土曜日の法事当日は雨。ささやかな人数で、でも母の実家で子供の頃遊んでいた方と再会できて嬉しかった。
◼️谷崎潤一郎「細雪」下
三女四女に振り回され続ける次女幸子。
時の流れと激動。情緒が醸し出され、物事が進み決まって行く不可逆の折の感傷を引き出すー。
読んでいてどうしても源氏物語の風合いがあると上巻・中巻のレビューに書いた。最終巻のあとがきで谷崎は、源氏物語の影響があるのではないかと聞かれるがそれは作者には判らぬこと、しかし自分が全訳をした後の作品でもあり、影響を受けなかったとは言えないであろう、と述懐している。私だけでなくやはりそう思う人も多かったのかな。
この小説は時局に合わないということで当局から発表差し止めを受け、谷崎自身、あまり不道徳や不倫の部分が大胆に描けなかったようなことを漏らしているので、当局の干渉がなければ、上品な作品ではなかったかも知れないのが面白い。
さて、中巻は波の高い展開だったがこの巻もなかなか慌ただしい。ただ情緒的な表現が織り込んであり、日米開戦が忍び寄る世情も垣間見え、最終巻にふさわしい作りになっている。
蒔岡家の三女雪子に見合いの話があり、次女幸子やその娘・悦子ともども先方の岐阜の家へ招かれ、蛍狩りを楽しむが、あっさりと断られてしまう。見合い話のたび、これまで何度もこちらから断ってきたのに、幸子は立場が変わったことを深く悟る。
次の見合いでは相手も乗り気でうまく進みそうだったが、打ち解けない雪子の態度に男が業を煮やして憤慨してしまう。
一方、恋人の板倉を病で失った末娘のこいさん・妙子は前に付き合っていた奥畑とよりを戻したように見えたが、奥畑の住まいで赤痢にかかってしまう。騒ぎの中、これまでいかに妙子が奥畑に金銭的援助を受けていたかを奥畑の関係者から知らされ、幸子は思い悩む。本家からは妙子義絶の手紙が届き、関西は形ばかりと妙子に夙川で独り暮らしをさせる。
雪子に、また見合い話が降って湧く。子爵の庶子で好条件、トントン拍子に話は進む。しかし、妙子の妊娠が明らかになる。しかも相手は奥畑ではなかったー。
見合いのたびに本家とのやり取りがあり、互いの行き来が何度もあり、上手くいかず、さらに雪子の縁談に悪影響を与えかねない妙子の行動に悩まされ、と分家の幸子が絶えることのない騒動に悩み疲れてかわいそうだがどことなく笑えてしまう。
今巻は、これまであまりなかったような、美しく儚い場面も挿入される。序盤の蛍狩りの情景はいつまでも幸子の心に残る。
「真の闇になる寸刻前、落ち凹んだ川面から濃い暗黒が這い上がって来つつありながら、まだもやもやと近くの草の揺れ動くけはいが視覚に感じられる時に、遠く、遠く、川の続く限り、幾筋とない線を引いて両側から入り乱れつつ点滅していた、幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曳いているようで、眼をつぶってもありありと見える。」
谷崎らしい長い一文。幸子は自分の魂が蛍の群れに交って水の面を揺られていくような感慨を覚えている。このあと見合いの話はあっさりと潰え、幸子ははじめて「敗者の烙印」を捺される側に立たされたと感じる。この場面の並びには考えさせられつつ、微妙なものを暗示しているように思えた。
また、幸子が十五歳の頃、危険を感じるほどの豪雨の日に、もう長くはない病身の母の枕元に居た時の回想。
「白露が消えるように死んで行く母の、いかにもしずかな、雑念のない顔を見ると、恐いことも忘れられてすうっとした、洗い浄められたような感情に惹き入れられた。それは悲しみには違いなかったが、一つの美しいものが地上から去って行くのを惜しむような、云わば個人的関係を離れた、一方に音楽的な快さを伴う悲しみであった。」
母の二十三回忌の話の流れから出てきたシーン。幸子は、死んだ母の年齢になったことを悟る。生々しくかつ幻想的。人にとって大事な映像とはそういうものかも知れない。
興味深かったのは、進む見合い話の中、京都で家を持つとすればの何処を選ぶべきであろうか、という問いに対する幸子の意見。
「京都に住むなら嵯峨辺か、南禅寺、岡崎、鹿ヶ谷方面に限ると云うような話になり」
嵯峨は嵐山のほう、西方面で南禅寺、岡崎、鹿ヶ谷は東方面でこちらも観光名所が多いエリアかなと。岡崎は平安神宮のすぐ近く。ほお、やはり上流階級ではこう考えるのかなと。余談だが年末に立て続けに京都を数回訪れた際、用があった京都御苑南の店の周りが住宅地だったので、あの辺に住むのもいいかも、と京都在住の友人に話したら、自分はあまりいいと思わない。賀茂川より東がいい、と言われたことを思い出した。
さて、せっかくいい縁がまとまりそうになった時、妙子の妊娠。もうやめて状態の中、象徴的なシーンが・・。
「ああ、やっぱり今度も、・・・・・・・・・この話は駄目になるのだ、・・・・・・・・・雪子ちゃんには可哀そうだけれども。・・・・・・・・・
幸子はほっとため息をついて寝返りを打った。そしてぱっちり眼を開けて見ると、いつの間にか部屋の中がすっかり明るくなっていた。隣の寝台では雪子と妙子が、幼い折にしばしばそうしていたように互に背中を着け合って寝ていたが、ちょうど此方へ体を向けてすやすや眠っているらしい雪子の、ほんのりと白い寝顔を、どんな夢を見ているやらと思いながら幸子はいつ迄もまじまじと打ち眺めていた。」
読み直してみると思ったほど濃い表現ではなかったが、幸子を振り回している三女と四女が、まさに利害関係があるにも拘らず子どもの頃のように仲良く眠っている、というのがいかにも皮肉すぎてまた微笑ましく、幸子目線と当事者たちの意識の差を感じさせる。
ラストは、これから動く場面で、さらには日本が進む暗澹とした道をも予感させて終わる。全巻に渡り人妻になりそうでならなかった日本美人・雪子はずっと芦屋の幸子のところに皆と住んでいたいという底意に反して人生の岐路に臨む。
例えば、スポーツで勝負が決まっていく時、不可逆的な流れを感じ、その魅力と、対決の緊張状態が崩れ、終わっていく喪失感を味わうことがある。自分を振り返っても、人生の分かれ道は当時自覚はなくとも振り返ってみればはっきりとした決定的でもう引き戻せない性質を持っていたと思う。「細雪」のラストは喪失感を感じさせて静かに、しかし唐突めに終わる。まさに紡いできた芳醇な物語のエンドにふさわしい味わい深さだと納得する。
東京の白っちゃけた都会さ加減と比べ阪神間の穏やかさに幸子が安心するところなど、大きな時代感、関西の土地柄に対する愛着の表し方はそういえばなかなか他の物語では見られないものだと感じるところもあった。私も両方住んだし。
東京の本家と芦屋の分家、その対比、関西、上方の文化的基盤に立脚したストーリー作り、女所帯の葛藤と愛情の繊細さ、時勢と散りばめられる彩り、時あたかも起きる事件。感情的には複雑だが読みやすく分かりやすく、モダンさと伝統美が匂い立つ。やはり名作、と思わせる。
谷崎に未読はまだまだあるが、「細雪」を完読して、芦屋の「谷崎潤一郎記念館」を訪れるのが当面の目標だったので、近々さっそく行ってみようと思う。楽しみだー。
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