2019年7月27日土曜日

7月書評の6

金曜の帰り道、きれいな虹の橋。いい気分になるよね。みな写真撮ってた。

日本近海で突然生まれた台風6号は勢力が台風と認められる最小のまま、紀伊半島東側を通って三重に上陸、1日足らずで温帯低気圧となった。わが兵庫県南東部はそれなりに台風の中心に近かったが、強い風は吹かず。雨も土曜の昼に、ザッと、どしゃ降りではないけれど傘ないとつらいねという程度の雨が短時間降っておしまい。午後は涼しく昼寝びより。ただ夜は暑い。

でもこれからは夏本番で予想気温が35度前後。ひと月経てば朝晩涼しくなってくるのでそれまでの辛抱だが、冷夏だった今年もついに盛夏の1ヶ月。山にはカナカナとひぐらしの声が響く。好きだな、毎年ながら。

頸椎症はまさに日にちぐすり。寝起きがつらい、起きると左肩甲骨が重力で引っ張られるような感じでしばらく痺れていたのが、程度がだんだん軽くなってきて、きょう土曜の昼寝後は痛くなかった。まだ朝のリハビリの際痛かったり、日中もピリピリ痺れたり、外出してても肩掛けバッグを下げてたら少し痛かったりして 完治とは言えない。

正直若い時の感覚だろうか、2週間で完治と思っていたら次週で発症からもう1ヶ月。大事に様子見だ。今週は佐々木の大船渡が岩手大会の決勝で負けたのがトピック。準決勝で120数球を投げ、決勝には登板せずに負けた。学校に200件くらいの電話抗議、スポーツ界では議論百出。でも的を射た意見は聞かない。

きょうは隣の市の花火大会。音はよく聞こえるが、学校の陰で花火は見えない。これから盛夏。


◼️「白楽天」


漢詩の妙。慣れてくると分かったような気になるから不思議。多少感銘を受けたりして。


源氏物語は白氏文集から影響を受けたと聞きかじり、取り急ぎビギナーズクラシックを借りてきた。


「長恨歌」「琵琶行」といった長いものは割愛とのことで、webで「長恨歌」を追加して読んだ。ふむふむ。


白氏、名は居易、字が楽天、は唐の時代の役人で、難関の科挙を突破し、さらに才能のある人を抜擢する試験にも合格、左拾遺という、天子が気づかないことなどを拾いあげ進言する重職まで歴任する。その後は政治の動きにも翻弄され、左遷され閑職に甘んじたり、中央官僚に戻ったりする。


地方赴任の間には民のために灌漑事業を行なったりする一方でプライベートな楽しみも充実させた。晩年洛陽に落ち着いてからは健康に気をつけ、75歳まで生きた。


白氏文集は830840年ごろ、まだ白楽天が生存中に日本にもたらされ、70巻本が貴族の間で大流行、菅原道真は詩作の範とし、「枕草子」「源氏物語」にも影響を与えた。


前置きが長くなったがその詩文を。漢文なんて高校以来だからまあ当たり前に苦戦した。


日高睡足猶慵起  

小閤重衾不怕寒


日高く睡り足りて猶お起くるに慵(ものう)し

小閤衾を重ねて寒きを怕(おそれ)ず


遺愛寺鐘欹沈聽

香爐峯雪撥簾看


遺愛寺の鐘は枕に欹(そばだ)ちて聴き

香爐峯の雪は簾を撥(かか)げて看る


日は空高く上がり十分眠ったのに起きたくない。

草堂の小さな部屋で布団をたくさんかぶっているので寒くない。

遺愛寺の鐘の音を枕を下に半身になりながら聴き、

香爐峯の雪を簾を上げて見る。



この後まだ四句あるが疲れるのでカット^_^

これは「枕草子」の場面で有名ですね。

皇后定子が香炉峰の雪はどう?と聞いて清少納言が(見えるわけないのに)御簾を上げて見る格好をする、という・・。


左遷先の江州で草堂が出来上がって満足している時の詩。この後ここが落ち着き場所だ、長安ばかりが故郷ではない、と詠じているが、閑居は求めていたものの、長安への深い思いが読み取れる詩になっている。


ちょっと漢詩は疲れるがもう少しずつ。


銀臺金闕夕沈沈

獨宿相思有翰林


銀台 金闕 夕べに沈沈(ちんちん)

独宿 相思うて翰林(かんりん)にあり


三五夜中新月色

二千里外故人心


三五夜中(さんごやちゅう)新月の色

二千里外 故人の心


銀のたかどの黄金の宮殿、ここ宮中の夜はふけてゆく。

独り翰林院にいて元君を思う。

十五夜の上ったばかりの月を見ていると

二千里かなたにいる友の心が伝わってくる。


810年、湖北省江陵に左遷された親友の元稹へ、翰林学士として長安にいた白楽天が送った詩の一部。三、四句の「三五」と「二千」、「中」と「外」、「新」と「故」が対応した見事な対句。映像的で、日本の古典には数え切れないほど引かれ、愛唱されてきたとか。


もひとつ。


蜃散雲收破樓閣

虹殘水照斷橋梁


蜃散じ雲収まりて楼閣を破り

虹残り水照らして橋梁を断つ


風翻白浪花千片

雁點青天字一行


風は白狼を翻して花千片

雁は青天に点じて字一行


雲が無くなって蜃気楼は消え、虹の橋が輝く湖面に消えかけている。

風が白浪をひるがえして無数の花となって飛び散り、雁が一列で青空を飛んでいくのが一行の文字のようだ。


蜃気楼を蜃と楼閣に割って楼閣が破れる(こわれる)ように蜃気楼が消え、虹を虹の橋梁として、断ち切られるように虹が消え残っている情景を表している。和歌で浪が白くあわだつのを浪の花、というもとになった漢詩だそうだ。青空の雁の文字はキリッとして心を引き立てる。


いいなあ、と感じてしまう。


「長恨歌」は物語。そこまで長くはない。唐の玄宗皇帝と楊貴妃の話を漢代に持って行ったもの。王は周囲には知られていない深窓の令嬢・楊家の娘を見出した。その娘・楊貴妃ばかりを寵愛し、政治を忘れ、その縁者を高位に取り立てたため不満が溜まり、安史の乱が起きた際に兵が動かなかったため、やむなく王は楊貴妃殺害を許可する羽目に陥る。しかし乱が治まり都に戻っても王は死んだ妃を忘れられず、仙界まで探しまわりついに使者が楊貴妃に会うものの・・というお話。


源氏物語への影響は「桐壺」に顕著だという。ラストもなんとなく似てるな、と思う。源氏物語にも思ったが、まだ続いている唐の名高い皇帝を取り上げて危険はなかったんだろか。まあそうでないと面白くないけど。ふむふむ。


漢文は最初難しかったが、読んでるうちに対句も韻もなんとなく分かるようになり、少し感銘を受けたりした。いや素人ですけど。良かったかな。本文中のものはレ点や一二三などを打っている。対句は分かりやすい。韻も必ず提示しているので参考になる。



日本の古典を読んでいるとやはり中華古典の影響が見える。玄宗皇帝の盛唐時に活躍した李白や杜甫も折にふれトライしていきたいな。


◼️メリメ「メリメ怪奇小説選」


冷静だな、というのが感想。「ヴィーナスの殺人(イールのヴィーナス)」は面白かった。


フランスのメリメといえば「カルメン」の著者だが、芥川龍之介に影響を与えた、という意識が先に立ち、図書館で見かけて借りてきた。さてどんなお話を書くのかー。


「ドン・ファン異聞(煉獄の魂)」「ヴィーナスの殺人(イールのヴィーナス)」「熊男(ロキス)」の3篇が収録されている。後2篇はなかなか興味を惹くタイトル。この本では先に書いているタイトルとなっているが、前の訳出やwebでは()内のほうがポピュラーなようだ。


*「ドン・ファン異聞(煉獄の魂)」


ドン・ファンは妹のテレサに、相棒のドン・ガルシアは姉のフォースタに恋を囁きやがてわがものとする。半年が経ちドン・ガルシアの、相手を交換しようという誘いに乗ったドン・ファンは拒絶したフォースタの叫び声を聞いて駆けつけたフォースタの父に撃たれそうになるが弾はフォースタを貫き、さらにドン・ファンは追いすがる父親を剣で殺してしまう。


2人は高飛びし軍隊に入るがドン・ガルシアは不審な発砲により死ぬ。放蕩生活に戻ったドン・ファンは教会で尼僧になっていたテレサと再会、自分への想いの名残を嗅ぎ取ったドン・ファンはテレサに悪魔の誘いをかけるがー。


最初、2階の窓のところにいるテレサへ恋をささやく場面は、バルコニーではないにしろロミオとジュリエットとか、シラノ・ド・ベルジュラックを思い起こさせる。しかし物語の展開は無軌道になっていく。放蕩三昧のドン・ファンに訪れた怪奇な出来事とは。


うーん、決して正しくはないにしろ2人組が暴れ回るのにはエネルギーがあり、物語の筋にはしっかりとした流れを感じるが、肝心のオチがもひとつ面白くないかも。


*「ヴィーナスの殺人

                           (イールのヴィーナス)」

古代・中世の遺跡に富むカタルーニャのイールの町に案内役のしろうと古代学者、ペイレオラード氏を訪ねた私は、氏が発掘した巨大な青銅のヴィーナスに魅了される。ペイレオラード氏の息子アルフォンスは婚礼を間近に控えていたが、町でのスポーツに飛び入り参加、熱中するあまり、自分の指にしていたダイヤの婚礼指輪を外してヴィーナスの指にはめたまま忘れてしまう。婚礼では別のリングを花嫁に渡したアルフォンス。2人で過ごした最初の晩、悲劇が襲いかかるー。


オチは不思議な展開だが筋は付いている。この婚礼自体にもなんとなく不穏な匂いを漂わせておくのも上手いな、と思った。訳者あとがきによればメリメもこの話は自分の作品の中で一番よくできていると自負していたらしい。


私はパリの学者っぽいがメリメ自身かなと思う。やはり青銅のヴィーナスが魅力的。こうでなくっちゃね。


ところで劇中「偶像の前で香を供えるとは何事でしょう。神様をけがすことになるじゃありませんか!」というセリフに仏教はお線香を点けまくりだな、スペインの田舎町だけではなくそんな風潮あるんだろか、なんて思った。


もっとも怪奇小説、昔話っぽく、ちょっと粋で楽しませてくれた篇。


*熊男


言語学の碩学で牧師の私はリトアニアの言語研究のため、若きセミオット伯爵邸に滞在する。着くと一家の侍医が、伯爵の母君は結婚後まだ若い頃熊に襲われてから理性を失っており、ほどなくして産んだわが子セミオット伯爵を獣、と恐れた。セミオット伯爵にはちょっと変わったところがあり、夜中に木によじ登ったり、馬など近づく動物が彼に恐れの反応を見せたりする。寝ぼけて銃を発砲したこともあるという。伯爵はやがて近在の若い娘と結婚するが、婚礼の日に現れた母君は伯爵に向かって「熊だ!殺せ!」と叫ぶー。


不思議な話ではあるが、うーむ逆に必然性が薄いような、てとこかなあ。相変わらずこの碩学の牧師はメリメでは、と思わせる。


全編を通じて思うのは、メリメの文調はどこか冷静さを感じるものだ、ということ。物語の性格付けにしてもそうだし、いざ怪奇を描くときが、怪しいものが放つ冷気から一歩距離を取るような書き方でをしている気がした。


芥川がメリメのどんなところ、どの話に影響を受けたかは勉強不足。大人の怪奇小説ってえ感じかな。





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