9月は、16作品16冊と、休みがあったせいか多かった。シェイクスピアと太宰はすっかり月1ペース。懸賞に当たってしまって、感想を書くのと引き換えに貰う、という経験も初めてした。カタくなっていかんなあ。ああいうのは。
写真は健康診断終わりで行ったとんこつ醤油ラーメン。解放感にあふれ、美味かった。もう10月か〜。
吉村昭「戦艦武蔵」
吉村昭は、装飾や感情なく淡々と綴る筆致が特徴だ。だからこそ浮かび上がるものがある。
昭和12年、三菱重工に超巨大戦艦建造の密命が下る。前年日本はロンドン軍縮会議を脱退していた。軍の最高機密のため情報管理は厳格を極めた。長崎造船所では港の高台から艦の建造工事が丸見えで、対岸にはイギリスの領事館もあった。造船所の面々は作業場の拡張とともに、周囲からの遮蔽に取り組んだ。
大和と同時期に建造され、世界一のスケールを持った不沈艦。黒鉄の城。
昭和41年、1966年に書かれた作品である。武蔵を建造する側の苦難や、今の時代の価値観でいえば呆れるくらいにものすごいエネルギーをかけた情報隠匿が描かれている。
世界一の軍艦製造の高揚感、乗員の、信仰にも似た不沈艦への信頼感などもほのかに描写されている。
完成した折、戦局は日本に不利に傾き、また海軍内部でも大鑑巨砲主義を押し退けて航空戦、空母主義が台頭していた。武蔵は「御殿」と呼ばれるくらい活躍の場を与えられずに過ごす。最後は集中的に狙われ、壮絶だ。
製造過程の情報管理から、最後に生き残った者への扱いまで、武蔵に関わる人員が非常に厳しい立場に置かれ、悲惨な扱われ方をしていた状況も強く印象に残る。
もうひとつ、吉村昭は事実もしくはそのようなものを淡々と綴るスタイルで、そこには過度に思想的な意図がないように見える。
これまで「羆嵐」「破獄」「海馬」「プリズンの満月」「アメリカ彦蔵」変わったところでは「少女架刑」などを読んだが、取材による事実を積み重ね、直接的ではなく、大きな何かを印象付ける独自の描き方は変わらない。今回も、昭和41年、まだ関係者が生きている頃に取材していてリアルだ。
吉村昭はこの作品がベストセラーとなり、記録文学というジャンルを打ち立てたという。確かに、時代の転換点での、喜劇的とも言えるような、武蔵とその関係者の悲哀がよく表されている。腹に響く作品だった。
久野康彦編・訳
「ホームズ、ロシアを駆ける」
本を読むときは、先入観を排するために、事前に詳しい情報を頭に入れないようにしている。今回も正直、ロシアが舞台のシャーロック・ホームズ・パロディ、という認識だった。
読み始めて1話め「恐るべき絞殺者」で、おお、これはポーと聖典を同時に踏まえた暗合か、とちょっと驚き。
しかしどこかに違和感が。ホームズたちがロシアにいる説明がない。ホームズとワトスンの会話もハイテンション。通常は丁寧に理由が設定してあるはず。ハイテンションなのはこれまでのパロディでもなかったわけではないが・・。
どうもアンバランスさがあり、先に解説を読むと、1900年代初頭の、ロシアの作家による大衆的な読み物パロディ、とのこと。
私が読んで来たシャーロック・ホームズのパロディ・パスティーシュは、大半が今世紀後半から近年に書かれたもので、1番古いのはディクスン・カーとアドリアン・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの功績」だろうか。特に近年のパロディは、読者に分からないところがないように、丁寧に設定を説明してあるものだ。
ホームズ・シリーズが熱狂的な評判を呼んだころ、贋作も雨後のタケノコのように生まれたという。ロシアでは、ピンカートン、ニック・カーター、そしてシャーロック・ホームズらを主人公にした大衆的な本が人気を博したらしい。その中でP・ニキーチンとP・オルロヴェツという作家の作品を取り挙げ訳出してある。あまり名のある作家ではないらしい。
現代の目線が入っていない、珍しい年代の、しかもロシアもの。これはなかなか貴重だな、と読み進めた。
ニキーチンは、第1話の悪役がシリーズ通しての首魁となる。もちろん聖典のモリアーティ教授を思わせる。モスクワ近郊、黒海沿岸の町、ヴォルガ川などが舞台で、追跡、撃ち合い、爆弾などアクション色の強いものにななっている。
一方オルロヴェツのほうは、実在したピンカートン探偵社をモデルにして創作された人気の探偵、ナット・ピンカートンとホームズが競う形のイルクーツク、サンテト・ペテルブルク、カフカス地方での3つのお話。真ん中の「フォンタンカ運河の秘密」は設定がホームズ物のある物語を彷彿とさせるような感じである。ちなみに聖典「赤い輪」にもピンカートン社の探偵は登場する。
解説にもあるように、この類のパロディは、原作を尊重するというよりは、同時代同ジャンルの探偵小説を意識しているきらいはあると思う。「軽い」感じも否めない。
しかし、今回は部分的に聖典のセンスを組んでいるフシも見られるな、と思ったり、なにより、活劇的とはいえ読み手を楽しませようとして、トリックもアクションも力が入っているのがよく分かる。
西から東まで、ロシア全土をステージに走り回るホームズとワトスン。しかも19世紀初頭、ロシアの大衆へ向けられた貴重な作品たち。興味深く、面白かった。
蓮池薫「拉致と決断」
拉致されてから帰国まで24年。心情の部分は、表現し難い心持ちにさせられる。
1978年に新潟県柏崎市で拉致され、2002年まで北朝鮮で暮らした蓮池さんが、拉致された時のこと、「招待所」での生活、北朝鮮の国内情勢などを振り返っている。帰国から10年後の著書だ。
「招待所」の暮らしぶりは詳細で、また民衆に一般的な思想的なものが伺える。蓮池さんは翻訳などの仕事に従事していたため国内外のニュースは把握していたらしく、大きな出来事に対する民衆の反応などを生活者としての視点と持ち合わせた知性で、冷静に分析している。
特にこの間、アメリカとの緊張関係の高まり、金日成の突然の死去、超強硬派金正日の権力把握と死去など国際的にも大きなニュースになった出来事があり興味深い。また国内の移り変わりの微妙さ加減も伝えられている。
解説でも触れてあり、本編でも読み取れるが、おそらく著者は、残された拉致被害者のことを考え、筆を抑えていると思う。それでも十分に詳細だ。拉致被害者としての気持ち、たまに抑えきれず表出する感情などは重々しい響きがある。
伊坂幸太郎
「アイネクライネナハトムジーク」
伊坂はエンターテイナー。非常に「らしい」短編集。でもバイオリズムが悪かった?
美容師の美奈子は、お客さんでプライベートでも仲の良い板橋香澄に、弟と電話で話してみないかと言われる。断った美奈子だったが、その夜、香澄の弟から電話があり、話してる時にゴキブリが出現、美奈子はパニック日曜日は陥る。(「ライトヘビー」)
出会いをテーマとした小説集で、各作品の登場人物がつながっている。偶然も多く、エピソードや危機を乗り切る方法、伏線の回収など実に「らしい」し、さわやかに終わるから読後感がいい。読みやすくてあっという間に読了した。
さて、たまに読みたくなる伊坂幸太郎。独特の手法と風味を持っている。私はそんなに多く読んでるわけではない、が、今回登場人物の性格といい、作りといい、めっちゃ正直に言って、2日続けて同じおかずを食べたみたいだった。
作家によりそこは違って、例えば北村薫や村上春樹だったら同じ筆致でもそれなりに楽しく読めるだろう。しかしおそらく同じ画法のものをいくつか読んだせいで、やや食傷気味になっている自分に気付いた。難しいもんですな。
それぞれの作品自体は、とても楽しかった、よ。
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