なでしこアジア大会金メダル。一瞬のチャンスを生かしきったのは素晴らしい。思い切ってセンタリングした中島依美も、それを決めきった菅澤優衣香も素晴らしい。W杯再制覇に向けてもっと高めて行ってほしいな。
林由紀夫「宮澤賢治フィールドノート」
イーハトヴの姿。岩手って未踏なんだよね。
宮澤賢治と同じ岩手・花巻市生まれの著者が、宮澤賢治の足跡を追い、賢治が創作したドリームランド、イーハトヴを写真付きで紹介する本。
種市ケ原、「銀河鉄道の夜」を夢見たJR釜石線のめがね橋、日本初の西洋式大農場、小岩井農場、岩手山、「どんぐりと山猫」の早池峰山、「風の又三郎」の舞台、旧人首(ひとかべ)小学校、イギリス海岸などが取り挙げられている。
著者は賢治とほぼ似たフィールドワークをしているらしく、観光というよりは山歩きガイドに近い。最低3泊4日は確保したい、なんていう言葉もあり、楽しみつつちょっと引いて読んだ方がいいかも。
私は九州の生まれだからそもそも北に憧れがある。北東北の四季って未知で、賢治の描くイーハトヴには強く惹かれてしまう。岩手は行ったことないんだよね・・。
行くとすれば観光だから、この本で紹介されている中ではやはり花巻の宮沢賢治記念館に行って、近くの山猫軒でイーハトーブ定食というのを食べて、近いというイギリス海岸行って花巻温泉に泊まりたい。近辺はいくつもモニュメント等あるみたいだし。で、旧人首小学校、小岩井農場、めがね橋を周遊できたら最高かな。
詳しい地図や案内、スポットに加え温泉やキャンプ場、宿泊施設などのインデックスも付いている。岩手山の写真は素晴らしいが、オールカラーが良かったかな。雰囲気出そうとしてちと文章は夢見がち。
そもそもまだ読んでない賢治の作品を読もうと図書館行ったら夏休みだからか1つもなく、解説書のコーナーに並んでいたのを借りてみた。浸れたな。賢治に浸り、いい気分で今夜(8月12日)極大のペルセウス座流星群観測を迎えようと思ってるんだけど、ちと雲が多いかも^_^。。晴れろー。
ジャック・フィニイ
「ゲイルズバーグの春を愛す」
短編集には気の利いた、うまく落とす作品が多い。本作もそうだが、フィニィ流の気持ちいい味付けで美味しくいただける。
ゲイルズバーグ地元新聞社の「私」は新工場を建設しようとやって来た資本家マーシュから不思議な体験を聞く。彼は深夜のこの町で、もう何十年も前になくなった市電にはねられかけたと語る。ひどい目にあったらマーシュは工場建設をやめてゲイルズバーグから出て行くと言うー。
最初の表題作でこのフィニィ作品の性格が明らかになる。読んでいてスティーブン・キングのタイムトラベルもの「11/22/63」をちょっと思い出した。その中で過去は変えられるのを防ごうと頑強に抵抗する。フィニィはどれかというとSFもの特有の因果関係ではなく、積み重ねられてきた時間が性急な開発を嫌って幻想的な光景や出来事を見せる。「11/22/63」と同様に妨害ではあるが、フィニィのほうは、その大きな力に温かみを感じる。人の心の根源的な部分に穏やかに語りかける内容だと感じた。
「クルーエット夫妻の家」も同様の、胸の中を優し気分にさせてくれる作品。
とぼけた感じの「おい、こっちを向け!」、なかなかコミカルなタイムトラベルもの「時に境界なし」もファンタジーチックで小粋な作品。「愛の手紙」はたしかに韓国映画の佳作「イル・マーレ」に似ている。ちょっと「君の名は。」にも通じるものがあるかな?主人公が昔の街の写真を見るところで柴崎友香「その街の今は」をちらっと思い出した。シーンだけのイメージだけど。
個人的には「大胆不敵な気球乗り」に憧れる。誰もが持っていそうな願望をストレートに現実化する。実に気持ち良さそうで、想像力を刺激するこの伸び伸び感。実際にそんなにうまくいくわけないし、夜の空を飛ぶのは怖い。想像でこそ楽しめるものだ。
いずれも1952年から1962年の間に発表されたもの。どの時代の人も同じかも知れないが、例えばわれわれ年代には、いわゆる昭和の風景や風習が染みついている。楽しく美しかった過去は二度と戻らず、日々の現実にはなんらかのストレスがあるのが普通。だから、フィニィのような作品は年代を問わず受けがいいのかも知れない。文章の作りもどこかで現実逃避ならぬ現代逃避の要素が表れていると思う。
私の読書の師匠的な女史が短編集は余韻だ、と言われていた。キレが良くクールな短編集は心に素晴らしい刺激を残してくれるが、フィニィはまた、人間的なぬくもり、といった余韻を楽しませてくれた。よい読書でした。
川端康成「古都」
久しぶりに、ゾクゾクした。なぜだろう。川端康成は、魔術師か。
京都・中京にある京呉服問屋の一人娘、20歳の千重子は、攫って連れてきた子だと両親から聞かされて育った。織物屋の跡取り、秀男や幼なじみ真一、その兄の竜助らが美しい千重子に好意を示す。ある日千重子は友人の真砂子と北山杉を見に行った折、杉山で働く、自分とそっくりな娘とすれ違うー。
京都の四季の移ろいのもと、観光名所と葵祭、祇園祭、時代祭、大文字焼きの情景などを映像的に表し、そのベースに千重子を巡る人々を描き、さらに瓜二つな娘・苗子との運命的な出逢いを綴っていく。芯となるのは成長途上にある千重子と苗子の心細くも強い心情だと思う。
20代で「伊豆の踊り子」を書き、30代で「雪国」を執筆した川端康成が1961年、60代で創作した代表作の一つ。あとがきによれば書いている最中川端は睡眠薬を服用し続け、もうろうとした状態だったそうで自ら「異常の所産」としている。
確かに描いたことを回収しきれてないのもあり、解説にもあるが、美しいヒロインを描こうとしたのか、京都の風物を描こうとしたのか、よく分からない向きもある。
「古都」はノーベル文学賞の対象作品でもあるそうで国内よりも海外のウケが良いとかもどこかに書いてあった。
しかし私は、久しぶりに捉えられた。いつしか夢中になりちょっと興奮しながら読んだ。
会話は初期のカズオ・イシグロにも似て、周辺のことを言葉にして、あとは推して知るべし的な部分がある。またどれかというと把握しやすい隠喩もある。
京都の動く情景、その中で出逢う生写しの2人の関わり、成長した女性に向かい伸びゆく千重子、苗子と北山杉、無骨な男たち、洋服と和服の混ざった風俗の時代などが抜群にマッチして、落ち着いた形の文章であるのに、いつしか取り込まれる。そんな感じを味わった。
「雪国」でも同様だったが、川端康成は稀有な、映像的な書き手だと思う。独特の魔術に、かかってしまったか、異常の所産が放つオーラの影響を受けたのか。
新聞連載の挿絵は小磯良平、単行本の巻頭口絵は東山魁夷。どっちも見れないけど。結構な本だったんだな当時。
もっと読んでみよう。次は「山の音」かな。
椹野道流
「最後の晩ごはん 小説家と冷やし中華」
ラノベのターン。これってイケる。
元イケメン俳優でスキャンダルのため事務所をクビになり兵庫・芦屋のばんめし屋という店に住み込みで料理修行をしている五十嵐海里。海里のもとに後輩の里中李英が訪ねてくる。2人は再会を喜びあうが、翌日ばんめし屋に大勢の芸能レポーターが押し寄せる。
海里はしつこい雑誌記者を撃退してくれた常連の作家・淡海の依頼でおばあちゃん朗読劇団の発表会の指導をするが、そこで高校生くらいの少女を見かける。普段は眼鏡の姿、夜になると英国風執事の姿になるロイドによれば、少女は淡海に憑いている幽霊だというー。
いつも書いてる気がするが、私が独身時代に住んでいた芦屋を舞台にした料理ライトノベル。地元商工会がこの小説のイベントをしたらしい。ちょうどばんめし屋のある教会やモダンな作りの警察署があるあたり、また劇中に出てくる蔦の繁ったルナホールも含めて芦屋のシンボル的な風景で、地元民の誰もが想像できる歩いていて気持ちのいい場所である。
ばんめし屋のマスター夏神の頼れて腕のいいキャラ、若くて軽く見える海里のセリフ、落ち着いてトボけた味のロイドの噛み合わせがとてもいい。料理にちょいホラー、土地の雰囲気と設定が良い。
またストーリーはまじめでまっすぐ。今回は最初から最後までテクニカルにうまくつながっていてホロっとする展開だ。ちょっと説明部分ではベタで工夫がないかなとも思ったりしたし、朗読をもっと描写して欲しかったけど、読後感もたまらなく爽やか。
やっぱラノベは日本の文化だね。季節が良くなったら芦屋を散歩して谷崎潤一郎記念館にでも行こう。
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