2012年10月2日火曜日

理屈と郷愁

昔本読みの友人が言った。「映画は好きではない。映像よりも文章の方が描写力があるから」

私は芸術系映画も見ないでは無い。というか、一般的には数を見ている方だろう。過不足無く、出て来たものを関連付け、全て説明するもの、例えば、古くて恐縮だが、パトリス・ルコント「仕立て屋の恋」のようなもの、も有れば、逆に全てを説明せず、観客の想像力と感性に訴えるもの、こちらも例えば、イランのアボルファズル・ジャリリ監督の「少年と砂漠のカフェ」のようなもあり、また両者の中間のような作品もある。

観客の感性なり想像力にお任せするものは、時として、わけわからん、となりがちだ。ベネツィア映画祭で最高賞を取った、ロシアの「父帰る」とか、カンヌを獲った「息子の部屋」などがそうだろうと思う。

部分には気に入ったところもあったし、全体としてひとつの、ほんのりした印象が残ったなあ・・というのはむしろいい方だろう。

伊坂幸太郎「ラッシュライフ」を読むと、そんな感じがする。「砂漠」よりも芒様としている。大きなだまし絵的なオムニバス、だが、それぞれの話が結論まで行ってない。さらに作品を超えた、登場人物のクロスもあるそうである。そういった作家さんなのだろう。ひとつのジャンルなのかな、という気がする。

ただ、映像と文章では、それぞれの表現に違いが有るのは確かだ、と思う。

さて、最近は、隣の神社の森が美しく見える。季節柄が良くなって来たこともあろうが、木洩れ陽の中を歩いていると気持ちがいい。

人には、いくつか分岐点があり、仕事上では多いし、つくづく結婚というのは大きな分岐だと今更ながら思うし、さらに学生時代から振り返ると、小さな分岐は沢山あって、どこかで異なる方向へ進めば、まったく違う道もあっただろう。思えば遠くへ来たもんだ。きょうも、その日だった。少し忙しくなりそうだ。

夕焼け雲が綺麗だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿