2018年4月7日土曜日

3月書評の4




春日北小学校。昔住んでいた家から、通っていた小学校と同じくらいの距離にある。姉が1年だけ通い、小学校が新設されてそちらへ通った。
野球クラブでよく試合の会場になった。懐かしすぎる。

今週は中央アジアの国の映画が2つ同時期公開されていて、続けて観てきた。

「花咲くころ」ジョージア(グルジア)

1992年の内戦時、首都トビリシが舞台。エカとナティア、2人の少女の姿を描く。学校、家庭、社会・・。女流監督、衣装や髪型にこだわり、美しく丁寧な作品。宴でエカがナティアのために伝統的な舞を踊る場面には感動してしまった。

「馬を放つ」キルギスほか

始まって、ああ、この光だ、と久々に巡り会った感覚に安心した。画面の色が自然光に近い、落ち着いた、好きな彩り。

キルギスの名匠、アクタン・アリム・クバト監督の作品はもう16〜17年も前に小さな劇場で「旅立ちの汽笛」を観て刺激を受けた。


冒頭の光の色とは別に、画家志望だったという監督は、優れた色彩感覚の持ち主だと思う。チャン・イーモウや北野武も印象的な色を散りばめるが、この監督は赤系。場面ごとに探すのが今回も鑑賞中の楽しみの1つだった。


天山山脈の麓の村。ケンタウロスとあだ名される50男は、耳が不自由でしゃべれない妻との間に5才の息子がいた。息子は言葉を発することがなかったが、妻は優しく美しく、幸せな家庭だった。そのころ村では、夜に飼い馬を盗み野に放つという事件が相次ぐ。


ベテラン監督だけに、まっすぐでないストーリーやキャラクター立てやその配置、宗教などをバランス良く取り入れている。カットなども映画的な面白さがある。


寓話的な面もあり、物語の要素すべてが現代の我々から見てスッキリしているわけではないが、これがキルギスだ!という作品だ。満足した。観て良かった。


さて、前フリが長くなったが、3月の読書は15作品18冊。復巻が2つあった。四半期で40作品。まずまずかな。今年の特徴として大正昭和初期が多い。なんかランキングで苦労しそうだが・・まあその時の感覚なので。確かにも少し現代ものも読みたいかな。

羅貫中「三国志」上中下


三国志とワインの知識は苦手分野だった。ひとつカシコくなったかな。


漢の景帝の血を引く28歳の劉備玄徳は貧しい暮らしに甘んじていた。黄巾の反乱軍を討伐する義勇兵募集の立札の前で、玄徳はあばれ馬のように威勢のいい張飛翼徳に出逢う。さらに居酒屋で意気投合した関羽雲長を加えた3人は桃畑で兄弟の契りを結ぶー。


漢が分裂し魏呉蜀の三国が相争う時代。英雄が現れては活躍を見せるが、失われるときには大きな歴史の前で少しの哀切が感じられる。


息子が読んでたので、ちゃんと読んだことのなかった三国志を理解するいい機会だと一気に読んだ。やっぱり面白い。


謀略に長け冷酷な魏の曹操が悪役で、徳がありどこかナイーブな劉備玄徳が苦難を味わいながら、豪快で強い義兄弟の関羽、張飛そして趙雲といった仲間たちと戦い抜く。思い入れを誘う設定である。そしてこのセットでは上巻の最後の方に、スーパー軍師諸葛亮孔明が登場して玄徳につく。


中巻ではなんといっても赤壁の戦い、そして下巻では活躍した主役たちが次々と世を去っていく。やっぱ関羽が亡くなるときはちと残念な気がしたな。


三国志はNHKの人形劇で断片的に観ていた覚えがある。孔明が戦わずして10万本の矢を得たエピソードは覚えている。


孔明が南蛮を平定するところは痛快かつファンタジーっぽくて楽しく、星落つ秋風五丈原の章や「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」のくだりも、三国志という壮大な物語に浸って読めた。それこそ孔明と司馬仲達など、実力のあるライバル同士のせめぎ合いもワクワクした。大雨により仲達を取り逃がした時の孔明のセリフ「事を諮るは人に在り、事を成すは天に在り、ーとはこのことか。」も、これぞ戦国ものという感じで、響いた。


裏切りと残酷さが頻繁にあるから、温情や義理、徳も浮き彫りになるのだが、計略はいいけどちと悪い方多すぎだなと(笑)。諸葛亮が死んだ後はさほど興は惹かれなかったが、終わりが大団円でないのが逆にリアルっぽかった。


三国志は、魏呉蜀統一の政権、晋に仕えた陳寿が書いた正史で、そもそも西暦200年代に書かれた話。我々が読んでいるのは14世紀の後半に羅貫中が平易に直した小説の「三国志通俗演義」だそうだ。


「入り」に少年文庫はジャストフィットだね。


安倍龍太郎「等伯」上下


「松林図屏風」観たくなったな。直木賞受賞作品。狩野永徳としのぎを削った天才等伯の生涯。


能登の七尾に生まれた信春(後の等伯)は武家から絵仏師の長谷川家へ養子に出される。33歳となり、絵仏師として名声を得て妻子もいたが、狩野永徳の絵を見て、都に出て修行を積みたい気持ちが強くなっていた。そんな折、生家の兄・武之丞から都へ出るために主家・畠山氏の使いとなることを持ちかけられる。


ドンと本格派の絵師の生涯。上下巻読み通すと重みと読み応えがある。あちこちで迷って道を間違え、感情的にもなりと、かなり人間的だ。


時は戦国時代末期、等伯の人生と並行して織田信長、豊臣秀吉の動きと世相が描かれるので興味を惹き、スピード感も付加される。また等伯には次々と困難が襲うから話の波も多分にある。


狩野永徳を主人公にした山本兼一「花鳥の夢」に、いかに永徳が天才性を宿した等伯を認め疎んじていたかが描かれていた。等伯側から見ると、いや永徳、意地悪でよろしくないなー(笑)と思わせる。


等伯の苦しみは何度も繰り返し描かれるが、天才的なだけに、周囲の人々も好意的な者が多くそれなりに幸せにも見える。読み手をほっとさせる部分でもあるが、難を言えばうまく収まっていてクセが無い。そんな印象を受けた。また、やや劇的にも過ぎるかな。でも楽しめたのもまた確か。


京都には等伯の作品も多くある。春だし訪ね歩いくのもいいな。また国宝「松林図屏風」は解説で「日本水墨画史上の傑作」と書かれている。東京国立博物館だそうだが、観てみたくなった。来ないかな。


芥川龍之介「地獄変・偸盗」


独特の闇の表現。人情味も少し。芥川の王朝もの。「六の宮の姫君」を楽しみに読み進めた。


検非違使の下僕をしていた太郎は、盗人の疑いをかけられて獄に入れられた弟の次郎を救い出すため、妖艶な女、沙金が率いる盗賊団に入った。太郎と次郎はともに沙金に想いを寄せ、抜き差しならない感情が太郎に芽生えていた。ある夜、盗賊団は藤判官の家に押し込みをかけるー。(偸盗)


芥川龍之介は、教科書に載っていた「羅生門」の印象が強い。誰もいない、荒んだ京の都、どこか切れのある、暗黒、闇、黒のイメージ。花の都の黒が際立つ感じ。


王朝ものというのは、平安時代に材料を得た歴史小説で、「今昔物語」「宇治拾遺物語」出典の説話集をもとにした六篇、「偸盗」「地獄変」「竜」「往生絵巻」「藪の中」「六の宮の姫君」が収録されている。


「偸盗」はドラマっぽいが、キャストと雰囲気に上手な異世界感が作られ、陰謀もありなかなか面白かった。盗賊団が集まる羅生門の雰囲気も良い。


「地獄変」は有名な話で、絵師の異能天才さと迫力で 押す話だな、と思ったが 、んーまあこんな感じかと。


「竜」はコミカルで面白く、「藪の中」はちょっとアダルトなテーマに斬り込んでいる。


そして解説にもあるように王朝ものの白眉として人気のある「六の宮の姫君」だが・・。儚い話ではあるが、もうひとつインパクトがなかったってところだろうか。この作品に関しては、続いて読む予定の作品で理解を深めたいと思っている。


教科書で与えられた印象は今読んでも感じる。しかし古典に発想を得て人の世の、どうしようもない矛盾や脆さ、言い換えれば闇、を醸し出す芥川の良さを、多少は深く理解できるようになったのかな、なんて思う。


この短さ、捻り方というか様々な要素を取り込み分かりやすい筋立てではないストーリー、短くダークな印象を残す文章は、心のどこかを刺激し、憶える。もっと読んでみよう。

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