建築家フランク・ロイド・ライトはコルビュジェ、ファン・デル・ローエと並び近代建築の三大巨匠で、1916年から帝国ホテル別館を設計した。ライトが設計した、国内では数少ない住宅が自宅近くにあると知り、折りよくテレビでライト特集なんかがあり、図書館で本借りて、設計会社の友人と行ってきた。
◼️瀬尾まいこ「戸村飯店 青春100連発」
存在感、通り過ぎ感。男子主人公はセオマイコーで初。オモロ楽しい。
都道府県民の特徴とか現象を取り上げて笑う某番組を見ていると、大阪人のことは意図的にちょっと極端めにしていると思う。テレビやアニメで聞く関西弁はちょっと変。まあ、そんなこんなも含みこんで大きく受けとめているのが関西、と、九州育ちの関西在住人は思うのだ。たぶん地の人には、いや、それは違うでShinoちゃん、と言われそうだけど笑。
セオマイコーさんは関西で長く教員をしてた人なんで、その辺の機微は分かっている。その上での展開なんだなと。
大阪にある家族営業の中華料理屋、戸村飯店で育ったヘイスケとコウスケは年子の兄弟。コウスケは、イケメンのヘイスケに憧れを募らせる幼なじみの岡野が好きだが告白できない。ヘイスケは要領がよいタイプで店のことは手伝わない。一方野球部で一本気、幼少から店をよく手伝ってきたコウスケはそんな兄をどこか軽蔑している。2人はほとんど会話をしなかった。
文才のあるヘイスケは高校卒業後、東京の専門学校へ旅立ち、入学金返還無料期間にさっさとやめてレストランのバイトにせっせと通う。彼女もできる。高校3年のコウスケは店を継ぐからと学生生活最後の1年をエンジョイする事に決め、クラス対抗合唱コンクールの指揮者に立候補、ピアノ伴奏の北島君と親しくなるー。
戸村飯店という環境が大阪ベタで気持ち良い。あまりガラのよくない常連さん、タイガースファンでないとは言えない雰囲気、まあここへ座り、と距離感を詰める姿勢、にしてはダジャレや冗談を入れたアホな会話、それをこともなげに受け止めるコウスケー。
コウスケ、ヘイスケ、それぞれのモノローグの章立てで物語は進むー。
コウスケは岡野からヘイスケへの手紙の文章をネタをせがまれ、初めて兄というものを考える。北島君という理知的な親友も出来て影響を受け、岡野に想いを伝えるべくもがく。まあそれも見てて楽しいレベル。
ヘイスケは店を手伝わない、要領がいい、モテる、といった特質は持っていたが、東京で、19才らしく、自分を見つめる。つかめそうでつかめないようなもの、友人、バイト先の信頼する店長、そして年上の彼女・・。
三者面談でコウスケが店を継ぐ、と言ったときの、親父さんの理不尽なキレ方と先生の対応面白い。兄ヘイスケ、岡野とコウスケを取り巻く人々も微笑ましい。
19才と18才、それぞれが、読んでいる人に記憶を呼び起こさせる。世間に対しボーッとしていて、目の前で起きる現象を未熟に咀嚼していた頃。妙に素直だったりするとこもリアル。友人も仲良くなっては離れ、でもどこか影響を受ける。
大阪テイストがやや過剰かなとも思えるけども笑える設定。突き出して凝ったストーリー構成はない。でも、なんでセオマイコーはこんなにしみじみと可笑しく読ませるのだろう。
これまで著者が設定する女性主人公の自然体なところに好感を抱いてきた。でも、男性主人公も良きかも。イジワルテイストのない物語。佳作かなと思います。
◼️フランク・ロイド・ライト「自然の家」
帝国ホテルの設計者にして建築に新思想を吹き込んだライト。建築家の本を読むのは初めてだったが、かなり面白かった。近々観に行きます。
その方面に勤める友人と建築の話になり、ライトの建築した家が自宅近くに公開されていると知って観に行くことに。予習で読んでみた。たまたま我々の話を聞いていたかのようにテレビでもライトの建築特集があったりした。
ライトは1867年生まれのアメリカ人。1913年来日し、帝国ホテル新館を設計した。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエとともに、近代建築の三大巨匠とのこと。他の人のことも含め、さっぱり知らなかった。建築界全体でも安藤忠雄と隈研吾と、関西学院大学や近江兄弟社高校はじめ日本に多くの足跡を残しているウィリアム・メリル・ヴォーリズさんくらい。
この本はライト87歳の著作のようだが、最初はどうも青年の主張のようで、家具も建築士が設計すべし、などにはちと敬遠感も覚えた。費用を抑えず、よりアーティスティックな家を造る人かと。
しかしどうしてどうして、読み進むうちに、本来は中産階級のための住宅を建てるべく、おしゃれにコストダウンを考えていたということが分かってきた。白黒だが、家の外観、内観の写真はモダンにして特徴的、機能的でカッコよく、心ときめかせて読んでしまった。
私なりに把握したライト建築の特徴は以下である。
・屋根は平面が多く、庇を張り出している。
→外から見えるような背の高い屋根はコストがかかり、かつ不必要、という考え方から。たぶん切妻屋根は採光やスペースの活用によくないという考えから。人体の寸法に合わせた天井の高さを、という信条もあるようだ。
・壁面のガラスが大きく、多い。
→庇によって暑熱から屋内を守り、かつ屋内を明るくする工夫と思われる。
・屋内の壁を除去
→採光と空調のため。しきりは別に作れる。
・台所(ライト言うところのワークスペース)を中心として見えるところに食堂とリビングを置く。
→これも採光と、風通しのため。特にワークスペースに屋内の空気を呼び込み喚起するのが匂いのためにも理想らしい。開放的、機能的。
・木材の素材を活かし樹脂入りの透明オイルを塗るだけ。
→ペンキ塗りは木材も呼吸が出来ず、生地が最も長持ちするとか。
ほかもろもろ。車庫はもはや不要で覆い(張り出した屋根?)と壁が2面あればいい、とか、地下室と屋根裏部屋は好ましくなく、どうせ物置でろくに人は出入りせず臭気のもと、とか、照明や電熱器具はできるかぎり壁と一体化するとか、なるほどと思うことが多い。「カーポート」の名付け親、手がけた水平屋根を多用する建築はプレイリースタイル(草原様式)と呼ばれたとか。
広々とした空間に作り付けの本棚、開放的なテラス、すっきりして現代的な外観なぞの写真はいいなあと見入ってしまう。ぜひ検索して見てみてください。
柱の上に梁を乗せるという古典的な単純構造を否定、鋼鉄を曲げて連続性を出し、ガラスを多用して明るくする、というのは新時代の建築、という向きもあったのかなと思う。
老子の研究、浮世絵の購入などもしていて、その建築は東洋的とも言われ、本人もまんざらではないようだ。有機的建築は東洋の思想と共鳴する、と文中で述べている。日本で男爵邸の朝鮮の間で、オンドルに驚き、床暖房を取り入れたりしている。そりゃ東洋的ですね。
帝国ホテルは費用オーバー、工期の遅れで依頼主ともめ、完成を見ずに離日したとか。中産階級向けの住宅と違い、国の顔とも言えるホテルに、リキんじゃったのかなと。
面白かった話をひとつ。
得意の絶頂だったライトは内部空間こそが建物の実体、ということを自分で発見したと信じていた。そんな折、駐米日本大使から
岡倉天心「茶の本」
が送られてきた。ある一文に突き当たった。
「ひとつの部屋の実体は、屋根と壁によって囲み取られた空間にこそ見出されるべきものであって、屋根や壁そのものに見出させるべきものではない。」
東洋にすでにあったのだ、と大きな衝撃を受け、自信をくじかれたんだそうな。「茶の本」は手元にあるから早速探してみよう。
確かに上からで、プライド高く、という感じも受ける。旧弊を嫌う。でも、どこか茶目っ気のあるライト。さて、勉強もしたことだし、その建築探訪がとても楽しみになった。
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