2018年11月13日火曜日

10月書評の4





青山文平「白樫の樹の下で」


悲哀を含んだストーリー。引き締まった佳作。松本清張賞。


江戸深川、同じ道場の村上登、青木昇平、仁志兵輔はいずれも代稽古を務める腕前の幼なじみ。役のない年三十俵の御家人だったが、昇平は子供を襲おうとした危険な浪人を衆目の前で斬ったことから評判となり、端役に就いていた。兵輔は世間を騒がせている斬殺魔を捕えて自分も役に就こうと独自に見回りをする。登は、道場に通う商人、巳乃介から人気の刀、「一竿子忠綱」を借りてくれと頼まれる。


主人公は登で、兵輔の妹、佳絵と相思相愛となり結婚を約束するが・・。


時は贈収賄が横行した田沼意次の時代が去り松平定信の寛政の改革が始まった1790年ごろ。世の中は変わるはずだが、3人の若者の立場は変わらず、提灯貼りなどの内職をしなければ食っていけない。鬱屈とした気分をべったりと敷き、若者らしい希望や夢を抱かせる。同時に常に事件の匂いをさせ、緊張感を失わせない。


そして事件は哀しい方向に動く。川で父が育てている金魚の餌の糸みみずを採りながら号泣する登の姿が不憫でならないが、事はもう感傷に浸る余裕の無いくらい激しく畳み掛けるような展開となる。


ラストも綺麗にまとまっているが、それだけに腑に落ちないところもあったような気がして考えてしまった。うーん。斬殺魔の動機はこれでいいんだろうか、とかね。


でも若者たちの、明日が見えない、抜け出せない気分に、幼い頃の思い出や夢を閃かせて哀しみを強調したこと、剣術や緊張感の織り込ませ方など、エンタテインメントとして完成度が高いのではと思わせる。


時代物は定期的に読んでいて「火天の城」「利休にたずねよ」の山本兼一、「王になろうとした男」「巨鯨の海」の伊東潤、「秋月記」「蜩ノ記」の葉室麟などをよくチョイスする。最近ではあさのあつこの「弥勒の月」シリーズにゾクゾクし、木下昌輝「宇喜多の捨て嫁」のクセに唸った。色は違うが朝井まかてや松井今朝子なんかもいいと思う。


お家騒動、時代の雰囲気、剣術、設定、元になったエピソードなど要素は数あると思うし仕上げ方は様々。今回一読するには良かったけれど、上手さが先に立ち、人へのこだわりが薄いようにも感じられた。


直木賞受賞作「妻をめとらば」もあるし、どのような作風なのか、また認識を深めるのが楽しみだ。


谷崎潤一郎「刺青・秘密」


発表は明治末。大谷崎のデビュー作。うむ、なるほど、といった感があった。


「刺青」「少年」「幇間」「秘密」「異端者の悲しみ」「二人の稚児」「母を恋うる記」が収録されている。


「刺青」は明治43年の発表である。若い刺青師の清吉は人々の肌に針を刺す時、客のうめきが激しければ激しいほど不思議に言い難い愉快を覚えていた。清吉の年来の宿願は光輝なる美女の肌に己れの魂を彫り込むこと。ある日、清吉がたまたま見かけてその素足に魅了された少女が、馴染みの芸妓の使いとして清吉のもとを訪れたー。


この短いデビュー作のあらすじは概ね知っていたが、読んでみると確かに妖しい魅力を放っている。どちらかというとサディスティックな面だけでなく、光輝な女に刺青を施すその魔界的な雰囲気と美しさを含んだ独特のムード、娘の変化(へんげ)が放つ艶やかさに呑み込まれる。


次の「少年」もまた、幼い物語ではあるが、マゾヒスティックな感覚に惹かれる子供たちにどこそか妖しさの続きを感じ、ラストもまたSM的な香りが匂い立つ。ちょっと江戸川乱歩的かも。完成度の高い作品だ、とつい思ってしまった。あんまり倒錯的なものは好きじゃないはずだったんだけど思わず。ともかくこの並びには唸ってしまった。


「幇間」「二人の稚児」は、時代の前後と2人の関係はあろうが、最初の印象は芥川龍之介的、だった。「二人の稚児」は王朝もののようで、仏教の色合いが濃い説話風な話である。


昔付き合っていた男女が少々風変わりな再会をする「秘密」はもうひとつ惹かれるものがなし。100ページ近くで最も長い「異端者の悲しみ」は旧制一高に通う学のある主人公が家族との葛藤や友人との不義理で付き合い方を通して自分というものを問いかける。谷崎自ら自叙伝的作品としている。うーんまた毛色が違う破滅的な話。


ラストの「母を恋うる記」はファンタジー。心象風景のような風景の中、どういった方向へ進むんだろう、と思っていると小説的に気持ちよく収まる。ほうっとした気分で読み終えた。


谷崎はまだ慣れないのか読むのに随分と時間がかかった。でも特に最初の2編には新鮮な境地に陥って納得感があった。


武田双雲「『書』を書く愉しみ」


面白かった。書道のライトな歴史から書体、道具、書き方まで。


良寛、日下部鳴鶴、そして空海も熱中したスーパースターだという王羲之の書を見せながら、うまい字とよい字について語っていく。書の世界において価値あるもの、というのも新鮮な知識だったし、やはり美しいと評価されている作品は見たいしでサクッとつかまれてしまった。


そして5つの書体、すなわち篆書、隷書、草書、楷書、行書を説明しながら書の歴史を綴る。言葉は知っているけどどんな書体か厳密に区別できない私には非常に分かりやすい流れだった。そして日本の文字の歴史へと移る。漢字の登用からひらがなの誕生へ。ここも聖徳太子の肉筆、空海の手紙の筆、和様書の創始者とされる小野道風の文字などが眼を惹く。江戸寛永時代の発展と近代まで。


さらに書の道具、紙、筆、墨、硯について、それぞれの歴史を混じえて紹介されている。紀元前1500年には筆が存在し、墨は紀元前3500年に原型があったという。ごく最近まで書きものといえばずっと墨と筆だったわけで、その歴史は長く深い。とても興味深く愉しんで読んだ。


書に対する色々な捉え方はなるほどという部分もあったし、新しいものに触れられた感覚があった。全体的にはかなり初心者向けの優しい本。伝わるようにと心を砕いているのがわかる。


書道の専門店というものに行ってみたくなった。目につく文字に少し注意する方向に意識が向いている。正倉院にあるという現存している最古の筆で聖武天皇の宝物として奉納された「天平筆」が見てみたいな。染まりやすい私。


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