2020年4月19日日曜日

4月書評の4






東京都、金曜日、ついに感染者が200人を超えたが、土曜は181人、日曜日は107人。大幅に増えてはいない、と取るべきだろうと思う。ただ地方都市で感染者が急増しているという。

ひたすらステイホームしていて、毎日祈るような気持ちだ。やれやれ。

青空文庫で短編3つ。なかなかいい感じだ。長編は家では読みにくい。まあ長年電車読書だったからね。

加えて手持ちCDを聴き直している。内田光子とリリー・クラウスのモーツァルト弾き同士、またジネット・ヌブーとジャクリーヌ・デュ・プレ、悲劇のアーチスト。

ああ、そうだった、とお気に入り部分が自然と口笛に出る。いい時間だな。


◼️菊池寛「形」「身投げ救助業」


実は菊池寛、初読みかも。ふむふむ。超短編はいかにも知恵の回った小説的な作品。


菊池寛といえば「父帰る」、「恩讐のかなたに」、「真珠夫人」。いずれも未読。今回著作表のリストを見ていたら、意外に武士ものに題材を取っているものが多いな、という感想。


✳︎「形」

侍大将・中村新兵衛は「槍中村」として畿内中国に音に聞こえた武者だった。新兵衛が猩猩緋の服折(羽織)と唐冠纓金の兜をかぶって戦場に出ると、敵兵は尻込みをするのだった。ある日、主君の側腹の子どもが初陣で新兵衛の服折と兜をかぶりたい、と所望し新兵衛は貸し与える。服降りと兜は絶大な効果を発揮するが、いつもと勝手が違うことを悟る。そしてー。


自信にあふれた大将が気軽に若侍の求めに応じたが自分の「形」がどんなものか、その「形」を手放すとはどういうことなのかを思い知った時には・・という物語。


武士・合戦の話。ショートショートなみの短さ。なんか人生チックで納得感があるな・・取り返しがつかない状況になるのは、ある時点の選択がそれこそ人生を分けたり、ちょっとした油断が破滅を招くという考え方につながる。


ふむふむ、嫌いではない。


✳︎「身投げ救助業」


京都・琵琶湖疏水のそばに茶屋を営む女が住んでいた。身投げ者が飛び込む橋が近く、長い間に女は何十人もの人を助けた。府から報奨金も出た。老婆となった女は一人娘をかどわかされて貯金を持ち逃げされた。前途に絶望した老婆はー。


という話。どこかで読んだ作品に似ている。芥川っぽいといえばそう。なんだろう。中島敦にも少し似てるかな。小説っぽくて因果で面白い。


短く書くとそれまでだが、京都疎水、京都の地理、老婆の心持ちと生活などが少しずつ描かれている。なぜ救助するようになったか、もそうだよなあ、と思う。気弱と書いてあるが、決してそうではなかろう。


こちらの書評に触発されて読んでみたが、こうして短編に触れるのもいいものだ。菊池寛といえば文藝春秋を作った人で実業家のイメージがあった。直木賞、芥川賞を「商売のための賞」と言ったとか言わないとかどこかで読んだが、蓋し名言だと思う。


もう少し、読みたくなるかな。父帰る、って長かったんだっけ。


◼️芥川龍之介「南京の基督」


芥川で読みもらしていた作品。短編小説らしい感覚が良い。


だいぶ前に富田靖子主演で映画化されたな、という記憶があるが、なぜかこれまで行き合わなかった。


宋金花は十五歳にして私窩子(売春婦)として自分の部屋で客を取っていた。ある日本人が金花の元を訪れ、翡翠の耳飾りを与える。


やがて梅毒に侵された金花は娼婦仲間から「客にうつせば治る」と聞くが、十字架に架かったキリストを前に、客を取らないことを誓う。


ある日金花の部屋に酒に酔った外国人が入ってくる。西洋人か東洋人かもよく分からない男は金額交渉を始め、金花は断り続ける。しかし男が十字架のキリストに生き写しなのを悟った金花はー。


翌年の春、翡翠の耳飾りを与えた日本人が再び部屋を訪れた時、金花の梅毒は治っていた。金花はキリストが彼女の病気を癒した不思議な体験を話す。


しかし日本人は真実を知っていた。そして、そのことを金花に告げたほうがいいものか迷うー。


黒いイメージの中の丁寧な描写、キリスト教、そして皮肉で人間らしい成り行きと、芥川らしいと思わせる物語。なんか来るなあ。ずるいくらい良くできている、と思ってしまう。王朝ものの匂いがする。


芥川は1892年の生まれで、「羅生門」を書いたのが1915年、23歳の年、翌年の「鼻」が夏目漱石に絶賛された。この作品は1920年。「杜子春」と同年、映画「羅生門」のモデル小説となった「藪の中」の2年前。絶頂時と言っていいのかも知れない。


著作リストを見ていると、私の好きな「蜜柑」、「舞踏会」も近い。うーん、やはりシンプルである意味へんてこで黒くカッコいい芥川には妙な親近感が湧く。


この作品でも芥川色を存分に味わえて、読んでよかった、と思った。

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