2018年12月1日土曜日

11月書評の4

先週末、東京に行ってかつての文芸仲間と会合。本好きの話はやっぱ面白い。だいぶ親しくしていたので久しぶりに(中には少なくとも7年ぶりという人も!)会っても違和感なし。

かなりのめり込んでしまう。角田光代訳の源氏物語がなんと1刷4000円で出た話とかもう好きな人ならではの話題がたくさん。

写真は汐留日テレタワーと資生堂ビルに挟まれたとこのイルミネーション。


河野裕「いなくなれ、群青」

うーーむ。合わなかったな。ラノベライズしたあの人って感じ。

書店の目立つところに置いてあった記憶がある。どんなんかなと読んでみた。

高校生の僕・七草は、気がついたら孤島・階段島に来ていた。住人は「捨てられた」者が来る島だと言う。高校に通い寮で暮らし生活の心配はない。ある日、かつて親しくしていた真辺由宇が島に現れるー。

どこまでも真っ直ぐな由宇は島にいることに納得せず、出る方法を探す。七草は以前と同じように由宇に振り回される。そんな中、この島を統べる魔女宛ての落書きがされ、騒ぎとなる。

異世界、主軸となる男女の関係性、それぞれにキャラ付けしていい味を出している人々、ちょっと変わった会話、エピソード、オチと上手く組み立てられている。男女の関係性もちょっと譲ればまああるかもしれない。

似ているだけで、それぞれは単体で評価した方がいいのだろうけども、村上春樹に似すぎかな。私は決してハルキストではないし、そのベクトルで作品に向かい、批評しようとは思わないが気分的にもひとつなのは避けられない。色々な要素がちょっと理屈先行、頭で考え過ぎかなと思う。

よくできていてサラサラ読めるけど、どうも合わなかったかな。昔読んだ乾ルカ「君の波が聞こえる」を思い出した。


宮沢賢治「ポラーノの広場」

社会、人間、宗教。相変わらずいろいろなものを感じさせる童話集。

最初の表題作「ポラーノの広場」が長く、ほか収録されている「黄いろのトマト」「氷と後光(習作)」「革トランク」「泉ある家」「十六日」「手紙一~四」「毒蛾」「紫紺染について」「バキチの仕事」「サガレンと八月」「若い木霊」「タネリはたしかにいちにち嚙んでいたようだった」
らはそれぞれ20ページにも満たないが、やはり独特の自然表現が透き通ったもの存在を知らしめる。

「ポラーノの広場」はモリーオ市博物局の役人キューストは山羊を捕まえてくれた少年・ファゼーロやその友達のミーロとポラーノの広場を探し当てお祭りに加わる。キューストたちは県会議員の山猫博士ことデストゥパーゴと険悪な雰囲気となりファゼーロが決闘でデストゥパーゴを傷つけてしまう。その翌々日、警察に出頭要請を受けたキューストはファゼーロが行方不明になったことを知るー。

権力とその腐敗、良い共同体のあり方、をテーマに描いた物語。ポラーノの広場に行き着くまでが幻想的でもある。賢治の童話らしくあいまいで粗めなところもあるが、流れは分かりやすい。

「黄いろのトマト」は幼い兄妹に起きた傷つく出来事の話。語り手の蜂雀、ハチドリの焦らし加減が小憎らしく面白い。

他は自然の表現が美しく楽しい「若い木霊」が面白かったかな。季節は春。枯れ草の上を若い木霊がずんずん歩いて行く。ヒキガエルの言葉を聞き、黄金色のやどり木と話をし、鴇(トキ)にだまされる。やんちゃで、かわいらしい。

山男や夜鷹などおなじみの賢治キャラクターも出演する童話集。だらしなかったり、微笑ましいかったり、泥臭かったりするさまざまなテイストの小編がたくさん。もちろん理系的な言葉も入っている。また、らしさに浸った。

岡倉覚三(天心)「茶の本」

日本のお茶の歴史、西洋との対比。心意気を示した作品。

美術家、思想家の岡倉天心が1906年、明治39年アメリカで出版した本で1929年、昭和4年に日本語に訳されたもの。先にドイツやフランスで訳されたらしい。

第一章 人情の椀
第ニ章 茶の諸流
第三章 道教と禅道
第四章 茶室
第五章 芸術鑑賞
第六章 花
第七章 茶の宗匠

から成る。語句の注や解説を入れても100ページに満たない本ながら、読むにはなかなか時間がかかった。それは新書のように茶の歴史や技術などを系統立ててやさしく説明している文章ではないから。

第一章はお茶は八世紀の中国で高雅な遊びのひとつとして、日本では十五世紀に茶道に高められた。から入るのはいいのだが、西洋は東洋の文化を理解していない、という論調の文章が入ってくる。うむ、この人はやはり海外で出した著者「東邦の理想」の冒頭で「アジアは一なり」と書いた人だった。ともあれ世界の茶の歴史に軽く触れる。

第ニ章は古代中国と日本の茶の歴史。煎茶、抹茶(ひきちゃ)、および淹茶(だしちゃ)。
初期の茶は茶の葉を蒸して臼に入れてつき団子にして米や橘の皮、牛乳などと煮るものだった。唐の時代には茶道の祖陸羽が出て「茶経」をまとめた。宋の時代に茶の葉を臼で挽いて粉にし、お湯で溶かす現代の抹茶ができ、宋の文化が元の侵略により途切れた後しばらくして淹茶が根付いたらしい。

第三章は道教の話で、ちと意味が取れず読むのに難渋した。

茶室の章はわが国の茶の湯の話で分かりやすい。千利休が始めた茶室。水屋と玄関(待合)と露地と茶室(数寄屋)、その解説と思想。いいですね。

露地を作る奥意とされる歌

見渡せば花ももみじもなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ 藤原定家

この歌は千家流に伝えられるおきて書の一つなのだとか。

一方で西洋批評家は日本の美術品が均整を欠いているとしばしば言うが、と極東の美術の考え方を述べ、さらに日本における洋式建築の無分別な模倣を嘆いてもいる。

第五章は、道教徒の物語「琴ならし」などを挙げながら、芸術を鑑賞する、味わう力の大事さを語り、美しいものではなく、昨今の流行品を欲する世間一般の風潮を批判している。

花の章は、ちょっと感情的かな。花に呼びかけ散文詩のよう。中華、日本における花の扱いや考え方を引いている。そしてラスト、宗匠の章は千利休の話。利休がわびの本意とて吟じていたという歌。

花をのみまつらん人に山里の
雪間の草の春をみせばや 藤原家隆

山本兼一の直木賞作品「利休にたずねよ」は読んだけど、もっと知りたくなる。

読んだ後振り返って俯瞰してみればだいたいどんな事が書いてあるか分かるが、読んでる最中はそうでもなかった。なんか話が飛んだり、言いたいことに夢中になるイメージがあって理解しにくかった。でもこうして見るとちゃんとそれなりにまとまってるな(笑)。中華、日本の史料にかなり造詣が深く、幕末生まれ、明治の人の偉大さを感じる。

そもそも古典のビギナーズクラシックにこの本があるとどこかで見て興味を持っていたらブックオフでもとの本が目の前にあったからひょいっと買ってきた。別に古典言葉ではなく現代語で書かれている。ビギナーズ読んだらより理解できるんだろうか。

ボストンと日本を行き来し、ついに日本語の本を書かなかった美術界の権威、岡倉天心。画家ではなくて美術史家、美術評論家と紹介される。

私が手にしたのは第一刷が昭和4年の97刷版。しかし日本語訳してもそれなりに難しく東洋の言葉が多いのに、英語でどう表したのかなと、ちょっと思った。

ナンシー・スプリンガー
「エノーラ・ホームズの事件簿~ふたつの顔を持つ令嬢~」

ホームズ家14歳の末妹、エノーラが令嬢失踪事件に挑む!

どれかというと児童向けかと思う。4~5巻出ているシリーズ。

シャーロックやマイクロフトの妹、エノーラは淑女に育てられるのを嫌い家出する。同じく居所不明の母と連絡を取り、資金を得てロンドンに探しもの捜索の事務所を開く。エノーラは夜はシスターの姿で貧しい人に施しをしていたが、ある日暗闇で突然後ろから首を絞められ、人事不省にー。

やがてエノーラは準男爵家の令嬢が失踪している事を知り、捜査に乗り出す、というもの。女子の心理、ロンドンの最貧困層の描写があり、またマルクスの資本論が出てきたりと思想的な時代背景も描かれる。

コスプレっぽいのもまたラノベらしい。シャーロックは感情的となり、エノーラの行方を突き止めようとやっきになるがエノーラは出し抜いてみせる。シャーロックはまあ、本当のところは何を考えているか分からない、ひょっとして淑女ではなく望む道を歩ませてやりたいのかも、だが、総じてわからず屋の兄というイメージで、あまりいい役ではない(笑)。

ベースはしっかりと踏まえている。でも浮き沈みしつつまあエノーラの活躍と女性視点が主で、あまりSherlockianぽさを小粋に匂わせる仕掛けはなかったかな。

タイトルのふたつの顔、というのは物語の大きな流れとオチに絡んでいて、前者の方は分かるが、オチのその部分はもうひとつ明瞭ではなく、迫力不足だったかな。

続きも図書館にあるのでまた読もう。

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