2018年10月30日火曜日

来んといてね。




なかなか進路が読めなかった今年7つめの新記録猛烈台風26号はフィリピンから北へ転じるようだが、大陸の方へ進んで日本に影響はないようだ。もう来んといてね。ホンマに。


穏やかで晴天の土日。私は図書館等本屋と軽く買い物で午後は家で過ごす。


図書館前回は川端康成「浅草紅団」、「伊勢物語」、谷崎潤一郎「刺青・秘密」を借りた。川端にかなり手間取って返すのがやや遅れた。初期の作品で繋がり、会話ともに理解が難しかったが、あの断片的、刹那的な筆致が年を経るとまとまってくるんだな、と思えた。


今回図書館本は松尾芭蕉「おくのほそ道」のみ。貸出中の事が多かったからあるうちにと見かけてすぐ借りた。


この週は書道家武田双雲の「書を書く愉しみ」が面白かった。良寛の書が人気だそうで、古典シリーズにある「良寛」を借りようとしたら無かった。良寛については川端康成も「美しい日本の私」で言及していたからいずれ読もう。


ブックオフからLINEでお得クーポンが来たのでカズオ・イシグロ「夜想曲集」原田マハ「モダン」を購入。どちらもまだまだ100円では買えないもの。1000円以上買って500円引き。これは良心的な方で、もひとつ会員になっているネットショップは4000円以上買って1000円引きとか。オンラインショップは全然高い。


先日も中国の都市部ではほぼ支払いがスマホ等で、日本はまったく追いついていないじゃないか、という主張もよく見かける。でも私は現金派。クレジットカードを使うものは限られている。家の鍵もカードの電子ロックなんかは使わず鍵の現物。だって機械は信用できないし。ネットショップは利幅が少ないからいまだ値段より送料が高かったり、先述のもうけ心ミエミエのセールがあったりするから。なにより現金・現物の方が管理が簡単だ。でもいずれ変わっていくんだろう。それまでは今の姿勢のつもりである。


ほか今週の読者は千早茜「あとかた」夢枕獏「翁OKINA 秘帖源氏物語」。


「あとかた」は不倫、浮気、セックスシーンも出てきてちと刺激のある短編集。ズバッと書いていて小気味好く、千早茜って何かあると思わせる。夢枕獏はおなじみ陰陽の世界で源氏物語と絡ませたエンタメ。


どちらも読ませる作品で楽しくはあったが、どうも、演出が気になって入り込めなかった。自然書評も割れながら良くない。「翁」なんかスカスカとなる。うーん。


次はホームズパロディだ。まあこんな時もある。


2018年10月23日火曜日

スポーツ三昧





先日まで世界バレー女子を観ていた。日本はエースを温存したセルビアに勝ち3次リーグ進出。3チーム中2位までに入れば準決勝だったが、エースのボシュコビッチが復活したセルビアには0-3でやられ、大接戦となったイタリア戦は最終セット13-15で敗れ、惜しいところで決勝トーナメントへ進めなかった。


メンバーは固まってきたようだ。エースは古賀紗理那、その対角に黒後愛、MBに荒木絵里香と奥村麻依、オポジットに新鍋理沙という布陣。セッターは田代佳奈美。それぞれの役割がよく見え、コンビネーションもある程度こなれているように見えた。黒後の代わりに石井優希、新鍋に代えて長岡望悠、というバリエーション、守りたい時は内瀬戸真実を後ろで起用、というパターンも現実的で手堅かったと思う。


やはり世界には、高さで圧倒的にかなわない。日本はキャプテン岩坂名奈の187cmが最長身なのに対して、強豪国はアウトサイドヒッター、いわゆるウィングスパイカーでも190cmが普通にいてセッターも大きかったりする。平均身長で10cmくらい負けている。


となると戦術的にはレシーブが中心となる。日本はディグとレセプションでリベロを変えていたが、どちらも粘り強いレシーブでチームを大いに助けていた。ブロックもあいてが乱れた時にしっかりとついてポイントを取っていた。


発見はセッターの田代。20代後半、手練れというイメージ。合わないこともあったが、試合後半は速いトスを散らして攻撃をリードしていた。


バレーボール部の息子はそれなりに専門的な視点から解説を繰り出す。日本は出だしがわるい。中央からのバックアタックを止められたているのを見て、狙われにくいトス回しを提言、調子のいい選手を見て誰に上げろ、というのがこの試合に限ってはよく当たっていて機嫌が良かった。ま、調子乗りすぎだけど(笑)。


日本はオリンピックを2年後に控え、仕上がりの良さも伺わせたが、相手のレベルが上がってくるとかなりしんどい。勝つためにまだまだ整っていない部分があるようにも見える。今回はめいっぱいやって6位。メダルを獲るには準々決勝がおそらくポイントとなる。ベスト4に食い込むためにどう上積みをしていくかが問われるだろう、という気がする。ずっと見ているわけではないから勝手な言い方です。


逆に今シーズンよく観た西武ライオンズ・・日本シリーズ楽しみにしてたのに・・。まさかのCS負け。


ソフトバンクとの差は投手力。向こうは武田や石川が中継ぎやってるし、専門のセットアッパーも名の通った選手ばかり。こちらはシーズン中からよく打ち込まれた中継ぎ陣プラス十亀、郭。うーん、弱点がモロに出た形となった。打線もどこかバラバラで単発では強いけど、最後までまとまらなかった印象。


はーあー、これでシーズン終了かー。まあ強かったから楽しかったけど。来年こそは日本一。もうすぐドラフト会議だ!


2018年10月17日水曜日

穏やかで忙しい





各種ニュースをwebで見ていると、どうやら今年の台風は収束方向のようだ。台風が発生する帯域がかなり西にずれ、南太平洋に目立つ雲はない状態。例年より朝晩が寒いことを除けば穏やか。朝晩15度くらい、昼は23度くらいでまだ陽が射すと暑いが、風は秋風で気持ちいい。穏やかな気候だ。


で、この土日からしばらく遅めの夏休み。どこへ行くわけでもなく主夫している。


土曜日は本関係。図書館で3冊借りた。

「ビギナーズクラシック 伊勢物語」

川端康成「浅草紅団」

谷崎潤一郎「刺青・秘密」


続いてブックオフ

椹野道流「最後の晩ごはん6

川端康成「掌の小説」

千早茜「あとかた」

河野裕「いなくなれ、群青」


と今月と来月の準備。千早茜、たしか直木賞候補のこの作品は興味があった。


日曜日は買い物の下見・リサーチ。どうもフランネルのシャツは思い切りがつかないな。UNIQLOでどうせ安いんだから買っとけと思うけど、踏ん切りつかず。あと、黒の革靴とリュックバッグ。革靴見たところはカジュアルシューズも安く、いいなと思う。


月曜日は映画を観に元町へ。またブックオフに寄る。


川端康成「千羽鶴」

芥川龍之介「河童・或阿呆の一生」

青山文平「白樫の樹の下で」


川端康成は「山の音」と並び戦後の名作とか言われる。図書館の「浅草紅団」は初期の作品で評価を得たとか。

芥川は次の「侏儒の言葉」まで読めば新潮文庫版はコンプリート。さて晩年は作風も違うというがどんなんだろ。

青山文平は「妻をめとらば」で直木賞受賞の作家さん。この作品は松本清張賞。ほー。どんなんかな。


南京町で豚まん、北京ダック、神戸元町コロッケ、ごま団子を食べる。平日はタイムセールもやっているようだ。それにしても私は神戸に来たら決まったランチばかり食べてるな。新規開拓しなきゃあ。


で、元町映画館。ハンガリー映画でベルリン映画祭金熊賞の「心と体と」。

食肉工場の部長と新しい検査官が互いに同じ夢、鹿になりつがいで森にいる夢を見ていると知る。年配の男は片手が不自由で離婚歴あり、恋愛に距離を置いている。

女は職務に厳しく、しかし男性との会話が苦手、関係性が苦手、ケイタイも持っていない。触られるのに慣れていない。でも独りでひとつひとつ改善する努力をするのがいじましい。


ドラマの筋立ては日本にもいくらでもありそうだが、舞台設定と色付けで仕立てた最高賞作か。主演の女性がまた妖精のような綺麗さだった。血の表現は苦手だったがまずまず。


これで年間12本め。年初の、月1本目標は2ヶ月半を残し達成された。元町映画館は4本めで、4月までにもう1本観れば1本無料となる。やった。11月はテアトル系の会員カードを更新しなければ。


急いで帰って息子を迎える。掃除を始めるが、掃除機の充電が予想外に早く切れることを発見、かけるべきスペースの半分くらいしかできず。後は洗濯ものをたたんだくらい。


火曜日。この日から息子は昼過ぎには帰ってくる。テスト期間の始まりだ。早めに掃除機かけて充電している間に外出て買い物。下見しておいた黒の紳士靴。前のは10年持った。今回もできればそのつもり。フォルムはそれなりに気に入って買った。


さっさと帰る。昼温めて食べコーヒーを飲み靴の紐を調整してたら息子帰る。ママが作ったお弁当を食べさせる。私は掃除。埃と犬の毛がすごく、隅の方とかベッドの下なんかも掃除機かけて手間がかかった。風呂掃除をして筋トレして犬の散歩。こんな忙しい日に限って宅急便も2件。父より、どデカい日田梨5個も。こんな大きくて数も多いの毎年いらんと言ってるのに聞こうとしない父。LINEで文句言っとこう。


夕方晩ごはん食べながらサッカー。新生日本代表は素晴らしい。前線の大迫、2列めの中島翔也、南野拓実、堂安律は流動性がありモビリティがありドリブルがうまく決定力もある。向こうは世界ランク5位のウルグアイで一時2点差までつけられたから本気になっていた。日本が本気にさせていた。とにかく動いて攻める彼ら。日本にひと昔前のナイーブなサッカーの影は微塵もない。南野、大迫、堂安、南野で4点。しかし3点取られた。やっぱり本気になったウルグアイは強い。でも強いウルグアイに勝った。


ここのところ千住博氏や大谷康子さんの著者、川端康成の名作の影響などで突き抜けたような心地でいるところにこの日本代表の新しい姿。そういうターンなんだろうか。


でも、休み中は家でたくさん本を読もうと思っていたのに、買い物行き帰りでほんのちょっと読んで読了に書評書き。午後イチには終わってたが、そのあと立ち働いてて新しい本読めず。


水曜はママ晩ごはん。明日は掃除やめ。食事の手配以外はしない。それでも忙しいだろう。

2018年10月9日火曜日

9月書評の3再





上がってなかったから画像を変えてもう一度。最近お気に入りのニュー栞たち。

五人づれ「五足の靴」


1907年、明治40年、九州へ旅した詩人たち。


北原白秋、平野萬里、太田正雄、吉野勇、与謝野鉄幹の5人は福岡、唐津、長崎、平戸、島原、天草を旅し、阿蘇や柳川にも立ち寄る。交代で書いた紀行文が新聞連載されたそうだ。最年長の与謝野でも35歳、他の4人は20代のまだ前半だった。


詩壇の詳しい解説は本に譲るとして、序盤印象に残ったのは福岡の稿、この言葉。


「博多の者は、王道者、青竹割って、犢鼻褌かいた」


中高生の頃、ラーメンのCMで鮎川誠氏が


「博多んもんは、横道もん、青竹割って 

へこにかく」


と、迫力のある声で言っていた。元は民謡の言葉で、博多人が横着で強情、その心意気を表す言葉とか。竹を割ってふんどしがわりにする、という意味である。当時は今みたいにwebもなく、特に調べようとは思わなかったが、読んでこの年齢で得心がいった。


その後回った唐津の領巾振山の描写は美しい。眼下に虹の松原、佐用姫が新羅に出征する大伴狭手彦を袖につけていた領巾を振りながら見送ったという伝説のある地。女郎花、男郎花(男郎花)、青い海に白い帆。短いながら景色が想像できるくだりだった。


一行は長崎から島原、天草を巡る。このへんの地理は入り組んでいて、webで地図を見ながら読んだ。南蛮文化を探訪し、当地のフランス人の宣教師を訪ね、島原の乱の中心地に足を運ぶ。明治になって40年とはいえ、まだまだかなり多くの江戸文化が残っているような印象。暮らしや風俗も描いている。稲佐というところにロシア人相手の遊郭があったが、日露戦争でロシア人が来日滞在しなくなり寂れた、という話には時代のリアルを感じてしまった。


阿蘇から帰り道また柳川へ。阿蘇の大火口を覗くのは観光の一環とはいえやはり不気味な脅威を感じるようだ。柳川は再訪のところの方が土地の描写が美しい。中山美穂出演の「東京日和」という映画の印象が強い、と誰かが言っていたが、北原白秋の生家ある水郷、水の国、と表されている、雰囲気が伝わってくる。恩田陸も「月の裏側」というホラーSFの作品で舞台として取り上げているが、どこか魅力的な土地であると思う。


まだ交通網も発達してない時代、おそらく熊本あたりでは西南戦争の話なぞも出たであろう頃、若い彼らの見た折々の景色は、我々が思っているよりもっと独自の趣があったのだろう。


詩人たちの旅だけに、織り込まれている詩も読みどころ。


九州人はだいたい九州の有名どころは行ったことがあるものと思っている。私もそうだが、詩人たちの目を通して見る、往時の九州の紀行は新鮮だった。


このサイトでご紹介いただき気にかけていたらセレクトブックショップで見かけ入手した。店員さんによれば人気のある一冊だという。


九州、旅したくなった。


和泉弍式

「黒猫シャーロック~緋色の肉球~」


汲めど尽きせぬ才能の泉って言葉はどこかで聞いたけど、やはり尽きせぬのがホームズ・パロディ。可愛らしく楽しかったラノベ。


新大学生・綿貫恭平はひと月前に亡くしたミケの死を引きずっていた。下宿先の街で恭平は脚が傷ついた猫を見かけ、一旦行きかけるが、病院に連れて行こうと戻り、血の跡を追う。すると着いた先の公園に、しっぽがパイプのごとくカギ型に曲がった黒猫がいたー。


黒猫は並々ならぬ推理力を発揮しやがて恭平にシャーロックと名付けられる。最初に扱う事件は同じ大学に通う美人の猫好き、涼川綾音が絡むものだった。


けっこうなんというか、ベタでまっすぐな設定ではあるが、猫愛溢れる好感度高い系でした。


こうなると楽しみはいかにシャーロッキアン的要素が入るかということ。サブタイトルはもちろん、ホームズ初登場の長編「緋色の研究」をもじってます。恭平が住む部屋はBコーポ201号室。ベイカー街221bをほんのちょっとだけ連想させますね。ちなみにオーナーの管理人は鳩村夫人。これもハドスン夫人にかすります。


最初に解決するのは「四つの鳴き声」事件。ホームズ第2長編の「四つの署名」ですねー。出てくる白猫のメアリーという名前にも「四つの署名」のヒロインで後にワトスンの妻となるメアリ・モースタンを連想せずにはいられません。黒猫シャーロック、退屈に耐えられずまたたびで陶酔するし。事件がなく退屈なホームズがコカインを射っていたのに通じますね。


次の事件にはやはりというかアイリーンが登場します。謎めいたきれいなメス猫で、シャーロックはアイリーンのことを「あの女」と言うようになります。これも原典では、アイリーン・アドラーに出し抜かれたホームズが以後彼女のことを「The  woman(あの女(ひと))」と呼ぶのにならってます。ちなみにこの事件名は「ボス猫の醜聞」。ホームズ短編の1作目でアイリーンが活躍し大変な評判を呼んだのは「ボヘミアの醜聞」です。うふふ。


次の事件は「三毛組合」、キャリコ・リーグ(キャリコは三毛のこと)という団体が出てきます。有名な「赤毛組合」は「Red  headed  league」です。くくく。


最後のはシャーロックが失踪してしまうのですが、街中の野良猫総出で探すのは、どこか浮浪児捜査集団、ベイカーストレート・イレギュラーズを彷彿とさせます。


シャーロックとの絆ができ、ミケの死からも立ち直りつつある恭平の姿にちょっとだけ感動します。


さわやかでまっすぐな感じのこの作品。恭平と綾音の恋の行方も気になるところ。2人はまだ大学1年生。きっと続編出ますよね、出なきゃやだな。


シャーロッキアンものはまだまだ尽きません。たぶん児童向けだけど、昔一作だけ読んだエノーラ・ホームズシリーズが図書館にあったし。月イチペースくらいでまだまだ楽しめそうです。


ウィリアム・シェイクスピア

「アントニーとクレオパトラ」


どこまであなたに愛されているか、その果てをはっきり見きわめておきたい。

(劇中のクレオパトラの台詞)


激情に揺れる言葉。エジプトの女王クレオパトラとローマ三頭政治の一角、アントニーの物語。


クレオパトラのもとに居たアントニーは妻と子がオクティヴィアス・シーザー(ジュリアス・シーザーの養子)に戦いを仕掛けたと聞き、ローマへ赴く。一旦シーザーと和解しポンペイウスとも和を整えて帰路に着くが、シーザーは兵を挙げたー。


アントニーは父シーザーの側近で、ブルータスら暗殺者達を一掃する。このへんはやはりシェイクスピアの名作「ジュリアス・シーザー」で描かれている。史実としてはやがて子シーザーが父の権利の継承を主張、元老院の思惑も絡みアントニーと戦うが、やがてローマ世界はレピダスと2人の三頭政治体制となる。この話の子シーザーとアントニーの戦いがアクティウムの海戦。


負けたアントニーはクレオパトラが自殺したという誤報を聞き自殺する。クレオパトラも毒蛇に身を噛ませ後を追う。


アントニーは遠征の途上でクレオパトラに出会い、その魅力に虜となってしまった。ポンペイウスや父シーザーの妾でもあったクレオパトラは、アントニーをも戦略的に魅惑したという。


説明長かったっすー。いやー勉強し直しました。さてここからが書評。


劇中でアントニーとクレオパトラの2人は、解説にもある通り、転変極まりない。アントニーはクレオパトラを口汚い言葉で罵ったり、かと思うとメロメロなところを見せたりする。また戦の状況によりものすごく落ち込んだり、えらい勢いでハイになったりと、豪勇でいながらかなり不安定。クレオパトラも芝居がかったようなセリフもあるし、子シーザーに対し媚びともいえる言動を取りながら次の場面では敵意をむき出しにしたり、である。


劇としては古代の有名な史実であり、またセンセーショナルで悲劇的な最期であることからか、最高傑作とも言われるようだ。クレオパトラの心はアントニーにあり、純愛ものとして捉える向きもあるそうだ。


私的にアントニーとクレオパトラの2人の心が揺れるのはけっこうリアルでバランスがいいと感じた。


2人以外は皆常識人として描かれる。敵方も、味方も。アクティウムの海戦に敗れた後エノバーバスという部下が寝返りシーザーサイドに付くが、自分の裏切り行為を後悔して気がふれたようになる。これも考えてみれば常識的な有り様だ。


アントニーがクレオパトラにイカれていたのは読む限り事実。であれば気に入らないところには寛大ではなく感情的にもなるだろう。しかも危急存亡がかかる時。浮き沈みの激しい人は、私はいるものだと思うし、態度に出さなくとも心の中で浮いたり沈んだりということはあるかと思う。


クレオパトラの転身については純愛があったかどうかは分からない。やっぱりタクティクス、だと思いたい。だって心に一物あった方が腑に落ちるよね。ポンペイウスや父シーザーの妾だったんだから。でも0100かではなくちょっとくらい気持ちがあるほうが人間ぽい。


ラストの子シーザーとのやりとりの時、クレオパトラは動揺しているが、シーザーの出方を見ているようにも思われる。子や自分の従者たちの事を考え、慇懃に対応しているかと思う。これまでの人生を見てもスキを見つける部分を探すのはまた当然かと。死を選んだのは命運が尽きたと悟ったのだろう。愛するアントニーの死も悲しかった部分もあるのだろう。


2人の言動が常識的でなく激しく転身極まりないのは、良い意味での異彩を放っていると受け止めた。周りのカタさ加減に対してもバランスが取れていると思う。


それにしても「ジュリアス・シーザー」では、見事な演説(感動する、とか模範的、とかいう意味では決してない)で民衆を扇動したアントニーが、美女骨抜き状態。


どうしても心に残念感はある。ただこの書き分けも興味深い、と思った。


三島由紀夫「真夏の死」


読みやすいものもあり、集中しにくいものもあり。うーん。


三島由紀夫、比較的初期の短編集である。


「煙草」はなにやら長野まゆみ風の少年の蹉跌の話。「春子」は妖艶な若後家春子とその義妹の路子、19歳の私の三角関係のような耽美的物語。


「サーカス」は外国小説のような寓話風、「翼」詩的で若さのエネルギーと哀愁を語っている。「離宮の松」は子守の雇われ少女が日常から脱出を試みる話。ホテルを舞台にしたオチのつくロマンミステリの「クロスワード・パズル」、描写が美しいが、官僚がなぜかバイトの少年を見て警戒する「花火」、貴族的な「貴顕」、当時の新人類的な若者の群像「葡萄パン」、可愛らしくコミカルなオチを持ち水にこだわった「雨のなかの噴水」と多彩な11編。


静岡・伊東の海に遊びに来ていた朝子のもとに、子供達3人の世話を任せていた義妹・安枝が倒れたという報が届く。朝子は現場に行き安枝への応急処置を見守るが、3人の子のうち2人が居ないことに気づくー。

                                            (真夏の死)


最もページ数が多い?この小説では安枝も2人の子供も残念ながら死んでしまう。主に母親としての朝子の心理、言動を丹念に追っている。んー実際に起きた人への取材をもとにしたらしいが、やや冗長系。多分に実験的な意味もあるかもだが、ちとしつこいな、と感じた。また「貴顕」はどうにもこうにも散文的で、読みにくかった。


心に残ったのは「煙草」「春子」「離宮の松」「雨の中の噴水」かな。「春子」の官能性、離宮の松で子守少女がなにもかもを放り出して逃げ出すのにどこか共感する気持ちを覚えた。


三島由紀夫は昔「金閣寺」を読んだくらいでまさにこれから。まあ「入り」は印象良くないことも多いから。少しずつ分かってくるのかな。にしても、表現を難しく、分量を多くしているきらいがあるな、と感じもうひとつしっくり来なかった。




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2018年10月8日月曜日

9月書評の5




「山の音」カット。高圧線の鉄塔がジャマだな^_^

9月はなんと、22作品も読んだ。ここまで数が多くなると、毎月のアップも大変。しかしこれは記録だし過去書評はよく探すしでしなければならぬ。セレクトブックショップの本が入ってきているせいかバリエーションに変化が出たと思う。またこの月は、ある意味天啓を受けた時でもあった。

宮沢賢治「インドラの網」


「風の又三郎」の元となった「風野又三郎」。読みたかった。


インドラとは帝釈天のこと。この童話集には賢治らしく法華経の言葉が使われた作品がいくつ入っている。


表題作のほか「雁の童子」「学者アラム ハラドの見た着物」「三人兄弟の医者と北守将軍」「竜と詩人」「チュウリップの幻術」「さるのこしかけ」「楢ノ木大学士の野宿」「風野又三郎」が収録されている。


「インドラの網」で「私」は夢の中で天人に会う。幻想的な話であるのに、鉱物や理系的な言葉がたくさん出て来てクスッとしてしまう。いや賢治らしい。

「三人兄弟の医者」はやや長めだが韻文形になっているのですらすら進む。長年遠征していた将軍が蔵からお尻が取れなくなり医者にかかる、どこかで聞いたコミカルな話。


どの話も教訓的だったり微笑ましかったりする。心に残ったのはファンタジックな「チュウリップの幻術」かな。ぎらぎら光ってすきとおる蒸気が空へ昇る、青空いっぱいに湧きあがる光の酒。


「風野又三郎」。この編に出てくる又三郎は本当の風の精で赤い髪をして鼻っ柱の強い透明感のある子供。北極、グリーンランド、ハワイまで飛び回り、大循環に乗る。ワクワクするような体験を集まってくる村の子供たちに語り、いずこへかと消え去る。「風の」は自然の厳しさがベースで、又三郎は現実の子供として登場し、全編に切れるような迫力があったが、こちらは伸びやかで作者の願望も多分に入っているのではと思わせる内容だ。


宮沢賢治の作品群には、ビッグバン後広がり続ける宇宙のような想像力と科学、宗教、自然への憧憬、世界への興味、また子供たちへの優しいまなざしに加え、賢治自身の鋭い感性と哀しさを感じさせる願望がぎゅっと詰まっている。書くからには最高のものを、というプロフェッショナリズムもなんとなく感じる。


バラバラになったひとつひとつの作品からも、その複雑な匂いが漂ってくるから凄いなと思う。大人が持つ感性に現代でも訴えかけ、読み解く喜びを与える宮沢賢治ってスペシャルな作家だな、やっぱり。このシリーズ未読の「まなづるとダァリヤ」「ポラーノの広場」も読もう。


ジャン=ピエール・ノーグレット

「ハイド氏の奇妙な犯罪」


ハイド氏目線から見た「ジキル博士とハイド氏」の物語。それだけじゃなくて・・。


この4月にスティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」を読み、二重人格の代名詞となっている元の作品が科学の世紀の流れを汲み、容貌の恐ろしさを前面に出した物語だと知った。


図書館でパッと目に入り即借りて来た。確かに、原作は終わりのキレが良く、それもまた名作っぽいんだけれど、残った謎を明かしてくれるならとこの手の本に興味を惹かれるのもまた真である(笑)。


しかも私にとって外せないことに、シャーロック・ホームズが登場する。長編第2作「四つの署名」とからめて。はっきり言ってこのようなパターンは非常に珍しい。手元に残したいな。おまけに他短編の舞台となる店も効果的に使われる。


「ジキル博士とハイド氏」の書評でも触れたが、この作品が発表されたのはホームズ第1作の長編「緋色の研究」かビートンのクリスマス年鑑に掲載される前年の1886年であり、どちらもロンドンが舞台のストーリーなので結びつけ方は珍しいが自然ではある。面白いトライだ。ホームズの「這う男」という話では老人が薬を飲んで猿のような奇行をするが、明らかにスティーヴンスンの影響らしい。


さて内容はというと、ハイド氏といえば「少女踏み付け」のエピソードだがその真相とか、どうやって動き回り、どのような活動をしていたかなどが明かされる。そして殺人の情景、最大の読みどころは殺人からラストまでの激しい冒険、とも言えるものだ。ハイドのモノローグと3人称が混ざった文体で違和感がないでもないが、まあまずエキサイティングで原作の裏側を読んでるな、という感覚も味わえる。


そして原作に出て来ていない、もうほとんどかすっているが、という人物がカギとなる。んー、また謎が残るじゃん、という終わり方だった。


最後に「ジキル博士とハイド氏」について30ページほど著者の論文が収録されている。分析的で興味深い。訳者あとがきによればはイギリス文学者でスティーヴンスンの専門家だとか。ほー。2003年に日本で出版されている。


ジキルとハイド、という言葉だけでなく、内容を掘り下げる読み方が出来て良かったと思う。私にとっては、認識していなかったシャーロッキアンものの、思わぬ発掘ができて嬉しい限りだった。


川端康成「山の音」


自分が、川端シンドロームではないかと疑ってしまった。ちと感服した。


老いを感じる60代の主人公、尾形信吾は妻・保子と新婚の息子夫婦、修一、菊子と鎌倉に暮らしていた。信吾は美しい菊子をことさら可愛がり、菊子も甲斐甲斐しく家で働いていたが、信吾は修一が外に女を作ったのを知るー。


最初はちょっと枯れた風味がして、淡々としているな、と思った。しかし読み進めるにつれ唸ってしまった。


うまい。シーンの作り方、底に隠れた意図。また章の最後にさりげなくショッキングな事実を入れスパッと切る。突然来る大きな動揺、事態の動かし方が絶妙だ。


菊子と修一のこと、また夫と別れ帰ってきた娘の房子についてもなかなか決断しないままの信吾。繰り返される老いの描写の中、信吾は後半動くが数々のエピソードの中には常に、信吾がかつて憧れた妻・保子の亡き美しい姉の姿があり、それを投影した菊子への耽美的とも言えるいとおしさがある。


新宿御苑での2人の場面、


「喬木に重いほど盛んな緑が、菊子の後姿の細い首に降りかかるようだった」


という文章にはその儚さと美しさに浸ってしまった。


もうひとつ、作中成り行きで買った能面の美しさに魅せられ、ある時菊子に被らせる。その時美しい面の中で菊子の感情が溢れ出す。この場面の流れにも良い意味で意表を衝かれるし、何よりまして意外な映像美がある、と思った。


信吾は義父、という立場を崩さないが、内面では葛藤している。その戦後間もなくの男の、家庭での姿が重く生々しい。また修一とその女・絹子が時代の影響を受けているのも心がじくっとする要素だ。


菊子は義父に尽くし甘える嫁である。戦後間もなくを舞台にしたこの家族像と女性の立場は現代目線ではありえないものかも知れない。でも、私たちの父母の時代まではあったことではある。


本当にさまざまな要素を実に上手く織り込み、四季の中で家族の葛藤、老い、そして美を表現して響く物語にしていると思う。


川端康成は映像的、色彩的な作家だと思う。なおかつ仕掛けが粋でストーリーの組み方、シーンの作り方が抜群だ。


川端シンドロームに陥ってるのかも。いや感じ入った。


千住博「絵を描く悦び」


熱いエネルギー。日本画家の著者が、京都造形芸術大学での講義をもとに書き上げた美術の「授業書」。


例えば2つのリンゴを描く時、何も描いていない空間がポイントとなる、ということから、普段のデッサン、モチーフとの出会い方、技法、材料などなど画家に必要なものを多岐にわたって書いている。


内容は、自然と千住氏が通ってきた道を振り返るもの。千住家は父が工学博士、母はエッセイスト、博氏の弟は作曲家の千住明、妹はヴァイオリニストの千住真理子である。


博氏も音楽をしていたが絵の道に進む事を決め2浪して東京藝術大学に入学、博士課程まで修めている。浪人の時は美術系予備校で7時から夜10時まで絵を描いていたそうだ。

読んでいて著者の絵に対する情熱が伝わってくる。


代表作の「フラットウォーター」や「ウォーターフォール」の絵なども口絵として収録されている。1種類だけではないようだ。「ウォーターフォール」は1995年、ヴェネツィア・ビエンナーレで東洋人として初めて絵画部門優秀賞を受賞したとか。確かに、これだ、というモチーフを持っている画家は強いという気がする。


30代で評価された際、自分より外国人の方が日本の芸術に貪欲なことに衝撃を受け日本の古典を読み漁るようになったエピソードから本書を貫く思想のようなものが伺われ、おそらくその後も熱い心ですべきことをしたのだろうと思わせる。


その思想とは、世界が置き忘れたものが20世紀の日本にあったのではないか。自信を持って日本人であることが大事、そのための勉強を、というメッセージ、だと受け取った。


そもそも日本画というと水墨画や浮世絵を思い浮かべ、自分の中で整理がされていなかった。油絵に代表される西洋の絵に対し、岩絵具など伝統的な材料や技法が用いられるもので明治以降の概念だとか。彩色画もあり、誤解を恐れず言えば、パッと見西洋画と同じように見えるものもある。


全体的な印象では、なすべき修行をして評価され、その理論は積み上げが成せるものと思うが、どこか若い、と感じさせる。


うー、なんか染みたな。大徳寺の襖絵を観に行ってみようかな。と、思ったら非公開ですって。軽井沢の千住博美術館に行くしかないかな。


大谷康子「ヴァイオリニスト今日も走る!」


大谷康子さんと大阪交響楽団のコンサートに行き、現地で買った一冊。優しい文体で書かれているが、それだけではないものを感じた。


大谷康子さんは現在はソロ活動のみをしているが、私にとっては「題名のない音楽会」で演奏している、東京交響楽団のコンサートマスターのイメージだ。時たま「クラシッククイズ!」などの企画コーナーがあれば解答者席にも座る、チャーミングな笑顔のコンマス。


私もコンサートでまさに体感したが、マイクでのトークあり、アンコールのチャルダッシュを客席に降りていって弾いて回るなどサービス精神も満点のヴァイオリニストさん。


今年夏に出たこの著書には、生い立ちから音楽家としての道のり、マエストロその他の人々との出会い、また子供たちへの考え方、教え方なども盛り込まれている。


正直、お付き合いしている人脈がハイソ過ぎる部分があって、すごいなぁ、と思う。内容は難しい部分はなく、チャプターも短く切ってあり、読みやすい。


きっとそれだけでは決してないと分かっていても、光の中を歩んだ、生きる活力に溢れたバイタリティーある人、というイメージだ。


広めよう、としているのがクラシックというハードル高めなもののせいか、心がけているのは「むずかしいことをやさしく   やさしいことをふかく」で始まる井上ひさしの言葉だそう。


感性豊かな子供たちが増えたら社会は変わる、極端な話戦争もなくなって明るい未来が・・という言葉にはパッと読んで甘さも感じるが、でもただ理想を言っているのではないと、この本を通じて感じた。願望としては持っていなくちゃ、そのために音楽家は頑張らなくちゃ、と思わせる。


人間的魅力にあふれた人である。いまでも「できないはずがない」といつも思っているという。岐路に立って悩んでも、選んだ方を楽しむ。どこかこの前に読んだ千住博氏とも通じるものがある気がした。


この本を読んで、うまく行く人は人種が違う、とも思えるかも知れない。自分とは違う、と。でも、できないはずがない、と頑張りたくなった。サインありがとうございました。。