当初は四十九日を4月の初めの方の土日にしようという話だったから帰らないつもりだった。納骨堂が空いてなくて初盆の時になるとも聞いていたし。遠い我々に配慮する形で、また上の弟の強い希望でGWになったのはひと月前のこと。弟は羽毛ぶとんほか引き取りたいものが多くて車で帰るから、交通滞在費の節約のため関西からいっしょに乗って行かないかと誘いが来た。
10連休。毎年GWは義父の法事のため後半に妻が実家に帰る。息子は適度にブカツ。今回は四十九日ともろもろのほかに我々にとって大きな意味があった。
実家が亡くなってこのかた、母が住んでいたコーポをついに引き払うタイミングなのである。12年間母はこの部屋で暮らした。すぐ近くにスーパー、道を挟んで大病院。郵便局コンビニ等々も近くにあって実に滞在しやすく、また地元なので我々は問題なく帰省し、友人と会い、子どもを泊まらせた。
姉が母のそばに住んでいるが、子ども3人がいてとてもその家庭に入って泊まることはできない。
つまり何日でもタダで滞在できる場所が地元になくなる、もう地元には帰ってこないということになる。納骨堂はずっと離れたところだし、そもそも母がいないと帰る意味がない。地元に足場を失った友人は少なくない。母の柳川の実家ももうなかった。
だから、2月、3月、4月とあったこの帰省でできるだけ想い出の場所をなぞり、人に会うようにした。ついに最後の数日を過ごすための帰省。こだわりたかった。
弟に早朝7時、自宅近くのバス停に迎えに来てもらう。荷物の点は、車は楽だ。最初は何度もトイレ休憩を願い出た。出発前数日、書評書きなどでつい寝不足になっていたし、やはり緊張もあったのだろう、GWに車で高速道路遠い道のりを帰るというのは。周りからも心配されたし。
中国道は、車がいなかった。ほんとうにガラガラ。楽勝すぎる道行きとなった。トイレは、3回めあたりに落ち着いてきた感があって、その後はもうだいじょうぶ、2時間ごとの休憩時で余裕となった。PAはさほどでもないが、車がいない中国道でもサービスエリアは駐車場を探すのに手間取るくらい混雑していた。
出発前には関門海峡で夕陽かと言っていたのに15時すぎには壇ノ浦PAに着いた。ここだけは関門橋がきれいに見えるスポットなので車列ができる。でもすぐ停まることができた。出口近くが空きやすいポイント。
そこから福岡インター、都市高速に入って板付インターから高架下道沿いに進み16時30分には到着した。
ここのところなじみの母親のコーポ。その夜はドライバーの弟と2人泊まり。歩いてすぐの王将で、チャーハンとギョーザを食べた。帰りにスーパーで朝ごはんを買った。やはり母の部屋は、とても落ち着く。
母と離婚し再婚した父は地元には住んでいないし、その家には気持ち的にひどく行きにくい。年老いた母を見捨てたという感情もある。
だいじょうぶかと思っていたが、ロングドライブによる体力的なダメージは大きく、またここ数日睡眠不足だったため、晩ごはん食べて、処方箋薬局の入っているすぐ近くのローソンに行ってバファリン買ってーこういうところも便利だー部屋に帰り着く頃にはもうダメダメで、風呂にも入らず寝てしまった。頭痛がひどく、明日生きて起きれるかと思いつつ意識が遠のいた。
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