2019年6月9日日曜日

6月書評の1




先週から半袖上着なしにしている。夜も少しずつ気温と湿度が上がってきてエアコンのドライを寝る最初だけかけたりする。かと思うと寒かったりして。なんとも、だ

◼️斎藤茂吉「万葉秀歌 下」


東歌の面白さを味わい、防人の歌の哀しさを感じる。


新元号が決まった時に読んだ上に続き、下も入手。相変わらず読むのに時間がかかる。万葉集の巻八から巻二十までの選抜。巻八こそ聞く人の名前が多いが巻九から巻十三までは柿本人麻呂集か作者不詳の歌。巻十四は東歌。その後は編纂者とも言われる大伴家持の歌が8割、そして最終巻二十にはまた東歌、そして防人の歌が入っている。


上の時ほど登場人物への思い入れがあるわけではなかったかな。気になったものをいくつか。


夕されば小倉の山に鳴く鹿は

今夜は鳴かず寝宿(いね)にけらしも

                                          舒明天皇


舒明天皇は推古天皇の次で、天智天皇、天武天皇のお父さん。ちなみに皇后は2人を産んだ皇極天皇。飛鳥岡本宮に居たという。やはり奈良といえば鹿。ストレートに風景と余韻を感じさせる。こう詠むと、夕暮れに鹿の声が響き渡るさまと、静かで透き通ったような雰囲気の両方を想起させる。


沫雪あわゆきのほどろほどろに零り重けば

平城の京師し念ほゆるかも          大伴旅人


大伴旅人が筑紫太宰府に居て雪の降る日に京に想いを馳せた歌。降っても消えやすいあわゆき、ほどろほどろは語感もいい。


吾背子と二人見ませば幾許かいくばくか

この零る雪のうれしからまし      光明皇后


もうひとつ雪。藤原不比等の娘で聖武天皇のおきさき、光明皇后(藤皇后)はその名の通り光り輝くイメージもあるが、立后の際の長屋王謀殺、また夫の迷走による懊悩という負のイメージもつきまとう。これは聖武に奉られた歌。


筑波嶺に雪かも降らる否(いな)をかも

愛しき児ろが布乾さるかも     東歌


東歌をじっくり鑑賞するのは初めて。一見して「かも」が3つも出てきて、「降らる」「乾さる(ほさる)は訛った言葉だという。民謡風のものが多いとか。

山が白く見えるのは筑波山にもう雪が降ったのかしら、いやそうでもなかろう、可愛らしい娘が白い布を干しているのだろう、という内容で、否をかも、は他にも使用例があるらしいが、短い歌に盛り込んで中身を豊富にし、さらに、かも、で調子を整えているのに感嘆した。東歌は面白いものも多く、


上毛野(かみつけぬ)

安蘇(あそ)の真麻(まそ)むら掻き抱き   

寝れど飽かぬを何どか(などか)吾(あ)がせむ


など、ゴツゴツしたものが多い。この歌は麻の束を抱き抱えるように可愛いお前を抱いて寝たが飽きるということがない、どうしたらいいのか、と直接的ではあるが、前の歌と同じく、邪気は感じない。


大伴家持の歌はどこか大陸風だったり、新羅使の対馬の歌があったり、有名な「天の火もがも」、橘諸兄や元正天皇の詠歌という永井路子「美貌の女帝」「裸足の皇女」に関連するものがあったり、「海行かば」って万葉集か、来てたんだと驚いたり色々と刺激もあった。「雨月物語」にもちらっと出てきた真間の手児名の話に似ているという桜子伝説の歌も心に残った。


最後に防人の歌。関東から筑紫へ派遣される事が決まった人たちや妻の歌である。


大君の命かしこみ磯に触り

海原わたる父母を置きて   防人


大君の命かしこみ出で来れば

我ぬ取り着きていひし子なはも   防人


防人に行くは誰が夫と問ふ人を

見るが羨しさ物思ひもせず   防人の妻


万葉集は圧倒的に恋の歌が多いし防人の歌にも妻のことが目立つ。ただ斎藤茂吉によれば防人の歌には父母のことを云ったものが多いとか。また2つめ3つめのように庶民的で生々しい表現も多い。3つめは教科書で習った歌ですね。


この万葉秀歌を読むにあたり、心に残った歌や言葉、傾向はいちいち書き抜いておいたのだが、とても全ては紹介できなかった。上下巻を通じ歌をつぶさに見ていくことで全体的な傾向をつかめたかなと思う。この時代はやはり好みだな、と再確認した。


◼️アントニア・スーザン・バイアット

「マティス・ストーリーズ」


いやー、気持ちいいくらい、マティスをぶちかましてくれてます。興味深い短編集。


美術に体系的な知識を持てないとはいえ、ピカソ、印象派、日本画など絵画は好きだ。いまのフェイバリットはマティス。明るい色の細かい組み合わせの美にハマってしまった。マティスといえば、切り絵とか、裸の男が輪になっている奇妙な絵「ダンス」とか、夫人の顔を変な色で塗りたくった絵が前面に出て、フォービズムの画家、おしまい、的な扱いが多いと思う。


でもマティスの作品をつぶさに見ていくと、圧倒的なくらい色彩の組合わせが強調されているものがとても多い。顔を変な色で塗った作品がむしろ希少だ。明るい原色に近い色の並びのセンスはすごいと思う。


マティスで検索してて行き当たった本。1990年代のイギリスのベストセラーだそう。


**「薔薇色のヌード」は横たわる裸婦をピンク色の色調で表した、デフォルメの仕方がややピカソっぽくも見えるマティスの同タイトルの作品をモチーフにした物語。


マティスの「薔薇色のヌード」が飾られているのを気に入り、美容室の常連となった女性言語学者のスザンナ。密かに自身の老いを気にしている。店主のルシアン、妻子持ちでさらに若い愛人もいるイケメンの、恋愛のグチを聞いてあげるのがいつものこと。しかしある日店に行ってみると流行のくすんだ色調に改装されていた。さらにいくつかの細かい出来事にストレスが昇華したスザンナは爆発する!


短編小説らしい展開で、様々なものが意識されていると思う。なにより、色彩と無秩序の美。その表現は長くて具体的。例えばこんな風に。


「ピカピカ輝く破片が散らばっている。甘い香りを放つ液体が流れ、静脈のような青いのや染料のように深紅色のクリーム軟膏が水たまりになっている。深紅色の縞色のムースや、オレンジ色がかった赤褐色やコバルト色や銅色の奇妙に濃い液体が、あちこちにこぼれていた。」


明らかにマティスの色彩に入り込んでいる。こういった文章が多く連ねられ、とにかく色に関する描写が読む人の感覚をちくちくと刺激する。


行動自体の動機はより人間的で、インテリを主人公に設定していることが効いている。オチもうまく、ホワッとして安心するが、皮肉が入っているようで、考えさせる。


次の「芸術作品」はストーリー的にもどんでん返しがあり、よりマティスの色と混沌を強く意識し、見事などんでん返しもある。人間的な生活、成長も敷かれていて収録されている3つのクライマックスとなる話だろうと思う。


2人子供の母、デビーは女性誌のデザイン編集者。夫のロビンは愛玩物にこだわる売れない画家で家計はデビーが支えている。頼りになるミセス・ブラウンは余った布や毛糸で色んなものを作ってしまう家政婦。ロビンとミセス・ブラウンはよくいさかいを起こし、マティスの信奉者ロビンは時に色彩論をぶつ。デビーはロビンに個展を開かせようと、つてでギャラリーの女性を紹介するが・・という筋。


全体にシニカルな分かりやすい物語性があり、さらにどんでん返しの後の、展示会の表現には圧倒される。モチーフのマティス作品は個人蔵であまり表に出ないという「沈黙の棲む家」。


3つめ「氷の部屋」は、芸術博士の独身の女性の元に女子学生からの告発状が届く。自分の博士課程の論文、創作を批判された学生は、審査する立場の客員教授にセクハラを受けたと強く訴え、博士はもと高名な評論家であるこの客員教授と直談判する、という話。場所のレストランの環境が心理的に作用するように描いてあるが、前の2つよりは毛色が違って劇的な展開はない。うーん、大人しく閉まったという感じである。こちらのモチーフは「黒いドア」。それぞれの短編の絵はすべて表情のない女性が登場している。


色んな要素を込めて、上手に落としているという印象で現代チックでもある。そのバランスの構築にはなかなか唸った。こりゃ面白い!というほどではないけれど、映画でもなんでも、色を意識すると作品がガラッと変わって見えたりする。それを強烈に意識させられる物語集だと言える。


めっちゃ興味深かった。1人の画家でも作品群をじっくりと見ていくとイメージも変わる。もっと他の画家さんも研究してみようかな。


マティス展心待ち中。

0 件のコメント:

コメントを投稿