なんか旅行に行きたいな。
アガサ・クリスティ
「青い壺の謎」
アガサらしい茶目っ気が見える。時代も感じるな。
イギリスのテレビが実写ドラマ化するのにチョイスした物語を、当地の出版社が短編集化、そのまま邦訳したもの。
10の作品が収録されている。だいたい30ページ以内の、どこかにタネがあるストーリー。推理ものではなく、どれかというとサスペンス・タッチかな。
24歳のジャック・ハーティントンはゴルフ好きが高じて、ゴルフ場の近くに投宿し、出勤前に1時間の練習を行っていた。ある朝アイアンショットのテークバックに入った時、「人殺し!助けて!助けて!」と女の甲高い悲鳴が聞こえる。声のした方にある一軒家の庭先に出ていた娘は何も聞いていないという。その後2日間同時刻に同じことがあり、ジャックは翌日、同宿のラヴィントンと回ることにする。(青い壺の謎)
この表題作には意外な結末が待っているが、しかし目的を遂げるためにそこまで手の込んだことするか?という気もする。
陰謀あり、ロマンスあり、「あなたはいま、幸せですか?幸せでなければパーカー・パイン氏をお訪ねなさい。」という新聞広告を出すパインものあり、ちょっと危険なものもありと楽しませてくれる。
最後の「あっぱれ、男」は短編集を気持ちよく終わらせる話だった。
婚約者を愛してはいるがその口うるささに辟易している男は、臨時収入の500ポンドで当時最先端だった新車を買いドライブに出かける。車を止め山道をハイクして帰ってくると、車のポケットに高価そうに見えるダイヤモンドのネックレスが入っていたー。
よく物語には、偶然があり過ぎてはいけないという。話の展開に合わせた強引な巡り合わせには底の浅さを伺わせ、信ぴょう性を無くし、かつ不自然になるからと解釈している。ただ実生活をしててもハプニングや偶然はつきものであり、そのバランスは難しいところだ。
まあただ短編集はある意味、思い切った展開をして夢を見ることに対してより許容度が高く面白みの一つかと思う。
「あっぱれ、男」なんかはまあ偶然の要素が濃いが、うまく速く、いい締め方だったかなと。
私的には、ポワロもミス・マープルも登場しない、小話的なサスペンス短編に、アガサの茶目っ気を見た思いがした。
八木沢里志「続・森崎書店の日々」
困ったなあ、軽く泣きそう。
神田神保町の古書店を舞台にした「森崎書店の日々」の続刊である。男にフラれたことで落ち込んで会社を辞めた貴子は、叔父の森崎サトルが営んでいる森崎書店に住むことに。街や本に関わる人々と触れ合ううちに傷が癒えていくのだった。また音信不通だったサトルの妻・桃子が突然帰還、桃子が出ていったのには、深い理由があったのだった。
今刊では、和田という恋人を得た貴子は度々神保町に通う。いくつか迷いごとと向き合いつつ大過ない日々が続いていたある日、貴子は「話がある」というサトルと散歩に出掛ける。
毒はなく、ほのぼのとした話。しかし否応なく運命を突き付けられるサトルと貴子。貴子と関わる人々の物語を紡ぎつつ、前巻と同じく再生の物語となっている。
ところどころに頷ける文章がさりげなく混ざる。また近代文学の作品も、押し付けがましくない程度に紹介される。
貴子のモノローグの語り口がまっすぐで安心できていい味が出ている。また登場人物たちのキャラや台詞も気持ちよく、この街で過ごす時間を、読み手にもいとおしく思わせてくれる。我々本好きならばなおさらだ。
ストーリーは無理のない感じで突飛なことはまず一切ないが、再生の過程は思わず入り込んでしまうようないじらしさに溢れている。
実はこう持っていくのは相当なテクニックが必要なのかも知れない。
やべ、軽く泣きそうになってしまった。
作中紹介されてた内田百閒の「阿房列車」が読みたくなったな。
ポール・オースター「幽霊たち」
ふむふむ、興味深い小説。感覚と技巧。
1947年、探偵事務所に勤める青年ブルーは、ホワイトという依頼者から、ブラックという男を見張る仕事を受ける。ホワイトはブラックの部屋に面したアパートを手配した。仕事にかかったブルーだが、あまりに事態が動かないことに疑念を抱き行動に出るー。
登場人物には色の名前が多いが、物語の大半はブルーとブラックの関係性。依頼人のホワイトへ報告書を出しながらも、いわば孤独を極める存在となったブルーの心情の描写が深まっていく。そして謎を解明しようとする彼の行動がさらに謎を深め、さらには哲学的とも言える境地?に辿り着く。
解説にもあるが、色の名前をさまざま出しながらも、主要ドラマは闇の黒で展開のイメージはモノトーン。色彩が無い。120ページほどの作品ながら、心理描写、ちょっとしたサスペンス小説のような成り行きが面白く、じっくりと読むタイプの小説だった。
ネタははっきりと描くのがいいのかどうか考えさせる。そこも含めて小説ってものか。
設定には軽い面白さを感じるが、透明感のあるモノトーンを印象付ける黒さ、深さを生む感覚と技巧はとても興味深い。この作品を含む「ニューヨーク三部作」で1980年代末にポール・オースターは世界的な評価を得たとか。他も読んでみよう。
森見登美彦「恋文の技術」
書簡体小説。一部笑えた。森見の特質。
おおむねのあらすじは主な書き手、京都の大学院生守田一郎が能登研究所で半年の研究生活を送っている間に恋に迷った友人の小松崎、自分を苛める女王的先輩、大塚さん、かつて家庭教師をしていて、いまは小松崎が想いを寄せるマリが先生のまみや少年、作家の森見登美彦、女子高生の妹へ手紙を出しまくる、というもの。守田には伊吹さんというもとは同じ研究室の片想いの女性がいて彼女に恋文を書くという命題を持っている。
さて、「夜は短し歩けよ乙女」でも感じたが、森見は学生らしく理屈っぽい、阿呆な上から目線の文調が多い。今回もそれを踏襲していて、しかも書簡で書くと強調されていて、最初の方は正直やや辟易した。
たくさんの手紙を書き、錯綜させながらシチュエーションを説明していく展開。中盤からは少し面白くなってきて、伊吹さんへの失敗書簡の章はなんでやねん、と笑いツッコミながら楽しく読むことが出来た。
たしかに全体としては阿呆らしくて1人で踊っている感じでおもろかしくまとまってるかな。でもせっかく種を撒いたんだから最後刈り取って欲しかったし、「おっ」という文章も読みたかったな。
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