泊で東京出張。麻布十番で美味いもの食べて入社以来の同期とたくさん話をして、駅近くの快適なホテルに泊まる。本も薄いの2冊行き帰りの新幹線で読破。ムリのない旅程は楽しいな。東京涼しかったし。前はこの時期に大学野球選手権があって、毎年決まって雨だわ、ムシムシして汗だくになるわだったのに今年は涼しく汗もほとんどかかず。いいねえ。
◼️椹野道流
「最後の晩ごはん 師匠と弟子のオムライス」
ライス系、好きです。読んでて腹がへりました。
シリーズ5巻め。これまで順番を気にせずバラで読んできましたがこれで8巻めまでは全部読んだはず。ようやく埋まってスッキリ。
主人公の五十嵐海里はもと芸能人。何もしていないのに女優とのスキャンダルで芸能界を追放される。神戸の実家でも冷たく扱われる。自暴自棄になっていたところを芦屋市で「晩めし屋」の店主夏神に拾われ、住み込みで料理の修行をすることに。霊感のある海里には店に来る幽霊が見える。眼鏡の付喪神で英国紳士に化けるロイドが仲間に加わり、幽霊の心残りを解消して成仏させてやるため奔走する。
こう書くとやはりいかにもライトノベル。店のある地元芦屋市をはじめとして関西の土地柄が描かれるご当地ラノベですね。
今回はタイトルから想像しうるストレートな内容です。
夏神の師匠、洋食屋の船倉が寄る年波と店舗建物の売却のため、店をたたむことに。駆けつけた夏神と海里に、船倉はハヤシライスをふるまい、海里には夏神のことを頼む。かつて夏神にも荒れていた時期があり船倉に拾われたのだった。5日後、船倉が病死しているのが見つかった。海里たちは身寄りのない船倉の葬儀を済ませ、店の片付けに向かう。そこにはコック服を身につけた船倉の幽霊がいたー。
海里たちは船倉の店で最終営業をすることにします。店で過ごした日々には夏神の過去の傷と、師匠の懐の深さで癒された軌跡がありました。海里と似た境遇だったわけです。
今風の若者・海里と含蓄のあるようでとぼけた味のロイド。いつもにぎにぎしい面々でほんわかな話は進みます。
ハヤシライス、オムレツライス、そして夏神が最後に繰り出す謎のごはんもの料理と、ライス系好きにはなかなかたまりません。読みながら腹が鳴りました。
重めの読書の後には料理系ラノベが一番。
◼️深沢七郎「楢山節考」
心に迫る、突き抜けた物語。カンヌのパルム・ドールで覚えていた。
姥捨、棄老伝説をもとにして作られた話。作者が山梨の出身地近くとしている山村が舞台。
69歳のおりん。息子の辰平には4人の子がいて、一番小さい子はまだ幼い。昨年妻を亡くしていた辰平のもとには向こう村で亭主に死なれたばかりの玉やんが嫁入りし、おりんは満足する。16歳の孫のけさ吉が大喰らいの松やんという娘を身ごもらせ、また家族が増えることになったー。
村には70になったら「楢山まいり」といって親を山深くに捨ててくるしきたりがあった。おりんはだいぶ前から楢山まいりに行く気構えをしていた。山へ行って坐る筵を3年も前から用意し、儀式の振舞酒の準備も終え、気がかりだった息子の後添いも決まった。辰平や玉やんは先延ばしにしたかったが、おりんは年の瀬のある日、山に行くことを辰平に告げる。
「楢山節考」は60ページほどの物語である。
食べ物が少ない村のさまざまなしきたり、風習が短いながらも重厚に描かれ、目を背けたくなる、突き刺さるような村の事件やおりんの行動が物語のベースを強めている。
クライマックス、辰平が背板におりんを載せ、山へ行って帰る場面。山へ入ったら物を云わないこと、山から帰る時は必ずうしろをふり向かぬこと、という掟に従い、おりんは話をすることなく、すべて動作で辰平にシンプルな意図を伝える。道中に描かれる残酷で不気味な環境の中、沈黙のその動作と雪の美しさ、雪の意味が浮かび上がる。
もうダメですね。たまりません。
この作品は1956年の第1回中央公論新人賞受賞作となり、ショッキングな小説として文壇に登場した。辛口で鳴る正宗白鳥も
「人生永遠の書として心読した」
とまで評している。深沢七郎氏は本職はギタリストであって、楽屋で小説を書いていたとか。
甲州弁の物語は説明っぽさがなくそれでいてそのものが持つ雰囲気と事情をエピソードで見事に表している。成り行きも、文章表現や登場人物のさりげなさ、感情の発露もとても精度が高いと思う。著者はおりんの人物造形にはキリストと釈迦の両方を入れたとか。
1983年に今村昌平監督で映画化されたものがカンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを獲得した。私は若い頃ヨーロッパ・アジアの映画好きで、映画関連の本もよく読んだ。その中でカンヌの最高賞作品として覚えていた。確かに映画向きの話だろう。
高齢の親がいたり亡くしてしまったりという世代にはかなり心に迫る物語。名作の一つだろう。
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