2020年4月30日木曜日

4月書評の7





手ブレしたからかえって感じが良くなった、クッキーの写真。体重が増えてお医者さんに叱られたので、ここのところ朝から1時間、たったか歩く散歩を課している、が相変わらずボテっとして重い。うーむ。

春の終わり、初夏の始まりの山は花が多くて歩きがいがある時期。

4月30日は去年、平成最後の日だったのね。私は郷里の背振山に登ってた。

コロナは、東京で40人台、大阪20人台。北海道で東京と同じくらいと、感染者数が高くなっている。まだまだ油断できず、5月6日以降の緊急事態宣言延長は不可避だ。しかしいつの解除になることやら。夏になって気温が上がればだいじょぶなんじゃない?という人もいるが、ゼロになるなんて有り得ない気もする。

2つ。なんか9月入学制への変更議論がホット。でも4月入学が日本らしくて好きでもある正直。制度と風習は違うから別にいいんだけどね。いまどさくさでやることじゃない。だいたい9月から学校できるのか?が最優先です。

もひとつ。PCR検査を増やす派とそうでない派の議論がいまだに決着してないように見える。医療従事者さんには心から敬意を表するし感謝している。でもそれとは別に本音が。

「何ヶ月議論すれば気がすむの?緊急事態なんでしょ?」

さっさと決めてほしい。遅すぎ。


◼️樋口裕一「自分クリエイト力」


メッセージ性の強い、自分の表し方、創り方、そのもととなる考え方について述べた本。ストレートにぶつかってくる。


もとは予備校の小論文のカリスマ講師で「頭がいい人、悪い人の話し方」がベストセラーになった著者が、わが身を振り返りながら、こう考えるべきだ、と諭していく作品。


自分は固定のものではなく、創造していけるものという前提のもとに、「自分の性格は自分で選んできた」、「なぜ『人は分かってくれない』と思うのか」などと細かい項目ごとに、とつとつと話をしていく。


自分の立ち位置を定める、意識してサインを出して、見せる自分をつくる、実績を積み上げて夢を実現する、人間関係をクリエイトする、など大テーマの章立てて進めていく。


自分を創る、クリエイトする、この論で展開されているのは抜け目なく大人の処世術をしましょう、ということにも近い。「プライドを捨て、社会的役割を演じる」とか「謙虚でいい顔、は二回まで」、「人によって態度や言葉を使い分ける」などはその最たるもの。


その一方でありがちな考え方で自分を甘やかさない、ということも伝えている。「『ありのまま』は努力の否定」とか「不平不満を抱える理由」、「『何とかなる』ではクリエイトできない」といった項目では強い戒めを発している。


やはり人は自分の見積もりは甘くなる、というのは実感で、自分に厳しく、というのは心がけているつもりだけれど、やっばり甘くなる(笑)。この本に書かれているように自分をコントロールして意識してサインを出せるようになりたい、と思った。


この方は年間30回くらい講演をするそうで、自分の生き方を話すと驚かれたり、感心されたり、といったことが多いので、本にしてまとめてみたとのこと。


図書館の無料配布会で見かけて貰って帰り、長いこと寝かしていた本でようやく積ん読解消できた。


正直最初はあまり年の変わらない兄にでも説教されているようで、理屈とは別にちょっとマイナスの感情が湧いたが、次第にこうできればいいな、スキを作るな、という方に傾いた。たまには良かったかな。

2020年4月26日日曜日

4月書評の6







右からフェルメール「真珠の耳飾りの少女」
ミュシャ「ジスモンダ」
川端康成記念館で買った「雪国」イメージ絵葉書
手前田中一村の「初夏の海にアカショウビン」

下はモネですな。

東京都のきょうは72人。日曜日月曜日は少ないことが多いが、鈍化している、と思う。次の火曜水曜あたりの人数がポイントかな。

こないだ歯医者の定期検診をキャンセル。報道でも緊急性がない受診は、とあったし確かに危険だわな。ここのとこなければ死ぬか、とかいう基準でものを考えるから、それなりに行動がシンプルにはなる。祈って、自制する。

中学校体育館の生垣、トキワマンサクのピンクの花と赤い茎が映えてきれいだ。

◼️白石一文「一瞬の光」


なにもかも兼ね備えた美人をふって運命の女に寄り添う。様々な捉え方ができる長い話。時間がかかった。


日本を代表する企業に勤め、30代でありながら社長に目を掛けられている超エリートの橋田浩介は呑んだバーに人事面接で落とした中平香折がバーテンダーでいるのを見かける。帰り際、バーのマスターと揉めている香折を助けた橋田は、成り行きで彼女を家に連れ帰る。


香折には、壮絶な虐待の過去と後遺症、現実の危険があった。橋田は社長の義理の姪、瑠衣と付き合っている、また香折にも彼氏はいたが、香折の面倒を見ることをやめられない。橋田の仕事は政界、国策とも結びついていたがインドネシアのODAに絡む案件で、暗雲が漂ってくるー。


2001年の作品。学歴も最高、大企業の社長付、政財界にも関係を作っていて、高い馴染みの店があり、そこの女たちは社長や上司の愛人。社長の血縁の美人で優秀、優しく家庭的な女性と深く付き合っているハンサムなスーパーエリートの男・・完璧な主人公とひどい虐待を受け、精神的にダメージの深い、若い無垢な女。


仕事と人生と恋愛、また社会情勢、先の大戦の影響までもを考えるハードボイルド風味の小説だ。


白石一文は恋愛もの、というイメージが強く、実際直木賞の受賞作「ほかならぬ人へ」は大人の良い恋愛小説なのだと思っている。


しかし社会的メッセージを強く発してくるような、まったく毛色の違う作品もあり、「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」などは読了後、このままではいけない、なんて思ってしまったほど。ちなみに格差社会の小説だった。


「一瞬の光」は白石ファンに一つこれといえば?と訊いた際に挙がったもので、聞いてから5年後くらいにようやく読めた。ハードな虐待、日本トップのエリート社会で起きた悲劇とを織り合わせ、さらに何不自由ない恋愛で足りないもの、という複数の要素が、読む者の心を抉り、考えさせる。上手なエンタテインメントになっている。


ふむふむ、なるほど、と感心。強気さがちょっと鼻についた気もするし、序盤ちょっとたるく、無理があるようにも思えたが、中盤以降はするする読めた。


積ん読また一つ解消しました〜。


◼️菊池寛「恩讐の彼方に」


まったく知らなかったが、九州のみなさん、青の洞門の話です。


青の洞門、というのは大分・中津の名所で私の住んでいた福岡からは日帰りのドライブコース。もちろん行ったが当時は由来とか菊池寛なんてまったく知らなかったし、自然の造形を楽しむところだと思い込んでいた。


名門武家の奴僕・市九郎は主人の寵妾に手を出し、斬りかかってきた主人を返り討ちにして女と逐電する。峠の茶屋を営む傍ら、年に数度、裕福な旅人を殺し金品を奪っていた2人だったが、市九郎はある時、若い豪農夫婦を殺したこと、戦利品について女から詰られたことなどがきっかけで暮らしを捨て放浪の雲水となる。各地で罪を償うための活動をしていた市九郎あらため了海。九州で絶壁の切り立つ山の鎖の橋で落ちた犠牲者を見て、単独で岩盤を貫くトンネルを掘り始める。長い間専心し、村人たちも手伝うようになっていた。そこへ父の仇を探していたかつての主人の息子が現れるー。


青の洞門は江戸時代に諸国を遍歴していた禅海という僧が、やはり鎖の橋の難所で渡る者が命を落とすのを見て、30年かけてトンネルを掘り抜いたもの。名勝とされる耶馬渓にある。「青」はかつての一帯の地名らしい。


「恩讐の彼方に」はこの禅海のエピソードに主役の僧にドラマを創作したものである。恩讐、おんとあだ、最後に長年の歳月を経て仇が現れるところがいかにも創作物らしい。


難しい漢字、言葉が多く調べつつ読んだ。このへん、同時代の文人に似通ったものがある。やはりこの方も漢文の影響を受けているようでもあり、古典的な話に材料を取るのは時代的な流れを感じさせて興味深い。


菊池寛はこの作品の直後、新聞に連載した「真珠夫人」が読者を捉え、一躍人気作家となった。こちらは長いし本で読みたいかな。短編を青空文庫で・・というのも気に入ってるのでまた読むかも。


4月書評の5







上からシャガにボケ。寒い日もあるけれど、だんだん気温は上がってきて、春の花がどんどん咲いている。一方まだ桜も残っていたりする。

コロナによる在宅は長引いている分慣れてきて生活リズムも出来てきた。毎日犬の散歩に行って筋トレして、数日に一度自分の運動のための長い散歩をして・・、たまに息子の昼食を作りなにこれと世話をする。

ま、イライラしないことが大事かなと。

◼️菊池寛「父帰る」


極上の原酒、かも知れないなと。話そのものはかなりシンプル。


1917年の戯曲。セットが指定され、台詞で進んでいく脚本となっている。発表当時は目立たなかったが、芝居か演じられると大評判となったらしい。


長兄の賢一郎、弟の新二郎、そして末っ子のおたねはそれぞれ成人して仕事を持ち、母のおたかと暮らしている。そこへ、20年前家庭を捨てて女と出奔した父が落ちぶれて帰ってくる。それまで父の悪口を言っていた母や、ほとんど父の記憶がない弟妹は喜ぶが、貧困の中苦労した長兄は父を許さず、父は出て行く。しかし・・


私はこの話の父帰るは芝居も映画も観たことがない。でも考えるところはあった。そこかしこに味はあるが、話としてはシンプルでかなり短い。これを台本通りになぞっているだけでは興行芝居や映画としては成り立たない。必ず創作部分が入る、それはすなわち父が出て行った後、この家族や父に何があったかを自由に想像でき、原作にないその味つけが成否を握っているということだ。つまり後は腕で勝負、の原作として光を放った作品なんだろうな、と思った。


エッセンスだけを取り出し、それが真っ当な反応、と思わせるものがある。妻おたかの悦びだったり、弟や妹の、まだ見ぬ父性への憧れだったり、老いに対する想いであったりする。


私の文芸師匠が、愛というものをバラバラにした時、破片どうしが呼び合うのはやはり血縁のつながりではないか、と書評で書いたのを読んだことがある。「父帰る」はそんな物語だ。


ここからは余談です。


昔、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を取ったロシア映画の「父、帰る」というのを観に行った。現代の家庭の妻と2人の息子のところへ、精悍な父が帰ってくる。中学生くらいの息子たちは父の記憶がなく、さまざまな想像を巡らす。なぜか母は悲しんでいる。父は2人をドライブ旅行に連れ出す。父はすごく強い上になぜか銃まで持っている。


しかし、謎が全く解けないうちに父は死んでしまう。そのまま終。えーっ。私も少なくない外国映画を観ているが、興味深い要素はありながら、わけわかんなかった。パンフの監督インタビューでは、「これは芸術だ」と言い切ってらした。なんかベネチアってちょっと変わってるという印象。


んで、それを観たらしい現代文壇のトップランナーの1人である作家さんが「そうか、全部説明しなくともいいんだ」と思った、というようなことを書いていたので、それはそうだが、エウレカを得る材料と手本が間違ってるかも、と心中で激しく突っ込んだ覚えがある。


日本の「父帰る」を参考にしたのかどうかは忘れた。パンフ創作してみよう。この設定上ミステリアスな部分が魅力のひとつ、という点で共通しているかなと。原作に含むものが多ければ、展開の方法は多いということ、かと思う。



◼️三島由紀夫「美しい星」


親子4人の家族は太陽系惑星人だった?

画期的なディスカッション小説、だそうだ。読むのホネだったな本。


フルシチョフが水爆実験を行った。遠からずアメリカもまた核実験に踏み切るだろう、という世界情勢の中、人類について考えた作品。三島は頭が良すぎて、わけわからん状態も多いが、まあ最たるものかもしれない。


大杉重一郎は、ある日飛来した円盤に遭遇し、自分は火星人だと確信を得る。同様の体験をした重一郎の妻・伊余子は木星人、息子の一雄は水星人、娘の暁子は金星人として自覚、覚醒する。重一郎一家はフルシチョフに核の放棄を願う手紙を出し、宇宙友朋会を結成、講演活動は大盛況となる。一方、仙台には、人類を滅亡させるために白鳥座六十一番星あたりの未知の惑星から来たと信じる大学助教授、羽黒らがいたー。


一雄は比較的冷静で、政治家の黒木に近づき、秘書となって家を出る。暁子は金沢へ同じ金星人と思しき竹宮と会いに行き、やがて妊娠する。黒木が羽黒と結びついたり、重一郎の身辺を警察がかぎまわったり、羽黒一派にそれぞれ鬱屈したりものがあったりと社会的、それと戯曲的な趣がある。


人類を救いたいという希望を抱く重一郎の活動を苦々しく思っていた羽黒らは直談判する。ここがかなり長くてとても観念的というか、ディスカッション小説と言われる所以であろうが・・てな感じだった。


三島の作品の中でも異色とのこと。星系は好きだし、時代状況も終末思想が出てもおかしくないかも知れず、小説の中で思索を深める試みは例がないわけではなく、一つの形かも知れない。学生の間では行われた論争に似てるのかも。でも三島がこれやると「くどいなあ」とちょっとばかり辟易したのもまた確かだった。


姉が書店のフェアで川端康成「眠れる美女」を買って「小説の方もわけわかめだったけど、三島由紀夫の解説がまたいっちょんわからんっちゃん!」と言ってたのを思い出した。

2020年4月19日日曜日

4月書評の4






東京都、金曜日、ついに感染者が200人を超えたが、土曜は181人、日曜日は107人。大幅に増えてはいない、と取るべきだろうと思う。ただ地方都市で感染者が急増しているという。

ひたすらステイホームしていて、毎日祈るような気持ちだ。やれやれ。

青空文庫で短編3つ。なかなかいい感じだ。長編は家では読みにくい。まあ長年電車読書だったからね。

加えて手持ちCDを聴き直している。内田光子とリリー・クラウスのモーツァルト弾き同士、またジネット・ヌブーとジャクリーヌ・デュ・プレ、悲劇のアーチスト。

ああ、そうだった、とお気に入り部分が自然と口笛に出る。いい時間だな。


◼️菊池寛「形」「身投げ救助業」


実は菊池寛、初読みかも。ふむふむ。超短編はいかにも知恵の回った小説的な作品。


菊池寛といえば「父帰る」、「恩讐のかなたに」、「真珠夫人」。いずれも未読。今回著作表のリストを見ていたら、意外に武士ものに題材を取っているものが多いな、という感想。


✳︎「形」

侍大将・中村新兵衛は「槍中村」として畿内中国に音に聞こえた武者だった。新兵衛が猩猩緋の服折(羽織)と唐冠纓金の兜をかぶって戦場に出ると、敵兵は尻込みをするのだった。ある日、主君の側腹の子どもが初陣で新兵衛の服折と兜をかぶりたい、と所望し新兵衛は貸し与える。服降りと兜は絶大な効果を発揮するが、いつもと勝手が違うことを悟る。そしてー。


自信にあふれた大将が気軽に若侍の求めに応じたが自分の「形」がどんなものか、その「形」を手放すとはどういうことなのかを思い知った時には・・という物語。


武士・合戦の話。ショートショートなみの短さ。なんか人生チックで納得感があるな・・取り返しがつかない状況になるのは、ある時点の選択がそれこそ人生を分けたり、ちょっとした油断が破滅を招くという考え方につながる。


ふむふむ、嫌いではない。


✳︎「身投げ救助業」


京都・琵琶湖疏水のそばに茶屋を営む女が住んでいた。身投げ者が飛び込む橋が近く、長い間に女は何十人もの人を助けた。府から報奨金も出た。老婆となった女は一人娘をかどわかされて貯金を持ち逃げされた。前途に絶望した老婆はー。


という話。どこかで読んだ作品に似ている。芥川っぽいといえばそう。なんだろう。中島敦にも少し似てるかな。小説っぽくて因果で面白い。


短く書くとそれまでだが、京都疎水、京都の地理、老婆の心持ちと生活などが少しずつ描かれている。なぜ救助するようになったか、もそうだよなあ、と思う。気弱と書いてあるが、決してそうではなかろう。


こちらの書評に触発されて読んでみたが、こうして短編に触れるのもいいものだ。菊池寛といえば文藝春秋を作った人で実業家のイメージがあった。直木賞、芥川賞を「商売のための賞」と言ったとか言わないとかどこかで読んだが、蓋し名言だと思う。


もう少し、読みたくなるかな。父帰る、って長かったんだっけ。


◼️芥川龍之介「南京の基督」


芥川で読みもらしていた作品。短編小説らしい感覚が良い。


だいぶ前に富田靖子主演で映画化されたな、という記憶があるが、なぜかこれまで行き合わなかった。


宋金花は十五歳にして私窩子(売春婦)として自分の部屋で客を取っていた。ある日本人が金花の元を訪れ、翡翠の耳飾りを与える。


やがて梅毒に侵された金花は娼婦仲間から「客にうつせば治る」と聞くが、十字架に架かったキリストを前に、客を取らないことを誓う。


ある日金花の部屋に酒に酔った外国人が入ってくる。西洋人か東洋人かもよく分からない男は金額交渉を始め、金花は断り続ける。しかし男が十字架のキリストに生き写しなのを悟った金花はー。


翌年の春、翡翠の耳飾りを与えた日本人が再び部屋を訪れた時、金花の梅毒は治っていた。金花はキリストが彼女の病気を癒した不思議な体験を話す。


しかし日本人は真実を知っていた。そして、そのことを金花に告げたほうがいいものか迷うー。


黒いイメージの中の丁寧な描写、キリスト教、そして皮肉で人間らしい成り行きと、芥川らしいと思わせる物語。なんか来るなあ。ずるいくらい良くできている、と思ってしまう。王朝ものの匂いがする。


芥川は1892年の生まれで、「羅生門」を書いたのが1915年、23歳の年、翌年の「鼻」が夏目漱石に絶賛された。この作品は1920年。「杜子春」と同年、映画「羅生門」のモデル小説となった「藪の中」の2年前。絶頂時と言っていいのかも知れない。


著作リストを見ていると、私の好きな「蜜柑」、「舞踏会」も近い。うーん、やはりシンプルである意味へんてこで黒くカッコいい芥川には妙な親近感が湧く。


この作品でも芥川色を存分に味わえて、読んでよかった、と思った。

4月書評の3






雨風が去って晴れた平日、5日に1度の足腰強化で山を下ってまた登る。桜並木の道は花がいま散らんとするところできれいだった。地元は桜の名所なので、ことさら花見に行こうというのが気はまったくない。ただ桜は盛りより散るのが美しいと思う。

家で過ごすのもまる2週間。夕方に30分ほど犬の散歩をするがその他はステイホーム。慣れてきた。不自由は特にない。がんばらんばー。

◼️森絵都「永遠の出口」


コミカルでどこか平板な中、いろいろ思い出したり。小学生から高校卒業まで。著者が自分の時代をなぞった小説と思われる作品。


森絵都はけっこう読んでいる。やはり児童小説が好きで「宇宙のみなしご」はなかなかいい。これは1968年生まれの著者が自分の時代にドラマをつけていく。大げさな話はないが、なんというか、自分の学校時代をほんのりと振り返ることができる。


全体は九章の連作短編で三章で小学校卒業、続く四章五章はなんか変な展開でぐれて外泊、万引きまでする。六章の家族旅行はまた意外な展開でコミカル。ここで潮目が変わり高校時代で最後まで。落ち着いた高校時代は七章でアルバイト、八章で初恋、九章で卒業。全体として可愛らしいがエピローグでもどうもまっすぐに道を歩いてなくてだらしなさめだ。うーむ。


この小説の良さは、コミカルな中にあの頃、を思い出す表現が多いことだろう。


中学はその時代の地方に例に漏れずツッパリが幅を効かせていてそれなりに緊張感のある日々だった。


隣の女子バスケ部によく声をかけてくれるせキャプテンの先輩がいた。私がバスケ部と掛け持ちしていた書道部の文化祭展示で座っていると押しかけてきて一つの椅子に一緒に座ろうとする。ツッパリたちと体育祭の応援団なんかやってて、頼もし系みんなに気さくな姉御っぽかったのが、高校の試合で見かけた時はかわいらしい系になっててなんとなくマイナスめの意外に思った、とかいうほんのりした思い出もこの物語のテイストに合うなと思ったり。


小学生の時の冒険もなんかあの頃の青いワクワク感を思い出す。


ぐれる過程がどうも突飛だったりするが、繊細ながらも幼くかわいらしい主人公・紀子の姿を丹念に描いている。ただなんか顔が見えないような気もしたかな。


◼️垣谷美雨「七十歳死亡法案、可決」

 

過激なタイトル、柔らかな着地。ifものでラノベ風味だが、塩梅が上手だな、と。


極端な設定は著者の得意技で、ドラマにもなった「結婚相手は抽選で」は読んだ。設定により訪れる社会状況を現出し、ミクロなサンプルを柔らかく掘り下げていくのは好ましいと思う。


今回は寝たきりの老人介護と、いわゆる「嫁」の解放がテーマだ。法案は軸になっているが、本質はそこではない、と思った。


東洋子(とよこ)は55歳の主婦で、寝たきりの姑の世話をしている。家庭の仕事は自分とは関係ないと思い込んでいる夫、いつまでも再就職しない息子、家を出て働いている娘、あれこれ言って親の面倒を見ようとしない夫のきょうだい。そして我が儘で不遜な当の姑。世の中では与党が、人は70歳になったら安楽死、という法案を強行採決で通し、実施まであと2年に迫っていたー。


いささか古いと思える家庭が出て、きまじめで我慢を強いられ受け入れている東洋子の姿が描かれる。やがてキレて家出するのだが、そこで、東洋子を含めて皆の意識が変わっていくのが面白み。また現代の介護の知識が散らされているのもよい啓発だな、と思わせる。


ライトノベルの流れなのだが、特に最初の方は姑のシモの世話、などもリアルに描かれていて重い。終盤はトントコトントコ、いい方に話が進む。


社会問題を題材に、突飛な設定をして、柔らかく落としていく手法は嫌いではない。上手く展開してるなと思う。


ちょっと東洋子の受け身すぎるところに違和感を覚えるし、話がよく転がりすぎるのには考えてしまう。


しかし、東洋子、息子の元エリート正樹、娘の桃佳、時に姑の菊乃、それぞれの目線で物語が進む、その振り分け方は上手で物語のつなぎ部分はかなり気を遣っているようにも見受けられる。介護の最前線の知識にはへえ、と感じさせるものかあった。


長い間積んでた本。面白く読めた。



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2020年4月15日水曜日

4月書評の2





足腰が弱る、ということで自宅のある山を降りて登った。つかの間の、春の良い気候。GWにはもう暑くなる。

コロナの感染者は東京で127人。大幅な増加はない。外出自粛が効果を表したと言えるかも、だったらいいな、という感じだ。大阪は74人で、さほど減っていないが拡大はしていない。兵庫は20人。せめてひとケタにならんかな・・。福岡ではクラスターが次々発生していて、総感染者は兵庫に迫っている。

希望が光として繋がりますように。

◼️中野京子

「名画で読み解く ロマノフ家  12の物語」


あまりなじみがないロシア絵画で1冊か、とちょっと不安を感じつつ読み始めたが、これが面白くてハマってしまった。エリザヴェータ、エカテリーナ、女帝が逞しい。


なにが面白かったかというと、ロシア史である。タイトル通りロマノフ王朝300年の歴史をその時代の絵で12章に亘りなぞっている。やはり時の皇帝の絵が多い。


時は1613年、ミハイル・ロマノフの戴冠により始まったロマノフ王朝は中央集権化に加え、2代目のアレクセイの時、ロシア正教の形を整えるため些細なことまでこだわり、ために多くの人々を弾圧・処刑する。教会の権威をも封じ込めた王朝には反感が渦巻いていた。


後継者争いを勝ち抜いた2メートル超の大男、ピョートル1世が単独統治を始めたのは1696年。ヨーロッパ先進国の視察を経たピョートルは自国の立ち遅れと、保守勢力と結びついたモスクワを憎み、新首都サンクト=ペテルブルクを建設する。長い手足で視察する絵が印象的だ。ピョートルは晩年、娼婦出身のマルタを妃とする。マルタはピョートルの死後エカテリーナ1世として即位する。なんかこのへん、アメリカン・ドリームみたいというか混乱のロシアらしいというか(笑)。


マルタは程なく死に、12人の子どものうち、生き残ったエリザヴェータは政治の混乱の中、自分に人気が傾いたのを見て、満を持してクーデターを起こして王座に就く。1741年、32歳。蝶よ花よで育てられ、父親譲りの長身にぽっちゃりとして女性的な魅力と自信を湛えたエリザヴェータ50歳の肖像画は印象的だ。


優雅な立ち居振る舞い、フランス語を身に付けたエリザヴェータはしかし若い頃ルイ15世との結婚を画策したが、二流国の姫と見られ相手にされなかったという屈辱を味わった。逆に当時ヨーロッパの先進国の実力者の妻になっていれば独身の強力な女帝はいなかったというのも興味深い。


七年戦争ではそのルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人と、オーストリアのマリア・テレジアと3人で組んだ「ペチコート作戦」でプロイセンのフリードリヒ大王を追い詰めたエリザヴェータ。


そのエリザヴェータが後継者、亡き姉の息子でのちのピョートル3世の妻にと選んだのがドイツの貧しい小貴族の娘・ゾフィだった。頭脳明晰なゾフィは、この千載一遇のチャンスを生かさんとエリザヴェータに従い、長い間をかけて軍人や臣下と信頼関係を作り、エリザヴェータの急死を受けて夫が戴冠するとわずか半年で夫を排除・殺害し エカテリーナ2世、大帝として35年に渡り絶対君主となる。


一昨年、神戸でエルミタージュ美術館展があったので観に行った。内容ははっきり言ってロシア美術ではなくルーベンスやブリューゲル、ティツィアーノら諸外国絵画のコレクションだったのだが、この本にもあるエカテリーナ2世の肖像画がドドーンと看板になっていた。いやあ〜、一筋縄ではいかなそうな女帝だなあと思った記憶がある。そしてそれは当たっていたのが今回分かった。


王冠、宝珠、王笏は豪華な宝石に飾られている。王笏の先に装着された200カラットのダイヤモンドは「オルロフのダイアモンド」と呼ばれクレムリン博物館に所蔵されている。堂々として豪華、余裕と赫々たる光栄にあふれている。エルミタージュ美術館の財宝はエカテリーナ2世が多くを買い集めた。


またエカテリーナ2世はエリザヴェータの娘、皇女を名乗った美女タカラノーヴァを拉致監禁する。このタカラノーヴァが監禁先で洪水に遭い、迫り来る水に絶望の表情を見せてい「皇女タカラノーヴァ」という絵は人気で、ソ連時代には切手にもなったそうだ。たしかに強烈で、記憶に残る作品だ。


さて、時代はフランス革命からナポレオン時代を経て、クリミア戦争では産業革命の遅れから後進国ぶりをさらけ出し、工業国化を急ぐ。やがて世界最大の軍事力を備えるようになるが楽勝と見た日露戦争で敗戦。日本で巡査に切りかかられたニコライ2世を最後にロマノフ王朝は滅びるー。


ロシアから見たヨーロッパ近代史、またロシアの歴史そのものはなかなか新鮮で面白かった。今回はやはり、2人の女帝がMVPだな。ロシアに留学、宗教画の修行をした女流画家、山下りんのイコンも記憶に残るきれいさ。



「怖い絵」シリーズが人気となり売れっ子の中野京子氏の本。「美貌のひと 歴史に名を刻んだ顔」を借りて読んだことがある。こちらも人に薦められてお借りした。このシリーズはハプスブルク家とブルボン家があるらしい。探してみる気になる。



◼️真藤順丈「宝島」


あきさみよう!大変な力作の直木賞。混沌の中、沖縄の登場人物たちの言動はどこかかわいらしい。


2018年下半期の直木賞受賞作。下半期は発表が翌年の年明け、20191月なのでまだつい最近、という心地もある。ちなみにこの回には深緑野分「ベルリンは晴れているか」森見登美彦「熱帯」もノミネートされている。


正直聞いたことのない作家さん、しかし佳作と聞く作品たちの中で受賞したという、評価の高い沖縄ものとはどんなもんだろうと読み始めた。


戦果アギヤー、沖縄の米軍基地から物資を盗む者たちの中に、コザでは知らぬものがないオンちゃんという英雄がいた。盗った食料を分け与えたり、物資で小学校を建てたりした。ある時他の地域の者たちも参加した、常にはなく大掛かりな潜入を嘉手納基地で行うが失敗、オンちゃんは行方不明となる。オンちゃんと幼なじみで戦果アギヤーのグスクと実弟のレイ、恋人のヤマコはそれぞれにオンちゃんを捜す日々を送るー。


まず注目すべきは作品の語り口の雰囲気だ。血生臭かったり陰湿悲惨だったり、冗談ではなく危険な場面もありながら、軽妙な天の声、また「あひゃあ」などどこか間の抜けた、柔らかい言い方、方言をふんだんに使ったセリフまわしなどが物語の背骨を貫いている。「あきさみよう」とは英語の「Oh  my  God」と似たような言葉らしい。あれまあ、驚いた、すごい!、なんてこったい、などなど。「アキサミヨー」でなくひらがなで表記したことで言葉そのものに憂愁を帯びさせている。


触れれば切れそうなレイはまた大事な役割として、有能な警察官として芯になっていくグスクや住民運動の核に近い位置にいるヤマコの人間くさく、ちょっとクスッとなるほどの奮闘も醸成される雰囲気を助長している。アメリカ人相手の店の女給で、男にはだらしがなさめだが情に厚く浮き沈みの激しいチバナも面白い。


さて、ストーリーを取り巻く雰囲気を先に紹介したが、題材として戦後沖縄の情勢が丹念に追われている。アメリカ兵による犯罪の増加、治外法権的状況、大規模な事故、本土復帰運動の高まり、その失望とベトナム戦争、そしてクライマックスのコザ暴動。その中をグスクやヤマコ、浮浪児出身のウタらが、沖縄史に残る人々とも触れ合いながら活躍する。


もう一方、ウタキの神秘的に感じる落ち着きと奥深さを有効に取り入れている。また洞窟(ガマ)の不穏な黒い、しかしどこかに光があるようなイメージも滲み入ってくる。


たくさんの雑多なオブジェクションは小説を読みながらもでこぼこで時に大きな岩が切り立つ山道をひたすら登っているかのようだ。顔には烈風に吹き飛ばされた石つぶてが当たる。その中を伝説の戦果アギヤーの影が揺れ動く。生きているのか・・?


小説が取り上げているものとして、目を逸らしてはいけないと感じさせるものは多々あるだろう。私はそれと、個人的な読んだ際の評価はまた別と考えるが、大きなベースに訴える力が強くあるのは充分に効いている。そこへ持ってきて、柔らかくどこか楽天的な、だから厭世的にも見える文調との噛み合わせが絶妙だと言える。


まぎれもない力作、しかし、濃すぎるからか、なかなか読み進められなかった。まあコロナ騒動で生活が少し変わった時期にも当たっていたのだが、一気読みの感じはなかった。


お気に入りの言葉は鬼ごっこを意味する「カチミンソーリー」。米軍と戦果アギヤーとの追っかけっこ、捕物のこっけいさ加減を強調したりしている。ソーリーが入っているのでスラングがと思っていたが方言のようだ。


まさにあきさみよう、な作品。映画にならないかな。



2020年4月13日月曜日

4月書評の1






先週の書き付けには東京都の新たな感染者は89人とある。おとといは190人台、200人近くになった。かなり危機的な状況。ただ一気に180人台まで増えてからここ数日では極端な増加はない。きのうは166人だった。雨の土曜日だから油断はならないが。大阪も先週の東京くらいになった。わが兵庫はきのうは17人、その前は40人台。日によって増減があるがベースは上がっている。

めまぐるしい1週間。先週火曜日、4月7日に緊急事態宣言が出され、会社は出勤停止になった。自宅に引きこもるようになって感染者が倍増し、帰ってもう外に出たくなくなっているが、3日に1回は買い物その他に行かなければならない。

人の往来が減らない、まだ出社している人が多いから、政府も強めの表現をするようだ。しかしスーパーを始め出なければいけない方も多く、自分で実感したが、テレワークの設備が整っていない会社もある。画一的にもっとテレワークしろ、と言われても、と思う。

いま心がけているのは、生活のペースを出来るだけ崩さないこと。早起きして3食食べる。長丁場だし。あと、イライラしないこと、だ。

自宅にいるのも悪くないって感じかな。心に余裕を。

◼️原田マハ「デトロイト美術館の奇跡」


予想通り過ぎる短い話。でもやっぱり泣かされる。マダム・セザンヌ!



セザンヌ、マティス、ゴッホ・・デトロイト美術館、通称DIAは有名な、しかも市民の暮らしに溶け込んだ美術館で、その収蔵品は美術館を愛する人々の「友だち」でした。しかし、デトロイト市は財政破綻、公務員の年金の財源に充てるため、市はDIAの芸術作品を売りに出そうとします。


美術館を救い、なおかつ年金の財源が出せるのか・・?


構図としては複雑ではないですが、特にアフリカン・アメリカンの溶接工夫婦の、素朴な行動が泣かせます。


私、クラシック音楽で、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルのチャイコフスキー交響曲5番の手持ちCDが大好きで、オーケストラスコアを買って研究したりしました。きょう久々に聴いてみると、世相や生活からのストレスがすーっと溶けて行き、あまりの癒され度に、少々こころが緩んでるタイミングでこれ読んだもんですから涙ホロホロ鳥になってしまいました。


マダム・セザンヌは美しい肖像画を取り上げた書籍で読んだことがありますが、決して美人の描き方をしてるわけでもなく、服装は派手でなく、どこかムスッとした表情をしています。しかしよく見ていると親しみが湧いてくるような味わいを持っているとされています。マダム・セザンヌは「友だち」。単純にいいな、と思います。私も最近京都や奈良によく出かけていますが、友だちと言えるものを何か持ちたいな、などと感じました。


ラストについている対談、まあ原田マハさんはともかく鈴木京香さんも海外で美術館めぐりに出かけ、しかもアートを購入しているとのことで、興味深くる読みました。原田さんおすすめの北海道・中札内美術村に行ってみたくなりました。


◼️オルハン・パムク「新しい人生」 


新年度ですね。「新しい人生」で、迷宮にハマってみませんか?(笑)


1994年にトルコで出版され、またたく間に同国史上「最速」の売行きとなったらしい。解説で背景に触れられている。当時パムクの「白い城」がアメリカで賞を取ってから人気が出て、パムクを読むのはインテリの証、といった位置付けだったとか。


パムクは1998年の「私の名は赤」、2002年の「雪」が評価されて2006年にノーベル文学賞を受賞する。最新作「赤い髪の女」、先日調べたら私の地元図書館では15人待ちだった。


イスタンブールの大学生「ぼく」はある日、女子学生ジャーナンが持っているのを見かけた本を古本市で買い求め、読む。全人生が変わったと思うほどの衝撃を受けたぼくはジャーナンに強く恋するようになる。ある日、ぼくはジャーナンの恋人メフメットが銃で撃たれたのを目撃する。メフメットもジャーナンもその日から行方不明に。ぼくはやがて、新しい世界を求めて長いバスの旅に出るー。


解説には、流行りに乗ってこの作品を買った人には読むのを断念したり「よくわからなかった」という人が多かったそうだ(笑)。そう、気持ちが分かる。


というのが、非常に散文詩的な書き方となっていて、幻想味は出ているが一文がどこへ向かっているか、前の文、後の文とどう繋がるのか分からない。確かに、確かに読みやすいとは言えず、読了まで時間がかかった。


しかしながら、何がポイントで、大きな出来事はどれか、ははっきり分かるようになっていて、大まかな筋は外す事なく理解できる。


小道具をいくつも効かせた物語で、ポイントには必ずバス事故が起きているのも面白い。トルコでの当時の暮らしや街の風俗もつぶさに描かれていて興味深い。


若者は強く影響を受け、激しく恋し、突っ走る。ジャーナンと再会してからはさらに燃え上がる。やがて組織の影と陰謀に行き当たる。終盤は過ぎ去ってしまった若い時代に想いを馳せる。そして、自分が辿った道を理解し認め、泣くー。散文詩的な色合いは中盤まで若さゆえの過剰な表現にも見え、終盤では落ち着いて心に浸みる。


パムクには近世のトルコが直面した東西文明衝突の構図が必ず入る。また劇的要素と恋と、束の間の成就、喪失というパターンが、読了4作目にして見えてきた。「髪結いの亭主」「仕立て屋の恋」などで日本でも人気を博したフランスのパトリス・ルコント監督の映画では必ず女を愛する男が痛い目を見ていた。しかしルコント作品は面白い。同じように、パムク作品も、大まかな流れはよく似ていても、設定・構成が作品ごとに違って印象的、さらにはテーマが明瞭で、読んで感じるものがお気に入りである。



 今回も「沈黙が彼と話し始めた」とか「秘密のささやきを発見した」、「人生の呼びかけを聴きたくなって」、「チョーク色の光」、

「蜂蜜色の瞳」というたくさんの表現たちを楽しみながら、ストーリーの大きな呻きを腹に受け止めた。やべ、影響されちったかな。


読みやすくはなかったが、いやではなかった。パムクはやっぱり好み。次はどれを読もうかな。

2020年4月4日土曜日

3月書評の8





妻の誕生日ケーキ。

コロナは東京都で昨日89人。うち感染経路不明が55人。どちらも上がってきて、厳しい値。大阪府の感染は35人、兵庫県は6人。東京、大阪は都府立学校の再開をゴールデンウイーク明けまで延長した。兵庫県は予定通り4月8日から。うーむ、兵庫県といっても広いので、エリアによって差を設けた方がと思うが。県での感染人数は少ないものの、大阪に近い、神戸以東と姫路は危険に思えるけどな。

以前は用がなくても地元の街に出て行き図書館、本屋に行ったり買い物したりしてたが、いまはもう、必要な行動をしたら即帰る。小さい用事は多いし、今後何かあったらと切れかかってる日用品を常識の範囲で買ったりするので出てはいるが、すぐ帰ってステイホーム。人が多いところには極力立ち寄らない。

先週末から東京都の感染者は20〜30人増えた。来週の今ごろはどうなっているか。
3月は12作品14冊。いいペースだと思う。

◼️中川越

「名文に学ぶ  こころに響く手紙の書き方」


文豪たちの書く手紙とは・・?それっぽいな〜と感じ入る。


手紙を書くことは独りの作業だけれど、実は二人で書いている。(著者)たしかに宛先に大きく左右されるよね。さて、文豪たちはどんな手紙の書き方をしたのか?


まずは芥川龍之介。これがまた、らしい、と思ったり。


「冠省  君の手紙を見て驚いた。そんな病気になっていようとは夢にも知らなかったのだから。・・・・・僕は胃を患い腸を患い、悪い所だらけで暮らしている。生きて面白い世の中とも思わないが、死んで面白い世の中とも思わない。僕も生きられるだけ生きる。君も一日も長く生きろ。・・・・・何か東京に用はないか。あったらいつでも言ってよこさないか。もっと早く知らせてくれれば何かと便利だったかも知れないと思っている。この手紙は夜書いている。」


真ん中のフレーズだけにしようと思ったが、クールな作品からは窺い知れない、芥川の人間味あふれる言葉が新鮮で好ましく、そのまま引用した。


病に苦しむ相手を礼儀正しく慰め、励まし、援助を申し出ている。模範的な見舞状の構造だそうだ。最後の「夜書いている」は気持ちの昂りを詫びる一言らしい。


この手紙に関しては、くどくどしい言葉は不要と思う。カッコいいなあ、芥川、である。


次は梶井基次郎。


「山の便(たより)をお知らせいたします

桜は八重がまだ咲き残ってゐます。

つゝぢが火がついたやうに咲いて来ました。」


伊豆湯ヶ島で療養生活を送っていた梶井基次郎が川端康成に宛てて書いた手紙。外見ゴツくていかつい梶井は、小説では繊細な描き方をするが、ここでも感性派な優しいタッチだ。


島崎藤村、トーソン先生のお礼状。


「何よりの梅干お送り下されありがたく存じます。

朝茶に添えて梅干をいたゞくのは私の習慣のようになっていますから、これからは当分お送り下すったものを毎朝の友として、その度に御地のことを思い出すでしょう。」


礼状など今では書かないが、というか、手紙自体書くことが希少な機会だけども、メールやLINE、メッセンジャーでは普通に書いて伝える。意外にお礼は難しいなと思う。トーソン先生、さらりと短いフレーズで、届けた相手が満足してかつ心に残るような手紙となっている。まあ毎朝の友、その度に思い出すかまで書くかは?だが、実際にそんなことはあるし見習いたい。


私は異動後の年賀状に、タバコ友達だった後輩が「煙草を吸うたびに思い出します。」と書いて来たことをいまだに覚えていて本人をからかったりするが、策略にハマっちゃったのかも知れない。


次もお礼状。松尾芭蕉。


「紅のやうなる桑の実一籠、雪のやうなる塩、一斤ばかり御こし下され、忝じけなく存じ候。」


紅のよう、雪のよう。想像力に鮮やか。筆短情長、簡潔な表現により深い情意を尽くすのお手本。


さて、太宰治の有名な手紙。抜粋しながら。


「『晩年』一冊 第二回の芥川賞苦しからず 

・・労作  生涯いちど  報いられてよしと 客観的数字なる正確さ  一点うたがい申しませぬ

何卒  私に与えてください

・・困難の  一年でございました  

死なずに  生きとおして来たことだけでも  ほめて下さい」


第三回芥川賞の選考委員、川端康成への手紙である。私は現物を展覧会で見たことがある。申し訳ないが達筆でもなくヘタウマの味もなかった。ヘタレである。第二回のときも佐藤春夫に同様の手紙を送っている。理由は様々に推測されていて、みっともないという見方になぜか著者は感情的になり不自然に太宰をかばっている。好きなんだね。


私的には太宰治のイメージを強調するのに大いに役立ってるから、らしくていいんじゃない?と思うな^_^



われらが朔ちゃん、萩原朔太郎から北原白秋への書状。


「わずかな時日の間に、あなたはすっかり私をとりこにされてしまった。どれだけ私があなたのために薫育され感慨されたかということをあなたには御推察が出来ますか。朝から晩まで、あなたからはなれることが出来なかった私を御考え下さい。」


室生犀星も加わっての愛情。いやホンマ文芸的ボーイズラブ。もう少し分かっていれば「月に吠えらんねえ」への理解も違っていたものを、と思った。


竹久夢二。


「何より、私はいま、安静に深く眠ることが必要らしいのです。・・私を知った人達へどうかそれそれによろしくお伝え下さい。

ゆき子さん、私は

八月二日」


小説家山田順子(ゆきこ)。多分に漏れず恋仲だった。ゆき子は夢二の描く女の絵のテイストにそっくりだったという。この余情、未練の伝え方ってシンプルにしてすごいなぁ。


最後は登場回数が多い、わが川端康成先生。


「東京へ帰ったら、たぶんもうご交際できませんから、よろしく。

私は忘れますけど、あなたは覚えていてください。」


これは「父母」という書簡体小説に出てくる手紙。妻子ある中年の小説家がかつて恋仲だったゆき子が元夫との間に設けた18才の娘・慶子と懇意となる。ゆき子の青春の姿を慶子で再生する。引用は、慶子から男への手紙で伝えたとする言葉。


若く青い気持ち、プライド?と直感、迷いと未練が覗く。なんか設定が川端らしすぎて笑ってしまうが、この、すべてを言わないあわれさえ含んだ言い回しもまた、らしい、と感じる。


それぞれの個性が興味深い読み物だった。夏目漱石のとぼけた味もいくつか取り上げてあるけどすんません割愛。


最近、もう少し綺麗な字を書きたく意識してて、吉永小百合が万年筆のCMで書いてるような字になりたいと見る度に思うけども、手紙の内容もやはり大事。表現の幅を広げる助けにもなるかも。今度手書きの手紙にチャレンジしてみようかな。