写真は年越しの瞬間のUSJの花火。いつもは港に停泊している船が一斉に汽笛を鳴らすのだが、今年は強風で聴こえなかった。
小川洋子「アンジェリーナ」
クレイジー・プリティ・フラミンゴでしたねー。
小川洋子がファンだという佐野元春の曲にインスパイアされた短編たち。10曲のタイトルがそのまま使われ綴られている。小説化、というのは楽しみがかなり広がる。
佐野元春は世代的に私も大学の頃たくさん聴いた。「アンジェリーナ」はいまでもカラオケで歌う。それにしても不思議な歌詞。トランジスタラジオでブガルーでアンジェリーナはバレリーナで・・。姉が機嫌のいい時よく口ずさんでいた「オーアンジェリーナ、君はバレリーナ・・」。
「ガラスのジェネレーション」も、好きだったが、クレイジー・プリティ・フラミンゴとかミッドナイト・カンガルーがドアをノックするとか改めて見るといやー面白い発想の歌詞だこと。
佐野元春は、このような突飛な言葉を駆使しつつ、切なげで、釈然としなくて、エネルギーが余っている感情を飛ばし気味に表現し、それでいて、我々の想像力を小粋にかきたてる不思議な世界を現出していると思う。
それを小説化するというのは、一種ファンタジーな空間を現実化する意味合いもあり(実際はかなり空想的な話も多いのだが)なかなかワクワクする。
小説を読んだ印象は「喪失」がモチーフ、また「回想」が多いな、ということだった。印象に残ったのはやはりバレリーナの「アンジェリーナ」そして「クレイジー・プリティ・フラミンゴ」の「ガラスのジェネレーション」だったかな。フラミンゴの話は、余韻と読み手の興味を刺激し、コミカルで、上手い、と思った。も少し長くてもいいな、と思ったものもあったが・・。ラストの「情けない週末」だけは異質で、文芸的だ。
実を言うと、私は「アンジェリーナ」以降比較的新しめの曲をよく聴いていて、曲が思い出せないものもあったか、これを機会に聴き直すのもいいかなと、知ってるのと知らないのとでは思い入れも味わいも違いすぎたからね。
宮下奈都がブルーハーツをバックグラウンドに描いた連作短編があったが、やはり音楽はいい。今回は、遠く幻想的なものだった佐野元春の歌詞を小説として目にしたことは新鮮で、嬉しかった。
もっとやって欲しい。忘年会カラオケは「ガラスのジェネレーション」かな(笑)。
あさのあつこ「木練柿(こねりがき)」
皮肉屋で性格の悪い天才探偵、北定町廻り同心・木暮信次郎と元武士の小間物問屋・遠野屋清之介、彼らの父親世代の岡っ引きでいさめ役の伊佐治シリーズ第3弾。今回は短編集。
男が匕首で刺し殺された。その袖から「おみつ」という名前入りの手紙が見つかる。ありふれた名前ではあるが、木暮と伊佐治はその名前の女中頭がいる遠野屋を訪れる。おみつに詮議すると、意外なことに男のことを知っている、とハッキリ答えたー。(楓葉の客)
今回は短編集。主にシリーズに登場するバイプレイヤーたち、遠野屋の女中頭おみつ、遠野屋らとともに新しい試みを始めた帯屋の吉治、一膳飯屋である伊佐治の家に嫁いできたおけい、清之介の義母おしのらが重要な役どころをそれぞれ演じている。
目先の変わる企画であるし、今後も登場するであろうキャラクターの背景に対する理解が深まるイコール読者の親和性がさらに増す。また物語を進めることもできる。今回はシリーズ前巻「夜叉桜」で遠野屋が引き取った赤子のおこまの存在感が大きい。
まあ短編はどうしても話がちょっと派手めになる。ああこういう事が起きるな、と読めたりもする。まあ楽しめたが、どっちかってえと、長編の、闇が深まる感じが好きだな。
ディーノ・ブッツァーティ
「タタール人の砂漠」
んーいや、堪えたな・・。読了後ダメージでかい。。まさに人生がテーマだ。
ジョヴァンニ・ドローゴは士官学校を卒業後故郷を離れ、北の王国との国境を守るバスティアーノ砦に向け出発する。そこはかつてタタール人が攻めてきたという砂漠に面した、何もない山中の大きな要塞だった。ドローゴはすぐに転任したく申し出るが、健康上の理由にするため四カ月後の健康診断まで待つように諭されるー。
砦は多くの人数と経費をかけて、厳格な規律のもと運営されるものだった。この作品は少し前から気に掛かっていたから、いつか新鮮な気分で読むために、逆にあまり予備知識を入れないようにしていた。実際は、辺境は合ってたが、実はもっと小さな砦の話で少人数での、ややエキゾチックな話かと思っていたら、ちょっと意表をつかれた。
解説によれば、イタリア人作家ブッツァーティが愛した故郷ブッルーノの急峻なオーストリア国境の山々、それと特派員として近東各地を訪れた時に強い印象を持ったという砂漠のイメージを組み合わせているとのこと。
砦からは転任もできる。しかし自ら長い間留まるものも多い。その理由は・・。それこそが作品の中心の一部だろう。皆何もない日常であっという間に過ぎ去っていく時を過ごし、そして自分たちが砦にいる意味を証明するため、いつかあるはずの、敵の来襲を期待して待っている。そして何十年もの後、ついに敵が攻めてくる。しかしその時ドローゴは・・。
幻想的でもあり、もうひとつ西ヨーロッパのイメージにないような山岳描写、数少ないが鮮烈な物語の起伏には惹かれるものがある。砦を人生の器、環境にたとえているところ、来襲するはずの敵も大いなる暗喩であろう。長い年月と避けられぬ老い、人生に対するスタンスとその結果がもたらすもの。メッセージは明確で、心にこたえる。読んでて重い。
まぎれもなく名作だと思う。この作品はまた、1940年の、第二次世界大戦にイタリアが参戦する前日に出版されたが、時代状況のもあり、一部で認められこそすれ、1950年代末から60年代にヨーロッパ各地で称賛されるまで長年その価値を正当に評価されて来なかったという。ストーリーの内容にも通じる流れ。これもまた面白い現実だ。
井口俊英「告白」
大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件の直接の担当者として、アメリカ当局に実刑判決を受け収監された著者の、つぶさな告白。
アメリカ国債取引でのマイナスを取り戻そうとしてさらに失敗し、約1000億円の損失を銀行に与えてしまった著者は、1995年、12年間守ってきた秘密を告白状にしたため、頭取宛てに送ったー。
逮捕されたトレーダー、井口氏が損失発生から隠匿し続けた日々、発覚前後の一連の経緯と舞台裏、拘置所に入ってからの日々、裁判と収監等々を綴った一冊。当時の海外支店の状況や、度重なる監査・検査で発覚しなかったこと、発覚後の大和銀行の対応のまずさなどを心情とともに書いている。
もはやかなり前の事ではあるが、新聞で読んだだけではおよそ分かり得ないことか多い。アメリカ司法制度のことも詳細で、興味深い。当時は国内外で巨額損失事案が多くあり、その概要なども記されている。
うーん、ザル。これが率直な感想だ。特に監査体系を日本も参考にしたアメリカの監査、検査のいい加減さ、銀行サイドの観光旅行のような監査には恐れ入ったという感じだ。
この事件はさまざまな影響を企業のあり方に、いまだに与えている。また、人の心情のリアルな動き方、企業人とは、また父親とは、なんかも想起されて暗い気分にもなってしまう。
時代を感じたな。。文芸としてみれば、大変面白かった。
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