2018年8月11日土曜日

7月書評の4





過日、趣味の合う、頼れるセンパイと暑気払い。ワインを飲みつつバクバク食って、わーっと話す。呑むようになって20年くらいだけど、ずっと楽しい。今後もたまに行けますように。

さて、7月は17作品17冊。年間トータル100作品越しました。おそらく史上初。

まだまだ、読むぞ。


「宮沢賢治詩集」


ドヴォルザーク「新世界より」、チャイコフスキーの交響曲第5番を聴きながら読んだ。宮沢賢治も聴いたかなあ、なんて思いつつ。


出版された「春と修羅」ほか当時発表されなかった「春と修羅」第二集、第三集ほか「雨ニモマケズ」を含む沢山の詩が収録されている。


出版された「春と修羅」第一集では性格的な位置付けがうかがえる「屈折率」に始まり「永訣の朝」など妹トシを失った悲しみが滲む作品が多い。


第二集は花巻農学校に勤めていた時期に創作した詩のようで、法華経、また星や山河、地層、得意の石といった科学的な言葉を散りばめた創作が展開されている。


トシへの思慕の念はいたわしいが、自然への念を込めた詩は伸びやかでかつリリカル。童話で感じるえもいわれぬ爽やかさが詰まっている。


◆異途への出発

「月の惑みと

巨きな雪の盤とのなかに

あてなくひとり下り立てば

あしもとは軋り

寒冷でまっくろな空虚は

がらんと額に臨んでいる」


◆渓にて

「はやくもぴしゃっといなびかり

立派に青じろい大動脈のかたちである

さあ鳴り出した」


一部を取り出した引用だが心をつつく表現。


また「赤く濁った火星がのぼり」だとか土星のことを「サファイア風の惑星 」と書いたりだとか、読み手の心を惹く言葉も。


「詩ノート」には、教師らしく

◆生徒諸君に寄せる

という詩もある。


「新しい時代のコペルニクスよ

余りに重苦しい重力の法則から

この銀河系統を解き放て


新しい時代のダーウィンよ

更に東洋風静観のキャレンジャーに載って

銀河系空間の外にも至って

更にも透明に深く正しい地史と

増訂された生物学をわれらに示せ」


キャレンジャーとはイギリスの調査船のこと。


解説によれば、「春と修羅」が売れなかったことで宮沢賢治は生前は無名だったイメージが強いが、出版当時佐藤惣之助が激賞し、中原中也らは注目して論じ合っていた。彼らを瞠目させたのは科学用語、宗教用語、さらには方言という語彙の斬新さだったという。


地層のこと、硫化水素など化学の言葉、鉱石の専門的知識。今回出て来た鉱物はほとんど調べてみた。


石英安山岩(デサイト)

薔薇輝石(ロードナイト)

陽起石(アクチノライト)

銀星石(ウェイブライト)

飛白石(ギャブロ)


他にもある。私は当時の詩は知らないが、そりゃあここまでは書いてないだろう。理系的な知識、その冷徹な目線は詩でも大いに生きている。加えて叙情的、社会的な味も加わっている。病に苦しんでいる時の激しい思念もある。宮沢賢治の魅力がたっぷり詰まった1冊だと思う。


「春と修羅」は1924年に出版された。解説には大正初年、萩原朔太郎が1912年に「月に吠える」で口語自由詩を確立し、後に「氷島」で文語詩に回帰したことに触れ、後年書かれた宮沢賢治の詩も文語詩であり、影響や意識に注目する向きがあることを紹介している。行き着いたのが文語自由詩の朔太郎に対し、賢治は定型詩であると著者は書いているが、口語自由詩を書くときに賢治が朔太郎に影響されたのは間違いないようだ。朔ちゃんって偉大だったんだなあ。今度読んでみよう。


賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」を聴いた。おいおい、泣いちゃうよ。昔田舎で見たような満点の星空のもとで聴きたいな。作詞の「精神歌」は今でも歌い継がれているとか。


さて、今回読みながら聴いたチャイコの5番はカラヤンだった。ムラヴィンスキー指揮の硬質で速い曲調に慣れている私には、カラヤン流の柔らかくテンポを変えることの多い組み立てはちょっと違和感があった。指揮者によってこれほど違う。そんな事を、友人で女学校の音楽教師、藤原嘉藤治と話したりしてたのかいな、と飛躍した考えも浮かんだ。「イーハトーブ探偵」の影響かな。^_^


桜坂洋「All  You  Need  Is  Kill」


ハリウッドでトム・クルーズ主演で実写映画化。日本ラノベの快挙らしい。ミリタリーSF。日本のラノベは優秀だ。


進歩した銀河系外の惑星人が地球へ放った高度な戦闘マシーン「ギタイ」。人類はいまやギタイが仕掛ける侵略を必死に防御していた。統合防疫軍JPの初年兵キリヤ・ケイジが戦闘で危地に陥った時、赤い機動ジャケットを着た戦場の牝犬(ビッチ)、USのリタに出会う。ケイジはこの日の戦闘でギタイと相討ちしてから、死亡したと思われる瞬間、出撃前日に戻るというループに落ち込むー。


物語はループを繰り返す中でケイジが戦闘レベルを上げて行き、リタとともに戦う。そしてクライマックスてなとこである。


ループでは先輩のヨナバル、栄養士でケイジに想いを寄せるキサラギ、リタ専属の技術者で三つ編みメガネのシャスタ、軍隊経験豊富な軍曹フェレウら味のあるバイプレイヤーたちを巻き込みながら、少しずつ異なったエピソードが展開される。


私は有川浩の、自衛隊が巨大ザリガニと戦う「海の底」なんかも好きだが、今回のメチャメチャ強いギタイ、侵略をなんとか食い止める地球軍、という構図はなかなか好ましい。またギタイはただのロボットではなく増殖するわ、土を食べて排泄したら有毒物質を含み生態系を破壊するとか、理に適った作戦を行ったり、果ては時空をも超えたりとか強くてホントに憎たらしい。人バンバン死ぬし。


軍隊独特の騒がしい雰囲気は、アメリカ映画を観るようで、だからハリウッドでもやりやすかったんじゃないか、なんて思う。戦闘神のヒロインは、前半は少し超人的に、ケイジと戦う後半は人間味をもって描かれている。梅干し食べ勝負、トム・クルーズはしたんだろか。


理由はちょっとだけ、ん?となってしまうがあまりくどくなく喪失が訪れるのも悪くない。


設定もキャラも面白いし、特にクライマックスの襲撃はその突然の場面の切り替えによりリタとケイジの間の感情を引きずることを許さない。いい意味でラノベらしさもあって読みやすい。


星雲賞にもノミネートされたとか。本当によく練れていると感じるし、もう少しリタとケイジの絡みを見たい、番外編やシリーズないのかいな、と思わせる。底に何か悠久の、言葉にできない概念が潜んでいれば外国の名SFにも負けないのにな、でもこれでいいのかもな、なんてつれづれに思った。


ギタイと言えばイスラエルの映画監督、鬼才と言われたアモス・ギタイを思い出す。観たのはそういえば戦争映画だった。


谷崎潤一郎「吉野葛・盲目物語」


実は初谷崎。奈良の奥地の旅物語はしんと心に留まる。


◆吉野葛


著者は奈良の吉野に親戚のある友人の津村に誘われたのを機に、南朝の伝説を小説にしようと、吉野からさらに奥地へと取材旅を敢行する。静御前にゆかりのあるという初音の鼓を見に著者を連れて行った津村は、かつて自分の母の面影を探した顛末を語ったー。


随筆的小説とも解説の井上靖氏は称しているが、まず吉野から山奥に分け入り、三重県境の近くまで行ってしまう取材行がエネルギッシュ。一つ一つ地名を挙げ地理を描写しながら辿る旅。さらに弱冠18歳で悲劇的な最期を遂げた南朝の自天王、歌舞伎「妹背山婦女庭訓」の妹背山、義経と静御前の伝説などなどこの地に関連のある数々の話も豊穣で興味深い。


この敷かれたベースに、津村のおぼろげな母の足跡を探し歩いたエピソードが挿入される。哀切にあふれた1人きりの探索は、この地で大きな手掛かりと遺品を得て終わる。そして光が射すラスト。


とても面白かった。ただ注が多くその文章が長くしかも知識欲を刺激するので注ばかり読んで本文がなかなか進まなかった。


ちなみに吉野葛は有名であるが、葛と国栖、という2つの「くず」という地名が吉野近辺にあるそうだ。だがどちらも葛の産地ではなく、国栖は紙の産地で本編にも印象的に取り込んである。ちょっとしたフェイクなタイトルというわけか。


◆盲目物語


こちらはがらっと変わって、信長の妹にして絶世の美女、お市の方に仕えた盲目のあんま兼三味線弾きの一人語り。浅井長政に嫁いだお市の方が信長の浅井攻めから逃れるものの、夫のみならず嫡男を殺されて首を晒されること、柴田勝家へ再嫁するが秀吉に攻められ自害する顛末を独特の言葉で述懐していく物語。背負って逃げたお市の方の愛娘、茶々が秀吉に嫁ぎやがて子の秀頼とともに滅亡するまでの話で、まさに戦国のクライマックス。


またその語りがなんとも言えず特徴的。漢字で表したかと思えばひらがなになるなど自在の記し方でいかにも人の語りっぽく、井上靖によれば「氏の流麗な古典的文体は、素材とぴったり合って、情感はさながら行間から立ちのぼってくる感がある」とのことだ。


お市の方、その悲劇的な運命の話は有名なのであまり興味は覚えなかったが、語りには日本語的にくすぐられたかな。


谷崎はどこか敬遠していたが、これを機に少しずつ読んでみようかな、と思った。この夏は暑いから、青森に太宰治を訪ね、岩手で宮沢賢治を味わい、長野の信濃追分で文豪たちの邂逅の足跡を追い、ついでに金沢へ立ち寄って室生犀星に浸りたいなあなどと夢想している。ムリだけど。もう少し読んでから近くにある谷崎潤一郎記念館に行くことを考えよっと。夏の通常展やってる間にでも。


って本日谷崎潤一郎の誕生日で「残月祭」というイベントをやってて、大学のホールで澤田瞳子が谷崎について講演会をしたとか。なんか不思議な縁も感じてきたな。


小林寛則/山崎宏之「鉄道とトンネル」


このこだわりがイイと思います。「好き」まで感じられる熱い作品。


鉄道の歴史とは密接不可分ではあるが、この書はトンネル、というものに重きを置いて様々な角度からたくさんの解説をした本だと思う。


トンネル各部の名称から。笠石、帯石、ピラスター、翼壁等々ちょっとおタク的知的好奇心をくすぐる。さらにトンネルの掘削編では専門用語から本当に様々な工法、支保、青函トンネルの図面を使った多くの「坑」の解説。これらは後の、実際のトンネル掘削についての話で何回も出て来て、その度に戻って見直すので自然と覚えてしまう。


基礎知識が整ったところで明治時代に造られたトンネル、さらには昭和初期、戦後をそれぞれ代表するトンネル、さらには新幹線のこと、リニアにも言及がある。こうつぶさに見ていくと、トンネル掘削技術が時代とともに進歩していったのがよく分かるようになっている。


明治時代のそんなに早くから科学的な知識と手法が使われていたことに当時の先進的な雰囲気を感じる。また複線化や電化を通して時代の変遷も見える。明治期のトンネルについては、排煙対策が印象に残った。トンネル内の窒息で乗務員が気を失い事故につながるなど悲惨な話で、しかも長らく問題として向き合わねばならなかった。風を起こすためにトンネルの入り口を手動式の幕で覆ったり、蒸気機関車の煙突に減煙のための構造物を付けたり色々な工夫が紹介されていて、今では考えられない排煙問題の深刻さがよく分かった。


昭和初期以降は技術の進歩によって大型のトンネルが多くなる。また、以前は鉄道を通したいが地の利が伴わずやむなくトンネルを掘る、という感覚だったのが、移動時間の短縮と規模拡大のため積極的にトンネルを建設する、という方向に変わって来た、というのが印象的。だから、という意味なのか、困難な工事が多かったようだ。それこそ岩盤が崩れたり、地下水が流入して来たりという考えたくない危険な現実と人間の技術との戦いがリアルだ。


やはり故郷福岡の近く、幼少の頃から何度も渡った関門トンネルに興味を惹かれた。日本初の海底トンネルはもう昭和17年に出来ていたのに驚く。もちろん時代的な理由はあったのだが。よく知る地名も出て来たし、海底トンネルならではの困難さは興味深かった。そういえば門司は訪れたことがないから1度行ってみなければ。スケールの大きい青函トンネルは、建設の話も壮大だなあと感心した。


この本はトンネル掘削の工法や鉄道技術について書いている部分が多い。小難しいと感じることもあるが、例えばなぜその工法を取ったのか、など詳しく書いてあるのでちょっと興味深い。鉄道の歴史、そしてトンネルの歴史、建設のエピソードなどを通じて、近代という時代と、人命のかかった壮大な工事へのこだわりがうかがえた。トンネルについての風潮、現代の状況など文章の節々から著者のトンネル愛までもが伝わってくるようだった。


ただやっぱ少し難しく、やや時間がかかったし、最初の方に突然分水嶺を貫くトンネルの話が出て来たので、「へっ?」となりこの順番の意味を考えてしまったのも事実。


でも知的好奇心に充分に手応えありで鉄道、トンネルというデカい、進歩するモノの姿を追いかけて近代と現代を多少把握、理解することが出来たと思う。トンネルを掘るのに避けて通れない地層の話も豊富で面白かった。


良い読書でした。


森見登美彦「宵山万華鏡」


ちょっとホラー、ちょっと阿呆らしい。目指す方向はよく見える気がする。


森見登美彦そういえば何読んだっけ・・「夜は短し歩けよ乙女」「四畳半神話大系」「有頂天家族」「太陽の塔」くらいか。たまたま話の流れで出て、好きな文芸仲間に貸してもらった。


上にも書いたが、モリミーの特徴と味、といえば京都、ファンタジック、ホラー。そして「阿呆」というのが大書されて入る。この短編集はその全てが詰まった、しかしホラーと阿呆の分水嶺がある。連作短編のようなそうでないような感じだった。


◆宵山姉妹


洲崎バレエ教室に通う小学生姉妹が宵山ではぐれてしまう。妹は赤い浴衣の女の子たちとともに行動するが・・。


後の物語のための種まき。京都祇園祭宵山の夜の幻想的な雰囲気とファンタジックホラーである。また「金魚」の小道具性を強調する。


◆宵山金魚


阿呆方向のいわば本編。藤田は高校時代の友人で変人の乙川に宵山を案内してもらうため千葉から来ている。しかしはぐれた間に「祇園祭司令部」に拘束されてしまう。


「阿呆」のほうの話。これまた宵山の夜、藤田の不思議な体験は最後にネタばらしがある。


◆宵山劇場


大学の先輩乙川が友人をからかうため壮大な仕掛けをしようとする。元大学の劇団にいた小長井は役者や美術を任された山田川敦子らと準備を進めるが・・


「宵山金魚」の裏ストーリー。やはり「阿呆」の方のである。もはやうろ覚えだが、たしか「夜は短し歩けよ乙女」に学園祭で「偏屈王」というゲリラ演劇があって、その美術を担当したのが山田川、という設定だ。阿呆だが小長井と山田川との若い人間関係が一つの焦点。学生らしい話。


◆宵山回廊


京都のOL千鶴は画廊の柳から、画家の叔父・河野を訪ねるよう頼まれる。宵山の夜、叔父と千鶴には拭いきれない過去があったー。


ここで「ホラー」にぐっと舵を切る。シリアスな話の展開でホラーファンタジック。最初の「宵山姉妹」とつながりがあるようだ。


◆宵山迷宮


画廊の2代目、柳は宵山の日、不思議な現象に巻き込まれる。画家の河野、そして付き合いのある小道具屋の乙川によれば乙川たちが探しており柳家の蔵にあるはずのものに関係があるようなのだが・・


「ホラー」の部分の続編。この「別次元」的な感覚は「四畳半神話大系」にも通じるな。分かるような、分からんような。


◆宵山万華鏡


洲崎バレエ教室に通う小学生姉妹が宵山ではぐれてしまう。姉は、妹を見失い追う途中髭もじゃの大入道に出逢う。


読む人は、このラストの短編で「ホラー編」と最初の「宵山姉妹」の謎が解ける、と期待するんじゃないだろうか。私はそうだった。姉が出逢う大入道や舞妓は「阿呆」編の役者たちと似ている・・と思いきや、であった。


全てを説明しているわけではない短編集。森見登美彦の特徴と強さを強調し、からめ、そして完結している世界。正直ある程度の興味深さはあるし、薄いつながりも味がある。モリミーがどんな物語世界を描きたかったかも見える気はする。これは一つの形だと思う。ただまあ、インパクトはさほどなかったかな。


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