2018年12月1日土曜日

11月書評の1

気がついてみれば書くのをサボってました。
例年は秋が短くて、暑かったと思ったらあっという間に気温が下がって冬になり、紅葉シーズンが短いのに、今年は師走に入った来週も20度近くまで上がるとか。珍しく秋の長い年。ではレッツゴー!

松尾芭蕉「おくのほそ道」

生き生きと活動的な芭蕉の名句。感性というキャッチャーミットに重い手応えあり。

俳聖とも呼ばれる松尾芭蕉は46才の春3月に東京・深川の芭蕉庵を離れ、日光、那須から白河の関を越え、仙台、松島から岩手、念願の平泉に辿り着く。そこから東北地方を西に横切る形で日本海側に出て北上、秋田の象潟を訪れ、海沿いにずっと南西に下り、いまの新潟、富山、石川、福井を通過、内陸側に転じて岐阜の大垣へ8月下旬から9月初めに至りさらに伊勢神宮へでかけている。この一連の旅を文章で書き留め、各所に俳句を散らした書。

もちろん「月日は百代の過客にして、行きかふ人もまた旅人なり」の名文で始まって

芭蕉庵を売り旅立ち。

草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
行く春や鳥啼き魚の目は涙

は新しい生活のスタート、旅立ち、離別の哀しさを漂わせる。別れ、出会い、新たな出発は現代の我々にしても春の雰囲気を深く味わえる表現だと思う。

北へ向かい、蝦夷征伐の根拠地、多賀城のはるか古の碑に感動し、日本三景の松島を回る。

松島は名文の誉れ高い章とのこと。流れるように景観の豊かさを生き生きと書き連ね、賛美している。

「その気色えう然として、美人の顔(かんばせ)を粧ふ(よそおふ)。ちはやぶる神の昔、大山祇(おおやまつみ)のなせるわざにや、造化の天工、いずれの人か筆をふるひ、詞(ことば)を尽くさむ。」

美人の顔にたとえ、大自然を造る神の霊妙なしごとは、ビヨンドザディスクリプションである、と。
実は松島では(感動しすぎて?)句を残していないのにちょっと驚く。あれ?でもこの章の文章の流れは本当に美しいと思った。

そして念願の平泉では、源頼朝の軍と戦い散った源義経・奥州藤原氏の道行きに想いを馳せ、栄華を極めた藤原清衡、基衡、秀衡の棺が納められている中尊寺光堂の美しさに心を奪われる。

夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の 降り残してや 光堂

文を読み解説を見ながら、自然とひとつひとつの句が醸し出す情景を想像してしまう。

みちのくの西側、山形藩の閑静な立石寺では

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声

蝉の声が清澄感をいっそう深めた光景を詠み、その次の章、最上峡でも

五月雨を 集めて早し 最上川

ポピュラーな名句が連続する。

さらに松島と並び優れているという象潟の文章はその松島との比較になっている。長くて饒舌、ウキウキとした気分が伝わってくる。

「俤(おもかげ)松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾む(うらむ)がごとし。寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり。」

松島は笑顔の美人、象潟は心悩ませる美女。どちらもまだまみえる機会が無いから両方一度に行ってみたくなる。
こちらでは句は書いているが、私的には芭蕉が心酔していた西行法師の和歌の方が心に残った。

象潟の 桜は波に埋もれて
花の上こぐあまの釣り舟 西行法師

さらに南下して越後路ー。

荒海や 佐渡に横たふ 天の河

この句が出てくるタイミングも、描写もとても心地よくダイナミックでありながら静か。暗い海と星空。佐渡が流刑の島だったことも踏まえ、また七夕伝説の意味も込めているらしい。素人の私にも明らかに分かる句の力。堪えられない。

松尾芭蕉といえば、高校生の時分だったろうか、辞世の句である、

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

を知り、ずっと心に残っていた。今回いつかは、と思っていた「おくのほそ道」を通読して、旅と心の有り様がダイレクトに伝わってきた。それにしても、なんてロマンチックなものを投げてくる人なんだろう!


原田マハ「モダン」

最初の一編でホロリ。MoMAを舞台にした短編集ー。

モダン・アートの聖地とも言われるMoMA・ニューヨーク近代美術館で働く人々に絡んだ人間ドラマ。美術作品を題材としてキュレーターでの経験を持ちMoMAに勤務していた原田マハの思い入れが伺える。

「中断された展覧会の記憶」

東日本大震災ー。MoMAの展覧会ディレクター、杏子ハワードはニューヨークでそのニュースを見た。MoMAの理事会はふくしま近代美術館に貸し出しているアンドリュー・ワイエス「クリスティーナの世界」の即時撤収を決め、杏子は返送の付き添いを命じられる。先方の担当者長谷部伸子の熱意を知っている杏子は展覧会中の強権発動に釈然としないまま日本へと向かう。

クリスティーナは足が不自由な少女でワイエスがその前向きな姿勢に感銘を受け描いたのが「クリスティーナの世界」だそうだ。

ボストン育ちでアメリカ人の夫と暮らす杏子、本来の担当者が日本への出張を断ったエピソードも織り込まれ、被災地・日本の捉えられ方も俎上に載せる。さらに伸子の娘の話もありー
ホロリとしてしまった。弱いなあこういうの。

「ロックフェラーギャリーの幽霊」

MoMAの監視員、スコット・スミスは美術にはさして興味がなく帰りになじみの店でウイスキーをやるのが楽しみの独身中年男。閉館間際、いつのまにか現れ、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を熱心に見ていた青年と言葉を交わすー。

飲み屋で青年について話すうちに周囲のピカソへの興味を知り、興味が深まったその時、というストーリー立て。思い入れを感じる一編。

「私の好きなマシン」

インダストリアルデザイナーのジュリア・トンプソンにはMoMAに勤める旧友のパメラと会い、MoMAの初代館長、アルフレッド・H・バー・ジュニアが亡くなったと聞く。ジュリアは幼い頃両親とMoMAの斬新な「マシン・アート展」に行って感銘を受け、当時の若き館長、バーに記憶に残る言葉を聞いたのだった。

まさにMoMAのモダンな側面を味わう作品で、バーへの更なるオマージュでもある。

「新しい出口」

9.11同時多発テロでMoMAのアシスタント・キュレーター、ローラ・ハモンドは同僚で親友のセシルを失い、PTSDを患っていた。折しもセシルとともに深く関わっていたマティスとピカソの展覧会がロンドン、パリで成功しMoMAで開催されようとしていたー。

教科書的な作品でもある。原田マハ氏は、女性の友情、男女の愛情、そして9.11テロに対して感情的な表現を重ねる傾向があると思う。短編だけにいい収まりだと思ったが、受け止め方が分かれるところかも。

「あえてよかった」

東京で私立美術館の開設に関わる森川麻美は、新美術館を開発の目玉とし、MoMAに多額の寄付をしている企業から研修員としてニューヨークに派遣されていた。MoMAでの同僚で、麻美の世話をしてくれているパティに、麻美はある日、「ニュー・ジャパネスクフェア」のディスプレイ展示に感じた違和感を相談する。

公式HPによれば、原田マハ氏はやはり日本から派遣されてMoMAに勤めたことがあり、その経験を元にしたのではと推察される。「お客さん」である自分の遠慮といつも「イッツオーケー」と答えバイタリティーにあふれるパティの微妙な関係性を上手にキレよく描いている。

全編に作品の紹介とまつわる話、例えば「アヴィニョンの娘たち」の登場や「ゲルニカ」の展示の経緯がひとつのテーマとなり、MoMAの特徴、職員の仕事の知識にニューヨークの暮らしも取り入れて、すらすら読める小粋な作品集になっている。

もっと読みたいな。今後も原田マハ氏に期待。

鯨統一郎
「月に吠えろ! 萩原朔太郎の事件簿」

11月1日は萩原朔太郎の誕生日とのこと。2日遅れで、「吠える」ではなく「吠えらんねえ」でもなく「吠えろ!」を読む私。にしてもめっちゃコミカルなミステリラノベで朔ちゃんハマりすぎ。しかもホームズも!

萩原朔太郎は1886年、明治19年生まれで、全七話の中で第一話の27歳で始まり、第三話までは個人詩集を出していない名もない詩人、第五話では「月に吠える」の再刊が決まった37歳と月日の流れを追っている。舞台は東京だ。

小笠原での療養から北原白秋が戻り、萩原朔太郎、室生犀星、山村暮鳥に北原の4人は日本橋呉服町の人気絵草紙店へ出かける。大人気の竹久夢二の店で4人は夢二夫婦と知遇を得る。後日開店記念パーティーに出向いた朔太郎と犀星は、鍵のかかった店から夢二の絵が盗まれたと聞かされる。最後に鍵をかけたのは「青鞜社」に所属する神近市子だったー。
(第三話 消えた夢二の絵)

朔太郎は犀星と暮鳥を巻き込み勝手に「S探偵倶楽部」と称し、北原白秋をボス、暮鳥を山さんと呼んでいる。この事件の手掛かりを得るため、与謝野晶子、田村俊子、平塚らいてう、神近市子、伊藤野枝の青鞜と合同コンペティション=合コンを開催する。

日本の時代性、文芸界の流れを押さえた、ある意味豪華キャストのミステリラノベである。新思潮や白樺など雑誌、作品の話題、批評など朔太郎は女に弱く金はなくにぎやかしであつかましい変人キャラ。詩人特有のインスピレーションで事件を調べて真相を突き止める。そこは鋭さも感じるしトリック自体はまずまずなのだが、事件捜査ではなくインスピに重きを置いて大した調査はしないし、いかんせん軽い。てゆーかそういう作りなのかもだが。ミステリとして評価する方が間違いか。

なぜか朔太郎キカイダーよろしく必ずマンドリンを弾きながら登場するし(笑)。

第一話のみ三人称で、第ニ話以降はある人物のモノローグ。だいぶ後になって室生犀星と分かる。第七話は文藝春秋社長の菊池寛の紹介で八王子で養蜂を営むエルロック・ショルムスなるイギリス人に会いに行く。彼はバリツという武術を極めるために来日しており、本国では化学者で色、緋色を特に研究したという。東京の屋敷ではミルクを舐める蛇を飼っているー。と私のような者にはくふ、と笑ってしまうネタが、満載だ。

これ、マンガの「月に吠えらんねえ」よりもかなり昔の刊行なのだが、朔ちゃんて、なんてこんなキャラが似合うんだろう。続編頼むから書いてくれという感じである。文芸好きとしてもお願いしたい。ちなみにタイトルはもちろんドラマ「太陽に吠えろ!」と詩集「月に吠える」の二重のパロディである。

鯨統一郎氏は覆面作家とのこと。「邪馬台国はどこですか?」で1998年にデビューという段も踏んでいるが、ことホームズに関しては、島田荘司に姿勢が似ているなと思った。「まだらの紐」でヘビがミルクを舐めること、口笛で呼び戻すこと、また「マザリンの宝石」で身長180センチの男がおばあさんに変装すること。この作品ではそのいずれもが揶揄されていたから。

ともかくも、面白かった。重ねて書くが、続編読みたい!


矢口高雄「マンガ日本の古典 奥の細道」

秋田出身で「釣りキチ三平」作者の矢口高雄が描くとなれば。

図書館で古典コーナーをブラブラしてて見つけたマンガ。「釣りキチ三平」全65巻、さらに矢口高雄監修釣りガイドをコンプリートした身として久々にあの絵を楽しみたくなった。

また、ついこないだ「おくのほそ道」を読了したばかりで、今いまが読むチャンスと思い即、手に取った。


「おくのほそ道」は出発時、松島、奥州平泉、山越えして象潟がクライマックスであるが、平泉以外は名句を残していないこともあってか、平泉、生い立ち、山越え、そして

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

五月雨を集めて早し最上川

の場面を描いている。

また当時の句会の情勢、句会の様子なども描写されていてより分かりやすかった。句会があってその発句を詠んだとか百韻、歌仙など不勉強だった部分が一気に氷解した。マンガの力は偉大である。

尾花沢の富裕な紅花商人・鈴木清風、大石田の高桑川水らのもてなし、案内など人とのつながりも詳しく紹介されていている。

当地で過ごしもてなされた実感を方言に託した

涼しさをわが宿にしてねまるなり

の部分はちょっと感動した。「おくのほそ道」の注釈はけっこう断定型でこの場面、「当地へのサービスだろう」とドライめに済ませていたからこれもマンガ的な流れかなと。

羽黒山、月山、湯殿山ほ出羽三山も印象深い。

懐かしい矢口高雄氏。東北の自然を描きこむのにこんな適任者もいないと思う。人の顔の造作や表情、また物腰や態度の描き分けも素晴らしい。本来は芭蕉46歳、同行の曾良41歳であるが、曾良をぐっと若く描くことでマンガ的に関係性が上手く流れていると思う。

良い読み物でした。。

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