2020年8月8日土曜日

8月書評の1





父が送ってきたおかきセットの中に入っていた稲荷あげ餅。レンジであっためて食べた。

いろいろ行きたいところもあるんだが、コロナを気にしてやめてしまう。妻も実家への帰省を取りやめた。

先日ふっと、琵琶湖一周のサイクリングツアーを調べてみた。1泊2日、できれば2泊3日で、行きたいなあ〜。

◼️アルフォンス・ドーデー「アルルの女」


有名な前奏曲とメヌエット。戯曲には面白い工夫が。


シェイクスピアを読むようになってから、戯曲を読むのが一つの好みになっている。まだまだ数は少ないけども、読み重ねていきたい。


さて、ビゼーの「アルルの女」、第1組曲の冒頭と、第2組曲のメヌエット、フルートの独奏はひとつ、街でいえばランドマークのように、印象に強く残るメロディー。


では戯曲の方はというと、昔翻案の劇をテレビで観た気がするがなんとも心もとない。どんなんだったっけ・・と読んでみると、「桐島、部活やめたんだってよ」のような小粋な展開が。


南フランスの山間の村カストゥレ。農家の若主人、20歳のフレデリが都会のアルルの女に恋をした。周囲は騒ぎ心配するが、婚礼の準備を整える。しかし「あの女は俺の女だ」という馬の番人が来て、真実を知ったフレデリは想いを断ち切るように自分を慕う村の娘ヴィヴェットとの結婚に踏み切る。しかし、馬の番人がアルルの女と駆け落ちすると知り、フレデリは度を失うー。


悲劇である。登場人物が練られているなと・・フレデリへの過度な執着を示す母親のローズ・ママイ、おおらかで単純な伯父のマルク、素朴で純粋な娘ヴィヴェット、舞台でのイメージが頭に浮かぶ。1人冷静な老羊飼いバルタザールが効いている。名前もまた、キリストが生まれた時に来訪した東方の三博士、とはまた興味深いネーミング。


で、フレデリとその家族を振り回す「アルルの女」は劇中まったく出演がない。「アルルの女」と呼ばれるだけで、名前さえなし。


佳作「桐島、部活やめるってよ」でもさんざん桐島くんの名前は出てくるが、本人は出てこない。最近読んだものでいえば「田村はまだか」もそんなテイストだったかな。名前ないのは私も初体験かも。でもだから、タイトルが心に強く灼きつけられるのかも。


短く、あまり複雑でない悲劇。でもどこか噛み合わせの上手さを感じさせる。美しいヨーロッパ山間部の田舎、過度な感情、やや緩慢な家族たちの動き、田舎おやじ、身分の低い賢人など、細かい粒が立っていて、うまく劇が造形されている。


第一組曲、第二組曲を聴き直した。毅然と悲劇を直接的に予想させる前奏、山に響く、繊細で甘いフルートのメヌエット・・充分に堪能した読み手は・・聴きながら気持いつしかうたた寝したのでした。気持ちよかった。


◼️三上延「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅱ

                                        扉子と空白の時」


新シリーズは横溝正史でスタート。幻の作品「雪割草」をめぐる物語ー。


文芸作品に絡む謎を解いていくミステリー。探偵は、北鎌倉のビブリア古書堂店主で尋常ならぬ愛書家の篠川栞子、ワトスンは店員の五浦大輔。全7巻では夏目漱石、太宰治、坂口美千代、宮沢賢治、江戸川乱歩、手塚治虫、シェイクスピアほか多くの作家、作品が登場していて楽しく読ませてもらった。かなり深めの文芸ネタをミステリータッチで面白くライト風味に展開していくのは好ましかった。形が世の中の(本読みの)ニーズに「ハマった」からこれだけ売れたんだと思う。


私にとってはシェイクスピアに親しむきっかけになった作品。新シリーズが始まり嬉しい本読み。


さて、もとのシリーズで、なかなか進展しないポッと照れるような恋愛テイストを長く続けていた2人も結婚し、扉子という、やはり本が大好きで周りとなじめない娘がいる。この作品では扉子の高校時、そして9才の時、さらに栞子さんが妊娠した時と3つの時代が混在している。


メインになるのは、妊娠時の2012年、そして9年後、扉子が小学校3年生の時、2021年。扉子高校時は・・つまり近い未来へ時制を進めてある。


横溝正史の幻の作品、「雪割草」を盗まれたから捜して取り戻してほしいー。元華族である上島家の子孫から依頼された栞子と大輔は大きな屋敷へ調査に出かける。栞子は見事に謎を解いてみせるが、あったはずの直筆原稿がなくなっていた。そして9年後、上島家から蔵書を引き取ってほしい、という連絡が入るー。


大きな屋敷、身内の愛憎、そして年月を経てからの再調査と、横溝正史の作品テイストに合わせた展開。扉子が買った古い「獄門島」を巡るちょっとしたエピソードも良い彩りを加えている。


なんか最後だけしっくりこなかったが、栞子、扉子、そして栞子の母、扉子の祖母、目的のためなら手段を選ばず本の持つ魔性に魅入られた智恵子も出てきて3世代が揃い踏みとなる。長い黒髪の3世代。智恵子(なんかやっぱレモンをがりりと噛みそう)おばあさんは相変わらず怪しいとはいえロンドンで書店を営んでいて、栞子も当地へ手伝いに行ったりしている。


横溝正史は、幼い頃読んだ話がものすごく恐ろしく、以後1週間くらいずっとショックが心に残っていた。題名は思い出せないが、島ものだったかな・・だとしたら「悪霊島」かそれこそ「獄門島」かな。そのためもあってか、以後ほとんど読んでいない。せっかくだから1冊くらい読んでみようかな。


今回もなかなか読み込めたが、新シリーズの種蒔き編だろうおそらく。これから扉子の活躍が始まるのか、だとするとワトスン役はどうなるのか。もちろん、次の題材は何になるのか、楽しみは広がる。待ち遠しいこと。

2020年8月1日土曜日

7月書評の14





◼️堀内興一

「北海道昔話 4 オホーツク物語」


北海道の、オホーツク海に面したエリアの話が多い。北の遠望、知らない町を、歩いてみたい。


5冊北海道で買ってきたうちの第4集。これまでは虻田町など、北海道南東部の話が多かったけれど、今回は北海道ひし形の右上エリアをテーマにしている。流氷も出てくるし、より北の、異国情緒も匂う。


◇「天上界の落ちこぼれ神(カムイ)・網走湖」


これまでも、子供たちのうち、とんと出来ない1人が、という話はあった。変身が苦手な落ちこぼれ神、オバカーネレ(馬鹿にする、という意味らしい・なんか笑)が人間界に降り、思わぬものに変身して、拝まれるようになるハッピーエンド。


◇「石舟(カムイポチ)で千年も待った男・紋別市」


偶然出会った不思議なおじいさん、ニペク(光明)は、若い頃鼻っ柱の強い知恵者で人をバカにするいやな性格だった。ある日どちらが優れているか、オイナカムイ(文化神)と勝負することに。時間単位の大きさがまた北海道らしい。


◇「流氷に乗って去っていった少女(メノコ)・遠軽町」


一転悲しめの話。飢餓に襲われた集落を救うため、酋長イクレシュエの娘シクラパは・・。他にも出てくるが、天災や悪行で、集落はとたんに飢える。コロナ禍と重ね合わせてしまった。



◇「矢となって魔神を倒した少年・斜里町」


美しい娘・ヘリアッテ(照らす)には、嫁入り話が引きも切らない。しかし相手として決まった男は次々と死に至る。それは、魔神の仕業だった。ただ1人見抜いたの弟・パンゲは天地創造の神・モシリエベンケカムイにあることを願う。


◇「山男(キムンアイヌ)になった女酋長の息子・サロマ湖」


敬愛されている女酋長は近隣に鳴り響く乱暴者のドラ息子パレシナに頭を痛めていた。その困った振る舞いに酋長は山にこもってしまい、村の結束が乱れたためパレシナは追放される。スサノオっぽい?聞いたような話だが、こちらもドラ息子が不思議な運命を辿る。


◇「地獄穴から帰ってきた女・網走市」


ファンタジー系。羽を広げると二十数メートルともなる巨鳥ヒウリに攫われたシオクは幼子を抱いていた。夫のキキカラは宝刀エペタムを携え仲間とともに助けに向かうが行方不明に。そして10年後ー。恒川光太郎を思い出した。


◇「双児の神(カムイ)の腕くらべ・常呂町・能取湖」


こちらは海幸山幸をアレンジしたような話。劇中でも弟が、神話みたいになっても、というくだりがある。直接の悲劇はなく、やんわりと終わる。


◇「三十郎松・北見市」


3週にもあったが、明治期の移民・入植の話。校庭の真ん中のオンコ松を切る話が地域に持ち上がったが、土地の持ち主の三十郎じいさんは反対する。入植した頃、大変な苦労の中で、不思議なことに福井にいるはずの母がこの木の陰に現れ、励ましてくれた。そしてじいさんのもとに、知らせが届くー。


感動した。もうあかんなこんなの。ホロホロ。


北海道には何度か行ったが、南と北、函館と稚内から網走方面はまだ未踏派。沖縄も異国情緒だが、はるか北の国境に近い北海道にはまた別の、特別な旅情、異国の香りがある。ああ、北海道行きたい!

7月書評の13





◼️トム・ラス、ドナルド・O・クリフトン

       「心の中の幸福のバケツ」


この話を聞いた時は革命的な匂いがした。

心掛けでかわる生産性の上げ方ー。心のバケツに水を入れよう。


著者トム・ラスの祖父は大学で心理学を教えている時、心理学の研究といえば不安の分析など、ネガティブな面に関するものばかりだった心理学に疑問を持ち、ポジティブ心理学を始めた方。この本は死の病気と戦う祖父とともに取り組んだ作品である。


バケツとひしゃくの理論。


人は誰でも心にバケツをもっている。バケツの水があふれているときが最高の状態だ。逆にバケツが空のときが最高の状態だ。


バケツのほかにひしゃくも持っていて、誰かのバケツに水を注げば、自分のバケツにも水がたまる。


本は朝鮮戦争で捕虜となったアメリカ兵に北朝鮮が行った心理的プログラムとも言えることから始まる。残酷な刑罰を与えたわけではない。食料と水は十分に与えられ、居住スペースも確保されている。しかし、アメリカ兵のなんと38パーセントが死亡していたことが分かったー。


心理的な状態で、人の死亡率は上がるのだ。

また、アメリカ人の65パーセントは職場で一度も褒められたことがないという調査結果があり、会社を辞める最大の理由は、自分が正当に評価されているとは思えないこと、だそうだ。


バケツの水を汲み出すような言動のある職場は結果的に会社に損失を与え、逆に水を入れる職場は生産性も上がるー。バケツに水を入れ、人が何度も読み返し支えにする言葉は、ちょっとした、さりげない一言だったりする。


まずは、この例えが素晴らしい。そう、心のバケツに、渇きを癒し潤わせる水。そして物理的に逆を行く、自分のバケツの水も増える、という流れ。その通りだなあと思えるし、心のセンスにひっかかる。


褒める、認める。そうなのだ。けっこう会社というところはなかなか褒める言葉を言わないところになっている。昔若手の頃、HPに、ちょろっとでも良い言葉をくれたら、仕事の苦労も報われるのに、と書いたことがある。人間はそういう生き物。「よくやった」それだけでいいのだ。


また、最近仕事のやり方を考えて変えたタイミングでこの言葉に出会ったのはいいタイミングだった。うつうつしててもしょうがない。ポジティブにしたほうが周りもこちらも気持ちがいい。


もちろん褒め認めたら全てがうまくいくわけじゃないと思う。質が高まらない恐れもある。ただ、言って当たり前、でも大半が出来てない、ということに光を当てたのは大きい、と思う。


水を入れる、心がけよう。

7月書評の12





◼️トム・ラス、ドナルド・O・クリフトン

       「心の中の幸福のバケツ」


この話を聞いた時は革命的な匂いがした。

心掛けでかわる生産性の上げ方ー。心のバケツに水を入れよう。


著者トム・ラスの祖父は大学で心理学を教えている時、心理学の研究といえば不安の分析など、ネガティブな面に関するものばかりだった心理学に疑問を持ち、ポジティブ心理学を始めた方。この本は死の病気と戦う祖父とともに取り組んだ作品である。


バケツとひしゃくの理論。


人は誰でも心にバケツをもっている。バケツの水があふれているときが最高の状態だ。逆にバケツが空のときが最高の状態だ。


バケツのほかにひしゃくも持っていて、誰かのバケツに水を注げば、自分のバケツにも水がたまる。


本は朝鮮戦争で捕虜となったアメリカ兵に北朝鮮が行った心理的プログラムとも言えることから始まる。残酷な刑罰を与えたわけではない。食料と水は十分に与えられ、居住スペースも確保されている。しかし、アメリカ兵のなんと38パーセントが死亡していたことが分かったー。


心理的な状態で、人の死亡率は上がるのだ。

また、アメリカ人の65パーセントは職場で一度も褒められたことがないという調査結果があり、会社を辞める最大の理由は、自分が正当に評価されているとは思えないこと、だそうだ。


バケツの水を汲み出すような言動のある職場は結果的に会社に損失を与え、逆に水を入れる職場は生産性も上がるー。バケツに水を入れ、人が何度も読み返し支えにする言葉は、ちょっとした、さりげない一言だったりする。


まずは、この例えが素晴らしい。そう、心のバケツに、渇きを癒し潤わせる水。そして物理的に逆を行く、自分のバケツの水も増える、という流れ。その通りだなあと思えるし、心のセンスにひっかかる。


褒める、認める。そうなのだ。けっこう会社というところはなかなか褒める言葉を言わないところになっている。昔若手の頃、HPに、ちょろっとでも良い言葉をくれたら、仕事の苦労も報われるのに、と書いたことがある。人間はそういう生き物。「よくやった」それだけでいいのだ。


また、最近仕事のやり方を考えて変えたタイミングでこの言葉に出会ったのはいいタイミングだった。うつうつしててもしょうがない。ポジティブにしたほうが周りもこちらも気持ちがいい。


もちろん褒め認めたら全てがうまくいくわけじゃないと思う。質が高まらない恐れもある。ただ、言って当たり前、でも大半が出来てない、ということに光を当てたのは大きい、と思う。


水を入れる、心がけよう。

7月書評の11

7月書評の10




◼️菅谷明子「未来をつくる図書館

                   ーニューヨークからの報告ー」


うーん、自治体の戦略。リテラシーが進んでいるのが素晴らしい。すごい、のひとこと。



2003年出版の新書。ニューヨークはまだ9.11テロの残滓濃いころ。


ニューヨーク市の図書館は、企業でいえばまさにコングロマリットとも言える「図書館群」。ビジネス図書館もあれば、芸術に特化したものもある。さらに黒人文化を研究する図書館もある。


新規ビジネスを生み出すことは、めぐりめぐって公共のためになる、という考え方から、来るもの拒まず、実にたくさんのサービスが展開されている。


業務スペースなどを提供するだけでなく、企業が購入するにも高額なデータベースを取り揃えて、誰もがアクセスできるようにしているのが素晴らしい。情報を妙に隠しておらず、国際スパイやテロリストにさえオープンで頭痛の種には事欠かないが、自由な情報の流れを優先させている。


さながら博物館の様相すら呈していて、舞台芸術などは、映像資料を図書館が積極的に公演を収録しアーカイブしたりするらしい。


有事の際には積極的に地域情報を発信したりと図書館に求められている役割がそもそも日本とは違う。


さて、理想に燃えて器だけ用意して利用者がいない、とはよく聞く話だが、図書館は積極的にさまざまな講座を設けている。その中にはパソコンの使い方のイロハを教えたり、移民のための英語教室を頻繁に開設する、という初歩的なものも含まれている。


さらに、職員も多彩で、市民にリテラシーを実施する、また専門的な資料を網羅する、データベースを使いこなすためには高度な職能をもった人材が求められ、大学院で資格を取った者たちが業務にあたる。



運営しているのはNPOで専門性があり、自ら膨大な寄付金をゲットするため営業的な役割を果たす。また企業らの社会貢献意識も高いそうだ。


原田マハ「デトロイト美術館の奇跡」にもあったけど、公共の文化的施設を身近に感じ、また感じさせるのはアメリカの一つの文化のような気もするな。


さて、日本ののんびりした図書館。狭くて新しくなくて、と思うことはある。本までの距離、借りるまでの時間が短いところは気に入っている。ない本も多いけれど、インターネット検索予約ができればさして不自由はない。


ニューヨークの例は、最先端たらん、戦略的であれ、という気概の表れで、すでに100年の歴史がある。これは逆に、短いとも取れる。人工的な戦略が奏功した例とも言える。


これだけの仕掛けがうまく行けば、雇用創出にもなるし、新規ビジネス、芸術活動、研究の母体と、充分になるだろうと思う。書籍のデジタイズは同時に多くの人が読むこともできるし、良いことも多い。それを市民ニーズと、同行と、日本語という限定的な言語とどうマッチさせていくか。目に見える経費削減とか、逆に収入等がないと腰を上げないということも多いだろう。


図書館が情報拠点として強くなるのは賛成。図書館関係の雇用が増えることも、高度化も本読みとして賛成。まずは気楽に受けることができる、実用的な英語講座とか、読み聞かせ活動とかないかな、と思うこのごろ。勉強になった。



7月書評の9




ゲラ読みキャンペーンであたった。

◼️アンソニー・ホロヴィッツ

     「その裁きは死」


象徴。ミステリ好きなら誰もがピンと来ていた過程、周到に敷かれた仕掛けが、最後の謎解きで改めて整理され明かされたとき、読み手はカタルシスすら感じるのではないか。見事に成功している、と思った。


作者アンソニー・ホロヴィッツと退職刑事でスコットランド・ヤードに依頼されて捜査を行うことの多いホーソーン。前作「メインテーマは殺人」からのこのコンビ。彼らは実際に起きた事件、ホーソーンの捜査を本にして出版し、収入は折半という取り決めをしていて、実際に3冊を出版する契約をかわしている。


そういうわけで捜査に同行するホロヴィッツはすでに児童小説や有名ドラマの脚本家として成功した存在だが気は小さい。一方のホーソーンはぶっきらぼう、自分のことを話したがらない、ヘビースモーカー、同性愛嫌いとふた昔前?とも思える性格で、しかし捜査と推理の腕はめっぽういいという、職人的人間。2人の関係性もこのシリーズの焦点の一つだ。


さて、多くの推理小説に見られる1人称の書き手、記録役。探偵の引き立て役でもある。もちろんアンソニーがそうなのだが、今回そのワトスンっぷりがもう笑えるくらい目立つ作りになっている。


離婚訴訟専門の弁護士リチャード・プライスが自宅で殺された。ワインのボトルで頭部を殴打され、ボトルの割れた部分で喉を切られていた。現場の壁には緑色の塗料で「182」という文字があった。


プライスは裕福な不動産業者、エイドリアン・ロックウッドと女流純文学作家のアキラ・アンノの離婚訴訟で、依頼者ロックウッドに有利な判決を勝ち取るのに尽力していた。殺される前、リチャードはたまたまレストランでアキラに遭遇。グラスのワインをかけられた上、ボトルで殴ってやる、と脅しとも取れる言葉を投げつけられていた。


凶器となったワインは、ロックウッドから送られた高価なものだった。さらに、犯人が家に来た時、電話の向こうでリチャードは恋人の男性に不自然な言葉を発していたー。


感銘を受ける小説というものは、設定に工夫があって、いわゆるオチ、を読んだ後、何かが強く心に残る、そんな作品だと思う。心で発する声は「そうだったのか!」や「そんな・・」だったりする。


前作「メインテーマは殺人」では謎解きの際、細大漏らさず、パチリパチリとパズルのピースがはまっていくようにホーソーンの説明が展開され、その精密さ、完成度の高さに「すごい・・」と舌を巻いた。


今回はまた、うすうす感じていたことが、なんと、という決め台詞で煽られ、ホーソーンの一言で衝撃に変わる。事件そのものの謎解きばかりでなく、いわばストーリーに仕込んだ「演出」が強く作用する。


最初の「182」の文字が出てきたところで、ミステリー好きなら誰しもシャーロック・ホームズの「緋色の研究」で壁に残された「Rache」の血文字を思い出すだろう。しかしシチュエーションが違うし、さらにロックウッドが、かつてリチャードの趣味の洞窟探検仲間の未亡人と一緒にいたというアリバイ、その洞窟探検の悲劇、またアキラ・アンノの嘘ほかで事態は複雑になるからスルーする。


ホロヴィッツはコナン・ドイル財団公認のホームズの続編「絹の家」、さらに「モリアーティ」の著者でもある。バキバキのシャーロッキアンだ。この作品の中でアンソニーはホーソーンが参加している読書会に招かれる。読書会の課題図書はまさに「緋色の研究」だ。


ホームズの名言の一つとして「緑柱石の宝冠」で出てくる「まったくありえないことを取り除いてしまえば・・」という有名な言葉があるが、それが今作で突然飛び出すのにびっくり。そして、ホーソーンの事件の解題のセリフで、散らされた要素を知り、ああ、だからアンソニーはワトスン以上の過剰なワトスンだったのか、と悟った気分を味わい、腑に落ちる。これがこの小説の衝撃であり、魅力だと思う。


実際今回のアンソニーはひどい扱いだ。ホーソーンの元同僚の女性警部グランショーには脅された上、ひどく露骨な嫌がらせを受け、窃盗犯にされかかる。事情聴取に行けばアンソニーが作家と知る人に非難を浴びる。さらにホーソーンにはある意味裏切られる。その中で、ホーソーンに分かるなら自分にも分かるはず、となんとライバル意識を燃やすところにはクスッとなってしまう。グランショーもまた、レストレイドのような役割だ。


さまざまな要素が一つの方向を指していた、という仕掛け。まるでチャイコフスキーの交響曲5番で、「運命の動機」の旋律が4楽章全てで現れ、最終楽章で結実するように。


前作「メインテーマは殺人」ではラストまでがやや冗長に思えたが、今回は最初から面白い。息もつかせぬ複数の展開。そしてばら撒かれた謎はやはり最後にキチンと整理されて提示される。


最近ではトルコのノーベル賞作家オルハン・パムクに、設定の仕掛けとオチの気づき、というのを感じている。ホロヴィッツも、しかしまあ、タダでは済ませない、「そういうことだったか!」があり、よりお得感のある、稀有な演出家だと思う。


ホーソーンとは距離を置きたい気もするアンソニー、逆にホーソーンはアンソニーを気に入っているようだ。それもまた微笑ましい。次の2人の関係性は?そして次の仕掛けは?ネクストを早くも想像してしまうのでした。

7月書評の8





◼️皆川博子「猫舌男爵」


表紙のイラストも含めていかにも面白そうな表題作、実は!

のびのびと枠を外しているような短編集です。


図書館に行ったところ、この日ドドドンと目立ち自己主張していた。かつてお教えいただいた本で、あっこれだ、とサッと借りてきた。


皆川博子は本好きが好きな作家、というイメージがある。私はコミカルさもある「開かせていただき光栄です」、80年代の匂いがする「花と鎖」、そして幻想的な「蝶」のみ。いくつものジャンルの書き分けができる人、という認識はあるものの、まだまだ皆川通には日が浅い。


今回は、ヨーロッパ近代の歴史の中のある小篇、という感想を持った。不思議で、グロな面と人間臭さが目立つ作品たち。(表題作だけは違う)すべてに共通して感じたのは、通常の手法の枠を外して楽しんで書いているのかな、ということだった。


◇「水葬楽」

のっけから呪文のような言い伝えのような古い語調、侏儒、という言葉で不安感を与える。父は「容器」の溶液の中で人口エラを取り付けられて延命している。常に共に行動している子供の「兄」と「わたし」はどうやら、肉体的に・・というのが見え、やがて別れがやってくる。


初っ端からワールド全開。未来的で生々しいシチュエーションの描写、屋敷内の冒険、侏儒との出会い、と読み手は不思議な迷路にはまっていく。ふうう。



◇「猫舌男爵」


ハチャメチャさ風味を楽しむ。コメディですね。皆川には珍しいタッチの作品らしい。


ポーランドの大学で日本文学ゼミナールに通うヤン・ジェロムスキが日本人ハリガヴォ・ナミコの短編集「猫舌男爵」を全訳、その「あとがき」から物語は幕を開ける。


こうして考えると、いかに日本語が難しいかよくわかるなぁ、と。ヤンくんは山田風太郎の忍法もののファンだそうだがカン違いばかりで、先の戦争とか、日本の拷問法などの話題がなぜか展開される。


吉原に行ったことを書かれた恐妻家の指導教授が執拗に抗議したり、あとがきを訳してもらって読んだ日本のご老人が長々と自説を記したり、なぜかヤンの友人の恋人たちに拷問から誤解が生まれたり、まあ言葉の違いからもうズレまくったおかしな場面がなんらかの書簡の形で連続して現出する。


ハリガヴォ・ナミコは、比較的早くアナグラムと分かった。エスプリですね。


◇「オムレツ少年の儀式」

残り3つにはいずれもこれまで観た映画を連想した。プラハのレストランでオムレツを作る職を得たドイツ人の少年の話。父を亡くして家を追い出され、母は靴屋の愛人兼家政婦に。悲惨な境遇に心を麻痺させられた少年の出口とはー。やはり愛人の子供たちの話、「クリスマスに雪はふるの?」を思い出した。


◇「睡蓮」


注釈にもある通り、彫刻家ロダンの弟子で愛人となり精神を病むカミーユ・クローデルに示唆を得ている。画家に置き換えた話。


これもすべて書簡の形。イザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデュー、当時のトップ俳優女優の映画を思い出す。パンフ探してみよう、という気になった。


◇「太陽馬」


傍若無人なボルシェヴィキと翻弄されるコサックの者たち。そこは分かるのだが、なんの前触れもなく一人称の主語が変わる。音でしか表現できない、最初の方は「朕」と自称するやんごとなさそうなきわの者。分からないことはなさそう、いややっぱりわからない(笑)実験的?そのはざまを楽しむものか。


ただ「馬」つながりだけだが、色彩の使い方が上手なキルギスの名監督、アクタン・アリム・クバトの「馬を放つ」が心に浮かんだかな。


表題作は、まあ異色で、言ってしまえば良き遊び。ただ他の作品も、最後の昇華が足りないな、と感じたり、やや強引だなと思ったりした。


ギリギリめを少し意識してみた作品たちなのか、私が修行不足なのか。しかし手練手管、抽斗がたくさんで、考えさせること自体奥が深いのかも、逆に伸び伸びしている感じも受けたのでした。

7月書評の7






サボってるともう8月。やべ、7月書評あげよう。


◼️北村薫「詩歌の待ち伏せ」


著者の読書法、探究法に唖然。まさに文学探偵、リテラリー・デテクティブ。疑問の持ち方が日常の謎著作の傾向につながるのかなと。



タイトルの通り、テーマは幼い頃からこれまで、読んでハッとした体験を集めた21篇の本。人にリアクションさせるため、意図を持って書いた人のことばは、息を潜めて待ちぶせしているー。読書体験ってそういうものだと思う。


三好達治、石川啄木、松尾芭蕉のチョー有名な句や、好みの西條八十について数章割いて探究してたりする。ちょっと私にはハイレベルなとこもあり、心に残ったところだけー。


◇著者が娘さんに椎名林檎のCDを聞かせてもらう。歌詞には「ずっと」としか書いてない部分を、椎名林檎は「ずっと  ずっと  ずっと」と歌っている。そこでハッとする。


佐佐木幸綱が自作の和歌を読んだテープを聴いた時のこと、


白波の胸さわぎつつ漆黒の

           確信の馬先行かすなり


を佐佐木は


「白波の胸さわぎつつーさわぎつつ漆黒の」と読む。また、


じりじりと追い上げてゆく背景と

       してふさわしき新芽の炎


「じりじりと、じりじりとーじりじりと追い上げてゆく」


と読む。もちろん歌い手なり読み手は確信犯だけれども、文字に定着する以前の息づく思いそのものが響くように聞こえる、と。


椎名林檎は「ギプス」ですね。カラオケで歌います。思いのこもった自作朗読の良さ、素人ながら、わかる気がした。一瞬競馬の歌かと思ったけど笑。


次の章も佐佐木で、


サキサキとセロリ噛みいてあどけなき

            汝を愛する理由はいらず


のセロリを探究している。これも短くてなかなか気持ちいい篇。


◇松尾芭蕉「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」


この「蝉」は一匹か複数か、さらに何ゼミか。思い出と通説が紹介されている。北村氏は蝉は油蝉で一匹だと思い込んでいた。私は、やはり油蝉だけどうるさいくらいの多数だと思っていた。研究によれば、蝉はにいにい蝉で、少数だということに落ちついているそう。へええーという感じ。蝉がうるさいなかに静謐な場所があった、というのが私のイメージ。やべ、「おくのほそ道」通読したのに^_^


たしかに「閑かさや」だから蝉は少なく、単体として聞こえるから岩にもしみいる、のかなあとも思えてくる。ヒグラシの単体も粋だけど、ここは合わないな、とか感じる。面白い。


◇童謡・雑謡で


「そうだ村の村長さんが曹達飲んで死んださうだ、葬式饅頭大きいさうだ」


これは私も知っていた。埼玉育ちの著者もほぼこの通りだったと。ちなみに愛知の歌で、愛知県には「惣田村」というのがあったとのこと。


「蜜柑、金柑、酒のかん、親は折檻子はきかん、角力取りや裸で風邪ひかん、田舎の姉さん気がきかん」


これは覚えてるようなそうでないような。


これらの歌とは北原白秋編の童謡・雑謡集で見つけたそうです。


ほか、ドイツのベイツという人の「クリスマス・ソング」、西條八十とチャンドラーの本のセリフ、繋がりの話などが興味深かった。


北村薫氏は「円紫さんと私」シリーズで、日常の謎の話、そして文学史上の、掘ってみたい話、たとえば芥川龍之介の「六の宮の姫君」や太宰治の辞書のこと、を取り上げたりしている。その素地がよく表れているな、と感慨を抱いた一冊でした。