南日本新聞社編
「日本のゴーギャン 田中一村伝」
すさまじいまでの画業への思い入れ。明治男、名もない画家の生涯。
明治41年、栃木に生まれた田中孝は幼少より神童と呼ばれ、東京美術学校に入学するが、自身の結核と父の病気のため退学。同期には東山魁夷らがいた。やがて千葉へ移り住み、農業で自活しながら絵を描き続けるが、展覧会に自信作が落選、以来中央画壇との接触を断つ。自分のために結婚せず、ともに過ごした姉の愛情を感じつつ、単身で奄美大島に移り住む。
いや哲学を貫いてるなあ、という感想だ。絵を売ることを外道とし、ゆえに貧乏暮らしが続いたり、例えば軍鶏を描くとなったら飼い主のところに通い詰めて研究するなど対象物を徹底的に研究し、納得いくまで描いたりとか、奄美大島でひとり20年近くも暮らし、絵のために働きに出るとか。
不器用な人生観だが、信念に満ちていてその熱気に釣り込まれる。生活のための身の処し方は実に器用で、その辺がまた、ひと昔前の日本の男を彷彿とさせる。
自分を犠牲にした姉への愛情が微笑ましく哀しい。
タヒチへ移り住んだゴーギャンに例えられているが、私はある日ホントに全てを捨てて絵の道へ走った、モーム「月と六ペンス」のストリックランドを思い出した。まあストリックランドは貧乏暮らしをしながらも身勝手で、それに比べると田中一村は非常に心根がきれいに感じるけれど。
一村が亡くなって3年後に、奄美大島で遺作展があり、南日本新聞社、その後NHKへとこの孤高の画家のことが伝わって、一村は死後に多少の名声を得た。この本は南日本新聞社大島支局にいた記者が執筆したもの。
表紙や巻頭にある一村の絵は、南国らしく明るい色彩も多く、あまり強い線というものが多用されてないため浮かび上がったように迫って来る。もともと南宋画から始まったせいか、色彩や南国の魚や鳥はある意味押し出すような生命力を持っているが、その中にも落ち着きが感じられる。やっぱりアカショウビンがとまっているのが好きだな。
頑固一徹な画家は、奄美の自然になにを観ていたのか、なんて考えてしまったな。当地に行くことがあったら記念館にぜひ寄ってみたいものだ。
アーナルデュル・インドリダソン「声」
書店で最近よく見かけるインドリダソンの作品。家族のあり方を浮かび上がらせるアイスランドのミステリ。書評サイトの献本に当選した。
クリスマスシーズンで賑わうアイスランドの首都レイキャビクの一流ホテル。地下室に住んでいたドアマンがサンタクロースの姿で刺殺されたのが見つかった。レイキャビク警察犯罪捜査官、エーレンデュルは捜査を進めるうちに、ドアマンの過去を知る。彼は「子どもスター」だったー。
インドリダソンの「湿地」「緑衣の女」は本屋でよく見かけていたが手は伸びなかった。しかし今回、読む機会に恵まれた。そもそも私は海外ミステリといえば古典を好み、貸してくれる人あらば現代ものも読むが、やはり数は少ない。古典といえば黄金時代のものが多く、その時代の文化が象徴的に見えて興味深い点もあるが、多くはトリックに重きを置いたエンターテイメントである。
さて、前置きはここまでにして「声」。じっくりと読ませる、「家族」をテーマにした物語。エーレンデュルシリーズの3作目だそうだ。
本筋の話の他に、エーレンデュルの幼少の頃の衝撃的な出来事、捜査陣が他に手がけていた子どもへの暴行事件、またエーレンデュルの娘の傷への向き合いなどのエピソードが挿入される。さらに離婚して独身のエーレンデュルが気にかかった女性、そして真犯人にももちろん家族の問題があり、様々な面から複合的に考えさせられる。全てに答えは出ないものの、テーマに関しバランスを整えながら、うまく組み合わせられている感じだ。
読んでいて自分が育った家庭環境やいま営んでいる家族にも思いが及ぶ。
ミステリとしてのネタは、非常に現代的である。犯罪の異常性、性的な話、ドラッグのこと、マニアの存在、家庭内暴力の問題などなどを押さえている感が強い。
捜査の過程で過去に遡るのはインドリダソン得意の手法らしいが、そこでこの現代とひと昔前の意識と環境の差が露呈する。そして、ホテルというかしこまった舞台装置と、従業員、苦しんでいる若者たちのギャップがあり、さらにはミステリ的な仕掛けとして、ラスト10数ページの前まで犯人と思われる人物と要素を複数登場させ、最後に一気に解決へ持って行く。うまい、と思った。
最近の数少ない経験では、海外ミステリではピエール・ルメートル「その女アレックス」のテクニカルな手法に感心させられたが、こちらはじっくりと要素をあぶり出し、社会的な問題点と合わせて全体の雰囲気を醸し出している。
文章的に言えば、エーレンデュルはたしかに離婚した中年の男だが、あまり外見に関する記述がないのと、「ではないか」「なのだ」という古めの意図的な語尾の翻訳表現が目について、キャラクター的につかみにくいような感じがある。クリント・イーストウッドの映画に出てくる、家庭に問題を抱えたシブめの男のイメージかなあと思いつつ読もうとした、が!
変な捉え方は重々承知だが、私は最初から最後まで、エーレンデュルが、女性に思えてならなかった(笑)。宝塚のように、女性が男役をやっているような感覚。先ほどの言葉遣いも拍車をかけている。
アイスランドといえばビョークくらいしか正直知らなかったが、地名、人名の長さと英語ではない変わった読みもどこか今まで読んだ海外ものと比べて異邦人感があったりして、いろんな意味で特徴的。興味深い。
やはり世界的ヒットを飛ばす作品はどこか違うんだな。社会派の物語であり、ミステリ的要素も楽しめる感じ。シリーズ前2作にも興味が出た。
立原正秋「花のいのち」
奈良が舞台の一部というのを知り、即買いした。秋篠寺行きたいな。大人の、恋愛小説。1967年に出版された作品である。
石油会社の社長の息子と見合い結婚した窈子は、夫が外に愛人を囲い子供を3人ももうけているのを知り、離婚する。その際沼津の別荘を貰った窈子は兄の提案で保養所として運営するが、泊まりに来た美術史家の織部に心惹かれる。
物語は鎌倉、沼津、世田谷など舞台に展開するが、織部の著書は奈良に関わるもので、窈子も何度も訪れるため、たびたび描写がある。
特に織部が色紙に書いた五言絶句で窈子に格調高くアプローチする時、その色紙に描かれていたのは奈良・秋篠寺の伎芸天像だった。webで見ると、画像と違って実物は可愛らしいという評があり、観に行きたくなってしまった。斑鳩はちと遠いが、中宮寺の弥勒菩薩も観たいし、幸福の絶頂にある窈子が、生涯忘れない、と思った法起寺も行きたいな。法隆寺ほど駅から離れてないみたいだし。
さて、物語については、窈子と織部は幸せな時を過ごすが・・とハッピーエンドではない。婦人画報という雑誌に掲載された作品であり、読者を意識した作品になってるのではと思う。
格調を保ちながら優しい恋愛を表現する。見合い結婚がうまくいかず、初めて恋愛の楽しさを知るというのも時代を象徴しているか。また恋には邪魔が入るもので、やはりそういう役もいる。
まあしかし、ラストの方はどこか慌ただしく頭をひねる展開だった。これもドラマかな。恋愛ものあまり読まないけど、こんな感じならOK、だろうか。しかし五言絶句で告白て、格調は高いけど。暗号文みたい。普通は分からんだろ、という気もするが。まあでも楽しくスラスラ読めたし、また探してみよう、奈良もの。
ウィリアム・シェイクスピア「十二夜」
「旅路の果ては、恋する者のめぐりあい。」この台詞が読みたかったSherlockian.
イリリアのオーシーノウ公爵は、富裕な伯爵家の跡取り娘、オリヴィアに恋しアタックするが相手にされない。そんな折、公爵を慕う女、ヴァイオラが少年シーザーリオと名乗り公爵の小姓となってオリヴィアのもとへ遣わされるが、オリヴィアは男装したシーザーリオに恋してしまう。
1つ前に読んだのが、あまり遊びのない「ジュリアス・シーザー」だったから、道化や、いつも酔っ払っててふざけるオリヴィアの伯父トゥビー、いたずらをしかけるマライアによるドタバタ、言葉遊びや歌などに、ああ、シェイクスピアだなあ、と思った。ふれこみによるとシェイクスピア最高の喜劇だそうである。
確かに、得意の「取り違え」を駆使していてなかなか楽しい。日本のテレビドラマでもいけるかも、なんて思わせた。ラストは美しいハッピーエンドである。
さて、この作品を読みたかったのには理由がある。モリアーティ教授と闘い、スイス・マイリンゲン村のライヘンバッハの滝に落ちて死んだと思われていたシャーロック・ホームズがベイカー街221bの家に劇的に帰還する「空き家の冒険」でホームズを空気銃で暗殺しようとして逮捕されたモリアーティの部下、モラン大佐に「やあ、大佐、『旅路の果ては、恋する者のめぐりあい』とかいう昔の芝居のせりふじゃないが、お久しぶり。」と話しかけるのだ。
また、「赤い輪」という短編でも同じ言葉を使っている。私はあまりパパッと調べる方じゃないんで、昨年シェイクスピアを読みだしてからいつか、と思っていた。
今回の訳では、道化の歌う歌詞に「旅路の果ては、恋の逢瀬」と書かれている。ゆえにかと思うが、ホームズの訳の中にはこの言葉をそのまま使っているのもあるようだ。やっぱり慣れてるせいか、「めぐりあい」の方が好きだな。
喜劇も面白かったし、読みたかった台詞にも逢えたし、昨年からシェイクスピアを読んできて、まさに「(読書の)旅路の果ては、恋する者のめぐりあい。」を地で行ったかな、なあんて。
「十二夜」はクリスマスから数えて十二日めの夜のことで、イエス生誕のお祝いに東方の三博士が訪れた顕現日を指し、この日の前夜に祝宴を張る習慣があったとのこと。
いつもの新潮文庫版ではなく岩波文庫版は、文字が小さくて読みにくかった!
0 件のコメント:
コメントを投稿