写真は、友人がロンドンに行くというので、お金は出すから、パイプかディアストーカー買ってきてくれ、と言ったら、なぜか送られてきたマグカップ。もちろんめっちゃお気に入りで、今も毎日使ってます。各冒険譚のイラストが入ってて、なかなかレアかと思う。
エドワード・B・ハナ
「ホワイトチャペルの恐怖」(2)
ホームズ対切り裂きジャックの物語。上下巻であり、かなり詳細に事件とその関係者、当時の状況、世相を描いているので、本格派のパロディと言えるだろう。1992年の作品で日本で翻訳出版されたのは1996年である。
この小説はワトスンの語りではなく、三人称で書かれている。訳者が、作家本人に訊いたところ、ドイルのコピーにすると、単なるパロディという印象を持たれてしまう、かつまたホームズが何を考えているかを描くことが出来るから、というものだった。
これはシャーロッキン的な慣れの問題かも知れないが、三人称にはそれなりの面白さと客観性が確かにあるものの、特にこの作品の場合、誰が主語なのかたまに分からなくなる感覚があった。特にホームズとワトスンが一緒に居る時は、ワトソンの語りと混同してしまいがちで、主語を探すことに煩わしさを感じた。
内容は、本格派らしく、また出版当時絶賛されたらしく、確かに面白いのだが、特に王室の下りは、冗長で、しばらく事件の新展開がない部分もあり、少し退屈感もあったかな。シャーロッキンならぬ、ジャック研究家のことはリッパロロジストと言うらしい。
切り裂きジャック、ジャック・ザ・リッパーの事件は、1888年8月31日から、11月9日の間に5人の売春婦が残酷に切り刻まれて殺された、恐怖の連続殺人事件である。臓器を切り取ったりしているので、医師の犯行かとも言われたが、ついに犯人は逮捕されなかった。
エラリー・クイーン著「恐怖の研究」のレビューでも述べたが、1888年というのは、ホームズの最盛期であるにも拘らず、なぜ切り裂きジャック事件の捜査記録が無いのか、というのは、シャーロッキンたちの重要な研究テーマである。無茶言うな、というとこなのだが(笑)、それもまた熱くなれるお遊びかと思われる。なので、後年のパロディも数多く、私は少なくとも4つの作品を読んだ。
これには、捜査はして犯人も突き止めたが、何らかの事情で発表出来なかった説と、ちょうど「バスカヴィル家の犬」事件に取り掛かっていて、ロンドンに居なかったとする説がある。この作品中には実際に、事件解決のためにホームズとワトスンはサリー州にあるバスカヴィル屋敷に行って、帰ってくる描写がある。
さて今回は当時の王室の話が色濃く出て来る。ホームズ物語は、短編の第一弾である「ボヘミアの醜聞」で人気が爆発した。ボヘミア王がオペラ歌手と火遊びをし、一緒に写った写真を握られている、というストーリーなのだが、多くの研究家は、ボヘミア王ということになっているが、明らかに女癖の悪かった「プリンス・オブ・ウェールズ」つまり当時のイギリス皇太子ではないかと言っているし、読者も彼になぞらえて読んだはずである。
ホームズは当事者だったアイリーン・アドラーをその後も「あのひと」と読んでいたことから、女嫌いのホームズが唯一認めた、もしくは恋慕の情を抱いた女性とされている。今回の作品には、だからホームズとプリンス・オブ・ウェールズは面識があり、折り合いが悪いという描写がある。説明が長かったが、これもまたシャーロッキン的な楽しみだ。
冗長だったし、なぜそれに気づかない?という部分があったし、やはり原典のような思慮深さは出せないが、切り裂きジャックの研究としては面白かった。
キース・オートリー
「ホームズ対フロイト」
異色の作品。作者は第一線の心理学者であるらしい。ホームズとフロイトの邂逅は、ニコラス・メイヤーという人の「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」で果たされているが、こちらは冒険活劇的要素が強い。
それに比べてこの作品は、フロイトの心理分析とそのケースを物語風にじっくりと取り上げ、否定的な意味で無く専門的に批評するといった内容が主のフィクションであり、さらに時代的、人種的、女性的な意味合いも込められたフィクションである。ホームズは副次的な扱い、と言っても差し支えないほどだ。
ある女性教師が講演をすっぽかして学校を解雇されるが、原因となった体調不良には思春期に受けた性的虐待が影を落としていた。そして虐待を行ったイギリスの外交官が遺体で見つかり、ホームズが調査に乗り出す。
2006年に発行された作品だが、おそらく私は読了していない。なにせ、最初から170ページくらいまでホームズは登場しない。ずっと、フロイトの診察も含む女性教師の独白がずっと続き、正直退屈だったし、比較的最近のパロディであるにも拘らずストーリーにも覚えが無かったからだ。途中で投げ出したのではなかっただろうか。
キース・オードリーの性別は特に記載がないようなのでおそらく男性かと思えるが、女性目線のホームズものと言える。確かに様々な意味合いを含み、ある意味書き尽くされたホームズ・パロディの中では異彩を放ってはいる。興味深くはあるが、あまり面白くはなかった。最近はこのような作品が多過ぎる。ホームズの面白さとは、ということを活かした作品が、やはり望ましい。
デッド・リカーディ
「シャーロック・ホームズ 東洋の冒険」
シャーロック・ホームズは、1891年、宿敵モリアーティ教授との格闘の末、スイスはライヘンバッハの滝壺へ落ち、帰らぬ人となった。はずだったが、実は生き延び、以後3年間、ロンドンを留守にし、世間には死んだと思われていた。
ホームズが物語中で死んだ際、ロンドンでは喪章を着けて歩く人も居たという。ロンドンに居なかった3年の間、ホームズはシーゲルソンと名前を変え、2年間チベットを旅し、その後ペルシャからメッカに渡り、カーツームを経て、南フランスに滞在した後、「空き家の冒険」でベイカー街へ帰還を果たすのである。
この本は、シャーロッキンの間で「大空白時代」と呼ばれるこの期間のことを、中東・アジアの言語および文化の専門家であるコロンビア大学名誉教授の著者が綴ったパスティーシュだ。インド、ネパール、チベットを舞台に、ホームズの活躍が生き生きと描かれている。「語られざる事件」や、モラン大佐の登場など、様々なシャーロッキン的な要素を盛り込んでいる。
感想としては、ちょっと舞台装置、物語の成り行きが、劇的な演出と東洋の神秘的色合いを過剰に意識していて少々鼻白んだのは否めないが、それでも、本格的な大空白時代冒険譚として楽しんで読めた。大英帝国が植民地の経営に腐心しているさまも興味を引く。
他にも大空白時代ものはいくつかあるので、また機会があれば読んでみたい。
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