左手の親指を痛めていた。うまく動かず、負荷をかけると痛い。その前には、左の掌から肘の間の、筋肉が痛かった。ひょっとして、と思って、息子と毎日していた指相撲をやめたらそれほど痛くなくなった。息子は左利き。力も強くなった。これが右だったら痛くならなかったと信じたいがまあそんなことはないだろう。
また、どこか違えたか、数日前から腰がピキピキでギックリ腰一歩手前状態。サロンパス買ってベタベタ。あちこち痛くて、トシだなあ。
金曜日は牛タンの店とアイリッシュバーをはしごして、翌日は午前から髪切って、さっさと帰って読書。上中下巻の大作を読んでるが、序盤暗くて気が滅入る。日曜は息子に勉強教えて、腰が痛いというのにキャッチボールとサッカー。すでにして右肩痛し。明日が心配だ。
前週半ば心配された雪は降らず、寒かったが、今週は暖かくなるとか。
ぼちぼち1年で一番好きな、梅の季節の到来か。もともと寒くても咲く花だけに、気温が上がれば一気に開花するだろう。もともと福岡・太宰府天満宮で観梅に梅が枝餅が普通だった身。この季節にはなにかしら心騒ぐものがある。
梅を観に行って、あったかいお餅に甘酒でも呑みたいな。
2014年2月23日日曜日
2014年2月16日日曜日
雪の降る町を
金曜日また雪が降った。体感的には、雪の量は先週より多いが気温は高め。
今回前日新梅田シティの夜景が見えるバーで飲んで、いい具合に酔っ払って、アルコール入ってポカポカしていたせいか、予報はあるけどこんな暖かくてホンマに降るか?と思いながら帰って来て、寝坊して朝起きたら真っ白。しかも牡丹雪がざんざん降っている。
さっさと用意して、もう行くしかないかと覚悟を決めて傘を差さずに家を出て、下りの坂道足元に気をつけながら小股で急ぎ歩く。バス停までに身体かばん真っ白。ラッキーなことにバスは運休してなくて、30分遅れの便がちょうど来た。電車も遅れてはいるが動いていて、混んでない。会社で人心地。駅から会社まででだけでダウンぐしょ濡れであった。帰ってみると玄関下にかわいい雪だるまが出来ていた。妻子が遊んだらしい。
福岡しかり、阪神間しかり、めったに積もらない土地柄に長く住んでいると、雪の積もる日はイベントみたいなものだ。東京と違って、通勤に深刻な影響はまず与えないし。
リアルタイムでは見なかったが、羽生結弦は素晴らしい。史上初の金メダル、おめでとう。ミスもあったし、棄権した有力選手もいて、前回に比べると、コンペティションという意味では低調だったようにも思えるが、それでも、勝ちにくい、難しい、オリンピックで金メダル、というのはやはり特別だ。ぜひ連覇を目指して欲しい。
読書編、私が即買いしているシリーズは、
ビブリア古書堂の事件手帖
みおつくし料理帖
神様のカルテ
さよならドビュッシーシリーズ
サクリファイスシリーズ
綾辻行人なんでも
てなもんなのだが、そのうち3つが最近出て、ちょっとほくほく。ただ、終焉に向かっているものも多い。まあこうやって移り変わって行くのだろう。いまは、「神様のカルテ3」。
3月には「2」の映画が公開される。読み直して、観に行きたいな。
さて、息子が9才のお誕生日。ケーキとお寿司でお祝い。嬉しそうにDSのパズドラZをやっていた。もう9才、まだ9才。小さい頃は、東京で身動き取れず、しんど〜、と思うこともあったが、あっという間に過ぎ去るもの。例えば次の5年が経ったら、もう14才。過ぎたら戻せない。いま頑張っとこう。
今回前日新梅田シティの夜景が見えるバーで飲んで、いい具合に酔っ払って、アルコール入ってポカポカしていたせいか、予報はあるけどこんな暖かくてホンマに降るか?と思いながら帰って来て、寝坊して朝起きたら真っ白。しかも牡丹雪がざんざん降っている。
さっさと用意して、もう行くしかないかと覚悟を決めて傘を差さずに家を出て、下りの坂道足元に気をつけながら小股で急ぎ歩く。バス停までに身体かばん真っ白。ラッキーなことにバスは運休してなくて、30分遅れの便がちょうど来た。電車も遅れてはいるが動いていて、混んでない。会社で人心地。駅から会社まででだけでダウンぐしょ濡れであった。帰ってみると玄関下にかわいい雪だるまが出来ていた。妻子が遊んだらしい。
福岡しかり、阪神間しかり、めったに積もらない土地柄に長く住んでいると、雪の積もる日はイベントみたいなものだ。東京と違って、通勤に深刻な影響はまず与えないし。
リアルタイムでは見なかったが、羽生結弦は素晴らしい。史上初の金メダル、おめでとう。ミスもあったし、棄権した有力選手もいて、前回に比べると、コンペティションという意味では低調だったようにも思えるが、それでも、勝ちにくい、難しい、オリンピックで金メダル、というのはやはり特別だ。ぜひ連覇を目指して欲しい。
読書編、私が即買いしているシリーズは、
ビブリア古書堂の事件手帖
みおつくし料理帖
神様のカルテ
さよならドビュッシーシリーズ
サクリファイスシリーズ
綾辻行人なんでも
てなもんなのだが、そのうち3つが最近出て、ちょっとほくほく。ただ、終焉に向かっているものも多い。まあこうやって移り変わって行くのだろう。いまは、「神様のカルテ3」。
3月には「2」の映画が公開される。読み直して、観に行きたいな。
さて、息子が9才のお誕生日。ケーキとお寿司でお祝い。嬉しそうにDSのパズドラZをやっていた。もう9才、まだ9才。小さい頃は、東京で身動き取れず、しんど〜、と思うこともあったが、あっという間に過ぎ去るもの。例えば次の5年が経ったら、もう14才。過ぎたら戻せない。いま頑張っとこう。
2014年2月11日火曜日
ちょい張り切り
きょうもお留守番。ランチ、インスタントラーメンもあったけど、パスタにしよう、とちょっとだけ張り切った。
パスタ大盛り茹でて、ブラックペッパーをからめる。レトルトのカルボナーラ2つ使う。ツナを盛って、サラミ千切って、スタミナスペシャル出来上がり。大きなおにぎり様にしてある冷凍ごはんも解凍して味付け海苔で食べたからおなかいっぱい。
料理の基本からしたら合ってるかどうか分からないけど、単身赴任時代にもこんなんよくやってたな〜と思い出しながら食べていた。
いつもはドンとソファに座ってるのだが、ワンはしばらくほったらかしなのでウロウロ。カルボナーラが甘めなので苦いエスプレッソ飲んで人心地。
息子から電話かかってくる。
「DS買っていい?」
きょうは、ママと、もうすぐの誕生日プレゼントを買いに行っているのだ。あまりゲームを推奨しないママも、迷っているのだろう。
「いいよー。パパがいいって言ってるって言っといて!」
巷で大人気の、「妖怪ウォッチ」のソフトは入荷待ちだそうだ。
午後はワンをまた身体に乗せて落ちつかせ、ソチオリンピックのカーリングを観ていた。前夜はスピードスケート男子500m観てて眠い。日本女子は韓国に負けてしまった。オリンピックの時だけカーリングのルールを思い出す。(笑)なかなか興味深い。
息子嬉しそうに帰って来た。入荷待ちのソフトが早めに来ればいいんだけど。
外は、寒い。なんかやたらと寒く感じる。ゆっくり風呂に入って、きょうは女子ジャンプは2時半からかー。さすがに無理だなあー・・。寝よ。
パスタ大盛り茹でて、ブラックペッパーをからめる。レトルトのカルボナーラ2つ使う。ツナを盛って、サラミ千切って、スタミナスペシャル出来上がり。大きなおにぎり様にしてある冷凍ごはんも解凍して味付け海苔で食べたからおなかいっぱい。
料理の基本からしたら合ってるかどうか分からないけど、単身赴任時代にもこんなんよくやってたな〜と思い出しながら食べていた。
いつもはドンとソファに座ってるのだが、ワンはしばらくほったらかしなのでウロウロ。カルボナーラが甘めなので苦いエスプレッソ飲んで人心地。
息子から電話かかってくる。
「DS買っていい?」
きょうは、ママと、もうすぐの誕生日プレゼントを買いに行っているのだ。あまりゲームを推奨しないママも、迷っているのだろう。
「いいよー。パパがいいって言ってるって言っといて!」
巷で大人気の、「妖怪ウォッチ」のソフトは入荷待ちだそうだ。
午後はワンをまた身体に乗せて落ちつかせ、ソチオリンピックのカーリングを観ていた。前夜はスピードスケート男子500m観てて眠い。日本女子は韓国に負けてしまった。オリンピックの時だけカーリングのルールを思い出す。(笑)なかなか興味深い。
息子嬉しそうに帰って来た。入荷待ちのソフトが早めに来ればいいんだけど。
外は、寒い。なんかやたらと寒く感じる。ゆっくり風呂に入って、きょうは女子ジャンプは2時半からかー。さすがに無理だなあー・・。寝よ。
2014年2月9日日曜日
桃太郎外伝
金曜ははよ帰らな山に雪が降る、と急いで帰宅。予報通り、9時ごろ雪が降り始め、あっという間に雪景色。翌土曜日、妻子は塾で寒い中出かけて行った。私は留守番。
ソファ毛布温かいカフェオレ、膝にはレオン、お腹にはクッキーが爆睡、ソチオリンピックの開会式を見ていた。
聖火ランナーにシャラポワが登場、最後はストラヴィンスキー「火の鳥」で盛り上がる中、点火された火が聖火台へ駆け登って行った。夏季冬季の違いはあれ、東京オリンピックの開会式は、どんな演出になるんだろうな。
昼はスノボ競技観戦。あんなに広いスロープなのか、あんなに高いジャンプ台なんだ、あんなに遠く高く跳ぶー!?、へ〜、ほ〜と素直に感心した。深夜はフィギュア団体の真央ちゃんのショートプログラム観て、寝る。
それにしても、このオリンピック限りで、真央ちゃんの戦う姿がもう観れなくなるとは、まだ信じられない。国民に愛された女子アスリート。我が国に、ゴルフの宮里藍とフィギュアの浅田真央を嫌いな人はそんなに居ないと思う。
女子フィギュア界にとっては村主章枝、恩田美栄、荒川静香、中野友加里、太田由希奈、安藤美姫、そして、鈴木明子、浅田真央と続いた黄金の時代が、遂に終わりを告げるようにも思える。男子には羽生結弦がいる。女子にもニューヒロイン登場が期待される。
日曜日は、午前に下り、ブックオフと本屋2軒回ってきた。
浅田次郎「鉄道員」
藤田宜永「愛の領分」
奥田英朗「空中ブランコ」
のいずれも直木賞作品と
ロバート・A・ハインライン
「夏への扉」
という、名作と言われるSFを買って来た。西宮北口アクタのジュンク堂はなかなかいい、というのも発見。
しかし帰ろうと思ったら当てにしていたバスが道路凍結のため運休、というのが発覚。オーマイガッでさらに1時間つぶして別の会社のバスで帰った。日曜日の昼は本数が少ないから、なかなかショックだった。
さて、以前も書いたが、私は息子を寝かしつける時、思いつきで桃太郎のその後の物語を作り続けてもう数年、いまSEASON5に入っている。
ざっと書くと、桃太郎は20歳で再び鬼退治に加わり、40歳で大きな梨、大きな栗、さらに45歳で大きな柿を拾い後継者を得る。鬼も変わってきて、大陸から次々と伝説もしくは物語上の怪物が日本を襲う。
さらに桃太郎家は大きな枇杷と蜜柑を拾い、遂に3世代となる。果ては孫悟空まで登場して、戦いのスケールは増していくのであった。
SEASON5の敵は西洋の悪魔たちである。
それぞれ知識が定かでないので、webで調べながらの創作。寝かし付けも、楽じゃない。楽しいけどさ。(笑)
最近もったいないな、と思い、概要だけ書き出しているが、いつかちゃんとした物語にしてみようかな、どうしようかな。タイトルの意味は、それだけでしたっ。終
ソファ毛布温かいカフェオレ、膝にはレオン、お腹にはクッキーが爆睡、ソチオリンピックの開会式を見ていた。
聖火ランナーにシャラポワが登場、最後はストラヴィンスキー「火の鳥」で盛り上がる中、点火された火が聖火台へ駆け登って行った。夏季冬季の違いはあれ、東京オリンピックの開会式は、どんな演出になるんだろうな。
昼はスノボ競技観戦。あんなに広いスロープなのか、あんなに高いジャンプ台なんだ、あんなに遠く高く跳ぶー!?、へ〜、ほ〜と素直に感心した。深夜はフィギュア団体の真央ちゃんのショートプログラム観て、寝る。
それにしても、このオリンピック限りで、真央ちゃんの戦う姿がもう観れなくなるとは、まだ信じられない。国民に愛された女子アスリート。我が国に、ゴルフの宮里藍とフィギュアの浅田真央を嫌いな人はそんなに居ないと思う。
女子フィギュア界にとっては村主章枝、恩田美栄、荒川静香、中野友加里、太田由希奈、安藤美姫、そして、鈴木明子、浅田真央と続いた黄金の時代が、遂に終わりを告げるようにも思える。男子には羽生結弦がいる。女子にもニューヒロイン登場が期待される。
日曜日は、午前に下り、ブックオフと本屋2軒回ってきた。
浅田次郎「鉄道員」
藤田宜永「愛の領分」
奥田英朗「空中ブランコ」
のいずれも直木賞作品と
ロバート・A・ハインライン
「夏への扉」
という、名作と言われるSFを買って来た。西宮北口アクタのジュンク堂はなかなかいい、というのも発見。
しかし帰ろうと思ったら当てにしていたバスが道路凍結のため運休、というのが発覚。オーマイガッでさらに1時間つぶして別の会社のバスで帰った。日曜日の昼は本数が少ないから、なかなかショックだった。
さて、以前も書いたが、私は息子を寝かしつける時、思いつきで桃太郎のその後の物語を作り続けてもう数年、いまSEASON5に入っている。
ざっと書くと、桃太郎は20歳で再び鬼退治に加わり、40歳で大きな梨、大きな栗、さらに45歳で大きな柿を拾い後継者を得る。鬼も変わってきて、大陸から次々と伝説もしくは物語上の怪物が日本を襲う。
さらに桃太郎家は大きな枇杷と蜜柑を拾い、遂に3世代となる。果ては孫悟空まで登場して、戦いのスケールは増していくのであった。
SEASON5の敵は西洋の悪魔たちである。
それぞれ知識が定かでないので、webで調べながらの創作。寝かし付けも、楽じゃない。楽しいけどさ。(笑)
最近もったいないな、と思い、概要だけ書き出しているが、いつかちゃんとした物語にしてみようかな、どうしようかな。タイトルの意味は、それだけでしたっ。終
2014年2月2日日曜日
呻き
土曜日、臨海公園へ車で出掛けて行って、広場ではサッカーを、だだっ広い砂浜では野球遊びをした。ワンも久々に広いところでのびのび。波打ち際遊びは息子も楽しいようだ。海は遊泳禁止。意外に水キレイ。
帰ってきた途端に身体がバリバリ。サッカーの蹴り足である右足の、膝から内ももの筋肉が痛い、立ち足、左足側の腰が痛い、ヘディングで首は痛いと散々。
なんというか、運動不足には違いないのだが、走っても痛くならない時もあるし、コンディション、というものもあるのだろう。もちろんそれだけではなくて、サッカーをやった広場も広かったので、キックは強くなるし、自然ボールのアクションもバンピーに大きくなるので、ついつい身体の動きも激しくなる。その結果だろう。ようはハッスルし過ぎ、ということだ。
気温も上がって暖かかったが、日曜はもう身体が痛いのに加えて寒気がして、厚着してるから首筋に汗かいたりするんだけど、暑くない感じ。たぶん、季節外れの暖かさに、身体がついて行かなかった部分もあるのだろう。
妻子が買い出しに行っている間、お留守番で、おとなしくしていた。ベッドで毛布と分厚い掛け布団かぶってもまだ寒けがおさまらない。
息子とデコくっつけたら、私の方が熱い。こりゃダメだ。明日は休みだな。インフルかどうか確認すべく病院行った方がいいのかお悩み中。今夜は1人で、寝よっと。
帰ってきた途端に身体がバリバリ。サッカーの蹴り足である右足の、膝から内ももの筋肉が痛い、立ち足、左足側の腰が痛い、ヘディングで首は痛いと散々。
なんというか、運動不足には違いないのだが、走っても痛くならない時もあるし、コンディション、というものもあるのだろう。もちろんそれだけではなくて、サッカーをやった広場も広かったので、キックは強くなるし、自然ボールのアクションもバンピーに大きくなるので、ついつい身体の動きも激しくなる。その結果だろう。ようはハッスルし過ぎ、ということだ。
気温も上がって暖かかったが、日曜はもう身体が痛いのに加えて寒気がして、厚着してるから首筋に汗かいたりするんだけど、暑くない感じ。たぶん、季節外れの暖かさに、身体がついて行かなかった部分もあるのだろう。
妻子が買い出しに行っている間、お留守番で、おとなしくしていた。ベッドで毛布と分厚い掛け布団かぶってもまだ寒けがおさまらない。
息子とデコくっつけたら、私の方が熱い。こりゃダメだ。明日は休みだな。インフルかどうか確認すべく病院行った方がいいのかお悩み中。今夜は1人で、寝よっと。
2014年2月1日土曜日
1月書評2014の5
いま数え直したら、1月は18冊だった。久々に外書の長編読んでいい感じ。んじょラスト!
中山七里「いつまでもショパン」
1月はシャーロック・ホームズの月、と決めたものの、10作品12冊読んでもういいだろうと・・楽しいのだが、パスティーシュ、パロディはやはり贋作であって、数を読んでいると聖典=原作からどんどん離れて行ってしまう感もある。そんなタイミングで、シリーズ読んでて文庫化を待ってたこの作品が出たので、ここらで逸脱することにした。たまに楽しむから面白いのかもね。
さて、「いつまでもショパン」舞台がガラッと変わり、それなりに楽しめた。このミス大賞を受賞し映画化もされた「さよならドビュッシー」、そして「おやすみラフマニノフ」に続く第3弾。探偵役のピアニスト、岬洋介は、今回、なんと5年に一度のピアノコンクール最高峰、ショパン・コンクールに出場する。時あたかもアメリカを中心とするイラク・アフガニスタンへの攻撃に参加したポーランドでは、爆破テロが頻発、コンクールは中止の危機に追い込まれるが・・。
私はクラシック好きで、同じくショパン・コンクールもののマンガ「ピアノの森」も全巻読んでいるが、ポーランドのショパン論、また不明朗と捉えられがちな審査基準は、そちらでも主題のひとつとなっている。ショパンの像がある公園も同じで、正直かなりかぶる。
岬はもちろん謎の解決に絡むが、それは今回も副次的なものと言えるくらいで、やはり主題は音楽。ショパン・コンクールという、音楽を表現するには広過ぎるほどのフィールドがあり、存分に楽しめる。岬もまた、今回はピアニストとして、超人的な能力を発揮する。
これまでは、家庭内の殺人、大学内の事件だったので、国際的爆破テロ、ショパン・コンクールという設定にはかなり壮大になったなあ、と思ったものだが、本来の、音楽を大いに取り上げるシリーズのパワーは数も内容も増幅されていて、まずまず面白い。
ショパン・コンクールを続行する姿勢は懐疑ものだし、どこかミステリーとしては不備が有るような謎解きも相変わらずだったが音楽ものとして楽しめた。
ちなみにあまちゃん出演の橋本愛主演の「さよならドビュッシー」の映画は、もうひとつ、もうふたつ、だった。
桜木紫乃「氷平線」
前作も、ホームズも色気らしい表現はゼロなので、ナマな描写にギャップを感じて始まった。「ホテルローヤル」で直木賞を受賞した作者のデビュー本。短編集で、冒頭作品の「雪虫」でオール讀物新人賞を取って注目された。
北海道在住で、各短編の舞台は全て道内である。職人技を追求するのがひとつの特徴にも見えるが、冒頭「雪虫」のルーズさもまた持ち味で、ナマな人間の姿を描き出している、という感じだろうか。基本は女の、本質と窮屈な環境からの脱却を訴えたいようにも見える。
短編は苦手だ、と以前書いたが、短いだけに、展開がとんとん表紙で劇的だ。ラストの表題作はあまりにも展開とブレイクが極端でちょっと気後れしたが、なぜか心に残る。
私に、「短編は余韻がポイント。うまい!という作品もある。」と語った人が居たが、今回は納得できない部分がありながらも、やられた感があった。やはり直木賞受賞作の前作には注目、といったところか。
朱川湊人「花まんま」
食い込むなあ・・という感じだ。「ノスタルジック・ホラー」というジャンルは、初めて知った。2005年上半期の直木賞受賞作。短編集である。
いずれも昭和40年代が舞台で、男女の子供が主人公。さりげない懐かしさと世情を漂わせて、不思議なこと、そして悲しい出来事が起きる。
物語の色も同一ではなくて、呑気な結末のものもあれば、不幸で、女性的な終了もある。最初は軽さも感じたが、ハートにシクシクとくる感じだ。
前作の「氷平線」とこの短編集が2つ続いた。それぞれに織り込まれたものがあり、また、やられた感を味わった。
カーレド・ホッセイニ
「君のためなら千回でも」上下
読了すぐの感想は、「くはー、大きな物語だった。」泣くというよりは深い感動を呼ぶ人生の大河ドラマ。アフガニスタンが舞台の話である。
王政のアフガニスタン・カブールに生まれたアミールには、召使いの息子、ハッサンという遊び仲間がいた。身分と人種の違いが横たわっていたものの、2人はいつも一緒だった。しかし、凧合戦で優勝した日、アミールはハッサンが悪童たちに酷い仕打ちを受けているのを見て見ぬふりをしてしまう。革命、そしてソ連の侵攻、北部同盟、タリバン・・アミールたちにも容赦無く、アフガニスタンの困難な運命が降りかかる。
作者のホッセイニはアフガニスタン出身で、少年の頃起きたソ連軍侵攻の際、アメリカに亡命したそうだ。アフガニスタンの文化、習俗、平和な時代についての愛情が文章に溢れている。子供の無垢さ、残酷さ、そして正直な後悔と苦しみ、下巻ではさらに数奇な運命が、彩り豊かに表現されている。
アメリカで「HERO」などを製作し、また北京オリンピック開会式の演出を指揮した映画監督チャン・イーモウは、中国時代に「活きる」という大河ドラマ的作品を作っている。清の時代の金持ちの放蕩息子が賭け事で財産を剥ぎ取られて庶民となり、国共内戦、共産党独裁、文化大革命、という、時代の変遷に運命を翻弄される物語だった。監督自身、父親が文化大革命時に農村へ追放されたという過去を持っている。ちなみに、製作から8年の間、少なくとも日本での公開の許可は降りなかったらしい。
「君のためなら千回でも」には、「活きる」に似た感覚がある。時代の運命に左右される人生。加えて子供の頃の後悔に永く苦しむアミールと彼の困難には同情さえしてしまうが、彼が支えられているものもまた、大変にみずみずしい。
最初は友情だけの物語かと思っていて、こんな大河だとは予想してなかった。アメリカのベストセラーで、映画化もされ、全世界で800万部を売り上げたという触れ込みだ。とても貴重な、なかなか知られていない文化的側面をも覗けた一冊だった。こういうの、好みである。
三上延「ビブリア古書堂の事件手帖5〜栞子さんと繋がりの時〜」
たまには背表紙を撮ってみた。
長く待っていた人気シリーズの最新刊。ラノベだ、男性の望む(あり得ない)女性像を描いた主人公だ、などという一部の声を浴びつつ(笑)やはり面白いと思う。
今回は手塚治虫「ブラックジャック」が題材のひとつ、ということもあり、さらに楽しめた。寺山修司も出て来るが、私の知る限り最も書を愛する友人が「書を捨てよ、町へ出よう」の話をしていたし、それなりに興味深かった。
古書ミステリー以外の恥ずかしい部分はどうでもいい、なんて見栄を張るつもりは無く、作中の親友いわく「おっぱいメガネ」の栞子さんをはじめ、魅力に狂気をもまぶした、まるでモリアーティ教授のような母の智恵子も知的で妖しく、登場人物たちのキャラを楽しみつつ、昔風の初歩的恋愛劇も面映く好んで眺めている。
さすがに5巻ともなると少々パターンづいて来るし、予備知識が勝負の、いわゆるフェアの推理小説ではない。それでも、かなり真剣な古書ミステリーであり、その謎の解説もふくめ、新たな形を生み出した、と言ってもいいんじゃないかな、も思える。
中山七里「いつまでもショパン」
1月はシャーロック・ホームズの月、と決めたものの、10作品12冊読んでもういいだろうと・・楽しいのだが、パスティーシュ、パロディはやはり贋作であって、数を読んでいると聖典=原作からどんどん離れて行ってしまう感もある。そんなタイミングで、シリーズ読んでて文庫化を待ってたこの作品が出たので、ここらで逸脱することにした。たまに楽しむから面白いのかもね。
さて、「いつまでもショパン」舞台がガラッと変わり、それなりに楽しめた。このミス大賞を受賞し映画化もされた「さよならドビュッシー」、そして「おやすみラフマニノフ」に続く第3弾。探偵役のピアニスト、岬洋介は、今回、なんと5年に一度のピアノコンクール最高峰、ショパン・コンクールに出場する。時あたかもアメリカを中心とするイラク・アフガニスタンへの攻撃に参加したポーランドでは、爆破テロが頻発、コンクールは中止の危機に追い込まれるが・・。
私はクラシック好きで、同じくショパン・コンクールもののマンガ「ピアノの森」も全巻読んでいるが、ポーランドのショパン論、また不明朗と捉えられがちな審査基準は、そちらでも主題のひとつとなっている。ショパンの像がある公園も同じで、正直かなりかぶる。
岬はもちろん謎の解決に絡むが、それは今回も副次的なものと言えるくらいで、やはり主題は音楽。ショパン・コンクールという、音楽を表現するには広過ぎるほどのフィールドがあり、存分に楽しめる。岬もまた、今回はピアニストとして、超人的な能力を発揮する。
これまでは、家庭内の殺人、大学内の事件だったので、国際的爆破テロ、ショパン・コンクールという設定にはかなり壮大になったなあ、と思ったものだが、本来の、音楽を大いに取り上げるシリーズのパワーは数も内容も増幅されていて、まずまず面白い。
ショパン・コンクールを続行する姿勢は懐疑ものだし、どこかミステリーとしては不備が有るような謎解きも相変わらずだったが音楽ものとして楽しめた。
ちなみにあまちゃん出演の橋本愛主演の「さよならドビュッシー」の映画は、もうひとつ、もうふたつ、だった。
桜木紫乃「氷平線」
前作も、ホームズも色気らしい表現はゼロなので、ナマな描写にギャップを感じて始まった。「ホテルローヤル」で直木賞を受賞した作者のデビュー本。短編集で、冒頭作品の「雪虫」でオール讀物新人賞を取って注目された。
北海道在住で、各短編の舞台は全て道内である。職人技を追求するのがひとつの特徴にも見えるが、冒頭「雪虫」のルーズさもまた持ち味で、ナマな人間の姿を描き出している、という感じだろうか。基本は女の、本質と窮屈な環境からの脱却を訴えたいようにも見える。
短編は苦手だ、と以前書いたが、短いだけに、展開がとんとん表紙で劇的だ。ラストの表題作はあまりにも展開とブレイクが極端でちょっと気後れしたが、なぜか心に残る。
私に、「短編は余韻がポイント。うまい!という作品もある。」と語った人が居たが、今回は納得できない部分がありながらも、やられた感があった。やはり直木賞受賞作の前作には注目、といったところか。
朱川湊人「花まんま」
食い込むなあ・・という感じだ。「ノスタルジック・ホラー」というジャンルは、初めて知った。2005年上半期の直木賞受賞作。短編集である。
いずれも昭和40年代が舞台で、男女の子供が主人公。さりげない懐かしさと世情を漂わせて、不思議なこと、そして悲しい出来事が起きる。
物語の色も同一ではなくて、呑気な結末のものもあれば、不幸で、女性的な終了もある。最初は軽さも感じたが、ハートにシクシクとくる感じだ。
前作の「氷平線」とこの短編集が2つ続いた。それぞれに織り込まれたものがあり、また、やられた感を味わった。
カーレド・ホッセイニ
「君のためなら千回でも」上下
読了すぐの感想は、「くはー、大きな物語だった。」泣くというよりは深い感動を呼ぶ人生の大河ドラマ。アフガニスタンが舞台の話である。
王政のアフガニスタン・カブールに生まれたアミールには、召使いの息子、ハッサンという遊び仲間がいた。身分と人種の違いが横たわっていたものの、2人はいつも一緒だった。しかし、凧合戦で優勝した日、アミールはハッサンが悪童たちに酷い仕打ちを受けているのを見て見ぬふりをしてしまう。革命、そしてソ連の侵攻、北部同盟、タリバン・・アミールたちにも容赦無く、アフガニスタンの困難な運命が降りかかる。
作者のホッセイニはアフガニスタン出身で、少年の頃起きたソ連軍侵攻の際、アメリカに亡命したそうだ。アフガニスタンの文化、習俗、平和な時代についての愛情が文章に溢れている。子供の無垢さ、残酷さ、そして正直な後悔と苦しみ、下巻ではさらに数奇な運命が、彩り豊かに表現されている。
アメリカで「HERO」などを製作し、また北京オリンピック開会式の演出を指揮した映画監督チャン・イーモウは、中国時代に「活きる」という大河ドラマ的作品を作っている。清の時代の金持ちの放蕩息子が賭け事で財産を剥ぎ取られて庶民となり、国共内戦、共産党独裁、文化大革命、という、時代の変遷に運命を翻弄される物語だった。監督自身、父親が文化大革命時に農村へ追放されたという過去を持っている。ちなみに、製作から8年の間、少なくとも日本での公開の許可は降りなかったらしい。
「君のためなら千回でも」には、「活きる」に似た感覚がある。時代の運命に左右される人生。加えて子供の頃の後悔に永く苦しむアミールと彼の困難には同情さえしてしまうが、彼が支えられているものもまた、大変にみずみずしい。
最初は友情だけの物語かと思っていて、こんな大河だとは予想してなかった。アメリカのベストセラーで、映画化もされ、全世界で800万部を売り上げたという触れ込みだ。とても貴重な、なかなか知られていない文化的側面をも覗けた一冊だった。こういうの、好みである。
三上延「ビブリア古書堂の事件手帖5〜栞子さんと繋がりの時〜」
たまには背表紙を撮ってみた。
長く待っていた人気シリーズの最新刊。ラノベだ、男性の望む(あり得ない)女性像を描いた主人公だ、などという一部の声を浴びつつ(笑)やはり面白いと思う。
今回は手塚治虫「ブラックジャック」が題材のひとつ、ということもあり、さらに楽しめた。寺山修司も出て来るが、私の知る限り最も書を愛する友人が「書を捨てよ、町へ出よう」の話をしていたし、それなりに興味深かった。
古書ミステリー以外の恥ずかしい部分はどうでもいい、なんて見栄を張るつもりは無く、作中の親友いわく「おっぱいメガネ」の栞子さんをはじめ、魅力に狂気をもまぶした、まるでモリアーティ教授のような母の智恵子も知的で妖しく、登場人物たちのキャラを楽しみつつ、昔風の初歩的恋愛劇も面映く好んで眺めている。
さすがに5巻ともなると少々パターンづいて来るし、予備知識が勝負の、いわゆるフェアの推理小説ではない。それでも、かなり真剣な古書ミステリーであり、その謎の解説もふくめ、新たな形を生み出した、と言ってもいいんじゃないかな、も思える。
1月書評2014の4
写真は、友人がロンドンに行くというので、お金は出すから、パイプかディアストーカー買ってきてくれ、と言ったら、なぜか送られてきたマグカップ。もちろんめっちゃお気に入りで、今も毎日使ってます。各冒険譚のイラストが入ってて、なかなかレアかと思う。
エドワード・B・ハナ
「ホワイトチャペルの恐怖」(2)
ホームズ対切り裂きジャックの物語。上下巻であり、かなり詳細に事件とその関係者、当時の状況、世相を描いているので、本格派のパロディと言えるだろう。1992年の作品で日本で翻訳出版されたのは1996年である。
この小説はワトスンの語りではなく、三人称で書かれている。訳者が、作家本人に訊いたところ、ドイルのコピーにすると、単なるパロディという印象を持たれてしまう、かつまたホームズが何を考えているかを描くことが出来るから、というものだった。
これはシャーロッキン的な慣れの問題かも知れないが、三人称にはそれなりの面白さと客観性が確かにあるものの、特にこの作品の場合、誰が主語なのかたまに分からなくなる感覚があった。特にホームズとワトスンが一緒に居る時は、ワトソンの語りと混同してしまいがちで、主語を探すことに煩わしさを感じた。
内容は、本格派らしく、また出版当時絶賛されたらしく、確かに面白いのだが、特に王室の下りは、冗長で、しばらく事件の新展開がない部分もあり、少し退屈感もあったかな。シャーロッキンならぬ、ジャック研究家のことはリッパロロジストと言うらしい。
切り裂きジャック、ジャック・ザ・リッパーの事件は、1888年8月31日から、11月9日の間に5人の売春婦が残酷に切り刻まれて殺された、恐怖の連続殺人事件である。臓器を切り取ったりしているので、医師の犯行かとも言われたが、ついに犯人は逮捕されなかった。
エラリー・クイーン著「恐怖の研究」のレビューでも述べたが、1888年というのは、ホームズの最盛期であるにも拘らず、なぜ切り裂きジャック事件の捜査記録が無いのか、というのは、シャーロッキンたちの重要な研究テーマである。無茶言うな、というとこなのだが(笑)、それもまた熱くなれるお遊びかと思われる。なので、後年のパロディも数多く、私は少なくとも4つの作品を読んだ。
これには、捜査はして犯人も突き止めたが、何らかの事情で発表出来なかった説と、ちょうど「バスカヴィル家の犬」事件に取り掛かっていて、ロンドンに居なかったとする説がある。この作品中には実際に、事件解決のためにホームズとワトスンはサリー州にあるバスカヴィル屋敷に行って、帰ってくる描写がある。
さて今回は当時の王室の話が色濃く出て来る。ホームズ物語は、短編の第一弾である「ボヘミアの醜聞」で人気が爆発した。ボヘミア王がオペラ歌手と火遊びをし、一緒に写った写真を握られている、というストーリーなのだが、多くの研究家は、ボヘミア王ということになっているが、明らかに女癖の悪かった「プリンス・オブ・ウェールズ」つまり当時のイギリス皇太子ではないかと言っているし、読者も彼になぞらえて読んだはずである。
ホームズは当事者だったアイリーン・アドラーをその後も「あのひと」と読んでいたことから、女嫌いのホームズが唯一認めた、もしくは恋慕の情を抱いた女性とされている。今回の作品には、だからホームズとプリンス・オブ・ウェールズは面識があり、折り合いが悪いという描写がある。説明が長かったが、これもまたシャーロッキン的な楽しみだ。
冗長だったし、なぜそれに気づかない?という部分があったし、やはり原典のような思慮深さは出せないが、切り裂きジャックの研究としては面白かった。
キース・オートリー
「ホームズ対フロイト」
異色の作品。作者は第一線の心理学者であるらしい。ホームズとフロイトの邂逅は、ニコラス・メイヤーという人の「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」で果たされているが、こちらは冒険活劇的要素が強い。
それに比べてこの作品は、フロイトの心理分析とそのケースを物語風にじっくりと取り上げ、否定的な意味で無く専門的に批評するといった内容が主のフィクションであり、さらに時代的、人種的、女性的な意味合いも込められたフィクションである。ホームズは副次的な扱い、と言っても差し支えないほどだ。
ある女性教師が講演をすっぽかして学校を解雇されるが、原因となった体調不良には思春期に受けた性的虐待が影を落としていた。そして虐待を行ったイギリスの外交官が遺体で見つかり、ホームズが調査に乗り出す。
2006年に発行された作品だが、おそらく私は読了していない。なにせ、最初から170ページくらいまでホームズは登場しない。ずっと、フロイトの診察も含む女性教師の独白がずっと続き、正直退屈だったし、比較的最近のパロディであるにも拘らずストーリーにも覚えが無かったからだ。途中で投げ出したのではなかっただろうか。
キース・オードリーの性別は特に記載がないようなのでおそらく男性かと思えるが、女性目線のホームズものと言える。確かに様々な意味合いを含み、ある意味書き尽くされたホームズ・パロディの中では異彩を放ってはいる。興味深くはあるが、あまり面白くはなかった。最近はこのような作品が多過ぎる。ホームズの面白さとは、ということを活かした作品が、やはり望ましい。
デッド・リカーディ
「シャーロック・ホームズ 東洋の冒険」
シャーロック・ホームズは、1891年、宿敵モリアーティ教授との格闘の末、スイスはライヘンバッハの滝壺へ落ち、帰らぬ人となった。はずだったが、実は生き延び、以後3年間、ロンドンを留守にし、世間には死んだと思われていた。
ホームズが物語中で死んだ際、ロンドンでは喪章を着けて歩く人も居たという。ロンドンに居なかった3年の間、ホームズはシーゲルソンと名前を変え、2年間チベットを旅し、その後ペルシャからメッカに渡り、カーツームを経て、南フランスに滞在した後、「空き家の冒険」でベイカー街へ帰還を果たすのである。
この本は、シャーロッキンの間で「大空白時代」と呼ばれるこの期間のことを、中東・アジアの言語および文化の専門家であるコロンビア大学名誉教授の著者が綴ったパスティーシュだ。インド、ネパール、チベットを舞台に、ホームズの活躍が生き生きと描かれている。「語られざる事件」や、モラン大佐の登場など、様々なシャーロッキン的な要素を盛り込んでいる。
感想としては、ちょっと舞台装置、物語の成り行きが、劇的な演出と東洋の神秘的色合いを過剰に意識していて少々鼻白んだのは否めないが、それでも、本格的な大空白時代冒険譚として楽しんで読めた。大英帝国が植民地の経営に腐心しているさまも興味を引く。
他にも大空白時代ものはいくつかあるので、また機会があれば読んでみたい。
エドワード・B・ハナ
「ホワイトチャペルの恐怖」(2)
ホームズ対切り裂きジャックの物語。上下巻であり、かなり詳細に事件とその関係者、当時の状況、世相を描いているので、本格派のパロディと言えるだろう。1992年の作品で日本で翻訳出版されたのは1996年である。
この小説はワトスンの語りではなく、三人称で書かれている。訳者が、作家本人に訊いたところ、ドイルのコピーにすると、単なるパロディという印象を持たれてしまう、かつまたホームズが何を考えているかを描くことが出来るから、というものだった。
これはシャーロッキン的な慣れの問題かも知れないが、三人称にはそれなりの面白さと客観性が確かにあるものの、特にこの作品の場合、誰が主語なのかたまに分からなくなる感覚があった。特にホームズとワトスンが一緒に居る時は、ワトソンの語りと混同してしまいがちで、主語を探すことに煩わしさを感じた。
内容は、本格派らしく、また出版当時絶賛されたらしく、確かに面白いのだが、特に王室の下りは、冗長で、しばらく事件の新展開がない部分もあり、少し退屈感もあったかな。シャーロッキンならぬ、ジャック研究家のことはリッパロロジストと言うらしい。
切り裂きジャック、ジャック・ザ・リッパーの事件は、1888年8月31日から、11月9日の間に5人の売春婦が残酷に切り刻まれて殺された、恐怖の連続殺人事件である。臓器を切り取ったりしているので、医師の犯行かとも言われたが、ついに犯人は逮捕されなかった。
エラリー・クイーン著「恐怖の研究」のレビューでも述べたが、1888年というのは、ホームズの最盛期であるにも拘らず、なぜ切り裂きジャック事件の捜査記録が無いのか、というのは、シャーロッキンたちの重要な研究テーマである。無茶言うな、というとこなのだが(笑)、それもまた熱くなれるお遊びかと思われる。なので、後年のパロディも数多く、私は少なくとも4つの作品を読んだ。
これには、捜査はして犯人も突き止めたが、何らかの事情で発表出来なかった説と、ちょうど「バスカヴィル家の犬」事件に取り掛かっていて、ロンドンに居なかったとする説がある。この作品中には実際に、事件解決のためにホームズとワトスンはサリー州にあるバスカヴィル屋敷に行って、帰ってくる描写がある。
さて今回は当時の王室の話が色濃く出て来る。ホームズ物語は、短編の第一弾である「ボヘミアの醜聞」で人気が爆発した。ボヘミア王がオペラ歌手と火遊びをし、一緒に写った写真を握られている、というストーリーなのだが、多くの研究家は、ボヘミア王ということになっているが、明らかに女癖の悪かった「プリンス・オブ・ウェールズ」つまり当時のイギリス皇太子ではないかと言っているし、読者も彼になぞらえて読んだはずである。
ホームズは当事者だったアイリーン・アドラーをその後も「あのひと」と読んでいたことから、女嫌いのホームズが唯一認めた、もしくは恋慕の情を抱いた女性とされている。今回の作品には、だからホームズとプリンス・オブ・ウェールズは面識があり、折り合いが悪いという描写がある。説明が長かったが、これもまたシャーロッキン的な楽しみだ。
冗長だったし、なぜそれに気づかない?という部分があったし、やはり原典のような思慮深さは出せないが、切り裂きジャックの研究としては面白かった。
キース・オートリー
「ホームズ対フロイト」
異色の作品。作者は第一線の心理学者であるらしい。ホームズとフロイトの邂逅は、ニコラス・メイヤーという人の「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」で果たされているが、こちらは冒険活劇的要素が強い。
それに比べてこの作品は、フロイトの心理分析とそのケースを物語風にじっくりと取り上げ、否定的な意味で無く専門的に批評するといった内容が主のフィクションであり、さらに時代的、人種的、女性的な意味合いも込められたフィクションである。ホームズは副次的な扱い、と言っても差し支えないほどだ。
ある女性教師が講演をすっぽかして学校を解雇されるが、原因となった体調不良には思春期に受けた性的虐待が影を落としていた。そして虐待を行ったイギリスの外交官が遺体で見つかり、ホームズが調査に乗り出す。
2006年に発行された作品だが、おそらく私は読了していない。なにせ、最初から170ページくらいまでホームズは登場しない。ずっと、フロイトの診察も含む女性教師の独白がずっと続き、正直退屈だったし、比較的最近のパロディであるにも拘らずストーリーにも覚えが無かったからだ。途中で投げ出したのではなかっただろうか。
キース・オードリーの性別は特に記載がないようなのでおそらく男性かと思えるが、女性目線のホームズものと言える。確かに様々な意味合いを含み、ある意味書き尽くされたホームズ・パロディの中では異彩を放ってはいる。興味深くはあるが、あまり面白くはなかった。最近はこのような作品が多過ぎる。ホームズの面白さとは、ということを活かした作品が、やはり望ましい。
デッド・リカーディ
「シャーロック・ホームズ 東洋の冒険」
シャーロック・ホームズは、1891年、宿敵モリアーティ教授との格闘の末、スイスはライヘンバッハの滝壺へ落ち、帰らぬ人となった。はずだったが、実は生き延び、以後3年間、ロンドンを留守にし、世間には死んだと思われていた。
ホームズが物語中で死んだ際、ロンドンでは喪章を着けて歩く人も居たという。ロンドンに居なかった3年の間、ホームズはシーゲルソンと名前を変え、2年間チベットを旅し、その後ペルシャからメッカに渡り、カーツームを経て、南フランスに滞在した後、「空き家の冒険」でベイカー街へ帰還を果たすのである。
この本は、シャーロッキンの間で「大空白時代」と呼ばれるこの期間のことを、中東・アジアの言語および文化の専門家であるコロンビア大学名誉教授の著者が綴ったパスティーシュだ。インド、ネパール、チベットを舞台に、ホームズの活躍が生き生きと描かれている。「語られざる事件」や、モラン大佐の登場など、様々なシャーロッキン的な要素を盛り込んでいる。
感想としては、ちょっと舞台装置、物語の成り行きが、劇的な演出と東洋の神秘的色合いを過剰に意識していて少々鼻白んだのは否めないが、それでも、本格的な大空白時代冒険譚として楽しんで読めた。大英帝国が植民地の経営に腐心しているさまも興味を引く。
他にも大空白時代ものはいくつかあるので、また機会があれば読んでみたい。
1月書評2014の3
アップするのに疲れてきた。(笑)先日久々に、神戸市沖の人工島、六甲アイランドに行った。住宅も街の作りもやはり人工〜というのが強い。昔よく行った映画館は無くなったそうだ。写真はその時食べた北インドのカレーランチ。たまにはナン食べてラッシー飲まなきゃね。お好み焼きと一緒。(笑)
ダニエル・スタシャワー
「ロンドンの超能力男」
シャーロック・ホームズとアメリカの奇術師、ハリー・フーディーニが活躍するパロディ長編。
ホームズのパロディには、著名な同時代人を出演させることが多い。心理学のフロイト博士、オスカー・ワイルド、またバーナード・ショーやルイス・キャロルなどもあった気がする。和ものでも、ロンドンに留学していたことから、夏目漱石とホームズを邂逅させた作品がいくつかあるし、そもそも原典にはサラサーテの名前も確か出てくるので、これもまた大きな意味で、シャーロッキアン的に時代を楽しむ、という要素だろう。
作者は、マジシャンであり、なるほどフーディーニを生き生きと描いている。フーディーニとは、身体を拘束されて水中に吊るされた状態から脱出したり、レンガの壁を「通り抜ける」といった奇術を売りにしていた男である。
1989年の作品で、この頃「緋色の研究」で世にホームズがその姿を現してから100周年を迎えたり、日本での著作権期限が切れたりしたことから、パスティーシュ、パロディの発行が増えた傾向があったようだ。確かに私もこの時期に続けて買った記憶がある。今よりバラエティに富んでいたと思う。
英国皇太子とドイツの伯爵夫人のスキャンダル、その内幕でやり取りされた手紙が厳重な警戒の中盗まれた。スコットランド・ヤードはロンドンで公演を行っていたフーディーニを容疑者として逮捕するが・・
作中で、ホームズ、フーディーニ両天才はライバル意識をむき出しにしている。ワトスンが間でおろおろし、という微笑ましい関係で、レストレード、マイクロフトも出演、折に触れシャーロッキアン的要素も取り入れられていて嬉しい。パロディには欠かせない?追跡劇もある。
肝心の犯罪の動機が、確固たるようで、なぜここで?という疑念は残るが、なかなか楽しめる一冊である。そうか、ホームズとマジシャンは確かに相性が良さそうだ、とも思った。
スティーブン・バクスター他
「シャーロック・ホームズの大冒険」(2)
上下巻で合計26編もの、オーソドックス・パスティーシュが楽しめる、私から見たら、贅沢かつ豪華な本。
シャーロック・ホームズ。職業はコンサルティング・デテクティブ、諮問探偵である。コナン・ドイルが手掛けたホームズ物語は56の短編と、4つの長編のみ。しかし、今なお、ホームズとワトスンが活躍する物語は書き続けられている。こんなスーパースターが他にいるだろうか?
パスティーシュとは、登場人物や時代設定は原典そのままに、ホームズやワトソンが活躍する原典そっくりの物語を書いたものであり、パロディとはまた別。パスティーシュなんて、ホームズもののためにあるような言葉だと思う。
今回は、現代に活躍するそうそうたる書き手達が、オーソドックス、つまり本格派のパスティーシュを書き連ねている。それが、年代別、ホームズがワトソンと出会う前、出会ってからモリアーティ教授とともにスイス・ライヘンバッハの滝に落ちて死んだとされた1891年まで、その復活後、などに区切って説明文が付いている。
しかも「語られざる事件」の新版あり、巻末にはパスティーシュを含めた事件年表ありと、作りそのものが正統派の研究書とも言える内容だ。
それぞれの短編はというと、これは作り出したトリックを生かしたい、という思いが強過ぎて、かえって読みにくくなっているな、というものも散見されるが、ホームズとワトスンの世界には、冒頭からスッと入っていける。ホームズもの正統派パスティーシュにはいくつものハードルが、実はあったりする。それはベイカー街の部屋の雰囲気や、登場人物の関係性、ホームズの何気ない言葉、など色々有るのだが、ほとんどの短編において、それが軽く浮いていないのは書き手の力量かと思われる。
ちなみに「語られざる事件」とは原典中に、こんな事件があった、と事件名のみワトスンが記しているもので、約100件もある。これらを集中的に扱ったパスティーシュも多く出版されている。今回も、かなりパロディ的ではあるものの、有名な「自宅へ傘を取りに戻ったまま、忽然と消えてしまった」ジェイムズ・フィリモア氏の事件もやはり出ていて、微笑ましかった。
ダニエル・スタシャワー
「ロンドンの超能力男」
シャーロック・ホームズとアメリカの奇術師、ハリー・フーディーニが活躍するパロディ長編。
ホームズのパロディには、著名な同時代人を出演させることが多い。心理学のフロイト博士、オスカー・ワイルド、またバーナード・ショーやルイス・キャロルなどもあった気がする。和ものでも、ロンドンに留学していたことから、夏目漱石とホームズを邂逅させた作品がいくつかあるし、そもそも原典にはサラサーテの名前も確か出てくるので、これもまた大きな意味で、シャーロッキアン的に時代を楽しむ、という要素だろう。
作者は、マジシャンであり、なるほどフーディーニを生き生きと描いている。フーディーニとは、身体を拘束されて水中に吊るされた状態から脱出したり、レンガの壁を「通り抜ける」といった奇術を売りにしていた男である。
1989年の作品で、この頃「緋色の研究」で世にホームズがその姿を現してから100周年を迎えたり、日本での著作権期限が切れたりしたことから、パスティーシュ、パロディの発行が増えた傾向があったようだ。確かに私もこの時期に続けて買った記憶がある。今よりバラエティに富んでいたと思う。
英国皇太子とドイツの伯爵夫人のスキャンダル、その内幕でやり取りされた手紙が厳重な警戒の中盗まれた。スコットランド・ヤードはロンドンで公演を行っていたフーディーニを容疑者として逮捕するが・・
作中で、ホームズ、フーディーニ両天才はライバル意識をむき出しにしている。ワトスンが間でおろおろし、という微笑ましい関係で、レストレード、マイクロフトも出演、折に触れシャーロッキアン的要素も取り入れられていて嬉しい。パロディには欠かせない?追跡劇もある。
肝心の犯罪の動機が、確固たるようで、なぜここで?という疑念は残るが、なかなか楽しめる一冊である。そうか、ホームズとマジシャンは確かに相性が良さそうだ、とも思った。
スティーブン・バクスター他
「シャーロック・ホームズの大冒険」(2)
上下巻で合計26編もの、オーソドックス・パスティーシュが楽しめる、私から見たら、贅沢かつ豪華な本。
シャーロック・ホームズ。職業はコンサルティング・デテクティブ、諮問探偵である。コナン・ドイルが手掛けたホームズ物語は56の短編と、4つの長編のみ。しかし、今なお、ホームズとワトスンが活躍する物語は書き続けられている。こんなスーパースターが他にいるだろうか?
パスティーシュとは、登場人物や時代設定は原典そのままに、ホームズやワトソンが活躍する原典そっくりの物語を書いたものであり、パロディとはまた別。パスティーシュなんて、ホームズもののためにあるような言葉だと思う。
今回は、現代に活躍するそうそうたる書き手達が、オーソドックス、つまり本格派のパスティーシュを書き連ねている。それが、年代別、ホームズがワトソンと出会う前、出会ってからモリアーティ教授とともにスイス・ライヘンバッハの滝に落ちて死んだとされた1891年まで、その復活後、などに区切って説明文が付いている。
しかも「語られざる事件」の新版あり、巻末にはパスティーシュを含めた事件年表ありと、作りそのものが正統派の研究書とも言える内容だ。
それぞれの短編はというと、これは作り出したトリックを生かしたい、という思いが強過ぎて、かえって読みにくくなっているな、というものも散見されるが、ホームズとワトスンの世界には、冒頭からスッと入っていける。ホームズもの正統派パスティーシュにはいくつものハードルが、実はあったりする。それはベイカー街の部屋の雰囲気や、登場人物の関係性、ホームズの何気ない言葉、など色々有るのだが、ほとんどの短編において、それが軽く浮いていないのは書き手の力量かと思われる。
ちなみに「語られざる事件」とは原典中に、こんな事件があった、と事件名のみワトスンが記しているもので、約100件もある。これらを集中的に扱ったパスティーシュも多く出版されている。今回も、かなりパロディ的ではあるものの、有名な「自宅へ傘を取りに戻ったまま、忽然と消えてしまった」ジェイムズ・フィリモア氏の事件もやはり出ていて、微笑ましかった。
1月書評2014の2
ひたすらホームズ関連もの続く。まあよく思うのだけど、再読しない本は私的にポンポン捨てる、売るべきで、それでもとっておいても読まない物は沢山ある。
ホームズものは必ず再読するから置いておく価値がまたひとつの意味合いでは、ある。写真は、先日自宅付近はひどい霧が出たので、ロンドンを意識して。なあんてね。
ローリー・キング「シャーロックホームズの愛弟子 女たちの闇」
愛弟子シリーズ2作め、意外にまあまあ面白かった。宗教団体、相次ぐ不審死、監禁などなど、現代のサスペンス映画でも通用しそうな内容だ。
ホームズ隠退先のサセックスダウンズで、前作、彼ともに事件を解決した才気煥発なメアリ・ラッセル。21才になったラッセルは兼ねてからの取り決め通り父の遺産を相続する。
オックスフォード同窓のヴェロニカから紹介され、女性の駆け込み寺的な宗教団体のカリスマ、マージョリーと親しくなるが、彼女の側近とも言える女性たちが次々と不審死を遂げる。
愛弟子シリーズを読むのは3つめ。初回作を読んで、こりゃあもひとつ、と思い、「バスカヴィルの謎」をバスカヴィルと聞けば読まなきゃあかんでしょ、と読んでやはりいまいち、となっていた。こうまで女性心理、女性目線に特化されるとどうも、なのである。理屈は多いし、推理というよりはサスペンスだし。
でも、今回も同じパターンではあるが、ワクワク感はシリーズ中で一番。オックスフォードでの、いかにも学生らしいシーンも描かれていたので楽しかった部分もあった。解決は意外にあっさりしていたし、なぜ?というところもあったのだけどね。
愛弟子シリーズはあと4作有るらしいが・・まあブックオフで見つけたら考えよう。
エラリー・クイーン「恐怖の研究」
ジャック・ザ・リッパー、切り裂きジャックにホームズが挑む!シャーロック・ホームズが世に出た長編のタイトルが「緋色の研究」、原題スタディ イン スカーレット。こちらは原題スタディ イン テラー。いかにもエラリー・クイーンらしい遊び心かなと思う。
1976年、昭和51年に発行された一冊である。新しい小説を執筆中のエラリー・クイーンのもとに、ワトソンの未発表原稿らしきものが届く、という設定だ。
シャーロック・ホームズが活躍した時代は、ジャック・ザ・リッパーの恐るべき異常犯罪でロンドン中が震え上がった年、1888年とかぶっている。なので、シャーロッキアンの間では、なぜホームズはジャック事件の捜査に乗り出さなかったのか、というのもちょっとした関心事となっている。
まあ、そのまま題材にするにはあまりにもセンセーショナルだ、というのも理由の一つだと思う。そもそも現実とフィクションを混ぜるのはシャーロッキアンが好きなお遊びなのだが。
という状況から、必然的な帰結というか、こうして、ホームズのパスティーシュでジャック事件を扱ったものはいくつも書かれることになったのだった。
ちなみになぜ捜査しなかったかのか、という問いには、実はホームズは犯人逮捕もしくは少なくとも特定に成功したが、犯人が高貴の身分だった、などの理由で未発表にした、という説が主流のひとつだったりする。私としては、だってその頃は「バスカヴィル家の犬」事件にかかりきりだったから、という説の方が好きである。
ともかく、この稿でエラリー・クイーンは読者の要望に応えて長編のパスティーシュで興味を惹いているわけだが、今回の再読の感想はうーん、もひとつ、だった。なんか肝心のところに飛躍があったな、と思う。
とはいえ、ホームズ関連本の中ではあらゆる面で面白い作品だろう。
ピーター・ローランド
「エドウィン・ドルードの失踪」
タイトルだけでは分からないが、これもシャーロック・ホームズのパスティーシュである。好きな人ならピンと来るかもしれないが、この作品の場合は、文豪ディケンズと絡めてあるという、特異な構想となっている。
チャールズ・ディケンズは友人ウイルキー・コリンズの「月長石」に刺激されて本格ミステリ小説を書こうと思い「エドウィン・ドルードの謎」という作品の執筆を始めたが、半分くらい書いた後、突然亡くなってしまい、このミステリは、未完の小説となってしまった。
考えてみれば、ミステリで、後半だけが書かれていない、というのは面白くも大変なことである。以後たくさんの人によって解決の推理を含む補足がなされたらしい。
で、書かれずに終わった事件の解決に、シャーロック・ホームズが乗り出す、という新機軸の作品の登場となったわけだ。
さて、シャーロッキアン的に見ると、1894年に依頼の相談があった、というのがなにやら暗示的だ。依頼人も触れているが、スイス・ライヘンバッハの滝壺に落ちて死んだと思われていたホームズが「空き家の冒険」で、ベイカー街に劇的な帰還を果たした年だからである。
また、この事件を解決した1895年には「美しき自転車乗り」「三人の学生」「ブルース・パーティントン
型設計書」など、ホームズ物語を代表する事件が起きたとされている。
多忙な事件捜査の合間を縫ってなんとか調べを進めるホームズ。最後はしっくりと来ない感じもあるが、大団円を迎える。地味ながら、構成はしっかりしていて、ディテールは疑問点が少ない感じで、読みやすくまずまず面白かった。
劇中でホームズが、「セクストン・ブレイクさん!」と名前を間違えられるシーンがあるが、これは、シャーロック・ホームズの連載が始まって間も無く出て来た類似モノマネ作品の主人公らしい。ベイカー街に住んでいるところまで同じで、それなりに人気は博したようだ。
ホームズものは必ず再読するから置いておく価値がまたひとつの意味合いでは、ある。写真は、先日自宅付近はひどい霧が出たので、ロンドンを意識して。なあんてね。
ローリー・キング「シャーロックホームズの愛弟子 女たちの闇」
愛弟子シリーズ2作め、意外にまあまあ面白かった。宗教団体、相次ぐ不審死、監禁などなど、現代のサスペンス映画でも通用しそうな内容だ。
ホームズ隠退先のサセックスダウンズで、前作、彼ともに事件を解決した才気煥発なメアリ・ラッセル。21才になったラッセルは兼ねてからの取り決め通り父の遺産を相続する。
オックスフォード同窓のヴェロニカから紹介され、女性の駆け込み寺的な宗教団体のカリスマ、マージョリーと親しくなるが、彼女の側近とも言える女性たちが次々と不審死を遂げる。
愛弟子シリーズを読むのは3つめ。初回作を読んで、こりゃあもひとつ、と思い、「バスカヴィルの謎」をバスカヴィルと聞けば読まなきゃあかんでしょ、と読んでやはりいまいち、となっていた。こうまで女性心理、女性目線に特化されるとどうも、なのである。理屈は多いし、推理というよりはサスペンスだし。
でも、今回も同じパターンではあるが、ワクワク感はシリーズ中で一番。オックスフォードでの、いかにも学生らしいシーンも描かれていたので楽しかった部分もあった。解決は意外にあっさりしていたし、なぜ?というところもあったのだけどね。
愛弟子シリーズはあと4作有るらしいが・・まあブックオフで見つけたら考えよう。
エラリー・クイーン「恐怖の研究」
ジャック・ザ・リッパー、切り裂きジャックにホームズが挑む!シャーロック・ホームズが世に出た長編のタイトルが「緋色の研究」、原題スタディ イン スカーレット。こちらは原題スタディ イン テラー。いかにもエラリー・クイーンらしい遊び心かなと思う。
1976年、昭和51年に発行された一冊である。新しい小説を執筆中のエラリー・クイーンのもとに、ワトソンの未発表原稿らしきものが届く、という設定だ。
シャーロック・ホームズが活躍した時代は、ジャック・ザ・リッパーの恐るべき異常犯罪でロンドン中が震え上がった年、1888年とかぶっている。なので、シャーロッキアンの間では、なぜホームズはジャック事件の捜査に乗り出さなかったのか、というのもちょっとした関心事となっている。
まあ、そのまま題材にするにはあまりにもセンセーショナルだ、というのも理由の一つだと思う。そもそも現実とフィクションを混ぜるのはシャーロッキアンが好きなお遊びなのだが。
という状況から、必然的な帰結というか、こうして、ホームズのパスティーシュでジャック事件を扱ったものはいくつも書かれることになったのだった。
ちなみになぜ捜査しなかったかのか、という問いには、実はホームズは犯人逮捕もしくは少なくとも特定に成功したが、犯人が高貴の身分だった、などの理由で未発表にした、という説が主流のひとつだったりする。私としては、だってその頃は「バスカヴィル家の犬」事件にかかりきりだったから、という説の方が好きである。
ともかく、この稿でエラリー・クイーンは読者の要望に応えて長編のパスティーシュで興味を惹いているわけだが、今回の再読の感想はうーん、もひとつ、だった。なんか肝心のところに飛躍があったな、と思う。
とはいえ、ホームズ関連本の中ではあらゆる面で面白い作品だろう。
ピーター・ローランド
「エドウィン・ドルードの失踪」
タイトルだけでは分からないが、これもシャーロック・ホームズのパスティーシュである。好きな人ならピンと来るかもしれないが、この作品の場合は、文豪ディケンズと絡めてあるという、特異な構想となっている。
チャールズ・ディケンズは友人ウイルキー・コリンズの「月長石」に刺激されて本格ミステリ小説を書こうと思い「エドウィン・ドルードの謎」という作品の執筆を始めたが、半分くらい書いた後、突然亡くなってしまい、このミステリは、未完の小説となってしまった。
考えてみれば、ミステリで、後半だけが書かれていない、というのは面白くも大変なことである。以後たくさんの人によって解決の推理を含む補足がなされたらしい。
で、書かれずに終わった事件の解決に、シャーロック・ホームズが乗り出す、という新機軸の作品の登場となったわけだ。
さて、シャーロッキアン的に見ると、1894年に依頼の相談があった、というのがなにやら暗示的だ。依頼人も触れているが、スイス・ライヘンバッハの滝壺に落ちて死んだと思われていたホームズが「空き家の冒険」で、ベイカー街に劇的な帰還を果たした年だからである。
また、この事件を解決した1895年には「美しき自転車乗り」「三人の学生」「ブルース・パーティントン
型設計書」など、ホームズ物語を代表する事件が起きたとされている。
多忙な事件捜査の合間を縫ってなんとか調べを進めるホームズ。最後はしっくりと来ない感じもあるが、大団円を迎える。地味ながら、構成はしっかりしていて、ディテールは疑問点が少ない感じで、読みやすくまずまず面白かった。
劇中でホームズが、「セクストン・ブレイクさん!」と名前を間違えられるシーンがあるが、これは、シャーロック・ホームズの連載が始まって間も無く出て来た類似モノマネ作品の主人公らしい。ベイカー街に住んでいるところまで同じで、それなりに人気は博したようだ。
1月書評2014の1
昨年も1月は多かったが、今年も15作品17冊。ホームズものが10作品。やっぱ趣味だけあって書き倒してるので、今回は5回くらいに分けてアップします。
M・J・トロー
「レストレード警部と3人のホームズ」
20年ぶりくらいの再読。シャーロッキアン的に大変面白かった。タイトルで分かる通り、シャーロック・ホームズのパロディである。レストレードとは、ホームズ物語に頻繁に登場する、スコットランドヤードの警部だ。
レストレードは、ホームズに、「スコットランド・ヤードではいちばんましな警察官」と評価はされるのだが、最後まで対等扱いはされない。ホームズ物語中では見当違いの犯人を追い掛けたりする「イタチのような顔をした男」として出演する。
ホームズも上から目線で見ているし、レストレードも度々ホームズに対し「私はあなたのように理論的ではなく実際的な人間ですから。」などと皮肉を繰り出す。しかし、ホームズ物語処女作「緋色の研究」から登場、「バスカヴィル家の犬」ではホームズ、ワトスンとともに魔犬に立ち向かい、「六つのナポレオン」ではホームズを絶賛し、「われわれは、あなたを心から誇りに思います。」とまで言ってしまう。ホームズ物語には他にもグレグスンやスタンリ・ホプキンズなど何人もの警部が登場するが、レストレードはポイントとなる場面に立ち会っていて、2人の間には確かに友情を超えた微笑ましいものが流れている。
国会議員の惨殺に始まり、次々と議員や名士がそれぞれ違う方法で殺される。レストレード警部は悪戦苦闘しながら捜査を展開する。犯行の目撃証言などから、スイスはライヒェンバッハの滝に落ちて死んだはずの、シャーロック・ホームズの影がチラつき、ベイカー街では、ワトスンやハドソン夫人がその姿を見かけるのだった。
この物語では、シャーロック・ホームズは、コカイン中毒のイカれた男で、探偵としても限定的な能力しか持っていなかったとされている。この前提は、実はパロディでは珍しくない。主役のレストレードはハードボイルドなキャラクターとなっている。
作中にシャーロック・ホームズ本人のみならず、数々のシャーロッキン的仕掛けがあるのがとても嬉しい。殉死してしまうが、やはりホームズ物語に出て来るブラッドストリート警部、また「名馬シルヴァー・ブレイズ」でホームズと有名な会話を交わしたグレゴリー警部も出演、ディオゲネス・クラブの執事はボスコムという名前である。シェリンフォード・ホームズ、ヘンリー・バスカヴィルの名前も出て来る。各章のタイトルも、明らかにホームズ物語の題名を意識されたもので、最終章などは実際にある短編集のタイトルそのまま「シャーロック・ホームズの帰還」となっている。
昨今ホームズもののパロディ、パスティーシュは数多く書かれてきた。ホームズ本人ではなく、コナン・ドイルがホームズのモデルとした恩師ベル博士や、シャーロック・ホームズの息子、妹、妻、また兄のマイクロフトなどなどを主人公としたものが邦訳されている。最近では、ホームズが「ボヘミアの醜聞(スキャンダル)」で出し抜かれた唯一の女性、アイリーン・アドラーを主人公としたものが書店に並んでいる。そのうち挿絵画家のシドニイ・パジットまで引っ張り出されるんじゃないかと思うほどだ。それとも、もうあるのかな。
私は息子も妹も妻もマイクロフトも読んだが、現在は、出来るだけシャーロック・ホームズ本人が主人公のものしか買わない。キリがないし、正直、ことに女性主人公のものは、あまり好きではない。そもそもパロディ、パスティーシュは、どうしてもオールスターキャストの派手なものになりがちである。
しかし、1989年に発行されたこのレストレードものは、パロディ全体を見回しても、傑作の部類に入ると思う。たまによく分からないジョークはあるが、最後までワクワクするし、時代背景を読み取れるし、シャーロッキアン的遊びはふんだんに散りばめてある。
このシリーズで邦訳、発行されているはずの、「霧の殺人鬼」「クリミアの亡霊」は、ついに見つけられなかった。いつかまた神田神保町のミステリー専門書店に行って探してみたい。
最後に、「名馬シルヴァー・ブレイズ」で、ホームズとグレゴリー警部が交わしたのは、こんな会話だ。
ホームズ
「あの夜(犯行の夜)の、飼い犬の奇妙な行動に注意すべきです。」
グレゴリー警部
「あの夜、犬は何もしませんでしたが?」
ホームズ
「それが奇妙なことなんですよ。」
どういう意味があるかは、作品を読んで下さい。いまや著作権も切れてるし、webで簡単に読めます。ああ楽しかった。没頭できた。
ロバート・L・フィッシュ
「シュロック・ホームズの冒険」
シャーロック・ホームズの、笑えるパロディ、として書かれてある。昭和44年であるから、1969年に日本で発行されたもの。神田神保町で買って、長らく読んでなかった。
シュロック・ホームズは、高名な名探偵である。その型破り、というかハチャメチャな発想で、結果はともかく、なぜか概ね問題を解決の方向へ導く。
まあ人気作だけあって、このような、ホームズをからかうようなパロディは連載中からあったらしいし、私のシャーロッキアン暦にも数多く見かけた。おそらくは、タイトルや原典作品中の要素のもじり、また、オチが結構思い切った感じのものも多く、さらに、ハチャメチャだがなぜか解決してしまうものも多いこと、などが、傑作として認められている理由だろう。
私はまあ、知識として置いておく分にはいいが、お笑いパロディはあんまり趣味ではない。今回、で、本筋は?と何がどう解決したのか分からなかったものもあったし、上記のファクターは認めるものの、ハイ過ぎるなホームズが、やはりもひとつだった。
M・J・トロー
「レストレード警部と3人のホームズ」
20年ぶりくらいの再読。シャーロッキアン的に大変面白かった。タイトルで分かる通り、シャーロック・ホームズのパロディである。レストレードとは、ホームズ物語に頻繁に登場する、スコットランドヤードの警部だ。
レストレードは、ホームズに、「スコットランド・ヤードではいちばんましな警察官」と評価はされるのだが、最後まで対等扱いはされない。ホームズ物語中では見当違いの犯人を追い掛けたりする「イタチのような顔をした男」として出演する。
ホームズも上から目線で見ているし、レストレードも度々ホームズに対し「私はあなたのように理論的ではなく実際的な人間ですから。」などと皮肉を繰り出す。しかし、ホームズ物語処女作「緋色の研究」から登場、「バスカヴィル家の犬」ではホームズ、ワトスンとともに魔犬に立ち向かい、「六つのナポレオン」ではホームズを絶賛し、「われわれは、あなたを心から誇りに思います。」とまで言ってしまう。ホームズ物語には他にもグレグスンやスタンリ・ホプキンズなど何人もの警部が登場するが、レストレードはポイントとなる場面に立ち会っていて、2人の間には確かに友情を超えた微笑ましいものが流れている。
国会議員の惨殺に始まり、次々と議員や名士がそれぞれ違う方法で殺される。レストレード警部は悪戦苦闘しながら捜査を展開する。犯行の目撃証言などから、スイスはライヒェンバッハの滝に落ちて死んだはずの、シャーロック・ホームズの影がチラつき、ベイカー街では、ワトスンやハドソン夫人がその姿を見かけるのだった。
この物語では、シャーロック・ホームズは、コカイン中毒のイカれた男で、探偵としても限定的な能力しか持っていなかったとされている。この前提は、実はパロディでは珍しくない。主役のレストレードはハードボイルドなキャラクターとなっている。
作中にシャーロック・ホームズ本人のみならず、数々のシャーロッキン的仕掛けがあるのがとても嬉しい。殉死してしまうが、やはりホームズ物語に出て来るブラッドストリート警部、また「名馬シルヴァー・ブレイズ」でホームズと有名な会話を交わしたグレゴリー警部も出演、ディオゲネス・クラブの執事はボスコムという名前である。シェリンフォード・ホームズ、ヘンリー・バスカヴィルの名前も出て来る。各章のタイトルも、明らかにホームズ物語の題名を意識されたもので、最終章などは実際にある短編集のタイトルそのまま「シャーロック・ホームズの帰還」となっている。
昨今ホームズもののパロディ、パスティーシュは数多く書かれてきた。ホームズ本人ではなく、コナン・ドイルがホームズのモデルとした恩師ベル博士や、シャーロック・ホームズの息子、妹、妻、また兄のマイクロフトなどなどを主人公としたものが邦訳されている。最近では、ホームズが「ボヘミアの醜聞(スキャンダル)」で出し抜かれた唯一の女性、アイリーン・アドラーを主人公としたものが書店に並んでいる。そのうち挿絵画家のシドニイ・パジットまで引っ張り出されるんじゃないかと思うほどだ。それとも、もうあるのかな。
私は息子も妹も妻もマイクロフトも読んだが、現在は、出来るだけシャーロック・ホームズ本人が主人公のものしか買わない。キリがないし、正直、ことに女性主人公のものは、あまり好きではない。そもそもパロディ、パスティーシュは、どうしてもオールスターキャストの派手なものになりがちである。
しかし、1989年に発行されたこのレストレードものは、パロディ全体を見回しても、傑作の部類に入ると思う。たまによく分からないジョークはあるが、最後までワクワクするし、時代背景を読み取れるし、シャーロッキアン的遊びはふんだんに散りばめてある。
このシリーズで邦訳、発行されているはずの、「霧の殺人鬼」「クリミアの亡霊」は、ついに見つけられなかった。いつかまた神田神保町のミステリー専門書店に行って探してみたい。
最後に、「名馬シルヴァー・ブレイズ」で、ホームズとグレゴリー警部が交わしたのは、こんな会話だ。
ホームズ
「あの夜(犯行の夜)の、飼い犬の奇妙な行動に注意すべきです。」
グレゴリー警部
「あの夜、犬は何もしませんでしたが?」
ホームズ
「それが奇妙なことなんですよ。」
どういう意味があるかは、作品を読んで下さい。いまや著作権も切れてるし、webで簡単に読めます。ああ楽しかった。没頭できた。
ロバート・L・フィッシュ
「シュロック・ホームズの冒険」
シャーロック・ホームズの、笑えるパロディ、として書かれてある。昭和44年であるから、1969年に日本で発行されたもの。神田神保町で買って、長らく読んでなかった。
シュロック・ホームズは、高名な名探偵である。その型破り、というかハチャメチャな発想で、結果はともかく、なぜか概ね問題を解決の方向へ導く。
まあ人気作だけあって、このような、ホームズをからかうようなパロディは連載中からあったらしいし、私のシャーロッキアン暦にも数多く見かけた。おそらくは、タイトルや原典作品中の要素のもじり、また、オチが結構思い切った感じのものも多く、さらに、ハチャメチャだがなぜか解決してしまうものも多いこと、などが、傑作として認められている理由だろう。
私はまあ、知識として置いておく分にはいいが、お笑いパロディはあんまり趣味ではない。今回、で、本筋は?と何がどう解決したのか分からなかったものもあったし、上記のファクターは認めるものの、ハイ過ぎるなホームズが、やはりもひとつだった。
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