2020年8月1日土曜日

7月書評の9




ゲラ読みキャンペーンであたった。

◼️アンソニー・ホロヴィッツ

     「その裁きは死」


象徴。ミステリ好きなら誰もがピンと来ていた過程、周到に敷かれた仕掛けが、最後の謎解きで改めて整理され明かされたとき、読み手はカタルシスすら感じるのではないか。見事に成功している、と思った。


作者アンソニー・ホロヴィッツと退職刑事でスコットランド・ヤードに依頼されて捜査を行うことの多いホーソーン。前作「メインテーマは殺人」からのこのコンビ。彼らは実際に起きた事件、ホーソーンの捜査を本にして出版し、収入は折半という取り決めをしていて、実際に3冊を出版する契約をかわしている。


そういうわけで捜査に同行するホロヴィッツはすでに児童小説や有名ドラマの脚本家として成功した存在だが気は小さい。一方のホーソーンはぶっきらぼう、自分のことを話したがらない、ヘビースモーカー、同性愛嫌いとふた昔前?とも思える性格で、しかし捜査と推理の腕はめっぽういいという、職人的人間。2人の関係性もこのシリーズの焦点の一つだ。


さて、多くの推理小説に見られる1人称の書き手、記録役。探偵の引き立て役でもある。もちろんアンソニーがそうなのだが、今回そのワトスンっぷりがもう笑えるくらい目立つ作りになっている。


離婚訴訟専門の弁護士リチャード・プライスが自宅で殺された。ワインのボトルで頭部を殴打され、ボトルの割れた部分で喉を切られていた。現場の壁には緑色の塗料で「182」という文字があった。


プライスは裕福な不動産業者、エイドリアン・ロックウッドと女流純文学作家のアキラ・アンノの離婚訴訟で、依頼者ロックウッドに有利な判決を勝ち取るのに尽力していた。殺される前、リチャードはたまたまレストランでアキラに遭遇。グラスのワインをかけられた上、ボトルで殴ってやる、と脅しとも取れる言葉を投げつけられていた。


凶器となったワインは、ロックウッドから送られた高価なものだった。さらに、犯人が家に来た時、電話の向こうでリチャードは恋人の男性に不自然な言葉を発していたー。


感銘を受ける小説というものは、設定に工夫があって、いわゆるオチ、を読んだ後、何かが強く心に残る、そんな作品だと思う。心で発する声は「そうだったのか!」や「そんな・・」だったりする。


前作「メインテーマは殺人」では謎解きの際、細大漏らさず、パチリパチリとパズルのピースがはまっていくようにホーソーンの説明が展開され、その精密さ、完成度の高さに「すごい・・」と舌を巻いた。


今回はまた、うすうす感じていたことが、なんと、という決め台詞で煽られ、ホーソーンの一言で衝撃に変わる。事件そのものの謎解きばかりでなく、いわばストーリーに仕込んだ「演出」が強く作用する。


最初の「182」の文字が出てきたところで、ミステリー好きなら誰しもシャーロック・ホームズの「緋色の研究」で壁に残された「Rache」の血文字を思い出すだろう。しかしシチュエーションが違うし、さらにロックウッドが、かつてリチャードの趣味の洞窟探検仲間の未亡人と一緒にいたというアリバイ、その洞窟探検の悲劇、またアキラ・アンノの嘘ほかで事態は複雑になるからスルーする。


ホロヴィッツはコナン・ドイル財団公認のホームズの続編「絹の家」、さらに「モリアーティ」の著者でもある。バキバキのシャーロッキアンだ。この作品の中でアンソニーはホーソーンが参加している読書会に招かれる。読書会の課題図書はまさに「緋色の研究」だ。


ホームズの名言の一つとして「緑柱石の宝冠」で出てくる「まったくありえないことを取り除いてしまえば・・」という有名な言葉があるが、それが今作で突然飛び出すのにびっくり。そして、ホーソーンの事件の解題のセリフで、散らされた要素を知り、ああ、だからアンソニーはワトスン以上の過剰なワトスンだったのか、と悟った気分を味わい、腑に落ちる。これがこの小説の衝撃であり、魅力だと思う。


実際今回のアンソニーはひどい扱いだ。ホーソーンの元同僚の女性警部グランショーには脅された上、ひどく露骨な嫌がらせを受け、窃盗犯にされかかる。事情聴取に行けばアンソニーが作家と知る人に非難を浴びる。さらにホーソーンにはある意味裏切られる。その中で、ホーソーンに分かるなら自分にも分かるはず、となんとライバル意識を燃やすところにはクスッとなってしまう。グランショーもまた、レストレイドのような役割だ。


さまざまな要素が一つの方向を指していた、という仕掛け。まるでチャイコフスキーの交響曲5番で、「運命の動機」の旋律が4楽章全てで現れ、最終楽章で結実するように。


前作「メインテーマは殺人」ではラストまでがやや冗長に思えたが、今回は最初から面白い。息もつかせぬ複数の展開。そしてばら撒かれた謎はやはり最後にキチンと整理されて提示される。


最近ではトルコのノーベル賞作家オルハン・パムクに、設定の仕掛けとオチの気づき、というのを感じている。ホロヴィッツも、しかしまあ、タダでは済ませない、「そういうことだったか!」があり、よりお得感のある、稀有な演出家だと思う。


ホーソーンとは距離を置きたい気もするアンソニー、逆にホーソーンはアンソニーを気に入っているようだ。それもまた微笑ましい。次の2人の関係性は?そして次の仕掛けは?ネクストを早くも想像してしまうのでした。

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