2019年5月6日月曜日

5月書評の1




福岡から帰ってきて数日。午前中外出して図書館行っていくつか買い物して、昼ごはんは家で食べて午後から西武ライオンズ戦をつけて読書といういつものパターン。気が抜けている、そして悲しい。ひょっとして、生まれてから今までで一番悲しんでいるかも知れない。

◼️仙頭直美「萌の朱雀」

カンヌ映画祭カメラドール・受賞作品を監督がノベライズ。奈良の山間部が舞台の、家族の物語。

河瀬直美監督がこの作品でカメラ・ドール(最優秀新人監督賞)を獲ったのは97年のこと。その後目覚ましい活躍で、「殯の森 」ではカンヌで最高賞パルム・ドールに次ぐグランプリ(審査員特別大賞)を受賞、日本を代表する監督となった。奈良を舞台とするのが特徴の監督さん。

昭和60年、奈良県南部の過疎の地、恋尾地区。高校生の私・田原みちるは、幸子ばあちゃんと母の泰代、予定されている新鉄道の掘削作業員の父・孝三、いとこで7歳年上、ほのかに恋心を抱く栄介と暮らしていた。15年もの間掘削に従事した孝三だったが、新鉄道計画は中止と決まり、身体の弱い泰代が、栄介の働く旅館に勤めることになるー。

ふと見かけて購入。この作品は興味がありながら観ていない。河瀬監督みずからの書き下しというのに興味を持った。

一般的に映画は、映像とセリフで語るもの。場面の説明はめったにない。少女の心象や家族の微妙な感情、また山あいの季節感、人間関係などはなおさら表情や仕草、風景、背景で表現する向きが強いので二重に興味深かった。

物語は地域に結びついた感情と人間の再生へ向かう道かと思う。最初の説明では、著者は舞台となる恋尾と周辺の環境を丁寧に、詩的に書き連ねる。

章は2つ。4歳と、18歳。1人称の「私」。幼い頃の話は、ポイントとなるトンネルと、父の存在を印象付けている。高校生では、栄介への恋心と、家族の変化を描き、そして深刻な「事件」が起きる。

物語の構成として、シーンの作り方として、映画監督さんらしいものを感じた。眼に見えるものは、見方、表現の仕方により変わってくる。出口の見えるトンネル、向こうに見える光、を印象的に捉えている。また、クライマックスに感動するには、序盤から敷かれた薄いベースがひとつのポイントと思っているが、幼い頃の章で環境を書き込み、高校生の章では時間の経過とともに避けようのない変化を端的に示している。栄介の心のありよう、みちるの素朴なかわいらしさが潤沢な色を添えている。

イギリス映画にはサッチャー時代の炭鉱争議を描いたものが多い。「ブラス!」や「リトルダンサー」。物語の成り行きは違うが、今回似たようなものを感じてしまった。

1人称の展開については考え込んでしまった。みちるが直接見ていないものまで、主観と客観が混ざったような形で描写されている。他の物語はどうだったっけと。表現としてマッチしているのか、ということも気になったかな。映画は主人公がいないシーンでも関係なく複眼的に重ねられるからな、と思ったし。

もひとつは、再生。大事な人の死に大きなダメージを受ける。そして再生の端緒をつかむ。よく分かるが、本来長い時間がかかるはずのものを詰めすぎている感があった。心の底からの納得はちょっと難しかったかな。

ただ作品そのものはとても気に入った。地域に注目し、様々なものを絶妙なバランスでぎゅっと濃縮してある。映画のテンポとみずみずしさが感じられるような気がした。考えるより観る、かな。

奈良好き、でも河瀬監督の作品は、あまり観ていない。これをきっかけに観るようにしよう。


◼️立原正秋「たびびと」


変わらず品がいい。枯れ、も意識させる大人の恋愛小説。


立ち読みしていたら、最近興味のある京都・紫野大徳寺の章があったので、それだけで買ってしまった。


立原正秋は基本は恋愛小説である。以前「花のいのち」という作品をよんだが、今回と同じく、男性主人公が芸術に関係する裕福な男である。美を意識させる陶磁器や寺、史上の人物、美食などを絡ませて、立原は品の良い世界を創る。


そこで展開されるのはややベタとも見える恋愛模様。もと編集者であり離婚経験があって子持ちの麻は、文筆家で所帯持ちの高桑と4年間不倫関係を続けている。麻は3回も高桑との間に出来た子を堕胎する。


麻には親族によりカメラマン・野島との見合いから再婚の道が敷かれる。高桑は麻と会わないようにしていたが、心は決まらない。一方の麻は高桑に執着があり、会う機会を求める。高桑は医師に肝臓の不調を宣告され、死の影に怯える。


作中2人は箱根や東北、京都へと旅をするが、もちろん「たびびと」の「たび」は心の旅路である。高桑は京都の大徳寺真珠庵で見た一休宗純の絵から、一休が54歳で自裁を計ったことから自己破壊行動に進む自分を考えてみたり、「風の裂け目」に死の予兆を感じる。


高桑もしばらく麻に対する行動を自ら封じるが、麻と同じく、はっきりと執着している。3度も堕胎させたことを罪と自覚しているし、執着が、麻の世間的な幸福を止めることであると頭では分かっていながら。


さらさらと薄く人生が流れ、後でその交差を思い出すのも恋愛かも知れないが、行き詰まるところまで進み、矛盾を押してまで・・というところも人の想いだろうと感じる。逆にリアルだと思う。立原は年齢を重ねた時の男女の心の成り行きや心理的に影響するものをもていねいに描き、舞台を彩り豊かに、でも現実的なところも外さずに織り成している。


どこか日本近代の正統な恋愛小説という風味がするな、と。立原正秋らしい、上品でかつ人間的でもある話という気がした。


ともかくも真珠庵には興味も出たし、大徳寺行こうかな。

◼️仙頭直美「萌の朱雀」


カンヌ映画祭カメラドール・受賞作品を監督がノベライズ。奈良の山間部が舞台の、家族の物語。


河瀬直美監督がこの作品でカメラ・ドール(最優秀新人監督賞)を獲ったのは97年のこと。その後目覚ましい活躍で、「殯の森 」ではカンヌで最高賞パルム・ドールに次ぐグランプリ(審査員特別大賞)を受賞、日本を代表する監督となった。奈良を舞台とするのが特徴の監督さん。


昭和60年、奈良県南部の過疎の地、恋尾地区。高校生の私・田原みちるは、幸子ばあちゃんと母の泰代、予定されている新鉄道の掘削作業員の父・孝三、いとこで7歳年上、ほのかに恋心を抱く栄介と暮らしていた。15年もの間掘削に従事した孝三だったが、新鉄道計画は中止と決まり、身体の弱い泰代が、栄介の働く旅館に勤めることになるー。


ふと見かけて購入。この作品は興味がありながら観ていない。河瀬監督みずからの書き下しというのに興味を持った。


一般的に映画は、映像とセリフで語るもの。場面の説明はめったにない。少女の心象や家族の微妙な感情、また山あいの季節感、人間関係などはなおさら表情や仕草、風景、背景で表現する向きが強いので二重に興味深かった。


物語は地域に結びついた感情と人間の再生へ向かう道かと思う。最初の説明では、著者は舞台となる恋尾と周辺の環境を丁寧に、詩的に書き連ねる。


章は2つ。4歳と、18歳。1人称の「私」。幼い頃の話は、ポイントとなるトンネルと、父の存在を印象付けている。高校生では、栄介への恋心と、家族の変化を描き、そして深刻な「事件」が起きる。


物語の構成として、シーンの作り方として、映画監督さんらしいものを感じた。眼に見えるものは、見方、表現の仕方により変わってくる。出口の見えるトンネル、向こうに見える光、を印象的に捉えている。また、クライマックスに感動するには、序盤から敷かれた薄いベースがひとつのポイントと思っているが、幼い頃の章で環境を書き込み、高校生の章では時間の経過とともに避けようのない変化を端的に示している。栄介の心のありよう、みちるの素朴なかわいらしさが潤沢な色を添えている。


イギリス映画にはサッチャー時代の炭鉱争議を描いたものが多い。「ブラス!」や「リトルダンサー」。物語の成り行きは違うが、今回似たようなものを感じてしまった。


1人称の展開については考え込んでしまった。みちるが直接見ていないものまで、主観と客観が混ざったような形で描写されている。他の物語はどうだったっけと。表現としてマッチしているのか、ということも気になったかな。映画は主人公がいないシーンでも関係なく複眼的に重ねられるからな、と思ったし。


もひとつは、再生。大事な人の死に大きなダメージを受ける。そして再生の端緒をつかむ。よく分かるが、本来長い時間がかかるはずのものを詰めすぎている感があった。心の底からの納得はちょっと難しかったかな。


ただ作品そのものはとても気に入った。地域に注目し、様々なものを絶妙なバランスでぎゅっと濃縮してある。映画のテンポとみずみずしさが感じられるような気がした。考えるより観る、かな。


奈良好き、でも河瀬監督の作品は、あまり観ていない。これをきっかけに観るようにしよう。


◼️立原正秋「たびびと」


変わらず品がいい。枯れ、も意識させる大人の恋愛小説。


立ち読みしていたら、最近興味のある京都・紫野大徳寺の章があったので、それだけで買ってしまった。


立原正秋は基本は恋愛小説である。以前「花のいのち」という作品をよんだが、今回と同じく、男性主人公が芸術に関係する裕福な男である。美を意識させる陶磁器や寺、史上の人物、美食などを絡ませて、立原は品の良い世界を創る。


そこで展開されるのはややベタとも見える恋愛模様。もと編集者であり離婚経験があって子持ちの麻は、文筆家で所帯持ちの高桑と4年間不倫関係を続けている。麻は3回も高桑との間に出来た子を堕胎する。


麻には親族によりカメラマン・野島との見合いから再婚の道が敷かれる。高桑は麻と会わないようにしていたが、心は決まらない。一方の麻は高桑に執着があり、会う機会を求める。高桑は医師に肝臓の不調を宣告され、死の影に怯える。


作中2人は箱根や東北、京都へと旅をするが、もちろん「たびびと」の「たび」は心の旅路である。高桑は京都の大徳寺真珠庵で見た一休宗純の絵から、一休が54歳で自裁を計ったことから自己破壊行動に進む自分を考えてみたり、「風の裂け目」に死の予兆を感じる。


高桑もしばらく麻に対する行動を自ら封じるが、麻と同じく、はっきりと執着している。3度も堕胎させたことを罪と自覚しているし、執着が、麻の世間的な幸福を止めることであると頭では分かっていながら。


さらさらと薄く人生が流れ、後でその交差を思い出すのも恋愛かも知れないが、行き詰まるところまで進み、矛盾を押してまで・・というところも人の想いだろうと感じる。逆にリアルだと思う。立原は年齢を重ねた時の男女の心の成り行きや心理的に影響するものをもていねいに描き、舞台を彩り豊かに、でも現実的なところも外さずに織り成している。


どこか日本近代の正統な恋愛小説という風味がするな、と。立原正秋らしい、上品でかつ人間的でもある話という気がした。


ともかくも真珠庵には興味も出たし、大徳寺行こうかな。

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