◼️「汚れつちまつた悲しみに・・・・・・
中原中也詩集」
きっかけは息子の中学教科書。「月夜の浜辺」という作品が載っていた。ほう、と思い詩集を図書館で借りてきた。
表題作が最も有名な作品で、誰しも味わったことがあるだろう。まったく中原中也という人を代表していて、そのイメージを作り上げていると思う。
粗っぽくて、とても繊細で、厭世的なようにも見えるが、生への執着が見える。季節感すらある。そして、とても詩的だと感じる。
「汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・・・・」
表題作も入っている、出版するのに苦労したという生前唯一の詩集「山羊の歌」で気になった作品をいくつか。
「追ひ立ちの歌」
「幼年時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました
少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました。」
だんだん成長していき、人生を辿っている。リズムのある繰り返し感。
「憔悴」の一部分。
「昔、私は思つていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと
今私は恋愛詩を詠み、
甲斐あることに思うのだ。」
ある意味らしくなく、率直でなかなか可愛らしい。
そして「山羊の歌」ラストの作品、「いのちの声」の最終行。
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば
万事に於て文句はないのだ
「山羊の歌」では全般的に生をいきるにおいての、中原中也の思いがごつっとぶつかって
くるような印象を受ける。ちょっと達観したようなまとまりもあると感じた。リズム感はあるが、さして例えの上手さとか、語彙の豊富さといったものは感じない。小粋でかつフレーズが強い、と思ったのは「汚れつちまつた悲しみに」くらいである。言葉を弄していなくてもメッセージ性が強い気がする。まあ空中ブランコを擬音化した
「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
というフレーズが繰り返される「サーカス」は技巧的なところが好きなんだけど。
続く「在りし日の歌」ではもうちょっとだけこなれているイメージか。素朴だったり、詩それ自体が持つ静けさ、激しさが自然と出ているのは同じだが、伝え方を少しひねっているような。
「 幼獣の歌」
「一匹の獣が火消し壷の中で
燧石(ひうちいし)を打って星を作った
冬を混ぜる 風が鳴って」
「冬の夜」
「えもいはれない弾力の
澄み亘つたる夜の沈黙
薬缶の音を聞きながら
女を夢見ているのです」
「春日狂想」は面白い。
「愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。」
最初はどこか破滅的な示唆だが、その後はのんきな、新たな人生を明るく生きていくためのような言葉が並んでいる。最後の方は、
「ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず
テムポ正しく、握手をしませう。」
を含むブロックで締まる。
「在りし日の歌」は30歳で病没する前にまとめ、親友の小林秀雄に渡したらしい。
「未完詩篇」より
「猫の声と生きる意味」はなかなかハッとする。深夜、猫の鳴く声が聞こえる。しばらく鳴き声、濃密感を醸し出すような表現をして、
「あのやうに悲しげに憧れに充ちて
今宵ああして鳴いているのであれば
なんだかわたしの生きているといふことも
まんざら無意味ではなささうに思へる・・・・・・」
余談だが、この人の語尾の点々は決まって6つなんだなあと書き写しながら思った。ちなみに「汚れつちまつた」を始め引用したいくつかの詩は、中略しているものがある。一応注記。
ところで中原中也といえば、やはり写真のインパクトがある。帽子をかぶって、マントのようなものを身につけているように想像させる、明るい部分が飛びぎみの写真。
これも、「汚れつちまつた悲しみに」と同様、中原中也というイメージを植え付ける写真だと思う。モダンで、芸術的、戸惑いと情熱を感じさせるような、少年と青年がミックスしている表情。まるでこれから銀河鉄道に乗りに行くようだ。
後年の七三分けで薄笑みの写真とのギャップが凄い。
残念ながらこの本に「月夜の浜辺」は載っていなかった。
描写は月夜の晩、波打ち際でボタンを拾ったところ。中原中也は文字の間を空けたり行の始点を下げるなど、細かい変化をつけているが、忠実に再現してみる。男の子の気持ちっぽくて、私の心を誘うには充分だった。
「それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向かってそれはほうれず
浪に向かってそれはほうれず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?」
◼️佐藤泰志「海炭市叙景」
佐藤泰志には、読み手の心に、独特の、息づくものを感じさせる力がある。
著者の故郷、函館をモデルにした都市で、老若男女それぞれを主人公にした18の物語ー。
その頂からは有名な夜景が見える、ロープウェイがある低い山。周りは海に囲まれた海炭市。炭鉱争議があったり、造船所不況があったり、また大きな産業道路が出来て変わりつつある街並み。
その海炭市に関係するさまざまな人の日常と過去・未来がたんたんと語られる。海炭市の男の両親に挨拶した帰路、青函連絡船に乗っている、結婚を控えたカップル、病気の親のことを考え、妻子とともに海炭市に住むことを決めた男、学校をサボって街へ切手を買いに行く少年、過去に罪を抱え、住み込みの単身赴任をしている男、退屈な墓地の管理事務所に勤め、同僚と不倫している女、成田空港の建設に携わり、いまは職業訓練校に通う年配の男、高校をドロップアウトして空港のレストランに勤め、東京に行くことを夢見ている暴走族の女・・。
家庭の問題を抱えた者の話も多く、また働く姿を必ず入れている。合間に海炭市の気候、寂れているがモダンに変わっていく時間の流れ、セックス、などが散らされる。
佐藤泰志の作品は先日「そこのみにて光り輝く」を読んだ。やはり函館を舞台した物語で、まだ発展しない時代の生活、土地柄や男女の出会い、成り行きなどが描かれていた。粗っぽさも感じたけれど、なにか独特の、生に息づくものを感じた。
読んでいて作品から滲み出るのは、やはりリアル感、リアルな人間臭さかもと思う。物語はもちろんフィクション色もある。しかし、ストーリーの端々に仕掛けがある。
例えば、生活や環境、暮らしがきれいな物事ばかりではないこと。私も地方のベッドタウンの育ちで昭和世代。道で寝てる酔っぱらいもいれば、夜のお姉さん系の人、古式ゆかしい男女の不良(福岡では「わるそう」という)などなどがふつうにいた。
町も住宅街もちょっと疲れたような生活の匂いがあって、汚いところも、整備されてように見えるだけのところもある。自然もある。若いお兄さんお姉さん、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあさんが住んでいて、Hな雰囲気が漂う部分も場面もある。
そういった、体験の記憶の肌ざわりを思い起こさせて共感を呼ぶ筆致。
加えて、親と自分、町の歩みと自分の人生、故郷と都会、故郷の暮らしなど普遍的な要素がオリジナルな味わいで、鈍色の舞台に展開されていることがまた心のどこかを刺激する。
隣の男女のアノ声が聞こえる部屋に住む家族の、中学2年の少年は、学校をサボってオリンピックの切手を買いに出掛ける。街へ出かけるウキウキ感、大人の女の人との会話、夜の声・・少しませて平静、でも多感。明るく強く。「一滴のあこがれ」はちょっと青いけど、昔を思い出したりした。
激しい声のカップルはヤクザ風の男と水商売ぽい女で、前の話ではプロパンガスで足指にケガをした男を手当てしてくれたりする。
中盤は話どうしのクロスも薄くなり、産業道路をキーワードにした篇が続くのでちょっと冗長かなと思っていたら、海外のタバコに売れ筋の小説、モネ展を心に浮かべ、小粋を気取る負け組の男を描く「衛生的生活」にはハッとしてしまった。どこかマンガ的ではあるが、ちょっとしたどんでん返し。しかもありがち。よく分かってるな・・と考えてしまった。
この作品を含め、佐藤泰志の作品は映画化されているものが多い。その理由が分かった気がした。
今回図書館で「目が合った」本。いま読め、と呼び掛けられた気がした。またいつか、「君の鳥はうたえる」に呼ばれるだろう。楽しみだ。