写真は土曜の昼食&おやつ、パンケーキ自宅栽培のバジルのせ、自宅栽培のミントのお茶。鼻に抜けるミントの香りが好きで何杯も飲んだ。
高田郁「あきない世傳 金と銀 五」
ダイナミックな変化が重なる巻。ちょっとほう、となった文章もあった。
店主が倒れた桔梗屋を平和裏に買い上げた五十鈴屋。幸は夫で店主の智蔵に江戸へ出店したい気持ちを伝える。資金を貯めるため、幸は商いの知恵を絞る。そんな中、故郷の津門(いまの兵庫県西宮市の地名)から母の急死の報がー。
商いの工夫、家族の変化、悲しみと、希望と悲哀が合い混じる流れ。どの出来事も小さくはなく、また商いの仕掛けも派手で、浮き沈みがずいぶんと詰め込まれている。
長いシリーズで、そのような書き方だからか、それでも冗長な気がするのはなぜだろう。
呉服屋の話なので、鶸茶(ひわちゃ)色、松葉色、銀鼠(ぎんねず)色、黄檗(おうばく)色など色に関する表現は多彩なのだが、今回は鴇(とき)色と、鳶色を調べてしまった。とび色の瞳に~♫はすぐ口ずさめるが、そういえば調べたことなかった。色彩はイマジネーションを刺激する手段である。今回は帯にこだわりがあり、ファッション性も高い話。
巻中、売りたい売りたい、ではなくて納得して買ってもらうほうが良い、的な言葉があり、ほうっとなった。日々売上げに関わるシビアな仕事をしている人が見たら甘いかも知れない。ただ、ようは自分の想いだけで商い、仕事を動かしてはならないということを感じて、そうだよなあ、となった。
前にも書いたかも知れないが、私は女性主人公の話は、どうもヒロイン像を多部未華子に投影してしまう。東野圭吾「白夜行」もそうだったな。角田光代「八日目の蝉」はドラマを先に見たから檀れいだったけど。
今回の幸も、多部未華子。女衆からその商才を伸ばして商家の主人の妻となり、さらに麗しく、自ら着物のモデルとして人前に出たりする。うーん、高田郁のヒット作「みおつくし料理帖」の主人公・澪は違ったんだけど、今回は華やかだし、多部未華子風味が強いかな。
巻末に「みおつくし料理帖」特別編の予告が。こりゃ楽しみだ!
川口和久「投球論」
図書館持ち帰りOKの時にチョイスした本。意外に面白かった。
川口は1980年に社会人のデュプロから広島カープに入団。晩年にはFAで巨人に移り、リリーフに転向して活躍した。あの頃を知るプロ野球ファンとしては、そこまで球速はなかったが、本格派というイメージだけあった。
読んでみると非常におおらかというか、フォアボールも出すがインコースのストレートを「本線」にビュンビュン投げて三振を取る、というのが信条だったという。
自分でもアメリカ車みたいにガソリンを無駄遣いしながらパワーで押す「無礼な」ピッチャーという言い方を繰り返ししている。しかし本を読み込んでいくと、プロで生きていくために繊細な部分も押さえている。それを読み解いていくのが面白い。
インコースのストレートで勝負するためにどういう投球の組み立てをするか。身に付けなければならなかった変化球は何か。自分はこんな投手なんだ、これでいいんだ、思っていた、という書き方のイメージとはうらはらに、アドバイスも聞くべきは聞き、目標を持って取り組んでいる。どうやってプロの投手になっていったかがよく分かる。だから巨人でリリーフに転向した時に、考え方を転換し、地道なトレーニングも積み重ねられたんだな、と思わせる。
一方で、酒を飲むのも豪快。ひと昔前の、マンガのような選手だな、と思う。
巨人に入った時感じた違和感、リードの違い、マスコミの取り上げ方、チームの派閥などの話も面白い。広島と好対照をなしている点も興味深い。
以前、渡辺俊介の本を読んだり、黒田博樹の「メジャーでは素直なまっすぐを投げたらひどく打たれてしまうから、自分はいつも動かしていた」という述懐を目にしたりすると、最近は小さく動く変化球が全盛の時代なのかな、と思ったこともある。しかし、例えば大谷翔平にしろ、最近よく観ている西武ライオンズの投手たちにしろ、空振り、見送りを取りに行っているな、と思うことが多い。時代は意外に早くひと巡りして来たのではないかと個人的に思っている。
川口は自分はストレートとカーブで勝負してきたピッチャーであることにささやかな誇りを持っているという。そして、それでもやはり、あくまで三振を狙うような投手が続々出現することを祈りたい、としている。この本は1999年に出版されている。
川口は今、大谷翔平を観て何を思っているだろうか。たしかに川口のように生き様は豪快ではないが、別の意味でチョー豪快なのは間違いない。
巨人の甲子園遠征の時の宿舎が、私の家の最寄駅のそばだった。駅の売店で、ジャージ姿の川口とすれ違ったことがある。
「あっ!川口だ!」のあと、
「・・細くて、シブいな」と思った。
ウィリアム・シェイクスピア
「リチャード三世」
リチャードがとにかく殺しまくる、初期の陰惨な作品。しかし収まりが良い気もした因果応報もの。
15世紀、ばら戦争渦中のイングランド。王エドワード四世の弟グロスター公リチャードは王の座を欲して兄のクラレンス公を手始めに、有力者や王の息子などを陰謀を用いて次々と亡き者にする。危険を感じた側近らは逃げ出し、挙兵するー。
最初の方、前提がつかめず読んでいてやや違和感を感じたが、これは「ヘンリー六世」の続きものだとのこと。解題を読んで得心した。
病死した王エドワード四世の妃エリザベス、エドワードの母、つまりリチャードの母、ヘンリー六世の未亡人などから激しい呪いの言葉が発せられ、効果を強めている。
リチャードの母、エリザベス、そしてクレランス公の遺児が三代で嘆き回る場面など舞台劇の特徴を踏まえた演出は上手いと感じた。またラスト近くのリチャードに殺された者たちの亡霊が入れ替わり立ち替わり現れ呪いの言葉を吐く畳み掛け方も面白い。
今回は道化らが軽くおちゃらけた台詞をのたまうような場面はないが、長い台詞が活き活きとしており、疾走感がある。小さな仕掛けも多く、呪いから因果応報の、晴れやかなエンドになっている。だから収まりがいい。
シェイクスピアの作品の中でも好んで演じられる人気作というのも分かる気がする。事前に読みかじった情報は陰惨、ドロドロしてる、という感じだったんで、特にワールドカップ日本戦の後に読むのは暗い気分が深まりそうで、やめにしようとか思ってたんだけど、当時。
日本もコロンビアに勝って、セネガルにも凄く面白い試合をやってくれたし、読んでみると意外に物語の流れがまずまずで、呪いの色から混乱、結末へという構成に意外な深さを覚えたりした。
シェイクスピアも数えて10冊を超えた。「アンソニーとクレオパトラ」とかそれこそ「ヘンリー六世」、「から騒ぎ」「じゃじゃ馬ならし」まだまだ読んでみたいな。
熊谷達也「まほろばの疾風」
好きな作家、好きな題材。楽しんで読めて満足。蝦夷の英雄・アテルイの物語。
武士の時代も好きではあるが、いまはより古代のほうに惹かれている。そこまで多くの書籍を読破したわけではないんだけれど、なんというか、見えないもの、ある意味黒く暗い躍動感に魅力を感じる。国内的にも国際的な動きも面白い。
奈良京都の朝廷に従わないものはすべて鬼であり蝦夷であった。関東でさえ坂東と呼ばれ未開のイメージを持たれていた。九州にはクマソがいたし、各地にも土蜘蛛と呼ばれ蝦夷がいた。そんな歴史の陰の部分にも大いに興味をそそられる。
大規模な反乱を起こした中ではやはり北の蝦夷が最も知られ、ヒーローであるアテルイ、朝廷軍の坂上田村麻呂はいくつもの作品で取り上げられている。舞台にもなっている。
8世紀末の陸奥国。巫女より生まれる前にアテルイという名を授けられた男子が誕生した。12歳の時、成人の儀式で単独の狩りに出たアテルイは鹿を追う山中で巫女モレと出逢うー。
アテルイには朝廷に帰服していたが後に蝦夷をまとめ大反乱を起こす呰麻呂という父が居た。父に取り立てられたアテルイはやがて蝦夷連合のリーダーとなり朝廷軍に強力に対抗するが、坂上田村麻呂が指揮をとるようになるとその知略の前に押されるようになる。
蝦夷の反乱を取り上げた作品では、高橋克彦の「火怨」がある。アテルイら蝦夷連合の戦い、計略をつぶさに描き出していて、大変面白かった。こちらの方では、モレは男性でアテルイの盟友となっている。
また、熊谷達也は呰麻呂を主人公とした「荒蝦夷」という作品もこの後に著している。呰麻呂はまさに権謀術策にすぐれ、女を政治的な道具に使い、残虐な手段も躊躇なく行う。生々しく残酷さもあったが、私はこの作品に読み終わるのが惜しいと思うくらい魅力を感じてしまった。
熊谷達也は東北出身で、初期の作品から拘りと、誇りを持って描いている。男臭く、女性の描き方や性的な描写はおっさんっぽい。(笑)直木賞を受賞した「邂逅の森」で好きになり、いまも折に触れ読んでいる。
今回のアテルイは若者らしい苦悩を抱え悩み続ける。そのあまりのピュアさはちょっと甘いなと思う。モレを女性にしてロマンス風味も漂う。「荒蝦夷」と好対照であるが、呰麻呂を現実的なリーダー、アテルイは明るく正しい英雄との書き分けは鮮やかとも言える。
熊谷達也も、古代も、さらには蝦夷と呼ばれた人々を題材にした作品も、もっと読んでいきたい。
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