写真はとても小さい花、ヒメオドリコソウ。下の「月下の門」で思わぬ形で「伊豆の踊り子」を再読した。タイミングが合って妙に嬉しかった。
◼️マイケル・ルイス「マネー・ボール」
盗塁禁止、送りバント禁止、ヒットエンドランなんてとんでもない!?頑迷なメジーリーグに貧乏球団アスレチックスが投じた手法とは。
映画にもなったんだろうか。長らく積ん読しててようやく手に取った。2000年代初頭のアスレチックスの進撃の話をまとめた本作は話題をさらい、多くの感情的な反応も起きたようだ。
本書をひとことで言えばデータの活用法、となると思うが、また人の活性化でもある。
将来を嘱望されながらメジャーリーグで活躍できなかったビリー・ビーンはフロント入りを希望し、やがてアスレチックスのGM・ゼネラルマネージャーとなる。独自の野球データ論を構築したビル・ジェイムズの本に衝撃を受けたビリーは、ハーバード大学卒のポール・デポデスタを補佐として、新たな指標をもとに大胆なチーム戦略を立てる。
彼らはこれまでの打率、打点、ホームラン数という指標に疑問を持ち、出塁率や四球を選んだ数、投手に何球投げさせたか、などを重視して選手をセレクトしていった。ドラフトでは他球団が注目しなかった選手を取る。高校生に投資するのは効率が悪いとして大学生ばかりだ。面白いのは背が低い、太っている、球が遅い、などの理由でプロ球団が獲得を見送る選手を多く獲得したこと。トレードでも評価されていないプレイヤーを安く取る。そして強い。
メジャーリーグは、年間162試合制。1998年に74勝で負け越したアスレチックスはビリーがGMに就任した1999年には87勝と勝ち越し、2000年には91勝、2001年には102勝もして2年連続でプレーオフ進出を果たした。
ビリーは柔軟の裏には当然冷酷さも併せ持つ。価値が上がった選手は売って利益を得る。常に補強に動いていて、シーズン中、プレーオフ進出の見込みがなくなったチームから取ったり、評価されずお払い箱になりそうな、でもアスレチックス流の指標に見合う者を迎えたりと活発だ。
盗塁、送りバントは基本的に禁止。選手の判断で行うとビリー自らが選手を叱る。
野球好きの視点でいうと、どんな優れたキャッチャーでも盗塁阻止率は4割程度なので、6割成功するなら、しかも得意とする選手ならもっと確率が上がるし、どんどん走った方がいいと思ってしまう。しかしアスレチックスにとっては2回に1回程度アウトになる作戦は無意味ということなのだろう。送りバントは貴重なアウトを費やすことはない、である。明快だ。
また、GM自らが口を出すのは現場にとって嫌な雰囲気をもたらしかねないが、逆に球団としてのメッセージが明確とも言える。なにせ結果が出ているのである。
基本的に守備力は勝利にどのくらいつながるのか、明確な指標がないので重視しない。一方でグラウンドを何百の地点に割り、豊富にある打球方向のデータを駆使して、どこのどんな打球を選手がアウトにすれば得点率を下げることができるか、なんて研究もしたりする。ホームラン、四死球、三振以外は投手の責任ではない、というラディカルな理論も入れたりする。シーズン前に自軍の得点数、失点数、勝利数まで計算し、大きく間違わないのだから恐れ入る。
この本で読む限りは、アスレチックスの内情が表に出たことで、さまざまな拒否反応が出た。で、読む限りは、非難の方が理論的でないように思える。戦略に対してネガティブな側面を捉えるという簡単な反論のように見える。
でもそうだろうな、とも考える。日本の場合は期待の高校生選手は観る方の期待感を刺激するし、盗塁や送りバントは理に適っているようにも見える。作戦成功の陶酔感も捨てがたい。
ただ、体格や足の遅さ、投球のスピードだけで選手を図らず、評価する、というのには好感を覚える。また、私的にももう少し野球は科学できるのではと常々思っているので、新しい指標を作り、戦略を組み立て、結果を出すのは素晴らしいと思う。ルール違反なんて全然してないんだから。
まあ日本の野球にもなじまないんだろうけど、こういうヒントはいくらあってもいいんじゃないかな。
面白いもので、この前の本が川端康成の、しっとりした文調のものだっただけに、ネタは好きだがのっけからアメリカンな文調ー!生き馬の目を抜くメジャーリーグー!というのに押されてそのギャップについていけなさを感じたまま完読しました。
◼️川端康成「月下の門」
川端康成をゆったりと、ぜいたくに楽しめる本。随想と短編小説、なんとあの名作も。
川端康成の各時代、随想を18篇、小説を4篇。小説は22才の時の「油」、そしてなんと27才で書いた「伊豆の踊り子」まるまま、戦後まもなく47才の「再会」、59才の「弓浦市」となっている。川端好きな人にはなんとも満足度の高い構成になっている。
まずは随想。川端らしく美術品に関する好み感想、智積院「滝図」高桐院「山水図」、おっと京都、今度チェックしなくては。池大雅、は昨秋「川端康成と美のコレクション展」で所蔵の絵を見たなあ。尾形乾山や浦上玉堂「凍雲篩雪」。思わず調べる。読みながら忙しい。
その合間に谷崎潤一郎が「春琴抄」で描いた鶯だか雲雀だかは、谷崎、鳥を飼ったことないか飼ってから日が浅いか、瑕瑾のようになじまぬ、「蓼食う虫」のグレイハウンドは飼いなれてるかなじんだのは確かという批評がある。面白いじゃない。油断ならない(笑)。
「古都など」では京都や奈良への愛がにじむ。川端は大阪と京都の間、大阪・茨木市で少年時代を過ごした。当地の記念館行った。
「奈良、京都は日本の古里にしても、奈良には古い町がない。京都らしい町のまだあるうちに、私は京都をもっと見ておきたい」
うーんその通りといっては奈良の方に叱られそうだが印象的にはそうかも。
軽井沢の家に暮らした日々のことが多い。「秋山居」では堀辰雄や芥川の名前も見える。美智子妃殿下との思い出も語られる。
昭和22年の「哀愁」は他で読んだことがある。
「敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰ってゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものもあるいは信じない。」
「(織田作之助)「土曜夫人」も「源氏物語」のあはれも、その悲しみやあわれそのもののなかで、日本風な慰めと救いとにやわげられているのであって、その悲しみやあわれの正体と西洋風に裸で向かい合うようには出来ていない。私は西洋風な悲痛も苦悩も経験したことがない。西洋風な虚無も廃頽も日本で見たことがない。」
戦後の価値観を信じない、という矜持があったというイメージがある。戦後間もないだけに生々しくもある。文芸論でもある。
永井荷風の死を悼み、芥川に厳しいとも思える批評をする。特に文芸批評はキレ良くも、どこか小難しく煙に巻く風味があるのも川端か。「伊豆の踊り子」で有名になってしまってから行き難かった伊豆、昔逗留した部屋を40年ぶりに訪れる「伊豆行」、続く「京都」はすっきりして気持ちのいいエッセイ。取り上げられている速水御舟の樹木の絵、にまた興味。
ペンクラブ会長として海外を訪問した経験も軽いタッチで書く。
そして満を持して「伊豆の踊り子」。薫は清冽だ。私的には後の円熟味を増した川端の方がどちらかというとしっくりくるが、踊り子は明確でなく訴えかけてくるものが、やはり名作。出だしの
「道がつづら折になって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。」
が好ましい。小説の良い匂いがする。
続く小説のタイトルが「再会」なので、すわ、踊り子の後日談?などと色めきたってしまったが違った。かつて別れた男と女が戦争を挟んで偶然の再会を果たし敗戦後すぐの東京を徘徊する話。川端独特の表現が続き、短くもイズムに浸れる小品だ。
最初の方はちょっと時間がかかったけれども、300ページちょっとにたくさんのものが詰まったなんとも贅沢な一冊。借りて良かった。くふふ、などと微笑さえ浮かべて読む私はまったく、ちょっとおかしな、ビブリアの栞子さんみたいな、川端シンドロームである。