きょうは、伊丹のこども文化科学館に行った。いつものように男2人、いつものようにコンビニパンめし。先日の昆虫館と経路はほぼ同じ。阪急伊丹からのバスが違うだけで、今度は空港方面に10分で到着。ちょうどプラネタリウムの時間だったので入る。お客さんは、10人くらい。世田谷教育センターもこんな感じだったなあ、と思いながら星空の世界に浸る。気分も気温も涼しくて快適だ。
終わった後は展望室でパン。さらに屋上があって、空港に隣接しているので、飛行機の離発着がよく見える。初夏の太陽に暑かったが、風が心地良かった。息子も面白がってはいたが、「高いとこ苦手やねん」と屋上にはあまり居なかった。
小さい施設だけれど、展示はそれなりに面白く、はやぶさのビデオには見入ってしまった。1、2階には幼児が遊ぶスペースがあり、息子はそこを気に入ったようで(笑)、帰って来てもママには、それを一番に報告していた。次は、日本標準時、JSTの明石の天文館に行きたいな。さて、空港で思い出した。
空港には、万が一オーバーランした時のために、滑走路の外側に緩衝地帯というのがある。ここは何も建てるわけにいかない場所だ。
確か小学6年の頃、あちこち出かけるのが好きだった私は、近所の友達を誘って、空港方面へ出かけた。
私の家からは上昇したり下降して行く飛行機がよく見えた。空港から確かにそうは遠くはなかったのだが、それも自動車ベースの話である。今の常識で言えばおそらく有り得ず、当時の常識で言っても、けっこうな遠出であった。しかも行くところが荒唐無稽。末の弟も着いて来た。
家から自転車で10分で最寄りの駅。駅をさらにずっとまっすぐ行ったら空港、という方向感覚だけはあったので、車が少なくない道を、ひたすら進んだ。おそらくゆうに1時間くらいはかかったはずである。まあその程度は、冒険に出かける男の子達のワクワク感の前には、大したものでは無かったのだろう。
空港の近くに来て、そこからが、我々の変わったところであった。緑豊かで広い緩衝地帯に入り込みーと言っても、まったく厳重なものではなく、誰でもガードレールを越えれば入れたーその小山のように土が盛られ草が生えている所に登り、そこで差し向かいに座って、家から持って来ていたポータブル将棋をしたのである。おそらく私が発案したのだと思うが、ゆっくりと緩衝地帯に居るための手段だったのだろう。頭の上の、澄み渡った青空には物凄い迫力で、大きな飛行機がひっきりなしに通る。弟は将棋には加わってなかったが、退屈せずに飛行機を見続けていた。
よく有る事で、その友達とは、同じ中学校に進んだものの、まったく仲良くはしなかった。ただ、あの時の、青空に大きな飛行機、という記憶は消える事がない。
考えてみれば、リトラクタブルライトを日本で初めて搭載した、マツダRX-7を見に、自転車2時間走らせて行ったり、中学になってからだが、厳寒の日に、地元の1055メートルある脊振山に自転車で登ろうとしたり(途中で自転車は置いたが山頂までは登れた・途中のダムまでは何度も登った)、かなり遠くへ行くのに地図も持たず、知らない道を通った方が面白いからと、わざと知ってる道を通らなかったりした。カーナビもケイタイもペットボトルもない時代に、無茶をしたものである。全部と言っていいくらい、言い出しっぺは私だった。弟や、友人や後輩がいつも着いて来た。田園風景や、山道を走るのは面白かった。なによりあのワクワク感は抑え難かった。いま振り返れば俺も、男の子してたんだなあと思う。
息子との次の冒険は、どうなるのか、やはり楽しみだ。
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