2018年9月30日日曜日

またあらし





いっこ前のは、書いてたのにアップしてなかった先週の分。この週はバタバタしていたので忘却の彼方だったか。


さて、大型で非常に強い台風24号は勢力を保ったまま、まさに紀伊半島に上陸しようとしている。先ほど1530くらいから雨が強くなった。今回和歌山市直撃くらいのコースである。言っても和歌山市は紀伊水道大阪府寄りなので、わが兵庫、大阪のベッドタウン部分も暴風域に巻き込まれる。台風はそれぞれの特徴を持っているのでまだどう出るか分からないが、向かって右、南東部の危険半円は逃れられるようだ。風雨が一番激しいのは和歌山らしい。


今回も2日前、つまり金曜日が怖くて怖くて、まだ予報円大きいしそれろ、勢力一気に弱まれ、スピード上がれ、と祈っていたが届かず。いまは予報の精度が高いからねー。でも決まって大阪湾に向かって来るのは、何回も言うが、ほんっとうにやめてほしい。こんなに来なかったぞかつては。


さて、中秋の名月で始まった今週。土曜日はコンサート。大阪交響楽団にヴァイオリニストの大谷康子さんを迎え、ヴィヴァルディ、メンデルスゾーン、ブルッフの各コンチェルトにサラサーテのツィゴイネルワイゼンとオケ付きの曲を4つという珍しい催し。


大谷康子さんといえば「題名のない音楽会」での東京交響楽団のコンマス。ソロ活動もしながらコンマスを21年もしていたそうだが、曲の合間にマイクを握ってトークあり、アンコールのチャルダッシュは客席に入っていって演奏と大ハッスル。めっちゃ盛り上がった。


ハイフェッツのCD聴いてカッコいい曲だな、と思っていたブルッフ初。生はやっぱり最高だ。そうだそうだとメロディーを聴きながら興奮し、感動。良かった。


つい2000円のCD付き著書を買ってサインしてもらい、写真も撮ってもらった。


会社の近くのなじみの喫茶店でお気に入りのピラフを食べて向かったシンフォニーホールへは秋雨前線を台風が刺激して大雨だった。でも帰りは上がっていた。


もう台風は怖くない。生オケコンチェルトのおかげで腹が固まった。単純だこと。だいたいいつも当日には進路が固まって来るし、逆に近付いたらほんとうの情報が見えてくる。するとそもそも止める手立てはないしと落ち着いてくる。今回も、一部声高に、東シナ海で935hpまで再発達するとか言ってたが上がらず950のままだし、進路も北上せず北東にまっすぐ行くのでは、といった状態になっている。あれあれ。


でもやっぱ怖いな。早く過ぎ去れ。


おとなしく





あー、パタパタと平日過ごした。息子とは、乗るバスの時間を決めている。でもミーティングなどで向こうが遅くなることが多く巡り会えなかった。今週初めて一緒にバスで帰った。さて3連休。シルバーウィーク後半は大人しく過ごす。息子は毎日学校部活だった。午前図書館とこまごました買い物の繰り返し。


ここのところセレクトブックショップが多くて、久しぶりにブックオフへ行った。10月読む本があまりないからだ。とはいえ本チャンというよりは、重い、長い本は図書館なりセレクトにして、軽く読める本を探した。


村上春樹「東京奇譚集」

川端康成「みずうみ」

佐藤泰志「そこのみにて光り輝く」

芥川龍之介「奉教人の死」


佐藤泰志は映画「きみの鳥はうたえる」が封切られているから。まあまず。


違う日に新書コーナーに行ったらまあ100円でも多いこと。みんな自己啓発してるんだな。3冊ほど買ってきた。この日図書館行ったら読みたかった川端康成「山の音」が返却されてたんで借りてきた。


ここにセレクトブックショップで買ってまだ読んでないメグレものとか内田百閒とかが加わる。楽しみだ。


3日ともワンコを散歩に連れ出した。夕方遅く、坂を登ると薄暮の街が広がっている。この時間帯、街に灯りが点いていくのを眺めるのが好きだ。オレンジ色の街灯や近家の石垣もこの時間帯の風情だ。浸って歩く。


まもなく猛烈、に発達する台風24号本州方面へ曲がる?来るなー、来るなー!つっても来るんだよな・・。

2018年9月17日月曜日

本道楽







涼しい夜、キッキッキッキッと近くで虫の鳴き声がする。カネタタキというコオロギの一種だそうだ。穏やかな普通の気候にホッとしているこの頃。初夏からここまで、災害がありすぎた。台風22号、23号ははるか南方で日本には来ないが、周囲が台風情報に過敏になっているようにも感じる。


平和に本の話をしようかと思う。私の本の供給源は図書館とブックオフ。また特典のTポイントを使ってネット通販で買ったり、たまに書評サイトの献本に当たったり、という具合である。ここ最近セレクトブックショップ、セレクト古本屋というような店を何軒か訪ねている。


ブックオフの100円よりは値が張るといえばそうだが、ブックオフには無い本がある。それでも安ければ250円くらい。欲しかった本ならそれくらいかもっとブックオフでも払ってるし。


私の好みの範疇でブックオフにない本とは、最近買ったのはジョルジュ・シムノンのメグレ警視もの。ほとんど絶版になってて、神保町でも行かなければなかなか手に入らない。意外なんだけどね。河出書房が復刊してるはずなんだけど、大きな本屋行けばあるのかなあ。ミステリの範疇に入るが、シムノンは純文学として書いていたとか。たしかに、心理的な描写や演出が多い。


他には五人連れの「五足の靴」とか、内田百閒の「阿房列車」とか。文豪ものは図書館にも、必ずしも単品で揃っているわけではないし、全集とかをドドンと置いておかれても持って帰って読むのはしんどい。かといってブックオフもそうは充実していない。


セレクトショップ、というのはそういったミステリや文豪ものでちょっと手に入りにくいものを置いていることが多いから便利だと思う。


土曜日は王子公園の神戸文学館に行った。煉瓦造り、もとは関西学院の礼拝堂だったそう。無料開放している。客は私一人。展示は文豪たちの神戸とのゆかりのもの。例えば堀辰雄は竹内郁に神戸を案内されたことがある、なんていう形で紹介されていた。もちろん谷崎もあって、直筆原稿は筆文字で男らしく、イメージに合っていた。午後には神戸にずっと住んだ陳舜臣についての講演があるようだった。数種類の「神戸文学散歩」パンフもらって帰る。


前から目をつけてたちょっとオシャレめの古本屋を訪ねる。メグレの古いのが1冊。もうカバーがなくてビニールできれいに作ってある。堀口大学訳の昭和38年発行。ちょっと黄ばんでるがまだマシな方、と購入。フィリップ・K・ディック「流れよわが涙、と警官は言った」の初版本も買った。これ図書館にはないんだよね。


これまでと違って男性の若い店主さんは無口だった。ホームズパスティーシュ集のハードカバーも安かったので買う。ホームズものはハードカバーが多く全部は買えないからスルーしているものもある。こういうところではかつてスルーしたものを500円くらいで買えたりする。どうしても欲しくて新刊を買って後で文庫化されてたりするとガクッとなるのだが、多くはハードカバーのままだ。だから買う。もう10年以上前の本のはずだ。パスティーシュの中には持っているのも沢山あった。また掘り出し物がないか訪ねよう。


というふうにやっぱり本中心の生活。ブックオフだけだったのが、図書館に、セレクトブックショップ、古本屋などがラインナップに加わり、最近は充実してるな。


店のすぐ近くの自販機、日田の梨ジュースが入っていた。これ三宮で見つけてからファン。100円なのもポイント。神戸市内以外で見たことがない。ずっと出しててくれんかな。


西武とソフトバンクの天王山、土曜は千賀に浅村と山川のホームランを浴びせKO。日曜は練習時、柳田の側頭部にボールが当たり出場できず、初登板の時やられた大竹をボコボコにして勝ち。月祝はこれも初対戦の時あわやノーヒットノーランという抑えられ方だったミランダに、初回栗山が満塁ホームラン。実質この強烈な1発で勝った。ミランダはこの日制球が定まらず早々にマウンドを降りた。ソフトバンクは今宮も交錯プレーで負傷交代。踏んだり蹴ったりの3連戦となった。これで6.5ゲーム差。マジック点灯。来た来た~。


サッカー日本代表戦は堂安律、中島翔哉らが躍動した。貪欲で、積極的に攻め、デュエルでも粘る彼ら。とても良かった。中島翔哉めっちゃ上手い。ずっと言っているが、ロシアワールドカップのメンバーに残しておかなかったのは間違いだった。


この日のコスタリカは物足らなかった。もちろんメンバーはどんどん変わるし、ロシアW杯組で無視できないメンバーもいる。新しい代表はどんどん強い相手にチャレンジして欲しい。目指すはアジアカップ優勝だー!


3連休で三島由紀夫「真夏の死」ポール・オースター「グラス・オブ・シティ」読了。三島は丁寧で趣向を凝らしてあるかな。オースターは飛ばしている笑。

サルビア・ガラニチカ(メドーセージ) を用水路の土手で見つける。蛇が口開けたような花が目立っていた。昼ひなかは暑いが、朝晩は涼しい。もう秋だね。


2018年9月10日月曜日

テンペスト





火曜日は台風の来襲だった。土日情報をわじと見ずに進路の転換を祈ったが、直撃は免れられない。最後まで気圧が上がるのを祈ったけど勢力は衰えない。


相変わらず台風の前日は会社に行くのが良い。あれこれ同僚たちと話していると落ち着く。JRは昼までに京阪神の運転全面ストップを決めており、行くことは出来ても、台風が上陸するであろう昼過ぎ以降は、まあ相当夜遅くまで動かないだろうなので、休みにした。周りも多かった。


で、当日。妻が午前中コンビニに行ったところけっこうな人だったそう。12時に徳島に上陸、この時点で兵庫の私の家も暴風圏。雨風強まる。シャッター閉めているとあまり吹き降りの音は聞こえない。ただ家が揺れるほどの風ではない。そのうちに明るくなったのが14時過ぎ。15時には収まったと言っていい天気だった。


その日は予想通り電車が動いたのは夜遅く。翌朝は始発から動かすだろうなと予想して寝る。ところがJRは架線に飛来物が認められたという理由で早朝から半日動かず。阪急で梅田まで行き環状線に乗ろうとしたが、来ない。仕方なく歩いた。


会社で話を聞くと、大阪市内ではひどい荒れ方だったらしく社屋ビルも揺れたとか、豊中や大阪市内では停電が続いているとか、私の住まいがある山の麓に住んでる方も停電したとか。対して神戸に住んでる方はあまりひどくなかったとか。


台風が再上陸したのは神戸市。今回の場合、中心部の方が風が弱く、よく言う東側の「危険半円」がひどかったんだろうと思う。地域によっても差が出た。運が良かった。


関西空港は連絡橋にタンカーが激突。滑走路もビルも浸水しひどい有様だ。海上空港の弱さがモロに出た。


翌々日は北海道で震度7。札幌市内でも市街の壊れ方がひどい。災害列島。阪神淡路大震災を思い出す。


で、近畿中部は豪雨の予報で災害クラスの降り方だとか。たしかに金曜の夜ものすごいカミナリが鳴って強い雨が降り続いた。土曜の昼にはやんだが、また日曜の夜から月曜の朝にかけてひどいんだとか。電車大丈夫かな・・。


もう雨降り過ぎ。災害ありすぎ。交通の混乱もこりごり。ホントに安心して暮らしたい。


土曜日は警報が出たから休校。息子爆睡。私はいつも通り図書館で芥川龍之介「戯作三昧・一塊の土」を読む。この本は短編小説集だが、集中出来ず。午後には警報解除。青空も見えた。


日曜日。午後から明日未明にかけて大雨の予報。やはり図書館。買い物をして帰る。この日は北村薫「太宰治の辞書」を読み出す。


この本は久しぶりに出た「円紫さんと私」シリーズで、女学生だった主人公は40代になり中学生の息子がいて小さい出版社に勤めている。ミステリー、文学探偵、リテラリー・デテクティブもので、中で芥川龍之介「舞踏会」と太宰治「女生徒」を探究している。


この本で「女生徒」に興味を持ち読んだ。そして「舞踏会」も読んだから再読しようと手に取った。感想は・・エクセレント。詳しくは書評に譲るが、作品のみならず芥川、太宰という作家がよく分かった。また、シリーズに長い時の流れの重みが加わり、最後の方はジンとしてしまった。


雨は、小康状態。夜もあまり降らず交通機関も正常なようだ。ホッ。ようやっと災害のスパイラル抜けたかな。


日曜の帰り、雨の用水路に大きなカニを発見。山だからいるんだろうけど、デカかった。吉兆ととろう。

2018年9月2日日曜日

新しい時





チョー強力な台風21号は発達しながら接近中。予報円の真ん中を通ればまた関西・・。またかよー。なんで台風は関西へ向かってくるのか。


今回は東海・関東へ曲がると踏んでいただけにちとショック。まだまだ日があるし予報は変わる可能性が大いにあるが、あんまり外れないんだよねー。本当に勘弁してほしい。


息子は夏休み最終日部活は休み。この日は私も休んでたが途中大量の鼻血が。


よく出すほうではあるが、なかなか止まらず、シャツや床や肌に2次災害もひどく、とりあえずティッシュ詰め込んで冷房を入れ、涼しいソファで後頭部にアイスノン。出来るだけ動くなしばらくと言ってたらようやく止まった。


私も高校時代びっくりするくらいよく出した。保健の先生いわく鼻膜が弱いとのこと。遺伝かなあ。そんなんあるのか。


息子休んでる間に2次災害ふき取れるところはやってしまう。


先日川端康成「古都」を読んで感動した。新聞連載時の挿絵は小磯良平、刊行時の口絵は東山魁夷だったそうで、けっこうな扱い。後に「雪国」とこの作品が審査対象となってノーベル文学賞がもたらされる。


で、東山魁夷の展覧会をたまたまやってたので観てきた。キャッチフレーズは「本当の『あお』に出会う」。くー魅かれる言葉。


いや、全体の感想は、素晴らしい、の一言。好みはあろうが、私的には国民的風景画家の名に恥じない描きっぷりだと思った。キャッチの「あお」は緑から青へ、あえて言うならブルーグリーン、ビリジアンといった感じか。確かに素晴らしい。月の光を表すのに月本体を描かず月光に照らされた竹林を書いた「月篁」には惚れ惚れした。トーンとしては印象派っぽい感じであり、白のぼかし方にも感じるものがあった。代表作の「道」は正直もひとつ響かなかったけど。


若くして帝展に入選したが、日展への入選は39歳の時。その後は政府買い上げやら、東宮御所、皇居宮殿の障壁画を描いたり、唐招提寺の障壁画を描いたり・・。また心象を白い馬に託したびたび登場させている。


木の幹の描き方はどこかパターンづいているが、変幻自在で誠実。「古都」の口絵で描いたという北山杉の絵も観た。会場の解説によれば川端康成が東山魁夷に「京都を描くべきだ」と強く勧めたそうで、そういうわけだったかと得心。


とても満足の展覧会なのでした。「道」「月篁」「曙」「春雪」「白い朝」と絵葉書買ったけど、本物とは全然違うな。もう一度観に行ってもいいくらいだった。文庫本買い損ねたのでホンマに行こうかな。


アニメ映画「ペンギン・ハイウェイ」を観てきた。森見登美彦の小説が原作で、賢い「アオヤマくん」の街に突如ペンギンやら水で出来ているらしい巨大な球が出現、アオヤマくんが憧れている、歯科医に勤めるお姉さんが関係しているようなのだが・・というストーリー。原作は読んだが忘れた。


結末部分をだいぶ変えてあったと思う。はっきり憶えてないが。おそらく子供が観ることを考えて曖昧なところをなくしていた。

なんかねえ、正直とちゅう冗長感もあったけど、なぜか夏祭りの盆踊りと、ラストは泣いてしまったよ。蒼井優のお姉さん役ハマってたし。愛すべき物語。観て良かった。


書評サイトで献本されていた本屋さん紹介本の書評で神戸にセレクト古本屋があると知り見つけた。神戸は路地裏の狭いおしゃれショップに寄るのも楽しみ方なのだが、ここもビルの2階のそんなお店。アイスコーヒー発注、女性店主さんとしばらく本の話をした。ビールもあり、立ち飲みで棚がテーブルだった。


ジョルジュ・シムノンのメグレものを発見。また谷崎潤一郎「猫と庄造と二人のおんな」内田百閒「阿房列車」発見。同時に「第二阿房列車」も発見。上の2つと、第二を買って満足。なかなかここはイケます。また来よう。


さて息子は深夜2時頃「もうあと5時間しか寝れん」と言いながらベッドに入ってきた。終わったのかいな。


朝方雷雨だったようだ。起きてみるとちょっと天気は不安定。遅めのバスにして図書館。門井慶喜「銀河鉄道の父」を持ってって集中して読む。


日本で知らない者はないと言える宮沢賢治は、親から見ればいつまでも独り立ちできない青年だった。夢のような実業の構想を持ったかと思えば法華経にハマり東京へ飛び出して行く。世間知らずで商売下手。


理解のある父・政次郎は賢治に対して何を思い、甘く厳しい親であったのか。なかなか興味深かった。


ゆっくり読めて満足。東山魁夷展グッズコーナーで見かけた書籍があったので借りてくる。東山魁夷「日本の美を求めて」楽しみだ。9月からダイヤが変わったのを忘れていて帰りのバスを乗り逃し、家到着まで時間かかり雨も降りだす。くそう。


帰って冷やし中華を食べて「銀父」読了。宮沢賢治好きには興味深いが、正直直木賞受賞するそどのインパクトはなかった。ネタ勝ち、だろうか。たしかに上手い。


この夜は眠れず。正直、台風が近づいて、心は落ち着いているつもりなんだけど、頭は動揺しているようだ。ことさら大げさにしたくないがもはや台風恐怖症だな。気温が下がりめで調節しにくいのも影響してるだろう。結局息子の部屋の広いベッドで朝方少し眠る。


どうしようかと思ったが眠いままバスで図書館へ。東山魁夷の本は進む進む。眠気が吹っ飛び、もともと120ページくらいの小冊子を1時間ちょっとで読了。奈良での講演会、唐招提寺の障壁画を中心に説明している。奈良の地名がたくさん出てきて、なじみ深かった。


100円ショップが閉店してるということは買い物の手間がなくそのぶんゆっくり読めるということでもある。帰りのバスで書評書いてアップした。


午後はエアコンつけて昼寝。夕方起きて筋トレ。ワンコの散歩。もう半袖短パンは涼しい。夜もご飯食べたらまた自室で少し横たわる。最近はトシなのか無理がきかない。


息子は宿題提出し終わったところで、家でゲーム三昧、夜は「逃走中」と「スポーツ王は俺だ」という大好きなプログラムでほくほく。さて、いよいよの月曜だ。

2018年9月1日土曜日

8月書評の5





写真は、京都シロウトの私が落ち着ける数少ない場所、祇園に近いセレクトブックショップの併設カフェ。

東京で単身赴任をしていたころ、初めて1ヶ月で2ケタ10冊読んだ。8月だった。7年後のこの8月は、20作品21冊も読んでしまった。スピードは上がっている。好みも変化している。8月って本読みにはいい季節なのかしらひょっとして。

トム・ロブ・スミス「チャイルド44」上下


旧ソ連が舞台のサスペンス劇。んー、「なぜだ?なんで危険を冒した?」という問いが全てを表しているかな。


ソ連国家保安省のレオは息子の死を事故ではなく殺人だと主張する同僚をなだめに派遣される。息子の父フョードルは幼い息子は裸で、口に泥が詰められていたと主張した。役目をこなしたレオだったが部下の陰謀により左遷され、妻ライーサとともにモスクワのはるか南、ロストフ州に赴任、その地で、裸で切り裂かれ、口に泥の入れられた少年の死体を発見する。


2009年このミス大賞海外編第1位。友人にきっと好きだと思うと薦められてた作品。


少年少女への陰惨な犯罪、というよりは、ソヴィエト連邦の恐怖政治下での生活と、追われる身になったレオとライーサの逃亡活劇、さらに無慈悲だったレオの人生、また夫婦の絆の再生などがメインの物語。


誤認逮捕と部下の恨み、両親もろとも特権を失ったレオの田舎町への左遷、大量の異常犯罪、職務範疇を超えた捜査に逃亡劇、思わぬ真相、などなど、映画のような話で、スリルあふれる展開は読み手のページをめくる手を急がせる。


さて、上に挙げたセリフは捜査途中、レオを恨むかつての部下が再び捕まったレオに問い掛ける場面。なぜレオが命の危険を冒してまでこの事件の捜査に固執するのか、はストーリー全体から推し量るしかない。犯人はどうしてこんな犯罪方法をとったか、も同様である。明示するのが必ずしもいいのかどうかは難しいが。


また意地悪な見方なのかもだが、レオの捜査、逃亡へ協力する側の理由も正直腑に落ちかねるかな。


雰囲気的にソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」をも思い出した。


続編もあるようなのでまた気が向いたら読もう。


内田百閒「私の『漱石』と『龍之介』」


漱石は大らかで怖く、龍之介は、才あるカッコいい変人、てとこかな。


内田百閒は中学生じぶんの明治38年、ホトトギスに掲載された「吾輩は猫である」を読んで崇拝者となり、自作の小説を送るなど教理の岡山から漱石と文通し、帝大に入学、上京してから木曜日の面会日に漱石の家に集まる中の1人となった。後から入ってきた芥川龍之介とはいい友人関係であった。漱石が世を去り命日に「九日会」が催され、また龍之介が自殺した後は「河童忌」が行われ、百閒は両方の出席者だった。


この本は百閒の著作の中から夏目漱石と芥川龍之介に関して書いたくだりを抜粋したもので私は初百閒。


内田百閒はしかしデカダン、生活がだらくさな上に貧乏だった。お金がないときに漱石に借りに行ったら湯河原に行っているというので旅費をかき集めて湯河原に行き借財を申し込む。漱石は鷹揚で二つ返事でOKするばかりでなく、夕飯ビール付きで泊まらせ、小遣いをやって車で返す。漱石かっこいい、こんな大物の余裕あふれる大盤振る舞い、やってみたいもんである。他にも当時夏目漱石という人がスーパースターだったと推測される跡が文章のそちこちに感じられる。


それにしてもこの本によれば、まあ多分脚色もあるのかもだが、百閒はあまり漱石と話をしないばかりか畏怖しているようにも見える。それでこんな無茶をやって金を借りに行くとはと、そのギャップにちょっと驚く。


漱石が亡くなった時には百閒はその存在の重さを改めて感じ、泣く。確か寺田寅彦か誰かが夏目漱石の人柄を書いていたが、同門の文人たちにとっては大きな存在だったのだろうと感じられた。


芥川龍之介は、内田百閒を慕っていて、対等の付き合いのエピソードが盛り込まれている。芥川の口利きで海軍機関学校の教諭となったこと、訪ねていくとこれから自分の婚礼だ、と芥川が言ったこと、薬でおかしくなっていた自殺前後の様子・・。


「私の文章が多少世人の理解と鑑賞を享けるようになって、最初に思ふ事は、芥川の既にいない事である。」という想いが胸を打つ。


芥川は多少読んだが、漱石も百閒も未読が多い。こないだ読んだ漱石「文鳥」周辺の話が書いてあったのは面白かった。百閒も読んでみよう。


この時代の文章は漢字が難しい。八釜しい、とか興味深いのもあるが、読めないものも多数。


あと夏目漱石の息子が私と同じ名前というのはなんかちょっと嬉しかったかな。。


フィリップ・キンドレド・ディック

「ユービック」


多元世界というべきもの、急激でスリリングで不可解な展開、その中をさまよう化け物。そしてユービック。あーなんか生還した気分。


1992年。反エスパー会社に勤めるジョー・チップは、読心能力者や予知能力者を無効化する「不活性者」達と社長のグレン・ランシターとともに月へエスパーの摘発に赴くが罠に落ち爆弾でランシターが殺されるー。


ほうほうの体で地球に帰ってきたジョーたちだったが周囲の時間がどんどん過去に遡る現象の中、不活性者たちが死んでいく。そんな中、死んだはずのランシターからメッセージが届くー。


設定といい物語のヤマの作り方といい絶妙。不可解状況もテンポよくパラレルワールドともいえる世界の進み方が明らかになる。爆弾もバケモノもよき唐突さを持ち怖さがある。


正直いうと分かるや分らんやの線上で、危ういが抜群のバランス感覚を持って異世界を創造しどこか魅力的とまで思わせるな、と思った。そしてまたタイトルのユービックが効いていること。


訳者あとがきによればこの作品は「アンドロ電気羊」と同時期の1969年に書かれた、ディック第三期の代表作だとのこと。


全てが説明されるわけではないのでもやっとした気分もあるが、筆力が絶妙で絶好調、もいった感じだった。


名作のようだし図書館にあるだろうと検索したら書庫にあり、1978年の初版で職員の方も「年季入っちゃってますねー(苦笑)」というシロモノだった。


ディック次は「パーマ・エルドリッチの三つの聖痕」が読みたいな。


「高村光太郎詩集」


再読。やっぱり同じとこに目が止まった。「智恵子抄」、哀しい愛の讃歌。


「道程」「猛獣編」「大いなる日に」「をぢさんの詩」「智恵子抄」などから抜粋して網羅している。


「道程」は小学校の卒業式だったか、書にして飾ってあったな。根本的だが、近代の詩人は言葉をよく知り進取の気鋭が読み取れる。


「犬吠の太郎」っていう詩は一瞬朔ちゃんのことかと思ってしまった。


さて、断片的な感想。「五月のアトリエ」の「五月の日光はほんとに金髪の美少年」という出だしにはちょっとびっくりし唸ってしまった。なかなかない例えであろう。感覚的。他の部分にも賞賛が見え、新緑が萌え新たなパワーを感じる5月に、光太郎は特別な魅力を感じているように見える。


「智恵子抄」はあらゆる言葉を駆使して智恵子への慕情を謳い上げているが「人類の泉」での「あなたが私にある事は 微笑みが私にある事です」には初読でも惹かれたことを思い出した。素朴でストレート。恋愛でも、子育てでもズバンと当てはまるフレーズ。


「東京に空が無いといふ」で有名な「あどけない話」、きれいな歯ががりりと噛んだ「レモン哀歌」、そして亡くなった智恵子が帰ってきたアトリエー。高村光太郎をwikiで引くと智恵子の画像も出てくるが、2人の関係と道行を考えてしまう。


夫婦2人の時、奥入瀬渓流を歩いて、十和田湖畔の「乙女の像」を見たことを思い出した。


8月書評の4




なんか旅行に行きたいな。


アガサ・クリスティ

「青い壺の謎」


アガサらしい茶目っ気が見える。時代も感じるな。


イギリスのテレビが実写ドラマ化するのにチョイスした物語を、当地の出版社が短編集化、そのまま邦訳したもの。


10の作品が収録されている。だいたい30ページ以内の、どこかにタネがあるストーリー。推理ものではなく、どれかというとサスペンス・タッチかな。


24歳のジャック・ハーティントンはゴルフ好きが高じて、ゴルフ場の近くに投宿し、出勤前に1間の練習を行っていた。ある朝アイアンショットのテークバックに入った時、「人殺し!助けて!助けて!」と女の甲高い悲鳴が聞こえる。声のした方にある一軒家の庭先に出ていた娘は何も聞いていないという。その後2日間同時刻に同じことがあり、ジャックは翌日、同宿のラヴィントンと回ることにする。(青い壺の謎)


この表題作には意外な結末が待っているが、しかし目的を遂げるためにそこまで手の込んだことするか?という気もする。


陰謀あり、ロマンスあり、「あなたはいま、幸せですか?幸せでなければパーカー・パイン氏をお訪ねなさい。」という新聞広告を出すパインものあり、ちょっと危険なものもありと楽しませてくれる。


最後の「あっぱれ、男」は短編集を気持ちよく終わらせる話だった。


婚約者を愛してはいるがその口うるささに辟易している男は、臨時収入の500ポンドで当時最先端だった新車を買いドライブに出かける。車を止め山道をハイクして帰ってくると、車のポケットに高価そうに見えるダイヤモンドのネックレスが入っていたー。


よく物語には、偶然があり過ぎてはいけないという。話の展開に合わせた強引な巡り合わせには底の浅さを伺わせ、信ぴょう性を無くし、かつ不自然になるからと解釈している。ただ実生活をしててもハプニングや偶然はつきものであり、そのバランスは難しいところだ。


まあただ短編集はある意味、思い切った展開をして夢を見ることに対してより許容度が高く面白みの一つかと思う。

「あっぱれ、男」なんかはまあ偶然の要素が濃いが、うまく速く、いい締め方だったかなと。


私的には、ポワロもミス・マープルも登場しない、小話的なサスペンス短編に、アガサの茶目っ気を見た思いがした。


八木沢里志「続・森崎書店の日々」


困ったなあ、軽く泣きそう。


神田神保町の古書店を舞台にした「森崎書店の日々」の続刊である。男にフラれたことで落ち込んで会社を辞めた貴子は、叔父の森崎サトルが営んでいる森崎書店に住むことに。街や本に関わる人々と触れ合ううちに傷が癒えていくのだった。また音信不通だったサトルの妻・桃子が突然帰還、桃子が出ていったのには、深い理由があったのだった。


今刊では、和田という恋人を得た貴子は度々神保町に通う。いくつか迷いごとと向き合いつつ大過ない日々が続いていたある日、貴子は「話がある」というサトルと散歩に出掛ける。


毒はなく、ほのぼのとした話。しかし否応なく運命を突き付けられるサトルと貴子。貴子と関わる人々の物語を紡ぎつつ、前巻と同じく再生の物語となっている。


ところどころに頷ける文章がさりげなく混ざる。また近代文学の作品も、押し付けがましくない程度に紹介される。


貴子のモノローグの語り口がまっすぐで安心できていい味が出ている。また登場人物たちのキャラや台詞も気持ちよく、この街で過ごす時間を、読み手にもいとおしく思わせてくれる。我々本好きならばなおさらだ。


ストーリーは無理のない感じで突飛なことはまず一切ないが、再生の過程は思わず入り込んでしまうようないじらしさに溢れている。

実はこう持っていくのは相当なテクニックが必要なのかも知れない。


やべ、軽く泣きそうになってしまった。


作中紹介されてた内田百閒の「阿房列車」が読みたくなったな。


ポール・オースター「幽霊たち」


ふむふむ、興味深い小説。感覚と技巧。


1947年、探偵事務所に勤める青年ブルーは、ホワイトという依頼者から、ブラックという男を見張る仕事を受ける。ホワイトはブラックの部屋に面したアパートを手配した。仕事にかかったブルーだが、あまりに事態が動かないことに疑念を抱き行動に出るー。


登場人物には色の名前が多いが、物語の大半はブルーとブラックの関係性。依頼人のホワイトへ報告書を出しながらも、いわば孤独を極める存在となったブルーの心情の描写が深まっていく。そして謎を解明しようとする彼の行動がさらに謎を深め、さらには哲学的とも言える境地?に辿り着く。


解説にもあるが、色の名前をさまざま出しながらも、主要ドラマは闇の黒で展開のイメージはモノトーン。色彩が無い。120ページほどの作品ながら、心理描写、ちょっとしたサスペンス小説のような成り行きが面白く、じっくりと読むタイプの小説だった。


ネタははっきりと描くのがいいのかどうか考えさせる。そこも含めて小説ってものか。


設定には軽い面白さを感じるが、透明感のあるモノトーンを印象付ける黒さ、深さを生む感覚と技巧はとても興味深い。この作品を含む「ニューヨーク三部作」で1980年代末にポール・オースターは世界的な評価を得たとか。他も読んでみよう。


森見登美彦「恋文の技術」


書簡体小説。一部笑えた。森見の特質。


おおむねのあらすじは主な書き手、京都の大学院生守田一郎が能登研究所で半年の研究生活を送っている間に恋に迷った友人の小松崎、自分を苛める女王的先輩、大塚さん、かつて家庭教師をしていて、いまは小松崎が想いを寄せるマリが先生のまみや少年、作家の森見登美彦、女子高生の妹へ手紙を出しまくる、というもの。守田には伊吹さんというもとは同じ研究室の片想いの女性がいて彼女に恋文を書くという命題を持っている。


さて、「夜は短し歩けよ乙女」でも感じたが、森見は学生らしく理屈っぽい、阿呆な上から目線の文調が多い。今回もそれを踏襲していて、しかも書簡で書くと強調されていて、最初の方は正直やや辟易した。


たくさんの手紙を書き、錯綜させながらシチュエーションを説明していく展開。中盤からは少し面白くなってきて、伊吹さんへの失敗書簡の章はなんでやねん、と笑いツッコミながら楽しく読むことが出来た。


たしかに全体としては阿呆らしくて1人で踊っている感じでおもろかしくまとまってるかな。でもせっかく種を撒いたんだから最後刈り取って欲しかったし、「おっ」という文章も読みたかったな。