◼️永井路子「歴史のねむる里へ」
高校の古典の先生に
「『ゆかし』は『心がゆかし』だ。心が行きたい、なになにしたい、心が惹かれる、ということだ」と教わった。まさに「ゆかしい」一冊。読むのが楽しくて終わるのが惜しかった。
歴史小説家永井路子氏の旅エッセイ。歴史を巡る旅でもあるので、もちろんただの旅味ものではない。由来を説明する中に、資料にあたってきた誠実さ、独自の見解、そして文章的おもしろさも見える。いやー永井氏大好き。
奈良・東大寺では藤原鎌足の子・藤原不比等の娘にして、大仏を造営した聖武天皇のおきさき、光明皇后の話。臣下の娘を立后するための血生臭い事件、そして政情不安に夫・聖武天皇の迷走といった苦悩。
私は光明皇后御願の国分尼寺、法華寺で皇后がモデルと言われる十一面観音像を見たことがある。永井氏は作り方から、後の時代の作品としか思われないとしながらも、
「しかしこの像は、ふしぎに女性をひきつけずにはおかない何かをもっている。きれの長い瞳、やや官能的な口もと、褐色の木膚にのこされた唇の朱色があやしげでさえある。」
と評している。そうそう、とうなずいた。この像は女性だけでなく男性も魅了する。光明皇后はその手、書も評価を得ている。このトップレディの実情はまさに奈良の光と陰の歴史だな、と感じる。
次は飛鳥路。蘇我氏の本拠。蘇我馬子の娘で日本最初の女帝・推古天皇とゆかりの深い飛鳥大仏の「神秘な美しさ」。蘇我氏の屋敷があった甘樫丘、まさに中大兄皇子が蘇我入鹿を刺した場所、飛鳥宮、馬子の墓と言われる巨石遺跡の石舞台古墳などが取り上げられている。
飛鳥は言ってみれば何もないが、近鉄飛鳥駅でレンタサイクルを借りて巡ると、その悠然とした時間の流れに浸るような、歴史の流れに包まれたような雰囲気に浸れることうけあい。私もまたぜひ行ってみたい。好きな方にはおすすめコース。
次いで吉野。後の天武天皇、大海人皇子が壬申の乱前夜に本拠としたほか、歴史にはたびたび登場する。ここは千本桜で有名だが、行ったことがない。谷崎潤一郎の「吉野葛」でも詳しく描写されているように色々と由来が多い土地。鳴滝、西行庵、苔清水なんか行ってみたい。ゆかし。
大阪は秀吉、京都は古典の舞台。清少納言の清水寺参籠、今昔物語、栄花物語、徒然草の御室・仁和寺。源頼朝の有名な肖像画のある神護寺は調べたらけっこうな山のほうのようだ。紅葉の小倉山・嵐山・嵯峨野。源氏物語で嫉妬のあまり無意識に生霊となる六条御息所と光源氏の別れの場、野宮神社。さらに源氏物語は宇治十帖の舞台、源平宇治川の戦いの舞台・宇治。ゆかしゆかし。心から訪ね歩きたい気になる。
壬申の乱を旅する近江編(一)。(二)は戦国時代織田信長との距離感を間違え、悲劇の運命を辿った六角氏の隠れた居城、近江観音寺城編がとても面白い。日本五大山城の1つらしい。著者の活き活きとした筆致が楽しい。
そこから鎌倉編が5つ。鎌倉時代の北条氏、海辺の歴史散歩、当時の離婚訴訟について書いた駆け込み寺編、平地が少なく山と谷の多い鎌倉、やつ、やと、と読むその谷を巡る編、最後の編では著者の家の近く、鶴岡八幡宮への思い入れを描く。
私は若い頃大仏を見に行ったくらいで鎌倉はほぼビギナー。永井氏は直木賞受賞作の「炎環」など鎌倉幕府を題材に取った作品もあるので思い入れが伺える。和菓子の名店もあるようだし、多くの文人の作品の舞台でもあり、今度はゆっくり回ってみたい。
◼️北原尚彦「ホームズ連盟の冒険」
構成は初歩的。あとはアイディア勝負。
シャーロック・ホームズ物語の訳者がパロディを書いたもの。「事件簿」に続く第2弾。このシリーズの特徴は、ホームズ以外の登場人物たちが主人公の短編集ということ。
「犯罪王の誕生」
ではモリアーティが大学を追われ、犯罪組織のボスになることを決意するまでが描かれ、組織No.2のスナイパー、セバスチャン・モラン大佐と知り合う。
「蒼ざめた双子の少女」
はメアリ・ワトスン夫人が大恩のあるセシル・フォレスター夫人の妹夫婦のため、密偵となる話。ホームズ第2作品の長編「四つの署名」でのヒロイン、メアリは事件をきっかけにワトスンと結婚する。ミセスワトスンの活躍が微笑ましく可愛らしい。
「アメリカからの依頼人」
はベイカー街221の少年給仕ビリーの話。これも初々しく、少年の活躍が嬉しくなるが、正統派すぎるくらいのシャーロッキアンネタも入っている。
「ディオゲネス・クラブ最大の危機」
はもちろんマイクロフトもの。談話室以外は会話はもちろん、発語すら禁じられ、他人に興味を持たない指向のこのクラブに女性の入会希望者が現れた。身元はしっかりしすぎているくらいちゃんとした血統、家柄。女性が入会だなんてかなわんとマイクロフトが阻止のため奔走する話。かなりマンガ調であり、解決も穏やかで笑うようなオチがついている。
「R夫人暗殺計画」
はモラン大佐がモリアーティ教授に夫人の暗殺を申し渡される。前作と打って変わってハードボイルド。主に「空き家の冒険」出てきた銃職人、フォン・ヘルダー工房での話。ヘルダーの娘で銃の製造を手伝っているフランツィスカの印象が最初と最後でガラリと変わる。
モラン大佐は、「憂国のモリアーティ」でも女性と組んでミッションに当たるけっこういい男キャラを演じている。またキム・ニューマンが書いたパロディでも主役であり、聖典での凶暴で極悪な印象が最近は変わっている。んー、二次創作の方から見たらそういう変更をしたい立場の者なのかな。興味深い傾向だ。
ラストは「ワトスンになりそこねた男」ベイカー街221bをシェアしてくれる者を探していたホームズにワトスンを紹介した人物。んー、これもかなりマンガ的。
この、主役以外に踊ってもらう、という手法は多く使われているから、斬新さは全くない。あとはアイディア&演出勝負である。シャーロッキアン的なネタはたくさんあるのでその付加もひとつのポイントかも。
今回は硬軟取り混ぜていて、メアリ・ワトスンものの微笑ましさにグランプリかなと思う。モリアーティとモランの短編はまだまだ続きそうだ。うーん、「おやすみなさい、ホームズさん」のように、聖典の事件の裏側的ネタもやって欲しいな。
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