2020年3月15日日曜日

3月書評の4







上は唐津城からの港。滞在中弟がやたら朝食のパンが厚いというので食べてみたらホンマに分厚かった。さよなら福岡。またまたね。今回は地元近くのホテルだけに、ものすごく妙な安心感があって、次もゼッタイここにしようと思った。帰るときにはいつも福岡で暮らせれば・・とも思うけど、それはやはり夢想であって、私は長く過ごした関西も気に入っている。

でもいつかは、だな。

行く直前は兵庫県で初めて感染者がと言ってたが、帰ってみたら10人超えてた。


◼️ジュンパ・ラヒリ「低地」


しっとりと胸に迫る。「停電の夜に」のラヒリの長い長い物語。


催涙ガスの臭いを嗅いだことがある。学生最後の年に国際交流で釜山大学へ行った。学生による激しいデモが行われ、門の外には機動隊がいて、胡椒を含んだような強烈な臭いが緊張感をいや増していて、息を吸い込むだけで涙が出そうになった。折しも東欧で共産党政権が崩壊していた時期だった。この小説の序盤と時代は違うが、なんとなく思い出した。


カルカッタ近郊、低地のそばで育った冷静な兄スバシュとやっちゃなウダヤン。兄はアメリカへ留学し、学究肌のウガリと結婚したウダヤンは過激な政治運動に身を投じ悲惨な最期を遂げる。スバシュは家族に疎まれていたウガリをアメリカへ連れ出す。


ショッキングな場面がずっと尾を引く。夫婦として暮らす決断をしたスバシュとガウリだったが・・。


ラヒリは、30代で執筆した「停電の夜に」という短編集がいきなりピューリッツァー賞を受賞し、一躍有名となった。同作の文庫版カバーの著者近影が映画女優のように綺麗で驚いた覚えがある。両親ともインド・カルカッタ出身のベンガル人で、幼少時にアメリカのロードアイランド州へ移住した。


作品には自分の出自にちなむベースが敷かれている。今回もカルカッタとロードアイランドがメインの舞台となっている。


イデオロギーと政治状況が混沌としていた1960年代から現代まで。この作品はガウリがアメリカに行ってからがいわば本筋だ。


ガウリには娘ベラが生まれる。すぐ近くに大学がある、娘は自分よりスバシュに懐く。アメリカという環境はガウリには安寧をもたらしたが、どこか納得できない、抑えきれない感情が湧く。小説中に「ぎざぎざの怒り」と表した言葉に胸が突かれる。ガウリは決断し、スバシュやベラと向き合わないまま長い月日が過ぎる。



ベラが成長してスバシュとガウリが老いて現代に至るまでの物語。長い時間に環境が変わり、故郷も変わり、その中でもがく。ある程度の年齢の方なら実感を持って読むことができる話だと思う。



それぞれの時間を過ごし、自分の人生に引っかかったまま残したこと。ガウリにとっては捨てたも同然の娘であり、スバシュにとってはベラに伝えていない出生の秘密だった。そして清算する日がやってくる。受け止めなければならないベラの心持ちは計り難い。


ほのかな温かみと誰にもある後悔を感じさせて終わりを迎える。


ベラの姿には、角田光代「八日目の蝉」を思い出した。父がが愛人を妊娠させ、その愛人にさらわれた娘は親元に帰り成長して不倫の子を宿す。自分が突き放し距離を置いたはずのものに強く囚われている。


ベラもウガリも、スバシュも人間くさい。ありふれた場面でも捨てきれない情が交錯する。女学生から母親、そして老いたウガリのキャラクターと態度、行動には女性作家としての目線を濃く感じる。


この前に読んだオルハン・パムク「赤い髪の女」も時間の経過を追う作品だった。タイトでドラマティックなパムクに比して、静かで長い描写が多いラヒリは対照的。冗長ささえ覚えた。


でもやっぱりしっとり描くのがラヒリらしさだよねえ。まだまだ読みたいな。


◼️オルハン・パムク「赤い髪の女」


タイトルの吸引力があまりに剛力で引っ張られてしまった。予備知識なしのほうが楽しめるでしょう。


トルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクは「私の名は赤」「雪」を読み、その文化的ベースとリーダビリティ、内省的な表現と明快な結末が好ましく、もっと読みたいと思っている方。


帰省した博多駅近くの本屋でこの最新作を見かけ、即買いしてしまった。ジャケットもさることながら、なんて魅力的、蠱惑的なタイトルなんでしょう。思い入れで舞い上がってるだけかもしれないが^_^


少年ジェムは政治活動をしていた父が失踪し、大学予備校に通う金を稼ぐため、マフムト親方について、イスタンブール近郊のオンギョレンで井戸掘りの仕事を始める。親方と街に出た宵、ジェムは赤い髪の女を見かけ、熱烈に恋するようになるー。


見出しに書いた通り、あまりストーリーは知らない方が楽しめると思います。赤い髪の女は何者か。その深淵とも思える赤い魅力はどんなものでしょう?


ギリシャ悲劇、ソフォクレスの「オイディプス王」とイランの「王書」にあるロスタムとソフラーブの悲劇、というのが重要な要素となっている。たまたま先日「オイディプス王」を読んだので入りやすい部分があった。


物語を貫くのは「父性」だろうと思う。


パムクはもちろん、1980年代と思われる時代から始まって、現代まで時代を移しつつ、イスタンブールの移り変わり、昔的な労働形態、また政治活動の喪失・変遷を分厚く基盤として敷き、その中でジェムの内省的な部分を深く描いている。


2つの物語に造詣を深めるジェムに絡め、現代トルコの夫婦の生活や悩み、ビジネスシーンも上手に表している。


そしてなんつっても心惹かれるのが赤い髪の女。読者は、比較的長い、女が出てこないパートを、いつ出るか、どう出るか、と焦がれつつ赤い髪を待つ事になる。


実を言うと、ちょっと先が読めてしまう。単館系の映画っぽい作りだな、とも思う。でも様々なものをバランスよく配置し、命題を深堀りし、重要な要素を織り合わせ畳み掛け、読者に読ませる、その筆致に許せてしまう。最後にバランスをとっているようなところも面白い。


満足でした。もっと読みたいけど、地域の図書館はコロナのため4月まで閉館になっちゃったんだよね〜。

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