2018年8月19日日曜日

お盆に死の体験を振り返る。





お盆の週は1日休んだだけであとは出た。電車バスが少なかったのも15日までで、16日からはそこそこ電車も人がいた。


お休みは図書館行って神戸十字屋にハイライ(ハヤシライス)食べに行って、映画見て、おしゃれな喫茶店を探して行ってみた。


映画はハズレで、カフェは若い女子かカップルばかりだった。でもま、いい休み。リフレッシュ。帰りに三宮ガード下で100円のハーフボトル梨ジュース買ったら美味かった。


さて今回はお盆の週ということで死の体験をあまり深くならずに振り返ってみたい。


私にとって最初の死は祖父だった。私が4才の時に亡くなった。私は起きたその足で祖父の部屋に行き膝に座るほどのおじいちゃん子。自転車の前の補助座席に座って、少し離れた川の方まで連れてってもらったりした。

 病院の霊安室でみたおじいちゃんはまだ生きているようで不思議だった。


母方の祖父、母方の祖母、父方の祖母と亡くなり葬式を出した。小学生の同級生の父親が急死し、葬儀に行ったこともあった。


大学4年の夏にゼミの1つ上の先輩が亡くなり、有志で葬儀に、神戸まで行った。出棺まで手伝った。実はそんなにつきあいの深い人ではなかったが、母親さんの「夜ふらっと『ただいま』って帰ってくるんじゃないかと、今も思ってる」という話だけは心に残った。


その後は社会人になってからになる。部の部長が在職のまま亡くなったり、会社入った時にお世話になったもと上司が急死したりした。同僚が自殺したとかで2人の女性から別々に長い話を聞いたことがある。どちらも近しい人が自ら命を絶ったことにショックを受け、なぜか本当に分からない、理解できないと嘆いていた。


東京時代に、千葉の叔父が亡くなった。あまり会うことはなかったが、明るくて好きな叔父だった。初めて海ほたるを渡った。葬儀の場で、長らく合わなかった父や親戚、いとこと顔を合わせた。


それからほどなく、会社に入ったときの部署の一つ上の先輩が自殺した。泥酔時の失態を恥じた上でのようで、これはショックだった。葬儀もなく、訪ねてもいけない。確かに気のいい反面、変わっていて、心を開かず、結婚もせずの人だった。よく知る後輩としては、悩みを打ち明ける相手がいなかったのではないかと思った。しばらく落ち込んだ。


同窓会が盛んになって、同級生にも自殺したものがいることを聞かされた。そして部活のキャプテンが、脳腫瘍で亡くなった。付き合いはなく知らなかったが、若い頃から病魔に侵されていたらしい。中学からの知り合いで家も近くよく遊びに行き来した。予備校も一緒だった。つきあいがなかったから大丈夫だろうと思っていたが、その後1年ばかり引きずった。東京出張のおり、横浜に住む同級生に、気持ちを吐き出したくて呼び出した。


もう年齢も年齢だが、その後2年くらいで同級生が3人亡くなり、仲の良かった者もいた。そして叔母が先だって鬼籍に入り、妻は最近大阪支社時代の同僚が急死し葬儀に出かけてきた。


いままた死の影が忍び寄ろうとしている。


変わらずにいられるものなどない。ここしばらく身にふりかかる死はなかったが、やがて来る。最近は人の便りに必ず身体にきをつけろと書いているが、私も気をつけなければ。そして心を整えて、我が身ばかりでなく他の人を守らなければ。

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