最高気温は25度〜27度くらい。最低気温は15度〜18度くらい。次の週末あたりはもっと最高気温が上がるとか。夜がまだ涼しいから助かっている。フランスもの二題。このように図書館で借りた本を優先して読むから、積ん読が減りません。
◼️ジョルジュ・シムノン
「メグレと死体刑事」
ミステリ好きの先輩との会話。
「おれはミステリ好きだけど、シャーロッキアンというのははばかられる」
「私はアマチュアシャーロッキアンですけど、ミステリ好きだー!と公言するのはとてもとても・・」
という話をした。
推理小説は、古典的名作も含めて多少は読んでるけれども、ミステリ好きなら当然読んでるだろうってな作品に未読のものがたくさんある。その一方シムノンはけっこう好きで、王道を外して趣味に走っているかなーと自分で思ったりする。まあどうでもいいか^_^
ジョルジュ・シムノンに関心を抱いたのは、一時人気があったパトリス・ルコント監督の映画「仕立て屋の恋」の原作だったから。今回もキレのある心理描写のシーンが多い。
パリ警視庁のメグレ警視は、田舎町サン・オーバンで起きた若者の轢死事案を非公式に捜査することになる。旧知の判事の義弟が犯人の嫌疑をかけられているため、個人的に頼まれた件。サン・オーバンに向かう列車に、いまは私立探偵の元同僚、カーヴルを見かける。かつて「死体(カダーヴル)」というあだ名だった彼は、サン・オーバンで沈黙のまま次々とメグレを出し抜くー。
1941年の作品。当地に着いたメグレは義弟エチエンヌ・ノオ、ノオの妻ルイーズ、夫妻の友人アルバン・グルー=コテルのもてなしに、違和感を感じる。そして娘のジュヌヴィエーヴはネグリジェでメグレの寝室に来て「私を妊娠させたのは死んだ男よ」と告げる。
死者の帽子を見つけた男は何も語らなくなってしまい、役場に訊いても役に立つ答えは帰ってこない。被害者の母宅で札束を見た郵便配達夫も口を噤む。そして関係者にはいつもメグレより一歩先にカーヴルが接触している。唯一の協力者でメグレを案内してくれる大工見習いのルイも、どこかメグレを苛つかせるー。
いわば町全体がメグレに嘘をつき、大きな力の存在を意識させる状況を作り上げ、メグレを無視して活動するかつてのライバル、カーヴルの存在がその雰囲気と、メインの謎を深めている。
恋愛・異性関係が破綻しているという要素も上手に絡ませているし、霧も効果的。
メグレものは、推理小説というよりは心理描写もの。いくつかの要素と都会や田舎の雰囲気があり、メグレは幻想的とも言える思考に入り、直感・天啓を得たように見える。そこには合理的思考もあるはずだが説明はなく、事態が突然動いたような効果を生み出す。
メグレの、がさつでぶっきらぼう、何を考えているのか周囲に見えにくい、という特徴も探偵としての魅力を強め、このシリーズの特徴を際立たせる。
今回は読了して、雰囲気を出したいあまりにちょっと演出過剰気味で解決に辿り着くのが遅れたような気もした。ちょっと都合良さもあるかも。
でもシムノンのメグレものの魅力には惹きつけられる。マイフェイバリット。入手は意外に簡単ではないが、発掘する趣味は気に入っている。
◼️フランソワ・モーリアック
「テレーズ・デスケルウ」
訳者の遠藤周作も、モーリアック自身も惚れ込んだテレーズという女。
書評から読みたい本にメモしていて、図書館で出会ったんで借りてきた。フランス人モーリアックはノーベル文学賞を受賞した作家で1927年にこの代表作「テレーズ・デスケルウ」を書いた。
舞台はフランス南西部ボルドー県。夫毒殺の嫌疑をかけられ免訴となったテレーズは、家のある乾燥した田舎町、アルジュルーズまでの長い道のりを事件を思い出しながら馬車と列車で辿る。聡明で活動的なテレーズは、亡き母のアルジュルーズの土地で、両家の約束に従い結婚した夫・ベルナールを愛することができなかったー。
最初は娘らしく、夫のベルナールに恋愛っぽい感情を抱いたりするのだが、土着の退屈な生活や家の体裁を重んじ、女性は良き嫁であるべき、という考え方が染み付いた家族・親族たちに倦怠感を抱いたテレーズ。ベルナールとの夫婦仲も急速に冷えていく。
象徴的な物語ー。馬車、列車の暗く長い道行きがこの物語の雰囲気を決定づけているようだ。また恋に浮かれた年下の娘アンヌをいさめ、家の望むような結婚へ向かわせるのにテレーズも大きな役割を担うエピソードがあるが、これも逆説的で、物語の芯に強く影響を与えている。心理描写のための大きな演出が成功している感がある。テレーズのスモーカーぶりも示唆的だ。
テレーズはベルナールとの家に帰った後、砂地の土地アルジュルーズで幽閉生活を送る。お金さえあれば出て行けただろうに全て夫にもらわなければ行動出来ない、というのも暗示的な状況ではある。
憧れていた結婚が、始まってみれば満足のいくものではなく、合わせようとしたものの、夫とも周囲ともズレが出来ていく。身体的、ハッキリ言えばセックスにも高揚感がなく、結婚生活というものに期待が持てない。この話は意外とリアルだな、と思う。
土地の慣習通りに暮らす人々は進歩的ではないが人間くささを感じさせるし、夫のベルナールにしても純粋さがほの見え、毒殺未遂を起こした者にお金を与えないというのはある意味常識的ではあるかな、とも思わせる。モーリアックは、環境のいやらしさと常識を堅牢に組み上げている。
そのベースが、心から納得できない、飛び出したい、でもできない、というテレーズをわがままに思わせたり、同情させたりする。聡明で美人で進歩的な女性を受け入れない社会を嘆いてみせるというよりは、現代人にこそ、不器用で等身大に見えるキャラクターを描いた話と言えるかもしれない。そのバランスは絶妙だな、と思える。
異様な爽やかさの漂うラスト。昔に戻ったように仲睦まじくパリを散策する2人。ベルナールは事件の真相を訊く。そして別れる。テレーズの新しい人生のスタート。前途の希望とあまりにも暗い過去とその残滓。放射される色合いは光と陰と、そして両方が混ざったものがあり、心に残る。どこか映画向きという気がした。
さて、実を言うと、ストーリーや演出に魅力を覚えても、私はテレーズその人に強い引力は感じなかった、のだが、遠藤周作はかつて相当な強行軍でこの「テレーズ・デスケルウ」に由来する土地を巡ったとか。後にテレーズが出演する物語をいくつも書いたモーリアックはこの物語の序文でテレーズに対する感情を露わにしている。
「テレーズ、あなたのような女がいるはずはないと多くの人がいう。だがぼくには、あなたは存在しているのだ。長い歳月のあいだ、ぼくはあなたを探り時には追いすがり、その素顔をみつけようとしてきたからだ。(後略)」
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