2012年9月30日日曜日

9月書評

日曜日、台風17号が近畿近くを通過。我が家近辺でも、昼から夕方は雨風が強まった。タバコに外に行こうとしたが、道に出ようとした時、「ヒュウゥゥー!」という甲高い音が聞こえたため、反射的に玄関に駆け戻ったところ、目の前の道を激しい突風が通り抜けて行った。危険だった。

目の前の家は、雨除けのトタン屋根が飛ばされていた。風向きにも拠るが、マンションというのは、台風には強いと言える。家の中、ベランダともに平和であった。東京はテラスハウスだったから、台風のたびに自転車なんかが心配だった。

さて、嵐を呼ぶ今月書評?行ってみましょう。

藤波辰爾 長州力
「名勝負数え唄 俺たちの昭和プロレス」

私はかつてプロレスファンであった。社会人になって5年目くらいまでは観に行ってただろうか。しかしその後はさっぱりで今は特に興味が無い。

「ワールドプロレスリング」「全日本プロレス中継」をテレビで観てワクワクしていた世代には長州力の存在感は強烈で、入場曲「パワーホール」は耳に突き刺さった。そのライバル、猪木の後継者、藤波辰爾との対決を、かつて古館伊知郎は「名勝負数え唄」と呼んだのである。世は今から考えると信じられないくらいのプロレスブームだった。

エゴがぶつかり合う世界を40年生き抜いてきたライバルの2人が、自分の道と、当時の、史上空前のプロレスブームをそれぞれに語った一冊。今だから話せる多くの事が、ああそうだったのかと、思わせる。

北村薫「街の灯」

時は昭和7年の東京。良家の才気煥発な娘と、次の世代を育てたいと運転手になった別宮(べっく)女史が事件を解決していく。

第3弾「鷺と雪」が直木賞を受賞した「ベッキーさんシリーズ」の第1弾である。しかしまあ、その筆致で、北村薫は、いつも知的な世界に誘ってくれること。

時代考証とその設定、古き良きころの東京の、いわば写真的な描写や魅力的な登場人物と、心の動きは実に鮮烈だ。扱う謎は大も小ももひとつ感があるが、それをカバーして余りある緻密な筆の力。満足である。「私も自分を千里の馬を待てる器とは思えない」は、響くなあ。

北村薫「夜の蝉」

こちらは女子大生の「私」が主人公の、円紫さんシリーズで、推理作家協会賞受賞作。円紫さんは相変わらず神の視座に立ってる感が有るし、謎そのものも浅めな気がするが、事件が主題でなく、スパイスと思えば気にならない。女性と思われていた北村薫が正体を明かすきっかけとなった作品。

品が良く緻密で、底にあるテーマが響く。これ、推理作家協会賞というよりは、別の、通常の小説としての賞をあげたほうがいいのではないか。女子大生3人の関係も絶妙で清々しい。文学と落語がまた彩りと味を出している。好きな人ははまるだろう。私もはまりかけである。次はぜひ「空飛ぶ馬」も読んでみよう。

北村薫「玻璃の天」

もうここまでいくとキタムラ月か。ベッキーさんものは、ブックオフで、状態がいいのがあったので2冊とも購入した。シリーズ2冊目である。ベッキーさんの秘密も絡み、なかなかミステリーチックな、綺麗な出来となっていて、面白かった。戦前の日本を、殊更批判する気も無いが、明治維新からこの方、世相はなにかとあったんだなあ、という感じだ。

貫井徳郎「慟哭」

デビュー作である。1996年の作品。「ミハスの落日」の解説ページで、作品、経歴について詳述してあったことと、読書仲間が結構読んでいることが発覚し、読む気になった。

連続幼女誘拐殺人犯の話である。うーむ、貫井徳郎に独特の筆致があるのは認めるものの、ネタバレ感があるのと、どうも既存の警察小説のような臭さがあり、正直インパクトに欠けた。次は「乱反射」を探してみよう。

マンリー・W・ウェルマン&
ウェイド・ウェルマン
「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」

地球上に降り立ち、人類に向かって、強烈な攻撃を仕掛けてきた異星人に、シャーロック・ホームズが立ち向かう!

1980年発行の、その筋では有名なパロディである。ずっと欲しかったが、絶版なのであきらめていたところ、神田神保町のミステリー専門書店にあったので、喜び勇んで買って来た。コレクションのひとつである、「シャーロック・ホームズ対ドラキュラ」が、なかなか面白かったこともあり(笑)、楽しみに読んだ。

結果は・・こちらも面白かった!ホームズが宇宙に飛び出すハチャメチャなパロディまで予想していたのだが、そうではなく、シャーロッキアンをゾクゾクさせる、渋い仕掛けがいくつもあり、ホームズは、論理と知識と勇気を以って異星人に立ち向かう。時代考証もしっかりしているし、聖典=原版との絡みのみならず、ドイルの「ロスト・ワールド」という別の小説の主人公、チャレンジャー教授が生き生きと描かれている。加えて、さらにはH・G・ウェルズの「宇宙戦争」も濃く意識している。

だいたいパロディはアイリーン・アドラーが艶やかに出て来て、マイクロフトが重々しく登壇し、聖典との絡みも浅薄さを感じさせるものも多いのだが、今回はまさに渋くて、新境地を見た思いだった。満足である。ここのところそれで良しとしながらも、いくつかのパスティーシュの内容には不満を覚えていたので、面白くて良かった。

東野圭吾「聖女の救済」

東野圭吾では、ガリレオシリーズだけ読んでいる。前作「ガリレオの苦悩」は苦言を呈させてもらった。

そしてこの「聖女の救済」。面白かった。テーマは完全犯罪、である。イメージから極めて狡猾な女が完全犯罪を目論んだ、と思っていたが、暑苦しくも無く、捜査をせせら笑うようなあざとさも無かった。そう心掛けたのだろう。

また、前回登場した女性刑事が、福山雅治の曲を聴いている場面も出て来て、東野圭吾はプロだな、とほくそ笑んだ。難を言えば、殺害された男の、子供を求める心がもう一つ分からないし、女性の心と行動が不自然にも思える。あまり言うとネタバレするから遠慮するが、最後の畳み掛け方は面白さを味わえるものの、都合良すぎ感もあり、完全犯罪を行うことに対する感じ方もうーんだし、偶然に任せている部分も見受けられた。

さらに言えば、ガリレオ独特の科学的手法・・やめておこう。一読めは面白い。筆力もある。それは確かだ。

松谷みよ子「アカネちゃんとなみだの海」

最初はただの児童書かと思ったが、離婚や離れて暮らす父の死というショッキングなテーマについて、児童文学の手法で表現されており、こりゃ成人文学か、と少々驚いた。作者自身の身に起こったことになぞらえている。

正直、複雑である。左ウイングな思想が露わなことよりも、いや、だからか、こうもストレートに表現することにびっくりする。児童書の在り方に逆行していて、離婚に伴う子供の心情、悲しみに対して自分を正当化している、自己満足だ、と断定する事も出来るだろう。作者自身、書く事で自分が自由になった、というような事をあとがきに記している。

しかし、シングルマザーがこれだけ多い世界で、この手法にトライした事は斬新である、と言わざるを得ない。だからむしろ、成人文学では、と思ってしまうのだ。そちらで評価されるのはむしろ必然かと思う。実体験を通した、心の叫びだ。正直、子を持つ親として、片方の親が居なくなると、少なくとも子供が傷付くのは否めず、そんなことは可哀想で考えたく無いのだが、だから、作品として胸に突き刺さるのもまた事実。大人にこそ、一読をお薦めします。はい。

ロバート・B・パーカー「晩秋」

人気ハードボイルド、スペンサーシリーズ。以前、「初秋」を読んだが、「晩秋」はその続編。10年前に父母に疎んじられた息子、ポールを引き取り、男としての生き方を教えたスペンサー、25歳に成長したポールに、またしても母親絡みの、深刻なトラブルが起きた・・。

スペンサーシリーズは20作品以上出ているが、「初秋」は中でも最も売れた作品だという。2冊セットにして読むと「晩秋」は、大した名作だと思える。ポール母子、そしてスペンサーの情、ギャング親子の情がうまく絡み合っていて、味わい深い。もちろんお馴染みのスーザンや相棒ホークといった登場人物の活躍も見ものである。いやー楽しめた。楽しく9月は9作品。

年間60作品が目標だが、ここまでで50を突破。あと3カ月の間に、なにかしら衝撃を受けたい今日この頃だ。

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