方・・久しぶりにお会いした母のいとこさんたちに、戦死した叔父さんにそっくりだ、と最近言われたし、何か信じる気にもなったりして。
技巧を十分に感じつつ、何かどこか、アメリカ的な作風やポストモダンの風味も感じたりする。
またこれが抜群に読みやすくて、びっくりするくらい早く読めてしまった。
この本は、著者が自作を監督した「羊飼いと風船」が劇場公開されるので日本語版作品集を出してみてはどうか、とペマ・ツェテン本人から、何年も同氏の小説を翻訳している訳者に直接声がかかったそうだ。
映画は興味を持ちつつも緊急事態宣言で自粛してしまった。繋がっているこの本を読んで満足感は大きい。だからよけい映画が観たくなってしまった。レンタルであるかなあ
6月書評の1
◼️岸本佐知子「なんらかの事情」
どこまで行くねん!というネタは相変わらず。くすくす笑える翻訳家のエッセイ。
「ねにもつタイプ」に続くお笑い妄想エッセイ第2弾。シュールな挿絵つきの、3ページ程度のお笑い文章が53作品詰まっている。
今回もププッ、クスクス、となったこと数知れず。オモロいなあ〜と思いつつ読了。
ファンも多く、みなさん書評あげられてますので、詳細はそちらにお任せするとして、私がウケたのをネタバレでご紹介。
「瓶記」
ジャム作りのため貯まっていた瓶を断捨離することにし、ズラリと並べて、バルコニーから群衆を見下ろしているような気分になり「愚民どもめ」とつぶやき悦に入る著者。
佐知子王に対して、いちばんたくさんある「アヲハタ」の瓶の一族が今回の処置の理不尽さを訴え、ギンガムチェックの大小の瓶たち母子は「ママン!」「子供たちを返して!」と泣き喚き、オリーブの瓶の旦那は妻のもとに駆け寄る。ウニの瓶の賢者が諫言するー。
シチュエーションコントっぽくて心の中でギャハギャハ笑った。
「やぼう」
あいうえお論。「ぬ」と「め」は似てるだけに険悪な関係であるに違いない。しかし似た文字が必ずしも仲が悪いわけではなく「く」「つ」「の」「へ」といった「一筆書き族」は同族意識が強い。特殊なのは「あ」と「ん」で「あ」は何と言っても五十音の先頭なので王侯貴族的な選民意識があり、評判が良くない。「ん」は一筆書き族からの誘いは「遠いから」と断り続け、かつてのめざわりな存在、「ゑ」亡き今、五十音界制覇の野望を胸に孤高を保っているー。
普段目にしている、耳にしていることについて、小理屈というよりは圧倒的な妄想力を駆使しているやに受け取れる。あーそういうのあるある、と笑うよりは、そうきたかーとウケる感じ。時折り覗くショート・ショートっぽい結末も一冊にたくさん集めるといい色合いだ。
今回も楽しませてもらいました。まだあるなら探して読もっと。
◼️木内昇「球道恋々」
野球害毒論も含め、暑苦しいっっ。明治、大正の野球、でもこのエネルギーがわりと好きです。
木内昇は直木賞の「漂砂のうたう」「櫛挽道守」「茗荷谷の猫」など、ちょっと変わった、屈折率が少し高そうなところに惹かれるものがある。また江戸と明治、という題材が多いのも面白い。
私は、野球好き。極めているわけではないけれど、野球の歴史にも関心があり、日本は学生野球がまず隆盛し、やがてプロ野球が大きく伸張するけれども、高校野球のみならず高校スポーツへの興味が高いのは現在に続いている、なんて考えるのも楽しい。
ひと頃は出張の際、神保町駅すぐの学士会館に泊まり、「日本野球発祥の地」モニュメントを見るのが楽しみでもあった。早慶戦の水原リンゴ事件などの話を読むにつけ、当時の学生野球の現場ひいては社会が内包していたエネルギーを感じたりする。
前フリが長くなりすぎました^_^
明治39年(1906)年、旧制第一高等学校野球部。日本文具新聞という業界紙の編集長・宮本銀平は母校野球部のコーチを頼まれる。学生時代は万年補欠、ヒマそうだからとい理由で依頼されたコーチの役目、有名選手のOBも多く観に来る中、しかし銀平は再び野球にのめり込むー。
銀平はすでに所帯持ち、表具屋の父が病に倒れ、東大進学を諦めて跡目を継ごうとしたものの才能がなく、いまは妹に入り婿を取って商売が成り立っている。周囲には立派な社会的地位を得ている人も多い。
後の京都大学である三高との因縁の対決や学生たちとの関わり、また人気作家で野球好きの押川春浪との関係に朝日新聞が大キャンペーンを張った「野球害毒論」、押川の野球クラブでのプレー・・おまけに妹婿の失踪などというドタバタも絡み、銀平はズルズルと野球に拘泥し日常に埋没する自分を見つめるー。
「打たんかったら詰腹切らせるぞっ」
「野球というのは勝つか負けるかだ。言い訳も申し開きも通用せん。よって選手もまた言い訳無用。そのことをまず、君の腐った性根に叩き込むことだっ」
ああ、暑い、暑苦しい。冒頭の一高vs三高戦、相手の豪球ピッチャーは、振りかぶると太鼓腹が丸見えで、足元は裸足に荒縄を巻いた、口も達者な「鬼菊池」。応援団は石油缶に石ころを入れた騒音発生器を鳴らしまくるし、やたら精神論で猛練習の世界。読んでるだけで汗臭い。おまけに一高生は頭脳が優秀なだけに理屈っぽい笑
ただその時代がかった雰囲気もまた歴史の一部だと思うと、なかなか好ましくもあったりする。新戦術ブント(バント)は武士道野球に反するものか、頭脳プレーか?なんて悩みも面白い。私は神宮球場で、立教の応援団が「明治をブッつぶせー!」と歌ってるのを聴いたことがあるが、あれはやはりこの時代の名残りだろうか、なんて想像が飛ぶ。
そんな周囲の雰囲気の中、銀平は野球を分析し、柔軟な指導にあたる。かつての名投手、名内野手であった後輩も自分たちが苛烈な言動に走りがちなせいか銀平には一目置いている。
部員指導がうまくいかない時もあり、必ずしも結果が出るわけでもなく、しかし着実に、年輪が太陽の方向にふくらむような変化が選手に見られる。
一方で銀平と野球を取り巻く環境もなかなか刺激的だ。神田住まいで江戸っ子の父親をはじめ何かと口うるさく多彩なご近所、妹雪野の婿は講談師を目指していたこともあり調子のいい柿田、妻は幼なじみ、家事上手で肝の座っている明喜、娘の名前も、なんと塁と球である。
直接接触はないが野球害毒論を主張したもと5000円札新渡戸稲造、早稲田の大隈重信、乃木希典学習院院長までもこの論に加わる。さらに一高が強かった頃のカーブ名手、福島金馬に人気作家押川春浪、学生野球の父飛田穂洲(忠順)らたくさん出てくる野球選手、もと選手はすべて実在の人物だそうだ。
主人公の銀平は、環境の変化、出会った人の言動と人生の成り行きに惑いながらも成長してゆく。読み応えのある長い小説、時折ある深みは雄弁だ。
「自分が無我夢中で取り組んだ事柄に、同じように夢中になっている者が続くのがうれしいのかもしらん。そいつが見事に成長すると、自分の幻影がいてまだ技術を伸ばしているような、そんな心持ちになるのかもしれんな」
(福島金馬・後輩の成長を見て)
「だいたい俺は、若ぇ奴のほざく個人主義なんぞ、もともと一切認めてねぇのだ。経験もろくにねぇ奴が、いっくら己を掘ったってなんにも出ねぇだろう。人に接して揉まれる中で、ようやっと己の輪郭ってもんが見えてくるんじゃねぇか。我が身大事で閉じこもって安全な場所で自問自答を繰り返したって、同じところをグルグル回るだけのこった」(押川春浪)
若くはないが、なんか痛いぞ。
「本当に才のない人間は、自分に才がないことすら気付かんもんです。せやから、正当な評価によって駄目を出されても、本人はわからんさけ不当な評価を受け取ると思い込みますんや。挙げ句、自分はもっと評価されていいはずや、認められないのはおかしい、世の中不公平や、と不平不満を募らせるんです。すべては自分が元凶なんやが、自分も世間も見えとらんさけ、始末が悪いっちゅうヤツです」(優秀で率直な一高生投手コーチ)
これらは銀平に対して突きつけられたわけではなく、もっと若い登場人物に向けられたものだが、微妙に影響していると思う。それにしても心のどこかに刺さるなあ。物言いがキビシイ。著者の本音が時代を借りて出てるかな?
この頃から学校の対抗野球はものすごい熱気を帯びていた。早慶戦なぞ応援が加熱するあまり長い中止期間を挟んでいる。おそらく球場は男ばっかりだっただろうし。
明治4年(1871年)、東京開成予科、後の一高にに伝わった野球は急速に広まり、あまりの人気に警戒感が出たが、学生野球の盛り上がりは大正4年(1915年)の全国中等学校野球大会、後の夏の甲子園へと繋がっていく。ザ、聖地オブ聖地ズである。物語の、その幕切れが鮮やかだな、と思う。
「これから野球は、日本中にいっそう広まるはずです。きっと学生たちが当たり前に野球をする日が来る。有望な選手が多数出て、武士道野球をより高みに押し上げるでしょう。そうなれば日本の野球はいずれ本家アメリカを越えていくはずです」(早逝した名投手、守山の言葉)
かつてはずいぶん神宮球場に通った。創建はこの時代よりもう少し後。でも充分に歴史の匂いがする。神宮の朝や昼や夕方の空を見ていると、当時につながってるような気までしてくる。
終わりの方、父親が銀平に訊く野球はまだ続けてるのか、と。ああ、と答えた銀平に父はなおも問いかける。
「『なんだって続けてるんだ?野球の才はないんだろう?才がないとわかって続けるのはしんどいんじゃねぇか』
文句だけ聞けば癪に障るが、親父の声には珍しく、いたわるようなまろみがあって、それが銀平の胸深くに知らず識らず凝り固まっていたものを溶け出させたようだった。」
いたわるようなまろみ、にやられてしまった。やっぱり木内昇はいいな。
長くても上手く織りなしてはある。ちょっと時間空間的に折り合わない部分もあったやに感じたし、やはりちょっと冗長感はある。重厚さと、野球の歴史好きにはたまらない快作だと思います。
5月書評の5
◼️エリック・カール「はらぺこあおむし」
追悼。改めてすばらしい絵本だと思います。
子どもが幼少のころ、よくめくりました。こちらで「絵本入門」を献本でいただいた時に取り上げてあり、改めて見ると、すごい絵本だとつくづく思いました。
「絵本入門」によれば、エリック・カールは「コラージュ」つまり絵に紙や布、毛糸などを貼り付ける手法に優れ、貼り付ける色紙を自分で着色して作っていたそうです。
1ページずつめくっていくと、その色彩感は本当に明るく美しく、まさに滋味掬すべき表現だと感心します。
エリック・カールはドイツでの幼少時、自由に絵を描いたり見たりできない環境にあった際、学校の先生がナチスに禁じられていたピカソやマティスの絵をこっそり見せてくれたそう。また「スイミー」で有名なレオ・レオニの紹介でグラフィック・デザイナーの職を得たとか。出会いは大切ですね。
また未確認情報ですが、青虫があたかも食べたように、絵本に穴を開ける手法はあまりにも手がかかるため敬遠されていましたが、日本の出版社が刊行したという話も聞きました。やったね日本、という感じですね。
見逃しがちだった、非常に複雑な色の組み合わせは、これが貼り紙かと嘆息してしまいます。
追悼。ご冥福をお祈りします。
◼️Authur Conan Doyle
「A Scandal in Bohemia」
爆発的な人気を博した佳作。原文で読むと改めて、こりゃ面白いや!と思う。
全ネタバレで参ります。
シャーロック・ホームズは1887年、長編「緋色の研究」で初めて読者の前に姿を現します。続く第2長編「四つの署名」もほどなく発表されました。しかしそこそこの評判はとったものの、それ以上ではありませんでした。ところが、1891年、創刊されたばかりの月刊誌「ストランド・マガジン」7月号に掲載されたこの「A Scandal in Bohemia」はいきなり爆発的に読者の支持を得たのです。
何度も読み、古今東西、王室のスキャンダルは人気を博す向きがあるのかな、とは感じてきました。しかし今回、少し人気沸騰の理由に近づけた気がちょっとだけしています。
話は、アイリーン・アドラーを女性嫌いで観察機械のホームズが唯一「the woman」つまり「あの女」(「あのひと」)と呼んで特別視していることから始まります。なんとも思わせぶりですね〜。さて物語スタートです。
ワトスンくんはこの時期ホームズと一緒には住んでいませんでした。おそらくは「四つの署名」で恋に落ちたメアリ・モースタン嬢と新婚生活を営んでいたと思われます。
1888年3月20日、ワトスンが久しぶりにベイカー街の部屋を訪問、2人は打ち解けた邂逅を果たします。早速ホームズはワトスンが医師として開業したこと、最近ずぶ濡れになったこと、ワトスン家のメイドが不注意なことを見抜きます。
ワトスンは、タネを聞くと単純だけど、タネあかしてくれるまではさっぱり分からない、とのたまいます。ここで、ホームズの名セリフが。
You see, but you do not observe. The distinction is clear.
「君は見ている、しかし観察していない。その差は明白だ。」
ホームズは、この部屋に昇る階段は何段だ、と訊く。ワトスンは答えられません。
「僕は階段が17段あることを知っている。なぜなら僕は見て観察しているからだ。」
ホームズ短編の嚆矢となったこの作品には、読者をハッとさせたり、気持ちを楽しくさせたりする仕掛けがいくつもあると今回感じました。この会話も分かりやすく、読み手にそうか、と気付かせるものと思えます。
さて、ホームズは、最盛期とも言っていい活躍の時期で、この日も依頼者と会うことになっていました。依頼者からの、流暢ではない英語で書かれた手紙をワトスンに見せ、2人であれこれ推理します。どうやらドイツ人で、王家に関する問題なのか?謎めいた内容でした。
この短編では「推理する」はdeduceで推理はdeduction。reasoningも使われています。話によって言葉が違う印象もあるような?
で、来た依頼者は6フィート6インチは下らず筋骨たくましい巨漢で、豪奢な身なりに覆面をしていました。でかっ。約2mの大男。最初はフォン・クラム伯爵と名乗りますが、たちまちホームズにボヘミア王本人と見抜かれ、やけになって覆面を脱ぎ捨てます。国王陛下、とはYour Majestyって言うんですね。
ボヘミア王は自分で来た理由を話し始めます。皇太子のころ、オペラのプリマドンナと恋をして一緒に写った写真をネタに脅迫されている。金は要求してない。王様はスカンジナビア王の次女と婚約が整っていて、次の月曜日に正式発表される。その日に先方に送ると言ってきてる、と。
she has a soul of steel.
「彼女は鉄の意志を持っておる。」
王は人を雇って、もう5回も荷物を盗ませたり家探ししたり、果ては道で襲ったりしましたが写真はどうしても見つからなかったとのこと。また物騒ですね、王は当座の費用として1000ポンド手渡し、お金についてはcarte blanche 好きなだけ遣ってよいと言い、ホームズは写真を取り返すことを請け合います。ホームズは王の宿泊ホテルを訊き、
「では進捗は手紙でお知らせしましょう」
Then I shall drop you a line to let you know how we progress.
と言います。調べたら、dropは手紙を送る、lineにも手紙、という意味があるらしいのですが、つい、LINEでお知らせしますわーという意味だと考えてしまい苦笑。
さてホームズはワトスンに明日の午後3時にベイカー街集合の約束をしてその日は別れます。
覆面をした巨漢の、女にだらしない世間知らずの王様、スーパー美人の歌姫は鉄の女、興味を引きそうな設定だこと。
翌日わくわくしながらベイカー街を訪れたワトスンの前に、馬丁に変装したホームズが現れ、高笑いをします。おかしくてたまらない様子。ちなみに変装は
disguiseディスガイズ
というようです。
ワトスンがよくよく話を聞いてみると、サーペイタイン通りの家に住むアイリーンアドラー周辺の事情を馬丁仲間から大いに聞き出したホームズ。弁護士のハンサムな男性が頻繁に出入りしているらしい。近辺をうろうろしていると、その彼、ゴドフリー・ノートンが馬車で乗りつけます。ひどく急いでいて、家の中で熱弁をふるい、また出てきて馬車の御者に、
Drive like the devil
「思い切り急いでくれ」
立ち寄り先と最終目的地の教会と御者に告げ、
Half a guinea if you do it in twenty minutes!
「20分で行けたら半ギニーだ!」と叫びます。
で、どうしよう、追うべきかとホームズが逡巡してると、姫様が出てきます。気品があり、男が命をかけてもいいと思うような顔、と表現してます。彼女は自分の馬車に慌てて乗り込み、
The Church of St. Monica, John and half a sovereign if you reach it in twenty minutes.
「サンタモニカ教会よ、ジョン。20分で行けたら半ソヴリン!」と叫びます。
これは逃すわけにはいかないとホームズも汚い格好のまま馬車に乗り
The Church of St. Monica and half a sovereign if you reach it in twenty minutes.
「サンタモニカ教会、20分で着いたら半ソヴリン。」
舞台劇のようですね、まるで。個人的にはアイリーンの御者がジョン、ワトスンの苗字というのがおもしろいなと。
1ギニーはほぼ1ポンド、後で出てくるソヴリンも同じ価値。ちなみに現代の円換算すると約2万4000円だそうで、同じようなセリフはシリーズにたくさん出てくるし、おおらかな時代だなあと思う笑。
さてさて、ホームズが教会に着いてみると、2人と人の良さそうな牧師がいて、もめてる雰囲気。と、新郎のノートンが馬丁姿のホームズのところへ来て、証人になってくれ!私がささやく通りのセリフを言えばいいから!と。
巻き込まれたホームズは、なにがなにやら分からないまま役割を果たします。アイリーンの家に探りを入れてたはずが、気がつけば片側には熱烈に礼を言う男がいて、その反対側には美しい花嫁、目の前では牧師が満面の笑みを自分に投げかけている。ドタバタ探偵ものドラマような喜劇的展開。
新郎はソヴリン金貨をホームズにくれ、ホームズは以後、この出来事の記念として懐中時計の鎖に付けて持ち歩いたはずなのでした。
ホームズはいったん引き上げます。そしてワトスンの前での高笑いとなったわけです。
2人がいまにも出発しそうなのを目の当たりにしたホームズはその晩早速動くことに。
Doctor, I shall want your cooperation.
I shall be delighted.
「ドクター、協力してほしいのだが。」
「喜んで。」
アイリーンは夕方5時に馬車で散歩に出かけ、7時に帰ってくるのが日課。2人は動きを打合せ、ホームズは、いかにも温和でおせっかい焼きな牧師に変身してブライアニ・ロッジへ赴きます。この変装の見事さに、ワトスンは
The stage lost a fine actor, even as science lost an acute reasoner
「演劇界は優秀な男優を失い、同時に科学界は鋭い理論家を失った」と表現しています。どこか滑稽ですね。
さて、ワトスンが見ていると、アイリーンの馬車が帰着するタイミングで騒ぎが発生、降りてきたアイリーンを守ろうとホームズ牧師が彼女に接近した際、打撃を受けて、血を流しながら昏倒し、アイリーン家の居間に運び込まれます。ホームズが息苦しがってメイドが窓を開けると、そこへワトスンくんが発煙筒を投げ込み、大声で「火事だ!」すると騒いでいた群衆、揃って「火事だ!」
ホームズは起き上がり、その場を取り繕って逃走、ワトスンと合流。おおぜいの役者を雇い、この騒ぎを演出して、ホームズは何をしようとしたのか?
When a woman thinks that her house is on fire, her instinct is at once to rush to the thing which she values most. It is a perfectly overpowering impulse.(中略)
A married woman grabs at her baby; an unmarried one reaches for her jewel-box.
「女というものは火事が起きた時、本能的にすぐいちばん大事な物のところに駆け寄るものだ。これは絶対に抗し難い衝動なんだ。(中略)
既婚の女は赤ん坊を取り上げ、未婚の女は宝石箱に駆け寄る。」
どれくらいドイルが事件のことを研究してたかまで押さえてないけれど、これも納得できる理屈かも?と読み手に半ば納得させたら勝ち、の、この作品を楽しく見せる要素のうちの1つでしょうね。
つまり、ホームズは写真はアイリーンの家のどこかに隠してあると見て、アイリーンをそこへ誘導しようとした。アイリーンは引っ掛かり、思わず壁板をスライドさせ、秘密の隠し場所から写真を引っ張り出してしまった。起き上がったホームズ牧師が、火事は間違いだぞう、と大声を出すと、すぐ元に戻した。目的の写真のありかが分かった瞬間でした。
残念ながらホームズ牧師は、部屋に入ってきた御者のジョンに見張られて写真を入手することが出来ずに逃走。ジョン、描写によればコートのボタンを半分開けて、ネクタイもちゃんとしてなくて、馬具の手入れを怠っているらしいけどいい味出してます。
ともかくホームズは満足で意気揚々。
The smoke and shouting were enough to shake nerves of steel.
She responded beautifully.
「煙と叫び声は鋼鉄の神経を揺り動かすのに十分だった。彼女は見事に反応したよ。」
以前出てきたボヘミア王の言葉、
she has a soul of steel.
「彼女は鉄の意志を持っておる。」
になぞらえて、やっつけ気分で、ドヤ顔が目に浮かぶよう。ホームズは気分の上下が激しいけれど、高揚しすぎ?とも見えます。
写真の隠し場所は分かったし、まだ彼女が寝ている朝8時に王様と家に行って、彼女が身じたくをしている間に写真を取ってドロンしようか、と打ち合わせて、ベイカー街の扉の鍵を開けようとしたとき、誰かが
Good-night, Mister Sherlock Holmes.
と声を掛けてきました。振り向くと、コートを着た、細面の若者が立ち去っていきました。
翌朝、アイリーンの家に行くと、年配の女性があざ笑うような目をして階段に立っていました。
Mr. Sherlock Holmes, I believe?
シャーロック・ホームズさんでございますわね?
アイリーンとゴドフリー・ノートンは朝5時15分の列車で大陸へ向かい、もう戻らないー。
ホームズは慌てて家に入り、隠し場所に手を突っ込みます。出てきたのは、アイリーンのワンショットの写真とホームズ宛ての手紙でした。
アイリーンはあの場で騙されたことに気付き、御者のジョンにホームズを見張らせ、その間に男装して出て行くホームズを尾行、声を掛けたというわけでした。
相手が恐るべきホームズと知り、これはもう逃げるのが一番いい方法だと思った。ボヘミア王との写真は自衛の武器として持ってはおくが、自分も結婚したし、王は安心してかまわない。この写真を置いておく、とー。
あの女の身分が同格ならばすばらしい王妃になったであろうに、と悔やむ王を冷ややかに見つめるホームズ。よくやった、ほうびは何がいいか、と聞かれ、アイリーンの写真を貰います。
ホームズがアイリーンだけを「あのひと」と呼ぶのにはこんなわけがあったのでした、と締まります。文言は原文どおりではありません、意訳です。悪しからず。
さて、たくさん含むところがあるこの大ヒット短編。私はシャーロッキアンとしては修行不足の身ですが、書いておきたいことがいくつかあります。
まず、なにが大ヒットの原因だったのか、という考察です。
先に挙げたように、ヨーロッパ人が好きな、王室スキャンダル。とりわけイギリスは好きですよね。この小説の四半世紀前にヴィクトリア女王の第2王子アルバート(プリンス・オブ・ウェールズ)が、デンマーク王の娘とお見合いし婚儀を整えようというときにアイルランドの女優との関係がバレたスキャンダルがあったようで、この小説に似すぎてますね。
おそらくここが最大の理由かも、ですが、いくつか挙げてきたように、なかなか各パートの噛み合いが良く、全体としてコミカルな舞台劇のようになってますよね。
女がらみの謎めいたスタート、誰にも分かりやすい名言、また王室や、やや不穏め?のヨーロッパ情勢も当時は重大な関心事だったと想像されます。直接出馬の王の出立ちと世間知らずっぷり、鉄の意志を持つ美しすぎるプリマドンナ、セリフ回しの絶妙さ加減にそれこそ喜劇のような成り行き、そして鮮やかに高名な探偵を出し抜いたこと。
他の短編でホームズは「男に3回、女に1回出し抜かれました」と告白しています。まさにその1回はアイリーンなんですね。
実はまだ、突然出現したホームズが、初回でしかも失敗しているのに、なぜそんなに人気だったんだろう?という気持ちもまだありました。
原文を読むということは、日本語では読み流し気味だった言葉もひとつひとつ拾っていく感覚があり、改めて深めに味わえている気がしています。まあ英語コンプレックス、なのかもしれませんが笑、少しそのへん、理解が進んだかな〜とちょっと自己満足。
この話には、いわゆる「語られざる事件」がいくつも盛り込まれてます。「アーンズワース城事件」では真瀬もと「ベイカー街少年探偵団ジャーナルII アーンズワース城の殺人」というパロディを思い出してました。
また、曜日、日数の間違いがありさらに部屋の食事を用意してくれるのがハドソンさんではなく「ターナー夫人」となってます。これは短編初回ですが、シャーロッキアン的には、間違いの多いドイルの筆に、つい微笑んでしまうところです。
疑問といえば、怖いコワいホームズが乗り出していることにアイリーンが気づいたのは、騒動の後のはず、なのにどうしてアイリーンとゴドフリーはあんなに急いで結婚式を挙げる必要があったのでしょう。
この事件の裏側を見事に語っているキャロル・ネルソン・ダグラス「おやすみなさい、ホームズさん」では確か結婚の前にホームズが依頼されたことを知った、という体で平仄を合わせていました。修行不足なので、理由をご存知の方がいたらお教えくださいませ^_^
世界一高名なヒーロー探偵、シャーロック・ホームズ、56の短編の最初が愛すべき失敗談、というのもまた楽しいトピックですね。

5月書評の4
さて、Bリーグは宇都宮ブレックスvs千葉ジェッツという決勝となった。どちらもインサイドに強みを持っている。
アウトサイドの役者は宇都宮のほうが揃っている気もする。私の今季2推しは千葉だったので当然千葉応援。宇都宮のプレーオフここまでの強さを考えると厳しいな、と思っていた。
宇都宮はBリーグ1年目のシーズンチャンピオン、一方で千葉は2回連続して決勝で敗れている。去年はコロナのため中止。
宇都宮はライアン・ロシター、千葉にはギャビン・エドワーズというインサイドの帰化選手がいる。東京オリンピック代表の帰化枠は1だ。
結果はインサイドのディフェンスが強かった千葉が初優勝。あの強い宇都宮に勝ったことに意義がある。富樫おめでとう!
琉球のココナッツスリーというディープスリーの名手PG岸本、出たらいいところでハッスルプレーをする千葉のコー・フリッピンが印象に残った。高校のバスケ部同級生たちと、楽しいプレーオフ観戦でした。。
◼️ ジョルジュ・シムノン「メグレ間違う」
屈指の傑作だそうで、面白かった!構成の妙と人間心理。
出会いはいつもながら偶然で、地元の古い商業ビルにいらない本、ここに置いて、という本棚がある。どれか欲しいなら1冊50円。なんと入手しにくいメグレものが良好な状態でそこにあって、思わず二度見、ためらわず買った。
読み進むにつれ、著者の意図が感じられ、読み手もハマっていく感じが味わえる。
パリの凱旋門からほど近い、カルノー通りで若い女性が殺された。女性は自分を囲っている外科医と同じアパートの下の階に住んでいて、自室で頭を撃ち抜かれていた。
62歳の外科医エチエンヌ・グーアンは優れた腕を持つ高名な医師で仕事に全てを捧げるタイプだった。周囲に複数の愛人が居て、それを隠しておらず、妻を含む女たちもグーアンの行いを黙殺していた。殺された"リュリュ"ももとはグーアンが手術した娼婦だった。
メグレはリュリュの家政婦、グーアンの妻、リュリュの若い恋人のバンドマン、グーアンの病院、助手兼愛人と聴取するが、グーアン本人にはなかなか当たろうとしない。そして、グーアンからメグレへ電話が入ったー。
ちょっと遠回りの書き方を。犯罪小説には「顔のない死体は身代わり殺人を疑え」というセオリーのようなものがある、と思っている。書き手は身代わり殺人を扱う場合、読者に気づかれないよう、大ネタについて深く考えさせないために策を弄する。他へ注意を向けるため、次々とアクシデント、トラブルなどを発生させたり、ミスリードの方向に引っ張っていったりする、んじゃないかと思っている。残念ながら小説家の友人はいない。。
今回は身代わり殺人ではないが、動機と犯人には深く納得がいくし、すぐにけりがつく。ラストの方に大ヤマ、クライマックスとしてグーアンとメグレの会見を持ってくるところに構成の妙が見える。魅力的な演出だ。
もちろん、おおきな構成のみではなく、メグレ警視ものはいつもながら心理描写にヒタヒタと迫ってくるようなものを感じるし、次々とメグレが話を聴く人物もキャラクターにクセがあってそれぞれ細部まで面白い。
さらに今回はメグレと聴取される側との会話が短くてエスプリが効いていておしゃれ。やっぱシムノンはステキやな〜と思うゆえんの1つでもある。
少しずつ組み上げて行って、いよいよ大物の本丸との会見、と読みながら気分が上がった↑メグレがなぜグーアンを避けていたのか、なにを、どこで間違ったのかがこの会話に盛り込まれている。
天才の所業は認められるべきもので、犯罪でもないかぎり、何者にも邪魔はできない。パリのブラックジャックともいえる医師は世間並みの葛藤を感じない立ち位置にいる。
映画やテレビドラマでもあり得そうな、でも読み物としては本当に興味深い成り行きに、惹きつけられました。
後で詳しい方の書評を読んだら屈指の傑作とのこと。偶然入手した作品にしてめっちゃラッキーでした。メグレものは面白い、がスタンダード。まだまだシムノンの魅力に浸りたいのでした。
◼️坂口安吾「夜長姫と耳男」
青空文庫de坂口安吾、3つめ。傑作の評価、楽しみに読んだ。
気が強く、どこか夏目漱石の坊ちゃんを思い起こさせるところもある耳男。そのモノローグで語られる。夜長姫への弱さは耽美主義っぽい気もするし、混ぜられるエグさグロさとのミックスが特徴とも思える。ただ、わけ分かるようなそうでないような部分もあるかな。
弱冠20歳の耳男は師匠に推薦され、夜長の里の長者邸へ。長者は耳男を含む3人の匠に自分の13歳の娘・夜長姫の護身仏を作らせ、腕を競わせるという趣向を催そうとしていた。夜長姫は耳男の大きな耳を馬みたいと嘲る。耳男は姫の命により機織りの娘奴隷・江奈古の手で耳を切られるが、大したことないと突っ張る。
耳男は蔵裏に立てた小屋住みで化け物の像を3年にわたって彫り続けた。蛇をつかまえてきて生き血を飲み、血を掘りかけの像にしたたらせ、死骸は部屋に吊るした。
やがてできた像は姫に気に入られ、疱瘡が流行った村では病を退散させるとして崇められた。そしてまた、別の病が流行する。夜長姫は村の人々が病でキリキリ舞いして死んでいくのを嬉々として長者宅の高楼から眺めている。
やがて夜長姫は耳男に大量の蛇を捕って来させ、生き血をすすり死骸を天井からぶら下げる。村人たちの死を願って蛇をぶら下げていると思った耳男は、ある決心を固めるのだったー。
耳男は、姫を恐ろしい人だと思いながらも、思慕の念を持ち続けているように見える。それは、なにか事を起こしたり、強く訴えたりするものではなく、興味深く眺めているかのようでその姫の惹かれる部分への、どこか弱い、コンプレックスのようなものと感じる。
グロな場面を経て、無垢すぎるラストへ。残虐な嗜好を持ちながら、夜長姫はどこかそんな自分から逃れたい気をも発散しているように見える。
同じく説話風の「桜の森の満開の下」に似ているかな。嗜虐的な女に仕える男。「桜」では強い緊張感で張り詰めるところ、人間らしい思い込み、感受性の結果にシンボリックな意味合いを持たせている。「耳男」にはそれがなく、向かうところがわかるような分からないようなだが、全体としてどこか腑に落ちるようになっている。ある女への弱さ、が面白い。男なら誰しも持っているような心持ちと想像される。
一つ一つの要素をあとで考えさせる、ある意味ポストモダンの小説のような気がする。
もう少し読んでみてもいいかな。。
◼️ 朝井まかて「残り者」
江戸城無血開城の日、大奥に残った女中たちはー。
大奥で将軍の寵を競う女たちの話ではなく、1000人もいたと言われる奥女中たちの物語。武家の娘も、町人の子もいて仕事も部屋も細分化されていた。
御台所、天璋院篤姫の衣装係のお針子、りつは道具が気になり、自分の仕事部屋である呉服之間に戻る。もはや大勢いる奥女中は混乱の中退去し、誰もいない、はずだった。
りつは天璋院の愛猫、サト姫を探す御膳所の料理係・お蛸と出会う。さらに雑用を受け持つ御三之間のちか、さらに身分の高い御中臈のふき、皇室から嫁いだ静寛院和宮のほうの呉服之間に勤める京都出身のもみぢが次々と現れる。
針仕事の才を伸ばし、天璋院にも褒められたことのある、中庸なりつ。太りじし、百姓の娘で愚直で素朴なお蛸、武家の出で出世心旺盛な強気のちか、凛として美しくリーダーシップのあるふき、いまや朝廷を戴いた官軍、皇室出身の和宮に仕えることから徳川方の女中たちを上方訛りで馬鹿にするもみぢはまた針仕事に抜群の腕を持つ。
それぞれの仕事、境遇を描き分け、翌朝には官軍が入場する一夜を一緒に過ごす中、なぜ残っているのかへと掘っていく。やがて必ずやってくる、憎き恐ろしき官軍の男たち。静かな前夜に漂う緊張感と信じられなさはどこかブッツァーティ「タタール人の砦」をも思い起こさせる。奉公に専心し、立場を築き、突然居場所を失った女たちの心のうちはー。
庶民的な目線のストーリーで、女たちを描きながら、ペリーが来てから江戸城無血開城への断片的な歴史的事実や島津家の天璋院、騒動の末に降嫁した和宮の周辺事情を挿入している。着物の布地、柄、色ほか身につけるもの、奉公の仕組みやしきたりなど詳しく織り込んでいて、著者のバックボーンの重厚さを感じさせる。
上手な人物設定とバランス、巧みなストーリー展開、持続する緊張感と謎、脱出劇など、うまい、面白い小説だと思う。ラストも爽やか。著者の手練手管に巻き込まれる。
朝井まかては直木賞「恋歌」に感動して以来、「すかたん」「ぬけまいる」といった軽妙な作品、また「阿蘭陀西鶴」「眩(くらら)」などそれなりに読んでいる。好きな題材が多く、楽しんでいられる。
小説的おもしろさはじゅうぶん。川端康成が処女作を超えるのは難しい、と言ったのにも通じるが「恋歌」に並ぶほどのインパクトにはまだ巡りあわないのが正直か。今回ちょっときれいすぎなきらいもあったかな。
まだまだ未読の作品もあるし、朝井まかての世界をこれからも楽しみにしている。
5月書評の3
Bリーグはビッグラインナップを全面に打ち出し最強と思われた川崎ブレイブサンダースを宇都宮ブレックスが準決勝で粉砕した。
わが富山グラウジーズはアウェイで琉球ゴールデンキングスと第3戦まで戦ったがおよばす敗退。その琉球は準決勝で、富樫勇樹率いる千葉ジェッツとホームで対戦。第2戦は新装沖縄アリーナの観客が沸騰する劇的勝利を挙げたものの1勝2敗で敗退。
決勝は中立地横浜で、川崎vs千葉となったのだった。続く。
️ ジャン・ジロドゥ「オンディーヌ」
天真爛漫な水の精、オンディーヌ。戯曲は悲劇へ。そして無垢な言葉で終わる。
ドビュッシーの研究で博士号を得た青柳いづみこさんの「モノ書きピアニストはお尻が痛い」で知った戯曲。さまざまな要素を盛り込み、軽妙で、行間も考えさせる。演出も独創的。
湖の漁師に育てられていた水の精オンディーヌは一夜の宿を求めてきた騎士ハンスと恋に落ちる。ハンスには王族のベルタという婚約者がいた。騎士はオンディーヌを城に連れて帰り、王と王妃に謁見するが、天真爛漫でおしゃべりなオンディーヌは言いたい邦題、ベルタに過剰な敵意を向け、ついにはベルタが漁師の娘だったという出自を暴き、ベルタは追放される。
ベルタを自らの城に住まわせたハンスは、オンディーヌを愛しながらも、常識的な淑女のベルタに惹かれる。水界の王はハンスが裏切ったらその命を奪うという約束をオンディーヌと交わしていた。果たして、ベルタはハンスの子を宿し、2人は結婚することになるー。
「オンディーヌ」が発表されたのは1939年。1811年に出版されたフリードリヒ・フーケの「ウンディーネ」という小説を下敷きにしていると、この戯曲にも明示されている。
読み始めると、まず会話が軽いタッチで洒脱ないことに気がつく。なんか現代劇ふうの会話の匂いもする。オンディーヌの口調は、タイトルのイメージに比してヒロインの口が痛快なほど悪い「地下鉄のザジ」をも思い起こさせる。
物語の成り行きも想像する小説が多かったりする。森、妖力、娘と王子。私は紅玉いづき「ミミズクと夜の王」なぞ思い出した。また貞淑で育ちが良く、なんでもできる印象のベルタとオンディーヌという配置にはなぜか大人の現代ドラマ、白石一文「一瞬の光」も浮かんだ。
ストーリーをさっと紹介すると意外にわかりやすい。しかし、この劇は演出に絶妙なところがある。
第一幕は森でハンスとオンディーヌが出会う場面。第二幕は王宮での場面だが、奇術師に化けた水界の王がうまく侍従の信頼を得て、しっくり行かないベルタとハンスが再び近づく場面などを見物人たちの前で現出させる。またベルタの過去も幻想のように再生する。
意図的に時間を前後させた場面を人外の能力を持ったマジシャンが幻想的に、しかし現実の場面として生み出すという手法の独創と演出的効果が面白い。
さらには第三幕はなぜかちょっと変わった裁判。中身はハンスとオンディーヌの愛情を掘るもの。ハンスはだんだん狂気に陥る。どこまでも味付けを失わないなと。
王はヘラクレス、発言が過激で口数の多いオンディーヌの話を2人でよく聞いてたしなめる、理知的な王妃の名前がイゾルデ。劇中にはさまざまな悲劇が引用されたり、不吉を暗示するものが散らされる。オンディーヌが当て付けに近づくベルトランや、詩人の存在感も小粋かと思う。
ハンスいわく「宮廷人としての作法は自然の世界から習ったものだけ、文法はアマガエルから、言葉づかいは空をわたる風から」というオンディーヌに、王と王妃との謁見に際して注意する侍従の言葉。この人なかなかクセのあるいい味の人物です。
「怖いときには勇気のあるふり、嘘をつくときは正直そうに、たまたま心から信じていることを言うときには、逆に嘘をついているふりをするのもまたよろしい。そうしますと、真実にあいまいな殻をかぶせることになって、まあいかにも心にもないことを言うよりはましというわけです。」
このへん喜劇っぽい。オンディーヌはほとんど侍従の言うことを聞かずたびたび詩人に話しかけに行ったりする。
異界の男女が恋に落ちる話は洋の東西を問わず枚挙にいとまがない。「人魚姫」もそうだし、日本にも「鶴の恩返し」また大物主大神と活玉依姫の伝説がある。
またこの戯曲に盛り込まれているものを一つ一つ取り出していくとそれだけで充分な論文になりうる。道理で解説が70ページもあるわけだ。
ハンスは、愚昧な人間の男。彼我の間の大きな溝には無常感すら漂う。分け隔てているものは全編に意識されている水、か。
ハンスは死に、オンディーヌは人間界の全ての記憶を消される。なにも分からなくなったオンディーヌが無垢な言葉を残し、エンド。
ジロドゥの最高傑作は今後の読書生活に何度も出てくるだろう。戯曲でありながら、どこまでも深い流れを感じさせる作品だと思う。
◼️ 「詩経」
唐詩と違って四書五経はムズい。書き方もむずい。
幸田文の娘の青木玉が母親の着物や手回り品の想い出を書いた「幸田文の箪笥の引き出し」という本に詩経から引用した言葉があった。本の内容が素晴らしく滋味深かったこともあり、詩経読みたいな・・と思っていた。
「桃夭」
桃之夭夭 灼灼其華
之子于帰 宜其室家
桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼(しゃくしゃく)たり其の華
之(こ)の子 于に(ここに)帰(とつ)ぐ
其の室家(しつか)に宜しからん
桃の木は若々しく、その花は赤々と輝く。
この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
桃之夭夭 有蕡其実
之子于帰 宜其家室
桃の夭夭たる
蕡(ふん)たり其の実
之の子 于に帰ぐ
其の家室に宜しからん
桃の木は若々しく、大きな実がふくらむ。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
桃之夭夭 其葉蓁蓁
之子于帰 宜其家人
桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子 于に帰ぐ
其の家人に宜しからん
桃の木は若々しく、葉も青々としげる。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
嫁ぐ若い女性の美しさを桃のみずみずしさになぞらえている。この本にはそこまで書いてないが、たわわに実る桃と、さかんに繁る桃の葉に、ゆくゆくはたくさん子供が産まれ増えて、家が繁栄する意味を豊かに盛り込んでいるようだ。
読んだ直後、イラン映画の「花嫁と角砂糖」で、結婚直前の末娘が幸せオーラを発散している場面を観て、このフレーズは、実写にすればこんな感じなのかと思っていた。最近また、日本美人画家・上村松園の「人生の花」という嫁入りの絵に出会い、この詩を思い浮かべた。
詩経は紀元前4世紀の周の時代に、一説によれば孔子がまとめたものともされている。孔子の時代には広く読まれていたようだ。李白、杜甫、白居易といった唐の詩人たちとさえ1000年以上も時代が隔たっている。ハッキリ言って大学入試の漢文の問題に出たら泣いちゃいそうだ。難しいのはまあ漢文全体にそうだけれども。
皇帝、という言葉も出てくるが、多用される君子といえば祖先の霊や水神のことらしく、仏教が無い時代のことで興味深い。長引く戦役に嘆いたり、捨てられた女が男を怨んだりする詩も多いらしい。
「雨無正」
凡百君子 凡百の君子よ
莫肯用訊 肯(あ)えて用(も)って
訊(つ)ぐる莫(な)し
聴言則答 聴言には則ち答え
譖言則退 譖言(しんげん)は則ち退く
もろもろの君子(祖霊)よ。王に告げる者はいない。王は気にいる言葉だけは受け入れる。耳に逆らう言葉は退ける。
しかしこの本に取り上げられている詩の多くは祖霊を迎え、賞賛するような場面が多い。精霊をモチーフにしながらも、ポエミーな要素も多い「蜉蝣(ふゆう)」
蜉蝣之羽 蜉蝣の羽
衣裳楚楚 衣裳楚楚たり
心之憂矣 心の憂うれば
於我歸處 我と帰処(きしょ)せよ
かげろうの羽よ、その衣装の美しさよ。
心はかくも憂わしいので、どうか我がもとへとどまり給え。
蜉蝣之翼 蜉蝣の翼
采采衣服 采采たる衣服
心之憂矣 心の憂うれば
於我歸息 我と帰息(きそく)せよ
かげろうの羽よ、その衣服の美しさよ。
心はかくも憂わしいので、どうか我がもとへとどまり給え。
蜉蝣掘閲 蜉蝣の掘閲(くつえつ)せる
麻衣如雪 麻衣雪(まいゆき)の如し
心之憂矣 心の憂うれば
於我歸説 我と帰説(きぜい)せよ
土より出づるかげろうよ、その麻衣は雪のごとし。心はかくも憂わしいので、どうか我がもとへ息い給え。
唐詩ほど形式が整ってないながら、さりとてここに挙げた詩は繰り返しとそのパターンのブレイクの仕方にリズムと妙があるようで興味深い。
余談だが、我が図書館には詩経のビギナーズクラシックがなく、残念・・と思っていた。
先日行ったら新規購入としてこの本を含む何冊かが別棚に紹介してあったからちょい喜んで借りてきた。
教科書を出版している会社さんの出版。開いてみると正直教科書よりも、むろんビギナーズクラシックよりも、かなり硬質。説明が足りないな、ということも多かった。
まあ五経は難しいんだろう。多少分かったような、そうでないような気分である。書きようによっては面白そうなのにな詩経、と思いつつ読了した。