サボってるともう8月。やべ、7月書評あげよう。
◼️北村薫「詩歌の待ち伏せ」
著者の読書法、探究法に唖然。まさに文学探偵、リテラリー・デテクティブ。疑問の持ち方が日常の謎→著作の傾向につながるのかなと。
タイトルの通り、テーマは幼い頃からこれまで、読んでハッとした体験を集めた21篇の本。人にリアクションさせるため、意図を持って書いた人のことばは、息を潜めて待ちぶせしているー。読書体験ってそういうものだと思う。
三好達治、石川啄木、松尾芭蕉のチョー有名な句や、好みの西條八十について数章割いて探究してたりする。ちょっと私にはハイレベルなとこもあり、心に残ったところだけー。
◇著者が娘さんに椎名林檎のCDを聞かせてもらう。歌詞には「ずっと」としか書いてない部分を、椎名林檎は「ずっと ずっと ずっと」と歌っている。そこでハッとする。
佐佐木幸綱が自作の和歌を読んだテープを聴いた時のこと、
白波の胸さわぎつつ漆黒の
確信の馬先行かすなり
を佐佐木は
「白波の胸さわぎつつーさわぎつつ漆黒の」と読む。また、
じりじりと追い上げてゆく背景と
してふさわしき新芽の炎
「じりじりと、じりじりとーじりじりと追い上げてゆく」
と読む。もちろん歌い手なり読み手は確信犯だけれども、文字に定着する以前の息づく思いそのものが響くように聞こえる、と。
椎名林檎は「ギプス」ですね。カラオケで歌います。思いのこもった自作朗読の良さ、素人ながら、わかる気がした。一瞬競馬の歌かと思ったけど笑。
次の章も佐佐木で、
サキサキとセロリ噛みいてあどけなき
汝を愛する理由はいらず
のセロリを探究している。これも短くてなかなか気持ちいい篇。
◇松尾芭蕉「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
この「蝉」は一匹か複数か、さらに何ゼミか。思い出と通説が紹介されている。北村氏は蝉は油蝉で一匹だと思い込んでいた。私は、やはり油蝉だけどうるさいくらいの多数だと思っていた。研究によれば、蝉はにいにい蝉で、少数だということに落ちついているそう。へええーという感じ。蝉がうるさいなかに静謐な場所があった、というのが私のイメージ。やべ、「おくのほそ道」通読したのに^_^
たしかに「閑かさや」だから蝉は少なく、単体として聞こえるから岩にもしみいる、のかなあとも思えてくる。ヒグラシの単体も粋だけど、ここは合わないな、とか感じる。面白い。
◇童謡・雑謡で
「そうだ村の村長さんが曹達飲んで死んださうだ、葬式饅頭大きいさうだ」
これは私も知っていた。埼玉育ちの著者もほぼこの通りだったと。ちなみに愛知の歌で、愛知県には「惣田村」というのがあったとのこと。
「蜜柑、金柑、酒のかん、親は折檻子はきかん、角力取りや裸で風邪ひかん、田舎の姉さん気がきかん」
これは覚えてるようなそうでないような。
これらの歌とは北原白秋編の童謡・雑謡集で見つけたそうです。
ほか、ドイツのベイツという人の「クリスマス・ソング」、西條八十とチャンドラーの本のセリフ、繋がりの話などが興味深かった。
北村薫氏は「円紫さんと私」シリーズで、日常の謎の話、そして文学史上の、掘ってみたい話、たとえば芥川龍之介の「六の宮の姫君」や太宰治の辞書のこと、を取り上げたりしている。その素地がよく表れているな、と感慨を抱いた一冊でした。
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