2020年8月1日土曜日

7月書評の8





◼️皆川博子「猫舌男爵」


表紙のイラストも含めていかにも面白そうな表題作、実は!

のびのびと枠を外しているような短編集です。


図書館に行ったところ、この日ドドドンと目立ち自己主張していた。かつてお教えいただいた本で、あっこれだ、とサッと借りてきた。


皆川博子は本好きが好きな作家、というイメージがある。私はコミカルさもある「開かせていただき光栄です」、80年代の匂いがする「花と鎖」、そして幻想的な「蝶」のみ。いくつものジャンルの書き分けができる人、という認識はあるものの、まだまだ皆川通には日が浅い。


今回は、ヨーロッパ近代の歴史の中のある小篇、という感想を持った。不思議で、グロな面と人間臭さが目立つ作品たち。(表題作だけは違う)すべてに共通して感じたのは、通常の手法の枠を外して楽しんで書いているのかな、ということだった。


◇「水葬楽」

のっけから呪文のような言い伝えのような古い語調、侏儒、という言葉で不安感を与える。父は「容器」の溶液の中で人口エラを取り付けられて延命している。常に共に行動している子供の「兄」と「わたし」はどうやら、肉体的に・・というのが見え、やがて別れがやってくる。


初っ端からワールド全開。未来的で生々しいシチュエーションの描写、屋敷内の冒険、侏儒との出会い、と読み手は不思議な迷路にはまっていく。ふうう。



◇「猫舌男爵」


ハチャメチャさ風味を楽しむ。コメディですね。皆川には珍しいタッチの作品らしい。


ポーランドの大学で日本文学ゼミナールに通うヤン・ジェロムスキが日本人ハリガヴォ・ナミコの短編集「猫舌男爵」を全訳、その「あとがき」から物語は幕を開ける。


こうして考えると、いかに日本語が難しいかよくわかるなぁ、と。ヤンくんは山田風太郎の忍法もののファンだそうだがカン違いばかりで、先の戦争とか、日本の拷問法などの話題がなぜか展開される。


吉原に行ったことを書かれた恐妻家の指導教授が執拗に抗議したり、あとがきを訳してもらって読んだ日本のご老人が長々と自説を記したり、なぜかヤンの友人の恋人たちに拷問から誤解が生まれたり、まあ言葉の違いからもうズレまくったおかしな場面がなんらかの書簡の形で連続して現出する。


ハリガヴォ・ナミコは、比較的早くアナグラムと分かった。エスプリですね。


◇「オムレツ少年の儀式」

残り3つにはいずれもこれまで観た映画を連想した。プラハのレストランでオムレツを作る職を得たドイツ人の少年の話。父を亡くして家を追い出され、母は靴屋の愛人兼家政婦に。悲惨な境遇に心を麻痺させられた少年の出口とはー。やはり愛人の子供たちの話、「クリスマスに雪はふるの?」を思い出した。


◇「睡蓮」


注釈にもある通り、彫刻家ロダンの弟子で愛人となり精神を病むカミーユ・クローデルに示唆を得ている。画家に置き換えた話。


これもすべて書簡の形。イザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデュー、当時のトップ俳優女優の映画を思い出す。パンフ探してみよう、という気になった。


◇「太陽馬」


傍若無人なボルシェヴィキと翻弄されるコサックの者たち。そこは分かるのだが、なんの前触れもなく一人称の主語が変わる。音でしか表現できない、最初の方は「朕」と自称するやんごとなさそうなきわの者。分からないことはなさそう、いややっぱりわからない(笑)実験的?そのはざまを楽しむものか。


ただ「馬」つながりだけだが、色彩の使い方が上手なキルギスの名監督、アクタン・アリム・クバトの「馬を放つ」が心に浮かんだかな。


表題作は、まあ異色で、言ってしまえば良き遊び。ただ他の作品も、最後の昇華が足りないな、と感じたり、やや強引だなと思ったりした。


ギリギリめを少し意識してみた作品たちなのか、私が修行不足なのか。しかし手練手管、抽斗がたくさんで、考えさせること自体奥が深いのかも、逆に伸び伸びしている感じも受けたのでした。

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