夏目漱石「文鳥・夢十夜」
ふと手に取った漱石。ところどころ面白かった。
作家の鈴木三重吉に勧められて文鳥を飼うことにした。綺麗だと感心し、いくらか世話をするとよく千代々々と鳴くようになった。しかし・・(文鳥)
小品が詰まった一冊。「夢十夜」はタイトル通り、第一夜から第十夜まで、夢の話が書き連ねてある。「永日小品」という100ページくらいのくくりがあるが、その中身はまた、短い作品が多く入っている章のような感じだ。身の回りのことの創作、またイギリス留学時代のことなどなど、著者自身の体験を小説化しているものも多い。
また重い病気で喀血し入院していた時のことが多く語られている。病院での出来事の描写や、死を意識して感じることなどが赤裸々に述べられている。
過日「草枕」を読んだときはどうにも合わず、後で漱石ファンの後輩から「また難しいとこ読みましたね~」と言われたが、今回もそちらサイドの作品だったかな。うまく浸み込んで来ず、読むのに時間がかかった。
小説として面白かったのはやはり「文鳥」「永日小品」の中の「モナリサ」そしてラストの「手紙」かな。「手紙」は夏目が持つさわやかさとも言える感覚があった。
ソーダ水を昔は平野水と呼び、もとは兵庫県の平野温泉から湧き出た炭酸水を清涼飲料として売り出した時の商品名だった、というのにへーっと思ったり、「爺々汚い(じじむさい)」という言葉がこの時代からあったのか、とびっくりしたり、ところどころ楽しめたかな。
小品を読むと、漱石は少し粗っぽく、どこか太宰治に似ていたり、幻想的だったりする。体系的に読んでみようかな。
ゴーゴリ「外套・鼻」
小説らしい話と、不可思議コミカルな作品の2本だて。
ペテルブルクの下級役人、アカーキイ・アカーキエヴィッチ・バシマチキンは人付き合いもせず、質素で素朴な生活を送っていた。ある日、傷んでいた外套の背中や肩の部分がすりきれそうになっていたため、仕立屋に行き、新しい外套を作ることにした。彼はなんとか金を工面し、材料も仕立屋とともに買い、そしてついに外套は出来上がってきたー。(外套)
ゴーゴリを読むのは初めて。こちらでこの本の書評を見て興味を持った。
「外套」は、素朴な小役人が外套を作るという、主人公と周囲からすれば大事件とも言える出来事に、富裕層から見ればなんてことないことに人生までも翻弄されてしまう話である。話の中に当時のペテルブルクでの暮らしや役人の性質、人間味などがほの見え、人生の矛盾を扱う、短くて小説らしい小説だと思った。
「鼻」はまあ、床屋という市井の家で朝のパンを焼いたら中から鼻が出た、というエキセントリックな出だしの、鼻をなくした、やはり役人のコワリョフの七転八倒ぶりをコミカルに、ファンタジーチックに描いている。
アカーキイ・アカーキエヴィッチは変わり者と見られているが純朴な印象があるのに対して、コワリョフは女色を好み自らを尊大に見せる。それぞれのキャラクターが辿る成り行きには、深みを感じさせるものがある。
1830~40年代の作品で、訳者の解題は昭和12年に書かれたもの。ゴーゴリの他の作品も読んでみたくなった。
阿刀田高「新約聖書を知っていますか」
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
この言葉にはえもいわれぬ感銘を受けた。
懺悔告白します。いやー私は聖書のことを知らなさすぎました。数々啓発されました、なんて思ってしまった一冊。
阿刀田氏のシリーズ、「ギリシア神話を知っていますか」「コーランを知っていますか」「旧約聖書を知っていますか」に続き、今回は「新約聖書」にトライ。旧約聖書はイスラエル建国史とも言える内容だが、新約聖書はおおざっぱに言って神の子、救世主イエスとその使徒たちのお話である。
第1話が「受胎告知」マリアと天使ガブリエルですね。第2話が「妖女サロメ」、イエスの活動と十二使徒の話を挟んで、第5話「イエスの変容」、第6話「ゴルゴタへの道」では最後の晩餐と磔刑、第7話「ピエタと女たち」で復活を扱っている。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は十字架に懸けられたイエスが叫んだ言葉で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのですか」という意味である。なんか音韻的にも何かが漂ってきそうだ。
内容は超ダイジェスト版とも言えるもので、いつも通り阿刀田氏は読みやすさを意識して書き下してあるのだが、実際にイタリア、イスラエル、トルコを旅して、おそらくは多くの文献にあたり、これまでのシリーズよりもやや慎重に解釈の判断をし、真摯な文面で書き綴っている。破天荒さはうかがえないが、優しい文章に深みがあるようだ。
「受胎告知」は大原美術館でエル・グレコのものを、大阪でティツィアーノのものを見た。数々の名作を引くまでもなく、絵画鑑賞に旧約聖書、新約聖書、さらにはギリシア神話の知識は欠かせない。裏切り者ユダについては、太宰治が「駈込み訴へ」で小説化しているし、マンガに至るまでさまざまな逸話が取り挙げられている。
色んなもので目にしてるから、読む前は少しくらいの知識はあるかと思っていたのだが、この本を読んで、こんなに知らんことあったのかと思った次第である。読んでよかった。
阿刀田氏は、明日は磔の刑になるという日、ゲッセマネの園で悶え苦しんで神へ祈るイエスが一番好きだという。「感動的である。一番人間らしく、崇高に映るからである。」死への恐怖におののき、神に問いかけ、祈り、克服しようとするイエス。たしかにドラマのようで心に残る。磔にされ死を前にした時の神への呼びかけも、この時の心情に類するものだろうと思う。
今回も、面白かった。阿刀田氏には、脱帽だ。
宮沢賢治「注文の多い料理店」
イーハトーヴの世界。なんか独特の迫力を感じるんだよな。いつも。
一郎のうちに、山猫からはがきが届いた。「あしためんどなさいばんしますから、おいでんなさい。」
一郎は喜んで谷川に沿ったこみちをのぼり、山猫のところへ行った。山猫から「あなたのお考えをうかがいたい」と言われた「めんどうなあらそい」とはー。(どんぐりと山猫)
宮沢賢治が刊行した唯一の童話集。ちなみに存命中に刊行されたのは詩集「春と修羅」とこの作品の2つだけで、自費出版したはいいがさっぱり売れなかったそうだ。
「どんぐりと山猫」「狼森と笊森、盗森」「注文の多い料理店」「烏の北斗七星」「水仙月の四日」「山男の四月」「かしわばやしの夜」「月夜のでんしんばしら」「鹿踊りのはじまり」の9編の童話が収録されている。1924年、大正13年に出版されたものそのままの並びとし、宮沢賢治自身の序、そして巻末にはやはり賢治による一話ごとの短い解説が収められている。挿絵も当時のものを採用している。
どれも良かったけど、やはり表題作と、「月夜のでんしんばしら」が心に残った。シチュエーションが似ている「シグナルとシグナレス」を思い出しながら読んだ。
詳しめの解釈が掲載されているが、たしかにストレートで意味の掴める話ばかりでもないし、イーハトーヴと言われても、と、当時の岩手県で売れなかったのも分かるような気がする。
「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」などを読んでいると、ドリームランドとしての岩手県、その日常の姿と、自然の厳しさ、美しさなとに迫力を感じる。今回も、コミカルで微笑ましい話が多いながら、そういった雰囲気をたしかに感じた。やはりいいですね、宮沢賢治。「雪狼(ゆきおいの)」などという言葉も好みである。また賢治が鉱物を好きなのは有名な話だが、解説にあるように理科、理系の冷徹な目線で捉えられた童話は面白みと深さを持つ。賢治の描く世界はまさにひとつの空間ともいうべきものを作っていて、皆に好かれる、イーハトーヴを持っている。
序文の言葉がホントに魅力的だ。
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいに、すきとおった風を食べ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」
この本は保存版。「春と修羅」も読みたいな。
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